脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

10月の右脳訓練ー東京で

2018年10月27日 | 私の右脳ライフ

東京での用事を済ませる合間に、以前から気になっていた岡本太郎記念館を訪れました。

太陽の塔が公にされた時、その意味を考えることもなく頭の中に疑問符が点滅したことを覚えています。
その後、三沢市に仕事で行ったときに泊まった古牧温泉(今は星野リゾートが青森屋として営業)で岡本太郎の作品をまとめてみたのです。
その時「このよくわからない絵には何か伝えたいものがある」ということが不思議なほど伝わってきました。それは私が歳を重ねたためだったのか、その作品自体が持つ力だったのかはっきりしませんが、その時以来「岡本太郎」はちょっと気になる存在でした。

岡本太郎のアトリエでもあり住居でもあったところです。半世紀も暮らしたと解説にありました。
そこここに岡本太郎を感じさせるような展示でした。

アトリエもそのままです。
「座ることを拒否する椅子」が有名ですが。

面目躍如たるカラフルな作品。

「顔」をテーマにした作品も多くありました。

庭にも多くの立体作品がありました。

まるで「いないいなあばー」をしているように展示されているものもあり、「あ、ここにも見つけた」と声が出そうでした。

渋谷駅に「明日の神話」という巨大な壁画がありますが、それと対をなすべき作品の下書きです。
「芸術は爆発だ」というフレーズが流行りましたが、ほとばしるように筆が進んだ様子からその言葉を思い出してしまいました。

ただ同行の夫は、私とは全く違う感想を持ったらしく、それほど興味を持たなかったという証拠写真がありました(笑)
作品の受け止め方はまさに前頭葉で変わりますし、ベースにあるのが右脳の色や形の情報ですから、いいとか悪いとかの評価はできません。好きか嫌いです。


今回の東京では、もう一つ展覧会に行きました。
九段下で地下鉄を降りて、会場へ向かうその方向に靖国神社の大鳥居がありました。

鳥居をくぐって参道を進み大村益次郎像のところで左折、千鳥ヶ淵に面しているイタリア文化会館へ。

イタリア風のおしゃれなビルの1階ホールで展覧会開催中なのです。イタリア政府が10月に「現代アートの日」として世界中で発信しているイべントの一環です。

銀座で画廊をしていらっしゃる藤井さんは、ミケーラ・ペドロンさんの作品を日本に紹介された方ですが、今回の展覧会開催に関しても多大な協力をなさったらしいです。
昨年のミケーラ・ペドロンさんの個展のことをブログにあげています。
ヒロ画廊伊豆大川ギャラリー
作者の意図を十分にキャッチする能力も、本当に十人十色だなと藤井さんとお話をするたびに思います。評価が定まっていない能力を発見するというような特別の能力は誰にでもあるわけではありません。
藤井さんに教えていただいて、外国特派員協会で開催中のマリア・ボナノッテの写真展にも足を延ばしました。

マリア・ボナノッテは、最近は日本の風物、神社仏閣、祭礼そして名工などに惹かれ多くの作品を発表しているそうです。モノクロだから訴える魅力があるのですね。色を想像する自由を与えてもらってるわけですから、色彩豊かに想像してもいいですし、「日本」を意識しなおすテーマがほとんどでしたから、思いが沈潜する方向に行ってもいいのだと、勝手に思いました。

壁にはインタビューを受けた著名人のポートレートがたくさん飾られていました。
藤井さんがおすすめくださって、踏み込むことができない場所に行ってみることができました。ありがとうございました。


10月の右脳訓練ー「変なホテル東京銀座」

2018年10月23日 | 前頭葉の働き

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東京で宿泊が必要になりました。
当日夜は銀座。翌日は和光市まで行きます。その二つの条件をまずクリアしなくてはいけません。和光市は有楽町線と副都心線なら乗り換えなしで行けることがわかりました。まだ乗ったことのない副都心線にも惹かれるものがありましたが、銀座から近い方が…とホテルを決めるのにもいくつもの条件を考慮しなくてはいけないのです。そうそう、コストも考えなくては。ガンバレ私の前頭葉!

もうひとつ、余裕があれば興味関心があるかどうかも選択条件に入ります。
HISが、ハウステンボスで展開した「変なホテル」。フロントやポーターをロボット化して、極限まで省力化を図って成功しているというあのホテル。2015年にこのニュースを知った時から関心がありました。調べてみるとなんともう東京都内で7か所も営業していました。
銀座から一駅はなれていますが、有楽町線新富町駅から1-2分という立地だったので「変なホテル東京銀座」に決定。
高校同期の毛利さんがオーナーバーテンダーをしている銀座毛利バー。世界中にファンがいるという、毛利さんがステァしてくれた「ハバナマティーニ」を楽しんでいるうちに、ホテル到着は夜中の12時を回ってしまいました。

チェックインが済んでいれば、自分のキーで入れたのですが、まだチェックインが済んでいなかったので、インターフォンで玄関を開けてもらう必要がありました。結果、係りの方がフロントに立たれて、普通のチェックインになってしまいました。

6か国語表記です。ロボットだからこそ楽々と言葉を超えてしまえるのだと感心してしまいました。
部屋に入ると、無料のスマフォ貸し出しがあり、ほとんどすべてのことがそれひとつでできるシステムです。大型スクリーンで細かい説明もありました。もちろん、空調も鍵もこのスマフォで。

指示通りにしたら、たしかにスマフォがカギになりました。

スマフォでできるサービスも「見ればわかる」表示になってます。

ただ一泊するだけですから、豪華な施設や特別のサービスはいりません。
160センチもある幅広のとっても快適なベッドと、かけておくだけで洋服のにおいやしわが取れるという最新のクリーニング機が導入されていました。「LG Styler(韓国製)」

朝食は、食堂には小さなテーブルしかないので部屋に持ち帰ってもいいそうです。
カウンターの女性が「おはようございます。ビーフコンソメでございます」とお盆を出してくれるのですが、言い方がやさしくて心がこもっていて(と、特別に感じたような気がします)ロボットのやさしさとは全く違う!と当たり前ですが実感しました。
フロントの女性ロボットは、最高レベルの技術と最大限の努力を駆使してできあがったものでしょう。丁寧でわかりやすい言葉を選んで、声音も表情も工夫を凝らし、服装だって好感につながるように細かい配慮がありました。

でも、生身の女性(しかもおばあさんといえる年齢の方でした)が、たった一言の言葉とともにお盆を差し出すシーンには、暖かさというかホスピタリティが漂い、その心地よさに一瞬浸ってしまいました。
このように常に変わるお客さんに対して「おもてなし」の心が溢れるように対応するということは「人間」であれば誰でも必ずできるというものではありません。まさに前頭葉のなさしめる技。言葉遣いも動作も教え訓練することはできますが、その先のいわば応用編ですね。多分接客業で教育が一番難しい分野だと思います。
いずれにしても、労働人口の減少や経済的な側面からも、マンパワーにすべて頼るということは現実的でないですから、AIとどのように住み分ける時代が来るのか、とても身近な問題として感じることができました。

ネットの予約サイトでチェックした時には、料金もちゃんと検討したはずですが、希望ホテルに泊まれることがうれしくて、今は覚えていません…2人で14000円くらいだったような。つまり安いのです。だから首都圏への進出スピードが速い。この分野では「おもてなし」は要求しない人が多いのでしょうか。


いつから認知症が始まったのか推理する

2018年10月13日 | 正常から認知症への移り変わり

今日の話は、世の中の認知症の大部分を占めるアルツハーマー型認知症についての話です。
皆さんはどんな状態になったら認知症といいますか?
日常生活で食事、トイレ、お風呂、着替えも満足にできなくなって、全面的に介助が必要になると「ボケちゃった」というでしょう。
夜中に騒いだり、徘徊したり、家族の顔もわからなくなったりしたら、違いなく認知症。これは見当識障害といって、時、所、人の順にわからなくなっていきます。ただし、それぞれだんだんに問題が大きくなっていくのです。
ここで大切なことに気づいてください!これほどの症状は一夜にしてはできあがらないということです。これらの症状はエイジングライフ研究所による二段階方式では「大ボケ」といいます。こうなったらもう回復は困難です。ただしこのような状態は、大ボケになってからでも、しばらくたたないと出てきません。
大ボケ(回復困難)になる前に中ボケ(回復可能)が2~3年、さらにその前に小ボケ(回復容易)の状態が3年間は続いていたのです。回復できないいわば手遅れの大ボケになって見つけて「認知症は治らない」と思っている人たちがたくさんいます。

二段階方式では脳機能検査をすることで、その人の脳のイキイキ度を把握し、どのような生活をしているかを理解します。
結論を言ってしまえば、高齢者が何かのきっかけでその人らしい生活がどうしてもできなくなってしまう。なにもしない生活が続くと、脳機能が老化を早めてしまう(廃用性機能低下。筋肉などと同じと考えてください)。そして小ボケは3年続き、そのままの生活であるなら続いて中ボケが2~3年間。その先にようやく大ボケが見えてくるのです。
逆の言い方をすれば、現在の脳機能の状態がわかれば、ナイナイ尽くしの生活をしてきた期間がわかります。それは同時に、その人の人生で生活が代わってしまったターニングポイント(きっかけ)がわかるということでもありますね。

友人との話をプレイバックしてみましょう。

友「おじいちゃんを入所させたんです。おしっこもわからなくなっていて・・・
すぐ入所できると言われたのですが、おばあちゃんに納得してもらうために、三日間入所、四日間帰宅の体制をお願いして、いままでは夜は私がお世話していたのですが、おばあちゃんにもお世話をしてもらいました。おばあちゃんが音をあげて入所させたいという結論がようやく出て、ほっとしているところです」
「私が顔を出すと『帰りたい』と言って大騒動になるので、『しばらくは来なくていい』と老健の方から言われて、ほんとに行ってないんですが、特別悪いことをしてるとも思ってない・・・」
私って冷たいかなあという顔をしています。

私「とんでもない!夜騒ぐんでしょ?おしっこが出たこともわからないんでしょ?お世話がどんなに大変だったか、想像がつきます。おいくつなの?」と尋ねながら、
「こういう症状があるということは、間違いなく大ボケもかなり進んでいる。とすると、脳が老化を加速させ始めて7~8年くらいかな」と推理が始まります。

友「94歳。それは立派な人で、そうそう近衛兵だったんですよ」

私「近衛兵!本人の人柄、学歴、家柄だけでなく、体も立派でそのうえにハンサムでないと近衛兵にはなれなかったのよ」

友「よくわかります。一緒に暮らし始めてから、畑もやったし、釣りも楽しんだでしょ。大正琴、鎌倉彫。バードウオッチングの会にも入って、小学校で講師もやったりしました。バイクも70歳になってから免許をとったし・・・」

私「そういう生活ができなくなるようなきっかけが起きたのよね。85歳を過ぎて88歳までの間。(ほんとは87歳といいたいところでしたが、脳機能検査をしていませんので少し幅を持たせて)」

友「そのころ、バードウオッチングをやめました。他の趣味も次々に。あっ、それから、ちょうどそのころ一番可愛がっていた孫が進学のために家を出たんです。90歳の時だったんですけど、確かにそのあたりから急に悪くなりました」

私「どっちが先かしらね?」

友「バードウオッチングの方が先でした。」

私「なんらかのきっかけで、意欲をなくしてバードウオッチングをやめた。そして小ボケになってしまったところに、追い打ちをかけるように孫が家を出てしまった。お孫さんの進学によってさらに老化が進んで中ボケになっていったということになる。そこから4年で今の状態は少しも無理がない。
つまり、90歳に先行する3年くらい前(ホラ。87歳になるでしょ!)にほんとうのきっかけがあったということになるの。
なぜやめたんでしょうね。それが聞きたいことなの。どんなことが起きたのか?そのために楽しみの柱だったバードウオッチングをやめることになった訳だから」

友「それならわかります!進学した孫と言うのが、とにかく一番可愛くて、赤ン坊の時からそれこそ目の中に入れても痛くない、どこに行くのもつれていく、お風呂だってずーと一緒に入って。近所の評判になるくらいでした。
その子がちょうど高校入学のころ、おじいさんに「勉強のこととか言わないで!」と猛烈に反抗したんです。ちょっと手が出たりしたのはショックだったみたいでしたから。きっとそれです!」

私「そこから始まったとしたら、小ボケは3年間続くの。小ボケが終わる時に大学進学が重なってさらに進んだ・・・タイミング的にはぴったりね。
本当に立派なおじいさんだったんでしょ。
もしもその頃、私が出会っていれば、絶対に『いまが危険な時。この状況に負けないで。さあ何ができるでしょう』と励ましたと思うの。それでうまく生活が立て直せたら、ボケたりしなかったのに・・・でもみんなが知らなかったのだから、だれも責められないけど・・・
このボケていくメカニズムはよくわかってね。そして私たちが同じような状況の時に、ボケないで過ごせていったときだけ、おじいさんがボケた意味はある、と私は思うの。」

大ボケになってしまった後で出会った時には、その方の生活歴がよくわかる例えば家族から何をきっかけにしてナイナイ尽くしの生活に入っていったのかを確認してみましょう。
その時に一番大切なことは、症状から脳機能を類推して、その脳機能になるには何年間くらい脳を使わない期間が必要かを考えて「何年前におきたこと」とタイミングをできるだけ狭めてあげることです。(もちろん正式には、まず一番に脳機能検査をすることが決まりですよ)
その、きっかけがはっきりしたら、認知症の治療方法や生活改善指導がはっきりと見えてくるものです。

このブログでも繰り返し書いていますが、大体世の中の皆さんは「あの人はボケるよね」とか「あの人は絶対ボケないと思う」とか気楽に言います。
それが結構的を得ていることに、私は感動するのです。
皆さんの基準は、学歴でも職歴でもありません。社会的な地位も関係ないし、貧富の差もほとんど考慮されません。
その基準は、「生き方」です。
「人生をイキイキとその人らしく生きている」
「打ち込むもの、自分が生きがいと感じられるものを持っている」
「楽しそうに充実した生活を送っている」
そういう人に対して、「あの人はボケない!」と断定しますね。

一方で、どんなにりっぱな学歴や職歴を誇っていても、世間は容赦ありません。
「いま、どのように生きているか」が鍵ですから、むしろ「立派な仕事をしている人は固い。そして仕事一筋の人が多い」ということから「遊びを知らない面白くない人」であって、そういう人は「退職したらすることがないし、一緒に遊ぶ友達もいないのでボケる」と、こう言う流れなのです。
この近衛兵まで務めた方などは、世間の常識から言えば例外的な人だったと思います。立派な方なのに人生を楽しむすべを身に付けていたところがです。

友「一緒に暮らし始めてから、畑もやったし、釣りも楽しんだでしょ。大正琴、鎌倉彫。バードウオッチングの会にも入って、小学校で講師もやったりしました。バイクも70歳になってから免許をとったし・・・孫が生まれたら、文字通り目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれました」

こういう人は、年齢相応の老化現象はあっても、皆さんが考える通り、ボケたりはしないのですよ!こういう人がボケるには、その人らしい生活が送れなくなってしまうような「生活上の変化」「人生の大きな出来事」が起きてしまい、その状況に負けて「その人らしい生き方」ができなくなってしまって、以前とは全く違う生き方になってしまったと言われるような状況がいるのです。そういう生活の変化が先行して起きなければ、ボケずに人生を全うできるのです。
孫の反抗と進学のための巣立ちが、そのきっかけだろうと推理しました。
(これはクズの花)

その後、友人が連絡をくれました。
友「どうして気が付かなかったのでしょう!絶対これです!
実は、主人は次男なんですが、長男のお兄さんが家を新築したのです。しかも奥さんのご両親を迎えるためのお部屋も用意して。私たちは問題なく暮らしてきましたが、お父さんは古い人ですから『いつかは長男のところで住もう』『長男のところで住まなくてはおかしい』と思っていたと思います。それが間違いなく砕かれてしまった、そのことがお父さんの意欲をもぎ取っていったと思います。だからバードウォッチングをやめたんですね。
丁度その頃、孫の問題が出てきたのです…」
このメカニズムが納得できた友人は、ご本人はもちろん周りの人にも対しても、脳の老化が加速されていないかどうかのチェックを入れることができるはずです。そうすると彼女のまわりには認知症は現れにくくなると思います。


かくしゃくヒント36ー同窓会で認知症予防

2018年10月09日 | かくしゃくヒント

母校戸畑高校の天籟総総会関東支部の総会が、10月6日に無事終了しました。私はその支部長を務めています。お受けするにあたって「同窓会の意義って何だろう」と考えて、同窓会の会報「天籟」にこんなことを書きました。
「・・・同窓会は戸畑高校という共通の基盤を持った老若男女の集い。参加する人たちの思いはそれぞれですし、意味を見つけられずに参加しない人たちもいます。何ともったいないこと!同窓会は前頭葉を活性化できる認知症予防の場でもあるからです。日常生活の中で寂しさがふっとよぎることがある方、出席してみませんか?時を超えて同窓生や同期生との話が楽しめますよ。後輩たちには出会いから生まれる異業種交流も魅力的ですね。・・・」

私は認知症の予防活動をやってきました。
始まりは脳外科でした。脳が壊れた人はその場所によってどういうことができなくなるのか、あるいは治療してどの程度よくなり、どのような障害が残ったかなど脳の働きを調べる仕事をしてきました(神経心理機能テスト)。
そして前頭葉に損傷を受けた人たちは、従来用いられてきた
左脳や右脳の能力を測定する知能テストではその損傷具合が測れないことがわかり、その開発に関わりました。Photo_3
前頭葉はその人らしさの源、十人十色といわれる時のその「色」を決める脳の機能です。
上図でわかるようにどんなに優れた左脳や右脳を持っていても、それを駆使できるかどうかは御者(前頭葉)の能力次第です。左脳や右脳の機能を高次機能という言い方がありますが、それに倣えば、前頭葉機能は最高次機能といわなければいけません。
実は「ボケるくらいなら死んだ方がいい」といわれるほど怖がられているアルツハイマー型認知症は、もう治すことができな程手遅れになって診断されているだけだと皆さんはご存知ですか?
「治らない」とか「アミロイドβのせいだから」などと言われていますが、正体を説明してみましょう。
基本には脳の老化があります(若い人にはアルツハイマー型認知症はない)。
それでは、齢をとった方はみな認知症になっているか考えてみてください。お元気な方がたくさんいらっしゃる。

脳の老化のスピードが違うのです。老化が早まっていく人たちが小ボケ、中ボケそして大ボケと認知症への道を突き進む。大ボケに至るまで6年以上もかかります。
次になぜ老化が加速するかということになりますね。
人生の大きな変化や出来事をきっかけに、その変化に負けてしまって、生きがいも趣味も交遊もなく運動もしないナイナイ尽くしの生活になってしまう人たちは、脳をイキイキ使わない生活を続けることになります。使わないから老化が早まり(廃用性機能低下といいます)徐々にその人らしい生活が送れなくなっていくのです。
認知症は脳の使い方が足りないという意味での生活習慣病と考えるとよくわかると思います。

ちょっとまとめると「」内は家族による、生活状態の一言表現です。

小ボケ(御者だけ元気なく居眠り):「指示待ち人」回復容易
家庭生活は問題ないが社会生活がこなせない。世話役ができない。趣味をやめてしまう。無表情。意欲がない。
中ボケ(御者に加え、馬たちの脚も弱まった):「言い訳のうまい幼稚園児」回復可能
話していることを聞けば、変わりないがやることは幼稚園児のようになる。家庭生活に支障が出てくる。日付がわからない。服薬管理ができない。味付けが変。
大ボケ(御者も馬も横になって寝てしまっている):「脳の寝たきり」回復困難
セルフケアにも問題が出てくる。通常はここからをボケと思っている。徘徊。家族がわからなくなる。夜中に騒ぐ。食べられないものを食べる。
一足飛びに大ボケにならないということは、「正常から認知症への移り変わり」のカテゴリの中にたくさん書きました。

今回の同窓会では、私たちの考えを立証してくれるような出来事が重なりました。旧制中学8期生上木原孝志先輩が乾杯の発声をしてくださっています。88歳。
 
突然の指名にもかかわらず、堂々と壇上へ移られて、「現役時代は、もちろん仕事。退職してからもゴルフとマージャンはかなりやりました。ただこれだけ長生きをすると、仲間が集まらない。健康の秘訣は、OB会、同窓会、老人会にもれなく参加することなんですよ」と背筋を伸ばし、力のこもったお声で挨拶されました。的を得た的確な内容のご挨拶を、短い時間でピシッとお決めになりました。
大きな声で唱和するように付け加えられましたから、「乾杯」の
大きな声が会場に響きました。
上に説明した老化を加速させてしまう生き方と対極にあると思いませんか! 上木原先輩の生きがいや楽しみごとをもっと詳しく伺えなかったのは残念ですが、きっと前頭葉が「生きているという実感」を感じながら生活していらっしゃると思います。

自撮りしたことはありませんが、時間切れのため川嵜先輩と初めての自撮り。
かくしゃくヒント27-「ボケ予防に俳句を始めたよ」
2014年の総会の後に川嵜先輩のことを投稿しました。それからまた4年もたってしまいました。
「もう何年になるかなあ。(2010年だったみたいです)高槻さんの講演を聞いてから俳句を始めたんだよ。あの時老後には趣味がどうしても必要だってわかったから。それで続けてるよ。そして俳句を始めてほんとによかったと思ってる」
「それはよかったです!」スマホを広げて見せてくださったページには、写真の横に五七五がレイアウトされているすてきな作品がいくつもありました。
あとからメールで送ってくださいましたので追加します。

もしかしたら、写真クラブにも参加されているのかもしれませんね。

「英文俳句はなさらないのですか?」
「もちろんやってるよ。後から送るから」といわれました。
メール到着。
「昨日はご苦労様でした。
お約束通り俳句をメールします。9月の句会の句です。
1.glittering
 in  the  rays  of  morning  sun
   a  crape  myrtle
   キラキラと 朝日に匂う 百日紅
2.hanging  down
 a  gift  of  hot  summer
 darkish  grapes
 垂れ下がる 暑さの恵 黒葡萄
又、お会いしましょう。」
総会の席上では慌ただしくて詳しいお話は伺えなかったのですが、俳句の会からのお付き合いも広がっていらしゃるようでした。こういう生き方が大切なのです!何だかお若くなっていらっしゃるのではないかと思いました。

九州から参加してくださったT田さんからメールをいただきました。これにもうれしいことが書いてありました。 
「同じテーブルでご一緒させていただいた二期上の先輩が、高校の体育大会の時の同じ色の応援団長さんでした。25年ぶりの再会に感激いたしました。」
脳機能から考えると、この時の前頭葉はフル回転。
「あれ?もしかしたら…」から始まり、記憶を鮮明にする作業が続いたでしょうね。同じ時間を共有したことがはっきりした後は、懐かしさや応援に熱中したその時の気分までもが湧き上がってきたのではないでしょうか。25年間という時の流れが吹き飛んでしまうような感覚はありませんでしたか?応援合戦を離れた話題にも飛び火したかもわかりません。
考えてもみてください。このような脳の働きは動物にはないのです。人間たるゆえんの前頭葉のなさしめる技。脳の活性化の見本のような出来事でしたね。
今年の本部同窓会のTシャツ。福引の景品としてご寄付いただきました。

会も終わりに近づいた時、卒業年次でテーブルが決まっているのですが、若い人たちのテーブルから若者1人が壇上に招かれました。59回生!29歳!T巣さん。
このような溌溂とした青年を見るだけでも、気持ちの良いものです。しかも同窓生ですもの、よりうれしい。
「たまたま訪問した会社に先輩がいて、その先輩から出席してみるといい」といわれてきたのですってね。
そして「いろいろな先輩がいて同窓会に来てよかった」って言ってくれました。
ほら、同窓会って異業種交流の場にもなり得ます。先輩後輩の間柄がありますから教育的配慮も効くはずです。この記事の一番最初に書いたこととちょっと重なりますよね。
前ブログに書いたように、MORI BARは総会時以外の交流の場の役を担ってくれています。どうぞ行ってみてください。居心地よさにびっくりするでしょう。
ご自分の話や同窓会へのご希望などもっともっと話をしていただけばよかったと、とても残念に思っています。また来年、同期生を誘って参加してください。
景品のワイン
若い方たちのテーブルにちょっとお邪魔しました。
MORI BARでご一緒してライン友だちになっている30年後輩48回生のS谷さんとは、「同窓生ですものね」とファーストネームで呼び合う仲。子育て奮戦中の後輩に何かしてあげられることはないかとよく思うのですが、子育てを楽しんでねと伝えること位しかないのです。
たまにかわすラインのやり取り、お会いするのはもっと稀なのですが、そのときいつも心温まってますよ。ラインで会ってる子供たちの成長も楽しみの一つです。同窓会から生まれたこういうやりとりは、まちがいなく私の前頭葉を活性化してくれているのです。

総会出席者の最年少。ミニミーちゃん。52回生のママ、T田さんに連れられて参加です。平均年齢をしっかり下げてくれましたね。はなれた席だったので、連れてきてくれるまで気がつきませんでしたが、きっとまわりの方々をプレおじいさん、プレおばあさん気分にさせてあげたことでしょう。ちょっとだけ抱かせてもらったぷくぷくした感触がまだ感じられます。

6日には天籟同窓会総会出席。翌7日には牛久シャトーカミヤでベスパブランチにマイ車両で参加ですって。(意味が分からなくてググってしまいました。ベスパはイタリアのバイクのことでした。楽しそうです)
ミニミーちゃんの脳は今から信じられないくらいの成長をしていきます。アナログ情報を処理する右脳も大切。デジタル情報を処理する左脳も大切。もちろん運動の脳も鍛えてあげましょう、一歳になる前からマイ車両に乗ってるんですからこれは大丈夫ですね!
そして何より大切なのは、たくさんの経験をさせてあげて前頭葉を育てることです。それも今から100年もつような前頭葉を。今から広がってゆくその素晴らしい可能性に乾杯。
前頭葉そのものの説明がなかなか難しいところがありますから、興味があったら右欄カテゴリーの「前頭葉の働き」を読んでみてください。
「同期会なら楽しいけど・・・」とよく聞きますが、年代層が広い同窓会しかもってない刺激も体験してみていただきたいと思います。想定外に年齢層を広げてくれたミニミーちゃん、ありがとう。

 

 


 


楽しい同窓会でした

2018年10月07日 | 私の右脳ライフ

私の母校は北九州市の戸畑高校です。その関東地区の同窓会総会が10月6日、例年のようにコートヤード・マリオット銀座東武ホテルで開催されました。
昨年から、私はその支部長を務めていますから、支部長挨拶で何をお話ししようかとちょっと思案。いろいろ考えた挙句「楽しんでください」ということだけお伝えすればいいと心に決めました。
私と同期18回生の毛利副支部長の「開会の言葉」

実は、私たち18回生の結束は固く今回の総会も130数名の参加者のうち15名が同期でした。それは藤吉さんや八丁さんというすばらしいお世話役に恵まれたことと、毛利さんの存在が大きかったと思います。
銀座MORI BARのオーナーバーテンダー毛利さんは、日本を代表するバーテンダーの一人です。MORI BARホームページが見つかりませんから(おそらく、ない?)、去年取材を受けたと聞いた「銀座線リニューアル情報サイト」の中の「伝説のバーテンダーに教わる接客の極意」をあげておきます。毛利さんの人となりがわかる良い記事だと思いましたから。
MORI BARは、18回生だけでなく戸畑高校同窓生の「かたり場」の役割をしてくれているのは事実ですが、それには毛利さんの人柄が大きく寄与してると思うのです。
その毛利さんは副支部長として毎年「開会の言葉」を言ってくれます。今年の挨拶の中核は「楽しんで下さい」だったのです。打ち合わせなしで、これだけシンクロできるって素晴らしいでしょ。それだけで私の中では一気にテンションが上がりました。

今年の総会は楽しかったと思います。帰りにいろんな方がそう声をかけてくださいましたから。
恒例の基調講演は、主婦連会長の有田さんにお願いしました。

演題からどのようなお話かといろいろに想像を膨らませていましたが、お話は「興味深かった」の一言です。
少女のころから不思議に思った事々を具体的に普通の言葉で話してくださいました。「女の子なのに」というようなことばから始まって、ごく身の回りの障がい者に気づいたこと、水俣病、森永ヒ素ミルク、カネミ油症・・・そして安保闘争、ベトナム戦争・・・それぞれの持つ意味や問題に、その時、その時のご自分が正面から向き合ってこられたのですね。多感な青春時代を、戸畑高校の自由な校風で羽ばたくことができたとも。
その事々への関心や疑問、そしてそれを真摯に究明していった体験が、後の仕事の面でも、そのままであったり形を変えたりしながら人生を貫いているという述懐はたしかにそうであっただろうという説得力のあるものでした。
そして実は降壇後に「私の仕事は計画して進めていったというよりは、さだめのようなものを感じます」と話してくださいました。
大変な量の人生体験や業績を限られた時間でお話しくださるために、スピード感あふれた魅力的な講演でした。

続いて本部同窓会の神田副会長の挨拶も「有田さんのお話を伺って、戸畑高校在校中の娘の考えをもっと聞こうと思う」という肉声そのもので、形式的な挨拶にとどまってないからでしょう、会場からホーと声が聞こえました。

戸畑高校校長池田美佐子先生は、わずか10分間という短い時間で母校の現状を写真をたくさん使ってご説明下さいました。テンポよく説得力のある構成で、写真を一枚もとらなかったということが、引き込まれてしまった証拠だと後から自分を慰めました。
学校生活は大きく変化していますが、制服は半世紀以上前の私たちのものと同じなのですね。
北九州市東京事務所、正野副所長は形の整った(左脳)そのうえ気持ちが伴った(右脳)スピーチでしたから、つい後から「いいご挨拶でしたね」と褒めてしまいました。まあ人生の先輩ですから許してくださいね。

今年の8月8日メジャーデビューした54回生の冨永祐輔さんが、その報告とお礼にと急遽参加してくれました。
開催のお知らせには掲載されていないうれしいハプニングでしたが、音楽とともに登場したその瞬間から、皆さんが身を入れて聞いてくださったこと!胸が熱くなりました。

これまた想定外のアンコールまで。ソフトバンクホークスの和田選手の登場曲WAR熱唱。

冨永さんのサイトを読んでいたら、ぜひご紹介したい記事を見つけました。
「生きているっていうことはそれだけで意味がある」
こういう思いを持って、音楽の世界に向っている同窓生にエールを送りたくなるのは当然でしょう。

福引大会もありました。
10回生の木村先輩の版画

我が18回生笠井きみよさんの版画。作品に会うたび、高校生だった彼女の静かなたたずまいが思い浮かびます。

そしてまたまた18回生。世界的な書道家になっちゃった(ごめんなさい)幕田魁心さんの色紙、3点も寄贈してくれました。「道」「和」「陽」

その他にもワインやフルーツや演劇チケット等々、盛り上がりました。
最後は恒例の応援歌斉唱...36回生の岡崎さん、なかなか見事なリーダーぶりでした。鍛えておけばあんなに力強い声が何年もたっていても出るのですね。檀上には有志の先輩たちも登壇してくれています。こういうのもいいなあ…

司会の津﨑さん。今年のデビューをばっちり正装で決めてくださって総会の品格が上がりました。実は靴もおニューだったんです。そのお幸せな顛末をお知りになりたい方は津﨑英俊さんのフェイスブックへどうぞ。
お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

同期生が送ってくれました。撮影場所が違うので会場の様子がよくわかります。支部長挨拶。

出席してくださった皆さんも、幹事の皆さんもありがとうございました。楽しかったですね。
号外です!
ブログを読んでくれた後輩が、池田校長先生の講演なさっている写真を送ってくれました。生徒さんたちの多岐にわたる生活がよくわかるように作ってくださったパワーポイントの映像に圧倒されました。
T田さんありがとうございました。


「母はしっかり者なんです」・・・ちょっと疑ってみる

2018年10月01日 | 正常から認知症への移り変わり

パソコンがネットにつながらなくなって大騒動。修理センターに入院ということになり、様々なファイルの保存に汗をかきました。たまたまドキュメントの中に面白い文章を見つけました。これはブログ用の原稿だと思いますが、「正常から認知症へ」のカテゴリーには70を超える記事がありますのでアップします。
写真は10月1日、台風24号が通過した伊豆高原いがいが根(この地面が既に海面から7~8Mの高さ)の波の様子です。
久しぶりの友人が来ました。

「母が入院してるんです。昼食を食べるときに、椅子に座ろうとして、椅子の引き方が足りなかったので空座りになってしりもちをついてしまって・・・
その時大腿骨の上のほうが折れたんですけど、それでも我慢強い人だから『大丈夫』というものだから、夕方まではどうやら家にいたんですが、普通じゃないので病院に行くことにしました。そのときには負ぶって連れて行く有様で」

私「転んで骨を折るときって、大腿骨頸部って多いんですよね。手術はすぐにできたのですか?」
「幸いにも、二日後にやっていただきました。経過もすごく良くて。今はリハビリ病院に転院してます」

私「リハビリ嫌がらずになさってますか?『絶対歩けるようになって退院!』って思っていらっしゃるかしら」
とても頑張ってます。母はしっかりしてるものだから、病院スタッフの方からも親切にしていただいて。ホラ、話がよくわかるでしょ?したらいけないことはしないし、しなくてはいけないことはするし。自分でちゃんとリハビリ予定のメモを取ったりしてますし。
他の方は、いろいろみたいで、母は結構世話も焼いているみたいです」

ここまでの会話はどこででもありそうなものですね。
しっかり者のお母さんが、骨折をしたけれども病院でも何の問題も起さずリハビリをがんばっているというのです。

でも、ちょっと待ってください。
高齢者が骨折をするとき、もちろん不可抗力で致し方ないこともありますが、ちょっとした不注意で・・・というようなこともよく聞きます。
注意を集中したり、状況を判断したりするのは、脳のどこでしょう?
そうです。前頭葉なのです!

前頭葉が実力を発揮できない状態(小ボケ)の時、こんなことでとびっくりするような状況で骨折してしまうことがあることを覚えておいてください。

それで念のために質問しました。
(繰り返しますが、ほんとに仕方がない状況の時だってありますよ)

私「お母さんですが、ここ3年くらいの間に生活が大きく変わるようなことはありませんでしたか?」
「私が常勤職で働いているので、母がまだ家族の食事つくりは全部してくれるし、洗濯とかの家事もやってくれます。何しろしっかり者で通ってきた人ですから。あら、そういえば畑は、最近は父がやるようになりましたけど。もともと母がやってたんですけどね」

尋ね始めた以上、「ナイナイ尽くしの生活をすることで引き起こされる脳の廃用性機能低下は起きてない。脳の老化は絶対加速されていない。生き生きとした生活実態が継続されていた」という確信が得られるまで確認を続けます。
このことは逆に、「加速されていた」という仮定を立てて、それをはっきりと否定できるまで質問するということなのです。このようなアプローチがアルツハイマー型認知症の早期発見には必須です。

私「畑はなぜお父さんに?」
「若いころから、腰痛があって整体とか整形とか通っていたんですけど、2~3年くらい前からひどくなって、それで父が母に言われてやり始めたんですが、父も凝り性なので最近では勝手にいろいろ工夫して楽しんでるみたいです。それで母もすっかり畑は卒業したということですね。
腰痛がひどくなったので、流しの前で移動できる椅子を用意してあげました。それで炊事もしてくれたんですよ」

私「ということは、最近はあまり炊事はされない?」
「そう言われると最近は、品数も減ったし、たしかに前とはちょっと違ってきてる・・・」

1.2~3年前から腰痛が悪化!これは老化を加速させる「きっかけ」になりうる!
→その後の生活がそれまでの生活実態と違ってないか詳しく聞く必要があります。
2.「可動式の椅子」からは家族関係の良さが伺える!
→この家族からなら正確な情報が得られるし、生活指導の実が上がるはずです。

私「腰痛がひどくなってから、畑をやめたほかにやめたことはありませんか?」
「毎日買い物には自分で行ってたのがちょっと無理になったですね。
そうそう生協をやっていて、週一度近所のおばさんたちが玄関に集まっておしゃべりが盛んだったんですけど、だんだんやめる人が出てきたことと、それまでは届けてあげたりしてたのも無理になったので、生協をやめてしまったこともありましたね。
それから、孫をとてもかわいがってたんですけど、孫も中学生になって帰宅時間が遅くなり触れ合う時間も減ったかな」

「買い物をやめたこと」と「生協をやめたこと」と「孫との触れ合いが減ったこと」
この三つのことが、お母さんの生活にどのくらい影響を与えたか?生活を変えていったかどうか?を聞き取ることがカギになります。
(ご本人ではないのですが、この家族なら正しく理解できていると思います)

「自分で家族の生活を全部みているというのが誇りだったんですよね。面倒がらずに買い物だって新しいものを毎日買いに行ってくれてたんです。
畑もそう。家族からおいしいといわれることがとてもうれしそうだったけど、今は父だから・・・
生協をやめたのも、リーダーっぽい母だったから結構痛手だったかも・・・
孫との触れ合い時間が減ったことは、たしかに寂しそうですね」

3.「腰痛の悪化は『きっかけ』になった可能性が大きいことが判明」
4.「骨折の前に、すでに小ボケだったことを症状を通じて確認する」

アツハイマー型認知症の正体を解説しました。
私「腰痛がひどくなって、お母さんが生きがいと感じていた生活ができなくなっていった。近所の仲間やお孫さんとの触れ合いも減っていった。その生活が2~3年続いていけば、前頭葉の出番が少なくなって元気を失うことになるんです。二段階方式で言うと小ボケ。
献立が単調になったでしょ?出来合いのお総菜を買ってくるようになったでしょ?手際が悪くなったでしょ?」
全部納得してくれましたから「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ・・・」を見せました。
「これも、これも」と最後は笑い出す始末。

細かく話を聞いていくうち、正しい理解に到達できました。

お母さんは、腰痛の悪化によりそれまでの生活ができなくなったことで、次第に意欲をなくし小ボケ(脳機能の老化が加速されて前頭葉機能のみ不合格状態)になっていき、そのために転倒骨折した可能性が高いのですが、入院生活が逆にお母さんにはよい環境になったのです!
・いつも気にしてくれ、声もかけてくれるスタッフがいる。
・目を配ってあげることが必要な人たちがいる。
・「歩いて退院」というはっきりとした目標がある。

このような環境で、お母さんの前頭葉は出番が増えてきたのです。入院前よりもたしかに元気になっていることを確認し、退院後の生活で分担してもらう家事を確認して今日のおしゃべりは無事に終了しました。

注)二段階方式では、まず最初に脳機能検査をします。その結果と現在の生活実態、そして直近の生活歴を聞いていきます。今日の記事は脳機能検査はしていませんが、生活歴を丁寧に細かく聞いていく大切さをお伝えしたかったのです。


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