ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

品格

2009年12月01日 | ノンジャンル
「何々の品格」という書籍のシリーズが一時話題となった。
かなり売れ行きも良かったそうである。

カミサンも、「女性の品格」を買って読んでいた。
私もパラパラと斜め読みのように見てみたが、
確かに中身としては面白い。

なるほどと唸らされることも多かった。
この書籍に触発されて、日頃の言葉遣い、立ち居
振る舞いを改めようとしている人も多いことで
あろうと思う。

だが、作者はひとつ見落としている。
品格というものは、その人の生まれ育った環境や、
人間関係、教育といった長年にわたる影響下のもとで
徐々に身につくものであり、一朝一夕に品格をその人に
沁み込ませるなど土台無理な話なのである。

品格とは、その種のオーラであり、その人の内面から
滲み出るものである。
仮に素裸になっても、その品格は変わりがないが、
書籍を読んで、その通りに身を処していこうとしだした
ものは、品格という衣を纏おうとしているだけであり、
すぐに疲れて、衣を脱ぎたくなる。

同じように、昔貧乏で苦労したものが叩き上げで
財を為し、いわゆる上流階級、セレブと呼ばれるサロンに
入ったとしても、それは成金であって、品格も
メッキなのである。

一番簡単なのは、その仁の話や考えに真っ向から反駁し、
その仁そのものを嘲罵すれば、そのメッキや衣は
いとも簡単に剥がれる。
むきになって、下劣極まる言葉で反撃に出る似非紳士など
いくらでもいる。

もっとも、品格というものを自ずから身につけた人は、
その仁がいくら愚鈍でも、面と向かって嘲罵など
することはないであろう。

車内で化粧をする女性の是非を論じたところで詮無い
ことである。時間がない、通勤時間を有効になどという
弁解の時点で、すでに品格とは程遠い。
それはその人の生活習慣に裏付けられた行為なのである。

災害など、不可抗力によって交通機関がマヒすれば、
これは致し方ないことなのであるが、関係者に詰め寄って、
罵詈雑言を浴びせねば気の済まない仁もいる。
これも品格とは程遠いのだが、その仁にとっては、日常的
生活習慣なのである。

かくいう私も、品格が内面から滲み出るような人に育つ
環境とは縁遠かったと言わざるを得ない。
ただ、社会人となってから、外交という経験の中で
少しずつ自身の不躾な面を改める努力はしてきた
つもりである。

それでも、様々な機会に、むらむらと本来の品の無さを
露呈してしまいそうになる以上、やはりメッキの
品格でしかないようである。

その人にすれ違うだけで涼やかな風を感じるような、
会って話をすれば心に穏やかな日が差すような、
そういう人が少なくなってきた気がする。