レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

セーラームーン論④神話へのアンチテーゼ

2006-05-18 15:23:07 | 月にかわって:少女マンガ論文要約
4 ギリシア神話へのアンチテーゼ

 男女関係の検討にあたって、少年マンガのヒット作、車田正美『聖闘士星矢(セイントせいや)』(1986-90)に若干触れたい。多くの女性ファンを持ち、戦士の名前が星座から取られている、つまり神話起源という点で『セーラームーン』との接点はある。このマンガでは、戦士は「聖闘士(セイント)」と呼ばれ、女神アテナの生まれ変わりである財閥の令嬢に仕えている。
 『セーラームーン』と比較すると、次のような違いがある。まず、『星矢』では、戦いが男の領分であること。これは少年マンガであることからしても不思議ではない。数少ない女のセイントは、女であることを捨てた証として仮面をつける。
 そして、日常生活というものがほとんど出てこない。中心になる5人は中学生の年齢だというのに、学校へ行っている様子もなく、家族の縁も極めて薄く設定されている。子供向けメディアで女が戦う場合、動機が個人的だという傾向が指摘されているが、日常性の重視もこれに関連している。
 最大の相違点は、女戦士と女主人の関係である。『星矢』では、たくさんのセイントがアテナを護っているが、女セイントがアテナへの好意を表す場面は皆無であり、セーラー戦士たちがクイーンやプリンセスへの揺るぎない愛と忠誠を抱いていることとは対照的だ。これは、神話で女神アテナが専ら男に味方していることに合致している。
 そして、単性生殖という点で神話と比較してみよう。『セーラームーン』で、過去の世界のシルバーミレニアムで、プリンセス・セレニテイには父がいない。クイーンの夫の存在は問題にもされない。画面には男の住人は見当たらない。プリンセス・セレニティは、専ら母の娘である。
 一方、第3部以降に登場するセーラーサターン=ほたる。彼女は子供のころ火事で死にかけ、マッドサイエンティストの父にサイボーグ化された。そして、悪に染まった父の傀儡にされかかる。つまり、母の娘のセレニティは正義の戦士となり、父の娘ほたるは悪に利用される。そして、一度肉体が滅びてから生まれなおし、また3人の戦士たちによって育てられて仲間に入り直す。これは、ギリシア神話でのアテナとヘパイストスの設定ーー父ゼウスの頭から生まれたアテナが輝かしい存在であるのに対し、ヘラが一人で産んだヘパイストスが醜く滑稽なことーーの男尊女卑への強烈なアンチテーゼではなかろうか。
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2 コメント

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聖闘士星矢の女性たち (ゆんゆん)
2007-06-24 16:35:53
はじめまして。
『聖闘士星矢』を愛読するものですが、数々の論点、大変興味深く拝見しました。
特に印象に残ったのは「女聖闘士がアテナへの好意を表す場面は皆無」というご指摘です。
確かに、女聖闘士と女神の情緒的な交流が描かれるシーンは皆無なのですが、大勢いる男性のセイントでも、「女神が地上に平和をもたらしてくれるだろう」というイデオロギーを掲げても、アテナへの個人的な感情を表明するものがほとんどいないことに気付きました。その点主人公の星矢、アテナに命を救ってもらって恩義を感じるカノンなどの登場人物はごく少数の例外に属していると考えられます。
むしろ、女聖闘士は十二宮編・ポセイドン編の出番も多く、物語上で自らの意志でかなり重要な役割を果たしており(教皇の正体を暴く、ポセイドンを襲撃する)など、彼女たちより階級が上の男聖闘士よりも女神の聖闘士としての役割に自覚的であるように思えます。
また、ササキバラ・ゴウが『〈美少女〉の現代史』で指摘していたと思うのですが、少年漫画でも戦いの動機がイデオロギーから例えば「ヒロインを守る」という個人的なものに後退(?)している現象はあり、作者の世代の差(学生運動の影響を受けているかいないか)も影響しているのではないかという気がします。
では、長くなりましたが失礼いたします。
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思想から個人性へ? (レーヌス)
2007-06-24 19:18:40
いらっしゃいませ、コメントありがとうございます。
私は『星矢』はいちど通読したのみなので細かい点まで把握できていないのですが、アテナ沙織と個人的な関わり自体を持ったセイントが確かに少数派であるかもしれませんね。 
 戦いの動機が偉そうな大義名分よりも私的なことになっているのも性差の曖昧化の一種でしょうか。
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