ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

待つ余裕

2008年12月10日 | ノンジャンル
運転免許をお持ちの方なら、教習時代に学んだ事を思い出して
もらいたいのだが、信号が青の時は、「進め」ではなく、
「進んでも良い」である。

黄色ならば、「止まれ」であって、「注意して進む」ではない。
但し、急ブレーキなど、危険な操作を必要とする場合、
停止線を越えて、交差点内にある時などは、例外として、
そのまま通過することが出来る。
「止まれ」である以上、自車及び後続車が安全に停止できる
のであれば、停止しなければならない。

大阪では、青は「どんどん進め」、黄色は「可能な限り進め」
である。
安全に停止できる状態で、黄色信号で停止などしようものなら、
後ろからクラクションを鳴らされる。
いわゆる、黄色から赤に変わる微妙なところを含めれば、
信号無視はかなり多い。

明らかに赤信号を無視するのは論外として、この変わり目に
ついてはその認識に個人差が大きく、警察とのトラブルも
絶えない。

たかが一つの交差点を越えられるか越えられないかの違いは
実は大したことではない。
確かに信号待ちの異常に長い交差点もあるのだが、ある程度は
連動しているのでそこを越えても次の信号で待つことになり、
平均すれば大差ない。

これは多分に心理的な要素が大きく、電車に駆け込み乗車する
のと同じで、待つ=時間をロスする=損をするという、
せっかちな人に共通する強迫観念的なものが働いている。

私から見れば、性急にバタバタと動いている人はかえって
無駄が多く、その分ロスが大きい。
じたばたするのと、てきぱきするのとでは雲泥の差がある。

さて、信号が黄色に変わった時点で、止まることを前提に
している人は、後続車に配慮しながら、止まれるかどうかを
判断する。
進むことを前提にしている人は、条件反射的にアクセルを
踏み込み、赤に変わるまでに交差点に進入しようとする。
この「待つ」ことができないせっかちさが、往々にして
事故を招く。事故を起こせば、その損失は計り知れない。

たかだか数分待てば済むことが、事故を起こせば取り返しの
つかぬことにもなりかねない。
安全運転で、無事故であることが第一であることなど
誰もが承知している。
にも拘らず、事故が絶えないのは、精神的にも身体的にも
余裕がないからである。

歩行者の立場でもよい、自転車やバイクに乗っている
立場でもよい、車を運転している立場でもよい、
一度冷静に、信号が黄色に変わった時の自身の心理的作用や、
反射的行動について観察してみてはどうであろう。
無意識で、気づきもしていなかったことが見えてくる
かもしれない。

そもそも、免許というものは、してはいけないことを
することを許可するものであって、そのための知識なり、
技能なりを修得した、資格のあるものに下りるのであり、
その資質において欠格とみなされたなら下りないのである。

師走に入り、否が応にも気ぜわしく、慌ただしい時期である。
過ちを犯さず、てきぱきと物事を進めていくには、
何よりも余裕が大切だということを肝に銘じて
おきたいものである。