ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

院内例会

2008年07月22日 | ノンジャンル
金曜の夜にお付き合いがあって、午前様となり、疲れ果てて
いたのだが、状況が状況だけに、何としてでも病院へ足を運ばねば
ならないと感じていたので、這い蹲るようにして通院した。

診察の時に話を聞いて頂いて、暫定的な処方もしてもらったが、
確かに時期的にはもうお酒をやめ続ける事が第二義、三義と
なってきて、むしろいかに生きるかが第一義となっている事を
改めて認識させられた。

断酒疲れと言おうか、断酒、断酒と見るのも聞くのも考えるのも
うんざりした気分である。
お酒をやめ続ける為という事ではなくて、いかに生きるかという
事を考えるために自助グループに参加するのも一つの
選択肢ですと、先生は仰った。

その考え方であれば、今からでも自助グループに参加する
意味は大きい。通院とセットで、土曜日の参加を考えてみようかと
思っている。


新しい薬で楽になる事を期待していたが、日曜日の朝は最悪で、
身体の節々が痛く、目覚めてもなかなか起き上がれなかった。
院内例会の日ではあったが、行けば間違いなく指名される。
行かねば何も変わらない。

行動こそが全てであるとわかっていながら、身体は悲鳴を
上げている。だが、今、この苦しい状況にあるからこそ、
行かねばならない。重い身体を引きずって、何とか参加できた。

話される体験は、お酒に関わる事ではあるが、人それぞれ
もちろんの事ながら、異なる生き様の吐露である。
聞く側がお酒に囚われていれば、誰の話も大差ないように
思えるが、自分の生き方、人の生き様という見方で聞いていると、
本当に千差万別である事がよくわかる。
唯一点、断酒によってしか、これからの生き様はないという事
だけが共通しているのみなのである。

案の定指名されたが、それも院長先生が私の胸中を察しての
計らいであったように思える。
現状をありのまま、素直に話す事で少し楽になった気がした。
人間、人前で自分を曝け出した話をするというのは、
かなり緊張するものである。
特に私の場合は、例えば講義のような話をするのはいくらでも
出来るが、自分の事を率直に、あからさまに話をするというのは、
滅多になく、ひどく緊張してしまう。
久し振りに身体の震えさえ感じていた。

やめ続けていても、あんな状態になる事もあるのかと、
聞く人におかしな影響を与えはしなかったかと後で案じたが、
それも今の自身にとっては杞憂であると考えている。

スリップ、入院を繰り返しながら、やめる事が出来なかった、
いや、やめるつもりが無かった人が、何度目かのスリップの時に、
「やめたい」と本気で思ったらしい。それから断酒は
継続している。

離脱のピークに苦しむ中、初めて奥様に「助けてくれ」と
心の本音を口に出して頼み、やっと止まったという方もいた。

苦しみの果てに、ようやく夏の暑い日を、暑いと感じられる
ようになった事が嬉しいと仰る家族の方がいた。
過去に囚われないで、大きな先の事に不安にならないで、
今を幸せに、今を大切に生きていきたいという、家族の言葉は、
集まった本人の人達にとって、どれほどの癒しとなったか、
励みとなったか、計り知れない。

他人を責める事をやめ、自身を見つめ直す事で、心の健康を
第一に保つ事が何よりも大切と話された年配の方。

飲んでいれば依存症。飲まなければ依存症ではない。
だが、飲んでいようと断酒していようと、お酒が害としかならない
身である事に変わりは無いと話された方。

それぞれ、立場も年齢も異なる人達が、それぞれの生き様を
吐露する場があり、そこに自分が参加できるという事は本当に
有り難い事である。
本人、家族、医療スタッフが一堂に会するこの院内例会だけは
大事にしていかねばならない。
自身にとっても、月に一度、得難い勉強をさせて頂ける
場でもあるのだ。

今一度、原点を置き直す。結論として自分に課した事であるが、
偶然にも今回より断酒一年表彰の記念品がアルバムに変わった。

「歩」という色紙が貼られ、表彰の記念写真を貼るという
主旨らしい。
私が頂いたのは、「原点」という楯であった。
本棚に飾っているが、いつも見えるところにあるその楯が
気に入っているので、早い目にもらえていて、良かったなと
不謹慎な事を考えていた。

院長先生のお話は、一般の病気に関してはまず通院、
そして必要な場合に入院となるが、依存症については入院、
隔離が大原則であった事に疑問を持たれていた事。
通院治療など到底不可能とされていた時代に、通院治療の
専門医として開院し、今年で27年になる事。
特別な事ではなくて、依存症が病気である以上、
入院だけではなく、通院があってしかるべきとの考えだった事。
そして、専門医療というのは、糖尿病等と同じく通院、
入院以降の生活の方が大切である以上、教育医療とも
言うべきものである事等、私自身、認識を新たにする事が
出来た貴重なものであった。

何となく億劫で、先月、先々月と、2回も例会を欠席したことが
悔やまれたが、その意義を新たに認識した以上、今後は欠かさず
参加したいと思う。

ようやく谷の下死点は過ぎたようである。
徐々に上昇へと転じていきたい。