てんびん座のβ星がみどり色に見えるナゾについては現在も調査中ですが、そもそも最初に緑色に見えることに気付いたのは誰で、いつのことだったのだろう?…という疑問が湧いたので、そのヒストリーを探ってみました。
〈はじめに…〉
私がてんびん座β星のことを初めて知ったのは「天文ガイド別冊・ジュニア夏の天体ガイド(昭和47年発行)」の裏表紙を見たときです。そこには「てんびん座のズベンエルシャマリ(緑)…肉眼で見えるただ一つの緑色星」と紹介してありましたが…
〈星座ガイドブックの多くでは…〉
「この星のグリーンの輝きが美しいと表現する人もある」「青白い高温星だが、人によっては ‘‘グリーンの輝きが美しい" といわれる」「古来からこの星の色は『緑がかった』『エメラルド色』と表現され、緑色の星として紹介されている」のように書かれていて、「緑色に見えます…」と書いてあるガイドブックはお目にかかったことがありません。
〈…ということは〉
つまるところ、てんびん座のβ星が緑色に見えた人や緑色だと確信した人は、どこにもいないんじゃないの?と思って調べたところ、「緑色に見えた」ということを書物に記している人がいました! 星の和名の収集研究で知られている天文民俗学者の野尻抱影です。
〈みどり色のβ星を見た日本人-野尻抱影 1885-1977〉
昭和16年(1941年)発行『星』(恒星社厚生閣)「紫の星・緑の星」P32、
・さそり座の右隣にてんびん座の星が四辺形を作っている。その頂のβという星が全天にも稀有の美しい緑の星で、昔のプトレマイオスの星表には1等星になっている。昔はさぞ素晴らしい色の光であったのだろう。肉眼でも心もち緑に見え、更に双眼鏡では、はっきり緑いろの星を現す。
φ(.. ) -野尻抱影は1928年(昭和3年)日本光学製の屈折望遠鏡を購入し、ロングトムと命名して愛用したが、『星』を執筆するときに使用した口径10センチメートルの望遠鏡が屈折望遠鏡か反射望遠鏡かは不明。双眼鏡の性能も不明
〈で、言い出しっぺは誰なの?〉
日本で野尻抱影さん以外にみどり色のβ星を見たという人は見つからなかったので、ここからは外国の文献で「みどり色に見える星」と言われるルーツを調べてみました。 φ(.. ) 検索中~
~ふう、かなり時間がかかりましたが、てんびん座のβ星が緑色に見えることを記述している外国の文献は5件ほど見つかりました。では、時代の新しい文献から順に見ていくことにしましょう。
資料1〈アメリカの天文学者、サイエンスライター、ジェームス・B・ケラー〉1938-2022
1988年公開オンラインデータベース『STARS』
・このような星は通常、青白い色をしていると考えられているが、ズベンエスシャマリは長い間、人間の目には奇妙に緑色に見える唯一の肉眼の星であるという評判があった。また、単に白く見えるだけだと主張する者もいる。この論争が続くことは間違いない。
φ(.. ) ふむ、いかにもサイエンスライターらしい文面ですね~。しか~し、出典や引用元は記載されていないようです。では、次は58年前に出版された「バーナム天体ハンドブック」を見てみましょう。
資料2〈アメリカの天文学者、ロバート・バーナム・ジュニア 1931-1993〉
1966年出版『Burnham's Celestial Handbook・バーナムの天体ハンドブック』
・オルコット - 肉眼で見える唯一の緑色の星と言っている。
・ウエッブ - この星は美しい淡い緑色をしていると表現している。
φ(.. ) ほほう~、いいですね!出典をはっきり書いています。バーナムはローウェル天文台職員の時に天体ハンドブックを出版してますがその生い立ちを見るとホントに星が好きな人なんだ~ということが分かります。では、ここからはオルコットとウエッブの文献を見てみることにしましょう。
資料3〈アメリカの弁護士、アマチュア天文学者、ウィリアム・タイラー・オルコット 1873-1936〉
1907年出版『A Field Book of the Stars・星空のフィールドブック』
・βは淡い緑色の星である。その色は非常に珍しい。
φ(.. ) ふむ、オルコットの記述はあっさりですね~。オルコットはおもに変光星の観測をしていたようですが、4年後に出版した「Star Lore of All Ages‣あらゆる時代の星の伝承」にもβ星のことを書いているので見てみましょう。
資料3b〈ウィリアム・タイラー・オルコット 1873-1936〉
1911年出版『Star lore of all ages・あらゆる時代の星の伝承』
・β星は肉眼で緑色に見える唯一の星で、興味深い変光星である。
・エラトステネスはさそり座(てんびん座)の中で最も明るい星だと言っているが、
プトレマイオスはアンタレスと同等とだと言っている。
φ(.. ) ふむふむ、前出のバーナムはこの文面を見て「オルコットは肉眼で見える唯一の緑色の星だと言っている」と記述したわけですね~。オルコットは変光星の研究者なのでどちらかというとβ星の光度に興味があったように感じますが実際に自分の目で緑色を確かめたかはこの文面からは判別できませんね。
さて、次はウェッブの文献ですが、ここでウェッブの言葉を引用している興味深い文献を発見!それはリチャード・ヒンクレー・アレンの『Star-Names and Their Meanings・星の名前とその意味」という書物ですが、そこにはオドロキの文章が…
資料4〈アマチュアの博物学者、リチャード・ヒンクレー・アレン 1838-1908〉
1899年出版『Star-Names and Their Meanings・星の名前とその意味』
・ウエッブ は β星の色は濃紺のような濃い緑だが肉眼で色を見ることはできないと言っている。
φ(.. ) な、なぬ~! ウェッブは「肉眼で色を見ることはできない」と言っていた!? もしこれが事実なら「肉眼で緑色に見える唯一の星」という牙城はもろくも崩れ去るのか~?
さっそくウェッブの書物を見てみることにしましょう。
資料5〈イギリスの天文学者、トーマス・ウィリアム・ウェッブ 1807-1885〉
1859年出版『Celestial Objects for Common Telescopes・一般的な望遠鏡で見る天体』
・β星は目立つ星の中では非常に珍しく美しい淡い緑色をしているので二重星の項目に付記する。
・β星の色は濃紺のようなダークグリーンだが、肉眼では色を見ることはできない。
・日照時間が長く日没が遅いため、この星座の天体を探すのに苦労する。
φ(.. ) ふむ、はっきり「肉眼では色を見ることはできない」と書いてますね。ウェッブは小さな天文台を建てて、3.7インチ (94 mm)屈折望遠鏡や9-1/3インチ (225 mm) の反射望遠鏡で観測を続けて1859年に『Celestial Objects for Common Telescopes」を出版。この本は望遠鏡の使い方と望遠鏡で何が観測できるかの詳細な説明が書かれていたので世界中のアマチュア天文学者の標準的な観測ガイドとなったようです。それだけにここに記載されているβ星の説明はウェッブの観測に基づいた信頼できる記述であり、なにより「二重星」の欄に追記しているという事実がこのβ星の特異性を現していると言えます。
-総論-
・以上のことから、Libra-β星は望遠鏡を使えば濃紺のようなダークグリーンに見える星であるが、肉眼(naked-eye)で緑色に見える星ではないと結論付ける。
・ただし、β星は変光星だった可能性もあるので、ウェッブが見たβ星の色が現在のβ星と同じ色であるかは分からない。野尻抱影は「双眼鏡では、はっきり緑いろの星を現す」と記述しているので昭和16年までは容易に緑色を感じることができたのだろう。
・今回の調査では ウェッブより以前にLib-β星の緑色に気付いた人がいたかどうかはわからなかったが、ウェッブの観測が今に伝わる「Lib-β星が緑色に見える唯一の星」のルーツだと言えるだろう。
〈関連ブログ〉
・みどり色に見える星のナゾ!?(仮説~その1) 2024.5.29
・みどり色に見える星のナゾ!? 2022.7.29
〈はじめに…〉
私がてんびん座β星のことを初めて知ったのは「天文ガイド別冊・ジュニア夏の天体ガイド(昭和47年発行)」の裏表紙を見たときです。そこには「てんびん座のズベンエルシャマリ(緑)…肉眼で見えるただ一つの緑色星」と紹介してありましたが…
〈星座ガイドブックの多くでは…〉
「この星のグリーンの輝きが美しいと表現する人もある」「青白い高温星だが、人によっては ‘‘グリーンの輝きが美しい" といわれる」「古来からこの星の色は『緑がかった』『エメラルド色』と表現され、緑色の星として紹介されている」のように書かれていて、「緑色に見えます…」と書いてあるガイドブックはお目にかかったことがありません。
〈…ということは〉
つまるところ、てんびん座のβ星が緑色に見えた人や緑色だと確信した人は、どこにもいないんじゃないの?と思って調べたところ、「緑色に見えた」ということを書物に記している人がいました! 星の和名の収集研究で知られている天文民俗学者の野尻抱影です。
〈みどり色のβ星を見た日本人-野尻抱影 1885-1977〉
昭和16年(1941年)発行『星』(恒星社厚生閣)「紫の星・緑の星」P32、
・さそり座の右隣にてんびん座の星が四辺形を作っている。その頂のβという星が全天にも稀有の美しい緑の星で、昔のプトレマイオスの星表には1等星になっている。昔はさぞ素晴らしい色の光であったのだろう。肉眼でも心もち緑に見え、更に双眼鏡では、はっきり緑いろの星を現す。
φ(.. ) -野尻抱影は1928年(昭和3年)日本光学製の屈折望遠鏡を購入し、ロングトムと命名して愛用したが、『星』を執筆するときに使用した口径10センチメートルの望遠鏡が屈折望遠鏡か反射望遠鏡かは不明。双眼鏡の性能も不明
〈で、言い出しっぺは誰なの?〉
日本で野尻抱影さん以外にみどり色のβ星を見たという人は見つからなかったので、ここからは外国の文献で「みどり色に見える星」と言われるルーツを調べてみました。 φ(.. ) 検索中~
~ふう、かなり時間がかかりましたが、てんびん座のβ星が緑色に見えることを記述している外国の文献は5件ほど見つかりました。では、時代の新しい文献から順に見ていくことにしましょう。
資料1〈アメリカの天文学者、サイエンスライター、ジェームス・B・ケラー〉1938-2022
1988年公開オンラインデータベース『STARS』
・このような星は通常、青白い色をしていると考えられているが、ズベンエスシャマリは長い間、人間の目には奇妙に緑色に見える唯一の肉眼の星であるという評判があった。また、単に白く見えるだけだと主張する者もいる。この論争が続くことは間違いない。
φ(.. ) ふむ、いかにもサイエンスライターらしい文面ですね~。しか~し、出典や引用元は記載されていないようです。では、次は58年前に出版された「バーナム天体ハンドブック」を見てみましょう。
資料2〈アメリカの天文学者、ロバート・バーナム・ジュニア 1931-1993〉
1966年出版『Burnham's Celestial Handbook・バーナムの天体ハンドブック』
・オルコット - 肉眼で見える唯一の緑色の星と言っている。
・ウエッブ - この星は美しい淡い緑色をしていると表現している。
φ(.. ) ほほう~、いいですね!出典をはっきり書いています。バーナムはローウェル天文台職員の時に天体ハンドブックを出版してますがその生い立ちを見るとホントに星が好きな人なんだ~ということが分かります。では、ここからはオルコットとウエッブの文献を見てみることにしましょう。
資料3〈アメリカの弁護士、アマチュア天文学者、ウィリアム・タイラー・オルコット 1873-1936〉
1907年出版『A Field Book of the Stars・星空のフィールドブック』
・βは淡い緑色の星である。その色は非常に珍しい。
φ(.. ) ふむ、オルコットの記述はあっさりですね~。オルコットはおもに変光星の観測をしていたようですが、4年後に出版した「Star Lore of All Ages‣あらゆる時代の星の伝承」にもβ星のことを書いているので見てみましょう。
資料3b〈ウィリアム・タイラー・オルコット 1873-1936〉
1911年出版『Star lore of all ages・あらゆる時代の星の伝承』
・β星は肉眼で緑色に見える唯一の星で、興味深い変光星である。
・エラトステネスはさそり座(てんびん座)の中で最も明るい星だと言っているが、
プトレマイオスはアンタレスと同等とだと言っている。
φ(.. ) ふむふむ、前出のバーナムはこの文面を見て「オルコットは肉眼で見える唯一の緑色の星だと言っている」と記述したわけですね~。オルコットは変光星の研究者なのでどちらかというとβ星の光度に興味があったように感じますが実際に自分の目で緑色を確かめたかはこの文面からは判別できませんね。
さて、次はウェッブの文献ですが、ここでウェッブの言葉を引用している興味深い文献を発見!それはリチャード・ヒンクレー・アレンの『Star-Names and Their Meanings・星の名前とその意味」という書物ですが、そこにはオドロキの文章が…
資料4〈アマチュアの博物学者、リチャード・ヒンクレー・アレン 1838-1908〉
1899年出版『Star-Names and Their Meanings・星の名前とその意味』
・ウエッブ は β星の色は濃紺のような濃い緑だが肉眼で色を見ることはできないと言っている。
φ(.. ) な、なぬ~! ウェッブは「肉眼で色を見ることはできない」と言っていた!? もしこれが事実なら「肉眼で緑色に見える唯一の星」という牙城はもろくも崩れ去るのか~?
さっそくウェッブの書物を見てみることにしましょう。
資料5〈イギリスの天文学者、トーマス・ウィリアム・ウェッブ 1807-1885〉
1859年出版『Celestial Objects for Common Telescopes・一般的な望遠鏡で見る天体』
・β星は目立つ星の中では非常に珍しく美しい淡い緑色をしているので二重星の項目に付記する。
・β星の色は濃紺のようなダークグリーンだが、肉眼では色を見ることはできない。
・日照時間が長く日没が遅いため、この星座の天体を探すのに苦労する。
φ(.. ) ふむ、はっきり「肉眼では色を見ることはできない」と書いてますね。ウェッブは小さな天文台を建てて、3.7インチ (94 mm)屈折望遠鏡や9-1/3インチ (225 mm) の反射望遠鏡で観測を続けて1859年に『Celestial Objects for Common Telescopes」を出版。この本は望遠鏡の使い方と望遠鏡で何が観測できるかの詳細な説明が書かれていたので世界中のアマチュア天文学者の標準的な観測ガイドとなったようです。それだけにここに記載されているβ星の説明はウェッブの観測に基づいた信頼できる記述であり、なにより「二重星」の欄に追記しているという事実がこのβ星の特異性を現していると言えます。
-総論-
・以上のことから、Libra-β星は望遠鏡を使えば濃紺のようなダークグリーンに見える星であるが、肉眼(naked-eye)で緑色に見える星ではないと結論付ける。
・ただし、β星は変光星だった可能性もあるので、ウェッブが見たβ星の色が現在のβ星と同じ色であるかは分からない。野尻抱影は「双眼鏡では、はっきり緑いろの星を現す」と記述しているので昭和16年までは容易に緑色を感じることができたのだろう。
・今回の調査では ウェッブより以前にLib-β星の緑色に気付いた人がいたかどうかはわからなかったが、ウェッブの観測が今に伝わる「Lib-β星が緑色に見える唯一の星」のルーツだと言えるだろう。
〈関連ブログ〉
・みどり色に見える星のナゾ!?(仮説~その1) 2024.5.29
・みどり色に見える星のナゾ!? 2022.7.29
てんびん座がよく見える季節になると,β-Libの緑色の話になりますね。大変詳しく調べられて,興味深く拝見いたしました。野尻抱影先生も双眼鏡で確認していたとはびっくりです。相当歴史のある課題なのですね。肉眼では分からないが双眼鏡,望遠鏡ではそう見えるということですね。私も去年も今年も何度か望遠鏡で見てみましたが,青っぽい感じで緑と言い切れる感じではありませんでした。濃紺というウェッブの報告もすごい気がします。ヒトの網膜には緑を感じる錐体細胞があるので,この細胞を刺激する波長の光があれば緑に感じるはず。でも錐体細胞は暗いところでははたらかないので,まだ目が暗闇に慣れきらないうちに(あるいは明るい光を少し見てから)目の中心でじっと見つめれば緑っぽく見えるのかも知れませんね。それにしても,この件で晴れスターさんが惑星カメラでβ-Libを狙ったとき,RGBグラフのGの線が突出していたというのがなにより物語っている気がします。
どーもです。私も望遠鏡や双眼鏡でβ-Libの緑色が見えるときは錐体細胞が働いている状態だと踏んでいます。最近ちまたで言われているスマホの画面を見てから望遠鏡を覗くと星雲の色が見える…という話も同じ原理なのでは…と考えてます。β-Libの色については惑星カメラで実験撮影をしているので、まとまったらですがブログにアップするかも…です。
野尻抱影先生は緑色に見えるもうひとつの星としてアンタレスの伴星のことを本に書いているようです。この伴星については四季の天体観測(中野繁著)にも「うすみどりの5.4等星」と書いてあるので確かなことだと思います。しかしさすがに離角3秒でこの光度差では色は見えないでしょ…と思ったのですが、野尻抱影先生はアンタレス食の時に「アンタレスが月に隠れてから23秒後に緑色の小さい星が見えた」と記録を残しているようです。アンタレスは1等星なのでひょっとしたらこの明るさと赤い色が錐体細胞を刺激して伴星の緑色を感じさせているのかもですね。ちなみにアンタレスの伴星はスペクトルB2.5の青白い星のようです。バーナムの言うとおり「星の色はまことに不思議だ(Star colors are strangely)」ですね。