脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

杢太郞と安吾その1

2016年09月08日 | 私の右脳ライフ

8月の右脳訓練としてまとめるつもりが、いくらなんでも報告遅れになってしまいお蔵入りさせていたテーマがありました。
今年受講している「伊東自然歴史案内人」講座で、8月に伊東市にある「木下杢太郞記念館」に行きました。

木下杢太郞が詩人、画家として才能豊かな人だということは知っていました。

絶筆。百花譜の中のヤマユリ

「太田母斑」を命名した医学者というだけでなく、「ハンセン病は感染症。治療薬がないだけなので隔離は絶対反対」と主張したことを知り、驚きました。

生家は手広く雑貨問屋をやっていた商家で、経済的にも恵まれていました。
商品搬送のためには船しかなかったわけですから、商品とともに種々の文化的情報がもたらされたことは特筆すべきことでしょう。中学から東京に行き、一高→東大(医学部)という進路には、家もしくは両親の強い希望が見て取れます。

大学で医学を専攻しながらも、詩や絵画に惹かれていったのは才能のなせる技だと考えると納得できます。在学中に与謝野鉄幹に引き連れられて、白秋、勇らと天草旅行もしています。紀行文「五足の靴」としてまとめられたことを、昔天草に行った時に知りました。
「明星」同人になり、その後「パンの会」主宰。鉄幹、荷風、光太郎、実篤、潤一郎、一平などなど。当時の他分野を含め、多くの芸術家との交流がありました。
白秋の「邪宗門」の挿絵に使われた絵

森鴎外に私淑したそうです。そして鴎外から直接言われたかどうかは推理にしかなりませんが、鴎外のように「医学の道を捨てないこと」「人道的、倫理的な生き方の追求」を人生の目的に据えたことは容易に想像できます。
たくさんの本の装丁もしていました。

すんなりと、素晴らしい人物、郷土の誇りと賞賛できるような「木下杢太郞」でした。
今日、知った「坂口安吾」は違いました。続く


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