脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

皇居東御苑ー続々

2009年09月29日 | 私の右脳ライフ

東御苑は、歯科待合室の雑誌の記事に触発されて急遽行ったわけですが、本来この日は、230万個のレンガを使って忠実に復元された三菱1号館の見学を考えていたのです。9月3日に公開されたばかりです!
東御苑で2時間も散歩したので、ちょっとどうしようかと思ったのですが、やっぱり行きました。

Mk_map

左から1/3あたりの線上の、下から1/8 くらいのところに馬場先門の交差点があります。国道1号線のマークの下。
その角に、戦後GHQが入った安田生命ビルがあって、そのもう一角線路寄り、数字の「2」のところが、三菱1号館でした。
ここから、日本のビジネスセンターたる「丸の内」が始まったのです。
歴史的なことに関心がある方は三菱1号館の「三菱1号館について」をお読みください

三菱の歴史も、日本の歴史も復習することになりましたが、それはさておき、興味深いものに出会いました。
Image_2三菱財閥のコレクションは「静嘉堂文庫」と言われますが、国宝を始め素晴らしいものがたくさんあることで有名です。
その品々をデジタルで堪能できるようになっていました。
わかりやすく伝えようという工夫が随所にありました。

デジタルでは…という気持ちはわかりますが、美術館に足を運んでも人がたくさんでゆっくり眺められないとか、何しろ距離が遠いとか考えると、この試みは、芸術品を私蔵しないという意味で評価に値すると思いました。

関心が深まったら、静嘉堂文庫に足を運んだらいいんですものね。

変化を求めると思いがけないものに出会うことがよくあります。
こういう姿勢は、大切だと思います。
といっても「外出」だけを意味しているのではなく、簡単にいえば「それなあに?精神を持ち続けましょう」ということでしょうか。「興味を持つ」というのは、言わずと知れた前頭葉機能ですから。
この働きは、たとえ体の自由がきかなくても発揮できるものですよ。

赤レンガの1号館2009_0924_145600p1000146            おしゃれな中庭1    2009_0924_152600p1000147                        

おしゃれな中庭2           安田生命ビル2009_0924_145400p1000144 2009_0924_153400p1000148

付録がありました。
三菱1号館に到着する前に、安田生命ビルがあったのですが、ゆっくり眺めたのは初めて。
石造りの格調高いビルでこれもまた素晴らしか2009_0924_145400p1000145_2ったです。

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皇居東御苑ー続

2009年09月28日 | 私の右脳ライフ

東御苑の地図です。Image

大手門→三の丸尚蔵館→百人番所→松之大廊下跡→天主閣跡→二の丸庭園 →上図で「皇居東御苑」右あたりの武蔵野雑木林→大手門
が散策コースでした。2時間くらいかけてゆっくり回りました。

へたくそな写真を続けますがご容赦を。何しろ携帯です・・・
ミズヒキソウ2009_0924_141000p1000125               オミナエシ2009_0924_142000p1000133

キキョウ2009_0924_142100p1000134           ナデシコ2009_0924_142200p1000136_2 2009_0924_135700p1000117

ウメモドキ2009_0924_142000p1000131                  ヒガンバナも2009_0919_122200p1000081

出会った動物たち2009_0924_143300p1000138 2009_0924_141700p1000130

お濠で見つけたコイとカメ!2009_0924_143500p1000141

ブログを書いていて思いました。
ブログに書こうと思うと、読んでくださる方のためによく見る、写真も(下手でも)撮る。
前回今回と地図を入れていますが、これがなかなかの難物で、大変苦労しました。普通のグーグルマップのような地図は「ペイント」を使って「画像の保存」ができないのです。
試行錯誤の結果、プリントアウトできる地図を探してプリントをし、それをスキャンして読み込むという手段を見つけました。嬉しかったですよ。

こういうことのすべては、私の喜び。
最近では脳トレとか脳活性化という言葉が飛び交っていますが、「自分の脳を生き生きと使う方法」というのは、ほかならぬ自分が見つけなくてはいけないものですね。


皇居東御苑

2009年09月27日 | 私の右脳ライフ

実は今、息子の強い勧めで、日本橋丸善の裏のビルにある歯医者さんまで毎週治療に通っています。
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病院は東京駅の右側、タカシマヤの斜め上「歯科」と書いてあるところです。
待合室の雑誌に、「皇居東御苑の雑木林に秋の七草が咲いている」と書いてあったので、急きょ寄ってみることにしました。抜けるような青空のもと都心にこんな一角があったのかと感動しましたのでおすそわけです。

大手門2009_0924_131000p1000097 2009_0924_133600p1000100

すぐのところにヒガンバナが2009_0924_133900p1000102 。            お茶の花2009_0924_134600p1000107        

イザヨイバラ2009_0924_135000p1000111                     ハナマスの実2009_0924_134800p1000108

タイワンホトトギス2009_0924_135600p1000116          県の木コーナー静岡県2009_0924_141300p1000127 

天守台から日本武道館2009_0924_140200p1000122         天主台から大手町方面 2009_0924_140300p1000123  

天主台の下にある桃華楽堂 2009_0924_135900p1000119

八角形の外壁には、タイルで優雅な文様が表現されており、解説を読みながら改めてきれいだなあと見直しました。
ここを曲がったところから、雅楽の演奏(の練習)が聞こえ、ちょっと得をした気分にもなりました。
女性が目立ちましたが、外国の人や背広姿のサラリーマンまでたくさんの人たちが都心の秋を満喫していました。(この項続く)


続ー白内障手術その後、高齢期をどう生きるか?

2009年09月19日 | 前頭葉の働き

前回のブログは、ちょっと舌足らずだったので追加です。
中伊豆ワイナリー2009_0916_125100p1000075_2

「歳をとることによって、能力低下は避けえない」という厳然たる事実があります。
それは自分が歳をとってきて、これ以上ない実感として理解できます。友人たちとも、それぞれの低下のエピソードを感動的に語ったりします。

多分、これからもさらにその能力低下はヒタヒタと押し寄せてくることでしょう。2009_0916_125100p1000076

その時二つの姿勢がどうしても必要だと思うのです。

一つは「その能力低下にどう立ち向かうのか」
治療はないのか?工夫はないのか?メガネ・補聴器・装具など低下をサポートする道具はないのか?etc

そのような種々の行動をとりながらも、同時に「能力低下を年齢相応自然なものとして受け入れる」という姿勢も必要でしょう。
前回のブログでは
「積極性はもちろん大切なことですが、それとともに現在の自分を受容してやれるのは、まさに自分しかないということにも気づく必要があります。」と書きました。

今回の私の白内障事件では、
視力低下が起こる。
なぜなのかを病院でチェックしてもらう。
白内障という原因がわかり、手術・経過観察の両方の選択肢があることが判明する。
本や、ネットや、人の話などを参考にして早々と手術を決める。ここまでが第一段階の姿勢です。2009_0916_124900p1000074
さてその次の段階。
第一段階を経て到達した状態が、よほどの不都合があるなら、もう一度やり直し。それでも種々の方策をとってみたけど能力低下がカバーしきれないことも多々あるでしょう。

いずれにしても、どこかで「これでよし」として普通の生活に戻っていく覚悟がいると思うのです。
考えてみれば、今回の白内障のようにはっきりと原因が決められない症状ならば、対処方法のない自然な加齢現象とし受け入れるしかないでしょ。

「以前とと同じように~ができたら、~をするんだけど」ではなく「今できるこの能力を使って~をしよう」という姿勢です。2009_0916_124700p1000072 若い頃のように100%の能力で生きていくばかりの生き方しかないとすると、歳を重ねることは悲しみ以外の何物でもないということになってしまいます。

能力が低下していく中で、なお「自分らしく」とか「この能力の中で何ができるか」とか「どんな工夫が不可欠か」を創意工夫するのが、前頭葉です!

その時に楽天的、positive thinkingが重要なことは、かくしゃく100歳の方々の調査をしたときに、生き方の共通項としてはっきりと見て取れました。

さて私のケースでお話しします。
術後、右裸眼で0.8見えると、「メガネなしで生活できる!」と思いました。

「それでもはっきり見えない」とか、「左眼は0.4しか見えない」とか、「近くは見えない」などのマイナス要因はあまり考えないように、日々機嫌よく生活するように意識して暮しました。
「メガネで矯正できるんだからそれも楽しみ」とも思いながら生活しました。
こういう姿勢は、自画自賛のようですがもちろん良いこと。さらなる低下を呼びません。2009_0916_124600p1000071_2

ところが、この話はもう少し続きます。
念願のメガネができて、遠近きちんと見えるようになったときに、あまりよく見えてびっくりしました。
「こんなに見える世界があることを忘れていた」と思ったのです。本当にびっくりしたのです。

と、言うことはちょっと見えない状態にあまりにもうまく適応してしまっていたということですね!
すぐに思い浮かべたことがあります。

小ボケの人は、どこに連れて行っても、何を食べさせても感動のかけらもなく、会話も一方的で楽しめないものです。
ところが脳機能がイキイキしてくると、景色にも料理にも人との会話にも、本人から「感動できるようになった」と述懐されることがよくあります。

2009_0916_124800p1000073 高齢になっていくということは、種々の能力低下が否めないということです。
そこを否定的に見るだけでなく、受容的に見ることも必要ではないかと、私は言っているのですが、同時に、低下の現状を受け入れきってしまうとそれはさらなる能力低下を呼ぶ危険性もある…二律背反・・・

でも安心してください。
一番大切な脳に関しては、結構はっきりしていますから。
三頭立ての馬車(マニュアルA6P)を思い浮かべてください。馬の調子が落ちてきても、そこを上手に使いこなすのが御者(前頭葉)の仕事です。御者がいつも御者らしくあるように気を付けることが、脳の能力低下を防ぐ近道。
今の、この状態ということを正しく判断して(これが前頭葉の役割)、生きることに意欲や興味をかきたて(これも前頭葉の役割)、自分らしく生き続けるということに尽きるでしょう。


白内障手術その後、高齢期をどう生きるか?

2009年09月19日 | 正常から認知症への移り変わり

ようやくメガネができました。
ヤッター!文字通り晴々しています。2009_0918_213800p1000080_5

白内障手術では、水晶体をとって代わりに人工レンズを入れます。
その時に遠くに焦点を合わせるか、近くに合わせるかを選択しなくてはいけません。
私は小さいころからの近視だったので、遠くに焦点を合わせるということは近視がなくなるわけですから、迷わず遠くにしていただきました。
どう見えるか、興味津津。

一方、近くを見ると調節が利きませんから見えないのです。つまりひどい老眼状態。
もちろん術前から言われて理解していたつもりでしたが、ちょっと読めないと当たり前のように近づける、そうするともっと読めない!
日に何度もびっくりしてしまう始末でした。
生まれてこの方、遠くが見えないことは当たり前、でも近くはきちんと見えるという生活を送ってきたのですから、まあ仕方ありませんね。
散歩の途中見かけた花たち(ホテイアオイ)2009_0913_114000p1000053_4 
というか、「仕方がない」と思うように心がけました。
「だって遠くがメガネなしで見えるんだもの」とポジティブに納得させながら。

さて、近視がなくなって乱視だけになった私の視力はどうなったかというと、右眼0.8 左眼0.4です。(リコリス)
2009_0914_110000p1000054_2 これは、朝起きると、まずメガネをかけなくては行動できない状態から、メガネなしでも普通に生活できる状態。
10メートルくらい離れた木々の葉っぱも大体分かる(右眼)。
部屋のこちら側から、テレビが見える。
家事にはほとんど支障がない。
生活は十分にできるのです。
ドクターが言われたように、確かに
「災害の時にメガネがなくても逃げられる」
(律義なヒガンバナ)2009_0914_114300p1000066

老眼だと
炊事は手元が、いまひとつはっきりしない。
ところで小ボケレベルになると、
①食材の切り方が雑になる
②盛りつけに配慮がない
③食器の洗い方が雑
という症状がありますが、老眼になっていることを前提にすると、そのような症状を出さない高齢者は、意識的に家事をきちんとやっていることになりますね。これは間違いなく前頭葉機能が正常であることの証です。 (リュウキュウアサガオ)2009_0914_113400p1000062

新聞や本は読めない。
友人からお借りした老眼鏡を使っていました。
ほんとにメガネなしには、近くの世界は生活できないのです。
身の回りには、近くと遠くがあるのですから、老眼になったら少なくとも、何か読むかもしれない外出時にはメガネ持参が当然でしょう。
以前の私がメガネなしでは外出できなかったのと同じ。メガネなしの外出なんて考えたこともありませんでした。

(もう萩が!2009_0914_112700p1000060
ということは、社会生活が可能な正常高齢者は、老眼があるなら老眼鏡を持って外出するのがあたりまえなんですよ。
「認知症予防教室」初回のかなひろいテスト時に、メガネを持参しなかった方はそれだけで要注意です。
もちろん度忘れすることは、あるのですけど。(珍しいナンバンギセル2009_0914_113700p1000064_2 
食事のときには、お皿の上のものがいま一つはっきり見えないので、ちょっとおいしさが足りないというか、かなしい思いになります。                 

お化粧をていねいにする人なら、細かいところがはっきりしませんからそれはちょっと困るでしょうね。老眼鏡をかけるとメークができません・・・
(ハナニラ)2009_0914_110100p1000056_2

さて、私の新しいメガネは遠く用の乱視と、近く用の老眼を一体化したいわゆる「遠近両用メガネ」です。
顔を動かすと、少し揺れる感じがあって、これには慣れが必要だろうと思いますが、快適。
もうメガネなしの生活は考えられません。

考えてみれば、年をとるということは種々の能力を失っていく過程でもあります。体力にしろ視力・聴力・・・脳の力だって例外ではありません。
どう対処するか、積極果敢に挑戦していく(手術)、現状を認め、その中での生活を組み立てる(術後)次なる工夫をしてみる(新しいメガネ)

                             (シュウカイドウ)2009_0914_113000p1000061
今回の白内障手術から、年をとってなお生き続けていくことがどういうことなのかちょっとわかった気がします。
積極性はもちろん大切なことですが、それとともに現在の自分を受容してやれるのは、まさに自分しかないということにも気づく必要があります。
その中で、その能力を生かしつつ自分らしく生きる方法を模索するということでしょうか?          


地図が読めない女?

2009年09月12日 | 右脳の働き

テレビを見ていたら、ちょっと気になる話が流れてきました。
まじめなドキュメンタリー番組です。
2009_0903_084100p1000024 チェスの世界チャンピオンになったハンガリー人の女性の話でした。

彼女の父親が心理学者で「天才は環境で作られる」という信念のもと、わが子をチェスの世界チャンピオンにしたその経緯などが語られていました。

その方法は「チェスの盤面の全体をイメージとしてそのまま記憶する」
もちろん、考えられないほどの反復練習のたまものです。

私たちが顔を認知するときには、以下の過程を経るといいます。
①個々の目や鼻や口を区別しながら比較するのではなく、まさにイメージとして全体像を認知し、
②すでに出来上がっている「顔」の記憶の内容と照合する
③そして親しい顔、ちょっと知っている顔、知っているはずなのに名前や関係は分からない顔という風に瞬時に分別する。

2009_0903_084100p1000025_2_2 この女性チャンピオンは、MRIで測定してみると、チェスの盤面を見るときには顔を記憶する領域が賦活化するというのです。顔を認識する領域で盤面を見ているということになります。
万の単位の盤面を記憶しているのですから、ほとんど考えることなく次々と駒を進めることができます。
訓練によって脳の能力を極限まで開発するとこういうことができ、それは才能の問題よりも環境の問題だという結論でした。
その説明の最中「相貌失認」(去年の春に四回に分けて説明しました。このページから前に三つです)という言葉が出てきました。

私たちは自分ができることは誰でもできると思ってしまいますが、その能力を発揮する脳の領域が壊れたら、その途端できなくなってしまうのです。
顔を認識するところが壊れたら、人物の違いはわかりません。
先のブログにも書いた私の患者さんは、人物だけの障害ではなく動物ということはわかるのですが、ゾウとキリンの違いはわかりませんでした。乗り物ということはわかるのですが、フォークリフトと消防車の区別はできませんでした・・・

臨床を持つということは、テレビに取り上げられるようなことも自ら体験できるチャンスがあるということですね。
Image ところで、同じ番組の中で10年くらい前のベストセラー
「話を聞かない男、地図が読めない女」を引用して
「女性は、右脳で地図が読めない。理由は脳梁が太くて、刺激が左脳にも伝わってしまう」というような説明だったと思いますが、?がいくつかつくような解説がありました。

それでは男性は、右脳に入った刺激は左脳に到達しにくいのでしょうか?左脳に入った刺激が右脳に到達しにくいということにもなりますので、男性はずいぶん刺激量が減ってしまうことになります。

一般的に、脳梁を介して刺激が伝播するスピードは宇宙的速度と言われているのです。太さは大きくは関係しないと思いますが。

確かに地図を読むのが上手な人がいますね。
番組でも言っていましたが、地図の中に起点があって、そこからどちらの方向にどれだけ行くのか、その後直進か曲がるか、あたかも地図の中に線描きしていくように理解すると地図はわかりやすいのです。
この機能はまさに右脳!

地図が不得手な人は(方向音痴と言われる人とかなりダブってると思います)地図の中で起点を作らないまま自分が動いてしまうので、起点からの図形が出来上がらないために位置関係が分からなくなってしまうのです。つまりうまく右脳が機能していない。

2009_0908_134600p1000030地図の理解力の差は、女性の脳梁が太いために刺激が左脳に分散される、脳の形態上の男女差から起きるというよりも、その個人の脳の使い方の差だと考えたほうが実態に合っています。

ちなみに私は地図は読めるし、描くのもできます。
私の夫は、とてもとても苦手です。ついでに仲間内では有名な方向音痴でもあります。「左脳の能力が高いのに、受け狙い?」といわれるほどです!

方向音痴の男性を探して御覧なさい。結構たくさん出会いますから。
種々の情報は、一度自分で咀嚼してからその意味を考えるようにしましょうね。
「話を聞かない男、地図が読めない女」はアメリカでは医学書扱いではないそうです。男女ではなく脳機能の左右差と理解すると面白い本ですよ。



夫が中ボケなら、妻小ボケの例

2009年09月06日 | 正常から認知症への移り変わり

遊びすぎでブログの更新が遅れてしまいました。
箱根や山中湖へも行ったのですが、写真も撮らずに遊んでしまいましたので、今日の写真は7月に行った斑尾高原の写真です。

北信五岳のうち朝もやの黒姫2009_0712_080400p1000118

ほとんど満点の相談ケースが届きました。
「満点」というのは、
①脳機能テストがちゃんとできている。
②生活実態が確認できている。
③納得できる生活歴の聞き取りがなされている。という意味です。

質問内容は「MMSは想起ー1、口頭命令ー1 と低下順にも問題なく高得点なのに、『文を書く』でためらいが強くかなかなか書き出せなかったのはなぜか?」
                          北信五岳のうち朝もやの妙高2009_0712_080800p1000121

確かに、MMS高得点の方の中に『文を書く』で時間がかかる方たちがいます。
その方々のほとんどは、高学歴であったり、左脳優位のお仕事につかれていたりしていることが多いようです。

その方たちの心中を代弁してみると
「『文を書いてください』って言われたけど、まさか『テストを受けています』みたいな単純なことを要求はしていないだろうし、だいいち私が書くのだから、ちょっとは感嘆させるようなことも書きたいし・・・」と勝手に思い込んで、ためらってしまっていることがほとんどです。

もともと『文を書く』が調べようとしている「文を思いつく能力」にも「文を書く能力」にも何の問題もないのです。
テスト状況に対して、自ら勝手にプレッシャーを感じてしまっていると考えればいいでしょう。
「簡単な文で構いません」とか「かなで書いてもいいのです」などと緊張をほぐしてあげることが必要ですね。

斑尾高原の花たち2009_0712_074300p1000116

この相談例(78歳女性)の前頭葉テストは、立方体模写は苦労して可。動物名想起は(13,1)だったのですが、かなひろいテストは不合格でした。(15,7,不可)
正答数は15とまあまあのようですが、内容把握が「おばあさん」のみ。「とても覚えていられない」との発言もあって、注意分配能力に問題が起きていることがはっきりしました。

脳機能レベルは小ボケ。
30項目問診票でも①②⑦⑧と典型的。

そして生活歴。
2年前に的を絞って聞いても、なかなか生活変化のきっかけが出なかったそうですが、ようやく
「2年前に、隣人が脳こうそくで亡くなった。親しい友人で、結婚以来仲よくしてきた人だったので、他人事と思えずショックだった」
と話されたそうです。

そこで、保健師さんが一安心されたのが目に見えるようです。
ただもう一つ釈然としないのも、同時に感じられます。2009_0712_082700p1000123_2
2009_0711_181300p1000104 その隣人の死が、ほんとうに脳機能の老化を加速させたのなら
「そのお友達が亡くなられてから、あなたの生活はどのように変わりましたか」と尋ねるべきでしょう。

「毎日のようにおしゃべりしたり、たびたび外出や旅行を楽しんだ」とか
「同じ趣味があった」のに、「その楽しい時間が全くなくなって、その代わりのものもない、単調で変化のない生活が、ここ2年間続いている」と聞きとれたら、釈然としない気分は吹っ飛んでしまうでしょう。
そこまで踏み込むようにしてください。2009_0712_074100p1000114_2

さて、今日のテーマ
「老夫婦二人暮らしの危険ファクター」です。
「夫婦二人暮らしで、片方が中ボケになったら、もう片方は小ボケになる」という原則です。

夫が小ボケの間は、家庭生活には支障がないのが小ボケですから、妻は気にせず外出も趣味も続けられます。2009_0711_182100p1000106 2009_0712_074300p1000115 それだけではありません。
小ボケの時は、「これって年のせいかしら」というゆとりがありますが、中ボケになると「これは変…かといって誰に言っても『ボケてるはずはない』といわれるし・・・このまま進んで行ったら私一人ではとても面倒見切れない・・・どうしたものか・・・」と悶々とすることになるのです。

こういう生活は、脳の老化を加速します。
だから、夫が中ボケになったら妻は小ボケになるという原則が完成するわけです。

この方の場合にもあてはまりますね。
相談者の説明で、どこか釈然としなかったのなら、そこの確認が必要だったと思いますよ。


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