レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

お江に関する雑談

2011-01-26 16:57:05 | 歴史
 常識というものは個人差が激しいものである。私は、高校時代に永井路子さんの歴史エッセイや評伝をわりに読むようになり、『歴史をさわがせた女たち』などで読んだことが第一印象となった部分は大きい。(クレオパトラ=絶世の美女 は誇張であり、プルタークは云々、もこの時点で知った) お江についてもその際知った。
 過去の人々について、どういう人となりであったかが史料から読み取れる場合もあろうが、勝手にイメージをつくられたり、フィクションがデフォルト化してしまうことは少なくあるまい。事実かどうかはともかく、浅井姉妹の長姉・茶々は、おおむね、勝気でゴージャスという描かれ方が多い。(コバルトの倉本由布さんの作品ではむしろさばさばした感じだった。河村恵利さんではモテまくりである)
 その点、お江は作家での差がある。井上靖『佐治与九郎覚書』(短編)では、美人ではなくおっとりした性格になっていた(長編『淀どの日記』では覚えてない)。みなもと太郎『風雲児たち』では、「姉ゆずりのすさまじさ」であり、秀忠が下手に出ていた。吉屋信子版では、美しく毅然とした感じ(『徳川の夫人たち』で語られることでもそういうイメージがわく)。 そして永井版、いま本屋でたぶん目立つように置いてある『乱紋』では、一見鈍感で、でも流されるようでいて根がタフで運が強い女。なにを考えてるかわからん感じなので、その侍女を設定し、彼女の視点から描いてある。
 天下の美女お市を母に持ち、二度の落城と3度の結婚を味わい、姉と敵対して、最終的にはトップレディー(なんて言葉は好かんけど)、これは相当に劇的なはずなのだけど、歴史好き以外にはさほど知られていなかったようなのはなぜだろう、姉のお茶々の印象がハデすぎるのだろうか。(アウグストゥスのアルプス越えでの一件を知ったときには戦慄を覚えた、どうしてこんなすごい話の持ち主が知られていないんだ~~?と驚愕した。) お江自身が積極的に動いていくというわけではないことが弱点だろうか。しかし、本人が関わっていくのでなくても多くの事件は起きるし、とにかく周囲にスターぞろいなので、ドラマにするならば人目をひく見せ場はうんとあるはずなのだ。
 大河を現在見てないけどね。評判をきくのは楽しい。ある程度の知識と関心はあるけど思いいれまではない、そのくらいのものが最も気楽に構えられる。ーーここまでネットで見た限りでは、あるいはノベライスの評判では、史実無視してまで主人公持ちあげだとか、子役が適切な時期まで成人女優にさせるのが無理があるとかけっこう散々な言われようである。

 便乗本では、光文社新書『江と戦国と大河』を買った。大河ドラマ一般に対するツッコミもおおいに含む。いわく、戦国のヒーローたちはなにかといえば平和のために戦っているが、「戦国乱世」が終わらせるべきものだなんて当時の彼らが思ってやしなかっただろうと。
(森奈津子『スーパー乙女大戦』で、ヒーローもので世界の平和を守るためにって言うけど、宇宙人が攻めてこなくても平和でない地域は多いんだから、あんなのは平和ボケした日本人ならではだろうとツッコミが入っていたな)
 これを読むまでもなく、平和のためをやたらとふりかざすのは時代考証の点でもいかがなものかと私も思う。単に野心で戦をしかけることが悪だなんて思ってなかった時代は長かったろうし。野望の男または女、ではお茶の間ドラマにできないと思ってるんだろう。
 光文社文庫『戦国おんな絵巻』(『葵を咲かせた女たち』改題)永井路子 
 これは、時期からいって、重版したことが明らかに便乗。筆者の主張の集大成といった感じがする。
 秀忠のカタブツぶりには大いに政略の意図があるというのが永井さんの意見であるけど、その流れで引用したい。
「 英雄はみな色を好むか、といえばそうでもないのですね。フーシェは秀忠のような男もいるのです。
 要は、
「女は女房一人なんて、男として情けないよな」
 というつまらぬミエの張り合いに対して、
「へえ、そうかい。それがなんで恥ずかしいんだ」
 と開き直れる度胸があるかないかの違いだ、という気もします。
 男性諸氏、いかがでしょう?」
ーー痛快なので紹介。甲斐性なしの浮気者なんていくらでもいるし、金も力もないブ男だってそこらじゅうにいる。
 ところで、カタさを政治利用云々だけど、ひとはやはり自分に合ったやり方を選びたがるものなので、政治好き男が好色ならばそれを生かした方法を考えるだろうから、やはり秀忠はカタくしていることが性に合っていたのだろうなと私は思う。

 便乗復刊ならば、杉本苑子『月宮の人』も出してもらいたい。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 牛革 タレント ヨシノリン新刊 | トップ | ぎょうへいばし »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (cucciola)
2011-02-01 02:17:44
レーヌスさま、

こんにちは!
私のなかの「江」はやはり、永井さんの「乱紋」が一番印象に残っています。私も大河風に「戦国の悲劇」をあおるのは好きではないので、この泰然としたお江が結構気に入っています。
杉本苑子さんは「影の系譜」でも少し浅井三姉妹について触れていますが、彼女が描いたお茶々は「おっとり」さん、逆にお江が「氷のような美女」として描かれていましたよ。最近、諸田玲子さんの「美女いくさ」も読んだのですが、彼女のお江もなかなか肉食系で味がありました。
大河で女性を扱うと、ソープオペラ化しちゃうのが本当に残念ですが、視聴率を稼ぐには一番手っ取り早いのでしょうね。
あっちでもこっちでもお江のこのごろ (レーヌス)
2011-02-01 16:57:36
 こんにちは。
 私にとっても第一印象ということもあって、永井さんの一見とろくてしぶといお江が上位を占めています。諸田さんのは新聞の連載時に読みました。
 「ホームドラマ大河」とささやかれるのが珍しくなくなっています。それはそれで見応えでもあれば救いようもありますが。
 某掲示板で、「大河じゃなくて小川ドラマ」との毒舌を見ましたが、これは中々面白い名称だと思います。
Unknown (サラ)
2011-02-22 21:45:23
>お江についてもその際知った

そういえば、わたしも、お江について知ったのは、永井さんの「歴史をさわがせた女たち」でした。
さらに、あの本で「淀君」は蔑称(だから、それ以来淀殿と呼んでおります)と知りました。

しかし、作家による違いは当たり前とはいえ、お江さんてずいぶん違いますね。
小アグリッピナが誰がネタにしても、強烈な女であるのとはずいぶんな違いです。

杉本苑子さんの「月宮の人」では、母お市の美貌を色濃く受け継いだ姉妹随一の美女でした。
なんだこの違いは(笑)

三姉妹と母については、永井さんだったか杉本さんだったかが、実家のために尽くしたお市、婚家の為に尽くしたお茶々、お初、婚家に吸収(?)されたお江と、女性の発言力や立場がだんだん弱体化していく時代に流れの中でとらえておられたのが印象に残っています。

永井さんはどう見てらっしゃるのでしょうね (レーヌス)
2011-02-23 11:09:55
>女性の発言力や立場がだんだん弱体化していく時代に流れの中でとらえておられたのが印象に残っています。

 おそらく永井さんの『戦国おんな絵巻』でしょう。そして、実家を背負った正室たちで苦労した家康が、決定的に婚家優先!に定めてしまった、と。思えばヨーロッパでも、血族優先→結婚の絆優先 という変化があり、宗教絡みなのですが。
 ところで、小谷野敦氏は、「淀君」が蔑称だというのは小和田哲夫氏が言いだしたことであり、根拠がない、と書いていました。正解はなんだかわかりませんが、「淀どの」よりも「淀君」のほうが矯慢でゴージャスな感じはします。
Unknown (サラ)
2011-02-23 21:19:47
>「淀君」が蔑称だというのは>根拠がない

あ、この説、どっかで聞いたと頭に残っていたのですが、小谷野さんでしたか。

「君」自体が「君主」に用いられたり、上位の立場の人間に使用されているので、「蔑称でない」との説も一理あるかもしれませんね。

しかし、こうしてあっちもこっちも「俺が正しい」「わたしが正しい」と言い出したら、一読者はどうすりゃいいねんて感じですが。
まったく。 (レーヌス)
2011-02-24 08:50:36
>一読者はどうすりゃいいねんて感じですが。

 まったく。単によもやま話のタネにしているだけならばまだしも、創作活動までやっている人ならばもっと困惑することでしょう。
 現在自分の知っていることが、事実の全部でないことと共に、将来覆されるかもしれないということも心得ていなければならないわけですね。

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事