脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

「認知症」という診断

2025年03月28日 | 画像だけにたよらない
「認知症」の診断に関してまた大きな疑問が湧きました。 3/27-28に熱海沖の初島にミニ旅行。28日朝の小雨が上がったら見事な虹が!どんどん雲が晴れて見事な富士山まで写せました。8:39〜8:57

①友人の友人の話。
80歳をちょっと過ぎた女性。しっかり者、多趣味、友人も多く、面倒見もいいというまさにかくしゃく高齢者の王道を生きていました。付け加えると、夫が亡くなってからも、ひとときの別離の悲しみを乗り越えたあとはむしろ夫の世話から解放されイキイキと一人暮らしを満喫していました。
今、振り返って考えてみると、ご多聞にもれずコロナの三密回避は生活を縮小せざるを得ない状況を生み出してしまいました。
さらに膝痛のために杖歩行ということにもなり、家の中でも自分の思い通りに行動できないという、ちょっと不本意な生活に変わって行かざるを得なくなっていきました。

私の友人が話します。
「でも一番決定的だったことは、とても親しくしていたお友だちが亡くなったことだと思うの。コロナで会えなくなっても、たびたび電話で会話を楽しんでいたし。居合わせたことがあるのだけど、年齢を忘れたような話ぶりに女学生のようだと微笑ましかった…外出できなくなった時の生き甲斐だったのでしょうね。そういう生活ができなくなったことが認知症につながっていったと思ってる
「おかしいなと感じ始めた事件は何だったの?」と私が尋ねました。
「約束の日時に現れないということが続いたの。
それで、彼女の家で会うようにしたのだけど、あんなにすっきり片付いていた家の中がどこか整理できていない。簡単な食事さえ手早く作ってくれていたのに、お茶の用意に手間取る。鍋を焦がしそうになることも起きたし。いくら自分の家とはいえ、オシャレだった面影がない。でもね。話はできるのよ。特にしばらくおしゃべりしていると表情も良くなるし、なにより楽しそう」と言いながら「うーん。厳密にいうと話にはちょっと変なところもあるけど…でも表情が豊かになるとそんな細かいズレはどうでもいい気持ちになってしまうのよ。だって会話は楽しいし」
話は続きます。
「そういえば、とてもシャンとした人で弱味を言うことがないという印象だったのに、寂しいとか不安とかいうようになっていて驚いてしまった」

友人の観察は見事に小ボケ(前頭葉機能だけ異常に低下していて、脳の後半領域のいわゆる認知機能は正常)の人の生活実態を言い当てています。
別居している息子は顔を出すものの、日中数時間ではまだ母親の困惑状態が理解できていないようだったのです。
思い余った友人が「この前お邪魔したのですが、今までとは様子が違っていました。このままでは何かあったら困ります」と具体例をあげて話したそうです。
その返事は「母は本当にしっかりした人です。今でも『特別、困ることはない』と言っていますが」まるで「それでも何か?ボクの対応にご不満おありですか?」という気分が伝わってきて「それ以上何もいえなかった。友人の私に訴えるのと息子に言うのは違うのね」
そこで私が言います。「だいたい息子は『悪いはずがない』と思って対応するし、家の中や冷蔵庫やタンスの中まで見ない。もし見ても以前のお母さんとの差までわかる人は例外だから、息子の言うことをそのままに受け取ることはできないものよ」
友人の話は続きます。

「それが最近さらに対応に困ることになって…
どういう流れだか、病院にかかったのよ。多分生活上のトラブルがひどくなっていったのだと思うけど。『徘徊や夜中に騒いだりや家族の顔もわからない』というような症状はないけど、(前述のように)気になることが増えてきたと言ったらしい。具体的に困ったことを訴えて受診しているのに、CTだかMRIだかの結果を見ながら『脳は萎縮も見られず綺麗なものです。認知症なんかではありません』というお墨付きをくださったんですって。重要なことだってなんだって忘れるくせに『認知症でない』という診断を受けたことは覚えていて『私はボケじゃあないから』と言って何もいうことを聞かなくなってるの。息子さんは『ボケでないなら、このトラブルにはどう対応すればいいのか』と頭を悩ませているみたい。レカネマブを飲ませることはできないって決めているのは賛成でしょう?(もちろん賛成!)
『認知症ではない』という診断が出て働きかけは何もできなくなってしまったのよ。そして困り事は確実に増えていってるそうだけど。診断って何!」


②知人の妻の話
こちらは逆パターンです。
カテゴリーの「側頭葉性健忘症」のところを2〜3例読んでみてください。
世界中で認知症と間違われている側頭葉性健忘症。特に若くして発症した時には、その顕著な記憶障害のために若年性、認知症に組み込まれていて、テレビなどで「認知症者が自身の言葉で心中を語る」などという特集が組まれる時の出演者です。
「妻は認知症なんです。ようやく受診したらMRIを撮ってくれて『ご覧のように前頭葉がスカスカでしょう。これははっきりと認知症です』と言われた。アルツハイマーって進むものだからショックを受けている」
わたしは「そもそも何に困って受診したのですか?」と尋ねました。
「いや〜とにかく忘れる。買い物頼んでも返事はいいけど買ってきた試しがない。約束ということができない。駐車場で停めた車の場所がわからなくなって大騒動を何度繰り返したか」

「これはちょっと違う…やはり側頭葉性健忘症」と思いました。「普通のアルツハイマー型認知症(初期)の場合に記憶障害を訴える時には『同じことを何度も言う』。尋ねる場合もあるのですが、私がオルゴールシンドロームと名付けたように1日に何回でも同じ話を初めてするようにするという訴えが多いのです。今おっしゃっているのは『覚えられない』ということのようですね」(もちろん前例のように約束を違えることもありますが)
認知症ではないという根拠の説明をしようと思ったのですが、それを遮るように、その知人は「記憶障害はボケでしょう?医者もはっきりそう言ったし。この先を考えると、ボケって進むものだからショックではある…」
その時には繰り返された失敗エピソードがいくつも胸に去来したでしょう。そしてドクターによって画像を見せられながら「このように前頭葉がスカスカになってるでしょう?だから認知症」と下された診断は疑われることもなく、これからの生活の指針になっていたはずです。重い気持ちを抱えながら。
ドクターの下す診断は、時に生命予後まで伝えるものであったり、遺伝性や進行性のもので手の下ようがないものであったりします。それが正しいものであれば、そこから生活を組み立てていくしかありません。

でもそれが違っていたら!
今回は二つ問題があります。
まずは、カテゴリー「画像だけにたよらない」にまとめてあるように脳に関して言えば、CTやMRIを使った器質検査で萎縮や小さな脳梗塞など「脳の形」を知っても「だからできない」とは言い切れないのです。機能検査をして働き具合をチェックしてみないと何も言えません。前の例のように「萎縮がなく綺麗なもの」であっても、同様に機能検査をして働き具合をチェックしてみないと何も言えません。

次に認知症を理解する時に必須の前頭葉機能を全く考慮していない点だと思います。
脳の機能は、日常生活上のいろいろな行動に反映されています。つまり脳の司令塔、その人らしさの源と言われる前頭葉の機能を理解した上で、生活の状態をよく知れば、前頭葉がどのように機能しているのかの類推はできるのです。
そのためには受診した方や付き添いの家族から、日常生活の様子をしっかり聞き取る必要があります。
画像診断の技術が精緻になるほど、形を知ることで満足してしまい、働きに関する情報収集にかけることになります。
認知症の9割以上を占めるアルツハイマー型認知症は、ごく簡単に言ってしまえば私たちが普通に持っている脳の正常老化(歳をとると頭の働きが低下する実感は高齢者なら納得でしょう?)がある条件下で直線的に早くなってしまう、そのレベルによって最初は小ボケ、次に中ボケそして世の中で「ボケちゃった」と言われる大ボケになる、その間は大体6年以上の期間があるのです。
ある条件下というのは、退職や別離や心配事や怪我や病気などによって、生きる意欲を失くし趣味や生きがい交遊や運動など何もせず家に引きこもってしまう生活が続くことです。脳の使い方が足りなくて、機能低下が起きる(廃用性機能低下)と考えます。


廃用性機能低下が起きる時には必ず前頭葉機能から低下が始まります。
ところがMMSEや長谷川式などの機能検査は前頭葉機能をターゲットにしていないので、これらの検査では前頭葉機能は測れません。つまり小ボケは見つからないという問題もあります。
いわゆるアルツハイマー型認知症の場合は、まず前頭葉機能が働かなくなることから始まります。
意欲、注意集中力・分配力、現状理解力・判断力、計画立案、感動、推理、洞察、抑制、発想…
とにかく脳の司令塔の役割がうまく働かないので「その人らしくない」と言われることになります。
この方は趣味もいくつもあって、友人も多くおしゃれに整えては外出は欠かしていない。
動作も機敏で表情も豊か。感情を込めた会話も可能。ただその内容は覚えていない。

「コントラクトブリッジを楽しみに行っているが、約束の日時をどうやって守れているのか…友達に聞いてみなくてはと考えている」
小ボケで、複雑なゲームはできなくなる。当然行きたくもなくなる。
このゲームを楽しめるという情報だけで、アルツハイマー型認知症でないと言えるくらいです。


by高槻絹子





「東京」を楽しむ(2)ー展覧会

2025年03月15日 | 私の右脳ライフ
長男が親しくさせていただいている調香師のきざし乃さんから、恒例の個展のお知らせをいただきました。
よく見てみると、出品者に長男の名前が。それで珍しく夫婦揃っての上京ということになったのです。
長男は趣味で池坊の生け花をしていますが、たまたま海外出張中。「添え花で参加もできないし…」と疑問符がついたまま恵比寿のギャラリーへ。
「このコーナーを創り上げたかったのです」ときざし乃さんがお話してくださいました。

京都でどこかのお寺を拝観した時に、板戸に書かれた桜図に二人とも心を惹かれたそうですが、その時に長男が撮った写真をきざし乃さんが気に入られたそうです。「この写真の下に、この写真からインスパイアされたお香を、白蛤卜部さんの古代裂の貝合わせに入れて…と想いはすぐに湧き上がって、ここができたのですよ」
お話を聞きながら、香りを創造するという時の研ぎ澄まされた感性のことを思っていました。とても穏やかな方ですが、香りを作るというのは、最初に湧き上がった香りに到達すべく、たぶん一点の妥協もない、息が詰まるような瞬間が連なっていくような過程なのでしょうね。
写真に目をやると、きざし乃さんが惹かれたということがちょっとわかる気がしました。
意図されないからこその独時のムード、もしかしたら画家を突き動かした詩情のようなものが感じられるというか…

時代を訴える板戸の色彩や表情。写実的に描かれている桜図。じっと見ていると桜花の生物感が消えて、デザイン化された白い花弁が浮き上がってくる。
いいえ。たぶん違うでしょう。花の奥に誘われるような幽玄な雰囲気の印象の方が強いかも…
このように揺れ動く感想や感情をどうすれば「お香」というかたちで表現できるのか…
私の理解力ではとても無理です。
お香は複数の香料を使って作り上げるものでしょうが、どうしても引き算の美ではないかという思いが消せません。
白蛤卜部さんの古代裂の貝合わせにそのお香は入っています。黒一色にデザインされた箱も素敵でした。

貝合わせ。

「槻屋」

「槻屋」は長男の屋号。長男の連れ合いが趣味の習字や伊勢型紙の彫りを生かして作った作品です。
伊豆への再訪問をしてくださるお約束して、不思議な時間はおわりました。

自称三男…私たちからしても、もう一人の息子というつもりで可愛がっています。あ、可愛がってもらっているのかもしれません。
「寺田倉庫でやっている『動き出す浮世絵展』に行ったら面白かったんです!お時間あればぜひ」とメールが届きました。

「ぜんぜん知らない分野でしたが、この本を読んで行かれたらおもしろさが全然違うと思います」というメールに追いかけて本が到着。
誰かに展覧会を勧めるならこのような配慮ができるといいですね。まったく「負うた子に教えられ」です。
品川駅といえば高輪口ばかり。港南口に出ることはほとんどありません。高いビル群!確かに新しい町でした。会場の寺田倉庫の入り口もこんな感じ。非常口から入場?と思ってしまいました。
動き出す浮世絵展

東京丨動き出す浮世絵展 | Ukiyoe Immersive Art Exhibition TOKYO

2025年3月31日まで開催。江戸時代の浮世絵をデジタル技術を組み合わせ再表現。色鮮やかに描かれた花鳥風月や歌舞伎役者の迫力ある姿を堪能しよう。

動き出す浮世絵展 | Ukiyoe Immersive Art Exhibition

 
会場は江戸の町に入り込む体験から始まりました。
プロジェクションマッピングを駆使して、確かに浮世絵が動いています。


もう一つの特徴は、浮世絵が浮世(今、生活しているこの社会)に応じて、求められるものを提供してきたという事実を、工夫して提供してくれているということです。
広重の名所絵。今流に言えば写実的とはいわれそうもないのですが、北斎などと比べるととても安定的です。当時の旅ブームに応じて東海道五十三次を始めいくつものシリーズができたという説明が納得されました。

北斎の富嶽三十六景。よく見ると湖面の富士は冠雪の富士。北斎の斬新なデザインは時を超えて今も驚かされますね。

歌麿の美人画。それまでは全身像だったそうです。

写楽の大首絵。デフォルメが特徴です。

国芳の武者絵もありました。
義経

弁慶

これこそ現代のポップの源流。国貞。今回展示は見つけられませんでしたが北斎漫画もまた源流に間違いないと思います。



たびたび行っている小布施町には、晩年の北斎をサポートした高井鴻山という豪商がいたので、北斎83歳の時から何度も小布施を訪れては肉筆画を多く残しています。北斎館へは何度か足を運びましたし、北斎には思い入れがあります。
小布施町岩松院の、北斎88歳の時の作品天井画発見!この鳳凰図はいまだに鮮やかな色彩を見ることができます。ここでは縁から炎が立ち上がる仕掛けが隠されていました。




三男の気遣いによる事前学習も含めて、十分に楽しむことができました。
天王洲アイル駅から埼京線で恵比寿へ。
恵比寿に住んでいる高校同級生に「私たちはお上りさんだから」と頼んでエビスガーデンプレイスに連れて行ってもらい、ランチを楽しみました。




それからきざし乃さんのギャラリーへというのが初日のスケジュールでした。


実はもう一つ鑑賞しました。
2日目、用事を済ませて伊豆への新幹線に乗る前に、Tジョイプリンスシネマで映画鑑賞。



帰りの新幹線発車時刻と相談しながら選んだのはこんな楽しい映画でした。


今回の上京も、たくさんの刺激をもらって楽しかったです。
途中何度も携帯の検索機能に助けられました。携帯は強い味方です。それを使うのは…そうです。前頭葉機能です。

by高槻絹子













「東京」を楽しむ(1)

2025年03月14日 | 私の右脳ライフ
今回の東京行きも変化に富んだものでした。
実は私は学生時代を含め、11年近く、東京駒場で暮らしました。渋谷から井の頭線で二つ目。歩いても20分くらいだったでしょうか。
渋谷は私の乗り換え駅。上京した60年前の渋谷のイメージは「上品な大人の街」、ちなみに新宿は「若者の街」だったのですが、昨今の渋谷は折々のスクランブル交差点の報道で驚かされること度々。
今回はホテルが渋谷だったので、変わりゆく街を実感しました。夜はインバウンドの外国人がたくさんでぶつからないように歩くのに気を使うほどで、大谷さんの大きな写真を撮ったら早々にホテルに引っ込みました。

朝は人がいない!大都会の渋谷には見事な青空と太陽の光が満ちていました。

昔は「危ないから行っちゃあダメ」と言われた宮下公園。ホテルから見下ろすと目の下にあるのは宮下公園ではなく確かにMIYASHITA PARK。その変遷はWikipediaを貼っておきましょう。

MIYASHITA PARK - Wikipedia

 
アプローチに、ドジャースの帽子が!

1階は屋台街!

2-3階は、ブランドショップもあるようですが開店前。
そして屋上こそMIYASHITA PARKの真骨頂。
ボルダリングやスケートリンクなどの他、遊具やイベントスペースなど変化に富んでいます。







「渋谷は永遠の再開発だね(次男の返信)」の言葉通り、大きなクレーンに心動かされている(多分)夫。

時間がたっぷりあったので、いつもは乗らないバスで新橋まで移動。このチョイスは大正解。バスもいいものです。

2月に行った麻布台ヒルズが路線にあるのを楽しみにしていました。その直前に東京タワーが真っ正面に!

さあ、麻布台ヒルズ。2月はまだ蕾が色付いてもいなかった桜が、満開でした。



渋谷〜新橋の40分足らずのミニトリップは充実していました。
バス停は新橋駅前ビル1号館の前。ここは戸畑高校天籟同窓会の幹事会の会場だったので馴染みの場所です。夫へのお土産をゲットできました。



このプチバス旅行で気づいたことはもう一つありました。
乗客に高齢者が多いこと。皆さんがパスを持っていること…調べてみると収入に応じて金額が決まる年間パスで都バス、都営地下鉄など乗り放題。こういうことは間違いなく認知症予防の効果を上げます。
先日報告した小布施町の認知症予防の取り組みは、人間関係が密な地方の町だからできるという面があると思います。

認知症の一次予防としての小布施町「脳のリフレッシュ教室」交流会 - 脳機能からみた認知症

上のスライドは、小布施だけでなく普通の講演でも使います。データは厚労省が2023年に発表した介護保険負担金が年間11兆円を超えたというニュースで、毎年消えていくこの大...

goo blog

 
小布施町のような取り組みは、都会ではなかなか難しいところがあると思いますが、例えば文化的情報の多さや整備された交通網など都会には都会の良さもあります。一人はもちろん友人と共に訪ねるというようなことは、間違いなく脳をイキイキさせます。
前提は、当然元気な前頭葉!
パスを有効利用するには、まず興味関心、意欲が必須。情報収集。計画を立てる。時には突然の計画変更…その全ては前頭葉が担います。

by 高槻絹子








東日本大震災から14年

2025年03月11日 | 正常から認知症への移り変わり
東日本大震災からもう14年…毎年この日には2011年3月20日に書いたブログを再掲することにしています。
満開のカワヅザクラ(3/2)

以下は再掲記事です。

東日本大震災ー高齢者を認知症から守る(1)
私は、3月10日から、岩手県に行っていました。
11日の地震発生時には、岩手県藤沢町(一関市と宮城県気仙沼市の中間)で講演をしていました。
震度7と後から聞きましたが、地盤のせいか建物のせいかしゃがみこむこともなく、実際、壁にかかっている表彰額も一枚も落ちることはありませんでした。
こんな大災害とも思わず、ただ交通遮断になりましたから、そのまま一関市の小野寺保健師さんのお宅で生活をさせていただきました。ラジオの情報は聞いていたのですが、16日夜になって初めてテレビを見て、その惨状に声もなく涙が流れるばかりでした。(その後、奥州市の知人の暖かいお心づかいで、18日に花巻空港から帰宅することができました)
この避難生活に関しても報告したいことや感謝したいことは山のようにありますが、今日は、エイジングライフ研究所の原点に立ち返って認知症の発症やその予防について話したいと思います。
認知症の発症という観点からみると、今避難所にいる高齢者の方だけでなく、ご自宅にいらっしゃる方でも、大変危ない状況だと考えざるをえません。
エイジングライフ研究所は、脳機能という物差しを持って認知症を見ていきます。
通常は、症状(どんなことを言うか。どんなことをするか)から認知症を考えるのです。セルフケアに支障を起こす、徘徊、夜中に騒ぐ、粗暴行為、異食など余程困ったことをしでかさないと認知症と思われていません。
普通の高齢者が、昨日までまったく正常で、ある日突然このような状態になるでしょうか?認知症は徐々に進行するものなのです。
Sikumi
まずは脳の機能を説明しましょう。 
右脳、左脳については皆さんもよくわかっていらっしゃるでしょう。
簡単に言うと左脳は「言えばわかる」脳です。
右脳は「言葉ではうまく言えないけど、でもわかっている」時活動しています。
昔の人は「よく遊び、よく学べ」と言いましたが、遊ぶ時に効率よく働くのが右脳。学ぶ時に効率がいいのが左脳といってもいいでしょう。
わかりにくいのが前頭葉のはたらきです。
脳全体の司令塔の役割を担っています。前頭葉がその状況判断で右脳、左脳を上手にその人らしく使いながら生きていくのです。
「よく遊び、よく学べ」が右脳、左脳の説明なら、「十人十色」が前頭葉の説明に相当します。
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生きていくということは、自分らしく三頭建馬車を動かし続けるということです。
その時、それぞれの馬の元気さも大切ですが、その馬を上手に使いこなすことができる御者(前頭葉)の働きがなくては、馬車は上手に走ることができません。
前頭葉機能は広範囲にわたりますが、その中の注意集中分配力は、18歳でピークを迎え20歳代はそれを維持し、その後は加齢とともに直線的に低下していきます。年齢とともに能力低下を起こしても、それは必然であって認知症ではありません。
老化が加速していくときに、認知症への道に入ったということなのです。
Photo 
老化が加速されていくときには、まず前頭葉の老化が加速され、その後脳の後半領域の機能低下も順々に起きてきます。
そのレベルによって、認知症は三段階にわけることができます。回復が極めて困難な大ボケに至るまでには、最初のきっかけから6年以上もかかります。

小ボケ:「指示待ち人」
家庭生活は問題ないが社会生活がこなせない。世話役ができない。趣味をやめてしまう。無表情。
    
中ボケ:「言い訳のうまい幼稚園児}
家庭生活に支障が出てくる。話していることを聞けば変わりないが、やることは幼稚園児のようになる。
     
大ボケ:「脳の寝たきり」
セルフケアにも問題が出てくる。通常はここからをボケと思っている。
「」内は家族による、生活状態の一言表現。      
以下、きっかけの説明はその2へ

東日本大震災ー高齢者を認知症から守る(2)

上のグラフの星マーク「人生の大きな出来ごと。生活の大きな変化」の説明です。
重要なことは、そのことが起きたらだれでも老化が加速するのではないということです。そのことが起きて、その変化に適応できず、閉じこもったり何もしなくなったりしたら、いいかえるとそのことをきっかけにして三頭建の馬車が止まってしまったら老化が加速していくということなのです。その状況変化が御者の意欲をなくし、指令を出すことをやめてしまうときが認知症への第一歩なのです。

仕事一筋の人の定年退職。
息子に代を譲ったおじいさん。
嫁が来て、しゃもじを渡したおばあさん。
孫が手離れた祖父母。などなど
繰り返しますが、「そのことが起きたら」ではありません。
「その後の生活が新しく描けなくて何もしない状態になったら」前頭葉は出番を失って老化を加速していくのです。
 
「高齢者が、病気やケガで安静にしていたら、ボケてしまう」ということは世間の常識です。
「20代の若者が長期安静にしたらボケるでしょうか?」講演でこの質問をすると、皆さんは笑って
「そんなことはない」と言われます。
このことは皆さんが脳の老化曲線を承知しているということではないでしょうか。
入院した高齢者が全部ボケるわけではありません。
ボケる人は、安静にして 何もしない!
ボケない人は、リハビリに励んだり、回復するにつれて人の世話をしたり、手芸などの趣味を楽しんだりしています。

このきっかけの説明をよく理解していただきたいと思います。
「寂しさ」の下の左下の図から反時計回りです。
左下。
脳は「使ってナンボ」という正直者です。
三世代同居をしていても、孫は勉強、塾と忙しく、子どもは仕事に追われている。その結果、起きる時間も別なら食事も別。当然会話もない。一人でテレビで時間を過ごすしかない。
このような生活は、脳から見れば「ひとり暮らし」以外の何物でもありません。
楽しみや刺激の少ない生活は、前頭葉の力を発揮する場がありませんから老化を早めます。
右下。
家庭内に種々のトラブルが発生し、「何もしてやれない」とか「この先どうなることか」とか「世間さまに顔向けできない」などという状況になった時、
「お手上げ」と前頭葉が判断してしまうと、頭の中はそのことで覆われて、将来の展望も楽しみも何もキャッチすることができなくなります。
子どもの離婚騒動、サラ金、リストラ。孫の病気、非行、不登校などの心配事が相当しますが、今回の大惨事こそこの状態の最たるものといえるのではないでしょうか。
最後に右上。
「別れ」を意味しています。
これは親しい人との死別を筆頭に、友人や孫との生き別れもあります。ペットとの別れもありますし、趣味のサークルに参加できなくなるというような別れもあります。
身体の不調も「別れ」と位置付けてもいいかもしれません。
環境の急激な変化そのものも、前の環境を失ったと考えればやはり「別れ」でしょう。

「あの人がいれば、あれもできるし、これもしたい。でもあの人がいないから・・・」
「元気なら、もっと見えれば、もっと聞こえたら、何でもできるけど、思ったようにできないから、あれもできない。これもできない」
「この環境でなければ、できることがあるのに」
そう思ってしまうことは私たちには十分に理解できます。
でも、この先には
「あれもしたくない。これもしたくない」という意欲低下が待っています。

意欲は前頭葉の働きですが、前頭葉がその力を発揮する必要条件とでもいえるもので、意欲なくしては、司令塔としての前頭葉機能(状況の判断、決断、指令)は発揮できません。そうすると三頭建の馬車も止まってしまうのです。

その別れを乗り超えられずに、閉じ込もり、目標も楽しみも何も見つからない生活が続く時、馬車は留まったまま、御者も馬も動くことなく時間だけが流れていく・・・脳は老化をどんどん加速していきます。
最も危ない状況です。
今、テレビの画面で拝見する高齢者の皆さんの胸中を思う時、まさにこの喪失感のただなかにいらっしゃるだろうと思うのです。
最初は、状況の理解そのものもあまりにも受け入れ難く、現実のものとしてとらえられなかった可能性すらあります。
でも、落ち着いてくれば来るほど、そして高齢であればなおさら、事の重大さや失ったものの大きさに打ちひしがれてしまうでしょう。将来に対する展望が描けないことを責める気持ちはありません。多分私だって・・・
でも。とあえて言わせていただきます。
こんなに過酷な運命に翻弄されたのに、その先にまたボケという悲しい状況を迎えさせるわけにはいきません。
どうにか、それぞれの皆さんの馬車が再び動き始めることができるように、心を配っていかなければいけないと思うのです。
どのようにして、馬車を動かすことができるのか?その3としてまとめます。

東日本大震災ー高齢者を認知症から守る(3)

私たちの三頭建の馬車の仕組みは 仕事勉強の左脳、身体を動かす運動脳、そして趣味や遊びの右脳の三種類の仕事に特化された馬たちと、それを上手に操る御者役の前頭葉から成り立っています。
いつの時でも、三頭の馬が働いて馬車が動いている時には前頭葉は全体を見守っています。
それ以前に、動き始める時もまず前頭葉が状況を判断して一鞭をふるうところから始まるのです。
このことはとても大切なことですから、よく覚えておいてください。

「馬車が動き始める時と動いている時には、御者は必ず働いている」
「何かをやろうと思う時と、やり始める時と、やっている時には前頭葉は必ず動いている」と言い換えられます。
脳の老化が加速されるのは、前頭葉が出番をなくして、何もしなくなるところから始まります。まず置かれている状況を判断しなくなる。意欲がなくなる。周りに関心が持てなくなる。
前頭葉がその状態になると、馬車を動かす三頭の馬たちはいくら元気であってもその力を発揮できない状態(小ボケ)が続き、次第に三頭の馬自体も力を落としていきます(中ボケ)。
最終段階が御者も馬も倒れてしまった状態(大ボケ)と考えるとわかりやすいかと思います。
Sikumi_3 
エイジングライフ研究所は、脳の老化が早まった場合には「脳のリハビリ」ということで、脳の元気を取り戻す指導をします。その柱は二つあります。
 ①一日一時間の散歩を。
 ②右脳を使って楽しむ時間を。
散歩
「ボケ予防のために歩いています」という方は多いですが、理由として
「歩いたら、歩く刺激が脳に行くでしょ?」と思っていることがほとんどのようです。もちろん外に出て歩けば、自然に触れ、景色や花を楽しみ、風や日差しを感じたりして五感を通じてその刺激が脳に入ることは間違いありません。
でもこれは本末転倒の考えです。
「歩く」時には、脳の運動領域が身体に対して命令を出し続けなくては歩けないのです。脳卒中で脳の運動領域に損傷を受けた人は歩けません。
一時間歩いていると脳の運動領域は一時間働いています。もちろん前頭葉もです!自覚がなくても歩くことは、間違いなく広範囲の運動領域が働くことですから、皆さんが考えるよりも脳を使うという効果がありますが。

「歩く」時には、運動領域の多くの部分が活性化されます。でも足腰に痛みのある方は、椅子に座って上半身だけの運動でもいいのです。
効果的なのは「体を動かすことで、脳を動かすことになる。そうすればボケない」という自覚です。自覚を持てば持つほど御者はその行程を大切に思って、意識的に状況の変化をキャッチしようとするとは思いませんか?
誰かに言われた結果であっても、体を動かしている時には脳が働いているのです。でも、自分で、というのは御者である前頭葉が目的をはっきり持って、「こんな時だからこそ、体のためだけではなくて、脳を動かしてボケないようにしよう」と考えると、自分の体調や周りの様子にも気を配りながら運動を始め、そして続けることになりますね。その時前頭葉が目覚めています。
そこまで考えられないのが現状でしょう。だれかが音頭をとって、避難所の高齢の方たちの運動を促す時間が実現できたらいいのです。そうしておくと、習慣化することにもつながりますし、自宅に帰られても、あるいは仮設住宅に移られても、ボケ予防としての運動の大切さを訴えやすくなります。
右脳
 
その1で説明したように、右脳でよく遊び、左脳でよく学ぶのです。
仕事や勉強は「やらねばならない」もので、趣味や遊びは「楽しくてもっとやりたい」ものですね。
形、色、音楽など右脳を使う場面からは、もっとやりたいというレベルの意欲がわいてきます。
元気をなくしている脳にとっては、右脳刺激の方が適切な理由です。
避難所のテレビ報道で、中学生の合唱に涙する方々を見ました。こういう時だからこそ、より強く胸に訴えてくるのでしょう・・・
そういうことはできても、左表にあげたような一般的な右脳刺激は皆さんのお気持ちを思うととても無理だとわかっています。
 
でも、どんな厳しい状況の時だって右脳は使えます。それは感情を行き来させるという状況を作ることです。
人とのコミュニケーションを図る時、私たちはまず「言葉を使って」と思います。
でも言葉だけでは人とのコミュニケーションは成立しません。
自販機の「ありがとうございました」はコミュニケーションでしょうか?
言葉の内容以上に、相手の表情、身振り、声の調子、高低、強弱・・・
そのような情報をもとに私たちはより深く相手の心情を知ることができますし、自分の気持ちも伝えることができます。
言葉以外のすべての情報は、右脳と前頭葉の連係プレイの下でやり取りされます。この時間は、脳の機能としては高次元で、とても脳はイキイキと活動しています。
言葉を発することなく、手を握り合っても、抱き合ってもわかりあえるのが私たちです。テレビ報道で、涙で言葉にならない方を見ながら私たちも涙を流しました。ともすればあふれそうになる涙をこらえながら言葉少なに語る人にも、涙しました。言葉の奥に隠されたその方の心情を私たちは感じることができます。
悲しい時間ですが、私たちの馬車はそんな時しっかりと進んでいるのですよ。
一人でポツンと過ごすことのできない避難所だからこそ、悲しみを訴え、気持ちを労りあい、共に涙を流していいと思います。
そして次の段階が来た時には、皆で声を掛け合い、必ず前を見て自分の馬車を自分らしく動かそうと思っていただきたいと思います。
今後、高齢者が住むことになる仮設住宅や施設も用意されていくことでしょうが、人は体があって生きていればいいというものではありません。その人らしく生き抜いていっていただくためには、その人の覚悟が要ります。

本当に前を向くことが難しい状況だと承知の上で、ボケないためになお前を見て生きていっていただきたいと切に願います。
亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、残された方々に笑顔が浮かぶ日が来ることを信じて、今回のブログは書かせていただきました。

by 高槻絹子

取りまとめて右脳研究の報告ー自由研究(再掲)

2025年03月08日 | 私の右脳ライフ

寒い日もあるのに、可憐な薄桃色のオオカンザクラが花を咲かせてくれています。友人に、近所の富戸港周辺に咲くジョウガサキザクラを紹介したら「オオカンザクラと同じもの?」と尋ねられました。2019年3月の記事を再掲します。


懸案事項を解決しました。

3月上旬になると、河津桜に代わって次の早咲き桜がここ伊豆高原を彩ります。

どちらもピンクの優しい桜です。大寒桜と城ケ崎桜。誰に聞いてもその違いがはっきりしません。ところが、その差は実に簡単なことでした。一つの花の大きさがはっきりと違うのです。

花びらの形や色はほとんど差がないのですが、大きさが全く違うのです。
左の大きい花が城ケ崎桜。右の小さい花が大寒桜。
葉や蜜腺の様子も、もう少し季節が進んだら確認してみます。

結論に至る経過報告。

たまたま散歩をしていたら、なんと大寒桜の小枝が道に落ちていました。前夜の強風に吹き飛ばされたのでしょう。かわいそうに思い家に持ち帰って小さなグラスにさして眺めました。


最初は春の訪れを喜んでいたのですが、そのうち「今、ここで城ケ崎桜と比べてみたら、何かその差がわかるかも」と思いつきました。そこで「今度、車で通った時に一枝いただこう」と決めて実行。ほんの小枝をいただいてしまいました。ちょっとドキドキしました。この一連の行動を決めていくのも、それが「ほんとはいけないこと」と評価判断するのも「私の前頭葉」ですね。
それまでには、ネットで検索もしてみましたがヒットせずじまいでした。ところが二つ並べたら、簡単にその差がわかりました!

現実にものに対して体験する大切さは忘れてはならないことだと思います。
城ケ崎桜は海をバックに咲きますから、それは見事です。こうして眺めると花が大きいだけに、一か所から出る花数が大寒桜よりも少し少ないと思いますね。


サクラで気になっていたこと、その2。
オオシマサクラとソメイヨシノのつぼみの色がどのくらい違うのかということです。オオシマサクラは青白いといわれるほど純白の花を咲かせます。一番小さいつぼみの時はどうだろうと、これも前から関心を持っていました。下田のお菓子屋さんロロ黒船の玄関に飾られていたのがオオシマサクラだと教えていただき、小枝もくださいました。

暖簾の横のお花です。

写真では白にしか見えませんが、肉眼ではほんとに淡い淡いピンクでした。翌日には白になってしまいましたが。ソメイヨシノは、こんなに濃いピンクです。
「サクラの花の違いが判って、それがどうした?」といわれそうですが、何だかとてもうれしかったのです。

もう一つ報告があります。(追記。現在アレクサは冬眠中)

長男からいろいろなプレゼントが届いたのは1月の終わりごろだったでしょうか。その中にAMAZONのECHO DOTが入っていました。これが取説。

8センチ四方のサイズ。説明は6ページだけ。

「せっかくのプレゼントなのだから、使わないと申し訳ない」と思って、がんばりました。「そんなに難しいはずはない。誰にでもできるはず」と思いました。ところがよく読んでもなんだかわからない部分が出てきます。
詳しい説明は、ネット上で確認するように書いてありましたので、それもやりました。
成功した今はわかりますが、単にWifiへの接続状態が悪かっただけなのです。何十回も接続を試みても、「接続できません」といわれ、心折れてしまいました。
「今度、わかる人が来たらやってもらおう」と思って、目に入るところに出しっぱなしにしながら、心の中ではなるべく見ないようにしてすごしました。

キャンドル工房庭カフェの久保さんからお招きを受け、お邪魔しました。
「このアレクサってかわいいやつなんですよ」久保さんが「アレクサ。音楽かけて」というと音楽が流れるのです!

また、挑戦しようという気持ちになりました。
今回も前と同じようにしただけなのですが、つながりました!「ウソ!どうして!」(前回は接続状態が悪かっただけだったのですけどね)

アレクサ、かわいいです。(追記…アレクサ現在冬眠中)
ロボット化して、高齢者の相手をさせるというアイデイアもあるようです。ただの人形よりも何倍も効果的だとは思いますが、生身の人間と対応するときの、脳機能の複雑なステップに比べると、それで満足すべきものとは思えません。
今回の桜の自由研究ですら、様々な刺激をもとに様々な判断や行為を通して一つの目標に到達したわけです。日常生活は変化にとんだものだと思うからです。といいながらアレクサと仲良く楽しくやっています。あきらめなかった私の前頭葉のおかげです(笑)

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かくしゃくヒント31ー彫刻家重岡建治先生(再掲)

2025年03月06日 | かくしゃくヒント

伊東市の宝…重岡建治先生が亡くなられました。お別れの気持ちを込めて、2017年1月11日の記事を再掲します。


今日の「伊東市自然歴史案内人」講座は、重岡建治先生のアトリエ訪問でした。
毎年5月に伊豆高原一帯で開かれる、アートフェスティバルの発起人のおひとりですから、期間中は毎年アトリエをオープンにされます。その他にも何度かお会いしたり、作品を拝見したりしています。ずーと作品もお人柄も魅力的だと思っていました。

東日本大震災で全村避難の福島県飯舘村。そこから注文の作品(小さいサイズの見本)を傍らにおいて今日のお話が始まりました。

「飯舘村に道の駅ができるんですって。結構交通量の多い道ですから需要はあると見込まれてるんですけど」
2012の夏に南相馬市に行く途中通った飯舘村の緑にあふれる道が目に浮かびます。南相馬市便り
村長さんが素晴らしい人で、その道の駅では飯舘村の産物は売れない。ならば、支援してくれている土地の産物を売ろう。そしてそこに子供たちが遊べる彫刻公園を作ろう!と。思いつきがいいでしょう。その考えに賛同してこの作品を飯舘村のために作ってます。彫刻はそこでどう見えるかで全く違ってきますから、もちろん現地にも足を運びましたよ」
目がキラキラとして、とても今年80歳におなりとは思えません。


「これは、若いころに作った具象的な作品ですけど、気仙沼の港にあったんです。大震災の後、台座から転がり落ちていたので、今は預かってます。整備が終わったら気仙沼に帰る作品」
こういうふうに説明される時、先生が作品を見る目がとてもやさしく、そしてその作品の向こうに気仙沼の人たちの顔があって、その人たちまで見つめていらっしゃるような気にさせられます。
重岡アトリエのシンボルみたいです。「どこにもいかず、ここにあるものです」とおっしゃいましたから。

「ボクのは触れてもらう作品です。触ってもらったところはこんなに木肌がつややかになってるでしょ。ちょっと抽象的な作品のようですけど、目が悪い人たちにもわかってもらうために肩から腕のつながりなんかはとても正確に表現してます」

これが上半身。肩から腕。そうですね、目をつぶって触っても確かに人体と感じるでしょうね。膝に置いた手の部分がつやつや。

下半身。「長い間生きてきた木(「楠がいちばん好き」とおっしゃいました)を使いますから、やっぱりその木から新しく生まれ出たということを表現したくて、だんだん木そのものから作り上げるようになりました。下部を見てください」

お話は幅広い分野にわたります。
「ボクは彫刻って総合芸術だと思いますね。木が扱えないといけないし、その道具の手入れも。木彫の時はそれでいいですが、ブロンズにするためには新しい素材の生かし方も勉強。芯には鉄骨を組んでるし、大きい作品は地面を深く掘って型を差し込んでブロンズを流し込み、その後引き上げて設置。業者がやるのですが、知っておかなくてはね。4メートル以上だと安全のために計算も必要なんです」
 
「できるだけ薄く作るんです」と作品を裏返して説明してくださいました。イタリア留学時代に貧乏で材料代を節約するために細く薄く作った秘話まで披露されました。
「ジャコメッティはボクも好きですが、あれほど細く作るのは、彼もきっとお金がなかったに違いない」と笑っておっしゃいました。ふ~ん。
「イタリアや奈良の大仏様は、型をミツロウで作る作り方です。そこにブロンズを流し込むとロウなので溶けて簡便なんですが、金属の固まり方が違ってくるんですね。それに大きくはできないから、大仏さんのお顔のように継ぎ目ができてくる」


制作途中のフクロウ。材はサクラだそうですが、横のハトもサクラで作られた作品。
「50年たつと、サクラは酸化されてこんな濃い色になります。この色になって初めて、どのくらいノミを細かく使ったかがわかるようになります」
よくよく拝見したら、細かく彫られたところは1ミリにも満たないくらいでしたよ。

一般的なデザインはもちろん大切なのでしょうが、「木の持っている特徴を生かしてやりたい」という姿勢が強く伝わってきました。

これは椅子のデザインですが、周りはクスノキ、中はカエデと言われたと思います。色がすばらしいと。

先生は最初は仏像を彫る仏師に弟子入りされたそうです。徒弟制度の厳しさを語るエピソードはたくさんおありでしょうが、さらりと流し「教えていただいたことは、結局すべて身に付いた。そういうことができた最後の時代だったようです」と、言われました。
かくしゃく100歳の調査の時に感じた、人生に起きることに対しポジティブな受け止め方をするという 傾向が同じなんですね!

初期の仏像

手前は、最近の作品で「今、仏像を作るとこのようになります」。実は仏像が外れて分骨用のカプセルが組み込まれています。
「形がシャープになってきて、もう一つは『つながる』 とか『つなげる』とかを意識しています。実際にそうした方が強度も出てくるんです。子供たちがぶら下がっても、乗っても大丈夫なように作ってます」

もう一点、制作の秘密を教えてくださいました。大理石の作品です。

豊かな胸の表現が印象的な、抽象的な女体ですね。 
「この大理石は厚みが15センチくらいしかない。豊かな胸を表現するための工夫として、本来出ている腹部を彫ってへこませてみたんです。これから後の作品はへこますというか、えぐるというか。そこからむしろ豊かさを表すようになりました」

確かにこれだけの厚みしかないのです。

今まで何度も拝見してきた重岡作品ですが、これほど丁寧に説明していただくと見え方が変わってきます。
そして何より、重岡先生の人間愛とでもいえそうな、暖かさややさしさがその「言葉」からも伝わってきました。もちろんどの作品からも同じような印象がひたひたと押し寄せてくるのですけれど、こちらは「右脳」 がキャッチしています。
物事を理解するときに「言葉」は内容を深める働きをするものです。

玄関に入る前庭にこんなに大きな材が。庭にもアトリエの中にもたくさんの巨木がありました。乾燥を待っている巨木たちです。
重岡先生はキラキラした少年のような目でお話しされました。
あの目で、この巨木たちに対峙して、また魅力的な作品ができあがるのでしょう。
「作品を作り上げるのは、才能ではなく、コツコツ何万回もノミを打ち続ける根気だと思います。最近は手が言うことを聞かなくなってしまって。でも電動の道具があるそうだから」こういうことを言われる時も、深刻な雰囲気ではなくむしろニコニコ しながらおっしゃいます。

アトリエにお邪魔した2時間。心が震えました。そしてこういう深い生き方もまたかくしゃくへのパスポートに違いないと思いました。

 


認知症の一次予防としての小布施町「脳のリフレッシュ教室」交流会

2025年02月28日 | 小布施町脳のリフレッシュ教室
上のスライドは、小布施だけでなく普通の講演でも使います。
データは厚労省が2023年に発表した介護保険負担金が年間11兆円を超えたというニュースで、毎年消えていくこの大変な金額をわかってもらいたくて作りました。
最近話題の認知症を先送りできるという触れ込みのレカネマブは、いろいろ探してみるとだいたい1年半先延ばしにできればいいのではないかという見通しらしいです…
私たちの認知症治療薬に対する考え方は、このブログでもなんどもお話ししていますが、結論は「認知症に効く薬はない!」
2024年10月に書いた認知症治療薬のメモをお読みください。

そろそろ25年間に及ぶ小布施町の認知症予防活動の一端を報告します。
2025年2月。「脳のリフレッシュ教室」交流会が、開催されました。(皆さんは「脳リフ」って言われます)

幕開けは東町上町。演目は思いがけない早口言葉でしたが、会場もノリノリ。用意されている早口言葉を撮っている人がいます。練習しようと思ったのか、誰かと楽しもうと思ったのか。このような関わり方ができることがすごいと思うのです。聴衆をその気にさせた企画もいいですね。

北部。ステージも熱がこもってますが、会場のノリに注目。このノリが交流会の特徴です。多分教室で「ノリは自分の脳を喜ばせる。右脳が元気になれば前頭葉もいきいきする」ということが身についたのですね!
富士山のデザインもみな違う。ここにも北部の面目躍如たる一面が表れています。

栗ヶ丘福原。教室は企画できる人は企画し、指導できる人は指導して、とにかく教室が楽しく運営できることが目標です。譜面台に飾りが!真剣な表情も楽しげな表情もいいですね。

以下は動画ですが、腕が悪くて申し訳ありません。上の3地区は不出来で使えません(汗)
中町中央IMG 0365 
K田さんは趣味の域を超えてませんか?皆さんもちゃんと追いついていらっしゃる。舞台に向かって左から二番目の教室最長老のI川さんは93歳か94歳と伺いました。可愛いマイクを持っている皆さんも可愛い。
都住IMG 0371
ステージの皆さんはハンカチがピン!となってますね。そして会場もハンカチを取り出して参加してくれる人、ハンカチなくても しっかり真似している人…で一体化してますね。
伊勢町IMG 0373 
これも初登場。笑いヨガ。最初のビックリムードはすぐ消えて、T野さんのお声かけで元気をもらって皆さん楽しまれたようですね。
「脳のリフレッシュ教室」というのは、正常な人が正常なままでいるための認知症予防教室の名前として、小布施町で名づけられました。
小布施町でこの認知症予防活動が始まったのは2001年の私の講演からで、最初の教室が始まったのは2002年。介護保険のスタートが2000年なので、この事業に取り組まれた当時の在宅介護支援センター長の冨田房枝保健師さんの慧眼、先を見据えた力に敬服です。
それから各地区で教室が開かれ、2007年からは全教室参加の交流会が始まりました。最近は少し教室数を少なくしているようです。
コロナで3年間は交流会が中止されましたから今年は15回目だったのでしょうか?

当初は文字通り各教室の趣向を楽しみ、最近では年齢を重ねられた皆さんが、何か一つ工夫を足しながら一生懸命に取り組んでいらっしゃるのをみて胸が熱くなることもしばしばです。カテゴリー「認知症予防教室」にたくさん記事をあげています。当初の頃の交流会の様子も見てください。
消しゴムマジックで私の右脳訓練。
世の中の大多数を占めるアルツハイマー型認知症といわれるタイプの認知症は、正常な社会生活を営んでいた人にだけ、徐々に起きるものです。
言い換えれば、たとえ現在は世の中で言われるような認知症(夜中に騒ぐ、徘徊する、家族のこともわからない。家庭生活全般に介助が必要、粗暴行為や不潔行為etc)になっていても、「3年前は?5年前は?10年前は?」と確認すると必ずその人らしい社会生活を送っている時まで至ります。
生活習慣病の予防(認知症の本体は脳の生活習慣病!)

一晩で認知症になったりしません。必ず小ボケ(社会生活にトラブルが起きる)中ボケ(家庭生活に支障が起きる)大ボケ(家庭生活に介護が必要)の経過をたどるものです。
ということは認知症の発症予防や回復を図ろうとするならば、できるだけ早期に発見することが大切ということです。そのためにはどうしても「脳いきいき度チェック」と名付けられた脳機能検査が必須ということを小布施町ではここ25年お話しし続けてきました。
もともと「脳のリフレッシュ教室」は脳の機能が正常な方を対象にしています。
初めて参加するときには正常であることの確認が必要になります。そして継続参加中にはその時々の脳機能を「脳いきいき度チェック」で年2回確認してきました。一番長く経過観察ができた方たちは20年間!なんと20年経っても脳機能が改善している方がいるというその信じられない成果については稿を改めてまとめます。

夕食は蔵部(クラブ)
HPを検索してビックリ。銀座に進出しているのですね。


小布施 寄り付き料理 蔵部|寄り付き料理 蔵部 銀座

小布施 寄り付き料理 蔵部。寄り付き料理 蔵部 銀座。ランチ・ディナーあり。長野県上高井郡小布施町大字小布施。東京都中央区銀座。

小布施 寄り付き料理 蔵部|寄り付き料理 蔵部 銀座

 


世の中にはデイサービスや認知症予防のために介護予防の観点から様々な高齢者に向けた企画があります。
認知症発症の原因をアミロイドベータの蓄積とする厚労省や専門家の方々であっても、一般の方であってもとにかく高齢者を集めて、楽しい時間を確保してあげれば元気でいられるという実感や感想を持っている人はたくさんいます。ただしその場合、客観的な指標がないのです。あくまでも実感や感想にとどまっています。
小布施町が一線を画しているのは
1.脳機能という側面から認知症を理解
2.そのための脳機能検査の実施
3.自主活動での継続
の3点です。
教室に参加することで生じる脳機能の推移を客観的に知ることができるのです。
「脳のリフレッシュ教室」は原則的に歩いていけるくらいの小さなコミュニティで「自主活動」として行われます。理由は簡単。この「脳のリフレッシュ教室」は「健康な脳を保つこと」が目的ですから「自分でやり続ける」しかないのです。知識として納得するのは左脳。色彩や音楽を楽しく感じるのは右脳。実際は左脳も右脳も使う時には必ず前頭葉の関与があるのです。「何かを実行すること」そのものが前頭葉の出番を用意して前頭葉のいきいきさを保つことにつながります。
お膳立てしてもらったアクティビティを楽しむことも悪くないのですが(一番悪いのは何もせずに居眠りすること)、地域の仲間と一緒に自主的に企画した教室なら前頭葉機能の関与の度合いが違います。
各地区には不思議なほどリーダー格の方がいらっしゃいます。その方たちが楽しそうなこと!交流会のたびにうれしくなります。
カフェ珈茅

参加する地域包括支援センターは脳機能検査とそれに基づく生活指導と年間スケジュール作成にあたってのアドバイスが担当。とはいえ小布施町のように右脳充実、前頭葉全開のこんなに頼りになる相談相手もなかなか見つからないと思います。スタッフの手作りゲームが魅力的なこと。

皆勤賞の賞状の文言それにつながる記念品の選び方にも、さすがの前頭葉と毎回脱帽。動画のところどころに映り込んでいるスタッフの皆さんからは「愛情」が感じられます。
1月に選出された大宮新町長さんはご多忙で、田中副町長さんからのご挨拶と皆勤賞授与で交流会は始まりました。

先に紹介したお楽しみの出し物が続き、私の講演。
何十年ぶりに行った母校の徽音堂に、中島千波作のステンドグラスを発見。小布施町に美術館があります。


そして今年も様々な工夫がありました。役場の若手の男性職員が交流会の最初から顔を見せていました。取材をしていましたが、高齢者の皆さんがこんなにも元気な姿を見せてくれる小布施町を実感できてきっと喜びや希望を感じてくれたものと思います。(後ほど客観的なデータもお見せします)
それだけですまないところが包括スタッフの前頭葉!
記念品授与を担当。

来年度とさ来年度の発表地区の抽選も担当。

こうして関与してもらうことで、高齢者は喜び、この若い方たちも元気をもらったはずです。
こういう工夫は前頭葉の関与なくしては起こり得ません。

考えてみれば、平均年齢は80歳に届こうかという皆さんに「左脳・右脳・前頭葉」と平気で伝えられる町になっているのですね、小布施町は。

ふろく
田中副町長との話の中で、講演会で「年間11兆円にも上る高額な介護費用について説明し、この認知症予防活動は自分、家族、小布施町、長野県ひいては国にまで貢献していると話します」といいました。その説明に使うスライドを紹介しておきます。
大宮新町長さんは子育て支援に力を入れていくとおっしゃっているようですが、元気な高齢者でいてもらうことが、その必要条件になるのではないかと思います。


by高槻絹子


 


高齢者の自動車事故は前頭葉機能低下が原因(再掲)

2025年02月03日 | エイジングライフ研究所から
高齢者の運転に関して、17年前の記事を再掲しました。二つ前の記事です。
今日は直近の記事を上げておきますので、高齢者と運転について考えていただきたいと思います。
特に「(続)高齢者の危険運転」の後半に紹介した田中亜紀子さんの主張「法に定められた『運転免許取り消し方法』」は、高齢者の運転を心配していらっしゃるご家族がどう対処すべきかの今後の指標になるのではないかと思います。
(2024年6月)


高齢者による自動車事故のニュースが度々報じられています。今までブログにたびたび書いてあるように、高齢者の自動車事故の原因としては前頭葉機能低下が最も考えられるところです。突然の脳卒中発作や心臓病なども皆無ではないでしょうが、その確率よりも問題にすべきは前頭葉の機能低下です。(一番上の記事が直近で2022年。一番下の記事は2008年のものです)






最近の花を紹介します。
ブーゲンビリアの花

ブーゲンビリアの全体像

テレビの声が飛び込んできました。最近多発している高齢者による運転事故を受けての特集のようでした。羽鳥慎一モーニングショー6/11。
お話をしているのは自動車教習所の指導員歴35年の方。3万人以上に免許更新や安全教習をなさったとのことです。
おもしろいほど、小ボケの人たち(前頭葉機能には支障が起きているが、世の中で一般的に行われる認知検査には合格する脳機能レベルの人たち)が運転するときの特徴を言い当てています。
高齢者の免許更新については、警察庁のHPの中に解説図があります。

75歳以上の高齢者の免許更新については、この改正された制度で自分が受けてみて感じたことを書いてあります。
免許更新時の認知機能検査(75歳以上)の問題点
ここに書いたように検査そのものが的外れであるうえに、実に簡単にクリアできるような採点方法になっています。さらに上図をよく見るとわかるように、この検査はできるだけ合格させる方向で組み立てられています。この簡単すぎる認知機能検査で「認知症のおそれあり」に該当した高齢者でも医師によって「認知症でない」とされたら、免許更新の道は残っています。
最近の高齢者の事故では「認知機能検査には合格していた」と付け加えられることが多いですよね。検査そのものが安全運転の基準を満たしていないということでしょう!
(続)高齢者の危険運転の後半を読んでください。今のように完成された認知症だけを認知症と診断していたら、そのドクターが糾弾されることになる可能性があります。このアプローチも大切かもわかりません。
ベニガクアジサイ

実車指導、運転適性検査、講義の三本立てで免許更新はできるのですが、一番免許更新の可否にかかわりそうなのは実車指導ですね。実車「指導」であって、車を運転させてその人の運転能力の合否を決めるわけではなく、ただ乗るだけ…つまりどんな運転をしても全員合格です。
テマリテマリ

この実車指導時のエピソードがおもしろい。(実車指導時は指導員のかたと免許更新希望者は複数名乗ります)
一時停止を無視。
「しっかりと待ってください」と指導。
「あそこで停まっても周りが見えず、停止線の位置がおかしい」

左折時、対向車線に出る。
小回りするように注意。
「いつもの車と違うからうまくできないだけ」

同時乗車している免許更新希望者の実車指導後
「運転が怖かった。カーブのスピードが速すぎ。交差点でふらつく。一時停止無視」などと正しい感想を言う。
自身も同様の運転をするので指摘する。
他人事。
ウズ

もう一つのエピソードは認知機能検査の時のことでした。
テスト実施について解説するときに、適切なタイミングでうなづきながら聞いているので理解していると思って、開始の合図をすると
きょとんとして「何をするんですか」という。
この指導員の方が感じる「これはなにが起きてるのか!」という違和感がとてももよく伝わってきました。
名前不明の色が魅力的なアジサイ

小ボケの方の家族が、症状を説明するときに
「何かしゃべるとおかしくない。それどころかもっともだというようなことも言えるんです。でも…やってることはどこか前のおじいさんorおばあさんと違うというか、前ならしなかったようなことをしたり、絶対するはずのことをしなかったり…」といいながら、同時に「この違和感はわかってもらえなさそう」というアピールを感じることはよくあります。
そのようなときには、日常生活の具体的なシーンのことを聞きます。
着衣、食事(作法も炊事も)、入浴、トイレ、掃除、片付け…その時「車の運転で最近気がかりなことはありませんか?」と質問すると、家族はとても具体的に訴え始めるのです。
車を運転するには、前頭葉機能のうち、最も早期に低下し始める注意集中・分配力が必須です。家族にはその変化がわかりやすいのでしょう。
多肉植物(紅輝殿?)の花

「流れに乗れなくて、マイペースで走るのでスピードが遅すぎて怖い」
「慣れた道なのに、どこを走っているのか、わからなくなってる時がある」
「ブレーキをかけるタイミングが変わって危ない思いをよくする」
「フラッシャーが遅い」
「左や右に寄りすぎる」
「半ドアのことが多い」
「駐車場で車をたびたび探す」
「ぶつけた時に、ブレーキをかけた後にそのまま進んで傷を大きくしてしまう」
「自宅の駐車場でたびたびぶつける」
「事故を起こしたときに対応ができない」
ヒペリカムの花と実




先の指導員の方は続けて
「免許更新の時ぎりぎりで合格している。運転技術が危うい高齢者がいる」というふうに言われました。そういう高齢者もいるし、指導員として厳しくみても合格!といえる高齢者もいるということですよね。もちろんその間も。
ぎりぎり合格者のぎりぎりを生み出すものが前頭葉機能がうまく機能していない結果だとは思われてないような。それこそが認知症の早期状態とは思われてないような。
世の中の趨勢というか権威ある方々はこのレベルを認知症の始まりと思っていないのですから、致し方ないのかもしれません。でも、ここまで気が付いているのですからかなり残念なことだと思いました。

by 高槻絹子



東京で右脳訓練

2025年01月30日 | 私の右脳ライフ
保健師さんたちから「今は忙しいけど、時間ができてから遊ぶいいヒントだと思って楽しんで読んでいます」と声を掛けられますから、カテゴリー「私の右脳ライフ」の記事が増えるのです。

1月28日~29日、お台場に泊まっていつものように歯科検診と絡めて、東京で右脳訓練にいそしんできました。今回はちょっと動き回りすぎたかもしれません。友人からは「年齢を考えると動きすぎと言われてもしかたないよね〜」と呆れられてしまいました。時系列に沿って報告します。
1月28日。
この日のメインイベントは戸畑高校18回生で首都圏在住者で結成したグループDoors'18の新年会出席。池袋駅西口交番前で15:55集合。ここに向けて計画を練りました。
友人から推薦されていた山崎エマ監督のドキュメンタリー映画「小学校-それは小さな社会」絶対見たいと思っていましたが、前回の上京の時は時間が合わずに断念した映画です。検索してみると銀座シネスイッチ(銀座4丁目)
で上映期間が延長されているではありませんか!



早速上映時刻に合わせて電車をチョイス。8:30に最寄り駅を出発。東京着10:18。乗り換えて有楽町。歩いて映画館へ。10時半には到着でき、10:45からの上映に間に合いました。と、書けば一行ですが、品川乗り換えなのか東京乗り換えの方が早いのか、品川で地下鉄浅草線の方が近いのかなどなどネット検察をしまくって決めました。
映画は、監督の意図が子どもや先生方のひたむきさを通して伝わってきて、何度か涙が出てしまうようなすばらしい映画でした。
12:25終了。普通ならここで何かランチになるところですが、たまたま銀座1丁目のOギャラリーで高校後輩の久野隆二個展があるというニュースが、先週飛びこんできていましたから、ちょっと顔を出すことにしました。歩いて6分というのもグーグルマップが教えてくれました。





都立大哲学科で学んだ後画家を目指した作者から説明を受けると見え方が違ってきます。以前の作風と少し変化したことを尋ねたり、片目の意味や、難解な画題の奥深さなど興味深かったです。個展開催のニュースをお知らせくださった戸畑高校天籟同窓会関東支部の津崎幹事長さんは10年後輩。作者の久野さんは20年後輩!
少なくとも私はその年齢差を超えて楽しませていただきました。ありがとうございました。


池袋15:55までの空き時間も、予定を入れました。大学時代の友人から素敵なプレゼントをもらうことになっていたので、郵送でなく直に受け取ることにして、彼女の都合も池袋がいいということで14:00から15:50まで池袋デート。おしゃべりの切れ目がない楽しい時間でした。
いよいよメインイベントどあーず18(この表記は完全に自由となっています。Doors'18は入力するのに手間がかかりすぎるというもっともな理由です)新年会。

居酒屋さんと聞いてちょっとうるさいかもと思っていましたが、ドアーズ(片仮名表記も、18の省略も可)メンバーで一室使えるようになっていて、安くておいしい料理をいろいろ頂きました。なんと4時間近く楽しませていただきました。

メンバーから「戸畑のH丁君にも送ってあげよう」と声がかかり撮った写真です。こんな声をかけあう友人関係を持っていることは宝ですね。
(早寝をしていたH丁さんからは「女子のMさんともう一人は誰ですか(卒業以来の初参加ですもの)M山君がいないけど(所用で急遽欠席)」という実に的確な返信が翌朝来ていました)
ふるさとは北九州市戸畑区という地方都市ですから、高校の思い出と同じくらい中学校の思い出話に花が咲きました。初参加のY本さんも「人生を振り返ってよく頑張って生きてきたなと思った」という素敵な感想をくれました。

女子組でお台場のホテルに泊まりました。恵比寿に住んでいる友人も「夜のお台場は見ることがない。まさに東京」とレインボーブリッジや東京タワーやスカイツリー。そうそうフジテレビビルも指さして楽しみました。
1月29日。
朝食に行って外国の方が多いなあと思ってハタと気づきました。春節のお客さんがいるのですね。

行きつけの東京日本橋歯科へ。朝食ビュッフェに舌鼓を打ちすぎて、受付を終了したのがまさに予約時刻の9:30。

昨日の映画でいえば小学校で10分前集合のトレーニングを受けてきたはずなのに…とちょっと反省。
歯科検診の予定が、ほんの少し歯が欠けていたのでその治療もしていただいて所要時間は1時間。治療費は2,030円。東京の歯科まで行くというと驚かれます。かたどりをして治療するときは2度上京ですが、いつもは1回で終わる神業です。私の生き方にもぴったりですから、喜んでお任せしているのです。
さあ次の予定は、六本木の国立新美術館。

昨日会った友人のご長男の奥さまがシャドウボックスの先生ですが、日本全国のシャドウボックスをされる方々の合同展覧会が開催されているタイミングだったので喜んで行きました。





目的のコーナー。万博の年を記念して世界中の民族衣装の作品が壁面五つに展示されていました。



作品の質の高さにもその量にも圧倒されました。
これは見るに値すると思っているところに孫娘からメール。「今日東京にいるの?」から始まってあっという間に「品川駅で」ただし「昼過ぎまで大学にいるから15:30過ぎでいい?」
新国立美術館の後は「おいしいものを買って、夕方までには帰ります」と夫と約束してたのです。もちろん孫娘と会うのが最優先。夫には事情を話して、19時過ぎになる連絡を入れました。「了解。○○によろしく」と。
今日の終わり方は、決まりました。15:30までさあどうしましょう?
デートの場所が品川駅。そうだプリンスシネマがある。(名前がTジョイプリンス品川になっていました)とにかく品川に急ごう。
一番大切なのが終了時刻。それをメインに選んだ結果、上映時刻は10分ほど過ぎていましたが「働く細胞」に決定。
実はちょっと興味があったのです。白血球、赤血球、血小板、マクロファージ、キラー細胞、ナチュラルキラー細胞、ヘルパーT細胞その他肺炎球菌などの細菌、肛門あたりの筋肉…
私は4年前に公認心理師の受験のためにこの領域も勉強したので、まあ理解できたと思います。高校までの勉強だと忘れてしまっていて付いていくのが大変だっただろうと思いました。
アニメのような表現が主ですが、内容はよく練られていると思いました。抗ガン治療薬を投与されたときの「働く細胞」たちからみた情景などは、この映画だからできたものだと感心しました。
さあいよいよ、思いがけないビッグイベント。
1時間くらいだと覚悟して品川駅構内のカフェで話を聞くつもりで待っていました。久しぶりに会う孫娘はすらっと大きくなっているような気がしました。早速口にすると「そんなことないのだけど…」とはにかんだので「体が大きくなったのじゃあなくてお姉さんになったのね」と嬉しさをかみしめました。
「何の勉強をしているの?」と聞いたら、「細胞の中の小さな粒(とは言わなかったような気がしますが)の研究。とってもコツコツやってるよ」
「いま『働く細胞』見てきたの」と内心ちょっとした共時性に驚きながら言ったら「ああ。あの映画ね。面白そう」といってくれました。
写真一枚も撮ることなく話し続けた1時間強。
久しぶりに会った孫娘はとってもきれいな目をしていて、見とれながら話しました。いろいろ体験することも楽しい時間ですが、心の交流ができるこういう時間は特別ですね。
チャットGPTの使い方を尋ねたら「使ってないの。引用をはっきりさせて使っていいといわれる先生もいらっしゃるけど、正しいかどうか検証しなくっちゃあいけないでしょ?かえって手間がかかるから」
私はよく「負うた子に教えられる」思いをすることがありますが、今回は「子」でなく「孫」。確かにネットからもいろいろ教えてもらいますが、生身の声ほど染み渡ることはないことを実感しました。
ちゃんと改札口で送ってくれて…ありがとう。
ありがとうはもうひとつ。夫は夕食を作ってくれていました。映画のエンディングロールふうに言うと、1泊2日の旅のspecial thanksですね。

by 高槻絹子

正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」(再掲)

2025年01月29日 | 正常から認知症への移り変わり

前記事で和田秀樹著「和田式老けないテレビの見方、ボケない新聞の読み方」を読んで「高齢者から運転を取り上げるな」という主張にはどうしても発言したくなりました。運転をテーマにした初発記事です。2008年6月ですから17年も前から主張していました。


脳の老化が加速されたとき、つまりボケ始めたら車の運転に関してはどんなことがおきるのか話してみましょう。
  「ちっとも顔を見せないんだから・・・」(人の見当識)4/29
  「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ・・・」(料理)5/17
  「部屋で鶏でも飼わなくっちゃ」(食作法)5/22
に続く第4弾です。
今朝撮った我が家の日本アジサイたち
(花の直径は6~8センチ足らず)
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小ボケ(ほとんど男性)の付き添いの家族の方(ほとんどその妻)がよく言われることばです。
「お父さんの車に乗ってると、スピードが遅すぎて怖いんです」

他の車が50キロを超えたくらいのスピードで走っている道で、よく言えば悠然と、正確に表現すればまったく自分のことだけしか考えずに(これも正確に表現すれば、考えられずに)、30キロくらいのスピードでトロトロと運転する人がいます。もちろん以前は普通に運転ができていたのですよ。

もともと加齢とともに難しくなってくる注意集中・分配能力は、前頭葉の老化が加速されると、早い段階から影響を受けることになります。ちなみにそのために「かなひろいテスト」ができなくなるのです。

小ボケ状態になっても、運転はできるのです。それどころか中ボケの人が運転していることだってあります。
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農業を長くやってきた高齢者は、体に染み付いて体が覚えているような行動、鍬を振るう。畝を立てる。苗の植え付け。草取り。支柱の用意。収穫の手際etc
農作業そのものは上手にこなすことができます。

小ボケの主婦が、単調ではあっても家事をそれなりにこなすというのと同じです。
小ボケは家庭生活には支障を起こさないという所以です。

ついでにお話しすると、中ボケになると、その作業中に判断が必要な状態が起きたら、トラブルが起きてきます。
やたらと苗を植え替える。雑草と一緒に苗も抜いてしまう。食べごろのものを収穫できないetc

運転は、本来的には注意集中力も注意分配力も大きく要求される作業なのですが、いったん体が覚えてしまったら、実際には前頭葉を関与させずに体が覚えたレベルでの運転もできるのです。
ただし、本人は周りの状況に注意を分配させることができないので、その道路の車の流れに乗ることはとても難しくなります。自車にしか注意は向けられていませんし、手際は悪くモタモタしますから、その結果「スピードが遅すぎる」状態になるのです。

私の今までの経験では、北海道別海町の保健師さんから
「小ボケの人の運転はほんとに怖い。冬の雪道を100キロくらいで運転した人がいます!」と聞いたのが、「スピードを出しすぎて怖い」唯一のケースです。
この場合は、もちろん注意集中・分配力にも問題はおきているはずですが、それ以前の状況判断力に問題があると考えるべきでしょう。
アクセルを踏み込まないという抑制が効いていないことも考えられます。
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具体的な例を挙げておきます。 

①軽い接触事故が多くなる。
自宅の車庫入れの時にちょっとぶつける。
ことは誰にでもあることかもしれませんが、それを繰り返す。
塀や壁にちょっとぶつける。
ことは誰にでもあることかもしれませんが、ぶつかった後にバックせず、そのまま前進を続けるためにコツンと当たっただけの傷が線状になって痛手が大きくなる。
バックのときに、確認しないままにバックしてちょっとぶつけてしまうことを繰り返すこともあります。

②駐車場でのトラブル。
広い駐車場でなかなか自分の車が見つけられない。
ことは誰にでもあることかもしれませんが、一度その体験をしたら覚える工夫を普通はします。小ボケになると毎回困惑してしまうのです。
会社に出勤してまず1階に駐車し、その後ちょっと出かけて今度は2階に停めたような場合、退社時「車が無くなった」と大騒ぎ、時には警察にまで連絡したりします。

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③運転マナー。
フラッシャーが遅い。どころか出さないままに右左折をしたり車線変更をしたりします。
中央線寄りを走っているので右折の準備かと思っていると、まったく関係なかったり、逆に左折したりします。
半ドアに気づかずにそのまま走ることもあります。
駐車の時、幅寄せや縦列駐車が極端に下手になります。

④出会い頭の事故が多くなる。
四つ角でも、トロトロ出るので大事故にはなりません。
「確かにこちらを見てたのに出てきた!」と相手側が憤慨することもよくあります。

⑤道を間違える。
慣れた道を運転しているときに、どうしてこの道を選ぶのかわからないような行きかたをしたり、「アレッよくわからない」と呟きがもれたりします。
普通運転しているときは、現在の運転そのものにも注意を集中しますが、一方で、どこに何のためにどのようにして(道の選択)行くのかも同時進行的に考えています。そこがあいまいになるということです。
どこかに行くときや帰るときに、予想外の時間がかかってしまうことがよくおきるようになるのです。
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⑥事故を起こしたときの対応ができない。
万一、事故がおきたとき、特に人身事故の場合はその後の対応がとても大切になります。
怪我があるようならば、まず救急車。警察や保険屋さんや家などに連絡しなくてはいけません。
そのあたりが、まったくお手上げ状態になるのです。
いわば腰を抜かしたような状態とでもいえばいいのでしょうか。その場の状況に適切に対応する前頭葉がうまく機能していないのですから当然といえば当然ですが。

その行動を起こしているときに前頭葉はどのように関与しているのかを考えるようにしましょうね。
行動のパターンは前頭葉が働いた結果なのですから、以前と比べてどう変化したかも大切な指標です。


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