プライドとは誇りであって傲慢ではない。
若い頃はそれを取り違えていた。
大手企業の傲慢さに憤慨しながらも、会社ではなく
業界に生きる心構えがあった。
ところが、次々と新たな事業を展開していく中で、
いつしか小さな会社の中で、小さなプライドに
固執していった。
業績が伸び悩み、その小さなプライドが崩れていき、
やがては、アルコールに逃げ、全てを失いかけた。
復帰後も低迷は続き、耐え難い屈辱を味わった
こともあった。
そんな自分を支えたのは、家内と子供達であった。
自らの生き方というプライドを取り戻すために
死に物狂いであった。
長年に渡り、蓄積されてきたもの全てが背骨となって、
業績トップの座を揺るぎないものにしてこれた。
今、その中で自問自答している。
私が本当に望んでいたのは、小さな会社の中で
賞賛を得ることだったのか。
取り戻したかったのは、そんな小さなプライド
だったのかと。
答えは否である。私が取り戻しつつあるのは、
一期一会の誠意と感謝というプライドなのである。
そこには、謙虚と、感謝と、勇気と挑戦がある。
そして、驕り高ぶりは、微塵もないのである。
つまり、できることを精一杯という
プライドなのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/fe/20fbc793904fbe21ea512af281df8bd6.jpg)
若い頃はそれを取り違えていた。
大手企業の傲慢さに憤慨しながらも、会社ではなく
業界に生きる心構えがあった。
ところが、次々と新たな事業を展開していく中で、
いつしか小さな会社の中で、小さなプライドに
固執していった。
業績が伸び悩み、その小さなプライドが崩れていき、
やがては、アルコールに逃げ、全てを失いかけた。
復帰後も低迷は続き、耐え難い屈辱を味わった
こともあった。
そんな自分を支えたのは、家内と子供達であった。
自らの生き方というプライドを取り戻すために
死に物狂いであった。
長年に渡り、蓄積されてきたもの全てが背骨となって、
業績トップの座を揺るぎないものにしてこれた。
今、その中で自問自答している。
私が本当に望んでいたのは、小さな会社の中で
賞賛を得ることだったのか。
取り戻したかったのは、そんな小さなプライド
だったのかと。
答えは否である。私が取り戻しつつあるのは、
一期一会の誠意と感謝というプライドなのである。
そこには、謙虚と、感謝と、勇気と挑戦がある。
そして、驕り高ぶりは、微塵もないのである。
つまり、できることを精一杯という
プライドなのである。
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