ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

あきらめる

2019年09月03日 | ノンジャンル
元々、あきらめのよい方である。

というか、すぐにあきらめの気持ちが前に立つ。
長距離走など、走り始めた途端に嫌になって
来るので、短距離走や、幅跳び、高跳びの方が
好きだった。

仕事でも何でも、ちょっとうまくいかない事や
大きな問題に直面した時も、すぐにあきらめる。

正確には、最悪の事態を想定して、嫌になり、
逃げ出すことを考える。

もちろん、責任のある事から逃げ出すことは
出来ないが、それが不必要なほどのストレスになる。

あきらめない心、挑戦し続ける心が大切だなどと
いう美談には反吐がでる。

その美談が不快なのではなく、それを突き付け
られた時に、自身が気も身体も重くなって、
吐き気を感じるほどになるという事だ。

断酒に関係して、よく、お酒をあきらめるという
言葉を聞く。
冗談ではない。あきらめるのが得意な私が、
どうしてもあきらめることができなかったのだ。

簡単にあきらめるなどと言って欲しくない。

思い返せば、飲むことをあきらめるという意識の
時期もあったかに思う。

だが、どちらかと言えばマイナス?思考の
あきらめるより、飲まずに生きるという
プラス方向への意識が強かったように思う。

いくらあきらめ上手とは言え、生きることを
あきらめなかったのが、あの時を最大の契機と
できた要因だろう。

いや、生きることをあきらめることは、あの時
許されなかった。少なくとも、二つの命に対する
責任があった。

そして、その時から今に至るまで、日々の生活は
変わらない。
飲まずに一日を生きる。それが一日断酒である
という原点は少しも変わらない。

飽き性で、何でもすぐに投げ出したくなる
あきらめのよい人間が、これまで断酒を継続して
これたのは、飲まないではなく、一日を生きる
ことにのみ自分の意識を向けてきたからであろう。

急に秋めいたと思ったら、また夏が帰ってきた
ような晴天が続いている。

あきらめるのでもなく、あきらめないのでもなく、
今日という一日を自分なりに生きていく。

それは、これからも変わることはないであろう。