レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

セーラームーン論③月と太陽

2006-05-18 15:17:52 | 月にかわって:少女マンガ論文要約
3 月と太陽

 『セーラームーン』では、戦士たちが天体の名(ギリシア・ローマ神話)を持っており、月との縁も深い。日本の伝統の中の月と太陽の役割をふりかえってみよう。
 日本の神話では、太陽の女神たるアマテラスが主神であり、その弟の月神ツクヨミは影が薄い。
 最古の仮名物語である『竹取物語』は、月の世界から来たかぐや姫が主人公となっている。日本人にとって「お姫様」といえばほとんど西洋のイメージである中、唯一に近い和製(中国起源ではあるが)プリンセスとして定着している。(番外編『かぐや姫の恋人』もこれをふまえている) 月がメルヘン的な舞台になることもこの物語以来の伝統といえる。
 和歌の世界で、桜花と月は美の代表である。「月下の歌人」西行は「願わくは花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」とうたい、その願い通りの死を迎えた。同時代の高名な歌人藤原定家の編んだ、今日でもカルタ遊びとして親しまれる「小倉百人一首」に月は1割以上出てくるのに対して太陽はほとんどうたわれない。大正の日本浪漫派の代表、「情熱の歌人」与謝野晶子は「清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵あふ人皆美しき」と絢爛と詠んだ。そもそも月は恋と結びつきやすく、太陽は詩的になりにくい。
 大正時代、婦人解放運動が高まった中、運動家の雑誌『青踏』の巻頭の言葉「元始、女性は太陽であった」は名高い。ここでは、他の光を反射する月は受身で否定的なものとしてとらえられ、太陽こそが新しい女の模範とされた。
 なお、日本語には、悪いことをしたら「お天道様に顔向けできない」という言い回しがある。
 総じて、太陽は力・正義の象徴であり、月は美と恋の領域に属しているといえる。
 『セーラームーン』は、ほぼ太陽系が舞台であるが、月こそが最高の位置を占めているように見える。それそれの惑星の「プリンセス=守護戦士」が月の王国「シルバーミレニアム」に仕えている。そして地球も月によって見守られている。第4部で、地球の奥にある聖地「エリュシオン」、そこの祭司「エリオス」が登場する。そこの主はエンデュミオンであり、エリオスは奥で祈ることが使命だと言う。ここでも、家にいて守ることが女の役割だという前提は覆されている。
 この4部の結末では、捕らわれていたエリオスはセーラームーンたちによって救われ、うさぎ&衛の娘の「ちびうさ」、未来の月のプリンセスのキスで目覚める。
 「エリオス」はそもそもギリシア神話の太陽神の名である。彼をちびうさは「王子様」と呼ぶ。太陽の名を持つ少年が、未来の月の姫に救われるのである。
 『セーラームーン』では、月が太陽よりも能動的である。「あたしはスーパーセーラームーン みんながさずけてくれた力で光り輝く戦士」――ここでは、月はただの反射として否定されているのではなく、仲間たちの協力として肯定的に解釈し直されている。「愛と正義の」戦士が「月にかわっておしおき」することは、伝統的イメージに沿いつつ新しかったのだ。
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