レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

コミックスは内容統一を

2006-10-22 14:10:20 | マンガ
 単行本の編集において、私は内容の統一が気になる。
 特に、長編の最終巻に少しページが空いて、ギャップの激しい初期作品など入っているのは目障りでたまらない。実例を挙げよう、マーガレットコミックスの『ベルサイユのばら』の9巻、10巻。特に9巻の『初恋物語』は、それ自体話は悪くないのだが、まだ絵が水野英子調だった時期のもので『ベルばら』との別世界ぶりが浮きまくっていた。
 通常のコミックスは各巻の厚さが決まっているし、連載中に出るし、キリの悪いところで「続く」になったり、穴埋めに別の話がはいっていることもまぁ仕方ないかと諦めもつく。しかし、全部終わってから出ることの多い、だから全体の見通しがわかっているはずの文庫版その他、それで切り方がヘンだと嫌だ。あと50ページで「第2部完」なのに、どうせならここまで入れてよとか、シリーズとは無縁の短編入れるのやめて欲しかったーー注--とか。

 こういう点で思い出すのは、『日出処の天子』のコミックスでの最終巻。半分の厚さだったのには度肝を抜かれた。続編がここに入る予定だったけど完成しなかったからなのはミエミエだった。それでも無関係作品でページ揃えをしないで押し切ったとは。そんなムリが通ってしまうほど山岸さんは力があったのか。

 逆に、同じシリーズで漏れているのはたいへん気になるし、そんなのが関連なしの本に入るのも嫌だ、少なくともそれが、作家全体として特別ファンでなく、特定作品限定で揃えたい場合は。
 『天上の愛 地上の恋』は番外編がいくつもあったが、そのうち1本未収録がある。連載が終わったあと、白泉社のホームページの掲示板で「また番外編を」という声が目立っていたけど、これもやはり未収録作品があったことが大きいと思う。本来、作品があってそれを収録するために本が出るのが筋であり、単行本の収まりが目的ではないはず、しかしこの気持ちはよくわかる。少し厚い巻になってもいいから、値段が高くなってもいいから、全部思い切りよく収めてほしかった。


ただし、単行本がめったに出ない贔屓作家の場合にはこんな不満は言ってられない。少しでも多くの作品が収録されたほうがいい。北村夏『私に似た人』での『月曜の朝の固ゆで玉子』とか、川崎苑子『ポテト時代』に『野葡萄』--表題作はコメディで併録はシリアスなんだけどーーとか、『いちご時代』に『木苺さがし』『天子さがし』。 もし『りんご日記』が文庫化されるならば、キャラの名前は違うけど事実上続編である『夢の入り口』もいれてほしいものである。
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「おはよう」

2006-10-22 13:58:04 |   ことばや名前
新聞の片隅のコラム「つれづれ  懐かしい人・作品」からの話題。
40年くらいまえのテレビドラマ『スパイ大作戦』の司令のセリフ「おはよう○○君」は、原語ではGood morningだけではなく、 Good eveningの時もあった。日本語吹き替えでは
「おはよう」に統一されたのは、「コンニチワ」ならどうしても「赤ちゃん」が浮かび、「こんばんは」では重々しさがない、という理由だったそうだ。
(私はこの作品見たことないですよ念のため)
 なるほど。
 立花晶『ダイエット十番勝負』で、朝の散歩で会う人同士はなんとなく挨拶してしまう、と書いてあった。(犬連れ同士は声をかけやすいという話もよくきくところだ)
 私も教室で、朝の授業で「おはようございます」のほうが、ほかの時間帯よりも挨拶するのに抵抗がない。「おはよう」のほうが「こんにちは」その他よりも引き締まった感じがするのは普遍的な感覚なのだろう。
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