ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

心の傷

2019年09月22日 | ノンジャンル
14年以上経っても、当時の事をふと思い出した
ように家内が話をし出すことが今だにある。

病気ということにおいては本人は被害者かも
しれないが、周りに対しては加害者である。
しかもその自覚というか、記憶が周りに
比べて格段に薄い。

深い怪我の傷が癒えても、傷痕が残り、
時に古傷が痛むこともままある。

いつまでも昔の話を掘り返してとか、
何度謝れば気が済むのかというのは、
いわば加害者の勝手な言い分である。

傷ついたものが、現実に痛みを感じて
いるなら、そしてそれが自身に帰因して
いるなら、その度に何度でも謝れば良い。

現に、そういう話になると、私は黙って
聞いている。その上で、済まなかったね
と謝り、支えてくれた事を謝す。

そしてまた、昨日と変わらない今日を
共に過ごしている。

償いでもなく、謝罪でもなく、
その痛みに寄り添うという事だ。
まして自分自身が与えた痛みである。

何度でも謝すれば良い事だし、
それが自身の回復の一歩一歩でもある。

目の前の痛みと苦しみに、寄り添う。
それに終わりはない。
終わらせたいと思ううちは、つまり、
加害者の勝手に囚われているうちは、
まだまだなのである。