ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

自己中

2019年09月10日 | ノンジャンル
例えば友人が5人集まり、夏休みの計画を
立てるとする。

4人が海へ行きたく、1人が山へ行きたいとする。

4人は1人に海にしようと迫るだろうし、過半数を
超えている海派は、海に決めてしまう事もできる。

さてこの山派の1人。

日本なら、折れて、海に行くことに同意するだろう。
いわゆる察する、空気を読むという事だ。
ところが逆に、どうしても山へ行くことを
譲らない場合は、空気の読めない自己中という
事になる。

アメリカでは、この1人は、決して譲らない。
山に行きたいのが自身の本音であるから、
それを主張する。

主張した上で、妥協点を見つけるという事になる。
大抵の場合、今回は海にして、次回は山にしよう
という前向きな形で落ち着くことが多いが、
時には最後まで譲らず、その計画から離脱
という事もままある。

あるいは、山の素晴らしさを力説し、他の海派の
4人を説得して、山行きにひっくり返すこともある。

この場合、アメリカでの評価は、高い順に、
ひっくり返す、離脱する、妥協するとなる。

つまり、日本で自己中と低評価となるものこそが、
アメリカでは最高評価となるのである。

どちらが善いとか悪いとかの話ではない。
処変われば文化も習慣も常識も異なる。

そんなものに囚われて汲々とするより、どうせ
思い通りにならない事ばかりなら、思う通りに
生きて行けば良い。

他人を巻き込んだり、迷惑をかけるような
事さえなければ、自己中で良いのである。