脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

日々のウオーキングで小ボケ脱出ー携帯メールの遠隔操作術

2016年07月24日 | 認知症からの回復

私の年若い友人から、うれしいお知らせが届きました。
「父、えらい!」(お手紙は青字で)
アメリカフヨウ at 伊豆中央道いちごプラザ

1年半ほど前に小ボケだったお父さんが、日々のウオーキングで脳の元気を取り戻しているという報告でした。お知らせには控えめに「小ボケを維持していると思います」と書かれていましたが、よくよく読んでみると実際はそれ以上の回復ぶりが確実だと思います!

地区の大きなお祭りに「もう78歳だし参加は今年限りだ。やるぞ!」と張り切って参加されたそうです。
そしてその結果は、なんと3日間歩きとおし、「7年後の大祭にも出たい」とおっしゃったそうです。これは体だけでなく脳もピカピカのかくしゃく高齢者の言葉ですよね?!

話は1年半前にさかのぼります。
友人(東京在住)とお母さん(関東近県在住)が一緒に遊びに来てくれました。
あちらこちら遊んで、あれこれ食べて、いろいろおしゃべりをして・・・何しろ女が三人寄ったのですから 、楽しかったこと。
それでも一泊の旅ですから、「明日はもうお別れね 」と、夜はちょっとしんみりしたムードが漂ってきました。
そこでお母さんが 話し始めました。
「最近、お父さんがちょっと・・・ 気になることがいろいろあるんです」
このようなときに決して「歳のせいでしょ。私にだってあります」というような、変な慰めは言わないことにしています。 何か訴えたいことがあってお話を始めているわけですから、できるだけ「何を伝えたいのか」を具体的にイメージしながら聞くことにしているのです。

どのようなことを話されたのか 、細かくは覚えてはいませんが、その一つ一つに「前頭葉機能低下」の言葉が当てはまりました。
「以前とどこか違うんです。こういう時にこういう風にはしなかったようなことが多いんです」(前頭葉はその人らしさの源ですから)
「買い物に行って、買ったものを車に置いたままだったり。そんなことはない人でしたから」(これこそ、忘れているわけではなく注意の分配ができないことなのです)
「話にはすぐに乗ってくるタイプの、付き合いやすいというか優しいタイプの人だったんですが 、何か話に乗ってこないというか」(これは意欲低下の表れです)
とお母さんがいろいろに口ごもりながら話されるそばから、娘である友人は
「でも、あの時は○○してたでしょ!?」とか「電話で話すときにはそんな感じはしない」とか「ボランティアだってやってるでしょ」など、むしろお母さんの言い方には否定的に対応していました。
前頭葉機能は年齢とともに低下していくものですから、歳とともにこのようなことは起こりがちではあります。ただ、一緒に住んでいるお母さんが気になるということは、たぶん正常な老化を超えている可能性が高いと思った方がいいでしょう。
ハマボウ at Jガーデン

こういう時には、「半年から、さかのぼっても3年以内に 、生活が大きく変わってしまう状況が起きたかどうか。その後の、ナイナイ尽くしに変化してしまった生活がずーと続いているかどうか」を聞けばいいのです。
はっきりと、困った症状が訴えにくいのは 小ボケの段階、社会生活には支障があっても家庭生活には特別の支障がないレベルにとどまっているからです。そして小ボケはだいたい3年間続きます。
ちなみに中ボケの段階になると、家庭生活にも支障が出てきますから、むしろ症状は訴えやすくなります。服薬管理ができないとか料理の味付けが変とか洋服の着方がおかしいなどなど。
ついでに大ボケは、世の中で「ボケた」と言われる段階です。セルフケアはできないし、時、所、人の見当識もあやふやになり、昼夜が逆転したり、徘徊、家族のことも認識できない状態になります。このレベルになると、だれが見ても「気の毒に認知症になった」と言われるわけですね。

お母さんは即答。
「1年前に母が亡くなったことです!それはそれは心を込めて介護していましたから。その後の不動産の処分などもちょっと大変で…あれだけアクティブだった人が人が変わったように意欲的でなくなりました。ボランティアだって楽しそうじゃなく義務的だし」
そこで結論が出ました。
「歳のせいにしておかないで一応小ボケと思いましょう。小ボケだったら生活改善で、もともとのお父さんに戻ることができるからですよ!」
生活改善の近道はご本人にこの状況を伝えることです。なぜならばボケの段階の人たちは、以前の自分でないことを十分に理解しているからです。
「あれから、生き生きとした生活を失ってしまったために、脳が元気を失っている。元気を取り戻すためには、以前の生活を取り戻すしかない。一番の近道は散歩。それから趣味、遊び、人付き合いの右脳を使う。とにかく司令塔である前頭葉の出番を増やす」
下の図を使って、上のように説明する。これが生活指導の骨子です。
Photo_3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小ボケの人たちは、ほんとに驚くほど自覚があります。三頭立て馬車の説明もすぐ理解できます。
「確かに、あのきっかけが起きてから馬車を使ってこなかった。がんばらなくっちゃあ」
ここまではスムーズにいくのですが、問題はスターター役の前頭葉が、元気がないことです。ちょっと口添えをしたり背中を押したりすることで、生活改善(脳リハビリ)はうまく動き始めます。
 
そこで私は、小ボケからカムバックできた亡き兄の話をしました。
兄は2010年6月に会社の経営を甥に譲り、その直後8月に血糖値が急上昇して入院。お見舞いに行ったそのときに私は兄に言いました。
「退院した後、生活を見直して、新しい生きがいを見つけないとボケちゃうよ。まず歩いてね」
翌年同じ8月。はっきりと小ボケが進行していることが分かりました。(会話に加わらない。居眠りが目立つ。動作がモタモタしている)
家族はいるのですが、私のように切迫感がないので、強く勧められないようでした。
そこで、「とにかく毎日歩く。その歩数を携帯電話のメールで、毎日知らせてくる」という約束をしました。もちろん毎日私も返信しました。交換メールです。
詳しくは、ブログをお読みください。 

兄のことー前頭葉の話
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/c0f0ac2ac88b0f7fc7abd8a2081d5027

兄の毎日の努力に対して私も何かしてあげたくなりました。半月ごとにグラフにして送ってあげました。
兄はとても喜んで、皆さんに見せびらかしていたそうです。
最初のグラフ

毎月の平均歩数

詳しくはブログを。

認知症からの回復ー兄のこと&知人のYさんのこと
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/20235b73c010bc11ebcb22a8f239ed90

兄は「体」の病気に勝てずに、2014年1月に亡くなりましたが、「脳は使わないとボケちゃうし、一生懸命歩くだけでもカムバックできる!俺のことをみんなに教えてあげてね」と言ってくれました。

「一緒に住んでいない」と もどかしがる友人に兄の話をしました。
そうしたら、ちゃんと実行してくれたのです!そのお知らせが飛び込んできたのです。
「毎日父に付き添いウォーキングができないので、『5000歩目標で歩いて!歩数を夜、報告して!返事するから!』と歩け歩け作戦を始めました。
真面目が取り柄の父は、携帯電話付属の歩数計で歩数を測り、写メを撮り、パソコンメールで送信報告してくれています。1万歩を超える日もあり、1000歩程度の日もあり。
歩数に添えられるミニ日記を通して、両親の暮らしぶりが把握できるという、娘にとって思わぬ副産物もありました」

こうして、また小ボケからのカムバック例が増えました。
しかも携帯メール遠隔操作術の!うれしいです。 


7月の右脳訓練ーいろいろ見~つけた!

2016年07月22日 | 私の右脳ライフ

心に残ったものたちをまとめて。
 
北海道余市町ニッカウヰスキー工場のニッカおじさん。
1965年登場のニッカウヰスキーを代表するロゴ。
モデルは「W・P・ローリー卿。ウイスキーブレンドの名人で、『キング・オブ・ブレンダーズ(ブレンドの王様)』と呼ばれていた」そうです。

北海道蘭越町 貝の館。たくさんのきれいな貝に圧倒されました。
純白

強烈な色

光沢

ウインザーホテル(廊下にお香が。薫香が漂っていました)

加賀細工 at 楽や(伊豆高原)
 
これも

おなじみJガーデン。夏らしい・・・

きれいなものを感じるには、右脳を活性化しておかないといけませんね。
そのためにはしっかり遊ばないと(笑)
 


6月の右脳訓練ー涼を求めて

2016年07月16日 | 私の右脳ライフ

晴れた日は真夏の暑さです。
友だちと誘い合って、東伊豆町奈良本にある山桃茶屋へランチへ。昔の名主の館をそのままレストランや宿に使っています。

手入れの行き届いたアプローチ。

右に目をやると、池と土蔵が。この土蔵は宿泊部門だとか。

玄関。

明治・大正期に将官軍人や文人が多く訪れたという館は、本当にタイムスリップする心地です。お座敷が食事処になってます。

調度が昔のまま。

戸棚の組木細工。

戸障子も懐かしい…

おそばを頼みました。

軒先も風情があります。この深い軒先や庭の緑のおかげで暑い日でしたが、冷房なしですごせました。

涼を求めて外出しましたが、おいしいお蕎麦も郷土料理のヘラヘラ餅もいただきました。久しぶりの友との語らいも満喫し、ちょっと出かけることは脳を元気にさせると実感しました。


北海道の旅(失敗談)ー原因は注意分配能力低下

2016年07月12日 | 前頭葉の働き

雨の予報にもかかわらずお天気に恵まれ、初夏の北海道を満喫した旅でした。
めでたしめでたしという報告で終わらせたいのですが、正直者ですから失敗談を。「そんなことが!」とビックリする人と、「ある、ある」とニヤリとする人といると思います。
我が家のブーゲンビリア

千歳空港の手荷物検査場で順番を待っています。
飛行機には、まあ乗っている方だと思いますから、手順は承知しています。
注意することは、持ち込み手荷物の中に禁止物を入れていないこと。パソコンや腕時計等金属探知機にかかりそうなものを小物用トレイに出しておくこと。そして当たり前ですが搭乗券を提示できるようにしておくこと。承知していますとも!


けっこう長い行列でした。係りの人が何度も「○○便、富山行きのお客様いらっしゃいましたらこちらへお急ぎください」と声をかけるような長い行列。
いろいろと人間観察してみたりしているうち、少しずつ列が進んでいきます。
「バッグに入れているよりも、すぐ見せられるように」と考えて、搭乗券は手に持っていました。もうあと5人くらいで私の順番が来るというところまで来たときに「そうだ!念のためにバッグから携帯電話を取り出して、小物トレイに出しておこう」と突然思いつきました。そしてiPadミニが入っている小物トレイに携帯電話を出しました。用意万端整ってようやくもう一人のところまで進んで来ました。

「さあ、搭乗券」と思って手を見てびっくり!ない!なぜ!
「さっき携帯を取り出した時に、落とした」と思いました。列に並んでいた時に手に持った搭乗券を、意識して何回も確認していたから、その時は、結構冷静だったのです。次の人は夫でしたからその次の人に順番を譲って、ほんの2mくらい元に戻って床を確認します。
ない!!
今度は、本当に心底びっくり!!!です。
どうして。なぜ。何が起きたの。
「予約番号は控えているし、夫と一緒に発券してもらったからもう一度カウンターに行けば大丈夫、飛行機には乗れる」と、奈落の底に落ちた気はしなかったのですが、何しろ列が長いので「モタモタしていると迷惑をかけるし、やり直しをするとまた長い時間並ばないといけないし。それにしてもなぜ床に落ちていないの」といろいろな思いが駆け巡りました。
結論を言うと、バッグの携帯電話を入れていたポケットに搭乗券は鎮座ましましていました。
一人に順番を譲っただけで、無事に手荷物検査場を通過できたのですから、時間にしたらほんの1分か2分の出来事でした。
S塚さん宅の白花ネムノキ

搭乗券をバッグのポケットに入れた記憶が全くないのです。搭乗券を見てもなぜここにあるのか、もちろん私が手に持っていたのですから、私がいれた以外には考えられないのですが、それにしても???
夫が解説してくれます。
「こういう時みんな『忘れた』というけれど忘れたんじゃないよ。
齢を取ると、前頭葉の注意分配力が発揮できなくなってくるんだ。正常な老化でもね。携帯電話を出すことだけに注意を集中してしまったから、搭乗券の処理に注意を分配できなかったということ。
何かをする時には、意識的に『これをやって、あれをやって』と注意力を分配させるようにしないと、また失敗するよ」
「はい」というしかないではないですか。
ケマンソウ(洞爺)

この話には、オチが付きます。
新幹線に乗り換えて、帰路へ着きました。ようやく熱海駅着。新幹線改札口の前で今度は夫が「あれっ」と上着のポケットを探っています。
そうなのです。今度は夫の番(笑)まあ、1分も経たないうちに無事に切符を発見できましたけど。
何と言い訳をしたか、はっきりしません。だってあまり注意集中力を向ける気持ちがなかったからですが、たぶん
「いつもは必ずここのポケットに入れるんだけど、(何かの事情に注意力が向いてしまって)こっちのポケットに入れたんだなあ…」というようなことを言ったと思います。
注意集中力と注意分配力は、前頭葉の諸機能の中でも高次な機能なのです。
ルピナス(洞爺)

エイジングライフ研究所は、認知症のもっとも早期の段階を小ボケと言います。
脳機能の老化が加速されて認知症への道をたどり始めたときに、最初にうまく機能できなくなるのが前頭葉機能です。その後、前頭葉機能はさらに低下をすすめ、さらに脳の後半領域の機能低下も徐々に進行していきます。
前頭葉機能だけがうまく機能できなくなっている段階を小ボケというのです。
小ボケの症状に、「何度も鍋を焦がす」と訴えられることがよくありますが、まさに注意分配力不足の結果です。
「鍋をかけていたのを忘れてしまって…」と、本人は言いますが、「忘れた」のではなく「注意分配に失敗した」のです。鍋の前に立っていて焦がしてしまうのではありません。鍋をかけた後、別のことをし始めたときに鍋を焦がしてしまうのです。
このことも巷では「忘れた=記憶力」の問題ととらえられていることに、ご注意を。


6月の右脳訓練ー北海道の旅(おやつ)

2016年07月05日 | 私の右脳ライフ

一つ前の記事に書いたように、グルメレポはタブーにしているのですが、私の記録ということで。
羊蹄山を望むレイクヒルファーム

ニセコ ミルク工房

余市ニッカウイスキー工場の試飲(ウーロン茶)

ヒルトンニセコビレッジ ウエルカムドリンク

日本海に面した寿都町にあります。

食事じゃなくて、あくまでおやつ(笑)

カキとホタテとハマグリを食べました。



 


6月の右脳訓練ー北海道の旅(出会い)

2016年07月04日 | 前頭葉の働き

フェイスブックやブログに「おいしいもの、食べました~」みたいな投稿は、最近は遠慮しておくことにしているのですが、北海道の旅の記録ということでお許しください。
洞爺湖ウインザーホテルは夕食がとっても高かったので、ホテルスタッフに聞いて洞爺湖町まで下りていきました。
「めしどころ松前屋」大徳寺の和尚様から頂いたという額が!

68歳のおかみさん、その娘さんが料理担当。もう一人女性のフロアー係。3人で切り盛りしている小さな店ですが、素晴らしいお店でした!
「小さな店ですがお客様にゆっくりと我が家にいる様な思いでくつろいでいただくのが私のモットーです。魚も肉も地場産使用で野菜は朝どり。魚介はその時の旬のものを御用意いたしておりますのでお楽しみください」という宣伝文句に一片の偽りもなく、初めていただいた「ハッカク」の焼き物を始めどれもこれも全部おいしいとしか言えませんでした。
このモットーに至る道を語ってくれました。
雲仙普賢岳噴火の時には現地に行かれ、その後も2か月にわたって各地を回り「いろいろ考えました」
有珠山の噴火で被害を受けて、「結局、店をやるということはお客さんに喜んでもらうことが一番の目的だということ。経済的なこともあるけども、お金を儲けるだけが目的である必要はない!お金はうまく使ってなんぼだからね。行きたいところがあればお店休ませてもらっていくんだから、私たちは」と、膝を打ちたくなるような気風の良さです。
「富士山を見にいらっしゃいませんか?」という私たちの誘いにまんざらでもないような感じを受けましたが、いかがですか?
阿部むつ子さん、いつでもお待ちしていますからね。
北限の日本酒「国稀」余市ニッカウイスキー「竹鶴」発見。

「SNSのせいで、全然宣伝していないけど外国のお客さんがよく来てくれるんです」
確かに何組も外国の人たち、それに地元の人(実はウインザーホテルの総料理長も来店されるとのこと)そして私たちのような旅行者が混じっています。
「娘が英語をしゃべるので、私は役場の中国語講座を受けて、ちょっとだけ中国語で相手をします」料理もおいしかったけど、すばらしい前頭葉の持ち主の魅力的なおかみさんでした。(申し訳なくて料理の写真は撮れませんでした)

ニセコ 鮨「花吉」

このお寿司屋さんも、ヒルトンニセコビレッジのフロントで教えてもらいました。

アップも。

このお寿司がまたおいしかったのです。味はもちろん、おしゃれで清潔な店の雰囲気、スタッフの方たちの元気の良い丁寧な接客。感動的でした。
店主の吉岡さんは、東京で修業されたそうですが「ふるさとニセコでやりたかったんです」と。
「一時期から、オーストラリアの方たちが見えるようになって、ニセコの冬は季節料金になってしまったんです。宿でも何倍もの宿泊料にしても埋まるんです。でも、ここで店をやるからには地元の人たちに来てもらわなくては、と思っています」
お吸い物は、旬のベビーホタテ。

「おいしいのは当たり前。喜んでもらうにはどうしたらいいかとかいつも思っています」という言葉に誘われて、今、フェイスブックフレンドの小布施「鈴花」鈴木さんのお話しをしました。鈴木さんの病気を乗り越えて生きる信条や、JR九州「ななつぼし」をデザインされた水戸岡さんへお店の設計をお願いして、何年か待って実現させたこと、しなの鉄道のろくもん列車、湯布院にこの度の地震お見舞い激励旅行に行かれたことなどお話しするうちに、「必ず、小布施に行きます!松本に後輩がいるので行けます!」とおっしゃいました。

「少しでもより良くする努力を怠りたくない」という気持ちに触れて、お寿司のおいしさだけでなく、とてもいい気持ちにさせていただきました。
「冬のニセコもいいのですが、今の季節も大好きです」と言われた吉岡亮平さん。
ありがとうございました。またお寿司を食べに伺えることを願っています。小布施にいらっしゃるときにはお知らせください!

社会人として仕事をする時、いろいろな思いを持って仕事をすることは、もちろん自由です。ただ私は洞爺湖「めしどころ松前屋」の阿部むつ子さんやニセコ鮨「花吉」の吉岡亮平さんのような方にお会いして、お仕事に対する真摯な思いを教えていただくと、おいしい食事をいただいたこと以上にこういう方にお会いできたという喜びが、私の旅の思い出の中心にどっかりと座り続けてくれるような気がするのです。
 
出会いの付録
洞爺湖ウインザーホテルでのできごとです。
1.めしどころ松前屋で、先に食事を済まされた方たちと目があって、ご挨拶しました。私たちと同じようにウインザーホテルからお食事にいらしたことがわかり「グッドチョイス」と笑いあいました。

2.その後ホテルに戻って、毎日あげられる洞爺湖花火を見ていました。お風呂への通路からがベストポイントと聞いていましたから、大きなガラス窓に張り付いてみていました。「この前見たのは壮瞥町に行ったとき。寒くて人もいなくて寂しい花火だったなあ」などと感慨にふけっていると、お風呂からお帰りの方が「先ほどの…」とお声をかけてくださいました。先ほどの紳士!

3.翌朝、お風呂へ行く途中、同じ場所でまたまたすれ違い!「おはようございます」

4.サミットテラスで写真を撮っていると、私たちに続いてテラスに「登壇」されたご夫婦。その長身の紳士とは4度目の再会!少しお話ししました。大阪の高槻市からいらっしゃった〇槻さんとおっしゃることがわかり、「何ということ」とちょっと運命的だと思ったのは大げさでしょうか?

5.写真を撮ったので、少し遅れて、一人で部屋へ急いでいました。私たちの部屋の手前のドアが開いて、今お部屋に入ろうとされているご夫婦が。そうなのです、〇槻さん。あの大きなホテルで5回も遭遇するなんて!きっとまたどこかでお会いできるのではないでしょうか?(実は、チェックイン前のロビーで、私は既に目撃されていたのですって。だから6回お会いしたことになります!)
旅はこんな印象深いできごとも体験させてくれます。ずーと覚えていると思います。
その時撮りに行ったメインダイニングの入り口。

紫の花がテーマのようでした。昨夜のロビー。

〇槻さんがご覧くださいますように。


6月の右脳訓練ー北海道の旅(ニセコ)

2016年07月03日 | 私の右脳ライフ

ニセコの宿は、ヒルトンニセコビレッジでした。
今住んでいる伊豆高原でも北海道でも、中国人をはじめとした外国の方たちがたくさん旅をしています。

この立派な正面玄関で浴衣姿で記念写真を撮っているグループもいました。あまりも楽しそうなだけに、見る側としたら余計寂しいという変な感情を持ちました。日本人観光客が海外に行き始めたころにも、このような文化の差から来る失敗はあったのでしょうね。
ひところ指摘されたお風呂のマナーは問題なしで、スリッパの人もタオルを湯船にいれている人も皆無。日本の文化として教えてあげたらいいのでしょう。
いずれにしても、外国の人なしでは、ニセコ観光は考えられない印象がありました。
ホテルに隣接して日本的な情緒を込めたショッピングモールが新しくできていました。

私たちも旅の記念にガラスのぐい飲みを買いました。

ショッピングモール入口。「ニセコビレッジ」と「新雪谷」。中国語の漢字による表現力はすごいですね。

おしゃれなホテルのロビー。

ヒルトンから日本海側へ向かって車を走らせると、ニセコ一帯の温泉の元湯のような景観が開けてきます。硫黄臭漂よう生きた温泉。

この道はニセコパノラマラインと言われています。共和町神仙沼のルックアウトからの景色です。眼下の町は岩内町、左に見える海は日本海。

マイヅルソウ。標高750mにある湿原ですから、高山植物が道端に咲いています。

これは?

ツツジも満開。

ニセコからも羊蹄山西麓が見えます。
ストーンサークル、発見。欧州、シベリア一帯のものと共通する形式で、3000年前の墳墓と説明されていました。
三内丸山遺跡や秋田県の大湯環状列石長野県茅野尖石縄文考古館
考古学に興味がある方ではないと思いますが、旅先で縄文遺跡の施設に巡り合うと時間の許す限り見学してきました。上の三施設には行ったことがありますが、それぞれにびっくりさせられる発見があって楽しかったです。そのような実体験があればこそ、いくつかの石を見ただけで縄文人は広範囲に広くたくましく生きていたということが実感されるのですね。何事も百聞は一見に如かずです。


6月の右脳訓練ー北海道の旅(余市)

2016年07月02日 | 私の右脳ライフ

NHK朝の連続ドラマ「まっさん」とここまで書いて、今は「とと姉ちゃん」その前は「あさが来た」その前だったなあと思い、一応ネットで確認してみました。2014年9月から2015年3月まで。あれ?もうひとつないと合わない…そうだ「まれ」があった!これで一応つじつまが合いました。
ちなみに、こういうことをしたら記憶力アップが図られるというものではありません。ただこのようなことでも、意欲的に対処するのとしないのは前頭葉の差ではありますから、ちょっと頑張ってみただけのことです。
「まっさん」はニッカウヰスキー創設者の竹鶴政孝とスコットランド人の妻リサの物語でした。

それで、余市のニッカウヰスキー工場見学に行ってみました。私は以前一度行ったことがありますから、どこかは思い出すところがあるのではと思ったのですが、全然記憶と一致するところがありません。今回は気にせず見学者の群れの一員になります。
この建物は試飲ができる場所です。

会場に入ると、このグラスに圧倒されます。

工場内の緑とクラッシックな建物を見ながら試飲します。

ウイスキー博物館。小さな人形のディスプレィー ウイスキーを飲む人。

小さな人形のディスプレィー ウイスキーを作る人。

5年15年と熟成をつづけると、色や香が付き、アルコール度数が上がっておいしさが増す仕組みですが、問題はどんどん量が少なくなってくること。だから同じ銘柄のウイスキーでもラベルの「〇〇年」で値段が全く違うのですね。

幻のウイスキー「余市」の有料のテイスティングがありましたので、夫が挑戦(運転手は私です)。

おいしかったそうです。40cc700円

更に見学コースを進むと、竹鶴邸が。

リサハウスも。

夫はもう十分と帰心矢の如しでしたが、私はもう一か所。テレビで大切な舞台の一つニシン漁場がありました。そのモデルとなった建物があるというので行かないわけにはいきません。旧余市福原漁場(ニシン漁最盛期の様子を伝える建造物、国指定の重要文化財)夫は車でお留守番をしていました。
これが生活の場。主人の居住区と番屋が同じ建物で真ん中の土間で分けられていました。

味噌や米などの倉庫です。

大切な文書などの保管に使われました。

立派な木組み。

どうしてニシンはぱたりと来なくなったのでしょうね。検索してもはっきりした原因はわかりませんでした。
北海道の日本海側の各地区で、豪壮なニシン御殿を何軒もみました。大規模な番屋も。
ニシンが来なくなって後、やん衆と呼ばれた労働者たちはどのように生活を立てどのように生きたのでしょうか。認知症は?
多分、寿命が持たなかったでしょうね。認知症は「体がもつのに脳が持たない状態」ですから、体が持たなくて、つまり亡くなれば、認知症の問題は起きて来ないのです。


6月の右脳訓練ー北海道の旅(大沼公園で会った73歳岩田さん)

2016年07月01日 | 前頭葉の働き

大沼までの道すがらお弁当ゲット。駅弁大会というと必ず上位に顔を出す北海道森町のいかめし。こんなレトロなお店で売られていました。気のせいか一味余計においしかったような。

大沼公園ではグリーンピア大沼に泊まりました。

もちろんスキー場併設。広い芝生広場もありました。雄大な駒ケ岳を望めます。

私たちの泊まった最上階の部屋からも、駒ケ岳と駐車場が見えます。

翌朝、びっくりする光景が。

ハーレーダビッドソンが数十台集結。

どうにかして勇壮な全体を写したいと苦労していました。

そのうち、写真の左端の方とお話しできました。
何と福岡ナンバーということに気づきましたので、「私、北九州市出身なんです」とお声掛けをしてみました。よくよくお話を伺ってみると、福岡県太宰府からいらっしゃったと!
びっくりする私たちにこともなげに「今回のイベントにはいちばん遠くは鹿児島県枕崎市からの参加ですよ。僕なんかはまだまだ」福岡だってすごさには変わりはありませんが。
道程を伺ってみると
「北九州から大阪までフェリー。そこから陸路で名古屋。そこから苫小牧までフェリー。後は北海道を走りました。でも帰りは日本海側を3日かけて帰ろうと思ってます」

「後輪が二輪だと、カーブは曲がりにくいのではないですか?」という素朴な質問に丁寧に答えてくださいました。
「傾けられないから、ハンドルはめっちゃ重いんです。でもこんな長距離には安全第一で、これに乗ることにしてます。目的地によっては普通の二輪バイクも持ってるんですけどね」
「と、いうことはバイク2台も!」とびっくりした私に、さらに言葉が続きました。
「69歳になった時、『69歳になったんだから、何かやろう!』と思って、体を動かす方がいいなあと思って、バイクにしたんです。最初は二輪だったけど、すぐにこれも欲しくなってね。イヤー楽しいですよ。あの時決断したおかげで、もう4年も新しい世界を楽しんでます」
「と、いうことは若いころにバイクをやっていらっしゃったわけではないんですね」
「そうですよ。『そんな齢で、わざわざ危ないことをしなくても』とかいう人もいたけど、やったが勝ちですね。ほんとによかったです」

このハーレーダビッドソンは、なんと1700ccだそうです。私たちのレンタカーよりも排気量が大きいのですよ。
お話をしているうちに、出発の時間がきてしまいました。女性参加者と一緒に、楽し気なこういうショットの撮影が何か所かで繰り広げられました。

写真もお名前もOKと快諾いただいて、メールアドレスも交換して、道中のご無事をお祈りしながらお別れしましたが、ひょいと伊豆をツーリングの目的地にして来てくださるかもわかりませんね。どうぞその日が来ますように。
岩田さん。お待ちしております。

「69歳になったから」という言葉が印象的でした。
というのも、先日のテレビ番組「にっぽん縦断こころ旅」。火野正平が視聴者からの手紙に書かれた場所を自転車で尋ねるという番組ですが、視聴者からの手紙のナレーションが耳にとまりました。
「私も、69歳になって今はもうその場所に行くこともなくなりましたが」だか「私も、もう69歳になって今はもうその場所にはとても行くことはできませんが」と言っていたのです。
すぐに「なぜ?行かれないのではなく、行く意欲(前頭葉機能です)がないのではないのかしら。行く意欲さえあれば、工夫もできるしチャンスも生まれると思うけど」と思ったばかりでした。
同じ69歳でも、決断の道は右と左に大きく分かれるものですね。その差こそ、前頭葉機能の差。その差は「どのように生きてきたか」「自分の人生をどのように生きたいと思っているか」という差、そのものです。

人生には、いろいろなことが次々に起きてくるし、そして年齢は確実に増えていきます。齢をとるということは、できなくなることが増えることでもあります。そのような状況のもと、どう対処するのかを決めるのが前頭葉です。
果敢に立ち向かうもよし、何らかの工夫を凝らす場合もあるでしょうし、誰かの助力を受けるのもいいでしょう。その状況に負けて、「なにもしない」という選択だけは、取らないようにしましょうね。それが認知症への道だからです。
「にっぽん縦断こころ旅」の投稿者は、もしかしたら膝か腰の痛みがあるのかもしれません。テレビを利用して行きたいところを見るという深慮遠謀があったとしたら、これはなかなかイキイキした前頭葉の持ち主ということになります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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