久しぶりの故郷で、ちょっとした要件がありました。残りの時間は遊んでくれるという同級生H丁さんからのありがたいお話で「お任せします」と甘えることにしました。
戸畑側には日本水産、若松側には上野海運というクラッシックな建物があり、往時の繁栄が偲ばれました。
門構えにも風格がありましたが玄関を入ってびっくりしました。
一枚板を横遣いにした廊下、庭に向かう梁は屋久杉の一本材で4間か5間もあるものです。
廊下から手入れのされた庭も素敵。ちょうどマユハケオモトが開き始めていました。
「床柱は鉄刀木と書いてタガヤサン。とても読めませんがなぜこういう当て字なん
葦平のお父さんは刀が好きだったらしく、下の写真の真ん中にある箪笥の中身は全て日本刀だったというお話もありました。
箪笥の引き手。
葦平は1960年、この書斎で自死…
個性的な玉井家の人々。左端ヒゲの男性が父、玉井金五郎。その右は、不本意ながら大学を中退して故郷に帰らされ事業を継ぐように言われた頃の葦平。
下の写真は、九州の文壇人を招いた宴席の記念写真だそうです。
一方で、庭の河童と遊ぶのも日課だったとか。
洞海湾には小さい入江や岬がたくさんあってびっくりしました。
1。火野葦平の旧居は隠れたスポットだからぜひ!
2。前回の帰省の時、皿倉山に登って洞海湾を見せたけど、あの逆、若松側から南側を見なくっちゃあ片手落ち。
要件を片付けるために戸畑区内を車で回ってくれましたが「え〜ここなの?」とか「どう考えても逆な気がする」など連発しながら要件終了。
「若松に行くのに、渡し船に乗りたくない?」
「もちろん乗りたいけど。自転車しか乗せてもらえないでしょう?」
「大丈夫。若戸大橋で行ってピックアップするから」
運賃は市内の人は50円。私たちは100円。乗船時間は3分と聞きました。
びっくりしたことに多分船長さんは若い女性。戸畑側の渡船場に着船した方向から動き始めた途端に180度回転して舳先を若松側へ変えてしまいます。そして若松の渡船場に着くまで3分。きっと操船には技術を要すると思います。頑張ってくださいね。
赤い若戸大橋と船を写真に同時に収めるのは、難しかったのです。
戸畑側には日本水産、若松側には上野海運というクラッシックな建物があり、往時の繁栄が偲ばれました。
船着場から歩いても行けるところに、河伯洞(河伯はカッパの意)と名付けられた火野葦平旧居はありました。
街並みがちょっとオシャレでどこか共通項を感じるものがありました。後で聞いた話ですが、この一帯は、八幡製鉄を支える、筑豊の石炭の運搬や鉄鉱石の輸入、もちろん輸出や輸送でしょうか。とにかく大きな富を築いた人たちのいわばお屋敷街だったそうです。
門構えにも風格がありましたが玄関を入ってびっくりしました。
一枚板を横遣いにした廊下、庭に向かう梁は屋久杉の一本材で4間か5間もあるものです。
直ぐに「案内しましょうか」と係の藤本さん登場。
廊下から手入れのされた庭も素敵。ちょうどマユハケオモトが開き始めていました。
「あら。マユハケオモトが!」とつい声に出てしまったら、説明してくださっていた藤本さんが「茎が平べったいところから厚みが出てきて、蕾もふくらんでくるのですよ」
さあ、そこから楽しい説明が始まりました。
「火野葦平はこの庭で動物を飼いました。ゾウ、キリン、ライオンのどれでしょう?」
「ゾウは大きすぎるし、キリンは背が高すぎる。ライオンしかない…」
「大当たり!ライオンといっても大阪のキグレサーカスで生まれたライオンの赤ちゃんだったのでネコみたいなものでしょう?家族みんなで可愛がったようですよ。葦平が亡くなった後に死んでしまったらしい…」
「だいたい1,000円で家が建つと言われた時代に11,450円かけたそうです。葦平の印税を使ってお父さんが作ったのです」
さあ、お座敷に入ります。
しめ縄が張られた床の間。床柱もいわれがありそうだし書院の壁も見事なものと見ていると、詳しい説明が始まりました。
「床柱は鉄刀木と書いてタガヤサン。とても読めませんがなぜこういう当て字なん
でしょうね。黒檀、紫檀と並ぶ三大唐木の一つ。とにかく硬くて重くて水に沈むそうですよ」
帰宅後検索してみたらいろいろ発見がありました。
Wikipediaを貼っておきます。
タガヤサン
南方特産ですがなんと蛇結茨(ジャケツイバラ)の仲間だということがわかりました。ここ伊豆でも目を凝らせばみつけることができるジャケツイバラ!
今年5月に書いたブログ記事のはじめに近所に咲いた蛇結茨の写真を載せていますので、興味ある方はご覧ください。
「2040年に認知症高齢者は584万人に」
名前の由来は「フィリピン語のtambulianが変化したもの」らしいです。
書院の袖壁も見事な細工でした。
藤本さんが「欄間を見てください。黒柿と言って柿渋が固まって景色を作るんですね。それを生かしながら木工品をプラスして作った欄間です」
上から、刀、兜、河童、富士山。
葦平のお父さんは刀が好きだったらしく、下の写真の真ん中にある箪笥の中身は全て日本刀だったというお話もありました。
箪笥の引き手。
この箪笥の側面に発見。奥に床の間が見えます。
奥の間にはアイアンアートの展示がありました。
北九州は鉄の都なのです。
トイレもお風呂も意匠を凝らしたものでした。天井に注目!
いよいよ書斎。
葦平は1960年、この書斎で自死…
戦中に大ヒットした兵隊三部作などもかえって深い傷になっていたのでしょうか?
玄関脇のお部屋は、前列右から二人目、葦平(後列左端)の妹さんの子である、あの中村哲さんのコーナーでした。
個性的な玉井家の人々。左端ヒゲの男性が父、玉井金五郎。その右は、不本意ながら大学を中退して故郷に帰らされ事業を継ぐように言われた頃の葦平。
下の写真は、九州の文壇人を招いた宴席の記念写真だそうです。
自死を選ぶような一面と九州の文壇をひとまとめにするような豪放さが葦平にはあったと思いました。
一方で、庭の河童と遊ぶのも日課だったとか。
私たちの戸畑高校校歌と応援歌は、こんな火野葦平さんが作ってくださったのです。
最後の最後に、玄関の上り框の亀の細工に驚かされました。
藤本さん 小松さん
長い時間、楽しませていただいてありがとうございました。
それから、もう一つの目的遂行に。
「高塔山展望台から皿倉山を見る」
洞海湾には小さい入江や岬がたくさんあってびっくりしました。
山頂には釘を打たれたお地蔵さまが安置されていました。悪戯をするカッパを封じるためにお地蔵さまに釘が刺さっている間は、悪戯をしないという約束を取り付けたという伝説があるそうです。実は河伯洞のアイアンアートの作品の中に全く同じテーマの作品がありました。葦平はこの伝説を「石と釘」という作品にしたそうです。
若松を堪能して、若戸大橋を渡って、戸畑へ帰りました。
H丁さん。素敵なアイディアのミニトリップありがとうございました。今度はいつご案内いただけるでしょうね〜
どうぞ体を大切に楽しくお過ごしください!
by 高槻絹子