ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

幸と辛

2009年12月26日 | ノンジャンル
断酒初期の頃は、それまで、あれほど飲んでいたお酒を
すっぱりやめて、飲まない日々を重ねていることを何か
特別なことと感じていたし、周りにも特別なこととして
自分を評価し、認めてもらいたいという気持ちが強かった。

それはそれで自然なことであろうし、我慢の断酒の
時期であれば、周りの評価自体が支えともなる。
一ヶ月、三ヶ月、半年、一年の表彰があるのも
そのためである。

断酒自体が安定してくると、さまざまな気付きという
ことがあるのだが、要するに我々にとっては
飲まないことが、まともであり続ける条件ということ
であって、飲まないことそのものが、何か自分を特別な
存在とするわけでもなんでもない。

普通の人でも生きていく上では様々な苦難があって
当たり前であり、そういった生き辛さの中で、健気に皆
頑張っている。

我々は断酒によって普通の人でいられるのであり、
それ以上でもそれ以下でもない。

どう生きていくのかは、やはりその人それぞれであるから、
断酒自体に何か見返りを求めても詮無いことである。
まともに戻って、生き辛い人生をどう生きていくのかが
むしろ普通に問われるべきことなのである。

なりたくてなった病気ではないにしろ、なるべくしてなって
しまった病気である以上、その回復のためにせっかく
苦しい思いを経験したのであるから、それを現在、未来へと
生かしていくことを考えるべきであろう。

辛いという字に、もう一本線を引けば幸せという字になる。
今、我々は、そのもう一本の線を引こうとし、引く途上に
あるのではないか。
いや、むしろその線に気づいていないだけかもしれない。

幸せの中に辛さがある。辛さがあって幸せがある。
これは、人生の妙味というものだ。

幸せも不幸せも、人の心次第ということなのである。