ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

なにもない

2019年09月27日 | ノンジャンル
人生の黄昏期に入ると、いろいろと身の回りの
整理をしておかねばという気持ちにさせられる。

貯蓄など、お金や契約に関わることについては、
ある程度まとめているが、それ以外は、
別段どうでもよい。

一期の終わりに、物質的なものは意味がなく、
肉体も滅びる。

遺されたものに負担とならない程度の準備は
している。

遺言状を準備しておくほどの資産は無い。

社会や世間に名が遺るほどの偉業を為した
わけでもないし、これからもないだろう。

要するに、なにもないのである。

あるとすれば、家族や周りの関わってきた
人達との思い出であろう。

それは自身の思い出でもあり、遺せるものは
それしかないようである。

そして、それはそのまま、自身の生き様でもある。

遺せるものが、生き様であるとすれば、
自ら襟を正さずにはおれない。

遺影にできそうな自画撮りは、毎年更新して
保存している。

携帯やパソコンのパスなども整理してあるので、
困ることはないだろう。

となると、保存しているいかがわしい画像や動画も
処分しておく必要がある。

だが、息子と趣味が合えば、それはそれで
遺産となるかもしれない。

どうするか、思案中である。