ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

お疲れ様でした

2008年07月29日 | ノンジャンル
6月に入ってからというもの、絶不調に陥っていた私は、
待ったなしの忙しさと、その後に来る憔悴で、通院も抜けて
しまうことがあったが、その間に初めからお世話になっている
看護師さんが退職されていた。

私と同年代(とはいっても年下だが)の方で、確か同じような
歳の娘さんと息子さんがいるはずである。
大柄で、しずちゃんのイメージがあり、物事に動じない、
存在感の大きな彼女は、患者さんにも姉貴分のような存在で、
内心ではいろいろと心配り、気配りを細やかにしていながら、
言うべきことは誰に対してもはっきりと言う人である。

普段はさほどおしゃべりではないのだが、無言の威圧感があり、
口を開くときはよっぽどのことであるが故に、断固とした
ものがある。

初めて病院へ行ったとき、夜診のない曜日だったので、初診の
私のために居残りをさせられたと、通院のたびに言われた
ものだが、今となっては懐かしい。


休職などとんでもない、夜診があるなら、仕事帰りに
通院すると言って聞かない私に、病気で仕事を失って、
頑張って治療をして仕事を探そうという人もいるのに、
仕事があって、休んで治療できるだけ贅沢だとかいうような
ことを仰っていた。

結局、治療プログラムをまずはきっちりと完了してから
という有無を言わせない院長先生のご指導で、休職、
通院となるのだが、その看護師さんに対しては、何を
偉そうに言ってやがる、他の患者と一緒にするなと
思っていた。

その後も私の治療に対する意識というか姿勢に関して、
歯に衣着せぬ物言いをすることもあったが、誰にものを
言ってやがる、本人が一番わかってるんだなどと、
腹で思っていた。

復職した後、通院の時に、初めの頃のそんな話をすることも
あったが、「そうやったんや」と笑っておられた。
年下ではあっても、やはりなんとなく姉貴分のような
存在であった。

共通の話題といえば子供のことになるが、ひょんなことから、
アニメ好きで、今でもケロロ軍曹とかを自分が好きで子供と
一緒に見ているという話を聞き、それからは、彼女の
ニックネームは「軍曹」になった。
他の患者さんは彼女を「女将さん」とか、「親分」と
呼んでいた気がするが、いずれにしても肝の据わった
姉御の雰囲気である。

子供さんが中学、高校となれば、お金もかかるので、
頑張って働かないとと、よく話もしたが、思春期の子供に
とって母親が家にいるのといないのとでは大きな違いがある。
まして、この病院の処置室たるや、野戦病院かと思うほどの
激務である。退職された事情はよくわからないが、
母親として家庭を守る上で、必要なことと考えられたの
かもしれない。

イメージとしては肝っ玉母さんの彼女が、家庭でドンと構えて
いれば、子供さん達はどれほど安心するかわからないと思えば、
淋しくはあるが、同じ親として、良かったのではないかと
思える。

私は長男で、兄も姉もいないので、兄貴がいれば少し楽だった
かもしれないと思うし、姉貴がいれば、随分楽な面が
あっただろうと思う。彼女はまさしく、私にとっては
姉貴的な存在だった。

一番初めから、3年間、しっかり見守って頂けて、心から
感謝しています。本当にありがとうございました。
そして、本当にお疲れ様でした。
貴女が仕事とはいえ、多くの患者さんを力づけてきたことが、
これから成長していくお子さん達に大きな母親の愛情として
降り注がれることを願ってやみません。

私も、この大切な3年間を新たな原点として、これからも
やるべきことをやれる限り、頑張りたいと思います。