脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

5月の右脳訓練ーなんといっても伊豆高原アートフェスティバル

2017年05月31日 | 私の右脳ライフ

5月は忙しいままに、といっても楽しいイベント続きでしたけど、もう終わってしまいます。アートフェスティバルのまとめをしておきましょう。
一番に伺ったのは友人のギャラリーIn the Garden。鍛金家の仲村渉先生作のこの看板も初デビュー。下の小さな鳥が愛らしい!

作者もまた友人の山下好子さん。すばらしい作品と5月の庭でいただくハーブティー。この1か月間で庭の景色が変わりました。初日のテーブルを飾ったのは夏ロウバイ(カリカンサス ハートレッジワイン)でした。初対面(笑)

今年のお楽しみ。ヒロ画廊 伊豆高原。塀に乗っている少年、これすらアート(笑)

イタリアの女性作家ミケーラ・ペドロンさんの作品展です。

ヒロ画廊 伊豆大川にも伺いました。

自画像とミケーラさん

これまた定番。重岡先生。


飯館村のモニュメント制作が佳境に入っていました。何度かアトリエに伺っていますがこの段階を拝見したのは初めてです。

現代美術のバウハウス。作品に対峙して感じるものが大切とよく言われますが、作者の意図を問うてみたいという思いが、なんどか胸をよぎりました。

たまたま、庵主松浦さんとお会いして今年はお休みの妙登庵で平戸焼の逸品を解説付きで拝見する幸運に恵まれました。

今年の遊庵麻の実。お庭に石彫作品がありました。はじめてなのにしっくりとなじんでいるのが不思議な程でした。


車に乗らない友人と一緒に、一日アートフェスティバル巡りを楽しみました。
悠々遊 蒼い国四国。かくしゃくヒントー楽しく生きるとして前回のブログに書きました。

私が行ってみたかったホテル五つ星。4人のガラス作家の競演でした。それぞれの個性の主張があって、又呼応しあってなかなか楽しい時間を過ごすことができました。

南大室窯へ行ったことが無いというので、久しぶりにお邪魔しました。バラエティに富んだ作品を見るのも楽しかったのですが、ギャラリーに迫ってくる大室山を望む景色は、伊豆高原を代表するものだと改めて思いました。

もちろん、独りでじっくりと作品を見ることも良いものです。
でも、皆と一緒におしゃべりを楽しみながら会場を巡ることも、5月のフェスティバルを余計楽しくさせますね。


かくしゃくヒント32-楽しく生きる辻 博さん

2017年05月25日 | かくしゃくヒント

かくしゃくヒントに登場いただく方々には2種類あって、お付き合いをけっこう長くしていて生き方をよく知っている方と、今日お会いして「この方なら!」と私の中で太鼓判を押した方なのですが、今日ご紹介するのは後者。
お会いしていた時間は30分にも満たなかったかもわかりません。
今年の伊豆高原アートフェスティバルに参加されている辻博さん。

お顔の後ろ、長押の上に飾られているのは、もちろん自作の絵。制作方法がユニークで型紙を切って紙に置き、接着剤を塗り、そこに金属片を撒く。後で型紙を外すことにより型紙通りに金属片が残るというような方法らしいです。(私は駐車に手間取っていたため説明の途中から入室させていただきました)辻さんからご連絡いただきましたので追記、訂正します。「これはね、僕が考えて職人さんに作らせたものなのです。内子町で和紙を使った新商品開発を狙って、フランス人デザイナーを招聘してて、というのもフランスでは額縁に箔をおく技法があるからですけどね、その情報を基にして考えて職人さんに作ってもらったんです。だから作ったのは僕ではなく職人さん」はい、わかりました。
とにかく、「自分で工夫して他にないものを表現したい」という意図を持っていらっしゃることはよくわかりました。
「和紙の料紙を作る技法に箔を置いたり砂子を撒いたりしますね」とおはなししたのですが、それとは別に全く独自に考えられたことがわかりました。確かにこの技法はデザインされた型紙をおくのですからね。

「あ、一村」というと「よくわかりましたね。奄美に行った記念。でも僕の奄美」
大室山とさくらの里も、箔を置くとこんなモダンな仕上がりになります。モダンな琳派!

他にも何枚も水彩画が飾られていました。その中でも、この題がすてきで、見つけた友人は大喜び。

「Shall we dance」
「ススキじゃだめで、どうしてもシャル・ウィ・ダンスじゃないといけないんです」題の一ひねりまでもが作品ということですよね。

これは「大室山の山焼き」ですが、この独自性に満足なさってるのでしょうね、題には特別のひねりはなかったような気がします。

独自性といえば、門柱に掲げられていたアートフェスティバルの旗。
会場を示す看板は決められていて、みなさんNo.の所だけ変えてあとは共通したものが配布されます。
本当に道を知らせるための看板を手づくりしている会場は、見たことがありますが、この旗はそれとはちょっと違いますね。あくまで自分らしくアートフェスティバルに参加する姿勢の表れのような気がしました。そしてもうひとつの底流は、多分「楽しくなくっちゃあ。自分らしく楽しみたい」ということだったのではないでしょうか。

定年を迎えてのち伊豆高原で住まれている方はたくさんいらっしゃるようです。辻さんも2年半前までは、香川県高松市に住んでいらっしゃったそうです。

「最初にアートフェスティバルに出会ったときに、ここで住むのだからこれで人間関係を作ろうと思った。あんまりべたべたしてないで、でも仲良くできる距離で」うなずきながらお話を聞いています。心の中では「齢をとるほど、密な人間関係が欲しくなる傾向もあるのだけど」とか思っていました。
「ところが、こうして家を開けてお迎えすると、結構たくさんの方がいらっしゃってくれるんですよね。そして『何が専門ですか?』とか聞かれるんですけど…」「答えは何かしら」と耳をそばだてる私に飛び込んできた言葉は
「『え?(絵と掛詞)』って答えるんですよ」思わずお顔を見てしまいました。

その後も、ユーモア満載のお話が次々と。まじめなお顔をして(お仕事をなさっていた時にはきっとこのようなお顔だったんでしょうね)出てくる言葉や事件の面白いこと。みんなで大笑いです。今でも高松時代の友人たちとの交遊は続けていらっしゃるとのことでした。

 独自性の追求と、ユーモアとか対人親和性とかは結構相反する働きのように思います。両方持っていらっしゃる辻さんは、それだけでかくしゃく候補生です。絵はお好きだったそうですが、本格的に始められたのは定年後。積極的な考え方もすばらしいです。

奥さまが高松で収集なさった讃岐漆器も紹介されていました。

私は讃岐漆器のことは全く知りませんでした。
「讃岐高松藩は松平家ですから」と奥さまが解説してくださいました。「彫漆(ちょうしつ)、蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、象谷塗、後藤塗と5種類あって、後藤塗りは本当に日常使いするものです。確かに高価ですけども長く使えることを考えると安いものとも言えますね」とやさしく穏やかに解説して下さる雰囲気は、やはり確立された生き方を感じました。この讃岐漆器の製法は、その五つ全てが国の伝統工芸品の指定を受けているものだということも教えてくださいました。
コマ塗のお皿に讃岐名産和三盆が。もちろんおふるまいしてくださいました。横のぐい飲みは薄い薄い仕上がりで感覚的には10gという感じです。うす張りのガラス器くらいの薄さでした。

「主人が気に入って、毎晩これで晩酌を楽しんでいます」何だかそのシーンが目に見えるようです。
塗りのお重箱に入っていた手作りお料理の数々には思わず笑みがこぼれます。

こんなに見事なきんま塗りの作品も見せていただきました。

センスの良い生き方はもちろん脳の健康にはとてもいいものです。センス良く生きるためには右脳の感性と前頭葉の連携プレイが必須ですから。
人と仲良く楽しく過ごす時間は、センス良い暮らしとは無関係のようですが、脳機能から言うとやはり右脳(言語外のコミュニケーションのすべて。表情・身振り・声の調子などの表出も受け取り)の出番なのです。交遊は右脳と前頭葉の連携プレイです。
同時通訳-コミュニケーションには右脳が必要です
両方兼ね備えている方にはなかなかお目にかかることがありません。
辻様
これからも、伊豆高原の生活を満喫なさって下さいね。
「言われなくても、そのつもり!」って聞こえました。

 

 




友人が書いた本式のLiving Will

2017年05月25日 | エイジングライフ研究所から

前のブログ「宣誓記述書ーターミナルの迎え方」を読んでくれた友人のM子さんから、「私のも読んで」と届いたLiving Will。
 
一読して、「これなら完璧!言いたいことも細かくいえてるし、周りの人たちへの配慮も十分だし。すごいな」と思いました。参考になさりたい人もいるかもしれませんので、友人の許可をもらって掲載します。
参考になりますよ。前文と、最後に署名がありましたが省略しています。

「私が高齢となったり、病状が悪化して自分の意思で伝えられなくなった状態になった時、自分の身の回りのことができなくなったときには以下のようにしてくださることをお願いします。

私が自分の力で水も飲めず食べ物も食べられなくなったら無理に飲ませたり、食べさせたり、点滴や栄養補給をしないでください。ましてや鼻管を入れたり、胃瘻は絶対にしないでください。

自分の力で呼吸ができなくなっても人工呼吸器をつけないでください。万一人工呼吸器がつけられれている場合でも、一旦、電源を切っていただき、私の自発呼吸が戻らなかったら、人工呼吸器を取り外してください。
少々の意識があっても、場所や日時をはっきり言うことができなければ、同じように扱って下さい。
そのような状態になれば一切の治療行為をやめてください。

私の痛みなどの苦しく見える状態を緩和していただける治療をしてくださるなら、喜んでお受けします。
ただし延命のための昇圧薬や脳圧低下薬などの治療はやめてくださるようお願いします。

私の命を長らえるために努力をしてくださっているお医者様。看護師様、医療・介護スタッフの方達には心から感謝しています。努力をしてくださっている方達には大変申し訳ありません。どうか私の意思を尊重してくださいませ。

私はこの終末期の医療・ケアについて、私の意思表明書を意識も声明で、書いている内容を十分理解している状態で書いています。どうか私の意思を尊重していただけることをお願い致します」

誇れる友人を持ったものだと思います。

暖かくなったころ「二人で女子会しましょ」とウッドデッキでのランチ会に呼んでくれました。家の隅々にまでM子さんの感性が行き届き、いつお邪魔しても居心地がいいのです。
この時も「パラソル見てね」といわれました。確かに赤と緑のパラソルは気持ちがパッと明るくなりました!
パラソルをほめながら、あの時もこんなことを話しました。私たちにとってこのテーマはけっこう日常茶飯事です。
「如何に死ぬか」ではなく「如何に生きるか」
「満足して生きていった先に、別れがある」
「楽しく生きなくっちゃあね」



ごちそうさまでした!

M子さん丹精の今年のバラたちを付録に。


5月の右脳訓練ー茶の湯展&茶碗の中の宇宙展

2017年05月19日 | 私の右脳ライフ

一番長く続けた趣味は茶道です。風炉になると、体が小さいので膝立ちしてお点前をしていたことを思い出します。

私は茶道を4人の先生に教えていただきました。子ども時代、九州でお二人から表千家を。東京の学生時代からは裏千家でしたが、磐田に住むようになって結構まじめに取り組みました。今回この展覧会を回りながら、先生方がおけいこの時にいろいろ教えてくださった言葉やその場面がびっくりするほど蘇ってきました。天気の良い日で上野の東京国立博物館についたときには、そんなことになるとは全く予想もしていませんでした。

館内は写真禁止です。すこし混んでいるコーナーもありましたが、評判の割にゆったりを見ることができました。

今回の「茶の湯」展は茶道の歴史をひも解いてくれます。足利将軍家の茶から、珠光・紹鴎の侘茶の誕生、利久による侘茶の完成、織部、有楽、小堀遠州、松平不昧公の時代、そして近代数寄者たちとコーナーに分かれています。それぞれの確立された美意識が一目瞭然。ひとことに日本美といっても幅広いものです。
「おけいこですからね」と先生がおっしゃりながら、茶室の問答をしたのですが、それがいかに恐れ多いことかと改めてよくよくわかりました。
「お茶碗は」「曜変天目でございます」
「お窯もとは」「建窯でございます」ありえな~い(笑)
ありえませんが、口にすることで身近になった点は間違いありません。先生方に感謝しました。

茶入れ(窯や銘、伝来)、薄茶器。茶碗(窯、銘、歴史、作人など)、茶杓(作人、銘)その他の工芸品たち、掛物。茶道がいかに総合芸術か改めて感じ入りました。ここにはお茶事には不可欠な懐石料理や花はありませんが、それでも膨大な美術品の品々です。
山上宗二とか雲州蔵帳とか、左脳的な知識も「そういえば、あったあった。読んだことがある」と、観賞を手助けしてくれます。
休館中なので入ったことがない表慶館(日本初の美術館)

私は長く茶道をやってきました。考えてみれば、そのおかげで目的をもって美術館に足を運ぶことも多かったと思います。茶道は総合芸術ですから、茶道という入口を持っただけで多くの日本美術に関心を持つことができたと思います。
今回展示されているものにも、何度目かというものがありました。それひとつが展覧会の目玉になりそうなものがたくさんありましたねえ。人生は体験です。
勉強したことではなく、体験したことだけが前頭葉に刻み込まれるのです。知識としては消えていっても体験したことは、痕跡になっても残るものですね。そして別のシーンで蘇る…
茶の湯の美術品を観賞するつもりでしたが、懐かしいそのときどきの思い出が湧き上がってくる不思議な体験をしました。
東博に行ったときには国宝室だけは必ず行ってみます。

浅草寺の法華経でした。書はよくわかりませんが端正な見事なものでした。とても、とても平安時代とは思えません。
中央階段を下りて、国立近代美術館へのシャトルバス乗り場へ。

バスで35分、途中神田祭に出会いました。竹橋の国立近代美術館。

ここでは、「茶碗の中の宇宙」展。茶道と切っても切れない関係の楽家初代から当代、次代16代までの作品がすべてそろっています。
「これだけの展覧会はもうできないだろう」という当代楽吉右衛門さんの言葉がありました。
 
展覧会の時のイヤフォーンガイド。今回ほど役立ったことはありません。
楽家初代長次郎と利久とのやり取り、作風の変遷。私の知っている長次郎はかなり後になっての作だと知りました。
一代ずつの当主が、伝統を踏まえつつ自分をいかに表現していくかの戦い。右脳と前頭葉がどれほど努力したか。息詰まるような思いで見て回りました。
京都の楽美術館にも行ったことがありますが、今回の展覧会は各代の特徴を総括する意図がありましたから、迫力が違いました。
15代楽吉左衛門作のお茶碗はたくさん展示されていました。「何か」から自由でありたいという思いを感じるものだったリ、哲学的だったり、宇宙に思いが届くものだったリ、どこかヨーロッパを感じるものだったリ、プリミティブな作品とのコラボまでも。そして最近の作風として「石の茶碗」として原点回帰していました。
これは人工的な球、伊豆にいると、ついポットホールの球を思い浮かべてしまいます。

伝統の中で個を表現する難しさに触れた気がしました。
常設展にも足を運んだら、長次郎と当代の茶碗が並べて展示されていました。400年の時を超えて同じように「いつでも使ってください」と存在していることにちょっとクラクラしました。


世界アルツハイマー大会

2017年05月17日 | エイジングライフ研究所から

ベネチアの仮面舞踏会に行ったことはありませんが、それぞれが仮面や衣装でいろいろな姿になって町中を練り歩くと聞いています。
仮面の下はみんな人間ということは、明白な真実とみんなが承知しています。
この下の写真は講演で使います。注目してください。仮面をとったら「アライグマ」ではなく「ネコ」が混じってますよ!

閑話休題
4月末に、京都で国際アルツハイマー大会が開催されたというニュースをききました。ちょっと気が重くなっています。
何度かこのブログでも書きましたが、もちろん認知症にはいくつかの種類があります。
まだ痴呆という言葉だった時代のことです。日本は国際的に見てたった一国、脳血管性痴呆が突出していると言われていました。その頃脳血管性痴呆の占める割合はなんと70パーセントだったのです。
だんだん、その割合が減ってきて、今では30パーセントくらいと言われることが多いでしょう。
エビネ

なぜ日本が突出していたか、お話します。
ボケ症状が出ている人で、脳卒中を起こしたことがある人の場合は疑問もなく「脳血管性痴呆」とカウントしていました。
実はこれは間違いなのです。真の血管性認知症は、脳卒中の後遺症そのものが認知症の症状でなくてはいけません。後遺症そのものが認知症といえる激しい記銘力障害と見当識障害を起こすタイプの脳卒中は非常に稀です。
脳卒中を起こして、起こした方の片側にダメージを受けたとします。それは半身不随のような重いダメージであったとしても、後遺症であって、脳全体の機能低下が条件の認知症の定義から外れます。
ただし、左脳や右脳に、繰り返し卒中を起こせば後遺症が脳全般に及ぶことになって、それは認知症と言わざるを得ませんね。それでも数%どまりでしょう。

血管性認知症といわれるものの大部分は、脳卒中後にその後遺症に負けて「趣味も生きがいも交遊もなく、運動もしない」ナイナイ尽くしの生活を続けるうちに、脳卒中を起こしていない方の脳機能まで機能低下が起きて、その結果脳機能全般の機能低下をきたしてしまったものなのです。これはアルツハイマー型認知症そのものです。
専門医の方が「血管性認知症は、卒中から半年くらいたってから症状が起きてくることが多いのです」といわれていることを聞いたこともあります。
日本は民度が高いというか、文化レベルが高いというか脳卒中の既往を見逃すはずがありません。そのために脳血管性痴呆のの割合が突出してしまったということなのです。
一碧湖の丁子草群性

テレビなどでセンセーショナルに取り上げられる「手術で治る認知症」とは、頭を打った後にじわじわと血液がたまって脳機能が落ちている状態の「慢性硬膜下血腫」と脳の中の脳脊髄液が循環不全をおこし、その脳脊髄液が脳を抑えて機能低下を起こした「正常圧水頭症」です。この二つは確かに劇的に改善します。
ただし、このタイプは脳血管認知症よりもさらに少ないし、何よりあまりにも急(たかだか数ヶ月)に起きてくるという特徴があります。
丁子草

それよりももっと珍しいタイプが、遺伝子異常によるアルツハイマー病。これは遺伝子異常を持って生まれてくるので、若い年齢で発病し進行もとても早く、また治療もありません。1-2パーセントしかないと思われます。
以上はひとくくりにして「認知症」ということにしても、何の問題もありません。
白花タツナミソウ

しかし、「世界アルツハイマー大会」で「認知症」とされている中ではっきりと区別すべきタイプがあります。このタイプは「認知症」ではないからです。記銘力障害があって、とても似ているけれども別物「側頭葉性健忘症」です。
あたかも仮面をとったら「アライグマ」ではなく「ネコ」みたいに!

私が問題にしたい発表者の方々の紹介ページです。生き生きと社会に向けて改善情報を発信し続けてる「認知症」の方々。
http://www.adi2017.org/ja/plenary-speakers/%E5%85%A5%E9%96%80%E8%80%85
2004年の大会で、54歳の認知症者の方が「認知症者本人の思いを語った」ことが、国内だけでなく世界を変えたことになっています。
は46歳の時に「認知症」と診断され、その後「私は誰になっていくのーアルツハイマー病者から見た世界」を上梓し、この流れも「認知症者自らの発言」が可能であるという大きな誤解を世界に蔓延させてしまいました。

詳しくは以前ブログに書きました。認知症の人が心情を告白する?-映画「アリスのままで」やテレビ特集番組への疑問
認知症
の介護をした人たちは「考えられない。全然違う」と声を揃えます。
「若年性アルツハイマー病』と診断され、その実「側頭葉性健忘症」の方の講演会に行ったときに会場に流れた「このどこが認知症なの?」という怪訝な雰囲気が忘れられません。「若年性アルツハイマー病?」
キツネノボタン

ぜこんなことが起きるのか、本当に不思議でした。ちょっと考えてみて分かったのは
1.専門家は重度の認知症の方を見ることがほとんど。
そのときに訴えられる症状は、ひどい見当識障害(今何時か、ここはどこか、目の前の人場合によっては本人までも理解できていない)。ご飯を食べてないと訴えたり、物とられ妄想など記銘力障害もひどいものです。もちろん表情もないし(重度の認知症者の家族からは「よく目が死んでる」といわれます)動作も機敏ではありません。
2.認知症の診断基準では記銘力障害は必須症状。
3.眼前の患者さんは、記銘力障害ははっきりある。
例えば、初対面の挨拶を済ませて直後に退室、すぐに戻ってきたらまた初対面の挨拶をする。何度も同じことを確認する。自分の作品を(作ったことを忘れて)絶賛する。本当に理解した反応をするのに、すっかりそのことを忘れてしまう。
記銘力障害はあるのに、表情といい態度といい全く正常。気配りはできるし、恥じらいはあるし、困惑している様子が強く伝わる。動作は機敏、発想は豊か。おしゃれも自らする。生活の中での種々の工夫もみられる。
ホメリア

専門家はこう考えたのでしょう。
「いつも診ている重度の認知症の人たちとは全く違うけれど、認知症の必須条件である記憶障害ははっきりある。これこそが認知症の初期に違いない。アルツハイマー型認知症(の初期)」
年若い人の場合は「若年性認知症」と診断名が出ます。
繰り返しますが、これは間違いです。
「アルツハイマー型認知症」の初期は、記銘力障害に先だって、意欲がない、テキパキできない、発想が湧かない、言われなくては何もしない、いつもボーとし居眠りをしたりする、などの症状が必ず見られます。
言い換えれば先にあげた「表情といい態度といい全く正常。気配りはできるし、恥じらいはあるし、困惑している様子が強く伝わる。動作は機敏、発想は豊か。おしゃれも自らする。生活の中での種々の工夫もみられる」というようなことは全くできなくなっています。
そのとき、家族は「徘徊や暴力などのレベルの認知症ではないけれど、ボケ始めたのではないか?」とちらっと心配しながら「おじいさんじゃないみたい」「おばあさんはこんな風ではなかった」などと訴えることになります。
姫ウツギ

これは正しく認知症の始まりです。エイジングライフ研究所が言う「小ボケ」。3年たつと「中ボケ」になり、6年たつころに「大ボケ」つまり世の中で言われるような認知症のレベルに到達するのです。
「アルツハイマー型認知症」の初期と「側頭葉性健忘症」を見分ける方法はあります。しかも簡単な方法です。
「脳機能から理解する」特に前頭葉機能から理解することです。
「アルツハイマー型認知症」は初期から、前頭葉機能がうまく働いていません。それに続いて記銘力障害が起きてくるのです。
「側頭葉性健忘症」は前頭葉機能はきちんと働いています。記銘力障害はありますが。
こんなに簡単なことですが…
そして介護の経験がある人には自明のことなのですが…
世界中の誤解をどう解けばいいのでしょうか!



宣誓記述書ーターミナルの迎え方

2017年05月16日 | エイジングライフ研究所から
大学時代の友人K子さんが、アートフェスティバルを楽しみに来てくれました。もう半世紀ものつきあいの大切な友人。友人というより姉妹のような間柄です。朝食後のテーブルであれこれと話に花が咲いていました。
終末期医療の話になりました。
「私たちって、ごく普通にこのテーマについて話すけど、世の中はまだタブーみたいね。『できるだけのことをしてあげたい。なるべく長く生きさせてあげたい』という公式発言は聞くことができるけど…」と私が言いました。K子さんが
「そうね。だからこそ、ちゃんと書いておかなくっちゃあ」

彼女は、ご両親それからミスターも見送っていますから、言葉に重みがあります。
「最期が近くなってきたときに、家族が『積極的な治療はもういりません。疼痛コントロールだけはお願いします』ということは大変なことなのよ。『何でもしてください』とドクターにすがる方がどれほど楽なことか。家族にそう言ってもらうには、本人の希望をきちんと伝えておかなくては無理だと思う。母がちゃんと尊厳死協会に入っていてくれたのは感謝だったわ。ところでもうやってるでしょ?」

「メールしてた時に思いついて、子どもたちに希望を書いたのね。そうしたら『委細承知。話し合って善処します』の返信をもらった」というと
「直筆でないとだめなのよ。今書いたら?」といわれました。長い付き合いの間、わたしに対するK子さんのアドバイスは、的を得ていることばかりですのでずっと受け入れることにしてきました。
「そうね。じゃあ書くわ」そうしたら、夫も「その後で書くから」。
この際さっさと済ませなくっちゃあと書いたのがこの下のメモ書きです。文字通りメモ用紙に下書きもせず書きました(笑)

「じゃあ、忠男さんも」というK子さんの促しに私の夫も書きました。

右脳優位の私、漢字が少なくかんたん。左脳優位の夫、漢字がたくさんで難しそう。「読む人を困らせないように、何をしてもらいたいかをはっきりさせるとこうなる」そうです。
「ふーん。こんなふうに書くといいのか」と、私はまた一つ勉強しました。今読み直して「回復が見込めない時」とか「終末期」とか書いてないなあと思いましたが、ひとまず子どもたちを悩ませることはないだろうと一安心しました。
「自筆、日付があれば有効よ」とK子さんも言ってくれました。
今日の写真は母の日プレゼントで届いた虹色カーネーション(まだオランダでしか栽培できない種類ですって)ですが、私からもスペシャルプレゼントを子供たちに用意してやることができました。
ターミナル期(回復見込みがなくなって臨終までの期間)にいわゆるスパゲッティ症候群といわれるような濃密医療を受けると、1週間程度で600万円から800万円かかるといわれます。入室制限があり手も握れないような治療を受けて。
「もし自費なら」と考えてみてください。それでも生きたいと本人が願い、家族も同意し、経費の用意も十分にできているなら、それは個人の自由です。私なら不要。
現実には保険が支払います。
ある町の保健師さんが「先日母が亡くなったのですが、レセプトを見ると800万円でした。役場の誰も何も言いませんが、私は町のために申し訳ないことをしたと思いました。1週間臨終が延びましたが、言葉を交わすでもなく、手足をさすってあげるでもなく、ただ死ななかっただけなのに、800万円」この哀切な言葉は忘れられません。

「『一か月後に死亡していたら、保険請求ができない』というシステムができれば、日本中からターミナル期の濃密医療はあっという間に消えていく」という言葉は、手広く病院や施設を経営していらっしゃる方から、20年くらい前にじかに聞きました。

追記
本文がパソコン作成されたものでも、日付署名が自筆であればいいそうです。
同級生が教えてくれました。
リビングウイルと事前指示書 
「変更があったのかも」とK子さんからも返事がありました。

認知症予防講演会 at 魁心書法院

2017年05月13日 | 認知症予防講演会

高校生に認知症予防の話をしました。

戸畑高校同期の幕田さんは書家です。大学卒業時からどの結社にも属さず、孤高の道を修行まい進してきた幕田さんは、自由・奔放な独自の書法を確立しています。外国での評価も高く、昨秋にはフランス政府から勲章を授与されるほどの実績があります。
魁心書法院の総会での講演会を頼まれました。エイジングライフ研究所の講演は、二段階方式による認知症予防をする市町村に限られているのですけれど、同期生からの依頼とあれば…
初めての東京湾アクアラインで君津市へ。

千葉は広々してますねえ。幕田さんの作品巡りをしてくれました。
かずさアカデミアホールは近代的なコンベンションホールですが、そこのホールに大作が展示されていました。

「千字文」
一字の重複もなく、四字一句250句からなっている、文字を記憶するテキスト、習字のテキストだそうです。中国6世紀前半に完成し、日本には聖武帝以前に渡って来ていた記録があるとか。色がついた色紙は紅葉を象徴しているのだそうですが、こういうところにも幕田さんの自由で斬新なセンスが感じられました。
幕田さんは「月の砂漠」や「証城寺の狸囃子」など童謡の歌詞を作品化しています。それらの童謡の生まれた地がここ千葉県。
証城寺は君津市にありました。証城寺鐘楼。

本堂に展示されている、幕田さんの作品。

だから「君津駅前のモニュメント」にはタヌキのきぬ太君が。きぬ太君は「たまには逆立ちの視点で世の中を見たら?」という意味があるそうで、ちなみに全国公募で決められたキャラクターです。

この彫りはすばらしいものだという解説がありました。このようなかすれは、石彫りでは普通は表現できないものですって。

かすれの解説もしてくれました。
湧き上がってきたイメージを表現するには、筆の特徴をよく知ったうえで、筆を駆使して書く。結果、こういうかすれは、必要なときには必然的に生まれるものだそうです。「弘法は筆を選ぶ」ということですね。
アトリエに無造作に置かれた筆に圧倒されました。

「認知症は防げる・治せる」というテーマの講演会は、魁心書法院の皆さんだけでなく一般の方々にもオープンでしたから、結構たくさん集まられましたが、問題がありました。書法院の会員の中には学校の先生がいらっしゃるので、その教え子の高校生が30人。
高齢者中心の一般の方々と高校生。
「ウーン。どうしましょう…」
講演のパワーポイントを用意するときに、テーマが認知症予防でも、どうしても高校生に「自分にも関係していると思ってもらえる話をしてあげたい」と思ったのです。

二段階方式とは「脳機能から認知症を理解する」ことですから、脳機能の話を少し多めに構成してみました。
それは前頭葉の話です。

「こんな人はいませんか?」「どういう生き方をしたいですか」

「その差は、それぞれの前頭葉が決めるのです」
「前頭葉は体験し、評価し、納得していく過程を経てはじめて自分のものになります」
「前頭葉こそ、その人そのもの。十人十色のその色の差を生むものです」
「脳のもっとも高次の機能であり、脳の司令塔ともいうべきものです」
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礼儀正しく、素直な高校生たちは、真剣に聞いてくれました。認知症予防はここから始まります。




ハルシオンとヒメジョオン

2017年05月11日 | 正常から認知症への移り変わり
散歩をしているとよく似た花が咲いています。
ハルシオン?ヒメジョオン?
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気になってネットで検索したら、いろいろ細かく書いてありましたが
「これさえ知っておけば、違いがわかる」ことが判明しました。
   ・ハルシオンは茎が空洞。葉が茎を抱くようにつく。つぼみが下向き。
   ・ヒメジョオンは茎の髄が詰まっている。葉は基部だけで茎につく。
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簡単ですね。
ただこれではあくまでも、左脳主体の知識として知っているというだけの状態にしかすぎません。
生活していくうえで、役に立たせるには、実際にその知識を使ってみることが必要です。実体験にまさるものはありません。
その過程で、成功しても失敗しても前頭葉が初めて納得できるのです。
そうすると、それから後はその知識が、ただ知っているというだけではなく実際に役立ち始める・・・
認知症でも同じことです。
知識として知るだけでなく、実態に当てはめて納得できるかどうか。
その手間というか実践が必要です。
認知症に関して言えば
    ・高齢者が
    ・何らかのきっかけから、何もしない生活に入って
    ・だんだん生活上にトラブルが出てくる
    ・通常言われる認知症の症状を出すまでには数年かかる。

当てはめてみてください。本当にこのタイプの認知症がほとんどです。
アルツハイマー型認知症とかアルツハイマー病(晩発型)といわれるものですが、生活習慣病そのものです。
「アルツハイマー型認知症 発症のメカニズム」にも目を通してください。
今日の散歩で道端のハルシオン?ヒメジョオン?と思われる草をちょっともらって観察しました。納得できました!簡単でした。
ハルシオン(春紫苑)                
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茎が空洞
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葉のつき方は茎を包む 
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ヒメジョオン(姫女苑)
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茎が詰まっている
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葉の付き方は基部
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(以下は続編です)
ビギナーズラックってあるんですね。ハルシオンとヒメジョオンのことです。
ハルシオンとヒメジョオンの差を表にしておきました。
Photo
ネットで検索して、近所でハルシオンとヒメジョオンを採集してみたら、いわれたとおりだったので「区別は簡単!」と気楽に構え、ブログにもそう書きました。
な、なんと。散歩の途中でちょっと摘んでみるとこんなことが!
つぼみ 垂れてます                 
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葉のつき方 基部が巻いてます
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それならば、ハルシオン。だとすると茎は空洞のはず・・・ところが
茎のアップ しっかりと詰まってます!
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困った時のネット検索。
ハルシオンとヒメジョオンは、近接種なので交雑が起こりやすいのだそうです。
それで、中途半端なものはいくらでも見られるとのこと。
安心しました。
その後はこの逆がないかと、ときどき採集していますが、今日アップしたタイプしか発見できていません(笑)
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認知症は、このように交雑はしませんが、知っておいた方がいいこともあります。高齢者が、例えば脳卒中で半身に大きな後遺症を残したとします。たとえ車イスになったとしてもそれは認知症ではありません。脳全体が機能低下を起こしてないからです。
その後の生活が、何もしない「ナイナイ尽くしの単調な生活」に入っていくと、半年もすると、全体的に元気がなくなりそのうちに認知症らしい言動が起きてきます。そして次第に重症化していき「脳卒中を起こしたからボケても仕方がない」とか「血管性認知症になった」などといいます。
心臓発作でも、骨折でも、記憶障害でも、そのことをきっかけに自信を失い安静にし過ぎてしまって、脳の老化が加速されて認知症になってしまったにすぎないタイプがたくさんあります。
「困った症状が起きてきた」という観点からだけ見ていると、認知症の正体を見間違えることにつながります。
逆に、病気やけが、もちろん後遺症が残ってもそのことに負けないで、その人らしくイキイキと生き続ける人たちがいます。その人たちは認知症とは無縁ですよね。
脳機能という視点を持つと、今起きている症状が 、何に起因するのかはっきりします。そして、もともとの病気やけがのための症状なら、それは治すことはできません。ところが、その後のナイナイ尽くしの生活のために引き起こされた症状なら、使える脳機能をしっかり使うことで改善することは可能なのです。

ハルシオンとヒメジョオン

2017年05月11日 | 正常から認知症への移り変わり

散歩をしているとよく似た花が咲いています。
ハルシオン?ヒメジョオン?

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気になってネットで検索したら、いろいろ細かく書いてありましたが
「これさえ知っておけば、違いがわかる」ことが判明しました。
   ・ハルシオンは茎が空洞。葉が茎を抱くようにつく。つぼみが下向き。

   ・ヒメジョオンは茎の髄が詰まっている。葉は基部だけで茎につく。
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簡単ですね。

ただこれではあくまでも、左脳主体の知識として知っているというだけの状態にしかすぎません。
生活していくうえで、役に立たせるには、実際にその知識を使ってみることが必要です。実体験にまさるものはありません。
その過程で、成功しても失敗しても前頭葉が初めて納得できるのです。
そうすると、それから後はその知識が、ただ知っているというだけではなく実際に役立ち始める・・・

認知症でも同じことです。
知識として知るだけでなく、実態に当てはめて納得できるかどうか。
その手間というか実践が必要です。

認知症に関して言えば

    ・高齢者が
    ・何らかのきっかけから、何もしない生活に入って
    ・だんだん生活上にトラブルが出てくる
    ・通常言われる認知症の症状を出すまでには数年かかる。

当てはめてみてください。本当にこのタイプの認知症がほとんどです。
アルツハイマー型認知症とかアルツハイマー病(晩発型)といわれるものですが、生活習慣病そのものです。
「アルツハイマー型認知症 発症のメカニズム」にも目を通してください。

今日の散歩で道端のハルシオン?ヒメジョオン?と思われる草をちょっともらって観察しました。納得できました!簡単でした。
ハルシオン(春紫苑)                
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茎が空洞

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葉のつき方は茎を包む 

2012_0525_173700p1000039

ヒメジョオン(姫女苑)

2012_0525_173900p1000042

茎が詰まっている

2012_0525_173800p1000040
葉の付き方は基部だけ                             2012_0525_173800p1000041

(以下は続編です)

ビギナーズラックってあるんですね。ハルシオンとヒメジョオンのことです。
ハルシオンとヒメジョオンの差を表にしておきました。

Photo

ネットで検索して、近所でハルシオンとヒメジョオンを採集してみたら、いわれたとおりだったので「区別は簡単!」と気楽に構え、ブログにもそう書きました。
な、なんと。散歩の途中でちょっと摘んでみるとこんなことが!

つぼみ 垂れてます                 葉のつき方 基部が巻いてます
2012_0613_210300p10000022012_0613_210400p1000003_2

それならば、ハルシオン。だとすると茎は空洞のはず・・・ところが
茎のアップ しっかりと詰まってます!

2012_0613_210700p1000004
困った時のネット検索。

ハルシオンとヒメジョオンは、近接種なので交雑が起こりやすいのだそうです。
それで、中途半端なものはいくらでも見られるとのこと。

安心しました。
その後はこの逆がないかと、ときどき採集していますが、今日アップしたタイプしか発見できていません(笑)
2012_0611_152100p1000061 

認知症は、このように交雑はしませんが、知っておいた方がいいこともあります。高齢者が、例えば脳卒中で半身に大きな後遺症を残したとします。たとえ車イスになったとしてもそれは認知症ではありません。脳全体が機能低下を起こしてないからです。

その後の生活が、何もしない「ナイナイ尽くしの単調な生活」に入っていくと、半年もすると、全体的に元気がなくなりそのうちに認知症らしい言動が起きてきます。そして次第に重症化していき「脳卒中を起こしたからボケても仕方がない」とか「血管性認知症になった」などといいます。

心臓発作でも、骨折でも、記憶障害でも、そのことをきっかけに自信を失い安静にし過ぎてしまって、脳の老化が加速されて認知症になってしまったにすぎないタイプがたくさんあります。
「困った症状が起きてきた」という観点からだけ見ていると、認知症の正体を見間違えることにつながります。 
逆に、病気やけが、もちろん後遺症が残ってもそのことに負けないで、その人らしくイキイキと生き続ける人たちがいます。その人たちは認知症とは無縁ですよね。

脳機能という視点を持つと、今起きている症状が 、何に起因するのかはっきりします。そして、もともとの病気やけがのための症状なら、それは治すことはできません。ところが、その後のナイナイ尽くしの生活のために引き起こされた症状なら、使える脳機能をしっかり使うことで改善することは可能なのです。


ヒロ画廊伊豆大川 ギャラリー

2017年05月06日 | 私の右脳ライフ

今年の伊豆高原アートフェスティバルで、隠された(多分。会場が伊豆高原の隣 伊豆大川にありますから)宝物を発見しました!
ヒロ画廊伊豆大川 ギャラリー

オープニングイベントとして開催中の「ミケーラ ぺドロン展」に行ってきました。

「美術手帳 」の展覧会レビューを藤井万博さんのフェイスブックページで読みました。さすがにとてもよく解説されていますので、ぜひ目を通していただきたいのです。
と言いながらもう一言。レビューを読んだ時に理解した(ような気になった)ことと、実際に作品に触れ、そのうえ作者の作品制作へ至る思いを解説されて作品を見た今では、私の脳の中では大きな変化が起きました。
左脳のレベルで理解して知識を得ることはできますが、前頭葉を感動させる近道は、実体験に勝るものはありません。まして絵画、造形…右脳の出番です。

いつも、というわけにはいかないでしょうが、作者の制作意図を館主藤井万博さんが通訳してくださるという僥倖。海に開けた広々と爽やかなギャラリーの様子も見てくださいね。
目を転ずると、実は大川河畔。文字通り絵のようでした。

展覧会のテーマは「そのものの持つ二元性の追求。現代社会への警告、提言」と言えばいいのでしょうか。
自画像の前の作者ミケーラ ぺドロンさん。物静かな穏やかな控えめな雰囲気の漂うイタリアの方です。脳の中は、滾るような思いが渦巻いているのでしょけど。

出産を機に制作された蝶の連作。出産と変容、飛翔は確かにつながるものです。

最初に受けた作品解説。
「 豚は本来は清潔好きな生きものであるのはペットで飼われていることからもわかるけど、世の中でもたれているイメージは汚いとか臭いとか。もう一度その豚の持っている本質に目を向けてほしい」

藤井さんの補足ですが「それを表現するときのアプローチや手段、技法。それについてもテーマと同等に思いをめぐらしてます。楽しさを加味するというスタンスがありますね」

私たちが持っている最後の晩餐のイメージはダヴィンチの作品に強く影響されているけれども、それはダヴィンチのものであり、もしかしたコーラ飲みながらのような軽いものだったかもしれない。使徒の着ているものも、いろいろな色の可能性がある」3パターンの晩餐シーンがありましたがキリストだけは一貫して緑色。これは奇跡の数々の根源は「キリストが宇宙人だったかも!」という発想からですって。
別作品のキリストも緑色でした。

表現方法が多彩です。

彫像は白というイメージから離れてみる。男女という区切りからも自由になると、LGBTの世界に少し近ずける気になります。
もちろんヒロ画廊伊豆高原の会場と同様、カラスとシカの作品もありました。
照明を受けて、たまたま見えるこの影も、作品の一部かもしれません。というような気持ちになってくるのです。

かわいい作品の前では、楽しい気分になりますね。かわいいだけではないのです。一見同じに見えるウサギですが実はちがう。
「多様性が消えて、みんな同じように見えるけれども、個性がなくなったわけではない、それぞれの違いを見落とさないように生きよう」というテーマが隠されています。

生と死でしょうか。柔らかい質感のドクロとポップなピンク。

現代美術は、作品を見て自分なりに感じ取ればいいのかと思っていましたが、今回の経験で、作者が何を伝えたいのかを知って(左脳)から鑑賞する方がはるかに満足感を得られるものだということが良くわかりました。この文章の最初に書いたことと全く逆の主張になってしまうようですね。もちろん色や形という右脳情報は必須です。両方とも、必要ということです。
私たち夫婦の合言葉どうりです。
「右脳は人生を彩り、楽しむ。左脳は人生を深める」


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