ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

空気を読む

2019年09月05日 | ノンジャンル
KYというのは、空気を読めるとも読めないとも
解されるのに、読めない否定的な意味で
使われている。

日本の察する文化では、空気を読むという事が
重要視されるが、要するに空気を読んで周りに
合わせられるという事は、本人にとっては別段
どうでもよい事なのである。

それが自身にとって、よほどのことであるなら、
KYと言われようが何だろうが、右に倣う事は
無いはずだからである。

断酒している身とはいえ、これまで多くの酒席に
出てきた。 冠婚葬祭もあり、接待もあり、
パーティーもありと、その酒席も多様であったが、
飲まないことが罪であるかのような空気に
さらされることも少なくなかった。

せっかくのお祝いの席で無粋なとか、供養のためと
思って一杯だけでもとか、俺の酒が飲めないのか
的な事もあった。

一杯くらいのお酒で、何がどうなるわけでもなく、
普段の仕事上ではむしろKYであってはならない
立場にある以上、口をつけても良かった
かもしれない。

一杯のお酒、一滴のお酒にこだわるような
こともなかったが、飲まないと決めた以上、
それが一杯であろうと一滴であろうと
同じであった。

そこは、もちろんどうでもよい事ではなく、
自身の生きるに直結した重大事だからである。

断酒に縛られるのでもなく、断酒に縋りつく
のでもなく、私の断酒は、生きるそのもの
なのである。

よって、飲まないについては、空気を読むことは
これからもないし、KYで生きるのみである。