脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

群盲評象

2018年08月04日 | 二段階方式って?

若い読者の方は、今日の表題?と思ったかもしれません。
フロックス(いつもきれいにお花を咲かせているお宅の方が、招じ入れてくださいました)

この成句の意味の解説から始めましょうか。
目が見えない人を集めて象に触ってもらい、それぞれキャッチした「象」の説明を求めると、それぞれの人が触った部分の説明を「象」と主張したというインドの故事から来ています。
触った場所が、鼻、耳、脚、牙、しっぽだとしたら、たしかにまったく違う説明に終始してしまうことはよくわかります。
キキョウ

「象」という全体を知らないために、自分が触った部分こそ「象」であると思い込んでしまう。正しいと信じ込んでいることが全体ではなくそのものの一部にしか過ぎないことに対する警句です。
差別用語の印象が強いためか、最近使われることが少ないようですが、「目が見えない」というのは象徴的で盲人というよりも物事の本質が見えない人の意味なのですが。ちなみにブッダは「悟りの境地にある人、つまり目覚めた人」という意味です。
ヒャクニチソウ

ついでに。
小人物には、大人物の評価はできないという意味にも使われます。
ヒャクニチソウ

閑話休題(カンワキュウダイ。それはさておき話を戻しての意味)
国立精神神経医療研究センターの「認知症のリスク因子研究」の紹介記事に目が留まりました₊。(2018.7.19.産経新聞)
見出しは「日常活動、社交性が大切」でした。40歳以上の男女を対象にネットを通じて調査するという新しいやり方で、半年のスパンを開けて二回認知機能検査を行うというものです。認知機能低下の項目として1「加齢」2「毎日の活動力や周囲への興味の減少」3「聴力の損失」4「体のどこかに痛みがある」5「人生が空っぽに感じた」などの項目が強く関係していた
結論として、「新しいことに取り組むと脳が刺激されるといわれる。他者との交流が予防策の一つになれば」との意見を紹介していました。
ヒャクニチソウ

報道されたのはほんの一部かもしれませんが、一瞥しただけで、質問したくなるところがたくさんあります。
認知機能は「単語をどのくらい憶えていられるかのテスト」ということで、いくらなんでもそれだけで認知機能のレベルを決めることができるかどうかという疑問。
先にあげた2「毎日の活動力や周囲への興味の減少」5「人生が空っぽに感じた」これらは、このブログで何度も話しているように前頭葉機能低下の症状です。つまり前頭葉機能が低下すると「新しいことに取り組む意欲も、他者との交流を求める気持ちもなくなる」のです。卵が先か鶏が先かの議論が必要なテーマです。
ルリタマアザミ

疑問は全部横に置いて、国立精神神経研究センターが、少なくとも認知症予防に「日常活動、社交性が大切」と発表したことを評価したいと思ったのです。
私たちエイジングライフ研究所は、認知症は前頭葉を含む脳全体の使い方が足りなくて発症する、いわば生活習慣病であることを、長く主張してきました。
日本における研究者分野の趨勢は、アミロイドβやタウ蛋白や脳の萎縮などに、認知症の原因を求め続けています。アセチルコリンが原因物質と言われたこともありますが、これは否定されました。アミロイドβ説も世界的には過去のものになりつつあります。例えば世界屈指の製薬メーカーである、イーライリリー社が「アミロイドβにターゲットをおいた認知症の治療薬開発からは手を引く。期待の大きさを理解していただけに残念」という発表があったのですよ・・・

【米イーライリリー】認知症治療薬「セマガセスタット」の開発を中止

そんな中で新しい視点を持ってくださったと、私はうれしく思いました。
コンロンカ

ところが、ところがです。
FBを眺めていたら、「認知機能を維持する『ノビレチン』で人生100年時代を凛と生きる」という宣伝ページが飛び込んできました。
これは宣伝のページではあるのですが、国立長寿医療研究センターのドクターが、その大部分の解説をしていらっしゃいます。
「認知機能維持に重要な3つの行動」として「運動」「食事」「社会・知的活動」をあげた後で、アルツハイマーマウスを使った実験で「ノビレチン」を投与するとアミロイドβがたまりにくくなるという結果や最近の研究結果までを紹介。
沖縄の高齢者が元気なのは「ノビレチン」を多く含むシークァーサー摂取のためという推論まで記されていました。
名前は「度忘れ」と言われました。私も度忘れ(笑)

「国立」を冠した研究機関に所属していらっしゃるドクターが、まったく違う見解を述べてしまわれるのが「認知症」という巨象なのです。
正しい視点を持って眺めたとき、いくら巨大でもその全体像を見ることはできます。その条件は二つでしょう。
生活実態からではなく、その実態を生み出す脳機能から見る。特に前頭葉に注目する。(マウスには前頭葉がないので、アルツハイマーマウスの実験では、ヒトの前頭葉機能は理解できません)
セルフケアもおぼつかないようなレベルではなく、正常レベルからどのように認知症が始まっていくかを知る。

スエ―デンのカロリンスカ研究所の研究発表を日経サイエンスで見つけて、ちょっとうれしくなったこともついでに報告します。
大規模調査で見えたカギ 生活習慣でリスク低減








コメント

「レビー小体型認知症」って増えてますが。

2018年07月17日 | 二段階方式って?

またまた、保健師さんとの話(0点と1点の間)の続きです。
グループホームに入所した後に、改善がはっきりしてきたお母さんでした。そのお母さんが、たまたま受診したところ、ドクターから
「お母さんの認知症はレビーー小体型です」という「診断」が出てしまった…

「母のことは、二段階方式で勉強した通りの経過が追えました。本当に、脳の使い方で、症状が良くなったり悪くなったりするんですよね。生活習慣病という意味がよくわかりました。
そうなのですが、ドクターから「レビー小体型」と言われてしまうと、気持ちにすごく大きい影響を受けてしまうのです!?
やっぱり、ドクターから診断されるということは大きいです」


私「お医者さんより、はるかに経過も現在の状態もよくよくわかってるんじゃあないですか?
それで説明がつかないとか納得できないことがありますか?」
「言われてみると、中ボケになりかけた昨年6月に受診した時も、『脳の画像には問題がありません。日にちを忘れることなんて誰にでもあります』と言われ、私の焦りは全く理解していただけませんでした。
進んでいく経過が見えるだけに、きちんとした説明を期待するのですが、それは今の医療機関ではやっぱり無理ですね・・・。」


私「認知症の専門であるほど、重症化してしまった人たちを診ることになるでしょう?小ボケや中ボケの人たちは専門医には受診しませんから。大ボケの症状に注目すると小ボケや中ボケの人たちの症状は、全くとるに足らないと思われてしまいます。脳機能という物差しを使えば、通常の老化とは全く別物の機能低下が起きていることはすぐわかりますが」

「今回の『レビー小体』の言葉は、認知症としての症状もかけ離れているので、気持ちとしては全く理解できない状態です!
幻視といっても、2年前に二度あっただけですし」


電話の後、レビー小体型認知症について調べてみました。
中核症状
1。注意、集中力の変動がある。
2。具体的な幻視が繰り返し起きる。
3。パーキンソニズム(パーキンソン症候群)が見られる。
4。レム睡眠時に、睡眠行動の異常が見られる。
バイオマーカー
1。基底核のドーパミン取り込み低下。
2。心筋シンチグラフで取り込み低下。
3。睡眠時ポリグラフで筋活動低下を伴わないレム睡眠。

これだけ並べ立てると、とっても特殊な認知症のようですね。
この中核症状に続く、診断基準を読んで唖然としてしまいました。
Probable DLB(レビー小体型認知症)
①中核症状4項目中2項目が当てはまる。または
②中核症状4項目中1項目。プラスバイオマーカー3項目中1項目以上妥当。
私にとってはバイオマーカーは専門外ですから、①を検討して見ましょう。
1。注意、集中力の変動は前頭葉機能低下の結果ですから、小ボケより症状が重い人にはいつでもおきます。このような場合に一番大切な「どの程度」が基準として示されてない状態で、どうやって1に当てはまると「診断」できるのでしょうね。
2。パーキンソン症候群は、一般の人たちはパーキンソン病とイコールだと思っていますが、無表情や小刻み歩行など小ボケの人たちでも起こす状態をパーキンソン症候群と言うのです。パーキンソン病と確定診断するためにはさらなるステップが必要です。
付け加えると、パーキンソン症候群も大体はパーキンソンと省力して言いますよね。余計誤解を生みます。
この1と2があれば、Probable DLB。日本語で言えば「多分」レビー小体型認知症。
しつこいようですが、この1と2があれば、レビー小体型認知症じゃないかと言っても間違いではない…ということになります。
「そう言われてみると、確か先生のお話には『レビー小体って言っても問題ない』というようなニュアンスがあったような気がします」

つまり、ドクターは病名をつけてあげたかったんだと思いますよ。
勉強すれば、アミロイドベータ説はもう使えないことは知っていらっしゃるかもわかりません。
原因不明のままとされている「アルツハイマー型認知症」というよりは「レビー小体型認知症」といったほうが、きちんと診断を下してあげた感が強くなると思いませんか?
診断を下された方は、今回のように納得できなくても!

ちょっと勉強した方は、幻視やひどい寝ぼけ行動のような華やかな(?)症状が、一般的なレビー小体型認知症の必須条件だと思っていませんでしたか。
それでも頻度やどの程度かが診断には必須のはずです。そこは置いておいても、その二つが二つともなくてもレビー小体型認知症(だろう)と言っても問題はないと知っていましたか?
私は知りませんでした。

付録
Possible DLB(もしかしたらレビー小体型認知症?)の条件
中核症状4項目のうち1項目。または
バイオマーカーだけが1項目以上
これなら、認知症ならなんでもレビー小体型認知症の可能性があるといってもいいことになってしまいます!(初掲載2017.12.17)

コメント

続ー認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?

2018年07月03日 | 二段階方式って?

認知症の進行を助けるのは(助けて欲しいわけではないですが!)聴力低下という話をしました。先日相談を受けた時の話も追加しておきましょう。離れて住んでいて1ヶ月か2ヶ月に一回くらい会いに行っている娘さんからの、お母さん(80代後半)の相談でした。
写真は奈良、丹生川上神社 上社

私は、本人や家族の方がいろいろ訴えて来られる具体的な症状を聞きながら「その症状になるための脳機能の状態」を推理していきます。
今回のケースのように女性の方で「料理をしてもらっていません」と言われると中ボケレベル。脳機能の老化の加速が中ボケレベルになると、味がよくわからなくなるのです。
一番最初におかしくなるのは塩辛さの感受性のようで、家族の方は「とにかく塩辛すぎて食べられたものじゃないんです。どういう訳か本人はパクパク食べちゃうんですけどね」とよく言われます。
味噌の入ってない味噌汁とか、砂糖味がしないアンコとかもあるのですけれど。
青龍

中ボケレベルにまでなってしまっていた、このおばあちゃん。
老化が加速された直接的な原因は、4年程前から膝痛が始まって行動範囲も内容も極端に狭まってしまったことでした。それまでは自転車を乗りこなして、買い物や趣味の会など自由に生活を楽しんでいたのに…
悪いことに近所に住んでいた仲良しの妹さんも入院してしまい、楽しみにしていた姉妹のおしゃべり会やランチ会も難しくなってしまった…
こういう、どこの日常生活でも起きる些細なことから、認知症は始まっていきます
朱雀

家族の方が言われました。
「目が悪くなったことも関係あるかもしれません」
視力低下が認知症になるきっかけだということは、ほとんどありませんからよく話を聞いて見ました。
「一年ほど前なんですが、視力検査をしてビックリしました。ほとんど見えてないんです。0.1だったか、これじゃあ見えなくていろいろ困ったはずだとかわいそうでした。もちろんメガネをすぐ作ってあげたのですけど」
そこで私。「今も困ってるでしょ!せっかく作ったメガネを使ってますか?なくしちゃったんじゃないですか?」
小ボケレベルになっただけでメガネや補聴器をたびたび無くして大騒動はよくあることです。その前に使いこなせないことだってザラですし。
「実はそうなんです。何度も探し出してあげたんですけど、結局は使ってないんです。『これで困らない』っていうからそのままにしてますが、やっぱり悪い影響があったんじゃないかと思ったんです」
白虎

推理が始まります。
高齢者が、近くが見えなくなることは、よくわかります。
遠くが見えない?遠くが見えなくなるような目の病気が起きたのなら納得ですが、眼科受診は済んで眼科的な病気はないことがわかっています。
もう一つ大切なことは、1年前に見えなくなったことをあまり苦にしていないことそのものです。
今は中ボケレベルですから、その時は既に中ボケレベルに近づいていたのでしょう。
日常的な家庭生活にも支障が出る状態ですから、「見えにくい」状態が起きても特に支障はなかったことは容易に想像できます。
玄武

よくよく話を聞いてみたら、ビックリするようなことが明らかになりました。
3年前に白内障の手術を受けていたそうです。
手元に焦点を合わせたのでしょう。そうです。その時点から「遠くが見えない」状態が起きていたのですね。もちろん脳の老化を加速させてしまう影響はあったでしょうが、でもご本人にとっては格別の問題を感じていないというのが、脳機能の老化加速が起きることの怖さです。
また、面白い生活変化や生活実態を教えていただきました。
付録。友人のM笠T子さんが奉納した作品


コメント

認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?

2018年07月01日 | 二段階方式って?

「見えにくい」と「聞こえにくい」は、どちらが認知症に悪い影響を及ぼすと思いますか?
私の臨床体験では、間違いなくその答は「聞こえにくい」です。
(今日の写真は近所の若い友人が育てているパッションフルーツ)

アルツハイマー型認知症は原因不明とされていますね。研究者たちはアミロイドβやタウ蛋白に標的を絞って、その原因究明にしのぎを削っていますが、私たちはもともとある脳の老化(残念!)が加速されたものと考えています。老化が加速されるのは、筋肉などと全く同じで「使わないと機能が落ちる=廃用性機能低下」のためなのです。

ところで、脳の老化が加速されてしまった状態なのですが、それが3年間くらいだと小ボケ、もう少し進んだ状態だと中ボケで、ここまでが回復可能です。多くの場合、6年以上も経ってしまうとセルフケアにも支障が出てくるような大ボケ状態になりますが、大切なことは世間ではこの辺りから、ようやく「認知症」と言われ始めるということです。つまりは手遅れ状態ということですね。
脳の老化が加速されているかどうかを、できるだけ早く見つけることが、認知症を回復させるには必須の条件ということになるのです!

さて、その老化が加速されている状態ですが、そのレベルは脳機能検査に見事に反映されます。つまり脳機能監査をすれば、脳の老化が加速されてきた期間がわかります。
「それまで感じていた生きがいを感じることができなくなって、ナイナイづくしの単調な生活」をしてきた期間と見事に一致するのですよ。ということは「何年か前」に、生活を変えざるを得なかった「きっかけ」があったということになりますね。
「ナイナイ尽くしの単調な生活」というのは、生きがいも趣味もなく、人との付き合いもなく、運動もせず、ひなが一日ただ時間を過ごすような生活です。脳の司令塔である前頭葉をベースに、脳全体の使い方が足りない生活…その先に待つのが脳の廃用性機能低下つまり小ボケ、中ボケ、大ボケへの道。

高齢者がどういうきっかけでナイナイづくしの生活に入っていったのかということを、私は臨床の中でたくさんの方から教えていただきました。
その中で私はまず、人は誰しも、何かの生きがいを感じながら生きていくものだということを学びました。世の中から評価を受けるような種類の生きがいもあるでしょうが、その人にとって「自分が、これがあるから生きていけると思えるだけの生きがい」だって、その人が生きていく原動力になるのだということを、多くの方々のお話を伺う中で改めて思い知らされました。

「きっかけ」の話は、こういう状況の中で聞いていくのです。脳機能のレベルに応じてナイナイづくしの生活が続いた期間が想定できますから、「〇〇年くらい前に生活が大きく変わるような出来事が起きましたよね。あなたが、それまでのあなたらしく生きられなくなってしまうような大変なことや寂しいことなんですよ」
人によっては「状況を判断して決断したり、発想をわかしたり、感動したりする前頭葉の出番がなくなってしまうような生活になってしまったのは、いつからのことですか?それは何がきっかけでしたか」という聞き方もします。
魔法のように、「そう言われると…」と様々なきっかけを語りはじめてくださいます。
「退職して、本当に何もすることがなかった」
「可愛がっていた孫が家を離れてしまった(進学や就職や結婚で)」
「病気や骨折がきっかけで、大事にしすぎた」
「おばあさんが亡くなってからです!」
「相続でゴタゴタが…」
「(自分や先生の体調不良、メンバーが集まらなくなって)趣味が続けられなくなった」などなど

その中で、「見えにくくなったことがきっかけ」と言われたことがありません。
「そういえば、その頃からほんとうに聞こえなくなったみたいなんです。もともと耳は遠くなっていたのですけど」この言葉は何度聞いたことでしょう。
そして特徴があって、一つは90歳間近や90歳を超えているような高齢の方に多かったことと、ほとんどが中ボケレベルであったことです。
小ボケレベルの方々は、自分の脳の働き方が以前とは違うという自覚がありますから、きっかけも自分で明らかにできます。
中ボケレベルになると、自覚がなくなって家庭生活にトラブルが出始めるので、家族は服薬や着衣や家事などの見守りが必須になってきます。もちろんその時には、本人にきっかけを説明できる能力がありませんから、家族から聞き取っていくことになります。

この項を書くにあたって、ちょっと考えてみました。
脳の老化加速に、なぜ視力障害がかかわらず、聴力障害がかかわるのでしょうか?
まず気が付くことは、見ることはやり直しがきく。見えないと自覚したり指摘されたら、何度でも見ることができます。眼鏡をかけたり近づいてみたり。
聞くことは過ぎてしまえば何も残らない。聞こえなければ、その刺激はなかったことと同じです。見えない時には、見えないことを自分で自覚できますが、聞こえない時には聞こえないことがわかりません。目に入らないところからの声かけには気づきません。
よく聞こえないので、適当に相槌を打ったりトンチンカンな受け答えをしたりしてしまいます。
聴力障害の程度が軽いと、聞こえないので聞き返しますよね?でもそれが度重なると聞き返すにもエネルギーがいるし、答える方の面倒さにも配慮できるレベルだと、聞き返すことをためらい出す。そのうちに、聞こえないことにしておく簡便さを選択する。人と対面していても、コミュニケーションをとることが面倒になる。結局一人で生活していることと同じ状態…
それでも、自分で満足できる生きがいを持っている人は?
そうです、脳は生きがいさえ感じることができれば老化を加速させないのですけど。コミュニケーションが取れない状態だと、なかなか難しいのです。

コメント

老後の時間

2018年04月27日 | 二段階方式って?

小・中・高校と同窓だった美代子さんが誘ってくれたので、茨城県の彼女の家まで飛んで行きました。
あれこれと思い出話に花が咲き、古いアルバムを持ち出してくれて二人で記憶を補い合って、本当にかけがえのない豊かな時を過ごしました。
「あの時代に、お誕生会をしてたのよ。あなたのうち」
「そうそう、父が写真が趣味だったから、毎回写真撮ってくれたけど、結構みんな緊張してねえ。ピースなんかしなかったよね」
「あの、ボッと焚くのなんて言ったっけ?ストロボ?それからフラッシュになったのよね」
前列左端が美代子さん。後列左から2人目が私。

考えてみれば、父は趣味の写真にはけっこう没頭していたように思います。小さな現像室もあったし、写真を乾かすのを手伝っていた記憶もあります。何よりカラー写真がまだ出回ってない頃に、マゼンタとかシアンとか言いながら上皿天秤を使ってmg単位で薬を量っていましたから。60年以上も前の話です!

1時間半もかけて念願だったひたち海浜公園へ連れて行ってくれました(4/19)
Mr.Y原 ほんとうにありがとうございました。
ラッキーなことに晴天に恵まれ、さらに当日のネモフィラは今年のベストタイミングだったようです。話は変わります。

またまた昔話。今度は30年くらい前になります。脳外科による「脳精密検査外来」と名付けられた、ボケ外来(当時は「ボケ」でした)で、患者さんの脳機能を測定し、生活歴をきいたり、生活改善指導をすることが私の仕事でした。
担当医が精神科医でないということと、脳外科医がボケを診ることそのものが全国的に皆無だったことで、患者さんは全国各地から来院されました。年間2000人以上という大繁盛の外来でした。
もう一つ特徴的だったことは、いわゆる徘徊、不潔行為、暴言・暴力等がなく、生活面でも全面介助は必要がないレベルの方たちが多く来院されたことでしょう。

当時「ボケは治らない」と言われていました。だから介護保険へという流れが生まれたのですけれども。
ボケの専門医と言われた方々は、皆さん精神科。当時は精神科に受診することそのものに大きな決断が必要で、結果的には重症化してしまって初めて受診する→専門医は重症のボケしか出会えない→(重症化してしまった)ボケは治らない。OMG!(Oh My Got=なんということ)

ボケのごく軽い症状を訴えてくる人たちを、脳外科ならお手のものの様々な器質検査を駆使して調べます。CT やMRI、少し遅れましたがPETまで使ったのです。
そして結論。
「ボケは、脳の器質的な変化が原因ではない」
全国各地から、重症化する前の軽いボケの人たちがたくさん受診されました。その外来の仕事をしているうちに「仕事一筋。趣味・遊びを楽しまない、というよりも意味を認めずむしろバカにしている」タイプの生き方をしている人たちが、仕事を辞めてからボケていく・・・と気づいたのです。
とにかく「趣味なく、生きがいなく、交遊もなく、運動もしない」ナイナイ尽くしの人たちばかりがボケていっている圧倒的な事実!
(この考え方は原則的には正しいのですが、理解が表層的だったということが今なら言えます。一番大切な前頭葉機能の理解が足りませんでした)

そこで、講演の時に強調しました。
「左脳重視の社会を見直しませんか?左脳の能力はデジタルだから測りやすい。主要5科目と言われる教科は点数がすぐ出ます。確かに進学や就職などに有利だということは言えるかもしれません。
でも、ボケ外来で働いてみて、仕事一筋で頑張ってきた人たちの定年後の寂しさや悲しさ・・・仕事がなくなったら、いくら強がって何と言い訳しても、することがないのです。左脳中心で生きてそれが持つのは定年まで。20歳で社会に出て60歳で定年として40年。そこから20年以上の時間があります。(今なら、65歳まで現役。そしてそれから25年でしょう。このあたりにも年月を感じますね)
どんな仕事人間、会社人間と言われる人でも、一日24時間すべてを会社のために使いはしません。でも退職後は24時間すべてを自分で裁量して使って生きていくのです。その時右脳を使うことを知らなかったら、趣味も遊びも交遊も楽しむことができない。そしてボケて行ってしまう。
万一「退職したら遊ぶ」と決めていても、それまでに楽しさを体験しておかなくては踏み込んでいくことなんかできません。右脳を豊かにするには、体験するタイミングが大切で、左脳よりはるかに早く教育の可能性が閉じてしまうのです」

高齢の方たちにこの話はそんなにピッタリくるわけではありませんが、考えてみたら、PTAや婦人会などでも講演していたのです。

当時と比べたら、少しはましかなと思うこともあります。左脳中心の教育ではこの社会を乗り切れないという考えは少しずつ浸透してきているようですね。
先日、目にした文章です。
毎日の、家事と睡眠を除いた自由時間は14時間。
65歳から80歳で約77,000時間。
1日8時間で38年勤務と同じ。
小学校から大学までの標準授業時間12,000時間の6倍以上。
それで導き出された結論は「だから、何でもできる

一言付け加えさせてください。
「意欲さえあれば!意欲の座は前頭葉にあるのですから、豊かな前頭葉を育てましょう」
そしてもう一言。
「老後の宝は、何といってもお友だち。一緒にその時間を楽しめる友を持っていることは、そのままボケ予防につながります」

 

 

コメント

NHKあさイチを見てー「若年性認知症」って何ですか?!

2018年03月12日 | 二段階方式って?

朝マーマレードを作っていたら、友人からラインが二通「NHKのあさイチ見て」。
気づくのが遅れて見始めたのは8:33だったので、「何の症状で『認知症』と診断された」のかはわかりませんでした。
私が見た後からでは確定的には言えませんでしたが、多分「側頭葉性健忘」だと思われました。

NHKがこういう状態の人たちを「若年性認知症」と報道することについて大きな疑問が湧き上がります。実はたびたび特集が組まれてもいるのです…

以前書いたブログを紹介します。これが私がこの番組を見た感想です。

若年性認知症の定義をはっきりさせましょう
(一月前に書きました。このときもNHK番組を見ての感想でした)

若年性認知症の定義を調べて、ビックリポン!

世界アルツハイマー大会 (この後半部分)

 

 

コメント

東日本大震災―高齢者を認知症から守る(1)

2018年03月11日 | 二段階方式って?

あの日から7年。
あの日に岩手県にいて、大震災を経験したものとして、もう一度お話ししておきたいと思いました。2011年3月20日に書いたブログです。

私は、3月10日から、岩手県に行っていました。11日の地震発生時には、岩手県藤沢町(一関市と宮城県気仙沼市の中間)で講演をしていました。

震度7と後から聞きましたが、地盤のせいか建物のせいかしゃがみこむこともなく、実際、壁にかかっている表彰額も一枚も落ちることはありませんでした。
こんな大災害とも思わず、ただ交通遮断になりましたから、そのまま一関市の小野寺保健師さんのお宅で生活をさせていただきました。ラジオの情報は聞いていたのですが、16日夜になって初めてテレビを見て、その惨状に声もなく涙が流れるばかりでした。(その後、奥州市の知人の暖かいお心づかいで、18日に花巻空港から帰宅することができました)

この避難生活に関しても報告したいことや感謝したいことは山のようにありますが、今日は、エイジングライフ研究所の原点に立ち返って認知症の発症やその予防について話したいと思います。

認知症の発症という観点からみると、今避難所にいる高齢者の方だけでなく、ご自宅にいらっしゃる方でも、大変危ない状況だと考えざるをえません。
エイジングライフ研究所は、脳機能という物差しを持って認知症を見ていきます。
通常は、症状(どんなことを言うか。どんなことをするか)から認知症を考えるのです。セルフケアに支障を起こす、徘徊、夜中に騒ぐ、粗暴行為、異食など余程困ったことをしでかさないと認知症と思われていません。
普通の高齢者が、昨日までまったく正常で、ある日突然このような状態になるでしょうか?認知症は徐々に進行するものなのです。

Sikumi
まずは脳の機能を説明しましょう。 
右脳、左脳については皆さんもよくわかっていらっしゃるでしょう。
簡単に言うと左脳は「言えばわかる」脳です。
右脳は「言葉ではうまく言えないけど、でもわかっている」時活動しています。
昔の人は「よく遊び、よく学べ」と言いましたが、遊ぶ時に効率よく働くのが右脳。学ぶ時に効率がいいのが左脳といってもいいでしょう。

わかりにくいのが前頭葉のはたらきです。
脳全体の司令塔の役割を担っています。前頭葉がその状況判断で右脳、左脳を上手にその人らしく使いながら生きていくのです。
「よく遊び、よく学べ」が右脳、左脳の説明なら、「十人十色」が前頭葉の説明に相当します。

Photo_3

生きていくということは、自分らしく三頭建馬車を動かし続けるということです。
その時、それぞれの馬の元気さも大切ですが、その馬を上手に使いこなすことができる御者(前頭葉)の働きがなくては、馬車は上手に走ることができません。

前頭葉機能は広範囲にわたりますが、その中の注意集中分配力は、18歳でピークを迎え20歳代はそれを維持し、その後は加齢とともに直線的に低下していきます。年齢とともに能力低下を起こしても、それは必然であって認知症ではありません。

老化が加速していくときに、認知症への道に入ったということなのです。

Photo 



老化が加速されていくときには、まず前頭葉の老化が加速され、その後脳の後半領域の機能低下も順々に起きてきます。
そのレベルによって、認知症は三段階にわけることができます。回復が極めて困難な大ボケに至るまでには、最初のきっかけから6年以上もかかります。

  小ボケ:家庭生活は問題ないが社会生活がこなせない。
       世話役ができない。趣味をやめてしまう。無表情。
       「指示待ち人」
  中ボケ:家庭生活に支障が出てくる。
       話していることを聞けば、変わりないが
       やることは幼稚園児のようになる。
       「言い訳のうまい幼稚園児}
  大ボケ:セルフケアにも問題が出てくる。
       通常はここからをボケと思っている。
       「脳の寝たきり」
       「」
内は家族による、生活状態の一言表現。

以下、きっかけの説明はその2へ

コメント

東日本大震災―高齢者を認知症から守る(2)

2018年03月11日 | 二段階方式って?

Photo_9

上のグラフの星マーク「人生の大きな出来ごと。生活の大きな変化」の説明です。
重要なことは、そのことが起きたらだれでも老化が加速するのではないということです。そのことが起きて、その変化に適応できず、閉じこもったり何もしなくなったりしたら、いいかえるとそのことをきっかけにして三頭建の馬車が止まってしまったら老化が加速していくということなのです。その状況変化が御者の意欲をなくし、指令を出すことをやめてしまうときが認知症への第一歩なのです。
 
仕事一筋の人の定年退職。

息子に代を譲ったおじいさん。

嫁が来て、しゃもじを渡したおばあさん。

孫が手離れた祖父母。などなど

繰り返しますが、「そのことが起きたら」ではありません。
「その後の生活が新しく描けなくて何もしない状態になったら」前頭葉は出番を失って老化を加速していくのです。

 
「高齢者が、病気やケガで安静にしていたら、ボケてしまう」ということは世間の常識です。

「20代の若者が長期安静にしたらボケるでしょうか?」
講演でこの質問をすると皆さんは笑って
「そんなことはない」と言われます。
このことは皆さんが脳の老化曲線を承知しているということではないでしょうか。
入院した高齢者が全部ボケるわけではありません。
ボケる人は、安静にして 何もしない!
ボケない人は、リハビリに励んだり、回復するにつれて人の世話をしたり、手芸などの趣味を楽しんだりしています。

このきっかけの説明をよく理解していただきたいと思います。
左下から反時計回りです。

左下。
脳は「使ってナンボ」という正直者です。
三世代同居をしていても、孫は勉強、塾と忙しく、子どもは仕事に追われている。その結果、起きる時間も別なら食事も別。当然会話もない。一人でテレビで時間を過ごすしかない。

このような生活は、脳から見れば「ひとり暮らし」以外の何物でもありません。
楽しみや刺激の少ない生活は、前頭葉の力を発揮する場がありませんから老化を早めます。

右下。
家庭内に種々のトラブルが発生し、「何もしてやれない」とか「この先どうなることか」とか「世間さまに顔向けできない」などという状況になった時、
「お手上げ」と前頭葉が判断してしまうと、頭の中はそのことで覆われて、将来の展望も楽しみも何もキャッチすることができなくなります。

子どもの離婚騒動、サラ金、リストラ。孫の病気、非行、不登校などの心配事が相当しますが、今回の大惨事こそこの状態の最たるものといえるのではないでしょうか。

最後に右上。
「別れ」を意味しています。
これは親しい人との死別を筆頭に、友人や孫との生き別れもあります。ペットとの別れもありますし、趣味のサークルに参加できなくなるというような別れもあります。
身体の不調も「別れ」と位置付けてもいいかもしれません。
環境の急激な変化そのものも、前の環境を失ったと考えればやはり「別れ」でしょう。

「あの人がいれば、あれもできるし、これもしたい。でもあの人がいないから・・・」
「元気なら、もっと見えれば、もっと聞こえたら、何でもできるけど、思ったようにできないから、あれもできない。これもできない」
「この環境でなければ、できることがあるのに」

そう思ってしまうことは私たちには十分に理解できます。
でも、この先には
「あれもしたくない。これもしたくない」という意欲低下が待っています。

意欲は前頭葉の働きですが、前頭葉がその力を発揮する必要条件とでもいえるもので、意欲なくしては、司令塔としての前頭葉機能(状況の判断、決断、指令)は発揮できません。そうすると三頭建の馬車も止まってしまうのです。

その別れを乗り超えられずに、閉じ込もり、目標も楽しみも何も見つからない生活が続く時、馬車は留まったまま、御者も馬も動くことなく時間だけが流れていく・・・脳は老化をどんどん加速していきます。
最も危ない状況です。
今、テレビの画面で拝見する高齢者の皆さんの胸中を思う時、まさにこの喪失感のただなかにいらっしゃるだろうと思うのです。

最初は、状況の理解そのものもあまりにも受け入れ難く、現実のものとしてとらえられなかった可能性すらあります。
でも、落ち着いてくれば来るほど、そして高齢であればなおさら、事の重大さや失ったものの大きさに打ちひしがれてしまうでしょう。将来に対する展望が描けないことを責める気持ちはありません。多分私だって・・・

でも。とあえて言わせていただきます。
こんなに過酷な運命に翻弄されたのに、その先にまたボケという悲しい状況を迎えさせるわけにはいきません。
どうにか、それぞれの皆さんの馬車が再び動き始めることができるように、心を配っていかなければいけないと思うのです。

どのようにして、馬車を動かすことができるのか?その3としてまとめます。

コメント

東日本大震災―高齢者を認知症から守る(3)

2018年03月11日 | 二段階方式って?

Photo_4


私たちの三頭建の馬車の仕組みは 仕事勉強の左脳、身体を動かす運動脳、そして趣味や遊びの右脳の三種類の仕事に特化された馬たちと、それを上手に操る御者役の前頭葉から成り立っています。

いつの時でも、三頭の馬が働いて馬車が動いている時には前頭葉は全体を見守っています。
それ以前に、動き始める時もまず前頭葉が状況を判断して一鞭をふるうところから始まるのです。
このことはとても大切なことですから、よく覚えておいてください。

「馬車が動き始める時と動いている時には、御者は必ず働いている」
「何かをやろうと思う時と、やり始める時と、やっている時には前頭葉は必ず動いている」と言い換えられます。

脳の老化が加速されるのは、前頭葉が出番をなくして、何もしなくなるところから始まります。まず置かれている状況を判断しなくなる。意欲がなくなる。周りに関心が持てなくなる。
前頭葉がその状態になると、馬車を動かす三頭の馬たちはいくら元気であってもその力を発揮できない状態(小ボケ)が続き、次第に三頭の馬自体も力を落としていきます(中ボケ)。
最終段階が御者も馬も倒れてしまった状態(大ボケ)と考えるとわかりやすいかと思います。

Sikumi_3 
エイジングライフ研究所は、脳の老化が早まった場合には「脳のリハビリ」ということで、脳の元気を取り戻す指導をします。その柱は二つあります。
 ①一日一時間の散歩を。
 ②右脳を使って楽しむ時間を。

散歩
「ボケ予防のために歩いています」という方は多いですが、理由として
「歩いたら、歩く刺激が脳に行くでしょ?」と思っていることがほとんどのようです。もちろん外に出て歩けば、自然に触れ、景色や花を楽しみ、風や日差しを感じたりして五感を通じてその刺激が脳に入ることは間違いありません。
でもこれは本末転倒の考えです。

「歩く」時には、脳の運動領域が身体に対して命令を出し続けなくては歩けないのです。脳卒中で脳の運動領域に損傷を受けた人は歩けません。
一時間歩いていると脳の運動領域は一時間働いています。もちろん前頭葉もです!自覚がなくても歩くことは、間違いなく広範囲の運動領域が働くことですから、皆さんが考えるよりも脳を使うという効果がありますが。

「歩く」時には、運動領域の多くの部分が活性化されます。でも足腰に痛みのある方は、椅子に座って上半身だけの運動でもいいのです。

効果的なのは「体を動かすことで、脳を動かすことになる。そうすればボケない」という自覚です。自覚を持てば持つほど御者はその行程を大切に思って、意識的に状況の変化をキャッチしようとするとは思いませんか?
誰かに言われた結果であっても、体を動かしている時には脳が働いているのです。でも、自分で、というのは御者である前頭葉が目的をはっきり持って、「こんな時だからこそ、体のためだけではなくて、脳を動かしてボケないようにしよう」と考えると、自分の体調や周りの様子にも気を配りながら運動を始め、そして続けることになりますね。その時前頭葉が目覚めています。

そこまで考えられないのが現状でしょう。だれかが音頭をとって、避難所の高齢の方たちの運動を促す時間が実現できたらいいのです。そうしておくと、習慣化することにもつながりますし、自宅に帰られても、あるいは仮設住宅に移られても、ボケ予防としての運動の大切さを訴えやすくなります。

右脳
Migi 

その1で説明したように、右脳でよく遊び、左脳でよく学ぶのです。
仕事や勉強は「やらねばならない」もので、趣味や遊びは「楽しくてもっとやりたい」ものですね。
形、色、音楽など右脳を使う場面からは、もっとやりたいというレベルの意欲がわいてきます。
元気をなくしている脳にとっては、右脳刺激の方が適切な理由です。

避難所のテレビ報道で、中学生の合唱に涙する方々を見ました。こういう時だからこそ、より強く胸に訴えてくるのでしょう・・・

そういうことはできても、上表にあげたような一般的な右脳刺激は皆さんのお気持ちを思うととても無理だとわかっています。

でも、どんな厳しい状況の時だって右脳は使えます。それは感情を行き来させるという状況を作ることです。人とのコミュニケーションを図る時、私たちはまず「言葉を使って」と思います。でも言葉だけでは人とのコミュニケーションは成立しません。
自販機の「ありがとうございました」はコミュニケーションでしょうか?
言葉の内容以上に、相手の表情、身振り、声の調子、高低、強弱・・・
そのような情報をもとに私たちはより深く相手の心情を知ることができますし、自分の気持ちも伝えることができます。
言葉以外のすべての情報は、右脳と前頭葉の連係プレイの下でやり取りされます。この時間は、脳の機能としては高次元で、とても脳はイキイキと活動しています。

言葉を発することなく、手を握り合っても、抱き合ってもわかりあえるのが私たちです。テレビ報道で、涙で言葉にならない方を見ながら私たちも涙を流しました。ともすればあふれそうになる涙をこらえながら言葉少なに語る人にも、涙しました。言葉の奥に隠されたその方の心情を私たちは感じることができます。

悲しい時間ですが、私たちの馬車はそんな時しっかりと進んでいるのですよ。

一人でポツンと過ごすことのできない避難所だからこそ、悲しみを訴え、気持ちを労りあい、共に涙を流していいと思います。
そして次の段階が来た時には、皆で声を掛け合い、必ず前を見て自分の馬車を自分らしく動かそうと思っていただきたいと思います。
今後、高齢者が住むことになる仮設住宅や施設も用意されていくことでしょうが、人は体があって生きていればいいというものではありません。その人らしく生き抜いていっていただくためには、その人の覚悟が要ります。

本当に前を向くことが難しい状況だと承知の上で、ボケないためになお前を見て生きていっていただきたいと切に願います。

亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、残された方々に笑顔が浮かぶ日が来ることを信じて、今回のブログは書かせていただきました。

コメント

「ペコロス」シリーズを読んで

2018年03月03日 | 二段階方式って?

友人からのプレゼントが届きました。

認知症の母の介護をしている漫画家の描いた、この漫画は雑誌に連載されているときから、話題になっていましたよね。重いテーマをかわいい「絵」と、どことなくユーモラスな長崎弁が救って。
私はとびとびに読んでいました。本になったものを手に取ると、装丁もかわいいしサイズも工夫されていて読みやすい。これだけまとまると「絵」のかわいさ・暖かさがより迫ってきます。
じゃあ、ウィキペディアの解説です。
「ゆういち(愛称ペコロス)は62歳の漫画家。89歳の母みつえが振り込め詐欺にひっかかりそうになり、死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、子どもの世話をして轢かれそうになったり、古い下着を大量に貯めていたり、認知症の症状を見せはじめる。ケアマネージャーの勧めでグループホームに入居させる。面会に来た息子が分からず、薄い髪を見てようやく息子を思い出すみつえ。夫が亡くなったことを忘れ、見えない夫と話すみつえ。原爆に奪われた幼い妹の幻を見て、妹をあやすみつえ。少しずつ認知症の症状が進み、少女に戻り無邪気な様子を見せるみつえ。そんな母を優しく見守りながら、過ぎ去った日々に思いを馳せる。10人兄弟の長女で、畑仕事でボロボロになった弟や妹たちの服を「ふせ」(あて布)するのがみつえの日常だった。みつえはさとるや幼なじみのちえこ、8歳で亡くなった妹のたかよが会いに来たとゆういちに語る。「死んだ父ちゃんに会えるのなら、ボケるのも悪いことばかりじゃないね」と思うゆういちとみつえの日々は、思い出と現実が交錯しながら淡々と過ぎていく。」
抒情的な作品です。映画「この世界の片隅に」に共通するようなものが迫ってきました。
「沈黙ーサイレンスー」と「この世界の片隅で」
すぐそばで営まれている普通の世界を、目の前に展開させてくれる。こういうこともあるでしょう…そういうこともあるでしょう…と。

作者は、認知症の母の「現在」と「過去」を重ね合わせることで、母が生きてきた人生を深く知ろうとしているように思いました。
重度の認知症ですから、種々大変な言動があるのですが、そこを作者はペーソスあふれるユーモアをベースにしながら、自分が納得できる解釈を加えて表現していきます。
母の「現在」と「過去」を重ねることは、そのまま自分の「現在」と「過去」を重ねることでもあります。ここから作者の独特の死生観や宗教観が立ち上ってきます。
ところで私は北九州生まれです。長崎弁とはかなり違うのですが、不思議なほど長崎弁がわかるのです。脚注はほとんど不要でした。より強く作者の意図した世界に入り込みやすかったと思います。
読後は、独特のやさしさに包まれてなんだかやさしくなるような。
ただ「おもろうて やがて悲しき~」という気持ちになる人もたくさんいると思います。だって息子である自分のことがわからない母にどんな思いで会えばいいのでしょうか?
今日はお雛様

ユーモラスで感動的なだけではなく、介護の困難を感じさせる作品でもある」という書評を見つけました。
私も、どうしても言っておきたいことがあります。それは「認知症」そのものの理解をしてほしいということです。
ある日突然ボケることはないのです!
もともと脳も体と同じように老化のカーブを持っています、その老化が脳を使わない生活(詳説1)で加速されるにつれて、次第に症状が重くなっていきます。高齢者が、何らかの生活上の変化をきっかけにして「生きがいも趣味も交遊も楽しまず、運動もしない」ナイナイづくしの生活を継続することで、小ボケ、中ボケそして最後に大ボケになるのです。改善が見込めるのは中ボケまで!(詳説2)ところが世の中は大ボケになって「認知症になった」というのですから、手遅れで見つかるのも仕方ないのですが。
「どんな症状」が認知症の始まりかということがわかっていないということも、問題ですね。このブログのカテゴリー「正常からの認知症への移り変わり」にはたくさん書いてあります。
ただし、軽い症状ほど正常老化との区別が必要で、そこでの必要条件は脳機能検査です。

先ほどのウイキペディアに上がっている症状を、エイジングライフ研究所の認知症重症度で分けてみましょうか。推定される脳機能のレベルで分類するとこうなります。
振り込め詐欺にひっかかりそうになり、小ボケでも起こりうる
死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、大ボケ
子どもの世話をして轢かれそうになったり、本の中で見つからず状況不明
古い下着を大量に貯めていたり、中ボケでも起こりうる
面会に来た息子が分からず、大ボケ
薄い髪を見てようやく息子を思い出す、大ボケ
夫が亡くなったことを忘れ、大ボケ
見えない夫と話す、大ボケ
原爆に奪われた幼い妹の幻を見て、妹をあやす、大ボケ 
この本では何度も「父が亡くなった年から認知症の症状が出てきた」と繰り返されていますが、あげられているその症状はすでにほとんどが大ボケのものです。そしてもうひとつ「徐々に進んでいった」ということも繰り返されています。大ボケだって軽いものから最重度のものまであるのですから当然です。
我が家の河津桜

生活歴をはっきりさせてみましょう。
父70歳、母66歳の時に、40歳の作者は一人息子とともにふるさと長崎に帰り同居が始まります。
父が胃潰瘍からの大量下血を起こした時に、
母はその対応が十分にできなかったとありました。まず死んだと思い叫ぶ、救急車到着まで父の世話はすべて作者、その最中に「痔が治っている」という。このような行動は前頭葉の状況判断が十分にできていないことから起きてきます。ということは「すでに小ボケになっていた」ということなのですよ。
そしてその後、病床にいた期間は不明ですが(実際に亡くなったのはだいぶ後としか書かれていません)父は80歳で没。母は76歳。だから父が亡くなった時に、母は小ボケよりも進行した状態、その期間によっては中ボケの下限か、既に大ボケになっていても何もおかしくないのです。
「父が亡くなった年から認知症の症状が出てきた」のではなく、先行すること数年間の経過があったのです。ここで「出てきた」とされる「認知症の症状」はエイジングライフ研究所が言うところの「大ボケの症状」です。改善が見込めるのは、その前までですから…ほんとに残念です。

いちばん注意しなくてはいけなかったのは、父の胃潰瘍事件に先行する2~3年前に、大きく生活が変わるような生活上の変化があった(詳説3)はずなのです。その時、少しでももともとの生活に、できれば変化のある楽しい生活(脳をイキイキと使う生活)にハンドルを切らなくてはいけなかった。せっかく同居していたのに…と、作者からは、母に対する細やかな愛情や包容力が感じらるだけに、ほんとに残念です。
そのハンドルを切る手助けをすることと、自分すらわからなくなっている母に面会に行く努力(「努力」なくして面会に行くことはできなかったと思います)は、どちらが意義があるでしょうか?どちらが母子の喜びにつながるでしょうか?
でも、このような考え方を知らなかったのですから、仕方ないのですけれど。

認知症の早期発見は、個人的な尊厳重視やしあわせ追及の問題であると同時に国家的な問題だとも思っています。
重度認知症の高齢者の世話をするためには、莫大な費用が掛かるからです。経済的な話をすると、感覚的には拒否したくなることを承知で書いておきますが、重度認知症高齢者にかかる費用は500万円とも600万円とも言われます。1年間に必要な金額です。高齢者にかかる費用が15兆円!という声も聞かれています。
中でも大きいのが認知症にかかる介護費用なのですが、ところが突然、重度認知症にはなりません。さかのぼれば、中ボケの時期もあれば小ボケの時期もあります。そして最も大切なのは「正常」な時があるということです。認知症は正常高齢者がだんだんに機能低下をおこしていくものだからです。
早いほど、予防効果は大きいし、大ボケになっていなければ治すこともできるのです。(今日の話は、原因不明とされているアルツハイマー型認知症の話でした)

詳説1 脳を使わない生活:脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の出番が極端に少なくなるような日々の暮らし方が維持されることにより、廃用性の機能低下が進行していくことで次第に症状が重くなっていく。
詳説2脳のリハビリ:「前頭葉」の出番が多くなるような脳の使い方としての生活習慣の実践によって、「小ボケ」及び「中ボケ」まででであれば、改善が期待できる(認知症の症状が治る)のです。
詳説3 生活上の変化:「何か」の出来事の発生ををキッカケとして、本人が意欲を喪失してしまい、ナイナイ尽くしの生活が始まることになったその出来事。

コメント

ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html