脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

見出しにドッキリ

2023年10月31日 | 側頭葉性健忘症
2023年10月30日、伊豆半島東海岸城ヶ崎海岸からの日の出。

「おお!これは素晴らしい」と思ってくださる方もいるでしょう。
この辺りに住んでいて、東に海がひらけているなら「そうよね。ここではお日さまは大島の向こうから上る」と客観的に納得する人もいるでしょう。
「何の関係もない」とまったく無関心の人も、いやいや悩みが深くて「とても関心を持つどころではない」状態の人だっているかもしれません。

そのうちに日の出。

大島の南に連なる利島、新島にも朝がきました。

毎週木曜日に、新聞の下に週刊文春と週刊新潮の広告が掲載されます。わざわざセンセーショナルな表現で、読者の耳目を引こうとしていることは承知の上で、どうしても読んでみたくなる見出しに目が惹きつけられます。
11月2日号の週刊新潮。
「『梶原しげる』告白
『私がアルツハイマーと診断されるまで』」
(梶原さんはフリーアナウンサー)
上の朝日の写真と同じように、目にした人それぞれの受け止め方は様々でしょう。
一番多い反応は「梶原さんがアルツハイマーになったんだってお気の毒に」でしょう。
もう少し考えると「アルツハイマーっていうことは、今後大変な生活になるってことでしょう?よくカミングアウトされたこと」
いずれにしても、ちょっとでも深く読むと「将来的には日常生活全面も介助されて、それどころか昼夜逆転、徘徊、家族の顔もわからない。その他口にするのも憚られるような将来が待っている…」という感想につながるはずです。
城ヶ崎の吊り橋まで行くと太陽はしっかりのぼっていました。

私の感想は、全然違うものでした。
「また!側頭葉性健忘症をアルツハイマーという大間違いを!
そもそもアルツハイマーは人の名前であって、病名ではない。普通に社会生活を営んでいるのに、若年で発症して一気に進行してしまうのがアルツハイマー病。高齢者が、何かのきっかけで生きる意欲を無くして、ナイナイ尽くしの生活(生きがいもなく趣味や交遊を楽しまず、運動もしないような生活)を続けるうちに、使わないから働きが落ちる廃用性機能低下を起こして、数年もかけて徐々に自力で生活ができなくなるところまでいくのがアルツハイマー型認知症。
アルツハイマー型認知症はとにかく早期に見つけて脳をイキイキと使う生活に変えることで十分に改善させることができるのに。
認知症予防は、誰に聞いても『ボケたくない…ボケるくらいなら死んだほうがいいというように個人の問題でもあるけど、介護費用が年間13兆円(2021年)にものぼって国が立ち行くかどうかという状況なのに。
予防も改善もできるアルツハイマー認知症が、認知症の90%以上を占めているのに。
国民が認知症というものを理解して、自分の問題として立ち向かって欲しいのに」
怒りというよりも悲しみが押し寄せてきました。
最近は本屋さんに行かなくても、自分のパソコンで週刊誌が読めます。

「徹子の部屋」収録時のことだったそうです。どういうやりとりだったかは、生で確認したい。
文字になっているのは、言葉の情報として理解する(左脳中心)のですが、コミニュケーションは表情や仕草、言葉の大小、高低などたくさんの情報(右脳中心)を処理しないと成り立ちません。つまり生のコミニュケーションにはそれだけの梶原さんの脳の働きが現れているということになります。
ほんとうに便利な世の中になっています。
TELASAというテレビ朝日の過去番組を見ることができるアプリがあって、それを使ってみてみました。

この写真でもわかるように、この穏やかな表情…番組途中での困惑の表情。ユーモアに包み込もうとする努力。
よくよく注意して聞いていくと、徹子さんの上手な誘導があってはじめて会話が成り立っていくところが見えました。直前の記憶が入っていかないのですから当然ですが、とくに気をつけていないと、会話はスムーズでチラッと違和感を感じても会話の流れに乗って視聴することはできると思いました。
いっぽうで、側頭葉性健忘症は、発症する以前の記憶は確実ですから(と言っても、高齢者は誰でも忘れていることは多々あります)結婚に至るエピソード、妻への愛情や感謝、妻の難病への理解。娘や孫の説明など、困惑や澱みは一瞬もなく生き生きと自分らしく語ることができます。
ハッピーハロウイン

記銘力がきかないため(つまり新しいことが覚えられない)に、幾つもの失敗をしたエピソードが語られました。「覚えられていない」というフィルターをかけると、ほとんどの事件はクリアに理解できます。
しかもその失敗が始まった時期が「だいたい去年の夏頃から」というふうに言えるのも側頭葉性健忘症の特徴です。

いずれにしてもアルツハイマー型認知症は、前頭葉機能低下から始まります。
その人らしさが消えていくのです。「以前なら考えられない」「おばあちゃんじゃあないみたい」とごく初期から家族が訴えます。その後「同じことを尋ねたり言ったりする」と記銘力の問題が出てきます。
側頭葉性健忘症の場合は、前頭葉機能が正常のまま、新しいことが覚えられないという症状が先に出てくるのです。
アルツハイマー型認知症の介護をしたことのある人が側頭葉性健忘症の人を見ると「これは違う。私が世話をしたおばあちゃんとは全く違う。おばあちゃんがボケなら、これはボケじゃあない。これがボケならおばあちゃんはなんだったの」と異口同音に言います。

脳機能、時に前頭葉機能という物差しを持たないと、こんなことが罷り通ってしまいます。
この間違いは世界中に蔓延っています。その理由はアメリカ精神医学会で使われているDSM(精神疾患の診断統計マニュアル)の認知症の要件の筆頭に「記銘力障害」があげられているからです。
認知症専門医であるほど重度の認知症患者に対応することが多いでしょう。日常生活の自立ができない、徘徊、不潔行為、粗暴行為などを訴える患者さんばかりを診て認知症と診断し続けたドクターにしたら、記銘力障害だけを訴える患者さんを、初期の認知症と診断するのも理解できるような気がします。
脳機能を考えないからともういちど言わせてください。
1枚目の写真とちょっと違います。色に注目してください。日の出の写真でも認知症の理解でも着眼点は大切です。



付言。
ブログのカテゴリー「側頭葉性健忘症」をお読みください。
もしも身近にいらしたら「新しいことを覚えることができない」この状態を治すことは現在の医学では考えられないのです。
ならばこの状態を、カバーしつつ日常生活を工夫するしかありません。
全部録音している青年もいます。
メモを取り続けている人もいます。
私がおすすめするのは、携帯に便利なように大きすぎないノートを用意します。1ページを1日と決めて、そこに予定、起きたことを書いていくという方法です。そして1日の決めた時間、起床時、食事やおやつの後などに確認するのです。身につくまで少し手間が必要な場合もあるでしょうが、視聴力に問題がある時のメガネや補聴器と同じ考え方です。
もう一つ。
側頭葉性健忘症を本人も周りも理解して、できる限り生活を維持することを考えてください。自信を失うような出来事が続きますから、それに負けて閉じこもってしまいがち…そうすると…
そうです!ナイナイ尽くしの単調な生活は前頭葉機能の低下をすぐに引き起こします。それこそがアルツハイマー型認知症への扉が開かれたことになるのです。
たとえ側頭葉性健忘症になられたとしても、どうぞくれぐれも前頭葉に気をつけて、自分らしい人生を完走されるようにお願いします。

by 高槻絹子








映画「オレンジランプ」の大間違い

2023年07月06日 | 側頭葉性健忘症
まったく予想通りでした。
予想的中、してやったりという気にはとてもなれません。日本のこれからを考えると、とても越えられそうもない山が屹立しているのですから。

前記事でも書いたように、「若年性アルツハイマー型認知症」という概念そのものが間違っているのです。(2016年3月6日記事参照してください)
厚労省が65歳未満で発症した認知症を全て若年性認知症としてさまざまな指針を出しています。
それが間違っている。しかも根本的に間違っていると考える国民は、エイジングライフ研究所の私たち以外にどれほどいるでしょうか?

この映画の主人公もそうですが、若年性認知症と診断された人たちのバックには、あの有名なクリスティーン・ブライデンさんがいることは否めないでしょう。ちょっと情報をまとめてみます。

「1995年、オーストラリア政府の現職官僚として多忙な日々を送っていた46歳の時に、アルツハイマー病と診断された。その後、自らの認知症の体験を綴った「私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界」を出版し、初めて認知症者が内なる心情を吐露したと世界中が驚きを持って迎えた。出版や講演活動を通して世界中の多くの認知症の人々や支える家族に、勇気を与え続けている。2004年のアルツハイマー国際会議(京都)では、認知症当事者として自らの思いや希望を発言。日本での認知症当事者運動の先駆けとなった」

エイジングライフ研究所は「脳機能から認知症を理解する」立場をとっています。言い換えれば「症状だけで認知症を理解する」のではありません。多くの高齢者の方々の脳機能と生活実態を分析した結果、認知症と言われる方々の大部分を占めるアルツハイマー型認知症には大きな特徴が見られます。それは認知症の最も早期にはまず前頭葉機能が年齢相応に働かなくなるということです。記憶障害が起きてくるよりも早く前頭葉の機能低下があることを、専門家は知りません。

一方で、記憶障害を認知症の必発の症状と考えるのは、専門家でも一般の人たちでも共通の理解ですね。


クリスティーン・ブライデンさんをはじめ、日本で認知症当事者として、講演活動やテレビ出演で顔を晒すことも厭わず発言している人たちは、全員間違いなく「記憶障害」の症状をもっています。

「私たちの声を聞いてください」

「できることを奪わないで」

「できることは認めて、できないことだけ手助けして欲しい」

「認知症になっていろいろ忘れても、自分は何も変わっていない」

「世話をするのではなく、共に歩いて欲しい」
とおしゃれで表情豊かに言葉も尽くしてテレビや講演で訴える方たちには、確かに記憶障害はあります。さまざまに語られる失敗エピソードを知る限りは「確かにこれは認知症だろう」と思わざるを得ないのです。例えば、
「たった今会って挨拶を交わしたのに、直後にまた初めましてと挨拶する」

「共稼ぎの妻をピックアップして一緒に帰る約束をしたのに、忘れて一人で帰った。それも度々」

「いつもの道を通らず、別の道を通るとパニックになる」

「たった今帰った人や切ったばかりの電話の、名前ややりとりがわからない…(社会人として完璧な対応だったのに)」

「小料理屋店主が、客の注文を忘れてしまって商売にならない(仕入れもでき調理にも何の支障もないのに)

「デイサービス利用中の夫への依頼が全く実行されない。(聞く時はあれほど真剣に聞くのに)」

「同じものを買ってきて、それを指摘されても納得できない(で、恥じたり困惑したりする)」

「サークルの指導者が前回言ったことと今回言うことが全く違うことに気づいていない。その繰り返しが頻繁(指導そのものは適切。おしゃれも完璧。運転も上手なのに)」

記憶障害が主の症状を主にあげようとしたのですが、どうしても()内のことを書き加えざるを得ないのです。()内のことは前頭葉機能が担っています!
記憶はできないけれど、前頭葉機能は十分に働いている例を続けて挙げてみましょう。
「編み物教室発表会で、デザイン、糸の選択、編み方がすばらしいと自分の作品を激賞(その評価は正当)」

「詩や短歌など感性あふれた作品ができる(が、自分が作ったものという認識がない)」

「『今日はカレー』と宣言して買い物に行ったのに実際はおでん。手際よくできるうえに味付けも盛り付けも完璧だけど…」

「バラ園や展覧会。どこかの名所に連れていくと、同行者よりも感動するが、後で行ったことを全く覚えていない…それを指摘されると自信をなくし落ち込む」

「お見舞いに行くと心からの感謝や労いの言葉をかけてくれて恐縮するほどだが、翌日行くと全く覚えていない」

これらの症状こそが、脳機能から言えば、記憶に問題があっても前頭葉機能に問題がないということなのです。
このブログのカテゴリー「側頭葉性健忘症」にもたくさんの具体例を挙げてありますから、前頭葉機能と記憶力がどういうふうに生活を組み立てていくのかを知っていただきたいと思います。

側頭葉性健忘症の方たちの訴えを聞く時に、みんなが感じる違和感は「普通の認知症の人とはどこか違う」だと思います。
具体的には、表情、佇まい、姿勢、服装…何よりも伝えたいと思っていらっしゃることが、こちらの胸にダイレクトに伝わってくる不思議さではないでしょうか?
まだ早期と言われる認知症の人でも、たくさん喋って言葉のやりとりができているようでも、どこか本当の気持ちのやりとりができていないという虚しさ、苛立ち時に怒りが湧いてくることは介護者の皆さんは否定できないでしょう。
その差を生むのが前頭葉が機能しているかどうかの違いなのです。

脳機能という物差しを持てば、両者の違いは歴然としていますが、ドクターが症状だけで理解すれば
1。記憶障害があるので認知症
2。しかも日常生活は自立できている
3。ということは、時・所・人の見当識がなくなり、生活は介助が必要で徘徊、粗暴行為なども見られる普通の(実は手遅れで重度の)「認知症」に至る前段階の「認知症」を見つけてしまった!
4。こんなに早期に見つけることができたのならば、手を尽くせば、よくなるかもしれない(これはあり得ませんが)重症化しないかもしれない(適切な生活指導ができれば維持は十分可能です)。
その時薬にたよるのではなく「障害に負けず、もっている能力を活かして生きがいのあるイキイキとした生活を」とドクターは指導するのですよ!
その指導が功を奏したら、何年間でも維持できます。前頭葉機能に関する説明がなくても、前頭葉が使えていますから、その生活を継続すれば記憶以外の機能低下は恐れるに足りません。

なんということ!
クリスティーン・ブライデンさんも、映画『オレンジランプ』主人公のモデルである只野晃一さんも、上に挙げた私の知り合った方たちも、前頭葉機能は健在。記憶力に問題がある。ちょうどザルで水を掬うように、つまりものによってはたまに残ることもあるのですが「発症して以降の新しい記憶が残らない」
私たちも昔の記憶で忘れていることは多々ありますが、絶対忘れていないこともありますね。例えば自分の生活史。家族や深く付き合った人との関係(名前をド忘れすることはあります)。そのようなことが揺らぐことはないのです。
映画「オレンジランプ」で気になったことがあります。
側頭葉性健忘症として多くのエピソードに頷きながら、そして只野さんに起きていることを的確に伝えてあげられていたら、心配することのない心配がたくさんあったのにとちょっと切歯扼腕しました。昔のことは覚えているから!家族や幼馴染の関係や顔は忘れないから!映画でも幼馴染とのエピソードははっきり覚えていたでしょう。
特に違和感を感じたのは、主人公が職場に復帰できる場面で、社長の顔がわからなくなり指摘されて「ああ」と苦笑しながら納得した場面です。ここの解釈は難しい。発病前から十分な関係性を持っていた社長の顔がわからなくなるということは、私の経験した側頭葉性健忘症の症例からでは説明ができません。冗談混じりならありますが。
あ。側頭葉性健忘症の人はユーモアを繰り出すことも解することもできます。でもあのシーンはもっと緊張感が漂っていたと思います。
ついでに、もう一言。この側頭葉性健忘症の人は、動作が機敏。手先が器用。
ボケはじめた高齢者は何しろなんでももたつきますが、それと好対照です。
もう一つ比較してみましょうか。
アルツハイマー型認知症の本当の初期に、家族が「おばあさん(おじいさん)ではないみたい」「考えられないことを言います(します)」と訴えます。
側頭葉性健忘症の家族は「忘れることは忘れるけど、お父さん(お母さん)には変わりがない

この二つの病気を一緒にすることは困難であることが分かりましたか。皆さんが側頭葉性健忘症の人を見た時に感じる違和感の説明ができたのではないかと思っています。
この国民的な理解を、屹立する高い山にどうすればぶつけられるでしょうね。
でも。と楽観的な私は考えるのです。重度の認知症を介護した人たちが声を上げたら。
「ごく普通に高齢者にみられる認知症(アルツハイマー型認知症)はそのような経過はたどらない。全然違う」と言える人たちがたくさんいるのですから。
どうぞ、素朴な声をあげてください!

このブログでも触れたのですが、先日成立した「認知症基本法」の「共生社会の実現を推進するための」という冠語ですが、側頭葉性健忘症の人々との共生は脳機能から理解さえすれば、即刻実現できますよ。
ただし脳機能から見ると、側頭葉性健忘症は認知症ではないということを忘れないでいただきたいです。
重度認知症の方々との共生は、全く違う視点が必要で人手や財政的問題など種々の困難が想定されます。

by 高槻絹子





「側頭葉性健忘」情報がつぎつぎと。

2023年03月13日 | 側頭葉性健忘症
私が講演会場で
「顔はわかってるのに、名前がどうしても思い出せない」
「花の名前を覚えたはずなのに、後で出てこない」
「冷蔵庫を開けて、何をとるのか忘れちゃう」
「二階に上がって、さて何をとりに来たのか?」
「町に出かけて、三つ用事をするつもりが一つは忘れてしまう」
「忘れては困るとメモをしても、そのメモを見ることを忘れてしまう」
「鍋を火にかけて、洗濯物を干しに行く。つい目についた草を抜き始めてしまい、結果鍋を焦がしてしまう」
「たまには、洗濯の済んだ洗濯物が洗濯機の中」
「雨が上がった時の傘ならたびたび」などといいたてた後で
「当てはまる人?」というと、ほとんどの人が笑いながら挙手します。
稲取つるしびな人形館

みんなが知っている「物忘れはボケの始まり」ということばはいつごろから使われだしたのでしょうね。

上にあげたような失敗はだいたい「物忘れ」といわれますが、記憶の問題というよりも「注意分配力」の方が大きく影響していると思います。この「注意分配力」は前頭葉機能の中核をなすものです。
あまりにも思い当たる読者のために解説を少々。
このブログで何度も繰り返しているように「注意分配力」は20代をピークに、加齢ともに直線的に低下していくものです。つまり歳を重ねた人は「注意分配力」は、自分が若かった時のように発揮できないことを知るべきです。
「知るべき」と書きましたが、「知りたくもないけど実感してる」という声が聞こえそうですね。だからこそ上にあげた例がすべて自分にも当てはまるという苦笑につながる…
このような事件が起きた時に「あ、注意分配力が足りなかった。でも注意分配力は歳とともに低下するんだから、まあ普通かな。たしかに、気になることがあったから、ちょっと集中が足りなかったかな?」などと客観的に自分を見てください。そして反省したり、工夫をしたりできれば、年齢相応の現象だと安心すればいいのです。
つまり「物忘れはボケの始まり」ではなく「物忘れ 反省と工夫が効けば歳のせい」
富戸港そばの城ケ崎桜(3/7)

認知症で問題になる物忘れとは本質的に違います。
本などの解説だと「食事をしたことは覚えているが、何を食べたのかわからないのは歳のせい」という言い方が多いですね。でも、あまりにも忙しく時間を過ごした日、「あれ?お昼ご飯を食べたかしら?」と思うことはありませんか?
脳機能から説明してみましょう。
まず最初にチェックすべきは、年齢相当(つまり若いころのようではなくて正常)の前頭葉機能は維持できているかどうかです。前頭葉機能は、その人らしさの源ですから、状況判断の仕方、興味好奇心、たたずまい、おしゃれな様子、会話など何の変化も感じません。表情はあるし動作も機敏です。

いっぽう、アルツハイマー型認知症になりかけた時に、最初に低下する脳機能は前頭葉機能です。一番最初の段階では、まだ認知機能のうちの記憶障害は出ていません!
世のなかでは「記憶障害」こそ認知症の必須症状とされていますから、認知症の最早期に、記憶障害がみられないということはだれも考えてもいないと思います。それは症状しか見ないからで、二段階方式では脳機能を調べますから、明らかに前頭葉機能低下から始まると断言できるのです。
前頭葉機能低下が始まると、状況判断の仕方、興味好奇心、たたずまい、おしゃれな様子、会話など何かちょっと違う。表情がないし動作もモタモタしています。
家族は「何でもできるんですけど、もちろんいうことも変じゃあありません。でも、なんというかお母さんらしくないorおじいさんらしくないetc」
記憶の問題が起きる前に、前頭葉機能低下が起きるということは、認知症の早期発見には必須のことなのですが…
庭のパンジー(年末1株90円で投げ売りされていた苗)

記憶は、記銘(覚える)保持(覚えておく)想起(思い出す)の三段階がありますが、歳を取ると「覚えられない!」「思い出せない!」ことが増えてきますよね。実は記憶力もピークの20代から比べると60代後半ではだいたい半分になるといわれています。
つまり、物の名前が覚えられなかったり、人の名前が思い出せなかったりするのは仕方がないのです。もちろん年齢相応の前頭葉機能が発揮できていることが大前提です。

前々回に書いた「側頭葉性健忘」は、前頭葉機能が年齢相応や、人によってはそれ以上の働きを維持していながら、記憶力だけがスポンと抜けてしまっている状態です。新しい記憶が入っていかないのです。
脳機能からみると認知症とは全く別のことが起きているのですが「記憶障害があれば認知症」という現在の定義でいうと「認知症」になってしまいます。
ただ、周りの人はその不思議さに気づいています。
「記憶障害はひどいけど、状況判断の仕方、興味好奇心、たたずまい、おしゃれな様子、会話など何の変化も感じません。表情はあるし動作も機敏です」
「認知症なんでしょうけど、不思議な認知症です」

東京で久しぶりの友人二人に会いました。二人は同じ先生にフラダンスを習っているのですが、意を決したように話し始めました。
「先生が変なの。フラダンスは変わらずお上手だけど、前のと違う指示を出されるし、お話が始まると、同じ話をグルグルなさって聞く方は疲れてしまう。これってボケかしら?
そうそう、今だって車を運転なさって、遠くの教室にも行かれてるんだけど。運転はお上手よ」
そこで私は「おしゃれの具合は?表情は?フラダンスが以前と同じようになさるんだったら大丈夫でしょうけど動作はきびきびしていらっしゃるの?」と尋ねました。
「ボケた人って顔つきが変わるでしょ?目が死んでるというか。そんなことは全くないし、以前と同じようにオシャレでおきれいよ。とにかく前と違うことを言われるのが困るのよ。厳しい先生だから」

脳機能から考えると、すぐに答えが出ますよね。
前頭葉機能は正常。記憶障害が先に出てきている。つまりアルツハイマー型認知症のパタンではなく側頭葉性健忘のパタンですね。
近所のパンジー(きれいです)

小布施から帰宅してFBを見ていたら「なかまある」というところで「手術を終えた、わたしへ」という記事を発見しました。4年前に若年性アルツハイマー型認知症と診断されたまだ40歳代(?)の女性の方の記事でした。
4年前に何の症状で受診されたのかも、現在困っていることも何もわかりませんが、これだけの文章が書けるということが、アルツハイマー型認知症でないことを証明していると思いました。前頭葉機能が健在です。

この若年性認知症についても、誤解が蔓延していますがこの記事をお読みください。
若年性認知症の定義を調べてビックリポン
若年性認知症と診断された方のほとんどは、側頭葉性健忘ではないかと私は思っています。
テレビ番組などこのような視点で見てください。アルツハイマー型認知症の方の介護にあたられた方は、専門家といわれる方々の解説に大きな疑問符が付くと思います。

by 高槻絹子

認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。

「側頭葉性健忘」発症→三密回避→中ボケに移行

2023年03月04日 | 側頭葉性健忘症
今年になってから撮った桜をお見せします。
今日3/4のカワヅザクラ。こんなに葉桜になっています。

2/19.ほとんど満開です。

このブログでも、何度か側頭葉性健忘について書いてきました。(カテゴリー参考にしてください)
今回の側頭葉性健忘の方の話は、とても示唆的ですからまとめることにしました。
「母が認知症の父を見ているのですが、だんだん大変になってきたらしくてイライラしてるようで気になっているものの、コロナもあるし実家は遠いから簡単には帰ってあげられないんです。その分、母とはよく話してますけど」
「お母さんは何が一番困るって言われてるんですか?」
「生活のいろんなところで目が離せない。いつも何か気をつけていないといけないといいます」
ということは前頭葉機能だけ低下している小ボケのレベルは超えている。小ボケはその人らしさは損なわれているのですが、家庭生活に目を配ってもらう必要はないのですから。
2/6 満開のカンザクラ ニュヨークランプミュージアム

「目を離せない」といっても、レベルはさまざま。
食事の時にどうも今までになくお行儀が悪いこともあるし(これが小ボケ)、料理の味にお構いなくまぜこぜにして食べること(これは中ボケ)もあります。食品でないものや熱すぎるものを食べてしまいそうになるから気をつけないといけないこと(これは大ボケ)もあります。
服の着方でも、なんとなくだらしない(小ボケ)から始まって、重ね着や裏返しやボタンがずれている(中ボケ前期)。季節や目的にあった服装ができない(中ボケ後期)という段階を経て、自分で着られないので着せなくてはいけない(大ボケ)に至るのです。
2/6 カンザクラ

確認していくと、まさに中ボケ。多分前期。
服薬の自己管理ができないから見てあげないといけないということは、中ボケでよく訴えられるので確認してみると、
「そうです!」
まず、中ボケで間違いないと思いました。中ボケというのは前頭葉機能がかなり低下して、その上、脳の後半領域のいわゆる認知機能にもほころびがみられるような脳機能の状態であることを意味します。
そのためには、それまではその人らしく生活していたのに、何らかの出来事が起きて脳をイキイキと使えない、いわゆる「生きがいも趣味もなく、交遊も楽しまず運動もしない」ナイナイ尽くし状態になった。そしてその期間が3~4年くらい続いている。これが典型的なアルツハイマー型認知症ですから、そこの確認に入りました。
2/6 カンザクラ

シンプルにまとめなおしておきましょう。
①脳機能:中ボケレベル。前頭葉機能低下、後半領域も中度低下。
②生活実態:家庭生活要支援。
③生活歴:3~4年間のナイナイ尽くしの生活が継続。
今、①と②が一致しています。③を確認して、ごくごく普通のアルツハイマー型認知症の説明をしてあげましょうと思いました。
ところが「ナイナイ尽くしの生活」ではないらしい!
「父はもともと多趣味な人で人付き合いもよく友人も多いタイプでした。(こんなタイプのアルツハイマー型認知症の人はいません!)
卓球でしょ。盆栽でしょ。絵も描くし、音楽だって好きでした。そうそうマジックも好きでよくどこかでやってあげてました。運動もよくしていたし。あ、今でも散歩は欠かさないそうです」
私の質問が続きます。
「お父さんは動作は機敏だし、表情豊かですよね!」
「そうなんです!いわゆるボケちゃった人って、目に力がないというか、ボーとしていて顔つきが違いますよね。そんなことはないんです。コロナのせいでしばらくは会っていないんですけど」
2/21青野川のカワヅザクラ

そこで側頭葉性健忘の話をしました。
またまた簡単にまとめると下表になります。

つまり側頭性健忘は、記憶の障害ははっきりあるのですが、前頭葉機能が低下していないのです。その人はその人らしく生活しようとするのですが、記憶の障害があるために多くの失敗を積み重ねてしまうということなのです。その時、恥じたり、困惑したりする様子が見てとれるものです。
いっぽう、アルツハイマー型認知症はまず最初に前頭葉機能が働かなくなり、その後から後半領域の認知機能、記憶や計算能力や見当識などの低下がみられます。記憶力が低下して種々のトラブルが起きても、それを問題視する前頭葉機能がすでにない。もちろん恥じたり、困惑したりする様子が見られません(小ボケのレベルでは、まだ困惑を感じています)。
2/21カワヅザクラ

今日はここからが大切です。
このお父さんは、単純に側頭葉性健忘と言い切れません。理由はお母さんが「日常生活で手がかかり目が離せない」と訴えているところです。
側頭葉性健忘だけならば、日常生活にそれほど手も目も必要ではありません。カテゴリーの中にイキイキと生活している方のケースを書いてありますが、テレビで表情豊かに自分の内面を訴えている方たち(多くは若年性認知症と名付けられています)をイメージしてくだされば、わかりますね。
カテゴリーから一番新しい記事「クローズアップ現代 認知症の私が認知症の相談に乗ってみたら…」を張っておきます。
3/2伊豆高原駅前のオオカンザクラ

いつ発症したかは離れて住む娘さんからは聞き取れませんでしたが、一般的にはとても短い時期をあげて「夏ごろからおかしくなりました」とか「旅行から帰ってからです」といわれることがほとんどです。
とにかく何年か前から側頭葉性健忘があるにもかかわらず、生来の性格も手助けしてくれて趣味や交遊を楽しんでいたお父さんだったので、この時は記憶障害だけしか生活に影は落としていなかったということです。人によっては側頭葉性健忘を発症したことで、それがそのまま「ナイナイ尽くしの生活」を引き起こして、脳の老化を早めてしまう人もいます。生活の変化を丁寧に聞くとアルツハイマー型認知症とはちがうことがわかります。
話を戻しましょう。コロナによる三密回避が徹底された結果、楽しむ場が極端に減ったことはすぐに想像できます。散歩を続けられたことは幸いでしたが、生きがいも趣味も交遊もない状態は脳の老化を加速させます。そしていま中ボケのレベルになっている…盆栽の世話ももう面倒になっておざなりになっているはずです。
側頭葉性健忘は、生活していくうえでは確かに大きな障害となるものですが、この方のように乗り越えることもできるのです。がんばって生活してきてくださっていたのに、この三密回避には負けてしまわれたのです。
側頭性健忘の方は、いったん老化が早まると、小ボケの期間が短くて気が付くとすでに中ボケ前半になっています。中ボケレベルになっている脳の後半領域の機能低下を前頭葉機能が補っているわけですから致し方ないことですが。
3/2オオカンザクラ

何度か警鐘を鳴らしている三密回避が、脳機能に与えるダメージを立証することになってしまいました。
お父さんの脳リハビリのカギはお母さんが握っています。お父さんに起きたこのメカニズムを理解してもらって、できるだけ楽しく、顔が晴れるような時間を工夫してください。絵も音楽も、お父さんには引き出しがたくさんあります。コロナ前に生活を取り戻すように、幸い世の中も少しづつオープンになって行ってますから、まだま希望は十分に持てると思います。
by 高槻絹子


認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。

「クローズアップ現代 認知症の私が認知症の相談に乗ってみたら…」

2020年12月18日 | 側頭葉性健忘症
結論を先に。
世の中の認知症の大部分を占める「アルツハイマー型認知症」になったら、認知症の相談に乗ることはできません。
昨夜のNHK「クローズアップ現代 認知症の私が認知症の相談に乗ってみたら…」を見ました。正直な感想を言えば、「まだ、まだ認知症に対する理解が足りてない。そのうえ『天下のNHK』がこんな主張をしたら、善良で認知症のことを具体的に知らない人たちにとっては認知症の理解が遠のいてしまう。認知症の正体が「脳の使い方という意味での生き方」の問題と理解さえすれば、予防も改善も可能なのに!」
気の毒なトウガン 沼津市足高

NHKの認知症の報道には疑問を持つことはよくありますが、考えてみれば日本の現状として、認知症の理解に問題があるという方が正確だと思います。
ただ、NHKは影響力が大きいからいつも残念に思うのです。
つい先日11月28日にも「この世に認知症治療薬はあるのか」というタイトルで、世の通説になっていることが真実ではないことに触れました。
本当に困ったことに、日本のみならず世界的に大きな誤解が席巻しています。
この記事で触れた原因しかり。分類に至ってはとんでもないことがまかり通っています。
2017年2月に書いた記事「ボケと認知症」を一部コピーします。
「下のグラフは10年以上前に作りましたから、古い表現ですが、これを作った時は「我が国は世界で一国だけ脳血管性痴呆が圧倒的に多く、原因不明のアルツハイマー型痴呆は幸い少ない」といわれていました。その後その割合は劇的に変化していき、今ではアルツハイマー型認知症の方が多くなっています。でも、まだ私たちのように90%を超えると主張している研究者はいません。

横道にそれますが、テレビその他のマスコミで「手術で治る認知症」とセンセーショナルに取り上げられるタイプは、上のグラフの「二次性認知症」です。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症など、確かに劇的に治りますが、その割合の低いことに注意が必要です。詳しくは私のブログカテゴリーより「これって認知症?特殊なタイプ」をお読みください。
また、認知症者が自らの内面を語るというようなことも言われますが、それは記憶障害はありますが前頭葉機能は正常な「側頭葉性健忘」と言って認知症とは峻別すべきタイプです。最近よく取り上げられています。詳しくは私のブログカテゴリーより「側頭葉性健忘」を。

臨床的な事実ですが、認知症の本体は、もともと老化が定められている脳機能が、何らかの生活上の変化をきっかけにして、その人らしく生活することができなくなったとき(生きがい・趣味・交友・運動、何もない生活になったとき)、使われない脳機能は老化を加速し、その結果認知症としての症状が発現してくるのです。
正常な老化が進んでいくときの脳機能の衰え方と、老化が加速されているときの脳機能の衰え方には、はっきりとした差があります。
こんな単純なことになぜ 目が行かないのかというと、認知症の問題を考えるときに「脳機能」ではなく「症状」をまず見るからです。

早期発見には、症状では手遅れになるのですから目安となる数値が不可欠です。糖尿病における血糖値のように、肝臓や腎臓も重症化する前に指標がありますね。認知症では脳機能を測ることなのです。
困った症状が出ない間は「歳のせいかな?」などと見逃して、(この時脳機能検査をすればはっきり異常域なのですが)いわゆる認知症といわれる状態、セルフケアも満足にできなくなったり、徘徊、粗暴行為、妄想等の問題行動を起こすようになって「ボケちゃった」と騒ぐのです。これは回復させるには手遅れの段階と言わざるを得ません。
老化が早まっていくとき、「小ボケ」→「中ボケ」→「大ボケ」の段階を経ていきます。
「小ボケ(前頭葉機能のみ異常域)」回復容易、
「中ボケ(前頭葉機能に加え、脳の後半領域の認知機能にも障害あり)」回復可能 、
「大ボケ(脳機能全般的な大幅な機能低下)」回復困難
脳が老化を加速し始めて回復困難な大ボケになるまでは 、平均すれば6年以上はかかります。
世の中で認知症といわれる「大ボケ」になった段階では治すことはできないのです。6年間というゴールデンタイムを見逃しているのが現状です。以下は省略。
愛鷹運動公園

はなしは戻ります。
昨夜のNHKの番組に登場した方は、お二人とも「側頭葉性健忘」の方でした。脳の機能からみると、前頭葉機能が残ったまま記憶のみ障害されている状態です。
高齢者に最も多くみられるアルツハイマー型認知症は、とにかくまず最初に前頭葉機能が異常値を示します。前頭葉機能は脳の司令塔なので、イキイキと働かなくなったら、注意集中力や分配力の低下がおき、状況判断や行動の決断、発想や計画性、推理、洞察、創造、ユーモアなど発揮されなくなります。意欲低下も目立ちます。
その人らしさの源でもあるので、家族からはよく「おじいちゃんらしくない」「おばあちゃんはそんなことはしなかった」などと訴えられます。
名残の紅葉

側頭葉性健忘は、記憶障害ははっきりあるのですが前頭葉機能が維持できているところが、アルツハイマー型認知症とまったく違うのです。
昨夜の番組でも、最初に認知症と診断された後に認知症患者の相談を受けているという渡辺さんが「いろんな人に会うけど、明日どの程度残っているか。本当にどんどん消えていく」と自らの記憶障害を説明されました。このように記憶障害は間違いなくあるのですが、一方で前頭葉機能が維持されている証拠も語られました。
「認知症と診断されてもすべてできなくなるわけではない。できることで人生を作り直せたら」
「自分を自分で探そう」
「相談室での話が僕の生きがい」
「囲碁を再開したらだんだん打てるようになって5段」
認知症と診断されてショックを受けて、閉じこもり言葉も出さない状態の時でも「身体、表情で苦しい気持ちを精いっぱい出している」と妻から観察されています。見落とされがちですが、前頭葉が低下した状態ならばボーとしてしまうか、そうでなければ困惑や混乱の方向に向かうのです。
この時は診断のショックで落ち込んでしまったのですね。しばらく続いたようですが、目標が定まったら生活を改善していくことで従来の渡辺さんを取り戻すことができました。
とにかく、前頭葉機能がなければその場に応じた「相談」に乗ることはできませんから!
アシビの固いつぼみ。

相談を受ける側の高橋さんも側頭葉性健忘という珍しい組み合わせでした。
高橋さんは市役所を退職して学童保育の手伝いを2年間されましたが、認知症になってそれもやめたところで渡辺さんとの面談の機会があったということでした。
「子供たちの名前を覚えられないのがつらい」と最初に記憶障害の訴えから始まります。
自分の日記を見て「こんなに書いてあるとは思わなかった」また
「妻のやさしさに触れた。人の痛みが分かった」を読んで妻が「こんなことを書いていた!」と驚くと「俺も」とまったく記憶にない様子。以上思い出せないのは記憶障害。その深い内容は前頭葉機能があればこそ書けたものなのですよ。
ミツマタの堅いつぼみ。

「MCIといわれて悩んだ。全然状況がわからないしすごい勉強になる。いい話が聞けて良かった」
最初は、このように渡辺さんの言葉に感謝できても、落ち込みからは回復できなかったようですが、繰り返しお話を聞くうちに3か月後には料理の手伝いをするようになり、渡辺さんの勧めで、相談員になろうかというところまで意欲的になれました。
前頭葉が機能していると、その人らしく深く考えることができ、状況の判断も十分に可能です。記憶障害とともに生きるという困難さは変わらなくても、納得できたらその人らしく次に進むことは、できるのです。前頭葉の力があるのですから。
名残のアザミ。


なぜこんなことになったかというと
1.認知症の定義の筆頭に記憶力障害があげられている(これは国際的に!)。
2.重度認知症しか出会うことがない認知症の専門医が、側頭葉性健忘の人に出会ったとき、これこそが(見たこともない)認知症の初期段階に違いないと誤解した。
3.オーストラリアの政府高官で側頭葉性健忘になったクリスティーン・ブライデンさんが、認知症と誤診され、にもかかわらず豊かな内面生活(まさに前頭葉の世界)を発信し、世界中を驚かせた。
どうしても、この側頭葉性健忘を認知症と誤って診断する誤解を解きたくて何度もこのブログで書いています。
世界アルツハイマー大会
ブログのカテゴリー「側頭葉性健忘」の欄には50例くらい具体例を挙げていますので、もっと知りたい方はお読みください。
ホトケノザ発見。もう!

番組の最後に、専門家がまとめを話されました。
「老人ホームの居室に慣れ親しんだ家具や植物があると、主体性の感覚があがり、幸福度や活動性があがる」こういうことを問題にする状態では、前頭葉がその場に応じた判断をなしながら、臨機応変に「相談」に応じることはちょっと無理だと思いますよ。
「海馬じゃない大脳基底核や小脳で記憶された身体的記憶は残るもの」これだけ専門的に説明されると、恐れ入ってしまいますが「身に付いたことはできる」ということなのです。ただしそれを発揮する判断は前頭葉がしますから、トンチンカンなことになってしまいがちです。
農家を続けてきた人は、認知症がかなり進む(中ボケ)までは鍬は上手に使えますが、昨日植え付けた苗を今日植え替えたりするのです。
お米はとげますが、水加減がおかしかったり、大量に炊いたりします。
こういうことも言われていました。聞き間違えではないと思います。
「優しくすると身体の方に残る。感情は残る」
そして結論。
「その人らしく生きていくことは、認知症になってもできる」
サヤエンドウの花

本当でしょうか?前頭葉機能がうまく働かなくなっても?前頭葉こそその人らしさの源となるものなのですが。
ごく普通のアルツハイマー型認知症の方を介護された方に聞きたいです。
昼夜がわからなくなり、徘徊の恐れが常にあって、家族すらわからない、セルフケアもおぼつかなくなってもその人らしく生きられているのでしょうか?
そしてもうひとつ。ここにあげた症状は一夜にしてなるものではなく10年近くかかってようやく発現してくるもの…ならばその前に、小ボケ中ボケのレベルで生活改善という手を打って、そのレベルにさせないということこそ私たちの願いであると思います。




認知症の当事者が情報発信する「希望大使」⁈

2020年01月28日 | 側頭葉性健忘症
新聞やネット記事で目にした人もいると思います。
「認知症の人の声に耳を澄ませて―。厚生労働省は20日、認知症への社会の理解を深めるため、当事者が情報発信する『希望大使』の任命式を東京都内で開いた。男女5人が選ばれ、45歳で若年性アルツハイマー病と診断された鳥取市の藤田和子さん(58)は『認知症になっても元気に楽しく生きていけると伝えたい』と語った。」
(紙わざ大賞の作品)

どう思いましたか?
身近に「認知症」の人がいない場合は、「早い時点ならこういうこともあるかも。夜中に騒いだり徘徊するようになったら無理に決まってるし。
もしかしたら、認知症って言っても、私が知ってるようじゃないタイプがあるのかもしれない。いろいろなんだろうな」
例えば、今現に認知症のお年寄りを介護している人だったらどういうでしょうか?

現在97歳のお母さん(中ボケ下限からそろそろ大ボケ)を介護している友人に、電話をして意見を聞いてみました。
「本人が認知症と自覚していないと、認知症者として世の中に対して情報発信はできないでしょう。でも、認知症になってしまったら世の中に情報発信することそのものができない。世の中にじゃなく家庭の中だって言ってることが変だもの」
電話の声を聴きながら、私はなんだか「家族の持つ温かさ」を教えてもらったような気がしていました。
この友人は、いつもいつも「言ってることは普通なんだけど。立派なことだって言えるし」といっては、私から「何が言えたとしても、根本的な理解ができてないはずだから、言葉に惑わされないように」とか「言ってることじゃなく、やってることを見てあげて」とか「あなたが思ってる以上に、おばあちゃんの脳はうまく動いてないのよ」といわれています。

そのやり取りを、去年12月に書きました。
「大ボケでも言ってることは筋が通ってる」-ホント?
日常生活の中では、一つ一つ発せられる言葉に揺れ動かされて「おばあちゃんは手がかかるようなことをいろいろしでかしてくれるけど、言ってることはまだまだ普通」といい続けているその友人が
「本人が認知症と自覚していないと、認知症者として世の中に対して情報発信はできない。でも、認知症になってしまったら世の中に情報発信することそのものができない」と答えたのです。
その通りです。
家の中で、それなりの言葉の応酬をすることと、社会に向かって自分の考え、しかも認知症者として希望が持てる発言をすることには、埋めようもない溝があります。溝どころか断層か崖くらい差があります。
もう一人にも、電話しました。いろいろなレベルではありましたが、6人もの高齢者を介護し、見送ってきた人です。
そのうちの一人は、なんと「亡くなる前の3年間、3年間よ!その間は言葉もしゃべらず、目も明けずだったのよ。それに先立ついつだったら『認知症当事者』として発言できたか・・・。とっても無理。考えられない」
この言葉は、介護してみとった人でないといえない言葉です。

それから、この記事の人は「45歳で若年性アルツハイマー病と診断された「」というと、
「えっ!45歳!」という声が返ってきました。「認知症というとお年寄りのはずだから若いだけでびっくりよねえ。認知症とはちょっと違うんだけど」と私が合いの手を入れました。
「45歳から介護が始まったら、見送るまでが長いなあ~と思って」そこで私が「介護が必要な人が、社会に対して『希望大使』としての仕事ができるかな?」と応じました。これに対しては
「そうよね。ふつうにボケちゃった人はとっても無理。でも、どこか外国で、立派な人でボケちゃって、でも世界中で講演した人がいたでしょう。あの人はご主人がサポートしてたよね。私が介護した人は、どんなに早い段階でもどれだけサポートしてもできっこないけど」といわれたのです。

まさに正答。
「希望大使」を任命された方々は「認知症」ではなく「側頭葉性健忘』というべき別の病気の方々なです。
認知症の初期って?
46歳でアルツハイマー型痴呆(当時の表現)と診断されたオーストラリアのクリスティーン・ブライデン さんのことを解説しています。
側頭葉性健忘の方々の一番の特徴は「前頭葉機能」が健全に働いているということです。「認知症者が心情を語る」という場合は、「認知症」ではなく「側頭葉性健忘」の方たちと思ってください。
(経糸も横糸も紙!)

認知症の権威とされる人たち(学者や医師たち)の多くが、クリスティーン・ブライデン さんを認知症(若年性アルツハイマー病または、若年性アルツハイマー型認知症)と主張しています。専門家で権威とされる人達が、というか、世界中で「認知症」は、まだ正しい理解がされていない状態なのですね。
最近は、アミロイドβが犯人ではないのでは?という意見が散見されるようになりました。これは朗報です。つまりほとんどの認知症は前頭葉の出番の少ない生活を送ったために起きてくる脳の生活習慣病なのですから。

側頭葉性健忘症Q&A

2019年01月14日 | 側頭葉性健忘症

側頭葉性健忘症の家族の方から質問がありました。(このブログ右欄カテゴリーの「側頭葉性健忘」にも目を通してください〉
「その場その場ではとても適切で感情豊かな対応ができるのですが、そのやり取りなど新しい記憶が入っていかないのです」という側頭葉性健忘の説明に対して、家族の方から質問がありました
1.「すべて忘れているわけでもありません。覚えていることはしっかり覚えていて驚かされるほどです」
2.「時々忘れていたことを思い出すこともあります。朝はわからないのに夕方には思い出すことができることがありました」
河津正月桜。1/11にもう満開。

私の説明です。
「All or nothingというわけにはいきません。側頭葉性健忘症は『ざるで水をすくうように』記憶がとどまることなしに出ていってしまうという表現をよく使います。
それはざるの目よりも大きい記憶が残ることもあるという意味でもあります。ただ、何が大きな記憶になるかというと、それはわかりません」
下田市爪木崎水仙まつり。1/11

「むしろ、何が残るのかを詳細に観察してみると、一定の決まりがあるのかもわかりません。見つかるとおぼえこむ方策が一つ見つかったことになります。ただ私はそのようなことを今まで聞いたことはありません。つまりないのかもわかりません…」
黄水仙

「2も同様で『そういうこともある』という事実があるだけだと思います。この件についても1と同様に、詳細で緻密な観察の結果、何かがわかるかもしれませんが、その機序の解明はかなり難しいと思います」
伊東市松川湖畔の蠟梅。1/12

「分かったことを一緒に喜んであげることは、感情の交流という点でとてもいいと思いますが、そうしさえすれば、改善に直接つながるというふうに考えることは問題があります。脳の器質的な問題はそんなに簡単なものではありませんから。
『記憶が入らない』という事実にどのように対処するか、つまり、記録することを習慣化する方が患者さんのお役に立つと思います」だいたい以上のようにお話ししました。
その後、質問者から
「ざるで水をすくう。なるほどわかりやすい」という返信が届きました。よかった!
お正月用の鉢植えボタン。松江市大根島から届きました。

忘れてはならないことは前頭葉機能が万全だということが、側頭葉性健忘症の必要条件ということです。
記憶障害によって失敗を繰り返しいやな気分にさいなまれたり、またその時の周りの人の「また失敗して!」という言葉や態度によって、側頭葉性健忘症の方が自信を無くして、生活から積極性や好奇心をなくして行くことは容易に想像できます。その結果イキイキさや楽しみがない単調な生活になってしまうこともまた。
そのような生活は脳の老化を加速させます(廃用性機能低下)。その時最初に低下が起きてくるのは、前頭葉機能です。
記憶障害がすでにありますから、あっという間に中ボケレベルになってしまうのです。
前頭葉機能が発揮される環境を保証してあげることで、記憶障害を抱えたままでもその人らしい生活の保証ができることになります。そのためには当人も家族も大変ですが、認知症が進んでも本当に疲れます。そのことを思えば、がんばれるのではないかと思います。


認知症の初期って?

2018年05月19日 | 側頭葉性健忘症

私が認知症の臨床にかかわり始めてもう30年以上になります。(日本で唯一、脳外科医が担当。私は神経心理の測定や生活指導担当でした)
そのころ、ボケ(認知症とは言わずにボケと言ってましたね)は本当に重度にならないと受診することはありませんでした。「ボケたら、かかるのは精神科」ということが常識でしたし、精神科受診に対しては今でも多少の抵抗感を感じる人は多いでしょうが、当時は「精神科受診」ということには大きな溝を飛び越える必要があったと思います。もちろん飛び越えるのは本人ではなく家族ですよ。
(今日の画像は熱川バナナワニ園の続き。ヒスイカズラ)

認知症になっていっている舅や姑の日々の言動をよく見、またさまざまな問題に悩まされるのは同居している息子の嫁であることが多かったのです。
嫁という立場で「お父さんorお母さんがボケているみたいだから、一度先生に相談します」とはなかなか言えないのが実情でした。言い出せるタイミングは、「事件」があった時。
具体的に見ていきましょう。例えば、毎夜のように夜中に騒ぐ。徘徊を繰り返す。家族を正確に認識していない(息子を夫と言い張るとか、夫を知らない人と言ったり、娘がわからないとか)。暴力行為がある。不潔行為がある(ちょっとした失禁ではなく、廊下に便が落ちているとか弄便とか)。家族を貶める妄想を訴える等が既に起きていて、その上にどう手を尽くしても落ち着かないなど、どうしようもなくなった時。

つまり重度です。重度になるまで受診を控えていたのですね。
その結果、ボケの専門医の先生方は、ボケの重度の状態しか診ることがないという状態が起きてしまいました。そしてドクターは「これはボケですね。ボケは治りませんから介護の工夫を・・・」と答えました。重度の病態を見たときに手遅れと診断することは、格別間違ったことではないでしょう。
少し軽い症状を訴えてきた場合には、診断は二通りでした。
一つは「歳のせいでしょう。少し様子を見ましょう」経過観察しているうちに重度化すると「やはりボケでしたね」
もう一つは、最初から「ボケですね。ボケは治りませんから」

そして「ボケは治らないから、福祉を充実させる。家族負担に頼るのではなく社会的介護の道を作る」という考え方が生まれ、2000年にスタートした介護保険につながったのです。
ただ、大きな問題が起きてしまいました。
それは専門医が「ボケの実態」を知らないという、考えられないことです。
専門医として名を馳せるほど、困り果てた家族に伴われた「重度」のボケた患者さんたちを診ることになってしまうという悪循環。

その後、2004年に「認知症」と呼び方を変えました。
厚労省は「痴呆」という言葉に侮蔑的なニュアンスがあるということを強調しましたが、私は2000年に介護保険がスタートしたからこそ、名前を変えてでも「予防」に重きを置かなくてはいけないという見通しがあったのだと思います。ちなみに介護保険の見直しは3年毎に行われます。
オオオニバス 裏面も

この記事を書くために、厚労省の『痴呆』に替わる用語に関する検討会報告書(平成16年12月24日)」を読み直してみました。びっくりするような文言を発見しました。

広報の欄を引用します。
「認知症」の症状や特性(例えば、「何もわからない」状態になってしまうのではないこと等)について正しい情報を伝え、誤解や偏見をなくしていくようにすることが重要である。
 特に近年、痴呆の当事者から発信されている自らの体験や気持ちを伝える言葉は、痴呆や痴呆になった人を正しく知る上で極めて貴重な情報であり、積極的な広報が望まれる。
例えば、46歳でアルツハイマー型痴呆と診断されたオーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんは、

「私たちに希望を下さい。私たち一人ひとりが、自分の内なる豊かさを持ったかけがえのない存在であることをわかってください。」
「私たちに耳を傾け、きめ細かく対応をし、私たちの気持ちを認めて、価値ある人間として敬意を示してくれることが、何よりも助けになります。」 

等と、語っている。

何ということ!
ここからすでに間違ったスタートが切られていたとは!
ウツボカズラ

検討会の委員の皆さんは、エッセイストの方々とさわやか福祉事業団の堀田さん以外は、すべて医学界の方々。認知症に関しては専門医の意見を参考にされたに違いないと思うのです。
その方たちは「認知症の実態」をご存じない。特に重度に偏った症状のみを日常的に診ていらっしゃる・・・ 

認知症の人が心情を告白する?ー映画「アリスのままで」やテレビ特集番組への疑問(後半にクリスティーヌ・ブライデンさんについて触れています)

認知症は、ある日突然「精神科受診を決めざるを得ないような症状」を起こすわけではありません。
正常な社会生活を営んでいる人が、何かをきっかけにして、それまでしてきたような生き方ができなくなる。何もせず、生きがいも楽しみもない単調な生活に続けて行くうちにだんだん変化が起きてくるのです。(認知症の90%を超える、普通のアルツハイマー型認知症について書いています)
最初は小ボケ。ひとことで言えば、意欲がなくなる。そして続いて中ボケ。いうことだけ聞いているとまるで問題は何もないようですが、日常生活ではトラブルが出始めるころです。ちょうど幼稚園児と同じような日常生活になるのです。ここまでは回復が可能!
その後になって初めて、回復困難ないわば手遅れの大ボケの、それでもまだ軽い症状が出てきます。大ボケに入って少ししてから受診することが多いのです。ここまでの経過は6年~8年かかります。
熱帯性スイレン 咲いては閉じを三日間だそうです。

先に述べた厚労省の意向もくんでのことでしょうが、認知症の早期発見を目指して「物忘れ外来」と標榜する病院がどんどん増加してきました。
そこを受診すれば、本当に認知症の早期発見をして適切な治療につなげてくれるのでしょうか?

軽い人たちが受診する流れの中でもう一つ困った問題が起きてきました。
たしかに「認知症」には記憶障害が必須とDSM(アメリカ精神医学会による精神疾患鑑別基準)にも書いてあります。
「物忘れはボケの始まり」という言葉ほど、世間の皆さんが納得している言葉はないでしょう。
「物忘れ外来」に「物忘れ」を訴える人が受診してきます。
いつも重度の症状を見ているドクターにとっては、驚異的だったに違いありません。信じられないほど表情豊かに、そして的確に心情を訴えることができるのですから!先のクリスティーヌ・ブライデンさんのようにです。
その時、ドクターはきっとこう思われたでしょう。
「いつも出会っている認知症者と全く違う。あそこまで重度化していない時にはこのような状態に違いない。認知症の早期発見だ」


違います。

「症状に先だって、脳機能から理解する」このアプローチを持つことで、認知症のレベルを正確に知ることができます。
さらに生活実態や生活歴を知ることで、認知症の種類や認知症と間違えられやすい病気まで、見分けることができるのです。

認知症は、前頭葉機能が年齢相当値よりも大きく低下するところから始まります。これはエイジングライフ研究所が持つ多数例の、正常の方から小ボケ・中ボケ・大ボケの方々の脳機能データから言えることです。
クリスティーヌ・ブライデンさんは認知症ではありません。側頭葉性健忘というべき症状で、記憶力の大幅な障害はあるのですが、前頭葉が生き生きと働いているのです。このブログでも何例か解説してあります。カテゴリーの中から「側頭葉性健忘」を読んでみてください。
テレビでもよく間違えて取り上げられています。しかも若年性アルツハイマー型認知症と表現されていることも多いのです。
この記事を書こうと思ったきっかけは、「認知症になったばかりの人に、一足先に認知症になった人からの、ガイド」ができたという先日のニュースでした。ガイドの作成者は、間違いなく側頭葉性健忘の方々です。
小ボケの方たちは前頭葉機能(脳の司令塔、人としての自分らしさの源)がうまく働いていない訳ですから、このようなガイドを作ることはできません。またこのようなガイドをもらっても、生活に役立てることはできません…

認知症の介護をしたことのある人に聞いてみてください。
アルツハイマー型認知症の始まり(小ボケ)は、物忘れに先だって意欲低下・無表情・テキパキできない・居眠りが目立つなどに気づいています。言葉だけ聞けば全く正常なのに、社会生活は無理だということを話してくれます。
ガイドブックは読んでも理解できないし、まして書くことはあり得ない!
もともと、左脳型で「読書が趣味」というような人の場合、本を読み終えない。同じ本を買ってくる。読後すぐに感想を聞いても言えない。などなどいくらでも話してくれますよ。

カテゴリーに入りにくいというお知らせがありましたので一覧をあげておきます。

アルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症

側頭葉性健忘用の“メガネ”

奥州市江刺区の付録 またまた側頭葉性健忘

中ボケの夫を妻が虐待?ここにも側頭葉性健忘が

「ボケてない?何か、ちょっと違うんです。」

若年性アルツハイマー型認知症?

「軽度認知症から"予想外"に良くなったお姑さん」その後

 物忘れーその1 DSMⅣ→Ⅴ

物忘れーその2 脳の老化の順序

物忘れーその3 側頭葉性健忘①

物忘れーその4 側頭葉性健忘②

側頭葉性健忘ー家族のことば

記憶障害ははっきりあるのですが・・・これを認知症といいますか?

認知症の人が心情を告白する?ー映画「アリスのままで」やテレビ特集番組への疑問

アルツハイマー型認知症と側頭葉性健忘症

「物忘れがあるから認知症」というけれど

認知症専門医の方々 側頭葉性健忘にも気をつけてください

 

 

 

認知症専門医の方々 側頭葉性健忘にも気をつけてください

2018年03月24日 | 側頭葉性健忘症

伊豆高原も桜だよりが聞かれる頃になりました。早咲き桜がいく種類もありますが、今年はもうソメイヨシノが見頃を迎えました。
花に誘われて、友人たちが続けて遊びにきてくれました。「シャボテン公園のカピバラの入浴で癒されたい」という希望でしたから、出かけました。

女子会ですから話題はあちらこちらに飛びます。
一人の友人が入院中のお父さんの話を始めました。
「病院はボケてるという対応なんですけど…」

「確かに、同じことを何度言ってあげても、わかってないというか、また一から説明しなくっちゃあいけないことがしょっちゅうあるんですよね。前日行った時に丁寧に説明して『そこまで手数をかけて悪いねえ』なんてちょっとこちらが恐縮するほど喜んでくれて、翌日すっかり何も覚えてないとか」
「検査のために飲食の制限があるときなんかは、大変。『よくわかったよ』って言ってくれるんですけど、すぐ飲んでしまうし、食べてしまうし…」
ラマ

「お世話になってる看護師さんの名前も覚えてないみたい」
「でも、何だかしっかりしてるっていうか。元の父らしく気遣いしてくれるし、ボケてないような気もするんですけど。先日もこれから先の見通しを確かに語ってくれました」
2017年11月27日生まれのバクの子 ルーニー

私「家族は身内びいきする傾向は強いから。ましてお父さんは研究者だし立派な人と思いこんでいないかしら。できないことはできないと理解することは、お父さんのためだけじゃなくてあなたのためでもあるし」
「そうですよね〜」肯定しながら、なお納得できないそぶりがアリアリです。
サボテン リトープス属 まるで小石!

もう一度友人の訴えを整理しました。
「とにかく覚えていられない」ということが一番の問題というか、問題はそこだけです。
ということは、逆にいえば確かに記憶障害があるということです。
「記憶障害があれば認知症」という診断基準でいえば認知症。でも家族がどうしても納得できない。
その時の鍵は、前頭葉機能が元気に働いているかどうかの一点に、目を配ることにかかっています。

家族がよく言います。
「うちのおばあちゃん、ボケてるんだか、ボケていないんだかよくわからない」
この時には「ボケてるって思う時はやったことを見た時でしょ。まるで幼稚園の子供のお手伝いみたいなことするし、トイレもお風呂もそう。でも話を聞いていると、昔のおばあちゃんのままでしょう」と聞くのです。
普通に脳機能の老化が早まった時(これがアルツハイマー型認知症)には、まず低下していく機能は前頭葉、次いで記憶が難しくなります。
その初期の家族の印象は「まるでおばあちゃんじゃないみたい」なのです。その人らしさの源は前頭葉にあるからですよ。
一生懸命 

記憶の障害がはっきりしてるにもかかわらず、気遣い、発想、工夫、恥じらいや困惑、豊かな表情、動作が機敏などが保持されている場合は、記憶だけの障害、側頭葉性健忘を第一に考えるべきです。
もちろんそのためには、前頭葉機能が正常域にとどまっているという脳機能検査のデータが必須です。
最近このブログでも繰り返し書いているように、テレビを始めとするマスコミが認知症と側頭葉性健忘を混同してることが大きな誤りですが、専門医の方々も前頭葉機能に目を当てていただきたいと思います。

認知症の大多数は、脳の老化が加速された「アルツハイマー型認知症、前頭葉機能低下が一番最初に起きるタイプ」で、今日話題にした友人のお父さんは例外的なのです。でも身近にいたのです!
この人たちを、認知症と同様の扱いをすることは、あまりにも的外れです。


若年性認知症の定義をはっきりさせましょう

2018年02月19日 | 側頭葉性健忘症

友人から電話がありました。「急いで、NHK教育を見て!」ー2/15放送のハートネットTV  認知症にやさしいまち(3)

夫と顔を見合わせながら「多分、また側頭葉性健忘ね」と言いながらチャンネルを合わせました。大当り!
画面には、イキイキとした表情の初老の女性がリンゴをウサギ型に向いていました。手際は全く危なげなく、出来上がりもきちんとしたものです。楽しげに談笑しながら次々にリンゴをむいていきました。
Jガーデンに泊まりました。

「子ども食堂」で働いているシーンが続きます。リンゴを、誰にも指示されずにデザートのお皿にのせていきます。
子どもたちが食事を始めました。
その女性は、子供たちの背中から、そっと体を触ったりしながら、笑顔で話しかけています。
部屋をあちこちと動いている動作も機敏、話しかけ方にも無理もしつこさも感じられません。気配りをしている様子がよく伝わってきます。もちろん着ている洋服もごくごく普通。作業しやすく清潔な感じ。
「どこが?この人認知症なの?」「何が変なのかわからない?」を、テレビを視聴していた人は全員が思ったはずです。
この窓の向こうに大島。そして朝日が上がります。

でも次のシーンで、またびっくりすることになります。
世話をしているスタッフの発言「よかったね。手をかけたリンゴ、やっぱり評判がいいですよ」
その女性「えッ…リンゴが評判って、わからない…すみません、私パッパラパーで」と言いながら、表情は明るさを保ち、内心は動揺しているかもわかりませんが、笑顔で応対しています。
(この「内心は動揺してるかもわかりませんが」というところに注目してください。
大人が社会生活をこなしていくときに、内心の動揺をそのままに出してしまうことは、よほどの大きなショックを受けた場合か、
相手がそれが許されるほど親しい場合だけのはずです。つまり多くの場合その場にあった反応にチェンジして対応します。「この苦笑いっぽい反応」に、私は、まさに大人としてのその人の前頭葉の働きを感じました)

視聴者は今まで見てきた女性の、全く別の面を見せつけられて唖然。
「今まで見てきた人と同じとは思えない」
「若年性認知症って怖いなあ」
「あ~これがボケなんだ…」
そして、ちょっと思うでしょう。
「自分が、直前にむいたリンゴのことを忘れるかなあ?」そこで「いくら何でも、それはない!」と思えたらびっくりしただけで終わります。
「直前のリンゴは忘れないかもしれないけど、私だって最近あれこれ忘れることと言ったら、いつも怖くなるほどだから…もしかしたら…私もいつかというか近々、若年性認知症って診断されるかも」と思った人にとったら、この番組を見た後では不安が渦巻いてしまうことになりますね。
掃除の行き届いたベッドルーム

放送は、その女性の夫へのインタビュー場面に変わります。
「子ども食堂に行くようになって、明るくなったし会話が弾む」
「最初に受診した時、お医者さんは『5年もたつと動けなくなる』って言ったけど」
「生きがいを見つけて、脳も体も活性化したんだろう。イキイキしている」
(退職後、自信をなくし家にこもっていれば、脳の老化は早まります。その部分が元に戻っていったことを、夫は見逃していませんでした)
この女性は、訪問看護ステーション(多分、そうだったと思います。私の記憶があいまいです(笑))で働いている最中に仕事に支障をきたし、受診の結果上記のように「若年性認知症」と言われ、結局は退職したのですが、このインタビューの最中にも退職の経緯は「わからない、私パッパラパーだから」と笑ってその場を過ごそうとしました。
夫によると予想通り
「訪問の約束をしても、全く忘れてしまって、すっぽかしてしまって…それが何度も繰り返されるものだから」と新しい記憶が入っていかなかった事実が述べられました。何度もここで説明した通り、これは側頭葉性健忘であって認知症ではありません!

「物忘れがあるから認知症」というけれど

ここをクリックしてみてください。側頭葉性健忘について具体例を中心に15回解説してあります。
脳の機能から見ると、認知症と側頭葉性健忘とは簡単に区別がつきます。前頭葉機能が正常なら側頭葉性健忘。今日の記事で青色で書いた部分が、前頭葉が正常に機能している証拠です。
そしてこの部分こそ、普通のアルツハイマー型認知症を介護した家族からみたときに「これが認知症⁉。うちのおばあちゃんと全然違う」点なのです。
温室 だいたい年中ブーゲンビレアが咲いてます

慌てて電話をくれた友人が、番組終了後また電話をくれました。
「NHKなのに!今日の人と普通のボケの人と一緒にしないでほしいのよ。ボケってあんなものじゃあない!」彼女はたまたま3人の認知症になった家族の介護をした経験があります。
「あれっ。齢のせいかなぁ、変だなあ。でも立派なことも言うし‥と右や左に揺れながら不安に思ってるうちにおかしなことが増えていくのよね。
どう考えても『これはボケなんだ』と思い、誰に言っても『ボケちゃったねえ』といわれるところまでは何年もかかったけど。
最初に気づいた頃って、表情がなくなって、ボーとして居眠りしてるのよね。キビキビしてないの。自分じゃあ何もやらないし。それじゃあいけないと思って家事やら頼むと変なの。全然できないという訳ではないけど、今日みたいにシャキシャキできないし、ひとつずつ指示を出さないと頓珍漢なことにすぐなってしまう。それなのに何か言うとちゃんとした言葉で立派な返答とか嫌味な返答とか返ってくるわけ。今日の人とは全然違う」
そうです。今日の人は認知症でありません。前頭葉がちゃんと働いているのに新しい記憶が入っていかない側頭葉性健忘の人なのです。
20万年前に噴火した払火山溶岩流

地方に行って高齢者の方々とお話しすると、NHKは信頼されているなあとよく思います。
「NHKで言っていたけど」と質問されることもあります。NHKは専門のお医者さんや研究者の皆さんの意見をもとに、少なくとも監修はしてもらって、番組を作っているはずですから、本当に責任があるのは専門家の皆さんでしょう。
でも、よく世の中を見てみると、「普通の認知症(アルツハイマー型認知症)」が圧倒的にたくさんで、なおかつごく軽いものから誰からも認められる重度のものまで様々な状態の方たちがいることがわかるはずです。言い換えると、今重い状態の人に対して、過去にさかのぼって症状を聞いていくと、軽い状態から徐々に症状が進んでいったことがわかります。
「普通の認知症(アルツハイマー型認知症)」ではなかなか番組が作りにくい。特に重度ともなると映像化することすらためらわれます。それに比べると、側頭葉性健忘の方たちは顔を出してくれるし(表情もイキイキしています)、自分の意見も自分の言葉で的確に表現してくれるし、さまざまなことがやれるし確かに「絵に」なりやすいですね。
でも。
NHK、がんばってください。善男善女を不安に陥れるようなことはもうやめましょう。公共広告機構も同じですけど。

若年性認知症の定義を調べて、ビックリポン!一番最後に触れています。




 

 


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