脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

パソコントラブル始末記

2024年04月27日 | 私の右脳ライフ
パソコンが不調だった時が過去のものになって、イキシアの鮮やかな色が目に飛び込んできました。

パソコンが復活したので、記念の動画をアップします。
優美な白孔雀 伊豆シャボテン公園4/19
私のパソコンはFUJITSUのデスクトップ型。
3月頃からパソコン画面に突然「デバイスに問題が起きて再起動が必要」という表示がでて、勝手に再起動してしまう現象が起きてきました。「表示中に問題が発生」とか「正しく起動できない」という表示のこともありました。
突然消えてしまいますから、パソコンの前に座る意欲がなくなって行きました。(ブログ更新が滞った言い訳)
検索していろいろ確かめたもののうまくいきません…有料の相談窓口(なんと会員登録済み)で、2時間くらいも遠隔操作を使いながらあれこれやっていただきました。
「このソフト(BIOS)のアップデートが必要。ただしうまく行かない場合もある。その時は初期化」
一応確認しているだけだと思ったら、なんとインストールができず初期化が必要に。
「いいです…初期化してください」とちょっとドキドキしましたが、ゴーサインを出しました。
ところが初期化ができない!
結局、担当者の説明は
「こちらで内部を調べます。そこに故障があったら無償で修理。ソフトに不都合があれば有料で修理することになります。パソコンは専門業者が取りに行きます」
この時点で有料を覚悟しました。
5年くらい前に買ったパソコンでしたがこの製品の段ボール箱を持ってきて専門業者が引き取りに来たのが20日(土)。
何の連絡もないまま、突然、私のパソコンが帰ってきたのは24日(水)。


土日は休業日でしょうし、配送時間も考えると原因追及とその処置はたった1日でやってくださったということでしょう。
生まれ変わって帰ってきました!立ち上がりは早いし、画面は明るくなっているし、新品になったようです。
世界に誇れる日本の技術と商道徳に感動しました。

印度孔雀。伊豆シャボテン公園4/15
(孔雀の鳴き声も聞いてください)
 




私家版-伊豆名所巡り④

2024年04月23日 | 私の右脳ライフ
この春楽しんだ桜たち。
伊豆高原といえばソメイヨシノの桜のトンネル。いつもなら3月中に満開になるのですが今年は少し遅かった。訪れた時は曇天…でも桜の存在感に圧倒されました。


伊豆稲取吊るし雛会館。3月初めでカワヅサクラに間に合いました。


城ヶ崎の吊り橋とジョウガサキザクラ


奥湯河原富士屋旅館 早咲きベニシダレ


伊豆山神社は花盛り


熱海MOA美術館


ロビーと茶の庭のシダレザクラ

ここだけにある満開の紅瑞雲にも初対面


西伊豆スカイラインで、達磨山展望台へ。道中のアマギコメザクラ


MOA大仁農場のトモエザクラ。株立の大木で支え木なく生かす方針で、大きく剪定されていました。
私の宝物。聚光院伊東別院の莫眼花。一重から八重に移り変わる最初の段階のサクラです。桜守り佐野藤右衛門さんが発見された突然変異種だと聞きました。今年は3回訪ねました。また来年!





そして今は、御衣黄が始まっています。

それに八重桜もあちらこちらに咲いています。


1月はじめの寒桜から始まって、4月下旬までの八重桜まで桜が楽しめる伊豆高原。
私と一緒にお花見したい人、いつでも歓迎ですよ。
















私家版〜伊豆名所巡り③

2024年04月21日 | 私の右脳ライフ
熱海のMOA美術館も、友人が来ると一緒に楽しみに行くスポットです。
今回は4/9(火)に、京都からと東京から来る友人を11時過ぎに熱海駅でピックアップして一日熱海を案内するスケジュールでした。実はこの日、警報級の大雨予報が出ていたのです。昼からは雨が上がるとも言われていたので、駅から直行して、食事も美術館内でいただくことにして、改札口で待つことしばし、無事に合流できました。
誰かの日頃の行いがいいせいで、その頃にはほとんど雨はが上がっていました!
あいにくの曇り空でしたが、それを吹き飛ばすような数々の桜が、正面玄関の建物を覆っていました。

MOA美術館の象徴のような7基のエスカレーターを上がったところのホール。200m上がったことになるのです。
初めて行ったのは40年くらい前。2月だったのでしょうね。子供達と一緒に光琳の紅白梅図屏風を見に行きました。
エレベーターの途中壁面には、大型の綴織『迦陵頻伽』がかけられてその和風な佇まいを確かめながら到着したホールが近未来的でびっくりしたのを思い出しました。子供達はこのホールで、座り込んで眺めていました。

今日はとにかくまずランチ!レストランが三ヶ所ありますが、「茶の庭」と呼ばれる和風庭園内のそば処でいただきました。美味しかったのに写真を撮っていません…
茶の庭はだんだんと進化しています。
お茶室もあり、京都の光琳屋敷も復元してあって見学することもできます。



いい具合に年月を重ねて庭に風情が出てきました。

馬酔木

黒文字の花

枝垂れ桜もちょうど乙女のような見頃です。京都にも平安神宮など有名な枝垂れ桜の名所がありますが、喜んで見てくれている友人を見て、私は美しい花と喜んでくれる友と二重の喜びを感じながらこの景色に浸りました。

それから館内見学。数年前に大幅リニューアル。と言ってもガラスや展示方法、売店やカフェなどなどを見直してスッキリさせたもので、建物の骨組み自体は昔と変わっていないと思います。
相模灘一望の素晴らしいロケーションに、素晴らしい建物が建っています。
斜面に建っているので、途中にムアスクエアと呼ばれる中庭があります。ムア作『王と王妃』
1階カフェから

2階メインロビーから

山側の駐車場から入ると、3階のレベルが建物へのアプローチになり、1階降りて2階で有名な金の茶室が見られます。
その横のメインロビーからは、足を踏み入れた皆さんが例外なく声をあげてしまうほどの一面の海!
壁側には以前はたくさんの作品が展示されていましたが、水平線が強調された絵画一枚。
「杉本博司さんだと思う」と言いながらもう一つ発見。ガラスの椅子!


小田原に江之浦測候所という、杉本さんの作られた美術館があります。古いものからガラスを大胆に使ったものまで不思議な空間が広がりますが、確かな共通感がありました。
学んだ知識と体験したことには、どうしても差が出るものだと思います。学びは左脳で処理できますが、体験して前頭葉が関与したものは確実に自分のものになります。もちろん自分の能力内でのことですが。

この日は江戸の美人画がテーマでした。友人は「私が一番心惹かれた作品は『誰が袖屏風』。人は全然出てこないのに、たおやかな美女を感じるでしょう?これこそ日本と思わない?」
こんな感想が聞けることはなかなかありません。良い友を案内したものです。
MOA美術館には三つの国宝があります。
そのうちの仁清の色絵藤花茶壺は最近はいつも同じ場所に展示されていますから、見るチャンスは多そうです。

この日の宿はエクシブ湯河原離宮にしました。このホテルはコンセプトが琳派モダンということで、MOA美術館を堪能した旅の宿としてはなかなか良いチョイスだったと気づいてくれたでしょうか?
仁清を継いだのが乾山。乾山のお兄さんが光琳。光琳が琳派を完成させた…
ロビーの生花も確かにモダンな作品です。金屏風を背にして、これが琳派モダンなのですね。

デルフィニューム

ほころび始めた八重桜

実は5月に気仙沼から友人が来ます。もちろんまたMOA美術館に連れて行きます!
その時のテーマは「北斎『富嶽三六景』Digtal Remix」。どういうものが見られるか楽しみにしています。

伊豆で行きやすい美術館をいくつか知っておかないと案内できません。
湯河原町立美術館。3月に一緒に行った友達は平松礼二館のアトリエに興味シンシンでした。

熱海には山口美術館、澤田政広美術館、トリックアート美術館などあるのですが、MOA美術館に行きたいとなるとなかなか目的地になれません。

伊豆高原の池田二十世紀美術館は私でも知っている作品がさりげなく展示されてます。

伊東で特筆すべきは、大徳寺聚光院伊東別院。なんと千住博作あの滝の図。このお寺の襖絵なのです!建築家吉村順三さんの晩年の作品である建物も眺望も素晴らしいですが、美術館でなくあるべきところに嵌め込まれ用をなしていることが素晴
らしいと思います。考えたらこの一月で3回も訪ねました。

下田上原美術館。上原さん個人の好みで蒐集した作品が中心なので、独特の魅力が醸し出されます。自然に抱かれたロケーションも魅力的です。2月には早春の風情が心地よかったですよ。

それぞれの美術館の特徴と友人の興味と時間を考えて、何度でも行きます。同じ美術館でも季節が違って、同行者が違えば楽しいものですよ。

以上、美術館編でした。




私家版-伊豆名所巡り②

2024年04月19日 | 私の右脳ライフ
今回一緒に遊んだ友人たちはある意味歴女です。
「修善寺に行きたい?」と聞いたら「あ!修善寺物語」と即答。
「修禅寺の宝物館に連れて行かなくっちゃあ」と修善寺行きが即決定。
(温泉地の名前は修善寺。お寺の名前は修禅寺なのです)
最近の修禅寺の一番人気はこの石像。マツコデラックスにそっくり。確かにね。

もちろん端正なこの本堂も素敵です。

手水舎。小さく作ったのではなく、パーツそのものを小さく作ったと教えていただいたことがあります。例えば瓦の数を減らすのではなく瓦そのものを小さく作るという手間をかけているということです。温泉が使われています。

晴天に青紅葉が輝いていました。
瑞宝蔵と名付けられた宝物殿(写真不可)でも、

一つ一つをちゃんとみてくれて、二人で確認したりして旅の楽しみが増しました。

桂川にかかる赤い欄干も目に染みるよう。

竹林。

桂川や竹林は通り過ぎるだけにして、普段はあまり行くことのない指月殿へ。頼家の死を悼んだ北条政子が創建した経蔵です。伊豆最古の木造建築物と言われています。

やはり関心を持ってくれました。路傍の花にも同じ関心を持てるし、言葉を交わしながら楽しさが倍増する実感がありました。

二人とも行ったことがあったのですが、松崎町の岩科学校を再訪しました。この横浜の友人は教育社会学が専門なので、明治期の教育に関してはとてもよく知っています。解説付きで見学するのもいいものです。
アプローチも立派。

建築費の4割が地元住民からの寄付金だったと聞けば、明治期の教育に関する素直な熱意が感じられます。

国の重要文化財。同じように明治の初期に建てられた松本の開智学校は国宝です。私たち二人とも開智学校にもいったことがあるということがわかり、細かい話で盛り上がりました。

入江長八というコテ絵の名人を輩出した町ですから、当然素晴らしいコテ絵があちらこちらで見つけられます。
玄関上部。

2階の西の間と言われる和室の長押には、一羽ずつ形の違う飛翔する鶴の姿が描かれています。

床の間に向かうデザインですって。

長八は、立体的な作品も残しています。

教科書や法令などの展示がたくさんありましたが、このお弁当箱を見つけた時は「あ、こういうのを使ったねえ」と声が出てしまいました。


伊豆山神社は別々の友人と2度行きました。ここの資料館も小さいながら内容が充実していて、誰かと分かち合いたいものと思っていましたが、残念ながら両日とも休館日。(水曜日)

秋の景色のようですね。紅葉の若葉なのです。

境内は春爛漫。「もしかしたら今日がこの春一番の桜の見頃かもしれない」と言いあうほど。





伊豆山神社の手水舎は赤龍白龍から水が出ます。

伊豆山神社は、海岸から837段の階段を登った上にあります。当然海一望で心がスッキリするような景観が広がりますが、なかなか写真ではうまく表現できません。

湯河原でも五所神社にお参りしました。一度行ってみたかったのです。


狛犬「阿」

狛犬「吽」

楠の大木が何本も天をついていました。




写真を撮っていると、多分近所の方が本殿に向かって丁寧にお参りされました。
その上、本殿の中では、何事か神事が行われていたのです。ちょっと気持ちが改まるような、こういう気持ちを持つことは生きていくには大切なことかもしれないと思いました。
「一度は五所神社に行ってみたい」という私のごく軽い好奇心に付き合ってくれた友人はどう感じていたのでしょうか?
超百歳高齢者の調査をした時に、本当にかくしゃくとしていた方達に共通の考え方として、人間の存在を超えたものに対する畏敬の念を持っていらっしゃるということに気づきました。
宗教を信じている方もいらっしゃいましたが、宗教にくくることができない「お天道さまに感謝する」「ご先祖様に感謝する」というような表現をされました。
その話をしたら、友人も軽く同意してくれました。



少し前の話になりますが、遊びにきてくれた友人をちょっとびっくりさせてあげようと思って湯河原の千歳川対岸、ということは熱海市になりますが、福泉寺に連れて行きました。見事な茅葺の本堂がドライブ中から目につきます。

首大仏。江戸期に名古屋でで作られたものを、移動させた際に頭部だけになったという由来書がありました。

陶器製。
「首だけ」と聞くと「気持ち悪い」とか「怖い」と思うでしょうが、そんなことはありません。強いエネルギーを感じました。

神社仏閣ではありません。土肥のロクワット西伊豆まで行ってランチしました。

土肥に行ったので、清雲寺にも立ち寄りました。土肥支所のすぐ横を入っていくと思いがけず大きく、お花がたくさん手入れされているお寺があります。日蓮宗清雲寺。
本堂の背の高い長押に日蓮聖人一代記が板絵で奉納されています。
自由に見せていただくことができ、1番から90番まで通してみれば、日蓮聖人の誕生から法難、そして入滅までわかります。
身延山久遠寺にも一代記はありましたが、清雲寺のそれは板絵ということ、檀家の皆さんの寄進で完成したというところが特筆すべき点でしょう。

「良いところに連れてきてくれてありがとう」って言ってもらえました。
いえいえ。私の喜びです!

以上、神社仏閣編でした。




私家版-伊豆名所巡り①

2024年04月18日 | 私の右脳ライフ
友人が遊びにきてくれて、思いがけず近場の女子旅を楽しみました。
景色に心奪われたり、歴史を感じるものに惹かれたり、もちろん季節の花にも歓声を上げ、美味しいものも楽しみました。備忘録としての写真集です。
稲取展望テラス。(3/27)
それにしても天気に恵まれました。
左端の利島(としま)と中央右寄りの新島(にいじま)の間にかすんで見える大きな島が三宅島。伊豆高原からだと利島の左に見えるのです。

稲取市街の展望

散策道のスミレ

早咲きオオシマサクラ

一番近い景勝地は城ヶ崎海岸の橋立吊り橋。
あいにくの雨でしたから、橋の向こうに灯台が霞んでいます。

それでも海はきれいです。

友人デザインの、お土産屋さんのプレート。

普段の城ヶ崎海岸の海は富戸ブルーと言われます。

江戸時代からの魚見小屋。
富戸港の4月と言えばさくらブリ。今年は嬉しいことに文字通りの大漁だったそうで、知り合いの漁師さんから写真が届きました。漁は夜明け前から始まります。
1匹10kg以上というのですから!すごいですね。

鳥はよく知っています。

大漁旗を何度もあげての凱旋帰港。


京都からきた友人が「富士山が見たい」と言いました。
達磨山レストハウス傍にある展望台。駿河湾越しに見るここからの富士山は、その大きな写真が昭和14年ニューヨーク万博の時に日本を代表する景色として出品されたそうです。つまり富士山を見るところとしては日本一ということですね。

さあ。趣を変えてちょっとおしゃれなお店の報告をしましょう。
伊豆は海と山に恵まれていますが、山の新店。
中伊豆に自家製石窯焙煎のコーヒーを提供するカフェが4/5オープンしました。
グリーンポケット。

庭と一体になったようなメルヘンチックなコーナー

明るい店内

手作り石窯

洗った豆のチェック

この焙煎でちょうどいい!

どちらを見ても天城につながる山々が。

不思議な形の木の向こうの山々はなだらかです。

カフェの横には天城の水が集まった堰。気持ちを沈めるような水音がBGMになってます。

奥湯河原で初めての鰻屋訪問。
100年の歴史を誇る富士屋旅館。
フロント

ロビーへののれん

メニュー

瓢六はむびょう…無病にかけたネーミング。

店内の調度は、吟味された骨董でまとめられていました。

突き当たりが焼き場。

鰻重並。(ランクは量だけで決まっています)


名所ではありませんが、食事につきもののデザートも。
我が家の5男を自称しているT二さんのお嬢さんがめでたく高校生になりました。

おめでとうケーキの追加です。夫の誕生日が4/5。

お祝いは一回だけではないのです。友人が一席設けてくれました。

ケーキではありませんが、長男からのプレゼント。「冗談だからみんなで盛り上がってね」というコメント付。

あとから解説も。

夫は1944年生まれですから、80歳。
「傘寿おめでとうございます」と言ってあげますが、「傘寿?誰が?」というのが正直な感想です(笑)
以下、伊豆名所まだ続きます。























ブログを再開するには前頭葉が必須です

2024年04月17日 | 前頭葉の働き
ご無沙汰しています。これだけ長く投稿しなかったことは珍しいのです。
投稿が途切れる時は、理由は二つ。
一つは遊びが充実しすぎて時間が取れない。
もう一つはパソコンの不調。
今回はその二つが重なったという状況でした。楽しい方から報告を開始しますが、一旦休んだことを再開するには大きなエネルギーが必要です。ふつうの言葉でいえば「意欲」「やる気」をかき立てる必要があると言えますし、脳の働きから考えると、前頭葉がどう働くかということになります。

ニコニコ顔の友人(漁師さん)が大きな鰤を持って来てくださる。「今朝獲れ。ハラミは刺身。雄節はしゃぶしゃぶが美味しいよ」そう聞くと、捌いてあげて一緒に食べたくなります。一緒に感動の舌鼓を打ったら、当然お話に花が咲いて、お開きの時間が遅くなる。
私の前頭葉はこのような時間が大好きなので、今日はブログを書こうと決めていて書かなかったとしても「いい時間だった」と満足するのです。
鰤が大漁で、何しろ「大漁旗が上がった」と何回か聞くくらいだったので、ありがたいことに何度もブリパーティを楽しみました。たくさんの鰤ですから、お裾分けしたり食事にお呼びしたりして勿体無いようにいただきました。
このブログに「富戸定置網でブリ豊漁」と書いたのは3/20ですから、かれこれ1ヶ月豊漁が続いていることになります。
最近はYouTubeで検索すればどんなことでも教えてくれますから、真子や白子のレシピなどは、我流でやっていたところを丁寧に教えてもらって、お味が一段アップしたような気にもなって。ついでにお皿や盛り付けにも一工夫。

自分にとって楽しいことをやっている時の前頭葉は、あたかもライトがピカピカ灯っているようです。
私は料理が好きだし、人に食べてもらうことも好き。ならばこの鰤まみれの半月は至福の時だったということになります。でも魚が捌けない、料理も好きじゃあない人には、もしこういう状況になったら、難行苦行ということになりますね。
今年のボタンは一花だけ。

でも、初めて脇芽が出ました!

こういうふうに考えると、「脳のリハビリ」「認知症にならないためには」と言っても具体的には一般化しにくいということを理解してもらえるでしょうか?
その状況をどのように捉えるか、そしてそれに基づいてどのように行動していくかを決めるのが前頭葉。
この半月イキイキと生活は楽しんできたのですが、一方で「ブログが書けていない」という状況も同時発生し、だんだんに「これではいけない」と絞られてくるような感じです。
さあ。
行動の軌道修正が必要です。その時キャスティングボードを握るのも前頭葉。好きなことをやることと、なすべきことをやることとはどちらがエネルギーが必要でしょうか?特別な状況の下だとなすべきことを優先して行動を組み立てられますが。例えば、現職の社会生活を送っていると締め切りのある仕事だったら最優先して取り組むでしょう?でもそのような圧力がない第二の人生では、なかなか…
なすべきこと、それどころか、得意なこと好きなことすら「面倒くさい。どうでもいい」という気持ちになりがちです。その意欲低下こそ、認知症への近道、落とし穴なのです。
フジが咲き始めました。

庭を一巡りして花の咲き具合を確かめて、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、今しなくてもいい棚の整理をしたり。
そして最終的に「エイヤッ」と背中を押してくれたのは「ブログ書いてないけど、体調壊していないの」という友のメール。
その心根に対して、私の前頭葉はスターターの役目を果たしてくれました。
生きていく時には、聞く、話す、読む、書くのような認知機能を発揮させる前に、その認知機能を発揮させようとする前頭葉の機能が不可欠ということを、久しぶりに実感しました。








脳機能検査をする意味(続)ー2022年の桜の記録と共に

2024年04月03日 | 二段階方式って?
(2022年4月投稿の「桜の下でゲミュートローゼを考える」が、前回投稿の記事を補足しているので再投稿します。この年もたくさん桜巡りをしました)

今年も桜を堪能しました。
圧巻は、今年初めて出会った三島市玉澤霊園の山桜。樹齢400年ですって。

我が家の稚木の桜(わかきのさくら)2年生でもう花をつけるという、牧野富太郎博士が最も好んだ可憐な一重の山桜です。

伊豆は暖かいので、色鮮やかな寒緋桜も時々目にします。

すごい…

伊豆市、法泉寺の枝垂れ桜。ひっそりと山を背景にたたずんでいました。ここも初見です。

見る人もなく…見事に咲いてくれていました。

聚光院伊東別院に咲く莫眼花(ばくがんか)。禅語で「眼花することなかれ」と読み下し「眼病の時に花でないものを花と見間違うように、真実の花でないものを花と見てはいけない。心を平安に落ち着かせているとそういうことは起きない」というような意味らしいです。

桜守佐野藤右衛門さんが発見し、命名した突然変異の桜です。一重から八重に向かう一番最初の段階がよくわかります。現時点では世界に一本といわれているようです。

この角度はどうでしょうか?ちょっと大ぶりな花でした。蕾ははっきりとピンク色ですが咲くとほとんど白い花になります。考えたらこの桜も始めてみました。アンテナを立てておくと、情報は飛び込んできてくれるものですね。

ところで「ゲミュートローゼ」です。
高校のクラスメートからのメールでこの言葉を発見した時が初対面。プーチンのウクライナ侵攻に絡んで書かれていたので、精神的な疾患を意味しているだろうとは思いました。
じつは私、去年、心理領域初の国家資格公認心理師試験に合格したんです。
近況報告ー公認心理師試験に挑戦
一応、「心理職」と名乗れるのですが、全くこの言葉を知りませんでした!
困ったときの検索頼み。
「「ゲミュート」とは、思いやり、同情、良心などを意味するドイツ語である。 このような高等感情を持たない人を、ドイツの精神科医クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ」と名づけたわけで、「情性欠如者」と訳される」
シュナイダーは、統合失調症の症状をあげたり精神病の診断に寄与した人で、精神病質の10類型もシュナイダーが言い始めたらしいです。この辺りは確かに勉強したような気もしますが「ゲミュートローゼ」とは書いてなかった…没年が1967年なのでかなり前の方です。つまりずいぶん以前からこういうくくり方はあったということですね。

熱海なぎさ公園の大寒桜。花の間に熱海城が見えました。

私のキャリアは、精神科で心理担当として勤務したところからスタートしました。大学では臨床心理は全くやっていませんでしたから、診察室で出会う患者さんの話に耳を傾けるとびっくりすることの連続。考えたらとんでもない心理担当者だった…と赤面しながら反省しています。
統合失調症の方の話を一生懸命聞いていくと、どこかのところから「わかりません」と音をあげたくなる。うつ病の方には励ましたくなる。そう状態の方に対応すると言い聞かせたくなる。
全部やってはいけないことですから、ひたすら忍耐の日々でした。神経症の方の訴えはこちらも苦しくなる。場面緘黙や不登校や家庭内暴力の子どもたち。それまでに人生で全く体験がなかったことの連続で、仕事をそこから始められたことは、ほんとうにラッキーだったと思います。患者さんたちの話を聞いたり、投影法を主とする心理テストをやったり。箱庭療法もしました。
精神科で働いていたときには、症状を丸ごと理解しようとする、それは目の前の人が感じていることをそのままに受け入れることでもあるのですが、その気持ちは間違いなくあるのですが、本当に難しいことでした。

河津桜に似ていますが、これは伊東小室桜。伊東市にしかありません。オオシマサクラとカンヒサクラの自然交配種だそうです。

その後、ドクターの転出があって脳外科で働くことになりました。病気やけがで脳に障害が起きた時に、治療前後の機能の比較、または後遺症として受け入れざるを得ない症状の説明、またその経過観察のために行われる神経心理テストの担当になりました。
一番最初に、脳外科のドクターから言われた言葉にはショックを受けました。
「脳が壊れると、できないことが起きてくる。それはどうしようもないことだから、できないことをよく見なさい。そしてそれをちゃんと説明してあげることが大切。あいまいな希望を持たせることは慎むべきなんだ」
きっと、「そんなぁ!」という顔をしていたのでしょう。
「脳が壊れると、どうしてもできないことはできないんだよ。脳が壊れて手足にマヒが残ってしまった人をどう励ましても、本人がどう頑張っても重い不全マヒの時は動かない。軽ければリハビリで改善できるけども、元通りというわけにはいかない」こんこんとそうおっしゃったドクターの声やたたずまいは、40年近くたっている今でも鮮やかによみがえります。あの時、ドクターはご自分の無力感も伝えてくださったのだと思います。
脳外科での勤務を続けるうちに、「全くその通り。壊れてしまった脳は以前と同じようには機能しない」と私も納得できました。
運動領域は壊れた部分にぴったり一致する運動障害が出てきます。左脳が壊れた人、右脳が壊れた人。そして、当時も現在になってもまだまだ理解されているとは思えない前頭葉に障害が残った人達が、特有の後遺症を示して、その働きを教えてくれました。

我が家で咲く河津桜

そして次の段階になりました。精神科で出会った方たちの症状は、脳の機能不全の面もあるのではないかと感じるようになったのです。症状を脳の機能障害と断じることには、感覚的な抵抗があることは、私にもよくわかります。困った症状に何らかの意味づけをして「全体的に理解してあげる」方が優しいような気がしますよね。
症状を脳の機能障害と考えるというのは、対人関係に問題がある人は、成育歴や現在の環境の影響以前に、対人的な情報を処理する脳の分野に問題があるのかもしれない。と推理するというようなことです。もう少し具体的に書いてみましょう。
例えば重度の認知症になると見当識の障害が起きてきます。今がいつなのかわからない。ここがどこなのかわからない。この人が誰なのかわからない。
夜中に騒ぐ。徘徊する。それに意味づけをして、その行動を理解しようとする立場があります。いっぽうで脳機能から見ると見当識をつかさどっている領域が機能できていない(だから夜中に騒いだり、徘徊したりすることには意味はない)と考えるのです。
どちらが優しいというか、その人に寄り添っていることになるのか考えてみてください。もう一例あげてみます。
脳卒中の後遺症で歩けない人に向かって「なぜ歩けないんでしょうねえ。
過去の何かが影響しているかもしれません。考え方を少し変えてみることはできませんか?」ということと、「命はとりとめたのですが、脳の病気のために残念ながら後遺症が残りました」そして「立てません。車いすを使います。歩行器を使います。装具を付けてリハビリします。杖を使います」ということと、どちらがよりその人の生活のために役立つでしょうか?

伊豆最福寺しだれ。日本で4例目の八重枝垂れ桜。

私の今の仕事は、認知症の早期発見や回復を図ること、それ以前に認知症にならない生活指導をすることです。
カギは、脳機能特に前頭葉機能なのですが、「ゲミュートローゼ」という知らない言葉に出会ったことで、何十年も昔のことを思い出してしまいました。
フロク。
ゲミュートローゼを脳機能から考えると、第一段階としてはやはり右脳の情報をキャッチする能力に欠けた状況を考えないといけないでしょう。生まれつきの問題もあるかもしれませんが、右脳を育てる過程で育てそこなってしまったことも考えないといけないでしょう。母子関係をベースにした感情的な交流が皆無だとしたら、感情を獲得することができませんから。
またわざわざ「思いやり、同情、良心などの高等感情」という表現は「前頭葉機能」そのものを指していると思われます。育っていく間に、種々の体験や決断をし、それを両親や先生や友人たちから評価されて、自分なりの前頭葉の色を付けていきます。そして最終的には「自分で自分の行動を計画し、実践し、評価しながら自己を確立していく」のが人が生きていく道です。
右脳と同様に、生得的に何かが欠落しているのか、一般的な成長過程を体験できなかったのか。いずれにしても前頭葉機能に欠落があるとしか思えません。
伊豆高原桜のトンネル。この日は海が見えていました。


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