脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

第1回アジア国際映画祭

2017年02月28日 | 私の右脳ライフ

「1月往ぬる(いぬる)2月逃げる 3月去る」
幼いころ、父母がよく口にしていた言葉が、突然耳底に蘇ってきます。ほんとに年明けてからの過ぎ行く時間の速さは 、毎年ながら驚かされます。
もう2月も終わり。備忘録としてやはり記録しておきましょう。
2月1日に 、思いがけない体験をしました。

憲政記念館で第1回アジア映画祭が開催され、オープニングフィルムには「李参平物語」が選ばれました。映画会そのものは3日間にわたって開催されたのですが、初日に紛れ込みました。

そのメガホンをおとりになった小川益王監督と昨年お近づきになりました。監督が出席の手はずを整えてくださいましたから、興味津々で上京しました。
映画は、日韓関係に難しさが言われる現在、文化的には深い関係のある日韓両国のつながりを見直して、双方を尊重する姿勢が感じられる感動的なものでした。
その後のパーティが初体験ばかりで楽しかったんです。
舞台挨拶。監督出演者のほか、政治家がたくさん挨拶され、さすがにどなたもお話がお上手で感心しました!女性に代表してもらいます。山東昭子さん。

片山さつきさん。

各国大使。

大賑わい。

レッドカーペット!小川監督と脚本を書かれた小櫻景如さん。
 
パーティ会場では鏡開きも。
 
小川監督、数寄屋建築の一人者二村先生、鈴木さんと。一番左のお花は中曽根康弘氏でした。玄関には安倍昭恵さんのお花もありましたよ。
 
思いがけない場所に身を置く面白さもありますが、私がいちばん 心惹かれるものは初めてお会いした方たちとのお話でした。
それと、懐かしさもありました。
東京駅から永田町。地下鉄の駅を上がると国会図書館。学生時代に今でも仲良しのK子さんと勉強に行ったことがあります。「ドイツの教育」について調べに行ったことは覚えているのですが、その内容はさっぱり…
 
道を隔てて、国会議事堂。東京駅に家族や友人を迎えに行って、その帰りには国会議事堂のそばを通ることがしばしばでした。運転するのは年末に亡くなった兄でした。長い時間がたちました。

帰りは夜。乗換までちょっと時間がありましたから丸の内口へ、ライトアップされた東京駅。
 
あの日から1か月たってしまいました。



 


2016年後半の記事一覧

2017年02月19日 | 年度別記事一覧

6月の右脳訓練ー北海道の旅(大沼公園で会った73歳岩田さん)

6月の右脳訓練ー北海道の旅(余市)

6月の右脳訓練ー北海道の旅(ニセコ)

6月の右脳訓練ー北海道の旅(出会い)

6月の右脳訓練ー北海道の旅(おやつ)

北海道の旅(失敗談)ー原因は注意分配能力低下

6月の右脳訓練ー涼を求めて

7月の右脳訓練ーいろいろ見~つけた!

日々のウオーキングで小ボケ脱出ー携帯メールの遠隔操作術

7月の右脳訓練ー大瀬崎探訪

残暑お見舞い申し上げます。

暑気払い

左脳の働きを失くして、右脳で感じる世界の話ージル・ボルティ・テーラーさん

夏の夜

iZOOー日本初体験型動物園に行きました。

8月の右脳訓練ー一日三つの温泉巡り

8月の右脳訓練ー一日二つのリフトに挑戦

杢太郞と安吾その1

杢太郞と安吾その2

小ボケから回復中の友人から電話がありました

おはがき頂戴しました

画像取り込みに苦心惨憺ー前頭葉機能を実感しつつがんばりました

戸畑高校創立80周年記念天籟同窓会総会出席in北九州市

萩へ同級生を訪ねて、ディープな旅その1

萩へ同級生を訪ねて、ディープな旅その2

右脳が壊れるということー緩徐進行性右脳障害

右脳訓練に努めて感じた前頭葉機能

幕田魁心さん―仏政府から勲3等叙勲で記念個展

私の中では芸術の秋たけなわ

「ボケって悪くなったりよくなったりするのね」と友が~部分的に正解!

私に。ハッピーバースデー

戸畑高校天籟同窓会関東支部総会ー支部長になりました

また、画像取り込みに苦心惨憺―前頭葉機能を考える

紅葉狩り

認知症高齢者による交通事故防止のカギは、前頭葉機能検査

富士山、ふじさ〜ん

こんな「生きがい」もあります

記憶力低下事件が続きます

冬晴れの一日、美術館巡りー宮川香山展

冬晴れの一日 、美術館巡りーすみだ北斎美術館

「今の季節は何ですか?」誤答には失語症の場合も

米沢市「なごみの部屋」の実践報告1ー認知症予防教室(お達者サロン)

米沢市「なごみの部屋」の実践報告2-デイサービスセンターコスモス

米沢市「なごみの部屋」の実践報告3-認知症対応型通所介護事業所「ぷちハウスなごみ」

米沢市「なごみの部屋」の実践報告4-認知症カフェ(なごみCafe)

11月の右脳訓練ー東広島市仙石庭園

MoMAに絵文字がーコミュニケーションの基本は右脳

米沢散歩

1.5時間の列車待ち合わせ時間に巡った福島駅前

認知症予防講演会in平泉町と奥州市江刺区

 


2016年前半の記事一覧

2017年02月19日 | 年度別記事一覧

(2015年1月1日には2005年から始めたこのブログの年度別記事一覧をすべてあげています)

2015年前半の記事一覧

2015年後半の記事一覧

脳梗塞になりたくないなら

認知症の人が心情を告白する?ー映画「アリスのままで」やテレビ特集番組への疑問

1月の右脳訓練①ー心動かされたもの

1月の右脳訓練②―湯河原散策

1月の右脳訓練③ー伊東自然歴史案内人

1月の右脳訓練④ーイチゴ狩りだけじゃなく…

1月の右脳訓練⑤ー「ガレの庭」

かなひろいテスト―興味深い前頭葉機能テスト

中ボケの人との会話

観光船がクジラと衝突

オルゴールシンドローム

1月の右脳訓練ー計画は臨機応変に

小布施便り―第10回脳のリフレッシュ教室交流会1

小布施便りー脳のリフレッシュ教室交流会2

小布施便りー脳のリフレッシュ教室交流会3

2月の右脳訓練ー三島スカイウォークと河津桜

若年性認知症の定義を調べて、ビックリポン!

号外!さくら便り

季節が移り変わっています。

やっぱり小布施は好きな町です。

3月の右脳訓練ー箱根ポーラ美術館

かくしゃくヒント29ー遊び心いっぱい

花だより

(続)かくしゃくヒント29-本人メールを追加します。

研修会 in 御茶ノ水

3月の右脳訓練ー御茶ノ水さんぽ

4月の右脳訓練ー更にさくら巡り

号外ーさくら便り

変形性膝関節炎と膝蓋前滑液包炎(女中膝!)

アルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症

後家楽(ごけらく)

認知症の早期受診―友人への返事

4月の右脳訓練―クイリングに出会う

認知症予防教室の必要条件―脳機能検査

5月の右脳訓練ー日帰り温泉を楽しむ

5月の右脳訓練ー伊豆高原アートフェスティバル

東京ジャーミィ・トルコ文化センターにいきました。

続 東京ジャーミィ・トルコ文化センターに行きました。

5月の右脳訓練ー旧古河庭園

5月の右脳訓練ー河津町バガテル公園

5月の右脳訓練ー駒込散策

右脳と左脳は得意分野が違う-その1

かくしゃくヒント30-89歳の男性からデートを申し込まれました!

右脳と左脳は得意分野が違う-その2

右脳と左脳は得意分野が違う-その3

城ヶ崎アジサイについて勉強しました。

トランスジェンダーと認知症

かくしゃくヒント31-大先輩 故大滝雅子さん

私がお会いしたかくしゃく百歳の方

6月の右脳訓練ー北海道の旅(洞爺湖)

 


応急手当講習から右脳・左脳の働きを考える

2017年02月14日 | 右脳の働き

今日は伊東歴史案内人講座の番外編で、消防署を会場に応急手当講習を受けてきました。
大昔に受けたことがありますが、AEDを自分で使っておきたかったので、結構楽しみでした。 

前半の講座もビデオを用いたものでしたから、わかりやすく理解が進みました。『本を読む」だけだと、左脳で理解はするでしょうが、とても実践にはつながらないと思いませんか?
「勉強」は基本は左脳で行われるものですが、今回のように実践が伴うものだと「左脳」だけで「理解」しても、行動につなげるには困難が残ります。同じようなシーンを繰り返し見せていただき、説明も受けました。私は「右脳」優勢 タイプですから、その場面がよく理解できた気持ちになっていました。
後半の講座は実践です。
まず救急隊員の方が模範演技(?)をして下さいました。DVDの画面は主に右脳で理解し、もちろん丁寧な解説を左脳で理解し、最後にもう一度目の前で確認するというように丁寧なステップを踏んだ講座でした。

ところが、わかっているようでも自分が実践するとなると、戸惑いが芽生えてきます。一人1体用意してくださってましたから、胸骨圧迫と人工呼吸を実践してみましたが、やってみると「胸骨を抑えてる手の場所や強さがこれでいいのか、人工呼吸は空気が入っているのかなど疑問がいっぱいわいてきます。参加人数分15体、用意してくださってました。

次にグループに分かれ、立派なダミーを使わせていただいて、一人ずつ救命活動をする人、手伝う人を体験しあいました。
 
1.倒れている人がいる!
2.場所の安全確認
3.肩を触って「大丈夫ですか?」を3回、次第に強くいう
4.大声で助けを呼ぶ
5.119番通報とAED 担当を指示
6.10秒間、呼吸を確認
7.胸骨圧迫
 ・5センチ沈む強さ
 ・1分間に100~120回
 ・30回やって、人工呼吸2回
 ・脳への血流確保
  (力を抜いたときに血液は流れるので、しっかり押さえ、はっきり戻す)
 ・胸骨圧迫を最優先にする。
  (いったん開始したら、開眼や普通の呼吸ができる以外は救急隊到着まで続ける)
 ・胸骨の中心に掌を重ねて腕が肩から垂直になるように構える(前傾)

8.AEDがあれば装着
 ・器械で操作の違いがある
 ・肩・脇腹の2ヶ所に貼る
 ・水分は拭く・ペースメーカーはよける・アクセサリーもよける
 ・周りの人に離れるように言う
 ・AEDの判断に従って、電気ショックを実行するを
 ・この間「離れる」 指示がないあいだは胸骨圧迫をつづける
 ・心房細動を起こしている場合には、
 ・AEDでいったん心臓を停止させて、従来のパルスに戻す
 (AEDは心停止をよくする器械ではない。つい最近亡くなったエビ中・松野莉奈さんに、施してあげたかったですねえ…)

このダミーは 、ほんとうによくできていました。
今日は思いつくままに記録してみました。こういう作業は左脳。
きちんと整理して理解するためには不可欠ですね。そしてこうしておくと、将来確認することができ、確認できたら ほとんど今と同じ理解までできます。おそるべき左脳の機能です。
ただし、メモをどうしても見たくなるでしょう。
いっぽう右脳は 、細部は曖昧になることは否めませんが(逆に細部のどこかをくっきり覚えていたりもしますが)大まかな流れはつかめているものです。たとえメモがなくてもどうにかなると思います。
普通の日常生活のなかでも、左脳と右脳を意識するとちょっとおもしろいでしょう。

今日の来客と面白い話をしました。
「お母さんが、脳卒中を起こして左マヒになったんです」
私「それは大変ですね・・・左マヒということは右脳が悪くなったということですから。あまり世間では言いませんが、右脳障害って結構大変」と言いながら続けて、「わがままでしょ」「状況に合わないことを言い出さないですか」「特別だらしない感じがないですか」「チャランポラン」などといったら、すべて否定されました。
それどころか「『申し訳ない』を繰り返し まるで仏様になったみたい、とみんなから言われている」「左半身マヒが結構ひどいのですが、歩行訓練のガンバリ様は語り草。杖でどうにか歩けるようになりました」「デイサービスに喜んでいくし、右手だけなのにびっくりするような物を作ってきます」「テレビで演歌をやっていると喜びます」「時々友人に電話をかけてはおしゃべりを楽しんでます」
このようなことは、左脳障害の家族がよく話してくれることなのです。

私の推論。「左マヒは重く右脳運動野は間違いなく障害されているけれども、言語化しにくい右脳の機能はほとんど残っているような状態。これを説明できるのは、左利きの方だろうということ」
このブログでよく右脳左脳という話をしていますが、これは100%の右利きの人の場合です。左利きの人は、ここまで右脳左脳の機能分化がはっきりしていないのです。
お客さんは言いました。「お母さんは右利きですけど…あ。そういえば、うちの娘、孫にあたりますが強い左利きなんです」
最近は、利き手を変えたりしなくなりましたが、昔は結構矯正されたものですから、一見すると右利きのような左利きの方もいます。脳卒中の方の後遺症をよく聞くと、右脳=アナログ、左脳=デジタルという脳の機能分化が納得できます。納得できるからこそ今日のようなお話の時「もともとは左利きに違いありません」と強くいえるのです。
                                                                                                                                                                         

 


ボケと認知症

2017年02月12日 | エイジングライフ研究所から

この記事は、フェイスブックでの質問に対する回答なのです。

下のグラフは10年以上前に作りましたから、古い表現ですが、これを作った時は「我が国は世界で一国だけ脳血管性痴呆が圧倒的に多く、原因不明のアルツハイマー型痴呆は幸い少ない」といわれていました。その後その割合は劇的に変化していき、今ではアルツハイマー型認知症の方が多くなっています。でも、まだ私たちのように90%を超えると主張している研究者はいません。

横道にそれますが、テレビその他のマスコミで「手術で治る認知症」とセンセーショナルに取り上げられるタイプは、上のグラフの「二次性認知症」です。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症など、確かに劇的に治りますが、その割合の低いことに注意が必要です。詳しくは私のブログカテゴリーより「これって認知症?特殊なタイプ」をお読みください。
また、認知症者が自らの内面を語るというようなことも言われますが、それは記憶障害はありますが前頭葉機能は正常な「側頭葉性健忘」と言って認知症とは峻別すべきタイプです。最近よく取り上げられています。詳しくは私のブログカテゴリーより「側頭葉性健忘」を。

さて、本題に戻ります。アルツハイマー型認知症の原因を探ることは、研究者たちの大きなテーマでした。アセチルコリン説・アミロイドβ説は世界的には否定されました。
去年11月24日に、世界の製薬業界で十指に入るといわれる、米イーライリリー社が「アルツハイマー型認知症治療薬の開発断念」のプレスリリースを行いました。
それなのに、わが国では、まだアミロイドβに固執している専門家もいます。後は脳の萎縮説、タウ蛋白説が残っています。

これらは、原因ではなく、むしろ結果と考えたほうがいいと思います。
臨床的な事実ですが、認知症の本体は、もともと老化が定められている脳機能が、何らかの生活上の変化をきっかけにして、その人らしく生活することができなくなったとき(生きがい・趣味・交友・運動、何もない生活になったとき)、使われない脳機能は老化を加速し、その結果認知症としての症状が発現してくるのです。
 
正常な老化が進んでいくときの脳機能の衰え方と、老化が加速されているときの脳機能の衰え方には、はっきりとした差があります。
こんな単純なことになぜ 目が行かないのかというと、認知症の問題を考えるときに「脳機能」ではなく「症状」をまず見るからです。

早期発見には、症状では手遅れになるのですから目安となる数値が不可欠です。糖尿病における血糖値のように、肝臓や腎臓も重症化する前に指標がありますね。認知症では脳機能を測ることなのです。
困った症状が出ない間は「歳のせいかな?」などと見逃して、(この時脳機能検査をすればはっきり異常域なのですが)いわゆる認知症といわれる状態、セルフケアも満足にできなくなったり、徘徊、粗暴行為、妄想等の問題行動を起こすようになって「ボケちゃった」と騒ぐのです。これは回復させるには手遅れの段階と言わざるを得ません。
老化が早まっていくとき、「小ボケ」→「中ボケ」→「大ボケ」の段階を経ていきます。
「小ボケ(前頭葉機能のみ異常域)」回復容易、
「中ボケ(前頭葉機能に加え、脳の後半領域の認知機能にも障害あり)」回復可能 、
「大ボケ(脳機能全般的な大幅な機能低下)」回復困難
脳が老化を加速し始めて回復困難な大ボケになるまでは 、平均すれば6年以上はかかります。
世の中で認知症といわれる「大ボケ」になった段階では治すことはできないのです。6年間というゴールデンタイムを見逃しているのが現状です。
さて、「ボケと認知症はどう違うのか」ですが、私は違いはないと思っています。
厚労省が「老人性痴呆」を言い換えて「老人性認知症」としたのは平成16年12月です。「『痴呆』に変わる用語に関する検討会報告書」
これは、あくまでも侮蔑的な「痴呆」を「認知症」に言い換える事であり、公文書上では「痴呆」はすべて「認知症」に言い換えることになったのです。
ただ、学会で専門用語として「老人性痴呆」と使う場合はこの限りではないとされていました。
もちろん、日常的に口語として使う「ボケ」には何の規制もなかったのですが、日本という国のすばらしさでもあるのですが、あっという間に「認知症」が席巻してしまいました。
2009年に、この件について書いたブログも貼っておきますから、よかったらお読みください。
 「癡狂→癡呆→痴呆→認知症→?」

私は、「ボケ」という表現は正しく症状を伝えていると思っています。ほんとに「ボ(ケ)~」としていますから。
いつも思い出すエピソードがあります。「何だかぼんやりしてて、意欲がわかない」と言っていた小ボケの方が回復したら「ここの景色はこんなによかったんですね!」とか「人の言ってることがくっきりわかるようになりました!」といわれるのです。小ボケの時、ご本人にとって周りは「ボケ~」と認識されているのです。その結果、ご本人も「ボケ~」とするしかない・・・
「こぼけ」という響きにやさしさを感じるのですが、いかがでしょうか?「こぼけ・ちゅうぼけ・おおぼけ」は中国地方で実際に使われている言葉だったのです。早期発見に少しでも抵抗がないことばが必要です。
「小ボケ」という和語でいいのではないかと思っていたのですが 、日本の現状ではちょっと無理ですね。


 






伊東自然歴史案内人講座ー伊東小室桜

2017年02月11日 | 私の右脳ライフ

今回の伊東自然歴史案内人講座はおもしろかった!
と書いて、即反省。「私にとって」と書き添えなくてはいけません。
他の講座に不満があるわけではないのです。

私はもともとお花が好きですし、さくらにも興味があります。毎年必ず見に行くことにしているさくらの木が何本もありますし、そしてその木の種類が判明したというおまけまであったのですから。知りたかったことをたくさん教えていただきました。
私の興味関心にピタリとはまった講義だったということです。

伊東自然歴史案内人講座に参加している人たちは、伊東の自然と歴史を学びたいということは共通しているとはいえ、それぞれに興味や関心があるところが違うのですね。
人によっては、歴史が大好きな人もいるでしょう。歴史でも古代史が好きな人 、伊東ですから頼朝時代に関心が深い人、近代史なら任せてという人もいますよね。
伊豆半島はジオパーク構想があります。「南から来た火山の贈りもの」というキャッチコピーのように、はるか南の海の火山島がフィリッピンプレートに乗って本州にぶつかってできたのが伊豆半島ですから、火山や、特異な地形や、様々な地層や地学に興味がある人たちにとっては、ここは宝庫のようなものらしいです。
芸術分野も豊かです。仏像や歴史的建造物もあります。
好きなことや関心のある分野はそれぞれでしょう。人によって、興味や関心が種々違うのはのはなぜでしょうか?
考えたら、不思議なことですね。なぜこういうことが起きるのでしょうか。
カギは「前頭葉」です。
素質も違いますし、人生の経験も違いますが、私たちは日々生きていく、その経験のなかで、誕生の時には真っ白だった「前頭葉」を自分らしく作り上げていきます。
「前頭葉」は物事の判断・計画・評価・創造等を担う「脳の司令塔」なのですが、その人らしさの源ともいえます。そうだ。的確な言葉があります。「十人十色」。それぞれの色を決めるのがその人の前頭葉ということになるのです。「人柄」と言うときにも、その内実はその人の前頭葉そのものなのです。

講師の萩原直義先生は、小室桜の発見者です。
自己紹介の時、「地元吉田の農家に生まれ、父からは『地元のために尽くす』ということを叩き込まれた」といわれました。その後の小室桜の発見、育苗、自生種と決めるためのなみなみならない努力、伊東小室桜という命名にかかるお話、伊東小室桜は伊東に特化した普及を目標としていることなどを伺ううちに、何よりもそのお人柄に惹かれました。確かに萩原先生の前頭葉には「地域への貢献」という姿勢が貫かれていました。

午後からの実地研修場所は小室山でした。小室山レストハウス前の伊東小室桜はまさに見ごろ。

伊豆半島はもともとサクラが多い地域です。カンヒザクラ、エドヒガン、ヤマザクラ、オオシマザクラ、マメザクラなどなど、こういう専門的なお話もありました。。
伊豆半島の山々の春は、すばらしいサクラの競演が楽しめます。 伊豆に住んで「遠山桜」という言葉の意味がよくわかりました。白い花、ピンクの濃淡、葉の色も淡い緑も紅色もあります。何とも言えない日本の彩りが繰り広げられるのです。
そのような、私がひそかに観桜の名所と決めている場所がありますが、まさにその場所のことを「展望台でも作ったら町おこしになる」といわれたところから「チャンネルがあった!」とワクワクし始めました。
今回初めて知ったことは、そこここに見られるオオシマザクラ(白い大きな花が咲けば、オオシマザクラと決めつけるほど)は伊豆諸島、伊豆半島、三浦半島、房総半島の海岸部だけに自生する種であるということです。 

また、サクラは交雑が起きやすい植物で、伊東小室桜は、オオシマザクラとカンヒザクラの雑種であろうということでした。
小室山に、計画的に植樹された伊東小室桜。伊東ロータリークラブにより5年かけて250本!

伊豆には早咲きサクラが多いのです。
カワヅザクラの誕生秘話も面白く聞きました。
河津町に行くと、カワヅザクラの原木があります。確かに河津川の土手に早咲きサクラを発見したのは河津町の方だったのですが、それを接ぎ木で増やしたのは、何と伊東市内の業者だったそうです。(接ぎ木で増やさないと、親の形質が強く出てしまい、どのようなサクラになるのかわかりませんから、オオシマサクラを台木にしてクローンをつくるのです)
「町おこしになるかも」と市役所に持ち込んでのですが、一顧だにされなかったとか。
歴史は変遷。その業者は、たくさん苗を育て、たくさん売り出したのです。暖かいところであればカワヅザクラは大きく育つのだそうです。河津町のお花見客はピークが110万人だったそうですが、最近は80万人になってきているといわれていました。
首都圏から、河津町まで来なくてもみごとなカワヅザクラの名所ができてしまってるのですから。

遠景もいいですが、アップもかわいい。2/8の撮影です。
 
伊東小室桜は、厳重に管理されているらしいのです。
平成18年から28年までで、市内1399本。その他946本。計2345本!を植えたというまとめがありました
これからの普及としては、単木植栽と計画的な集団植栽、その他親善用として、とこれもはっきりしたものです。
伊東小室桜はオオシマザクラとカンヒザクラ(カンザクラかも?)の交雑種。これはカワヅザクラも同じなのですが、差も教えてくださいました。
・伊東小室桜の方が花がやや大きい。
・花が上向きにも付く。カワヅザクラは原則、下向きに咲く。
・蕾の外側の色がカワヅザクラよりも薄いために、全体の色のトーンが薄く優しい。
・葉の色が、さわやかな緑色。
伊東市内遠笠山道路にチェリーロードと名付けられた伊東小室桜の並木があります。花と一緒に葉が展開されるので「ちょっと惜しいなあ」と思っていましたが、実は若木の間は早く葉が開くのだそうで、これからが楽しみになってきました。
小室山は321mですが、素晴らしい眺望が楽しめます。

もうひとつ疑問に思っていたことがわかりました。
熱海糸川沿いのアタミザクラ。1月からみごとに咲く、この辺りでは早咲きサクラのトップです。
川奈ホテルと我が家の近所の一本が、アタミザクラと、ほとんど同じころに咲くのです。川奈ホテルのサクラには「カンザクラ」という説明板があります。
アタミザクラは通称でじつは「カンザクラ」。長年の疑問が氷解しました。このことがわかったことも、とてもうれしいことでした。
いつも見ている富戸の大木

これは伊東市内で一番古いカワヅザクラだそうです。
伊豆に住んでいるとサクラで心がざわつきますが、世の中はまだまだウメの季節です。小室山の紅梅。

フロク
日本人にとっての桜といえばソメイヨシノ。エドヒガンとオオシマザクラとの交配種で江戸染井村(駒込)で作られた園芸品種ということになっています。前述のようにオオシマザクラは、海岸に近いところしか生育できないのです。そして分布は非常に限られているとなると 、もしかしたらソメイヨシノは伊豆で生まれた桜かもしれません。と笑いを含みながらおっしゃいました。


今日はバレンタインディ

2017年02月11日 | 私の右脳ライフ

パプアのカカオが届くまで(フルバージョン)
この動画は、今回私たちが教えていただいたチョコレート教室の特色をとてもよく伝えてくれますので、許可をいただいて使わせていただきました。

「カカオ豆から本物のチョコレートを作ろう」というお知らせがフェイスブックにアップされました。
私は買い物する時にはグズグズと決められないのですが、体験型のお誘いだと即決できます。これは興味津々だし近所のコミュニティセンターが会場ですからもちろん参加希望。
当日友人たちと誘い合って、ワクワクしながら会場へ。
APLAというNPOから講師の方が見えていて、パンフレットやパワーポイントでご紹介がありました。

「APLA(あぷら)は、日本を含むアジア各地で『農を軸にした地域自立』をめざす人びとどうしが出会い、経験を分かち合い、協働する場をつくり出すことを目的に、2008年に特定非営利活動法人として発足しました」ホームページより。
今回のチョコレート教室は、APLAの活動地の一つインドネシア領パプアで生産されたカカオをフェアトレードで日本に持ってきたものを使うのです。
このような活動のおかげで、現地の方々は経済的に恵まれるようになり、労働力として扱われていた子供たちの教育の機会も増えていくというような説明も興味深く聞きました。
教室の報告です。そのインドネシア領パプア産のカカオの実の干したものと 、種を乾燥させて可食部分と皮に分けたものから見せていただきました。
 
カカオの種。皮をむいたものが「本当の」チョコレートのもと。すりつぶして固めたらカカオマスになります。
 
これがカカオマス。ちょっと食べたら確かに苦い。講師の方のお話だと、チョコレートも産地で味が違うのだそうです。ちょうどコーヒー豆みたいですね。
 
カカオバター(ホワイトチョコレートになる)カカオの実を割るとこのカカオバターにくるまれて種があるのですって。
 
刻みます。私たちは手慣れた主婦ですからお手の物。

湯煎にかけて、50度→28度→30度と温度を正確に測りながら温めたり冷やしたり。この作業をテンパリングというのですが、きちんとやることでつややかなチョコレートになるので、慎重に、正確に。ミルクチョコレートの場合は全脂粉乳(脱脂粉乳しか知らなかった!)を加えます。

それからきび砂糖を加えます。

型に入れて、トッピングして完成。
 
前もって作ってあったチョコレートを試食させてくださいました。冷蔵庫で2週間熟成させたほうがおいしいんですって。
私は、チョコ好きな孫のためにすぐに送ってやりましたけど。
こうして外へ出ていくと、チョコレートも作れるし、食べることもできます。それ以上にAPLAの活動を知り、チョコレートの歴史や産地の知識も増え(わかりやすい解説でした)世界に思いを馳せるきっかけにもなりますね。
早速ネットで温度計とチョコレートを流す型を注文しました。
 

 

 


「沈黙ーサイレンスー」と「この世界の片隅で」

2017年02月06日 | 私の右脳ライフ

フェイスブック友達のY田かおるさんが、この映画のことを勧めていらっしゃいました。彼女とはまだ会ったことはないのですが、映画や展覧会などそのシャープな感性に惹かれています。

映画化されたことは知っていましたので、「よし、行こう」と心に決めて、もう何日も経ってしまいました。
実は伊豆高原には映画館がなくて、車で1時間かけて三島や沼津へ行かないと映画は見られません。時々チェックしてみて上映されているのを確認して行くのです。
HPを見ても「沈黙―サイレンスー」は最後のほうにおかれ、館内にはポスターすらないのです。会場に入って納得しました。観客は6人しかいない!
こういうところに住んでいると、アンテナを高く立てておく必要があります。(アンテナを立てることとその方向性を決めるのが前頭葉)
その一つがY田かおるさん。いつもお知らせありがとうございます。

この原作は、私が学生時代に出版され、当時も大きく取り上げられた作品でした。
読んだのですが、あまりに重いテーマをどう読めばいいのか、それと拷問のシーンがとてもつらかった記憶があります。
この「沈黙」が取り上げているテーマは、クリスチャンでない日本人にとっては、理解できない。
「キリスト教は日本には根付かない」 というセリフには納得させられるものがあって、多くの日本人にとって神さまや仏さまは母性的なやさしい存在です。
そのうえ、地震も台風もあるのですが、多くの日本人にとっては豊かな大地、恵まれた自然の中にいる私たちという感覚ではないでしょうか。
GODとの契約という考え方は、なじみませんよね。
この文化の圧倒的な違いが、内省していったら・・・キリシタンもパードレたちも、キリスト教の神さまを知ったから苦しかった。
苦しい生活が終わるときに、神さまを共にあるものとして感じられたと受け取っていいでしょうか。
 
去年11月にはY田さんが「この世界の片隅に」を絶賛されたので、東京で見ました。そのときNHK「あさいち」の取材を受けるというおまけつき。


対照的な映画ですね。
日々の暮らしの中にしあわせを見つけながら普通に暮らしているその日常の中から、戦争にそのままつながっていくこわさがありました。あまりにも「普通」に暮らしていると、いつ戦争になったのかあいまいなまま、どれほど困難な暮らしであってもそれが「普通」。そして理不尽な原爆による終戦・・・
内省的に生きてないからと言って、その人の人生の意味が軽くなってしまう訳ではないと私は思います。

受動的な人々の立場で書きましたが、兵となって戦う人もいたわけです。「戦争だから」と問題を感じない人もいればジレンマにさいなまれる人たちもいたわけです。
戦意高揚の作品を制作した芸術家たち。
国のため、家族のためと死に向かった特攻隊の若者。
その内面に思いを馳せてみても、「沈黙」で取り上げられているほどの苦悩とは、本質的に違いますね。その弱さと強さを自覚していきたいものだと思いました。

 


春となり

2017年02月04日 | 私の右脳ライフ

今年初めて、黒文字の花を愛でています。1月半ばにいただいたときは固い固い蕾でしたが、植物は季節をよく知っているのですね。一生懸命近づいて写しました。お花の下部の膨らみは直径5ミリくらいです。そこからツンと角のように花柄が出て、その先の蕾は1ミリ!なんとかわいい。
I井さん、ありがとうございました。

伊豆は早咲き桜が多く、1月に入るとソワソワするのは例年のことですが、それにしても今年は早いこと。私には毎年見にいくお気に入りの桜があるのです。
1月28日富戸。車を運転していましたが、わざわざ停めて見上げました。

1月28日川奈ホテル玄関前

1月28日我が家の河津桜(多分)

ちなみに1月9日に咲き出したのです。

2月4日はもう満開!

富戸の桜も2月4日にはもうこんなに!

もう少しの間は寒いでしょう。
みなさまご自愛ください。


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