大手製鋼メーカーの製品品質保証データの改ざんが
取り沙汰されている。
日本のモノづくりの品質神話も崩れて久しい。
モノづくりの空洞化に伴って、品質も蔑ろに
されるなら、モノづくりなどやめればよい。
ただ、これはいわゆる品質問題ではなく、
契約の問題である。
一般の規格に準じたものであれば、
品質的には問題ない。
だが、製鋼メーカーが提供するのは素材である。
その素材を使って製品を作る側にとっては、
契約仕様に準じていない素材を購入し続けた
ことになる。
購入側も、自動車、鉄道、航空機などの
大手メーカーである。
重要保安部品の多い業界で、素材購入者側が
その改ざんに気付いていなかったとすれば、
それはそれで大きな問題である。
いわゆる受け入れ検査体制が厳格でないことを
露呈することになる。
大手は、標準規格をベースに、個別の契約規格、
仕様を取り決めているが、通常そのレベルは、
標準規定の2-3倍増しとなっている。
特定の製品によっては、10倍増しなどという
ものもある。
よって、今回の改ざんによって、それがすぐさま
流通製品の問題とはならないことは、関係者なら
わかっている。
どうも、特定のメーカーというよりは、業界自体の
暗黙の了解的な背景が見える。
事実、契約規格から外れていても、特別採用という
措置も製品によっては為される。
マスコミが喧しく取り上げているのに対し、実質の
被害者ともいえる素材購入メーカーが割合に
落ち着いているのはそういうことだろう。
下手に騒ぐと、今度は自らのチェック体制を問われる
ことになるからだ。
いずれにせよ、職人気質がモノづくりから失われれば、
それはただの生産になる。
こだわりというものを失い、コストと納期だけという
商売人の気質と混じれば、それはもう職人ではない。
モノ売りは商売人で、モノづくりは、職人の
ものである。
職人が商売人になれば、そこにモノづくりはない。
取り沙汰されている。
日本のモノづくりの品質神話も崩れて久しい。
モノづくりの空洞化に伴って、品質も蔑ろに
されるなら、モノづくりなどやめればよい。
ただ、これはいわゆる品質問題ではなく、
契約の問題である。
一般の規格に準じたものであれば、
品質的には問題ない。
だが、製鋼メーカーが提供するのは素材である。
その素材を使って製品を作る側にとっては、
契約仕様に準じていない素材を購入し続けた
ことになる。
購入側も、自動車、鉄道、航空機などの
大手メーカーである。
重要保安部品の多い業界で、素材購入者側が
その改ざんに気付いていなかったとすれば、
それはそれで大きな問題である。
いわゆる受け入れ検査体制が厳格でないことを
露呈することになる。
大手は、標準規格をベースに、個別の契約規格、
仕様を取り決めているが、通常そのレベルは、
標準規定の2-3倍増しとなっている。
特定の製品によっては、10倍増しなどという
ものもある。
よって、今回の改ざんによって、それがすぐさま
流通製品の問題とはならないことは、関係者なら
わかっている。
どうも、特定のメーカーというよりは、業界自体の
暗黙の了解的な背景が見える。
事実、契約規格から外れていても、特別採用という
措置も製品によっては為される。
マスコミが喧しく取り上げているのに対し、実質の
被害者ともいえる素材購入メーカーが割合に
落ち着いているのはそういうことだろう。
下手に騒ぐと、今度は自らのチェック体制を問われる
ことになるからだ。
いずれにせよ、職人気質がモノづくりから失われれば、
それはただの生産になる。
こだわりというものを失い、コストと納期だけという
商売人の気質と混じれば、それはもう職人ではない。
モノ売りは商売人で、モノづくりは、職人の
ものである。
職人が商売人になれば、そこにモノづくりはない。