レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『ラインの護り』と『ラ・マルセイエーズ』

2006-10-25 14:32:21 | ドイツ
ライン河、古代においてはローマ支配化のガリアと、ゲルマニアとの自然の国境を成していたこの河。だから、「左岸」と「右岸」とは中々に重要な区別であろう。左岸の町にはローマ遺跡がたびたびあり、有名どころがケルンでありマインツであり、小さいけどボッパルトもそれに入る。
 スイスに始まり、ボーデン湖にそそぎ、しばらくスイスを流れて、ドイツとの国境になり、北へ折れて独仏国境となり、そしてドイツに入ってやがてオランダから北海へと抜ける大河。
国際的な河であるとともに、やはりドイツの河という印象が強く、かつ、国境を成したり国境の近くであることから、ナショナリズムと結びつきやすい。
 ヨーロッパの広い地域を支配したカール大帝のあと、孫たちによって分割され、ラインはほぼドイツに相当する東フランクにはいった。
 三十年戦争のあと、ドイツの荒廃は特にひどく、フランスの領土がライン左岸に拡大し、革命後のナポレオン支配下で左岸と一部の右岸はフランスのものとなった。
 ウィーン会議のあと、プロイセンがラインラント、ヴェストファーレンを獲得して、ラインは再びフドイツの河になった。
この時期、フランスとドイツの双方でラインをめぐる愛国詩が書かれ、その代表例が、1840年の『ラインの護り』マックス・シュネッケンブルガー。

雄叫びが響く、雷鳴のように、剣の激突、怒涛のように、
「ラインへ、ラインへ、ドイツのラインへ だれがラインを護るのか」
愛する祖国よ、心安らかでいるがよい、ラインの護りは堅く忠実だ

この訳は、加藤雅彦『ライン河』に拠る。

 この歌は、今日うたわれることはまずないそうだ。確かに、ラインの観光土産店で民謡集はよくあるが、これが収録されたものは見たことがない。90年にコブレンツに行ったときには、河近くにこういう名前のレストランがあったが。
 ここで欠かせないのは、映画『カサブランカ』である。中立国であるモロッコのカサブランカが舞台のこのメロドラマ、キャバレーでドイツ将校たちがこの『ラインの護り』を歌っており、周囲の観客たちは苦々しい顔をしている。そこでフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を演奏させて大合唱、「フランス万歳」で盛り上がる。『君が代』では勢いがなくて無理だろう。
 これより先のフランス映画『大いなる幻影』--第一次大戦中の、ドイツ軍の捕虜収容所が舞台ーーに、これとだぶる場面がある。
 戦況がドイツ軍有利なときに、収容所側の人々は『ラインの護り』を歌っている。そして捕虜たちによる演芸パーティー、その最中に、フランス軍がどこそこで勝ったという知らせがはいり、捕虜たちが『ラ・マルセイエーズ』を歌い出す。この映画は37年なので、『カサブランカ』は真似したのかもしれない。

 『ラ・マルセイエーズ』は元々、フランンス革命の最中に、革命をつぶそうとして周囲の国々から攻めてくる軍隊に対抗する気運の中で作られた歌なので、歌詞は過激である。もとは『ライン軍の歌』といったらしい。たぶん当時ラインはむしろフランスのものだったろう。では、『ラインの護り』にこれをぶつけるという行為は、当時またラインがドイツに取り返されていたフランス側の意趣返しというふうにも見えてくる。

 それにしても。『カサブランカ』は1943年の映画である。まだ戦争終わってない。もしもアメリカが負けて、こんなん作った人々はどうなっていたことか。アメリカ人ってつくづく強気だ。

 私の見た『カサブランカ』では、二つの歌に字幕がついているものとないものとあった。、『ラインの護り』はさほど有名でないし、フランス国歌に対抗して出てくるし国歌と間違われやすい。字幕つけてくれよ。私とて、卒論がドイツ軍歌で民謡も調べていたからたまたまわかったのだけど。

 なお、ロシア語通訳者の米原万里さんのエッセイによると、どこかの国でアメリカ映画をたくさん上映して見せ付けたところ散々で、特に『カサブランカ』が不評だったそうだ。モロッコを植民地にして疑問も持たない連中が自由の闘士ヅラしてるのが片腹痛いということで。では例の場面などもさぞ噴飯ものに違いない。
 私はいろいろな意味で興味深いと思っている。ゲルマニストとしてムカっとするのも事実であるが、のせられてしまうのも認める。たぶんナショナリズムは感傷に訴えやすいのだ、「博愛」や「世界市民」を説くよりも。
コメント (9)
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