ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

原点置換

2008年07月16日 | ノンジャンル
バックプレッシャーとは、言うまでもなく前面からではなくて、
背面から受ける圧力であり、それに気付くのは、かなり高く
なってからで、前面からのようにその都度感じる事が難しい。

知らぬ間に少しずつ累積されて、臨界点を越えた時に一気に、
思いも寄らぬところから噴出するようである。

今回、多分初めての経験だろうが、もう本当に何もかも面倒で、
どうでも良くて、心身ともにどうしようもなさに翻弄され、
寝るのも、食べるのも、動くのも、考えるのも全てが億劫で、
息苦しい数日を過ごした。

その中で、待ってはくれない仕事を続けながら、何度消えたいと
思ったか知れない。
風の中で粒子となって砂が吹き流されていくように、さらさらと
消える事が出来れば「楽」というより、気持ちがいいだろうなと
感じていた。


わずかに残された理性が、家族の事、会社の事、自分の為すべき事、
周りの人達の事、そして自分の命の事を想起させ、うつろとなった
心身を支えながら、引きずるように動かしていたが、それすらも
風前の灯のようであった。

何も考えられない、気力がない、意欲がない、身体も動かない。
生きながら廃人のようになった自分を覆い尽くしていたのは、
「出来ない」、「出来ない」、「出来ない」であった。

なんとしたことか。わかっている自分がどんどん小さくなり、
そのわかっている事すら忌み嫌い、消し去ろうとする。
抗えば抗うほど、力を奪われるようであった。

まだ、離脱症状と戦っていた時の方が、気力体力共に限界に
あったとはいえ、なんというか、命の芯のところで、力があった。
今回は、そのあたりの芯の力を抜き取られていくようなのである。

これは非常に厳しい。
苦しいでも、辛いでも、憔悴でも、落胆でもない。
そんな生と直結したものではない。
言わば死と直結したものであった。
崩壊とか滅びと言った方が適当かもしれない。
燃え尽きなどという格好の良いものではない

そのありのままを、整理しておく必要があるとも考えたが、
いざ始めると支離滅裂で、結局削除した。
今、やっと整理とまではいかなくとも、吐き出せるまでになった
というところだろうか。

もともとお酒が飲めないのではない。散々お酒の力を借りてきた。
否、むしろお酒がなければまともな神経を維持出来なかった
かもしれない。
効用のみがあるのであれば、間違いなく現在も飲み続けている。
だが、私はもう、薬物を毒物としてしまった。

つまり害はあっても、以前のような効用はまるで期待できない。
だからこそ断酒を継続している。
毒物としてしまったお酒を断ち続ける事は、ある程度の期間に
おいては非常に有効である。

健康の回復、身体機能の回復、神経系の回復、精神系の回復等々。
だが、改めて理解した事は、自身はその薬としての効用も
経験しているという事である。
既に毒物としての害を経験し、断酒をしているわけであるが、
それはもう自身にとってお酒が害とはなっても薬となる事はない
という諦めなのである。

しかるに、飲んでいた頃と現在と、社会生活が一変した
わけでは無い。
むしろ立場や責任は重くなっている。様々な変化の都度、
素面で向き合って何とか乗り越えてはきたが、逆に言えば
その効用無しで3年間踏ん張ってきた以上、それなりの成長も
あるには違いないだろうが、気付かぬうちに背圧も徐々に
累積されてきたに違いない。

更に悪い事には、様々な回復は、それまで鈍化させてくれていた
感性を、わかりすぎる、見えすぎる、感じすぎる、と、どんどん
鋭敏化させてきた面もある。

確かに3年という月日は断酒を楽にし、安定化させ、
欲求そのものを非常に落着かせている。
だが、同時にその裏で、つまり断酒継続と平行して、相反する
抑圧、背圧というものを蓄積し、鋭敏化していく感性がその圧力を
更に増幅するといった背景があったようである。

今回の予期せぬ背後からの圧力噴出は、驚天動地ではあったが、
自身の驕りに対する最大限の警鐘とも捉える事ができる。
即ち、断酒の安定継続によって慢心している自身は、それに伴って
累積される背圧を負っていけるほどの大きな度量がある人間では
ないという事である。
狭小かつ矮小で、いざとなれば小さな自分自身の事でもはや精一杯
という度量のレベルである。

断酒を手段としながら、どこかでそれを目的のように意識し、
継続に達成感を持つようになり、自己満足してはいなかったか。
継続日数が増える毎に、己の慢心を増幅してはいなかったか。
唾棄すべき状態であった自分が、人としての自身を取り戻す
一歩一歩である事を忘れていたのではないか。

今現在のありのままの自分自身を見据えて、前を向くなら、
必然的に謙虚であらねばならない。いや、自然に謙虚に
ならざるを得ない。

抑鬱状態に陥っているのかとも疑ったが、仮にそうだとしても、
どうしようもなさにこれほど心身ともに懊悩した事はない。
ただ単に飲まない日々を積み重ねていく中では到底気付く事の
できないことに気付かせてもらったのかもしれない。
いや、継続があったればこそ、この気付きの地点にまで
来たという事か。

今、断酒の原点を、ようやく過去から現在に新たに置き直す
時を迎えたような気がしている。