集英社の月刊少女マンガ誌「別冊マーガレット」が創刊50周年だそうで、先日産経新聞に記事があった。イベントも企画しているという。
「勅使川原崇・副編集長は「今では『親子で読んでいる』という読者もいる。現在の少女漫画誌は、読者の志向によってすみ分けがきっちりしていますが、別マはやっぱり『胸キュン』な恋愛のイメージです」と話す。」
・・・・・・「胸キュン」?
私が愛読していたのは小学校高学年のころで、70年代半ばのこと。当時は美内すずえと和田慎二が看板であった、つまり、波乱万丈、大スケール、スリリング!というタイプの作家がトップにいたので、どうしたって「胸キュン」の印象ではないんだけどなぁ・・・? その二人の次の位置にいた、河あきら、市川ジュンを私はいちばんひいきしていた。
別マで「胸キュン」といったら、くらもちふさこあたりだろうか。
そのうち白泉社で「花とゆめ」ができて姉妹誌「ララ」も生まれた。
別マから美内、和田、週刊マーガレットから木原、りぼんから山岸、小学館から萩尾、竹宮、大島。
新たにデビューしてスターになっていった、森川、坂田、ひかわ、樹、かわみ等々。
ほんとにまあ、初期~80年代の白泉系は凄かった、といういつもの感慨になってしまう。
長い歴史の中では雑誌のカラーも変わることがあるので、別マが「胸キュン恋愛」になったのだろう、私が離れたあとで。
いまなにか少女誌を購読するとしたら「メロディ」だろうな、コミックス買いしている作品が3つあるし。
「胸キュン」ついでに。
なにもこの表現の対象を乙女ちっくマンガに限定することもないな。では私の場合、『緋色い剣』のオーディン←ロキ、ローマ同人作品のアグリッパxオクタヴィアヌス(というよりもアグ→オクタ)、カエサルxオクタ、かなり古いところではアンドレ→オスカル。 『間の楔』『炎の蜃気楼』も。『ペリカンロード』も切ない。
・・・上記別マ副編の使った意味合いからはかけ離れている。
「勅使川原崇・副編集長は「今では『親子で読んでいる』という読者もいる。現在の少女漫画誌は、読者の志向によってすみ分けがきっちりしていますが、別マはやっぱり『胸キュン』な恋愛のイメージです」と話す。」
・・・・・・「胸キュン」?
私が愛読していたのは小学校高学年のころで、70年代半ばのこと。当時は美内すずえと和田慎二が看板であった、つまり、波乱万丈、大スケール、スリリング!というタイプの作家がトップにいたので、どうしたって「胸キュン」の印象ではないんだけどなぁ・・・? その二人の次の位置にいた、河あきら、市川ジュンを私はいちばんひいきしていた。
別マで「胸キュン」といったら、くらもちふさこあたりだろうか。
そのうち白泉社で「花とゆめ」ができて姉妹誌「ララ」も生まれた。
別マから美内、和田、週刊マーガレットから木原、りぼんから山岸、小学館から萩尾、竹宮、大島。
新たにデビューしてスターになっていった、森川、坂田、ひかわ、樹、かわみ等々。
ほんとにまあ、初期~80年代の白泉系は凄かった、といういつもの感慨になってしまう。
長い歴史の中では雑誌のカラーも変わることがあるので、別マが「胸キュン恋愛」になったのだろう、私が離れたあとで。
いまなにか少女誌を購読するとしたら「メロディ」だろうな、コミックス買いしている作品が3つあるし。
「胸キュン」ついでに。
なにもこの表現の対象を乙女ちっくマンガに限定することもないな。では私の場合、『緋色い剣』のオーディン←ロキ、ローマ同人作品のアグリッパxオクタヴィアヌス(というよりもアグ→オクタ)、カエサルxオクタ、かなり古いところではアンドレ→オスカル。 『間の楔』『炎の蜃気楼』も。『ペリカンロード』も切ない。
・・・上記別マ副編の使った意味合いからはかけ離れている。