脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

ここにも右脳障害が

2008年08月28日 | かくしゃくヒント

新聞を見ていたら「地湧金蓮花が5年ぶりにようやく咲いたので、網代公民館に寄贈。いつでも見学できる」との記事がありました。

大体なんと読むのだろう?
困ったときのパソコン頼りで、調べましたとも。
予習した上で、わくわくしながら網代公民館へ行きました。
ちゆうきんれんかと読む地湧金蓮花 P1000008

ちょっとがっかりかな・・・
期待しすぎたということもあるのでしょうが、
名前負けかも。ただ300日も咲き続けるところは立派です。

駐車できなかったので、写真が撮れませんでしたが、草丈は1メートルくらいの、小ぶりの芭蕉という感じでした。

でも、花の黄色は鮮やかでした。

                                              300日も咲く地湧金蓮花P1000009

駐車できなかったというのは、この花をお目当ての車が、道の向こうに見えるのです。
狭い路地でしたから、あわてて出て道を譲らないといけない状況でした。
すれ違いざまに運転している人を見たら、なんと年配の男性。しかも一人。

新聞を読んで飛んできたとしたら、こういう人は、ボケにくい生きかたが身についている人ですよね。 

今日の話題は、同じ新聞に掲載されていた読者の投稿記事が気になったのでそちらがメインです。

数年前に脳卒中を起こし後遺症がある夫を介護している方からの投書でした。
投稿の趣旨は、「『康介が苦しい時は、コーチもつらい』という新聞記事を読んで『夫がつらい時は、私も本当に苦しい』ということを夫にわかってもらえない」というもので、確かに暗澹たる思いの毎日だろうと読みながらこちらもつらくなりました。
蝶(死んだ蝶の周りに何匹もの蝶が舞って、あたかも葬式のようでした)P1000003 P1000002

丁寧に投書を読んでいくと、もう少し状況がよく理解できます。

1脳卒中後、左半身麻痺から歩ける距離が20分ほどまでになった矢先交通事故
2そのため、リハビリ目的で施設入所中
3外科・内科など通院が多いが、そのたびに「自宅になぜ帰れない」と一悶着
4その実24時間全生活、目が放せない状態
5夫はどこも悪いと思っていない(から自宅で生活できると思っている)
6夫は「いつもだめというばかり」と妻を責める
7「夫がつらい時は、私も本当に苦しい」ことを夫にわかってもらうのは無理

大変ですよね・・・
蝶(この夏私も親しい人と別れました)P1000001

この方は、後遺症として「高次脳機能障害」といわれています。

左半身麻痺から始まっていますから、脳がダメージを受けたのは、右側ということになります。

ということは、右脳にダメージを受けて、高次脳機能障害といわれたわけですから、はっきりとした右脳障害後遺症があるということになります。
普通に測定できる右脳障害は、構成失行ですから、この方は「形の認知に障害がある」ということになります。
そこからすぐに類推できることは、
洋服が着られない

歩けるならば、道に迷う
片づけができない
掃除が雑
ちょっとした修繕、電球の付け替えでも、壊してしまうようなことを起こす

などの生活上の不便さがおきることが見えてきます。
この方は、麻痺があったものですから、こういう生活上のトラブルはかえってあまり表に出てこなかったと思いますが、右脳障害が理解できていないと、家族は「なぜこんなことができないの!言うばっかりなんだから」ととても落ち込みます。
3月4日のブログ右脳障害後遺症ー右脳が壊れるということから続けて、いくつかまとめて書きましたから復習してください。

極楽鳥花
P1000004 「形の認知」のように単純なことではない、なかなか測定できにくい
「右脳障害」のほうにも目を向けなくてはいけません。

それは、病識がないことや、現状認識のずれがおきることや、相手の感情に配慮できなくなることなどで、実際はこの障害こそが家族を苦しめる原因になりがちなのです。

それなのに、言葉は普通。右脳障害後遺症ー「話す」と「わかる」を参照してください。
話だけ聞いていると、当然のことを要求するかのように訴え、表現は普通の日本語でおかしいところはないのです。
このことで、どんなに家族はつらい思いになることでしょうか!

投稿記事に戻りましょう。
3・5・6は右脳障害による現状の認識のずれが言わせていると考えてみてください。
状況は変わらなくても、傷つき方が違うはずです。
言葉が普通なだけに「わかっているはずなのに、こんなことを言って又私を苦しめる」と思っているはずです。
わかっていないのです。
それもご本人が悪いのではなく脳卒中がそうさせた(後遺症)なのですから。

麻痺に対して、私たちはどうにかしてあげたいと思いこそすれ怒りません。
右脳障害後遺症に対しても、説明できる保健師さんになってください。
そして、夫が病気になっただけでも、悲しい妻を、さらに悲しませることのないようにしてくださいね。


平安時代のグループホーム

2008年08月24日 | かくしゃくヒント

P1000002 少しずつ、「源氏物語ときがたり」を読み続けています。
源氏物語には多くの美女が登場しますが、唯一の不美人が末摘花(すえつむばな)

詳しくは、クリックして読んでくださればわかりますが、没落して貧乏な暮らしをしている設定で、「ブス」というだけでなく「自主性がない」「引っ込み思案」「センスがない」「当意即妙さがない」「歌が下手」「字が下手」な様子を書き進めています。

けっきょく、光源氏は情にほだされて契るのですが、関係は深くはなりません。経済的な援助をするというところで「末摘花」の巻は終わります。

光源氏はその後須磨に蟄居して後、再び都に帰って昔のように権勢も取り戻し華やかな暮らしを再開しています。

蓬生(よもぎう) 
あるとき、荒れ果てた屋敷に今も変わらず末摘花が源氏を待っていることがわかりました。蓬や雑草がボウボウと伸び、茂みにたまった雨が降りかかるので月夜というのに傘を差して、源氏は屋敷に入り、3年ぶりの再会を果たします。この庭の荒れ果てたさまを「蓬生」と巻名に名づけているのです。
ムクゲP1000021

この末摘花の誠実さ正直さに打たれた源氏は、生涯面倒を見ようと決意しました。
その後二条東院を建てて、関係した姫たちを住まわせるのですが、そこに末摘花も招かれます。

末摘花、花散里、空蝉のほかにも明石の御方なども迎え一緒に住まわせるのです。

                                           ランタナP1000011
その後、栄華の極まりの時に、広壮な屋敷六条院を建てます。
そこでは正妻紫の上をはじめ、ゆかりの女性を全部ひとまとめにして面倒を見ようというのですから、文化が違うといってしまえばそれまでですが、女性達の心理的葛藤はどれほどのものであったと思います。

でも、生活の心配はない!
老後の生活は完璧に保障されていることになります。
後ろ盾になる両親や親族が亡くなると、稼ぐことができない姫様達は夫がいないと生活が成り立たないのです。

そのお屋敷では、それなりにプライバシーも保たれ、時には交流もあり、絵合わせなどのアクティビティーもあって、まるで平安時代のグループホーム(恵まれた女性のための)ですね。

紫式部は、今現実に生きている平安時代という社会の中で女性がどうやって年を重ねていけるのか(どうやって死ねるのか)という老後の問題を考えていたのでしょう。
千年も前に、です。

「見目形がよく、詩歌管弦を始め芸術一般への深い理解を持ち、そして夫たる人の訪れを待つ(ただし拒否権は持っている)」という源氏物語の時代に生きた「魅力的な」女性像を様々に書き分けながら、なおその規範から外れる末摘花を登場させ、その人の幸せな結末を予感させることで、人には多様な生き方が許されていることを語ってくれています。

人間性の理解にしても、単純ではありません。

上野千鶴子「おひとりさまの老後」を、紫式部はどう読むでしょうか?

 


続ー所の見当識は?

2008年08月12日 | 正常から認知症への移り変わり

暑中お見舞いも言わないうちに、残暑見舞いの頃になってしまいました。
白状するとお見舞いも言いたくないほど暑かったですね!連日室内で34度でした。
その猛暑の中、下田市走雲峡にあるハスを見に行ってきました。
ハスの実の熟れ方が少しわかりましたから、今日の写真はハスの実(蓮の台=うてな)シリーズです。

蓮の台ー赤ちゃんPhoto (花びらが全部散った状態)

 

 

 

 

 


さて、今日のテーマは「所の見当識」の続きです。

前回に、小ボケの始まりに起きるエピソードを話しましたが、正常な人におきないかというと、そんなことはありません。

ただ、脳機能が正常なら一度失敗すれば数ヶ月ないし数年は失敗しないでしょうし、失敗したときの対応や説明がとても納得できるものという違いがあります。
繰り返し話しているように突然ボケないのです。
普通に脳が老化しているときでも、失敗はあります。どうしても覚えられない・思い出せないという記憶力低下も目立ってきます。
脳の老化が加速されていったときの最初の事件は、あたかも正常な高齢者がやってしまった失敗と同じように見えるものです。
そのうちに厳然とした差が、頻度と対応にはっきりと現れてきますが。

蓮の台ー童Photo_2                          蓮の台ー反抗期 Photo_3


 

 

 

 

 

 







小ボケの人たちの次のステップではどういうことが起きるでしょうか?
脳機能が中ボケになると、やることなすこと幼稚園レベルになりますから、原則的に一人で外出する機会はなくなります。

蓮の台18 ー娘十八番茶も出花               蓮の台ーPhoto_4 たべごろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気がつかない、あるいは気づいていても気がつかない振りをしている家族は、団体バス旅行に参加させたりします。

小ボケでもサービスエリアでバスの場所がわからなくなったり、バスをを間違えたりの事件は時によりおきます。
中ボケだと必ず大騒動・・・・・
トイレ休憩のたびにバスがわからなくなる
宿に着いたら着いたで、宿の中で迷子になる。
割り当ての部屋ではなくて、よその部屋に行こうとする。
風呂の脱衣場で自分の服がわからない。
大広間で会食だったら、いったん席を立つと自席に戻れない。

それでも、家庭の中だけでの生活だったら、あまり問題は明らかになってきません。
ここがどこかわからない。ここからどこかへ移動するときに位置関係がわからず問題が発生するんですから、家の中では問題がおきなくて当たり前でしょう。

蓮の台Photo_5 ー坂本九ちゃん(今日は日航機墜落の日) 蓮の台Photo_6 ー年増

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中ボケの終わりごろから大ボケに入ってくる頃になって来ると、時・所・人ともに見当識が障害されてきますから、事件が起こり始めます。

当然、家族の関係性に問題がある方が事件が起こりやすいことを知っておかなくてはいけません。
そういうと、家族を批判したくなります。でも、多くの場合には悲しいことに老人本人に若いときから問題があって、家族関係が難しくなっていることのほうが多いのです。
そういう状態で長い時間をすごしてしまったから居場所として落ち着きがたいということでしょうね。
「夕方になると、軒先や縁側でボーとしていることが多いのです」という家族の訴えを聞くことがあります。
近所の店の人が「家がわからなくなっていたみたいだから」と連れてきてくれたりもします。

蓮の台Photo_7 ー過熟                     蓮の台-4人4色41

 

 

 

 

 

 

さらに進行すると、午後3時ごろから荷物を作り始めます。それも大切にしている着物とかではなくて下着やシーツなどをひとまとめにして、風呂敷で包むようなことをするのです。

そのうち、夕方になってお嫁さんが帰ってくる頃になると
「失礼しました。帰らなくてはいけません」
「おばあちゃんのうちはここでしょ!」
「いいえ。お世話になりましたが、急ぎますから」
人の見当識に関して「自分は未婚の娘」と考えているのだとしたら、ここがどこかもわからないのが当然でしょう。

これから先の対応については、認知症の本に詳しく書かれていますね。

赤ちゃんが夕方落ち着かないことが多いように、ボケたお年よりも夕方に落ち着かなくなることが多いです。
赤ちゃんをあやしきれない時に、意外と効果的なのがドライブだとご存知ですか?
お年寄りにもちょっと車で一回りは効果的なことが多いみたいですよ。
「今日はもう夕方ですからお食事をしていただいて、明日お送りしましょう」などと、お年寄りが納得できる言い方をいくつか持っていると、すこしは乗り過ごしやすいでしょう。

蓮(八重)byT口Img_0011_3                      蓮(ハチ)by高槻Photo_8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうトラブルを何度も何度も繰り返した後で、とうとう徘徊が起きるのです。

「自転車や車で大騒ぎして探しました」
「大体の目星がつくようになりました」
「近所の方にも頼んでおいたのでこと無きを得ました」
「警察からお叱りを受けました」

そして、同報無線による捜索、消防団の山狩り、釧路方式に代表されるような様々なネットワークの利用などの事態に発展していきます。

ここまでどうやって歩いたかというほどの距離を歩くことも、電車に乗ってはるか遠くの他県まで行ってしまうことも、そしてもちろん亡くなってしまってから発見されることもあります。

でも、今日まで元気に自分の人生を楽しんで生きていたお年寄りが、明日徘徊した訳ではないのです・・・
その過程をできるだけ早く「二段階方式」の手法で発見してあげたいとは思いませんか?
「認知症の早期発見」は、あくまでも小ボケで見つけると言うことを忘れないでください。

 

 

 

 


所の見当識は?

2008年08月03日 | 正常から認知症への移り変わり

お楽しみブログが続きましたね。
その前は「小ボケになったらどういう症状が見られるか」のテーマをしばらく続けていました。今までの分をまとめておきます。

時の見当識は?

おしゃれだった人が・・・

「スピードが遅すぎて怖いんです」

「部屋で鶏でも飼わなくっちゃあ」

♪今日もコロッケ、明日もコロッケ・・・

「ちっとも顔を見せないんだから」

こうして並べてみると、足りないのが「所の見当識」に関することでした。

T口さん宅のハス 直径30センチもありましたP1000006_2 

「徘徊」という言葉を聞くと
「あっ、ボケたんだ。お気の毒にね・・・」と世間ではいいます。

私は講演の冒頭で
「今日、○月○日○時から、○○ホールでボケ予防講演会があることを承知でここにみえた皆さんが 、あした徘徊するでしょうか?」
会場からは
「それはないよね」という反応が返ってきます。そして
「そうだ。突然徘徊なんてしないんだ!」という自分の心中に気づくからでしょうか、会場がなんとなく穏やかな雰囲気に変わるのが普通です。

「そうでしょ?急にボケるわけではありませんから」と私は意欲的に話し始めるのです。

ところが稀に
「明日徘徊するかもわからない。何が起きるかわからないのが人生だから」
という人がいるのです。困ったことにこういう発言する人は、ほとんど声が大きいのです。無視するわけにもいかず
「急に徘徊を起こしたとしたら、それはボケのせいではなくて他の病気のためです。ボケて徘徊するようになるまでにどのくらいの時間がかかるか、今からお話しますから、お聞きください」と答えます。
そして講演の最後、小ボケ・中ボケ・大ボケの症状を説明した後で
「突然徘徊するものではないことがお分かりいただけましたか?」と先ほどの発言者に向かって尋ねます。もちろん今度はOK!

T口さん宅のハス 二種類咲いていましたP1000004_2

ところで、他の病気って何でしょうか?

ひとつは精神病です。
ただし高齢者が突然精神病になるということはありませんから、予測可能な徘徊といえます。

もうひとつは脳の器質障害です。
身体マヒがなく、現状認識に欠ける状態がおきたら、何のためにどこへ行くのかはっきりしないままに出かけてしまうことも考えられます。

こういうことは例外中の例外とはいえ、「わかるかしら」という保健師さんの呟きが聞こえてきそうですが、二段階方式では、直近数年間の生活ぶりを必ず聞きますから、こういう例外も見落とすことはありません。
つまり、まったく普通に暮らしていた人が急に徘徊を起こしたことが本当なら、それだけで、脳の老化が加速された普通のボケではないということになるのです。

「所の見当識」も、脳の老化が加速されるにつれて、順を追っておかしなことが起きてくるのです。
その最終段階が「徘徊」
冒頭の、今までにまとめておいた様々な症状も、行き着いたところを「ボケた」と世間ではいっています。そこに至るまでを知っておかなくてはいけません。

ハスの実(幼児)P1000003                      ハスの実(思春期) P1000001_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここはどこ。ここが○○ならあちらはどこになる。私は何のためにどこからどこへ行こうとしているのか。など「所の見当識」に関して、小ボケではどんな問題がおきるでしょうか?

以前のブログ時の見当識は?に書きましたが
「見当識が低下していく順番は、時→所→人ですが、最初に低下が始まる「時の見当識」ですら、実は小ボケの状態ではまだあまり影響は出ていません。」
ですから、小ボケなら本来は「所の見当識」に関しては問題ないはずなのです。

ここで注意しておかなくてはいけないことがひとつあります。
小ボケは前頭葉機能が異常域に低下していますから、前頭葉が集中とか判断とか見通しとかの機能を発揮ししなくてはいけない状況になったときには、本来ならば十分にこなせる能力があるにもかかわらず、その能力が発揮できずに失敗してしまうということが起きるのです。
二段階方式でMMSを実施するときに、低下順に従わずに簡単な項目で失敗する人に対して、再試行すれば難なくこなせることを経験しているでしょう。
これが能力があるのに、前頭葉がその能力を発揮させる状況を作り損ねた結果なのです。
簡単に言えば「ボーとしていれば」または「上の空なら」実力が発揮できないということです。                                    ハスの実(赤ちゃん)Photo_2

 

 

 

 

 

 

「所の見当識」に絞って具体的に話しましょう。
例えば、よく知っている家へ行くのに到着時刻が大幅に遅れてしまうのです。

「バスターミナルで、飛び乗ったバスが違う行き先で、終点で降りて、又引き返して、そうしたらバスがなかなか来なくて遅れた」などと説明はしてくれるのですが、よく聞くとおかしいことがいくつか隠されています。

①だいたい、お年寄が「飛び乗る」ことがちょっと変でしょう。(危ないから)

②飛び乗るにしても、乗る前に誰かに行き先を尋ねるものではないでしょうか?

③もし飛び乗ってしまったら、落ち着いてからでも行き先を確かめるものでしょう。

④本当の目的地が終点の場合は別ですが、なぜ終点まで行ってしまったのでしょうか?

⑤そのバス停はよく使っているわけですから、もともと違う路線のバスも止まるかどうか位は知っているはずです。
複数路線のバスが停まるバス停だったら、確認もせず飛び乗ることそのものがおかしいことになります。
バス停ひとつに路線がひとつなら、慣れているにもかかわらず、バス停の場所そのものを間違えたことになります。

ボーとして間違えた。でもその間違いにも気づかない。そのために傷が深くなってしまった。でも、意識してがんばれば正解にたどり着ける。
まとめれば、小ボケ状態ではこういうことがおきるのです。

ハスの大きさを見てくださいP1000003_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろとおかしい点を列挙しましたが、上のような例は、正常者にもおきることがあります。
問題はその頻度。

小ボケからだんだん脳の老化の加速程度が進むほど、次第に
「また、やったの?!」を繰り返すようになりますから、家族が訪問先の人と電話で事前に連絡をするようになったり、送っていったり、迎えに来てもらったりするようになります。

中ボケの中を過ぎると「必ず失敗がある」と家族が認識するために、一人で電車やバスに乗るような外出はさせないようになります。

高齢者が外出するときに、付き添いがつくことは珍しくありませんが、「体」が心配な場合と「脳」が心配な場合があることに気づいてください。


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