レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『男の絆』

2012-12-09 05:42:58 | 歴史
本の感想の場合、歴史フィクションならば「本」に入れるけど、ノンフィクション寄りの場合は「歴史」にするという原則に従って、下記の本はここに。

『男の絆  明治の学生からボーイズ・ラブまで』 前川直哉  筑摩書房  2011
 三浦しをん『本屋さんで待ち合わせ』で紹介されていて読んだ本の1冊。
 日本は同性愛に寛容だと時に言われるが、決してそうは言えない、歴史を見てもそれは極めて限定された条件つきであるし、現代でも揶揄の視線は根強くある、ということを軸に、社会史にも目を向けながら「学生男色」以来の歩みをたどる。
 
 私がかつて大学で「比較文学」の講義であったかそれとも国文学だったかできいた話:、それまでの「色恋」がもっぱら遊郭を舞台にした非日常のもの(そしてそこにはまた独特の美意識も存在した)、「恋愛」とは明治に出てきた概念であった。
 上記の本に依ると、「恋愛」は1890年代にloveや amourの翻訳語として生まれた。「恋」「色」ではなくてもっと清く正しいものとしてとらえられた。それは当初、危険なエネルギーさえも秘めたものであり、情熱的、神秘的なもので、その極端な例が北村透谷。 しかし、透谷のあとの言論人たちによってその「毒抜き」がなされ、「結婚」へとつながるものにもされた。
 「硬派」「軟派」という言葉にも変遷があった。 明治初期の学生の場合、男色奨励が「硬派」、女色が「軟派」。このころには、彼らが相手にする女はたいてい遊郭(あるいは料理屋の女中や下宿の女)。
 しかし、20世紀には「女学校」ができて、「女学生」が誕生する、つまり、男子学生にとって、教育があり堅気で同年輩の娘さんたちが現れる、このことと、「恋愛→結婚→家庭」という幸福イメージと関連してくる。(現実にはそういう恋愛結婚は少数とはいえ、そういう理想が生じてくる)
 それに伴い、70年代~90年代には「智力の交換」「大志の育成」として高尚視されていた関係が、1900年代には男女交際の代替物であり、「硬派」にとって「恋愛=男らしくないもの」になる。
 これ以上ここで要約することは避けるが、
 すると、木原さんの『摩利と新吾』(話の始まりは明治43年=1910)での「硬派」「軟派」という使い方は、すでに合わなくなっていたということになるな。作中でも言及されている鴎外の『ヴィタ・セクスアリス』は発表当時よりも20年ほど昔を振り返ってのことだというし。
 本来、『摩利と新吾』は、『あ~らわが殿!』(侍堂院高校が女学校と共学の実験)の前日譚として始められたのであるけど、前川氏はこちらの作品はどう評価しているのだろうか。
 「ボーイズラブ」というジャンルに対して蔑視していない様子はわりに嬉しい。「男の絆」から締め出されているのが同性愛者(男性)と女性であるけど、女性がその「男の絆」を鑑賞する手段として解釈している。


 ついでに。
 学研の日本史学習マンガの新しいものが出た。本屋で少し手にしただけで買ってはいないけど。氷栗さんが大正時代を担当。芥川龍之介は、有名な写真の顔と、氷栗さんの絵とほどよく溶け合って中々良いキャラデザインになっている。

コメント
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