脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

卒業アルバム 顛末記(フロク)

2012年05月28日 | 私の右脳ライフ

週末、東京に行ってきました。
卒業以来、ほんとに久しぶりの友人、しかも三人に会ってきました。

「わかるかしら?お互いに・・・」という不安はずーとあったのですが、少なくとも私の場合は、友人を見ると、すぐに何の問題もなくあの頃の面影が立ち上ってきました。
その逆は、さてどうだったのでしょうか???

2012_0523_144300p1000009卒業して、47年目ですから、いろいろな話に花が咲いたのですが、たまたま卒業アルバムの話になりました。

今回のことの顛末を話していると、友人が
「修学旅行の列車、すごい座席だったでしょ!固くて、座席の背中側が直角でとっても寝られなくて、困ったわよね!」

「ウーン。寝られなくて困ったかしら?」
そういいながら、私の頭の中は
「中国で、硬座軟座っていうのは的を得た表現なんだ」
「以前何かで『硬座で夜越えは無理』って書いてあるのを読んだことがある」
「硬座で20時間!昭和40年。もう戦後じゃあなかったけど、貧しかったんだ」というような文章がチカチカしていました。

その後に爆弾発言が!2012_0523_145800p1000018
「私たちのクラスの女子だけど、横に寝られるのはここしかないといって、網棚に寝た子もいるのよ」

「エーッ。私たちのクラスでは、男子もそんなことはしなかったと思うけど・・・」と語尾はあいまいになってしまう私。

基本的にプカプカで過ごしていましたからちょっと大変でも、それなりに受け入れてあまり文句は言わなかったような気がします。その結果、あれもこれも「覚えてない」んですから、何にしても、断定的には言えません。
ほんとにそんなことがあったのでしょうか?
覚えている人が言うのですから、あったということは間違いないのですが。
シーンを想像してみると、たくましくて、かわいい女子高校生の姿が目に浮かびます。

2012_0523_150200p10000232012_0523_144300p1000008_2

今回の卒業アルバムがらみでは、いろんなことを教えてもらいました。
「解散は、浅草だった」
 (これだけは私もよく覚えています。雷門でなく二天門だったでしょ)
「東京到着日は本郷の旅館に泊まった」
 (私は父と一緒だった)
「翌日は富士五湖や白糸の滝を回った」
 (河口湖でダンスを踊ったのよね)
「鎌倉へも行った」
 (言われてみれば、確かに)
「東京での自由時間に湯島天神に連れていってもらった」
 (私は父と・・・)
「自由時間に、親戚のおばさんに『新宿アシベに連れていってほしい』といってびっくりされた」
 (当時はその程度でも「不良」扱いだったのでは?エレキギターもビートルズも、ボーリングですら「不良」のすることだったと懐古談に花が咲きました)

2012_0523_145600p1000016_3今回の極めつけは、O田さんからのメール。
「日光には行ってないと思いますが、修学旅行は楽しかったですね。
今日は早起きをしてお弁当づくり。
いまから孫の運動会に行ってきま~す」

あのジャンバースカート姿の彼女と、ボランティア活動や趣味に精を出す彼女と、いそいそとお孫さんの運動会に急ぐ彼女と。

私にとって全部が違和感なくO田さん。50年生き続けた人生は、何と言ってもすばらしい!
生き続けること、そのものに意義があります。


卒業アルバム 顛末記

2012年05月25日 | 私の右脳ライフ

卒業アルバムの件では、メールが飛び交いました。そして一件落着しましたのでその報告を。

河津バガテル公園のバラたち(5/23)
2012_0523_143900p1000006アルバムを見て、いろいろ驚いたことはあったのですが、一番びっくりしたのは修学旅行のページ。

日光の写真が何枚も掲載されていました。
「私は、行ってない!」
どんなに考えても、かけらも思い出せません・・・

「何と言うこと!」と、日光に行ったことを前提にして、下手な推理というか、つじつま合わせというか、勝手な理由をつけて自分を納得させていたのです。
年齢からいえば騒ぎ立てない方が得策と自賛した、私の前頭葉の使い方は間違っていたと、また反省しています。

アルバムを送ってくれたF吉さんから一番にメールが来ました。2012_0523_145900p1000019
「・・・さて、修学旅行の「日光」ですが、我々18回生は多分行っていないと思います。
以前も、行ってない筈なのに何故「日光」の写真があるのか不思議に思っていました。多分、写真屋が「日光」は修学旅行の定番との思い込みから、18回生には関係無い別の写真を挿入したのではと推測致します。」

このメールを読んで、1人で大笑い。
でも、何と言う写真屋さんでしょう!これは親切というものなのでしょうか?!

2012_0523_143800p1000005続いて、Y武さんからもメールが届きました。
「戸畑高校の修学旅行では、日光は行っていないと思います。
20時間ぐらい汽車に揺られて(新幹線ではなく、貨物列車に連結された特別列車!待ち時間がいろいろな駅でたくさんありました)東京に着いて、確かその日は文京区の旅館に泊まって、翌日は富士五湖(河口湖等)や白糸の滝等を回ったと思いますが、日光は行っていないと思います。
でも、小生もボケが始まっているかも知れませんので、100%の自信はありません。」

今度は女子のY原さん。2012_0523_150000p1000020
「修学旅行で日光に行ってないのは100%間違いありません。」と断言してくれました。

これにて一件落着。

Y原さんのメールには付録があって
「私は今まで日光の事気にも留めていませんでした。
物をよく見る力というか、この辺が勉強の良くできる人との差だなとつくづく思いましたよ。」

ありがとう!
私の記憶違いから始まったはずなのに、はっきり覚えている人から、どういう訳かほめてもらっちゃった(笑)

2012_0523_145800p1000017種明かし。
何年も見たいと思っていたのに、見られなかったアルバムが手元に届いて、虫メガネまで取り出して、「意欲的に」「真剣に」「集中して」見たのです。
前頭葉をフル回転させたのです。
だから、見つけただけです。

本当に丁寧に見たのです。
上履きが上靴でなくスリッパみたいだけど・・・(これも記憶にはないのですが)

男子で、はだしの人もいます。
あの時代から、もう石田純一さんの向こうを張ってたんでしょうか?

その後のメールで、鎌倉へも行ったことを言われ、「そういえば大仏様を見た!」
と記憶がはっきりよみがえりました。
2012_0523_145300p1000014
情報をもらっただけではっきりすることと、情報が入ってきてもまだあいまいなことがあります。
それは覚える時の、関心や集中度の違いなのでしょう。
プカプカ生きてきてしまって、残念!と思います。

ところで、Y武さんはボケは始まっていませんのでご心配なく。
私ほどすっかり記憶にない状態でも、ボケていない・・・ハズですから。

新しいブログの「老化の物忘れと認知症の記憶障害」 を参考にしてみてください。

それにしても、物事のつじつまが付くのは気持ちいいものですね。
いや、そうではないようです。
つじつまがついたことがうれしいのではなく、友達と大問題でもないことをテーマに情報が飛び交ったことが楽しかったのだと思います。


コーヒーブレイクー卒業アルバム 

2012年05月23日 | 私の右脳ライフ

たまたま、同期生が幹事という縁で卒業高校の同窓会で講演をしたおかげで、思いがけなく高校時代の友人との交流が復活しています。

伊豆高原は、いま、緑もきれい、花もきれい
2012_0513_163700p1000024

話題にたびたび出てくるのですが、高校の卒業アルバムがどこかにまぎれてしまって、悲しい思いでいました。
先日我が家でやったミニ同窓会で、「アルバムが無くなったの」といったら、何と復刻版を送ってくれました。

そのことを一足先に知らせてくれた友人が
「最近はすごいことができるようになったんですね。ボクが以前写真屋に頼んだ時にはできないって言われたのですけど。おかげでボクも手に入れて眺めています!」

タイムの花
2012_0513_164500p1000022_22012_0513_164500p1000023_3

さて、アルバムをワクワクしながらみました。自分の記憶力の曖昧さにがっくり。

いくつかのシーンだけ霧が晴れたようにくっきりと感じられるのですが、何とふわふわと過ごしてしまったのか、ちょっと悔しい思いもわいてきました。
一番びっくりしたのは、修学旅行のコーナーでした。
どう見ても日光の写真・・・でも私は日光にはずーといったことがないといい続け、私の中では2008年秋に念願かなって日光に行ったことになっていました。うれしくて、二度続けてブログに写真を使っています。

2012_0513_163500p1000027何が起きたのか?????

きっと小ボケの人たちが、
「さっき聞いたよ」と厳しくいわれた時や、
大切なものが見つからなくて、何度も探して、探して、それでも探しあぐねている時などの心境と同じでしょう。

いろいろ考えて、「東京で、上京してきた父と合流したために、私だけ日光に行かなかったのかしら」と一応結論付けてます。

「このアルバムに大きなミスがある」と騒ぎ立てなくて、私の方に原因があるはずというアプローチが必要です。この年齢になれば、それが正しい前頭葉の働き方(笑)

送ってくれたF吉さんへのお礼メールです。
(私が育ったのは北九州市戸畑区。地方の小都市のならいで小、中、高校と同じ学校という友人がいます。同窓会幹事のF吉さんもそんな友人です)
「今日の夕方、戸畑高校のアルバムが届きました!
一昨日の夜、H丁さんから予告編をいただいて、首を長くして待っておりました。

お礼がこんなに遅くなったのは、夕食後にもう一度、じっくり見せていただいたからです・・・虫めがねを取り出して眺めたのですよ。

写真を眺めて、お名前を声に出してみて。わかる方もあり、わからない方もあり。でもだんだんに、胸がいっぱいになってきました。

この時から47年。みなさん一生懸命に生きてこられたのでしょうね。
さまざまな人生を思い描くだけでも、圧倒されます。
亡くなられた方もいらっしゃるんですもの。Img_0001

ところで、3/29が私たちの結婚記念日です。
先日42回目でした。
その日に忠男さんから
「それにしても、プカプカ生きてきたねえ」といわれ、妙に納得。
結構真面目ではあるのですが、さらっとフワフワッと生きてしまったと思います。
今振り返ってそうなのですから、ましてあの高校時代。
なんとものを考えない、幼い私であったかとあきれてしまいます。

忠男さんの感想は
「かわいいねぇ(と一応言ってくれました)初々している」
部活動写真を見て、私の感想は
「体育部の男子は、強そうにしてる(のがほほえましい)」
「エッ、この人と部活が一緒だったんだ!(覚えてない・・・ほんとにごめんなさい)」
本当にありがとうございました。心の中が、暖かい気持ちで満ちています。」

高校時代を振り返り、私のように「それにしても子どもすぎた・・・」と思う人も、「よくやった!」と合格判が押せる人もいるでしょう。もしかしたら「消し去りたい」という思いがわく人だって。
でも、「あの時」が「いま」に続いています。

年をとるほど、こういうふうに自分の中での関係性が整理できることは意味があると思います。もちろん、周りの友だちとの関わりあいも善し悪しを超えて振り返ってみる・・・
きっとそれは「これから」を
生きる力になります!


5月の右脳訓練ー伊豆高原アートフェスティバル

2012年05月22日 | 私の右脳ライフ

5月の伊豆高原は緑が滴るようです。
その緑も日々に色を変えてくれて、散歩の時も車に乗る時も木々の緑を見るのが楽しみという時期が続きます。

伊豆高原にすむ芸術家や趣味でものづくりを楽しむ人たちが、自宅を会場にして住民による地域芸術祭とでもいう「伊豆高原アートフェスティバル」という催しを始めて今年で20周年だそうです。(詳しくはをクリックしてください。会場の様子や作品などが楽しめます)
スタートするときに「この素晴らしい季節を味わってもらいたい」という考えがあったそうですが、ほんとにその気持ちがよくわかります。

2012_0502_155100p1000001今年は、ひとあじ違ったフェスティバルでした。というのは、私の友人が絵画展を開いたのです。(2年間教えていただいた水彩画教室の仲間。それにしてもいろいろなレベルの生徒たちで、先生はご苦労なさったことでしょう!ありがとうございました)
「内山洋子作品展 庭でみつけた草花や昆虫たち」

水彩画、鉛筆画、油絵など多彩な技法で表現されていますが、やさしさと愛情がたっぷり。
去年末、ふとしたはずみで骨折してしまったのにもかかわらず、ギプスの足を投げ出してまで制作に没頭したというのですから、右脳がらみの「楽しめるもの」を持っている人は人生の危機を乗り越えやすいですよね。中には左脳主体の「読書(や勉強)」で骨折の困難を乗り越える人もいるでしょうが、どう考えてもちょっとお気の毒・・・(笑)

2012_0502_155300p10000042012_0502_155100p1000002_3

おもしろいものですね。いままでのお客さん気分から一転。「たくさんの人が見てくれたらいいのに」とか「お天気が悪くて残念」とか、「伊豆高原アートフェスティバル」の中から世間を見ているような気になりました。

2012_0502_155200p10000032012_0502_155500p1000008_2

油絵の大作も2点
2012_0502_155400p1000007コンドミニアムの伊豆高原シーズンズが会場です。(ここも是非クリックしてみてください。作品展ととてもマッチしていますから!)

天気がいいと林の向こうに海が開けて、その向こうには大島が一望という景色のよさ。
「いいなあ」と感じる心は右脳の豊かさから生まれます。
制作までできなくても、鑑賞や感動のように受け身の状態であっても、脳が働いていることを忘れないで、いろいろなチャンスを見つけては右脳訓練を楽しんでください。

こういう友人がいるのもいいものでしょ!

今年の伊豆高原アートフェスティバルは20周年記念ということで、珍しい展覧会もあります。独学で、20年以上も同じ場所を描き続けた作品が並びます。
「描きたいもの(色?心象風景?)がまだある!」という思いが痛切に伝わってくる不思議な展覧会でした。これは感動的でしたよ。
Img_2


若年性認知症の定義

2012年05月20日 | これって認知症?特殊なタイプ

また、新聞記事についてのコメントです。
5/10の日経新聞「らいふプラス」は「若年性認知症 支援徐々に」という見出しのもと、高齢者と区別した若年性専門の支援施設やディサービスが登場。社会参加の場を提供する動きについての記事でした。

今日は「白」をテーマに
2012_0425_135500p1000215私の夫は、法律が専門ですから、いつも「定義は?」と聞かれます。
「人間が対象なので、差が大きすぎて定義なんかできない」と答えると
「定義なしでは、話し合いにならないよ。
だってこの人の言ってることと、あの人の言ってることが、言葉だけ同じ言葉を使って、意味していることがまったく違っている状態だってあることになる。
それじゃあ、意味がないだろう」
と、あきれられます。

厚生労働省研究班のまとめ(2009年)が別枠で解説されていましたので、表にしてみました。
1

1はいいでしょう。
2012_0506_133400p10000192から問題があります。
一応世界のスタンダードとされるアメリカDSMⅣの認知症の定義だと「いったん完成した脳機能が、全般的に衰え・・・」となっています。

脳卒中などの血管障害は、そのほとんどが脳の片側に起こりますから、どんなに大きな障害が残ったとしても、それは後遺症であって、その血管障害が認知症を起こしたのではないということになります。

後遺症を抱えたその後の生活が「ナイナイ尽くし」になれば、二次的に脳機能全般的な低下が起こって、認知症は完成しますが。
血管性認知症の定義をもう一度確実なものにしておかないと、議論も施策も徹底しえないですよね。2012_0506_133700p1000021

さらに記事を読み進むと、疑問がわいてきます。
「65歳以上に多いアルツハイマーと合わせると、全体の3/4を占める」
つまり脳血管性が40%、アルツハイマーが35%だと言っているのですが、アルツハイマーの定義が、またまたはっきりしません。

アルツハイマーは人の名前です。
「アルツハイマー
型認知症」と「アルツハイマー病」は、一昔前までは厳密に使い分けられていました。

2012_0506_133400p1000020「アルツハイマー病」は遺伝子異常による不可避の認知症。このタイプこそ若年発症を特徴とし、さらには進行が早くて2年もたつと寝たきり、意思疎通にも欠ける状態になります。
生活実態がどれほどイキイキとしていても、生きがいを感じながら生きていても、遺伝子異常を持って生まれてきてしまえば、必ず発病するのです。

脳の使い方と認知症の発病には大きな関係があると、このブログで強調していることとは、大きな差があります。でも、アルツハイマー病は非常に稀で、だからこそ世間では認知症は高齢者の病気という認識があるのです。

経過から言ってもこのタイプは、今回の日経の記事にあるような社会参加や就労などは、絶対に無理なのです。

2012_0506_135400p1000024アメリカでアルツハイマー病を「アルツハイマー病早発型」、ふつうのアルツハイマー型認知症と呼ばれていたものを「アルツハイマー病晩発型」という表現に変えてから、余計ややこしくなりました。

本来の若年性認知症は、遺伝子異常のタイプアルツハイマー病を意味しています。

アルツハイマー病は、今回の記事のように社会参加や就労を問題にしてあげたくとも病気の進行が速すぎて、なりえません。
その意味では、この脳血管性認知症でないという意味の「アルツハイマー」は、あいまいさゆえに間違っていないということになりますね。

2012_0220_142000p1000050このブログ右欄のカテゴリー「これって認知症?特殊なタイプ」をクリックしてみてください。
側頭葉性健忘や感覚性失語症や左脳や右脳に限局された変性疾患(アルツハイマー病よりも稀)や、いわゆる手術で治るとされる正常圧水等症や慢性硬膜下血腫などの二次性痴呆の例がいくつか挙げてあります。
この中の「若年性アルツハイマー型認知症」は去年の伊東市主催の講演会でした。このような病名をつけられていても、実際は記憶障害だけの側頭葉性健忘であって「認知症」ではないのです!

定義をはっきりさせないと、世の中の混乱を招きます。テレビ番組の認知症の特集でもこの特殊なタイプ(特に側頭葉性健忘)が取り上げられていることが多く、ふつうの認知症のお年寄りを介護している家族の心境を思って、いつも心を痛めています。




「生涯現職」その2

2012年05月17日 | 正常から認知症への移り変わり

正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」(クリック!)
小ボケの人たちが日常生活の「運転」という分野で起こす様々なエピソードを読んでみてください。

5月13日に、こんな新聞記事がありました。

「84歳、新東名を逆走」という見出しで、
「富士市の男性(84)が、富士市内を走行中、誤って新富士ICから新東名に進入し、約14キロ離れた新清水ICでUターン、路肩走行して下り車線を逆走し新富士ICを約4キロ通り過ぎた所で発見された」

Photo_4

上図のようなことですね。

記事によると
「運転していた男性は保険代理業の仕事で同市内を走行」
「男性は調べに『道を間違えたので戻ろうと思った』と説明」
「路肩を70~80キロで逆走していた」
「高速隊は『本人や家族には免許を返納するように説得したい』としている」

普通にこの記事を読むと、
「保険代理業の仕事をしている!現職でもこのようなことが起きるのか!」
ということに驚きを感じるのではないでしょうか?

ウノハナ
2012_0430_112600p1000253

 

 

 

 

 

 



エイジングライフ研究所はこのように考えます。
これは、脳機能が小ボケ(前頭葉機能だけが不合格)もしくは中ボケ(前頭葉機能に加えて後半の認知機能までもが正常範囲でない)になった人に起きた事件ということが大前提です。
ただし、記事以外の情報がないので真実は不明で、残念ながら推理にしかすぎません。

1.「現職」の意味を検討する。
エイジングライフ研究所では、もし前頭葉低下だけにしても脳機能が正常でなければ、立派な肩書の名刺を差し出されても、
「この名刺は、仕事の内容や実態を表していない」と判断します。
脳機能がそのような状態では、仕事をこなすというような社会生活ができるはずがないからです。
逆に言えば、名詞に書かれていることが真実ならば、脳機能が年齢を超えて老化を加速しているはずがないからです。
ハルシオン?ヒメジョオン?
2012_0430_154100p1000256

 

 

 

 

 

 

2012_0430_154100p1000257

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうケースはよくあります。
「老人会会長の名刺」:
文字通りの名誉職。現職時代に敬意を表して会長と奉られている場合と、実際に活動された期間はあるのですが、有能な副会長さんの登場とか、ご本人が種々の理由で小ボケ状態になったために名刺だけの会長職になっているのです。
よく見ればクモの巣が
2012_0430_112200p1000252_2

 

 

 

 

 

 



「一般会社の社長や会長の名刺」:
実態はない。
名刺だけもらっていたり、あるいは給料をもらっていても、出社していないことも多いのですが、たとえ毎日会社に出勤しても仕事の内容は整えられた書類に判を押すだけとか、銀行との交渉時に「ただいるだけで重みがあるので」陪席するだけなど、本人にとって決して「仕事をしている」という達成感のない状態が続いています。

「ふつうに現職の名刺」:上記と同じような場合と、あまりにもパターン化した仕事内容の場合は、前頭葉の格別の関与がないままに仕事がこなせてしまうことがあって、失敗は起きてもなんとなく現職状態が許されている場合があります。
とくに家族経営の場合などにみられます。
この男性は、このような状態だったのではないでしょうか?
モッコウバラ
2012_0430_154400p1000260
2.発言をよく吟味する。

先日来「こう言えば、ああ言う」と題して3度にわたって、小ボケの人がどのくらい「普通に」言葉を使うかということを解説しました。

「道を間違えた」くらいなら、かなり脳機能が低下していても簡単に言えるのです。
高速隊の方々が気づかれているように「道を間違えて、探しているのだ」としたら、新富士ICを通り過ぎたのがおかしいですよね。

もちろんそれ以前に逆走することが根本的におかしいのですが!
クレマチス
2012_0430_154400p1000259

 

 

 

 

 

 



3.さらに注目。
70~80キロで逆走していたのです。
新東名は先日走ってきましたが、確かに全体的にスピードは控えめな印象を受けました。パトカーも結構目にしましたし、新しい道ですから安全運転を皆さんが目指しているのでしょう。

それにしても、70キロは遅すぎませんか?

小ボケの家族がよく訴えます。
「一緒に車に乗ってると怖いんです。みんなが50キロで走っているところを30キロで走るんですから!」
正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」

これらを総合すると、正常な脳機能の人が起こした事件ではないと考えた方が適切でしょう。いくら高齢になっても正常な脳機能であるならばこのようなことは起こさないので、安心してください。
高速隊の方も、免許返納を勧めていますね。

 

 

 

 

 

 



 

 

「生涯現職」その1

2012年05月16日 | 正常から認知症への移り変わり

ここ数回、「遊びのことばかりで、認知症の初期の見分け方が書かれていない」と思っていませんか?

エイジングライフ研究所は新規のブログでも解説しているように、認知症の大部分は「高齢者が人生の大きな出来事や生活上の大きな変化をきっかけに、ナイナイ尽くしの生活に入っていく。具体的には、生きがいも趣味も交友もなく運動もしない、つまり脳を使う状況がない生活になるということで、その生活が続くうちに、脳の老化が加速される(廃用性委縮)。その結果である」と考えています。

アップしそこねた春の花たち
2012_0419_172200p1000143「脳の使い方」が大切なのです。
簡単に言い換えると
「生活ぶり。それも、その人らしいイキイキとした、楽しげな生活」こそが認知症を遠ざけることができる一番の近道です。

一般的に言われるように、「仕事の左脳」、「趣味の右脳」と考えてください。

生涯現役という言葉は、確かに魅力的な響きを持っています。
現役を続けることは達成感もあるでしょうが、同時に苦労も伴います。超高齢になってもそんな苦労をし続けるのですか?
まあ、それ以前に定年退職のように「現役」をはぎ取られることの方が普通でしょう。

第二の人生に入った時に、どのような暮らしぶりが大切なのかをわかっていただきたいという思いも、このブログを書くモチベーションのひとつです。

仕事を終えた第二の人生2012_0418_160900p1000131を豊かに過ごすことができるための一つの柱が趣味でしょうし、もう一つの柱が交友です。
さらに不可欠のものとして、散歩や運動もあげる必要があるでしょう。

世の中の人たちは、実はいま現職の人に対しても
「退職したら危ないね。だって趣味も友だちもいないんだもの」
「仕事辞めたら、何するの?みんなと一緒にすることはバカにしてるでしょ!」
「偉い人やまじめで固い人ってボケやすいよね。だって遊びを知らないどころか、遊んだら悪いと思ってるし」
などというと思いませんか?

2012_0418_160100p1000130これらは定年後、第二の人生に入ったら、それまでの左脳優先、仕事一辺倒の生活ぶりでは「脳が持たない」と経験的に思っているのです。当たってます。

「生涯現役」という言葉に憧れるよりも、
「長い間、左脳主体で生きてきました。
左脳さんありがとう。
さあ、今から右脳主体で人生を楽しむぞ。
子どもの時のように、ノビノビと遊んでも許される境遇になったのだから」というような気持ちが大切ですよ。

2012_0430_114000p1000255もう一つ、大切なことがあります。
左脳は「~しなくてはいけない」とか「~すべき」という物差しで働きます。
右脳は「おもしろいから、楽しいからもっとしたい」という働き方をしますから、右脳を使っていると、意欲が出やすいというメリットも知らなくてはいけません。

ヒトだけが左右の脳が分化しているのです。
情報処理の効率化のために、左右の脳に分化する必然があったのでしょう。
左脳と同じように右脳も使ってやらないと不公平、どころか宝の持ち腐れというものです。


5月の右脳訓練―いま、ふたたびの奈良へ。

2012年05月13日 | 私の右脳ライフ

JR東海の奈良キャンペーンに惹かれて、2月には東大寺戒壇堂・新薬師寺・唐招提寺へ行ってきました。

最新のバージョンは金峯山寺篇(金剛蔵王大権現)です。
特別ご開帳が6/7までということでちょっと無理かとあきらめていましたが、急に友人夫妻と一緒の旅が決まりました。

2012_0508_162700p1000028当然新東名を使いました!
新静岡SAのおしゃれな洗面所を見てください。

SAはどこも満車か混雑で、私のような好奇心の前頭葉が全開の人(ミーハーともいいます)の多さにちょっとあきれてしまいました。

スケジュールは、伊豆高原から沼津ー森町(新東名)ー磐田ー豊田(東名)-伊勢湾岸ー東名阪ー名阪で奈良入り。
室生寺ー長谷寺ー談山神社ー吉野(泊)

吉野ー飛鳥ー興福寺ー東大寺戒壇堂ー平群(泊)

薬師寺ー唐招提寺ー法隆寺ー中宮寺ー磐田経由で帰宅。往復走行距離は1000キロを超えました。

「修学旅行で一度は行ったことのある奈良に、団塊の世代の人たちの目を今一度向けたい」という意図があるという「いま、ふたたびの奈良へ。」というキャッチコピーの奥深さを、4人が4人とも実感した旅でした。       2012_0511_125100p1000070修学旅行記念写真(法隆寺)

それぞれ、中学や高校の修学旅行や、大人になって奈良の旅をしたことがあったりでしたが、そのどの時とも違った感慨を持つことができたのです。やはり何十年という人生を生き続けてきた後に、分かったり感じられたりするものがあるのですね。

「感じる」のは右脳の働きですが、右脳がキャッチしたその情報をどのように料理するかは前頭葉にかかっています。前頭葉は、種々の経験を繰り返してはそれを自己評価しながら「自分の色」を作っていきますから、「生き続けた」ことで初めて実感できることがたくさんあります。

修復なった談山神社
2012_0509_135800p1000046金剛蔵王大権現をはじめ多くの仏さま、素晴らしい建物、そこに漂う言葉にならない雰囲気・・・いまの私だからこそキャッチできたものが、この奈良の旅にはありました。
同行者との会話も感動を深めたように思います。

ふっと、そこに私がいたというシーンが自覚されたり、若々しい友の声が聞こえたり。
「ふたたびの奈良」は、「過去」と向き合うことが前提の旅ですから、他の旅とは違った感慨を味あわせてくれました。

小雨の室生寺、時の鐘とホラ貝が青い山々に広がってゆくBGMのプレゼントがあった長谷寺。シャクナゲもボタンもまだ十分に楽しむことができました。
2012_0509_100300p10000292012_0509_115800p1000040_2

そもそも「金剛蔵王大権現」を目指した旅だったのです。
その迫力に圧倒されました。としか書けないもどかしさ・・・
「素晴らしい。吉野に来てよかったね」と言い合いました。
吉野は、7世紀後半の役の行者から、現在につながる修験道の場。まさに百日回峰や千日回峰の道のスタート地点なのです。
西行、後醍醐天皇の南朝時代、秀吉の花見など多くの歴史が息づいてます。

2012_0509_165300p10000522012_0509_172300p1000055
   

飛鳥がまたよかったのです。暖かく穏やかな日でした。飛鳥歴史公園で高松塚古墳の有名な図を見せてもらいました。
我が国最古の大仏である止利仏師作飛鳥大仏とは、大学生の時以来の再会。石舞台は周辺が整備されていて見間違えるほどでした。
2012_0510_103800p10000652012_0510_100900p1000061

奈良市内は修学旅行生でラッシュ状態でした!「立ち止まらないでください」で見学していきましたが、でも何かはきっと心の中に留まってくれるでしょう。

2012_0511_141700p1000072法隆寺夢殿、救世観音の御開帳にもめぐり合いました。

中宮寺の半跏菩薩像も近くからじっくり拝見できました。
JR東海の奈良キャンペーンでは、中宮寺のコピーは「美しいひとが奈良にいる。」でしたがまさにその通り。
左の写真は中宮寺から夢殿を望んだところです。

金剛蔵王大権現と対比をなす仏さまで奈良の旅が終わりました。

今回の奈良の旅でどのくらい歩いたか。
「ふたたびの奈良」へ行くのは足腰が丈夫なうちがいいですよ(笑)

2012_0513_101700p1000003_22012_0513_101700p1000004_72012_0513_101700p1000005_4

 


かくしゃくヒント14ー鍵は「意欲」

2012年05月07日 | かくしゃくヒント

久しぶりに友人から電話がありました。女性の方で80歳はとっくに超えていらっしゃるはずです。

「パソコンの調子が悪くて、連休中に孫を呼んで直してもらったのに、孫が帰るとまたいうことを聞かないの。多分メールは頂いてないと思うけど、お声も聞きたかったので電話にしました!」耳に飛び込んでくる声は弾んでいます。

4/30市民火山教室「城ヶ崎海岸の溶岩地形巡り」に参加
2012_0430_090600p1000228
「最近忘れて忘れて困ってます。そろそろきたのかな」と笑いながら電話が続きます。

あわてて私が口を挟みます。
「忘れることは仕方ないですねぇ。若い時と同じようにはいきません。
しわも白髪も増えたし、体は無理がきかないし、足腰だってね・・・

体に起きるそういうことは、年をとったのだから仕方ないってあきらめるのに、どうして脳だけは別に考えるのでしょうね!」

トベラ
2012_0430_093700p1000230
「あっ、その説明はいただき。高齢者が納得しやすいと思う」

私の説明です。
「忘れることは年とともに誰にでも増えてくることですが、世の中では『物忘れはボケの始まり』なんていうものだから皆さんが心配されるんですね。

失敗したくなかったら、十分にでは足りなくて十二分に気をつける必要があります。

若いころはそれほど気を配ってなくても失敗しなかったのに、年をとると何度でも確認しないと決まったけいこ事だって忘れてしまったりします。特に気になることがあって心ここにあらずの状態だと」

イワタイゲキ(ポインセチアみたいに苞が黄色、花は小さなものです)
2012_0430_100400p10002392012_0430_100200p1000237

「朝の体操でしょ。油絵教室は発展的卒業でいまはヌードのデッサンともっと自由な絵画教室と二か所行ってます。俳句の会も続けてるし結構忙しいのよ」

私「ボケはじめは物忘れではなく、意欲低下です。そこまで、しかも楽しくなさってるならボケはじめであるはずがありません」

2012_0430_093900p1000232_2「意欲的っていうのなら自信がある!
東京都は1000万人以上いるわよね。先日の広報で、たった40人の募集だったけど墨田川下りをして琵琶を聞く会って言うのがあったので申し込んでみたらあたっちゃって、それはそれは素敵でした」

私「お見事。そういう生き方がいいのです」

「もう少しおしゃべりしたいのだけど、お時間は大丈夫?」

ここから話は佳境に入ります。

「息子が大阪に単身赴任してるので、『そうだ!行きたいところに行っておこう』と思いついて、ゴールデンウイークにちょっと旅をしてきました」

マムシグサ
2012_0430_113300p1000254「杖を持って、湿布をたくさん用意して準備万端でいきました(もう10年以上前に腰の手術をなさっていて、身障者手帳を持っていらっしゃいます)」

「一日目。まず大阪に行って、司馬遼太郎記念館それから大阪城。手帳があるとエレベータで一番上の8階まで行けるけど、そこに行くまでが結構歩くの」

「二日目。大津の三井寺に行って境内を巡拝。それから石山寺、紫式部のね。石山温泉に泊まったのだけど、お風呂と食事処が離れてて、それがまた手すりがしっかりしてないと来てるから、大変だった~」(と笑いながら)

                                          タツナミソウ
2012_0430_155300p1000263「三日目。坂本からケーブルカーで比叡山へ。これは一番の目的地だったから根本中堂その他杖をつきながらしっかり回りました。
八瀬に降りて、電車を乗り継いで大阪梅田の息子宅へ。
道を隔てて39階建ての梅田スカイビルが建っていて、ここってハリウッド映画のロケ地だったこと知ってますか?天空庭園に行きたかったけど、息子が却下。
あえなく地下でお食事するにとどめたのは、おいしかったけど今でもちょっと残念!」

モミジイチゴ
2012_0430_102800p10002432012_0424_125900p1000179_2

旅はまだ続くのです。
「四日目。朝早く姫路に行って、バスで30分ほど行って書写山円教寺へお参りしたのです。
(円教寺について後から調べました。何と「西の比叡山」と言われているのですって!息子さんの愛情を感じますね)
それから神戸で降りて異人館を回ってから新大阪経由で帰京。
新宿駅で『大丈夫だよな、じゃあ』という息子の挨拶を受けてひとりで帰宅。満足満足のホリディでした。たくさん歩けたし、見たいところに行けたし。楽しかった~」

いかがでしょうか?こういう生き方できそうですか?
「楽しむこと」に意欲を出して、私たちもがんばらなくっちゃあね!

2012_0430_094100p1000235もう一つ。かなり前になりますがこういう言葉も聞きました。
「することがないのでボーとしてるでしょ。そうするとボーに輪がかかってボーボーになってしまうの。エイヤってそのあたりを歩いてくると、歩いているうちに何かやることを思いつくのが面白いくらい。歩くって意欲の素ですね」

新ブログ「脳を活性化させる魔法の散歩」クリックしてみてください。

 


かくしゃくヒント13-一つ捨てて一つ持つ(続)

2012年05月02日 | かくしゃくヒント

杉本さんから教えていただいた「一つ捨てて一つ持つ」という言葉を、卒中で後遺症を抱えた人にも、それほどでなくとも病気になった人にも話しました。
大切な人を亡くした人にも、可愛がっていた孫が独立して家を出たり、お嫁に行ったりした人にも話しました。
自分の体の都合やメンバーの都合で趣味から遠ざからなくてはいけなくなった人にも話しました。
不本意ながら引っ越しをしなくてはいけなくなった人にも。
定年で仕事が無くなり何をしていいかわからないと訴えた人にも。

「生きる」目標が感じられなくなった人たちといいかえればすべて当てはまります。
トチノキ
2012_0424_153800p1000183_2

 

 

 

 

 

 

上にあげたようなことが、高齢者に起こったら、それはそのまま脳の老化を加速させる「キッカケ」になる場合がとても多いのです。
「キッカケ」になるということは、その後の生活は「ナイナイ尽くし」になるということになります。
生きがいを感じることもないし、趣味も楽しまない。交友もせず、運動もしない。
そしてその先に、嫌われ者の「認知症」が待っている!

このような出来事は、誰にでも起こりうるものだということがわかりますか?
なのに、このようなことに遭遇した高齢者全員がボケていくわけではない、ですよね。                           
向こう側はベニバナトキワマンサク
2012_0424_160900p1000184_2

 

 

 

 

 

 

その出来事をどうとらえるか、が、十人十色ということになります。
その人その人の前頭葉が、その出来事をどのように受け止めどのように対処していくかを決めるのです。

生まれてきてその日を迎えるまでに、前頭葉がどのように物事をとらえ、どのよう対処してきてか、そしてそのことを他ならぬ自分の前頭葉がどのように評価しているか、それらが相まって、今日の自分の判断を決定していきます。

こうして考えていくと、確かに「三つ子の魂百まで」ということは正しいでしょう。
でも、元気をなくした方に会うと、「かくしゃく百歳の方が『一つ捨てて一つ取る』ということを教えてくださった、そういう生き方もあるんですよ」と言わずにはいられませんでした。
「あなたにとって一つ取るものは何ですか?何なら持てますか?絶対探してください。杉本さんのように」

2012_0425_135000p1000210もう一つのシーンでも使いました。2012_0425_135000p1000210_2

 

 

 

 

 



何かの出来事ををきっかけに脳の元気が無くなって、認知症の始まり(小ボケ状態)になったら、生活改善を始めなくてはいけません。それは具体的には散歩のほかには趣味に相当するようなことになりますが、その時にも言いました。
このような方たちは、元来趣味に相当するようなことはもともと持っていないことが多いのです。いわゆる仕事一筋のひとですね。

「趣味なんかしたこともない。それどころか!」と言われた時に
「とにかく、一つ挑戦。我慢してでも3ヶ月は続けてください。3ヶ月たってどうしても嫌だったら、次に始めるものを決めてから、止めましょう。一つ持ってから、一つ捨てる」この言葉も何度も何度も言いました。

杉本さんありがとうございます。
毎月、お宅にお邪魔して、楽しいお話を聞かせていただいたあの時間がこうして誰かの手助けになっているのです。


ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html