脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

3月の右脳訓練ー日本橋でスーパー浮世絵展を見る

2017年03月30日 | 私の右脳ライフ

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3月29日は、まったく変化にとんだ楽しい一日でした。
11時から30分間、浅草で水上バスに乗りました。東京駅と日本橋駅の中間にある歯医者さんの予約は14時30分。
ゆっくり食事をするか、後輩のY秋さんがフェイスブックでお知らせしてくださった日本橋で開催中の「スーパー浮世絵 江戸の秘密展」に行ってみるか、ちょっと悩んだのですが、悩んだのは一瞬。
展覧会にしました。

もちろん、このような時、正解は一つではありません。その人が「楽しい」とか「やりたい」と思うことはその人の前頭葉が決めることです。十人十色の前頭葉ですから、正解はその人だけが決めることができるのです。実際にその時間を過ごしてみて、どう感じどう評価したか。それがポジティブであれば 脳を活性化したことになります。
もちろん、私の場合正しい選択でした。
静止した浮世絵の鑑賞をするのではなく、浮世絵20000点をデジタル処理化。その中の選りすぐりのものを最新映像技術で巨大化、立体空間にしてあります。
吉原のコーナー。花魁道中を目の当たりに。

きれいです。

お化けのコーナー。

 もちろん大きく動きのある展示がありました。
富士山!北斎の「神奈川沖浪裏の富士」がスーパー浮世絵だとこうなります。
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展示室の壁面には富士の絵とともに魚たちがたくさん。これを合成すればこの記事の一番最初のものになるわけです。
 浮世絵ですから、時代の風物から始まりました。
 この人物は全部動きがあります。
 浮世絵といえば役者絵。歌舞伎小屋のコーナーもあります。
 役者絵のそろい踏み。たしかにブロマイドだったのでしょう。
 多色刷りを解説するコーナーもありました。
 動画で上げなければこの展覧会の趣向を伝えることはできませんが、動画の編集がなかなかうまくいきません。
この後、歯医者さんへ。15時40分終了して東京駅に向かい、お土産を買って、切符の変更をして15:56のこだまに飛び乗りました。よくやった! 


3月の右脳訓練ー浅草で遊ぶ

2017年03月29日 | 私の右脳ライフ

3月21日に東京では、桜の開花宣言が出ました。
28日に歯科受診のために急な上京が決まりました。グッドタイミングだと思って、隅田川の短いクルーズの予約をしました。

長いものは売り切れでしたが、一度は乗りたいカワセミ♪でしたから、ワクワクしながら浅草へ。
雷門前に浅草文化観光センターができたというニュースは随分前に知りました。隈研吾による、景観を損なわないように配慮されたデザインも話題になりました。
8階にある展望テラスから見おろすと浅草寺はどのように見えるのかと、ちょっと不敬なことだと思いながら体験したいことの一つでした。

仲見世を通って、本堂にお参りするつもりでしたが、観光客でいっぱい。わき道を通って宝蔵門前へつくとシダレ桜が満開で迎えてくれました。

本堂に向かって左側に二天門があります。門前で人力車がお客さんを待ってます。

私は北九州市の戸畑高校を卒業しました。もう半世紀も前のことになりますが、修学旅行で東京に来ました。戸畑で見送ってくれた父が、東京での解散場所で私を待ち構えてくれていました。そこが浅草寺二天門。「雷門ではなくて二天門」と何度も確認したのでよく覚えています。二天門という「言葉」はよく記憶の中に残っていますが、景色はまったく一致するところがありません。
私の普通の記憶のパターンだと、言葉や数字はすぐに彼方へ行ってしまって、景色やシーンの方をよく覚えるのですが、こんなこともあるのですね。まあ、半世紀ですから。
数分歩けば、船着場。隅田川を隔てて真向かいにスカイツリーが望めます。

暖かい日でしたから、デッキで景色を楽しむことにしました。お隣客は墨田区から来た姉妹で、いろいろ解説してくださいました。
「墨田区役所、おしゃれな建物でしょう。アサヒビールタワーの壁にシルエットがうつるから、シャッターチャンスよ」

たしかに!
お目当の桜は、隅田川の左岸、墨田区側には少々ほころんだ花が見つかりましたが…その時も解説が。
「西からの日差しがあるから、墨田区側の方が少し早いのね。でもねえ。桜が咲くと人で埋まるのよ。ピンクの景色を想像しながら楽しみましょ」

これも、たしかに。想像する脳は前頭葉ですね。
浅草駅までご一緒に歩きました。「ここの駅ビルデパートは銀座のマツヤと同じだから」と勧められて、東武線浅草駅屋上に寄り道。浅草には何度も行ってるのですが、ここは初めてでした。

屋上に着くと、目の前にまたスカイツリーが!桜もひと枝咲いていました。

桜を探しに探した浅草でしたが、上京の主な目的だった歯科受診のために、最寄の地下鉄日本橋駅に到着して、地上に出たら、声をあげてしまいました。隅田川よりもたくさん咲いていて、きれいでした。

歯科でお顔なじみになった受付の方に「桜が咲いてますね~」といったら「えっ!そうなんですか!私来る道が反対方向ですから・・・知りませんでした。今日帰りに見て帰ります」と笑顔の会話になりました。


石原慎太郎さんは、左利きー右脳梗塞で失読症に

2017年03月27日 | 右脳の働き

iPadを使っているのですが、購入した時にドコモショップのサービスで「dマガジン」というアプリがついてきました。

いわゆる週刊誌から月刊誌まで。男女ライフスタイル誌、男女ファッション誌、お出かけグルメ、エンタメ、ビジネス IT、スポーツ等々180誌が読み放題。
一か月後から有料でしたが、400円/月!ウソみたいな安さです。 
dマガジン導入の前は、週刊新潮や週刊文春は新聞の広告欄の見出しで十分と思っていましたが、今はときどき読むことがあります。何しろ無料ですから(笑)
今日は週刊文春3月30日号を読んで、またもや右脳に言語野がある(かもしれない)ケース発見。
週刊誌の見出しはちょっと恥ずかしくて転記しにくいですねえ。でも。
「石原・浜渦『逃げ恥』を許したおバカ都議」3ページにわたる記事でしたが、気になったのは9行のみ。
「石原氏は脳梗塞の後遺症が残る利き手の左手ではなく、右手で宣誓書にサインし、冒頭『(記憶を司る)海馬がうまく働かず、平仮名さえ忘れました。記憶を引き出せないことが多々あります』と断ったうえで質疑に応じた。」
ここでお断り。今回の記事は、書かれていることが正確であるという前提でお話ししています。

3月27日。小雨の庭の花たちです 。貝母

この短い9行の記事から、いろいろなことがわかります。
まずは「利き手が左手」ということですね。 その左手に「署名ができないほどの後遺症としてのマヒがある」ということもわかります。
ということは、脳梗塞は「右脳に起きた」ということになります。
びっくりすることに「平仮名を忘れている」つまり、「平仮名が読めない」とカミングアウトしたのです。
もう一つは「(利き手でない)右手で名前は書ける」のですね。

ミニ水仙

右脳の働きはアナログ情報の処理、色や形や音楽さらには感情的な処理までも受け持ちます。左脳はデジタル情報の処理をします。つまり言葉は左脳の担当ですから、右脳にダメージを受けたときには「失語症」の心配はしなくていいのが普通です。
ただし大切なことは、このざっくりしたわけ方は、右利きの人の場合だということです。左利きの人は、言語野が左脳にも右脳にもあると言われています。

石原さんの「平仮名が読めない」ということは、言葉の障害と考えられます。理由は、石原さんは左利きですから、脳梗塞でダメージを受けた右脳にも言語野があったということなのです。

先日のニュースで、石原慎太郎さんが百条委員会での証人喚問に際して、次のように発言したと伝えられました。正確な情報のためにネットで全文記載してありそうなものを見つけましたから、ここに転記します。
「お答えする前に一言、お断りしておきますけど。私ごとになりますが、私、2年ほど前に脳梗塞を患いまして、いまだにその後遺症に悩んでおります。現に、利き腕の左腕が使えず、字も書けませんし、絵も描けません。患部がですね、右側頭頂部だったために、その近くに「海馬」と言う不思議な部分がありまして、記憶を埋蔵している箱のようなものですが、これがうまく開きません。そのため、残念ながら全ての字を忘れました。平仮名さえ忘れました。物書きでありますから、ワードプロセッサーを使ってなんとか書いてますけど、そういう点で記憶を引き出そうとしても思い出せないことが多々ありますので、一つ、ご容赦いただきたいと思います」
うーん、週刊文春の短い記事はけっこう正確に伝えてくれています。
冬アジサイ

一般の読者はびっくりしたでしょう。
こういう場所ですから「まさか嘘は言わないだろうから、脳梗塞の後遺症で海馬がうまく働かなくなると平仮名も忘れてしまうんだ」とそのままに受け取ったのではないでしょうか?
発言内容はさておき「その割には、ちゃんと話すことはできるんだ」と思ったでしょうね。
単に「宣誓書にサインをした」とだけ書かずに「脳梗塞の後遺症の残る利き手の左手でなく、右手で」と「左手が利き手」であることを省略してないことに拍手です。
左利きの人は、言語野が左脳だけでなく右脳にも一部あるといわれています。
そのことは、左脳にダメージを受けても言語野がすべてやられることになりませんから、「左利きの人は失語症が軽くて済む」といわれることにつながります。
今回のように、右脳にダメージを受けたのに、普通なら左脳障害の後遺症である言葉の障害(軽症のことが多いですが)を起こしてしまうことにもなりますけど。
たまたま、前回の記事「例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります」も同じ例です。
クリスマスローズ
 
実は「また『忘れる』ことが、種々のトラブルの原因にされてしまって・・・困ったこと」と、私は思っていました。
その前に解説が必要だということに、週刊文春の記事は気づかせてくれました。
平仮名を「忘れてしまって」分からなくなったのではなく、平仮名の理解をする脳の機能に、脳梗塞の後遺症が起き「読めなくなって」しまったのです。形のレベルで「わからない」場合も、形はわかっても「意味と関連付けること」ができなくなってしまう場合もあります。
漢字の方がわからないケースと、仮名の方が難しくなるケースがあります。一文字が問題の場合もあるし、文が難しい場合もあります。
「失読」という症状です。細かく調べないと正確なことは言えません。
「失読」には「失書」も伴うことがよくあります。「字が書けない」という症状です。ところが自分で書くことはできなくてもパソコンを使えば書ける場合もありますから、石原さんの発言の後半はうなずけるものだといえます。
脳機能という切り口を持っていると、たった9行の記事からもいろんなことがわかるものです。
コリアンダー
 
認知症も「物忘れ」こそ大切な症状と思われています。何か問題があれば「物忘れ」「記憶力がおかしい」「思い出せない」「覚えられない」と言います。

認知症の最初の症状は「記憶力低下」ではありません。
前頭葉の機能低下こそ、認知症のもっとも初期の症状の原因となります。
例えば小ボケの症状である「鍋を焦がしたり、やかんの空焚き」をしてしまうのは、鍋やヤカンを火にかけているのを「忘れる」のではなく 、他の用事をしていると、前頭葉の中核的な働きである「注意分配力」がうまく働かない状態なので、注意を振り向けることができなくなるから起きる失敗なのです。
いろんなことを思いついたり、企画したりするような「意欲」も前頭葉の役割です。
認知症が始まってすぐ、記憶の障害が目立つ前に「意欲」がわきませんから「何もせず、ボーとして居眠りばかりしている」のですが、そのことを指摘すると「あんたもこの齢になったらわかるわよ」などと妙に納得させられるような反論にあったります。そうすると「『物忘れ』もそんなに目立たないし、やっぱり歳のせいかなぁ」と、折角の認知症を回復させられるゴールデンタイムを見逃してしまうのです。

ホンコンドウダン(ピンクシャンデリア)

 

 


例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります

2017年03月17日 | 右脳の働き

今日のブログはお勉強!興味がない人はスルーしてください。
保健師さんから質問というかSOSが来ました。「何が何だかわかりません」
ゆっくり話を聞いてみました。
 
「継続的に脳機能も計っているし 、何よりも長いお付き合いがある方です。穏やかで、グループの良いまとめ役だった方なんです」
資料として、平成19年の結果が送られてきました。(平成19年8月の立方体透視図模写)

「それが・・・。平成28年12月にはこうなってたんです」

「五角形相貫図も描けません。『気に入らないなあ』と描きなおした結果ですが」

「もっと変なんです。名前が書けなくなってる!『松』一字ですけど」

そこで私。「形が不得手になっていらっしゃるのだから、アナログ情報担当の右脳障害でしょ」
城ケ崎サクラ。伊豆大島を臨む海沿いにみごとに咲いています。3/11撮影

「MMSの結果なのですが…」と言いよどむ声が続きます。
「12月21日はどうにかいえたのですが、『年』を聞くと『平成16年・・・2016・・・平成18年・・・』みたいになるんです。それから季節は『秋』でした。所を聞いてみたら『えーと何?。えーと』というばかりで県名以下出てこないんです」
そこで私「失語症でしょう。しかも入力障害タイプ、感覚性失語症ね。話してる時には失語って気が付かなかったのでしょう?。しゃべれないとかしゃべりにくい出力障害タイプ、運動性失語症は見落とされないけど、感覚性失語症は軽いとよく見落とされるのよ」
「感覚性失語症は、発話量は多いし、滑らかに話せます。注意して聞くと、軽症の場合でも『なんだか持ってまわったような表現が多くて発話量の割には話がよくわからない』ことに気づくはずです」
「そんなことになるのは、感覚性失語症には『キーワードが出て来ない』という特徴があるからです。別の時には滑らかにすっといえるのですが、言いたいときにはその単語がどうしても出て来ないということがよく起こります。だから持って回った言い方になるのですけどね」

私「感覚性失語症のときのMMSチェック項目は、記銘・命名・復唱・口頭命令・書字命令でしょ。その結果はどうだったの?」
「口頭命令が2点だったほかは全部できました。時の得点が3点だったのに想起は2点もありました」
私「ちょっと待って。時の得点は3点って言ったけど、低下順が違ってたんでしょ。それに季節は『秋』だし。その結果が実力だとしたらそれだけでもう失語症といえるくらいですよ。下位項目の低下順はとても大切な情報なので、できるはずの項目ができない時にはそれが確実な実力であることを自分が納得できるまで確認しておかないといけません。失語症のチェック項目が全部クリアできたのは、軽症だからです」

電話の向こうの保健師さんの声はまだ怪訝そう。
そうですよね。右脳障害と失語症(左脳障害)が両方起きているのですから!
初めてお会いした方だったら「脳卒中はなさいませんでしたか?」と尋ねることになります。ところがこの方のことを保健師さんは「お元気だった」とよく知っています。
半年前の平成28年6月3日の脳いきいきチェックの時の立方体透視図模写の結果です。

少なくとも、このときは脳いきいきチェックが合格しています。つまりまだ左脳にも右脳にも脳卒中はおきていないのです。
それから、たかだか6か月で通常の「老化の加速」では説明しきれないような大きな機能低下が起きています。
エイジングライフ研究所では、このような時、つまり脳の機能低下の原因が廃用性の機能低下といえない時には「専門医受診」というふうに指導しています。私たちはお医者さんではありませんから、できることは生活改善指導だけです。

保健師さんを納得させてあげなくてはね(笑)
「今回の結果を説明できることは、『この方の言語領域が右脳にもある』場合だけです。左利きの方の中には言語領域が右脳にもあることが多く、失語症は軽度で済むといわれています。家族に左利きがいる場合でも、失語症になりにくいといわれています。
右利きの人の大多数は言語野が左脳にあり、構成能力は右脳にあります。左利きの人の場合は言語野が逆転するのではなく、左脳にも右脳にもあると考えられているのです。このことは『脳の側性化』というのですが、まだはっきりと数値では確定されていません。左利きの度合いもいろいろあるわけだし、この先も右脳に何%言語野があるというのは難しいでしょう」
今度ご本人に会った時の時の確認事項を言います。
去年いただいたシクラメン、先ほど写しました。元気でしょ!

質問1.「左利きですか」(指示が足りませんでした。細かくどの程度の左利きかも聞いてみたほうがよかったと思います)
質問2.「左足の動きが悪いとかつまずくとかありませんか」(感覚性失語症の時は足の動きが悪くなることが多いのです)
質問3.「物を10個並べて名前を言ってもらう」
質問4.「人の絵を描いてください」 

結論。
質問1の回答「はい。左利きです」
質問2の回答「そうなんです。どうも左足がうまく動かない感じがあります」感覚性失語症がありますからそばによって、こちらの足と確認したそうです。
命名に関しては、保健師さんもびっくりしていましたが、2個では異常がすくい上げられなかったということです。
時計ー〇
100円玉ー〇
1000円札ー〇
カギー〇
くしー〇
口紅ー「これはね、こうやって」とジェスチャーした後で〇
ハンドタオルーマークに目を止めてかわいいといったり時間をかけて、ハンカチ
ボールペンー✖(サインペン)
湯のみー✖急須じゃなくお茶の茶碗
茶たくー✖ 
あめー✖
ティッシュー✖
「だから『冬』と言えなくて『秋』って言っちゃたんですね。『何時ですか?』って尋ねたら『さあ何度か・・・割合に温度が高くて』って答えられました。これも感覚性失語症のせいですね」

人物画は下の通りです。「ひげずらの男性」という説明だったそうです。上手下手というのではない、まさに右脳の障害があることがよくわかりますね。

今日のケースは、確かにわかりにくいかと思いますが、ゆっくり考えてみていくと答えはあるのです。
①構成能力に問題がある
②感覚性の失語症がある
以上の2点が、二段階方式の脳機能検査でわかりました。(急激に来ていれば、考える間もなく即刻、脳外科受診)
もちろん左右の脳に同時に支障が起きたことも100%否定はできませんが、このような場合の原因で一番多いのは血流の低下です。血流の低下が左右同時に同じように起きるというのは、あまりありません。
図形の模写ができないのですから、右脳障害は必ずある。そうすると残りは、言語野が右脳にもあると考えれば説明は付きます。そのときの必要条件が左利きの方ということなのです。 






 


遅ればせですが。2月の右脳訓練ー東山魁夷展

2017年03月10日 | 私の右脳ライフ

偕楽園と千波湖を隔てて、対岸に茨城県立近代美術館があります。開催中の「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」をみることも、今回の旅の目的でした。
茨城県龍ヶ崎市に住んでいるM子さんと電話でおしゃべりした時に、彼女が「偕楽園の梅」と「近代美術館の魁夷展」のすばらしさに感動していました。
「私も一度は偕楽園に行きたいの。そうね、どうせ行くなら確かにいまがベストシーズンね。その魁夷の作品、見たことあるけど、齢をとってみるのもまた一興」と盛り上がり、長野からの帰りに立ち寄る計画が、その電話で決定。
偕楽園から県立近代美術館までは千波湖をぐるりと半周、歩いて30分足らずです。散策道も整備されていて 都会のオアシス。

説明板によると、千波湖周辺の偕楽園や県立美術館や文化センターまで含め千波公園として整備されているエリアは、ニューヨークのセントラルパークに次いで世界第2の広さとか!まったく知りませんでした・・・
写真は、偕楽園から国道をまたいで千波湖へ渡る橋の上から撮りました。写真上部を横切っている湖の縁を真ん中あたりまで行くのです。 
歩き始めの広場には おなじみの銅像発見。
 
目を湖に向けると白鳥が遊んでいます。

「白鳥がいるのだったら黒鳥は?」と冗談交じりに呟いたら、いたのです。

歩きやすい道が整備されています。よく撮れましたと自画自賛。

これは今ひとつ。

春うららの土曜日ですから、散策を楽しんでいる人もいましたが、視界をうごくものがよぎるのは、一人で歩いていても寂しくないものです。

ダイダラ

「ダイダイボッチが泣いた涙の後が浜名湖」というお話を子どもたちと読んだことがあります。何と水戸にもありました。後で調べて「国作りの神に対する信仰心のあらわれ」と分かり納得、納得。
けっこう楽しみながら茨城県立近代美術館に到着。

東山魁夷展は撮影禁止です。
二回行きつ戻りつして、障壁画の全容が理解できました。 
魁夷の鑑真和上に対する敬虔な思いや大きな感謝が、作品を制作するすべての基礎にあることがよくわかりました 。まるで生きている人に対する「おもてなし」のような魁夷の心情が切々と伝わってきました。
魁夷の絵に対するときに感じる「魁夷の筆によって目の前に展開されている大きな自然。その自然に対して心動かされている 小さな自分。実はその小さな自分も大きな自然に抱合されている」というような感情を、今回はよりはっきりと感じることができました。それはまた、もしかしたら魁夷の心情そのものかもしれません。
こういう感想は、「今の私」の感想 でしょう。
もうひとつ。絵画を観賞するということは、右脳の分野に違いありません。が、今回私の心を打ったのはもうひとつ、その絵に対して名付けられた題名でした。これは左脳に「言葉」としての刺激が入り、その結果左脳が持っている知識を呼び起こす。そのことが右脳のイメージをさらに膨らましてくれるというようなメカニズムが働いたからだと思います。
第一期に制作された「山雲」「涛声(とうせい)」は日本の豊かな自然、湿り気を感じる自然が表現されていました。
第2期に制作された「揚州薫風」「桂林月照」「黄山暁雲」は異国としての中国が、温かいまなざしをもって描かれていました。題名があるとないのとでは、やはり伝わるものが少し違ってくると思いますが、どうでしょうか?
中国と日本の景色を求めてスケッチを重ねたことや、下図や制作に至るまで、小さな展覧会でしたが満足感たっぷりでした。
館蔵品展の「日本の近代美術 茨城の作家たち 春」が二階で開催中でした。M子さんおすすめでしたからこれも鑑賞。大観、佐伯裕三、中村彝、小川芋銭など作品もすてき、茨城県との縁の解説も興味深かったです。たしかに岡倉天心の五浦六角堂は茨城県でしたね。

白状すべきことひとつ。
私がM子さんに「見たことある」といったのは、この唐招提寺御影堂障壁画ではありませんでした(恥)
私が見たのは皇居新宮殿障壁画でした。ごめんなさい。
長野善光寺お朝事から始まったこの日の歩数は、なんと16,769 歩。


遅ればせですが。2月の右脳訓練ー水戸偕楽園

2017年03月09日 | 私の右脳ライフ

2月25日はよく遊びました。正確に言いましょう。右脳にたくさん刺激を与えました。
早朝の善光寺お朝事参りの後は、9時過ぎには長野駅で北陸新幹線乗車。上野駅で常磐線の特急に乗り換えて1時間で 臨時駅「偕楽園前」に到着。

すばらしい天気以外の言葉がありませんでした。偕楽園に行く前に常磐神社にお参りするそうです。参道は縁日の屋台がたくさん出ています。

一人で縁日で何か買って食べるということはなかなかしにくいものです。で、そのまま偕楽園へ。
入園したとたんに、一人でしたがちょっと声をあげました。満開ではないでしょうか!
梅園をめぐるとまだまだ今からの梅もたくさんありました。一本の木も長く咲くうえに早咲き、遅咲きが混じりますから、たしかに花期が長いですね。

中華民国はウメの花期の長さを愛でて国花にしたそうですし、韓国の国花はムクゲです。槿花一朝の夢というように一つの花は一日花ですが、次々に散っては咲く生命力に意味を見出しました。
日本は散るサクラの潔さを好みます。私もサクラは大好きですが、こんなにきれいなウメたちに会えると、それは喜び以外のないものでもありません。
入口でもらったパンフレットに、ステキな表現を発見。早咲き(探梅)、中咲き(賞梅)、遅咲き(送梅)。探梅以外は知りませんでした。
梅園が広いので 、「水戸の六名木」を探してみることにしました。
虎の尾

白難波

月影

江南所無
 
烈公梅
 
柳川しだれ

昭和9年に、花の形・香・色などが特に優れているものを選んで「水戸の六名木」としたそうですが、確かに色も形もそして咲く時期もいろいろでした。ゆったりと園内を散策するのは、友とおしゃべりしながらの時のほうがいいかもしれません。ひとりだと何か目的があるほうがモチベーションを高めます。
何か所かの梅園で梅を楽しんだことがありますが、基本的に梅の実をとるという目的があることが多く、地形を生かして変化にとんだところもありますが、ここ偕楽園のような計算された日本庭園の一部にこれだけ広大な梅園があるというのは珍しいことだと思います。
売店で、期間限定の梅もなかゲット。
 
園内にはいくつかの見どころがあります。
吐玉泉。ひそやかな緑陰をイメージしていたので、大きな大理石には驚きました。
 
昭和62年作の4代目です。1日100トンの湧出量を誇っています。
すこし坂道を上がっていった先に、好文亭がありました。この門は中門。
 
二層三階の好文亭と手前の奥御殿がつながっている建物(合わせて好文亭ともいうそうです)

三層の好文亭は、水戸藩9代藩主徳川斉昭公が「人々が仕事の合間に集って、詩歌管弦を楽しむ場所」としてつくられたという説明に、仕事=勉強、詩歌管弦=右脳、生活を楽しむ=前頭葉などと浮かんできました。
三階広縁からの景色

藩主の座も簡略に。床の間まで省略されています。

長生きの方は大切にされていました。

奥座敷からの景観

奥御殿の部屋
 
好文亭の明るさと対比的な陰影を生かした部屋が続きます。
 
お天気に恵まれた土曜日でしたから、多くの人たちでにぎわっていました 。眼下には千波湖が広がり水戸は水の豊かな町だと実感できました。(続く)



 


遅ればせですが、2月の右脳訓練ー善光寺お朝事

2017年03月07日 | 私の右脳ライフ

善光寺に行って「お数珠頂戴」を体験してきました。善光寺は無宗派というか仏教が各宗派に別れる前にすでにもう創建されていたために、宗派を問わないということです。だからこそ全国から善男善女がお参りに集うのですね。私が善女と言いたいわけではありません(笑)。・
仏様がいらっしゃるのですから、実際には天台宗と浄土宗でお守りしているそうです。毎朝、1年365日、雨でも雪でも一日も欠かさず、天台宗大勧進貫主さまと浄土宗 大本願お上人さまが「お朝事」といわれる朝のお務めをなさいます。毎日時刻は変わっていくのです。私がお参りした2月25日は6:50!
参道はまだ眠っています。

善男善女が少しだけ。上の写真の奥にみえるのは仁王門。仁王門を背にして山門、そして本堂に向かいます。
山門の手前に六地蔵があります。

いよいよ山門をくぐります。

早めに行きましたので、常香炉にお線香をあげました。

そこで、元ボランティアガイドさんと出会いました。お朝事のこと、お数珠頂戴(道中に膝まずいてたら、お朝事に向われる貫主様やお上人様からお数珠で頭を触って徳を分けていただける)のことなど細かく教えてくださいました。


亡くなられた奥さまの写真と一緒に毎日お朝事にお参りしていらっしゃるのだそうです。お歳は今年88歳になられるとか。
「貫主さまはこの道をこういうふうに通られるから、ここで跪きなさい」本堂に入っても細かい説明が続きます。「今、そこを見るんだよ」「これでお帰りになるから、ここで待つとまたお数珠がいただける」「ほら、今度はお上人様がいらっしゃる。尼さんだからね」おかげさまで得難い経験が一層深いものになって刻み込まれました。
私は3度「お数珠頂戴」の体験ができました。

お寒いことでしょう。
勤行は、天台宗ですから声明から始まり、お経も挙げられましたからその違いまで体験させていただく余禄まで。声明はすてきですねえ。
お朝事にお参りするためには、近くにとまらなくてはということで宿坊を考えましたが、この時代に一人はだめといわれ、勧めてくださった松屋旅館に泊まりました。なんともともと善光寺本堂があった場所ですって。
 
大きなお地蔵さまが。お朝事から帰った時に、ご近所の方でしょうか 、お参りに来ていました。
 
「善光寺のお朝事にお参りしたい」と いう希望と、もう一つ実現させたいことがありました。
フェイスブックで友だちになったおすし屋さんが長野市にあるのです。江戸前寿司のすし崇
お仕事に対する姿勢に魅力を感じ、ごく親しい友人 が3人も共通のフェイスブック友だちだということも判明し「行くべし」と決めました。
 
「日本文化は引き算の美」という言葉を聞いたことがありますが、気が引き締まるようなカウンターです。

客が、というより「この向こうに立つ人は覚悟を持って包丁を握るだろう」というような感じだといえば、私の印象が少し伝わるかもわかりません。
最初は「蛸の桜煮」

お刺身。アオリイカは私の住んでいる伊豆でも生きたものが手に入ります。動いているほど新鮮なもののおいしさとはまた別のおいしさが迫ってきます。それが江戸前ということです。「おいしさを迎えに行く」って言われてました。

けっこう強行軍でしたが、とてもいい長野の小さな旅でした。
すし崇の久保崇嘉さん。ごちそうさまでした。お料理も!お話も!
フェイスブックのご縁で伺ったのですが、実はもうひとつおまけが。久保さんのご実家はなんと小布施町山王島。人生って楽しいですね❗️


認知症予防教室で生き方は変えられる。その2

2017年03月06日 | 二段階方式って?

奥州市江刺区の「としとらんと会」の千葉謙さんから電話がありました。
「先日、としとらんと会の総会をやったんだけど、安次郎くんが、会長を引き受けてくれることになってね」
「あれ?及川安郎さん。二度目じゃないですか?」
「そうそう。まだ2回目をやってくれた人はいないんだけど、安郎くんは自分から 『どこまでできるかわからないけど、できることをできる間やらせてもらおうと思って』と言ってくれたんだよ。そうしたら、みんなが大喜び『ありがとうございます。よろしく、よろしく』って。安郎くんが教室を大切に思ってくれていると感じるからだろうなあ」そう話してくれる千葉さんの声は弾んでいました。
 
この写真は、去年奥州市へ講演に行ったときに「としとらんと会」を訪問した時のものです。認知症予防講演会in平泉町と奥州市江刺区 (後半に「としとらんと会」の訪問記があります)
 千葉謙さんは後列右端。及川安郎さんは後列左端です。
 この「としとらんと会」は特異で魅力的な認知症予防教室です。(興味のある方は2011年6月のサイトをご覧ください。様子を垣間見ることができます)

「ここに幸あり」花壇―奥州市「としとらんと会」の活動

話は旧江刺市時代にさかのぼります。保健師さんたちが各地区に認知症予防のための「脳いきいき教室」を立ち上げていきました。2004年には、もう各教室が集まって交流会をやっていました。その後、交流会も活発になるし、交流会後に教室間の自主的交流も始まり、地方紙に取り上げられるほどだったのですが、残念なことに例の市町村合併。
そんな中でも、この「としとらんと会」は同じように活動を続けてきたのです(脳機能検査はなくなってもですよ!)。その経緯が先にあげたページに詳しく書いてあります。

続けられたカギは、地区の持っている準家族のような親密さが筆頭に挙げられるべき条件でしょう。次に千葉謙さん、千葉キヌさんという得難いリーダーに恵まれたことも、大きな理由だと思います。

最初にお会いした時の千葉謙さんの言葉が忘れられません。当時はまだ現職でしたが
「地区のお年寄りのために、月1度、たかだか2時間の時間を割くくらい、気持ちさえあれば無理なことではない。実際やれば自分も楽しめるんだし」
去年の年末の発言
「脳の健康と社会貢献の二つが『としとらんと』会の大切な目的。社会貢献は世剣舞を復興して中学生に教えたり、花壇の整備をしたりということも当然あるが、ボケずにいることそのものも、費用削減という意味で大きな社会貢献」。まったくその通りです!
 
千葉謙さんは会長さんとして確かに適任者だったと思います。何年か会長職をつづけられた後で辞任。そのときの言葉も秀逸でした。
「『としとらんと会』をみんなの会と思ってもらうには、会長を輪番にすることだと思ってね。 ボクは交流担当ということで仕事をさせてもらうから」
こういう経緯で、及川安郎さんは会長さんに。
「せんせ。安郎くんは なかなかの会長さんをやってくれてるよ。心のこもったいい挨拶をしてくれるよ。お知らせはパソコンを使い始めてビシッとしたのを作ってくれるし、もちろん会計もきちんとしたものだし。ボクもうれしいけど、安郎くんご本人も水を得た魚のようにあれこれと気を使ってやってくれて、気分がいいんじゃないかなあ」とすぐに連絡がありました。連絡というよりも、千葉さんはご自分のうれしさを、私におすそ分けしたかったような印象を受けましたよ。

その後も、折に触れてはいろいろのイベントでの及川安郎会長の地道な活動が伝わってきました。
「何しろ安郎くんは大工だから、何でも作れちゃうんだよ。右脳刺激の工作の時も頼りになるし」
「ここに幸あり花壇の看板だってお手のもの。すこしも面倒がらずにやってくれるからなあ」
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「この前の、振興会青年部による『いなせ夏まつり』では流しそうめんやったんだ。おかげで竹を使って立派なものができて、子供たちも大喜び。ついでに『ながねっこの会』との交流会でも流しそうめんやって大好評」(「いなせだより」に詳細があります)
 

その後、2年の任期を終えた後でしたが、及川安次郎さんにアクシデント発生。
早朝、トラクターに乗って農作業中、脳卒中発作を起してしまったのです。畦道の斜面に身を寄せているところに、たまたま通りがかった仲間が発見してくれて文字通り命拾い。多少の不全マヒは残ったようですが普通の暮らしができていて、ご夫婦ともに地区の皆さんに深く感謝しているということでした。

もともと、地区の役員なども嫌がらずに引き受けて、目立たないように縁の下の力持ちのような働きをなさっていたと聞きました。
一方では、大工さんの腕を生かして、地域の学校(18校も!)に数年にわたって巣箱を寄贈してこられたんですって。それだけでなく稲瀬地域には103戸あるそうですが、各家庭にも巣箱のプレゼントをされたそうです。
まだまだエピソードがあります。今年は奥州市も大雪で大変だったのですが、及川安郎さんは、一人暮らしの家庭にトラクターで行っては、ライフライン確保のための除雪をしてあげたそうです。頼まれた事ではないだけに、除雪してもらった方たちがどのくらい喜ばれたか、目に見えるようです。

千葉さんの電話の声は弾んだまま続きます。
「実は、この前、県から老人クラブの活動に協力的ということで安次郎くんが表彰を受けたんだよ。全県でもほんの数人が推薦を受けて選ばれるものだから、大したものなんだよね。巣箱の件といい、除雪の件といい、ほんとに表彰に値する働きをしてくれたからね」
「安郎くんのお父さんがテキパキした人で、その陰に隠れて黙々と仕事をしてきたんだなあ。まじめで、おとなしく控えめという印象が一番強い。
でも人は場を与えられると、隠された能力が湧き出てくるものだということがつくづくよく分かった。 立派な会長さんだよ。それにしても自主的に次の会長さんに名乗り出てくれるなんて、しかも既に一度は会長を務めてあるんだよ。思いがけないうれしさだった!」
4月3日に、前にもましてうれしそうに弾んだ声で、千葉さんから電話がありました。
「表彰される賞の正式な名前がわかったんだけど、育成指導功労賞。いいねえ、育成指導だものね。その功労を認めてもらって ね!」

どうでしょうか?認知症予防教室で生き方を変えられますよね?
状況を判断したり、その意義を評価したりする前頭葉機能が元気にいきいきしている事が、前提条件ですけど。 

















































































































































 

 


認知症予防教室で生き方は変えられる。その1

2017年03月04日 | 二段階方式って?

認知症予防教室で生き方は変えられるのです。生き方が変えられないなら、その教室は成功とはいえない・・・
そう言い切るには大切な条件があります。エイジングライフ研究所が指導する認知症予防教室は、あくまでも「元気な方が元気なままでいること」がその目標です。生き方を変えるのも、意義を見出すのも前頭葉。「脳が元気」ということはとりもなおさず前頭葉が元気ということなのです。脳を元気に保つ条件は、前頭葉の出番を用意し、右脳・左脳そして運動の脳もよく動かす日々を送ることです。簡単な言葉で言い換えるなら「自分らしく楽しく生活し続ける」ということです。
下の写真は先日の交流会での客席のワンシーンです。

専門家が指導しているのではありません。他地区の教室の皆さんが「肩たたき体操」を披露したのです。「皆さんもご一緒に」というスタッフの声掛けで、このようなシーンが繰り広げられたのです。「生き方が変わった」象徴的なことだと思いました。
ところで小布施にはもう15年も通っているので私にとっては第二の故郷のようなもので、顔なじみになった方もたくさんいらっしゃいます。
交流会の時は時間がありませんから、ゆっくりお話しすることも写真を撮ることもなかなかできませんが、アップで撮れた写真が何枚かあります。 
まずご紹介するのは、小布施で一番最初に脳のリフレッシュ教室を始めた山王島の、当時の会長をなさっていた岩井茂松さん。

15年の年月はI 井さんにも私にもくっきりと刻み込まれていますが、岩井さんの本質というか岩井さんらしさを生むその源になるものには何の変化もないことが、よく感じられます。岩井さんの前頭葉は15年の歳月にびくともしていないということです。
岩井さんは教室のキャッチフレーズを「ズクを出してがんばろう」と決めてくださいました。
「ズク」は長野県の方言ですから、ウキぺデイアの説明を貼っておきましょう。
 :(全県)しばしば共通語による定義ができないとされる名詞。強いて言うならば、億劫がって何かをやりだそうとしない状態を「(あなたは)ずく無しだ」などと形容するが、その逆になにか面倒なことを敢えてするようなときに「ずくを出す」と用いられることもある。あるいは、エネルギー(精神的なものを含む)の積極的な消費を厭わないような性質のこととも言える。
岩井さんも、この15年ズクを出して生きて来られましたよね?
 
前に報告したように、今年の山王島千曲合唱団の合唱は、去年亡くなられたお仲間に届けたいという思いが一つになったすばらしいものでした。その合唱指導をしてくださいました。
もちろん皆さんの右脳を活性化したわけですが、指導者の前頭葉もフル回転したはずです。期せずして私たち二人「思いは通じましたよねえ」と涙が流れましたもの。


山王島の仲良しさんたち。左端は岩井さんの奥様、84歳。お漬物の名人です。続いて87歳、90歳、そして右端の方は94歳。
脳がイキイキしている人たちは、胸を張るように年齢を言ってくれます。この4人組もそうでした。山王島に脳のリフレッシュ教室がなかったら、今日のような時間はなかったでしょう。教室がなくても仲良しだったかもしれません。でも「体も脳もイキイキしている私たち」という今日の自信はなかったはずです。

その山王島で教室を立ち上げたときの、保健センター長が冨田さん。
 
定年なさってもう何年になるでしょう。ようやく富田さんの地元「横町」に教室がスタートしました。
横町の仲間として教室に参加されるわけですが、保健師さんとして多くの経験をされましたから、生かせるものがたくさんあるのではないでしょうか?新しい脳の活躍の場になりますようにと楽しみにしています。
去年10周年だった大島地区の小林さん。

教室を続けていくには、さまざまな工夫が必要でしょうね。小林さんはアイディアが溢れるタイプみたいです。その力をご自分の暮らしを充実させるのに使うことと、地域の仲間にも還元することを比べてみてください 。それにしても今回のチャイナドレスにはびっくりさせられましたよ。
得意を生かしている方はほかにもたくさんいらっしゃいます。

お話ししたことはないのですが、中町中央の発表の指導をしていらっしゃるようですね。プロとしてお弟子さんを教えるのと、脳のリフレッシュ教室での指導は違います。高齢の皆さんが楽しめるものという条件がありますから、その分却って難しいのではないかと思います。そしてそのことそのものがご自分の脳の力を引き出すことに他ならない・・・全く情けは人の為ならずですね。
開演前に目に留まったジェントルマン。

北部地区の田中さん。「うわー!今日はすごく決まってる。どうしてこんなにおしゃれなんですか」とお訊ねしたら「いや~いつも通りだよ」と照れていらっしゃるところをパチリ。ほんとに今年はお元気そうでうれしかったです。周りの女性陣も楽しそう。
北部地区といえば替え歌の北澤さん。前の席にいらっしゃいました。あれ?北澤さんも蝶ネクタイ。

「いやー、僕のは役用だから、お楽しみに」砂漠のロイヤルファミリー王子さまでしたよね。
北澤さんの「脳リフ教室の歌(青い山脈のメロディ)」を始めて見せていただいたときには、スタッフの皆さんと「言いたいこと全部言ってくださってる」と感動したのです。
♬1.一茶 晋平 人形館 近くにいいもの ありますね バスの窓から 景色は開けます 見聞もこれといっしょに 広げよう
(春はサクラに秋モミジ 散策するのは楽しいね 名所旧跡 ひとめぐりして バスの中今日もはなしに 花が咲く)
♬2.頭と手足を使うのは 折り紙 絵手紙 革細工 私の作品 いまいちだけど 我が家には一つしかない 一番だ
♬3.童謡 カラオケ 古い歌 歌っている時ぁ ユートピア 歌に合わせた 体操おもしろい 考えた人に座布団 贈りたい
♬4.落語 お話 講演会 笑いのつくもの大歓迎 年に二度ある いきいきチェック わたくしのためと思えば 受けられる
♬5.今日は脳リフ交流会 舞台の人も見る人も 愉快になるもの 今年も待ってます 失敗をしても拍手は もらえます

齢をとったら、楽しく日々を過ごしましょう。
楽しいものやことは探さなくてはいけません。楽しいと判断する豊かな前頭葉は年齢に関係なく働いてくれる能力ですから、自信をもって!



 


小布施便りー脳のリフレッシュ教室交流会その2

2017年03月03日 | 認知症予防教室

上松川地区。
ここは4人の小世帯ですが、全員皆勤賞。
去年も「昔の農作業」の寸劇で会場から喝さいを受けました。「顔が見えないから頑張れた」といわれてましたけど、さて今年は・・・
「昔のお母さんの一日」手作り赤ちゃんをおんぶして、洗濯、うどん作り(伸した状態や切った状態の工夫がすごい)、お風呂の準備。「そうだったなあ・・・」と私までもが懐かしく、その大変さに母への感謝の気持ちが湧き上がってきました。

「ポテトの会でねこはんてんの作り方を習った」ところからの発想だったそうで、たしかに皆さんねこはんてん姿です。一年かけて「今度の交流会の出し物を何にしようか」と考えるようなことは、日常生活上では起きて来ない脳の使い方ですね。会場の皆さんも喜びましたが、一番活性化されたのは上松川の皆さんの前頭葉だったかも。

東町・上町地区
交流会も11回を数えましたが、初めてのペープサート。
「大日堂の昔あったお話」という題もすてき。

初めてだけに開演までにチョット手間取りましたが、その間、会場からは「何が始まるの?」というワクワク感が伝わりました。「絵」がなんとなく郷愁を帯びたもので物語とマッチしていましたね。
ペープサートを思いつく方がいらっしゃることに驚きましたが、「演劇をやってたの」と軽く言われ納得しました。後で教えていただきましたが、練習時間はほんの少しだったそうです。
続けられるといいですねえ。テーマの選定、絵を描き形にする、セリフも分担し、効果音楽も入るともっと映えますね !
 
横町地区。
一番若い教室で初参加。「歌声喫茶の イメージで楽しみます」といわれました。たしかに何だか楽しそうないでたちです。こういう小さな工夫が脳を元気にするのですよ。
横町では言っておかないといけないことがあります。小布施町に「脳のリフレッシュ教室」を導入した当時のT田センター長さんの地元。ようやく教室が始まりました!ぜひ皆さんと一緒にお楽しみください。
 
「青い山脈」「おぼろ月夜」「高原列車は行くよ」会場も巻き込んでの楽しい充実した時間が流れました。 
ギター伴奏がありました。ギターと合唱が独立独歩のところが、ご愛敬。皆さんを十分に楽しませてくださいました。ありがとうございました。

林・中扇地区。
毎年どんな寸劇が繰り広げられるのか?と期待されるななくさの会。
今年は、客席で待っている皆さんは白い服が目立ってましたけど、かわいくウサギのダンスでした。ステージで見ると衣装がそれにしてもかわいいこと。

みんなでのダンスの後は、選抜隊がステージに残りました。
よ~く見てください。三人がやってる姿がちょっとずつ違う。
演技をする時はピシッと決める良さもあるのですが、それは一般論であって、脳リフレッシュ教室交流会では、いかに楽しめるかの方がはるかに大切です。
「失敗した時に、本人が笑って楽しめるような気持ちで取り組んでください」と私は何度言ったかわかりません。
ななくさの会の皆さんは、いつでも十分楽しめてますよね。

東部地区。
寸劇「ありがたや節」。そうだ!こんな歌がありました。
それに加えて舞台に出てきた皆さんのいでたち、そのものが面白いのです。皆それぞれに一ひねり一工夫が凝らされています。

靴磨き。

ピコ太郎も。

よくもこのような衣装があったこと。わらじは編んだのですか?

大島地区。
リーダーK林さんが何と客席なかみちからチャイナドレスで登場、脇のスリットはモモまで開いてましたね!見とれていて写真が撮れませんでした。
「麦畑」の合唱です。「麦畑」はオヨネーズによる東北弁の求愛歌で、麦畑で松っあんとおよねさんが掛け合う歌詞が面白いのです。
男女組に分けておそろいの衣装、そのうえで松っあんとおよねさんを一人ずつ設定してやり取りをする。全体は合唱スタイルで。このひと工夫に注目。楽しいですね。

舞台右半分は女子組(およねさん)赤いほっぺもみんなと一緒ならこわくない!

左半分は男子組(松っあん)ひげ姿も一人ずつ違います。

都住地区。
昨日お会いしたばかりですから、子どもの学芸会を見守る母の気分です。右端後姿の方が、都住コミュニティセンター相談員のK田さんです。もちろん、今日も世話役でもありますが一緒に登場。
肩たたき体操。

会場の皆さんも一緒に。乗りの良さと体を動かす気持ちよさで二度やりましたよ。
こういうシーンは感動的です。小布施の人たちはどこか控えめであんまり主張しないことが多いのです。みてください!
皆さんの参加ぶりを。しかも表情の良さも特筆すべきことでしょう。
こういう時にすぅーと乗れることそのものが、認知症予防教室の効果といえます。生き方に働きかけたのですね。

今年も楽しませていただきました。ありがとうございました。




 


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