脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

8月の右脳訓練ー中津の旅

2017年08月24日 | 私の右脳ライフ

8月12日の戸畑高校同窓会総会に出席するために帰省しました。
中学校の3年間、同級生の仲良しグループの一人が大分県中津市に住んでいます。病気をしたと聞いたので、今回は必ず会ってこようと決めていました。
昔は、といっても半世紀も前のことですが、日豊本線は本数が少なくて便利の悪い路線と思っていましたが、今はとんでもありません。本数は多いし、小倉から中津まで各停でも1時間しかかかりません。
と、いう訳で9時前にはもう友人と出会っていました。北九州空港への電車の発車時刻16時前まで7時間。運転してくださったご主人はきっとびっくりされたと思います。おしゃべりしっぱなし(笑)
今日はお連れいただいた記録に徹します。
まず黒田官兵衛ゆかりの中津城。小規模ながら質実剛健を形にしたような印象を持ちました。

中津藩は、黒田家から始まり小倉藩や肥後熊本藩に移封されたり、歴史は輻湊しています。江戸時代、解体新書の前田良沢を輩出し、幕末明治期の福沢諭吉も日本の近代化に大きな足跡を残しました。
福沢諭吉生家。「~眠食シテ母ノ保護ヲ蒙リタルハ此旧宅ナリ」と諭吉の筆で碑文がありました。

中津藩下級武士ということですがスッキリした屋敷でした。

同じ敷地には隣接して資料館が。

駆け足でみました。
福澤山脈!慶応義塾大学卒業生の愛校心というか結束力は有名ですが、諭吉の思いは脈々と受け継がれていると思います。

諭吉は咸臨丸で渡米し、また幕末に通訳方として渡欧もしていますから英語や蘭語に堪能ですが、基礎には漢学があったのですね。

中津の町には歴史が息づいています。立派なお寺が立ち並ぶ寺町の一角にある合元寺(赤壁寺)。戦国時代にさかのぼる戦いの話がありました。

車は耶馬渓に向って進んで行きます。「高塚愛宕地蔵に寄りますか?」何でもYESに決まってます。

暑い日でしたがたくさんの方が参拝していました。
ろうそくもあげて、友人のさらなる回復を祈りました。上から二段目の大きいろうそくの左2本目が、私が上げたろうそく。

お線香もあげました。

ボケ封じ観音!

樹齢1300年といわれるイチョウ。行基がこの木から宝珠を見つけたところからこの地蔵菩薩の縁起が始まったとか。乳銀杏の幹。

耶馬渓といえば、青の洞門ですが、江戸時代の僧禅海和尚が石工を指導して鑿と槌だけで30年かけて作ったといわれるトンネル(新しく作られた車道ですが)を車でさぁーと通り過ぎました。なんだか申し訳ないような気がしました。
山国川を隔てた青の洞門。

耶馬渓といっても、本耶馬渓、奥耶馬渓といろいろあるそうですが、夏らしく耶馬渓ダム。

一目八景といわれる、耶馬渓の中でも中心的な名所なのですが…

そうなのです、先日の九州北部を襲った豪雨の影響はそこここに見られたのですが…なんだか申し訳なくってシャッターが押せませんでした。今回はこの一枚だけを記録にあげておきましょう。といっても、これは去年の熊本地震で崩れたんですって。本当に続けての災害でお見舞いの言葉もありません。

本来ならばこのような景色であったはずなのですが…すぐ隣の景色なのです。この右側が崩落してしまったのです。

玖珠町は「日本のアンデルセン」といわれる久留島武彦の出身地で、1950年から「日本童話祭」が開催され続けています。立ち寄ってくださった道の駅のワンショット。

私は名前も知らなかったのですが、こんな素晴らしい二段の滝にも連れて行っていただきました。慈恩の滝。

駐車場から歩いてほんの2~3分で滝つぼのそばまで行けるという楽なアプローチ。
滝の裏側を歩いて通れるというおまけつき。説明板に「時計回りに回ると幸運に恵まれる」と書かれていましたので、皆さん時計回りに歩いていましたが、双方向では裏側の通行がスムーズでないのは明らかです。この工夫された表現には脱帽。説明文を考えられた方は前頭葉が豊かな方だったんですね。

説明板にいわれが詳しく書かれていました。「僧が人々を助ける」高塚愛宕地蔵にも似通った縁起は、やはり「なにか」あったはずという思いを強くさせました。

車は日田を目指します。中津駅で会ったとたんに「ちょっとおしゃれな店で食べさせたかっただけど、ちょうどお盆!それで今テレビで有名になってる日田の焼きそばを食べに行くことにしたんだけど、いい?」
私は大喜びで「ウン!連れてって」
「何軒もあるけど、ここが一番」と到着したお店は大きな構えなのに、待ってる人たちがいるのです。やっぱり。

日田の焼きそばは、最初に麺を抑えて焦げ目をつけるところが特徴だそうで、焦げ目のあるところとないところの絶妙な舌触りと味の差が評判なのだそうです。

評判通り、さすがにおいしかったですよ。お野菜もたっぷりだったし、さすがに日田、お水もおいしかった。ごちそうさまでした。
日田に来たのはいつだったでしょうか?老人大学の名前が咸宜大学と聞き、幕末にさかのぼる歴史に、「さすが天領」と感心したことを思い出しました。
そして、豆田町。ずいぶん小綺麗になっていました。観光の目玉にするには「整える」必要があるのでしょうね。
昔はもっと日常生活感が強く出ている町でした。宿泊したホテルの社長さんが「そこが豆田町の特徴です。生活するということは大切なことですから」といわれた言葉がとても印象的でしたが。

実は友人おすすめの羊羹を買いに行ったのです。売り切れ。残念!

M股S江さん、そしてご主人さま。ありがとうございました。楽しかったぁ。
あっという間の半日でしたね。過ごした時間が「あっという間」に感じたときは、脳は本当にイキイキしてるんです。
そして、ご主人が言われた言葉は重い意味がありますよ。
「病気をしたんだから、とにかく出かけるようにしている。イベントやお花の情報は欠かさないようにしてるし、温泉にも行くし、買い物もドライブも、とにかく出かけると変化が出るでしょう。ちょっと手軽なランチしたり。仕事をリタイヤしていて本当によかった」この言葉こそ、体だけでなく脳の健康も支えるものなのです。
これからも、S江さんのことよろしくお願いします。記念に写真も載せさせてくださいね。

それでは二人の写真も。










認知症高齢者が140キロで高速道路逆走はムリー「やすらぎの郷」8/21~22放映

2017年08月22日 | 正常から認知症への移り変わり

「やすらぎの郷」というテレビドラマをご存知ですか?
私の家から車で10分ちょっとのところにある川奈ホテルが舞台になっていると聞いたので、それを知った時から見ています。
マスコミ関係で仕事をした人たちの、老人ホーム。そこでおきる様々な事件をドラマ化しているのですが、演ずる俳優さんたちがその役柄とオーバーラップするおもしろさもあります。

舞台が老人ホームなので、認知症がらみの問題提起や解説が時々なされます。「ちょっと違うけど…」と思うこともありますが、昨日今日の放映に関してはちょっと訂正しておきましょう。
そうそう、今日の午後川奈ホテルにお茶をしに行きましたのでその写真も。玄関の車寄せ

運転免許証の高齢者講習会のシーンから始まります。
講習会会場で、聞こえているのかいないのか大きな声で聞き返す岡林谷江さんという女優さん。「歳をとったら耳が遠くなるから」と思うでしょうが、聴力の問題だけならば講習会会場で傍若無人に聞き返したりしません。つまり認知症がらみという複線でしょう。
案の定、実技講習では赤信号無視も起こし、免許更新ならずという展開です。
『免許証が更新できなくてよかった。あれじゃあ運転は無理だね」というセリフもありました。この女優さんは認知症という設定なのです。認知症ならば、前頭葉機能はフルには機能できていません。
パーラー

帰りのバスへ移動するシーンは、この状態の脳機能からみるとちょっと無理があります。
免許更新ができないことを怒りながら歩いているのですが、あまりにも態度、動作がキビキビしすぎ。言葉の応酬も打てば響くようでキレッキレすぎ。認知症になると小ボケ段階でも、動作がモタモタしてきます。言葉の応酬はもちろんできますが、反応がもたついたり、すこし的外れだったりすることはよくあることです。
ロビー

そしていよいよ高速道路の逆走事件が勃発します。
多分90歳くらいかという設定のこの女優さんが、ハマーに乗って140キロで逆走。パトカーの制止も聞かず、スピンターンという高度な運転技術を駆使してしばらく逃走という設定でした。人にも車にもかすり傷ひとつつけず!
いまこのドラマで設定されている脳機能から言って、これはありえません。
高速道路の逆走事件はそのほとんどが、認知症がらみでしょう。このブログでも何回か認知症になった人たちの運転についてお話してきました。
認知症高齢者による事故防止の鍵は前頭葉検査

ロビーとパーラーの間のお花

上のブログでも触れていますが、小ボケになった方の運転する車に乗った家族の訴えで一番多いのは「スピードが遅すぎてこわいんです」なのです。
前頭葉機能は年齢とともに老化をしていきますが、小ボケというのは正常な老化を超えてしまっている状態です。脳の司令塔でもある前頭葉の働きは、多岐にわたります。その中でも重要な注意集中力と分配力は、小ボケになると早い段階から十分には機能できなくなります。
一方で、まさにこの能力を使って車の運転はするものです。
自分の運転だけにしか注意力が向いませんし、テキパキさも落ちていますから、その結果は周りの車のスピードとは無関係にマイペースでゆっくり運転し、同乗している人が「スピードが遅すぎてこわいんです」と思うという訳です。
パーラーの飾り棚(館内にはロートアイアンの飾りがたくさんあります)

この女優さんの設定を、「カーマニアで、若いころから外車だけを乗り続け、取り巻きにはカーレーサーがいつもおり、そしてプライド高い人」としてあります。この生き方を決めるのが、前頭葉なのです。
そんな人だから(そんな前頭葉の持ち主だから)、高速道路を逆走するときに140キロ、見事なバックスピンをこなすレベルの運転技術、という流れなのでしょう。
ところが、講習会場で、認知症ということをアピールしたように、この女優さんの現在の前頭葉機能は万全ではありません。その前頭葉機能で運転をしたらこのような顛末はあり得ないのです。
運動野に麻痺を引き起こすような損傷があれば、今までのように普通には動けないのと同じです。

付録
最後のところで「認知症と、高齢者に頻発する普通の物忘れ」の差についての会話がありました。「記憶の箱があって、容量があるので齢をとって足りなくなると、神さまがいらない記憶から消え去らせてくれる、これが(高齢者に普通に起きる)物忘れ。記憶の箱が腐って崩れるのが認知症」といっていました。
これは「物忘れはボケの始まり」というのと同じように間違い。
だいたい、昔のことはよく覚えていて、最近のことが覚えられない。でしょ?その差は、簡単に区別できます。
前頭葉が、正常に機能していれば単なる齢のせいなのです!

物忘れと前頭葉の話
んなのもありました。途中でgooブログに変わったのでレイアウトが変ですが、カテゴリーの「前頭葉の働き」を開くといっぱいあります。認知症のことを考えるときの鍵は前頭葉機能ですよ。こういうエピソードも記憶力の問題ではなく前頭葉機能の問題なのです。
一人で笑うのも
大失敗の巻き

 


8月の右脳訓練ー宗像大社参拝

2017年08月20日 | 私の右脳ライフ

高校の同窓会出席のために北九州に帰省しました。
帰省の目的は、8月12日12時30分から役員会それから総会に出席することですから、いつものように前泊。ということは8月12日午前中はフリータイムということでもあります。
故郷ですから、両親からあちらこちら連れて行ってもらってるのですが、なんと言っても半世紀も前のことになります。多分60年くらい前に行ったことがある宗像大社参拝を計画しました。小倉駅近のビジネスホテルに投宿。朝7時過ぎに出発し参拝や見学の後、小倉着11:46で戻ることにしました。
沖ノ島だけといわれていたのが覆って一括して世界文化遺産に登録されたのは今年の7月。グッドタイミング。

神門前には「皇族下乗」とあります。
拝殿には菊の御紋章が。宗像大社に祀られている三女神は、皇室国家の守護神ですからまあ、理解できますね。

二の鳥居をくぐり、心の字池に太鼓橋がかかっています。

その先には手水舎が。

拝殿の欄間には、歌仙絵。扁額には「神勅 奉助天孫而 為天孫所祭」とあり天皇家とのゆかりがわかります。

本殿の茅ぶき屋根は優美なカーブを描いていましたが、解説板によれば五間社両流造、国指定重要文化財とのことです。静かな格式を感じました。

本殿裏には、22の社殿に121の末社をお祭りしてあります。これほどの末社がある背景には、大化の改新に始まる宗像大社の歴史がかかわっています。大化の改新後、公地公民になりましたが、全国で7か所だけ神郡が認められその一つがここ宗像大社とのことです。ちなみに伊勢神宮内宮・下宮・安房神社・鹿島神宮・香取神宮・熊野大社(出雲大社)・日前神宮(國懸神宮)・宗像大社が八神郡といわれます。

家族と一緒に来ていた小学1年生が、一社ごとに丁寧に参拝していました。
大社のまわりはうっそうとした、鎮守の森。樹齢550年の楢の木はご神木です。



宗像大社には特筆すべきものがあります。それは日本古来の祭りの形式が残されている高宮祭場。社殿がなく、岩や木そのものが神が降臨する場(神籬=ひもろぎ)であり、そのまま礼拝する形式です。

両側の森からの涼しい風を楽しみながらこのような階段をいくつか上ると、少し開けた場所に至ります。遥かに玄界灘が望める多分大社の中では一番高いところだと思われました。

この逆側に高宮祭場がありました。

ここは、宗像三女神の降臨地といわれています。撮影をはばからせるような雰囲気があるのが不思議です。

宗像大社は、沖の島・大島そしてここの三宮からなります。
沖ノ島 沖津宮(田心姫神=たごりひめのかみ)大島 中津宮(湍津姫神=たぎつひめのかみ)総社 辺津宮(市杵島姫神=いちきしまひめのかみ)が各宮の名前と御祭神(の読み方)です。
先の二つは玄界灘の海上にありますから、ここ辺津宮に遥拝所があります。第二宮(=ていにぐう)第三宮(=ていさんぐう)という呼び名からは韓国風を感じます。現在修復中でした。

沖ノ島は玄界灘にある周囲5kmには何もない絶海の孤島ですが、全体が神の島とされていて厳しい掟が連綿と続いています。神官一人のみ上陸し日々礼拝を続けている。女人禁制。上陸する際には海中に入り禊を行う。一木一草一石たりとも島から持ち出さない。などの掟です。
その掟が守られたからこそ、昭和29年から46年までの発掘調査から沖ノ島神宝といわれる8万点に及ぶ国宝が見出されたのでしょう。

館内は撮影禁止でしたが、一階二階は沖ノ島神宝の展示です。その結果一階の展示物は全部国宝。二階の展示物も全部国宝。3-4世紀とか4-5世紀から展示が始まります。金製指輪は1500年にわたってそのままに輝き、歴史をさかのぼるほど大きく立派な銅鏡、勾玉や宝石類。神馬を飾る金銅製の馬具など。保存状態のよさに驚かされました。
三階は社伝神宝ということで重要文化財の展示でした。
二の鳥居を出て、一の鳥居までに西鉄バスのバス停があります。西鉄と見るだけで懐かしいものです。

途中で、スーツに着替えて宗像大社前~東郷駅~小倉駅へ移動です。宗像大社滞在時間は2時間半強。ちょっと早起きして本当によかった!それに暑さを覚悟して行きましたが、さすがに鎮守の森の中は心地よかったです。

事前の準備は全部ネット検索です。宗像大社の歴史やご祭神、境内案内図、神宝館。それに乗り物の時刻検索。ほんとに便利になりました。
でも、実際にその場に身を置き、見たり感じたりする時がなければ、調べたことは単なる情報、知識であって左脳で処理できるレベルということになります。
右脳を駆使して、つまりアナログ情報を十分に入力した時に初めて前頭葉を活性化できるということを、今回も実感しました。



 


戸畑高校天籟同窓会―右脳刺激の場として考える

2017年08月14日 | 認知症からの回復

北九州市戸畑区。私が生まれて高校卒業まで生活した町。懐かしい…大好きです。
戸畑高校の同窓会は、学校のあるところにちなんで天籟同窓会といいますが、去年から戸畑高校天籟同窓会関東支部長になりましたから、本部総会に勇躍出席!
九州は遠いですね。今回は飛行機にしました。東京は曇りでしたが、だんだんに眼下が開けてきて、瀬戸内海上を飛んだ時には本四連絡橋が全部見えました。これは明石海峡大橋です。

会場は小倉駅前のリーガロイヤルホテル。300人以上の出席者に対応するには大きなシティホテルでないと無理でしょう。
銀河鉄道999のメーテルと星野哲郎が出迎えてくれました。そう言えば松本零士さんは福岡県出身ですね。


会場の様子など写真は撮れませんでした。交流・歓談に忙しくそれどころではなかったので、と言い訳させてください。
全国知事会会長をなさった麻生元福岡県知事(同窓会名誉会長)とごあいさつしました。お願いして福岡支部長安田さんと関西支部長井上さんと一緒に写真を撮らせていただきました。

幕開けは、去年ユネスコ無形文化遺産に決まった戸畑祇園大山笠お囃子披露です。8回生青木勇二郎さん(80歳)が盛り上げてくださいました。実はこのメンバー全員を10月21日の関東地区天籟同窓会総会にもお呼びしてあるのです。

戸畑高校天籟同窓会は、旧制戸畑中学から続いています。その戸畑中学の第1期生として卒業なさった名誉顧問木下憲定さん(94歳)のごあいさつ。去年と変わらずお元気でした!

同窓会の世話人たちが集まると、「どのようにして若い人たちの参加を増やすか」というテーマでもちきりになります。確かに会の存続そのものに関わる問題ですから、いつも若い人たちへの働きかけは工夫し続けることになるでしょう。
ただ、同窓会に深くかかわることになって実感していることを書いておきましょう。
もしかしたら、同窓会は齢をとった卒業生にとっての、やさしい穏やかな脳活性化の場になりうるのではないかということです。
もちろん年若い、現職の人たちが異業種交流を求めて参加することもあるでしょうし、求めるつもりはなかったのに出会いが何かを生むことにもつながるでしょう。若くても、懐かしい友に会いたい人もいるでしょう。
ですが、高齢者に目を向けることにします。
とにかく、現職を退いて第二の人生がスタートした時に、趣味も交遊もない人たちはひなが一日家でボーと過ごすことになります。そのような生活を続けていると、脳は老化を加速していき、認知症への道まっしぐらということになってしまうのです。「出かけましょう」というと「どこへ?用もないのに」という返事が返ってきます。「楽しみごとを見つけましょう」には「今更。この齢になって」。
同窓会は、時を超えて「私の戸畑高校時代」という思いを共有できる場です。それは家にこもりっきりの人にとっては、ちょっとした安心感につながるはずで、次の行動へのステップになるだろうと思えるのです。
どこかへ出かける話になるかもしれません。何かを始めるきっかけになるかもしれません。
総会に出席した同期の友人は「戸畑高校ってこんなにいい高校だったって再認識した。感激しちゃった」といいました。こういう思いを感じられるのが同窓会なのですね。共通の思いをしっかり感じるところ、と言い換えることもできます。
その一体感を最も感じるときは応援団の演武と校歌斉唱でしょう。いつものように胸がいっぱいになりました…

この写真は、九州が見えてきたところで、国東半島と姫島。その西に北九州空港があります。
今回の同窓会出席には、もう一つの楽しみがありました。
当番幹事のM島さんから事務連絡の電話がありました。そして続けて「プライベートなのですが…」と話が続きました。
「高槻さんのお母さんが、私が通っていたそろばん教室に来られていたのです。私がそれまで少し長くそろばんをやっていたものですから『Mちゃんはほんとにそろばんが上手ねえ』と何度も褒めていただきました。それほどでもないのに、すごくほめてくださって。とてもうれしかったんです」
思い出しました!
「絹子ちゃんも通ったそろばん教室の長谷川先生と会ったら、『ボケ予防に教室に来ませんか。子供がたくさん来るので見てるだけもかわいいものよ』って誘われたから、行こうと思うんよ」と確かに電話がありました。
私は「すごくいいと思うよ~だって今更そろばんで身を立てるわけでもないし、上手になる必要なんてないでしょう。子供たちと一緒にいるだけでもワクワクしそう」というようなことを言った覚えがあります。
そして母から「かわいいお嬢ちゃんがいてねえ。賢くてそろばんが上手で(エイ!正直に書いてしまうと)絹子ちゃんのこどものころみたい。ほんとに教室に行くのは楽しいよ。そろばんはちっともうまくならんけどね」
今改めて思うと、この母の積極性はなかなか素晴らしい。確かにこういう脳リハビリの考え方もありますね。この行動が成立した底流には、「わが子がお世話になったそろばん教室」であるということが、一歩を踏み出すときのキーだったのではないでしょうか?
同窓会も、そのチャンスを秘めています。
小倉駅の銅像、キャプテンハーロックも。

そのころの母の年齢が、今の私くらい。そのころの私の歳にそろそろMさんがなるのでは?
不思議な感覚。
母のことも、そのときのやり取りもこんなにしっかり覚えているのに、母はいなくて今いろいろ思い出している母の歳に、私がなっているなんて。
なんだかうれしかった…そしてお会いするのが楽しみになりました。

総会後の記念写真。
M島さんのお家は食料品店。しかも私がよくお使いに行っていたお店です。60年を飛び越えて私のこと、覚えていてくださいました。私というより、私の中の母の面影を見つけてくださったんでしょうけど。
そのうえ、Mさんのお父さまが母の手紙をもってきてくださいました。
20年近く保存してくださっていた感動と、読みながらあまりにも母らしい文面に懐かしい涙が流れました。本当にありがとうございました。

 


中ボケを教えてもらいました

2017年08月11日 | 正常から認知症への移り変わり

この頃よく思うことですが、認知症に関して専門家の方々の理解にどこかズレがあるような気がします。
どうしても「原因」を知りたい。「こういう症状を出すにはそれなりの原因があるはずだ」。その「原因」もとても科学的に追及するのが専門家としての使命というのでしょうか?
耳にされると思いますが、アミロイドベータとかタウ蛋白のような脳内の化学物質に求めようとしたり、脳そのものの萎縮ではないかとCTやMRIを駆使してその原因を探ったりしています。
動物実験も欠かせませんね‥‥(写真は国立近代美術館の松方コレクションから)

普通に生活している人たちは、家族である高齢者、という表現より「うちのおばあちゃんやおじいちゃん」であったり「うちのお母さんやお父さん」の方が適切ですね。その他ならぬ大切な祖父母や両親の日々の行動が「何だか変」とか「これって年のせいなんだろうか」という気づきがそもそものスタート。その意味では、原因ではなく結果を見るところから始まっています。ただ、身近な人だけに、ちょっとした変化を捉えることができますね。

「ブログを読みました」と連絡がありました。ちょっとした指針を与えてあげると、症状もその原因も、そしてその対処までも、家族(専門家でなく)ならできるのだとちょっと感動しましたのでご報告。(連絡いただいたものは青字で書いてあります)

先月認知症外来。受診症状を伝え、その後MRIでは頭頂部や後頭部の脳の萎縮がそこそこ進んでいるので、アルツハイマー型認知症であろうとの診断を頂き、投薬開始。

私は母と2人暮らしですが、こちらのブログを色々読ませて頂いて、中ボケの段階なのではないかと感じており、この段階であれば、家族の支援で何とか回復してもらえるのではないかと希望を持っております。

5年程前に、腰椎椎間板ヘルニアを発症して手術を受けて以降、私が反対したのもあり、これまで乗っていた自転車を辞めました。長年新聞配達をしていたせいなのか、左側の背中が盛り上がり、身体が右側に傾いています。ブログを読ませて頂いて、速歩で5000歩を一緒に歩くのをなるべく毎日続けていますが、腰がだるくなりお尻と右脚の付け根がだるくなるので、最後の方は歩行がふらつく感じです。元々社交的で、誰とでも友達になれる性格の母なのですが、もしかしたらそのせいであまり出掛けないことが増えていたかもしれません。

物忘れの症状や、隣組の掃除当番の日程を何度も間違える等が気になり出したのは、ここ半年ぐらいの気がしていますが、この3ヶ月ぐらいは、服を前後逆に着るということが増え、ご近所の方に知らせて頂きました。この1ヶ月は、朝食後の服薬後に飲んだかどうか忘れるようになりました。今日の日付は何度言っても忘れています。ただ予定があると、今日がその予定の日ではないのかと何度も確認します。私はフルタイムで働いており、この1年ぐらいは毎日残業で帰りが遅く、帰って来ても、母がこれまでのように夕食を作っていなかったり、同じものをいくつも購入していたりしたことを、私自身のストレスもあったと思いますが、叱責し大げんかになることが続いていました。

地域の保健師さんや社会福祉士さんに相談し、介護認定無しで受けられる短時間のデイサービスや、ふれあいデイハウスという高齢者が集まって色々な作り物をしたりするところに参加できないか頼んでいます。また社会福祉センターで行われている習い事に参加できないか探そうとも思っています。この1ヶ月ぐらいは、結婚後離れて暮らす妹も甥っ子を連れて来てくれたり何処かに一緒に出掛けてくれたり、来月には旅行も企画してくれています。母の友人達はまだ現役やシルバーで働いている人がほとんどで、なかなか遊びに来てくれたりする余裕もなさそうです。近所の方は時々お茶に誘ってくださったりはしています。私もなるべく毎日一緒に歩くのと、ご飯を一緒に作ったりを心掛け、まだ実現はしていませんが若い頃に母が好きだった宝塚歌劇を観に行くのもどうかなと思っています。

ただ妹は、あくまでも病気だからなるべくこれ以上進行しないように生活のサポートはして、あんまりヤイヤイ言わない方がいいと言っています。私は今よりも前のような明るい母に回復してもらいたい気持ちが強く、何とか出来る限りのことをしたいと思う余り、些細な母の言動に一喜一憂して不安な気持ちが拭えない状況です。

つらつらと書き連ねてしまい申し訳ありません。何とかここで踏ん張りたいと思い、メールを書かせて頂きました。(多少省略しました)


私たちのいう中ボケの真ん中です。見事に的確に症状を捉えていることに驚きます。 中ボケの症状があるときには、もちろん小ボケの症状もあります。例えば「同じものをいくつも購入する」のは小ボケの症状です。 「近所の人が知らせてくれる」のは中ボケの真ん中を過ぎてからのことが多いのですが、このお母さんのように、「誰とでも友達になれる」ような人間関係がいい人の場合は、逆に早めに心配されるということがよくあります。 それにしても、きっかけが5年前だともう少し状態は悪いはずです。
いろいろ確認してその原因がわかりました。 新聞配達をやめた後で、ジムに通い始めたのだそうです。 家のすぐそばのバス停から終点まで行って、そのまたすぐそばにジムがあった、という僥倖! この週一回の行動が、認知症の症状の進行を防止していたと考えると、話の辻褄がよくあいます。 「体を動かして鍛えるよりも、そこの指導員さんが優しくていくのが楽しみだったみたい」ウンウン、なるほどね。
これからの予定は、相談することまで含めて全て正しい。けれども例えば、一緒に調理してももどかしいことが多発するだろうし、宝塚に連れて行っても飽きるかもしれないし喜ばないかもしれない。 妹さんの協力体制は嬉しいことですが、「生活のサポート」をしすぎるとお母さんの脳を働かせるチャンスを奪うし、「ヤイヤイ言わない」と見事に何もしないものですから、やはり脳を働かせることになりません。妹さんの優しい気持ちから出ていることはわかりますが、この考え方は間違っていることを伝えました。
 
アルツハイマー型認知症の原因も対応も、シンプルです。
1.脳はもともと老化のカーブを持っている。
2.脳を使えば、老化は遅れるし、使わなければ老化は進む。
3.脳を使うということは、右脳、左脳、運動の脳を使い続けることで、その時の鍵は前頭葉が握っていることをよく理解する。


7月の右脳訓練ー東京証券取引所

2017年08月05日 | 私の右脳ライフ

日本橋川舟めぐりの前にひと遊びしたことを、報告します。東京証券取引所。

日本橋の歯医者さんでの治療が思いがけず早く済んで10時前にはすべて終了。舟めぐりのスタートが11時45分。まず舟乗り場に行って乗船時刻を確認。正しく11時45分発。まだ係りの方も誰も来ていません。
「ウーン、1時間45分この時間どうしよう」と私の前頭葉はフル回転し始めます。
暑さを逃れてウインドウショッピング…ところがデパートの開店時刻が10時30分になっているのですね!コレド日本橋に至っては11時開店のお店が主。
歯の治療が済んだばかりですから飲食は不可…
道路際の案内板をながめてみたら、2ブロック先に「東京証券取引所」がありました。
建物を見るだけでもと思っていきました。
途中のビル建築現場の囲いに、江戸かるた発見。

正面入口にいる警備の方が「ここは見学の方は入れませんが、ちょうど逆側に一般の方の入り口があります。予約はしてませんといえばいいのですよ」と。そしてホールの銅像の撮影許可まで下さいました。

建物を半周したら入口がありました。

飛行場のセキュリティチェックのようなものを受けて入場。ます証券資料ホールに行きました。明治時代の株券から展示が始まりました。日本最初の株券。

お金を集めて、明治の代が始まりました。去年行った「萩」を見つけて気分良し。帰宅後萩の友人に今日の一件を早速報告しました。

私には、とんと関係も関心もない株券ですが、明治29年の「大日本帝国政府軍事~」なんと勇ましいこと。

株券展示コーナー

こういう株券もありました。

取引所は2階から見学します。外国の方たちがガイドさんから解説を受けていました。

見下ろしながらぐるりと一周。もともと立会所と呼ばれていたのですが、1999年からはここ、東京アローズに生まれ変わりました。

この角度が、何だかテレビのニュースで見る場面です。

先日の貨幣博物館の時も感じましたが、真夏や真冬の時には美術館、博物館、資料館、ギャラリー、水族館などアンテナを高く立てていれば暑さを逃れて脳を活性化させる場所はたくさんありますね。
熱中症には気を付けなければいけませんが、脳の健康のためには家にこもりきりにならないように気を付けましょう。
もちろん、朝夕の散歩は有効です。



 


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