脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

ネット利用の前提にあるもの

2020年09月28日 | エイジングライフ研究所から
散歩の途中で発見しました。大きい方で3センチくらいのまるで作り物のようなかわいいツル性の植物の実。
もう何年も前に友人からもらったことがあります。
「ウーン…なんだっけ…そうだオキナワカラスウリだったような…」まで思い出したところで、困ったときのネット検索(ほんとはウエブというべきですが慣例で)。
「おもちゃのようなカラスウリ」で検索しました。即ヒット。
「オキナワスズメウリ」でした。カラスウリでないところが言いえて妙。
白花のヒガンバナ
学生時代の友人たちとメール交換をしています。まったく不定期に、思いついたことをおしゃべりしたり、困ったことを相談したりの大切な交流です。
先日、FBに紹介された中村桂子先生の対談記事が面白く熱心に読んでしまいました。「生きものとして生きるということ」
『トイビト』という、研究者ともう一度学びたいという大人を結び付ける意図を持ったサイトのインタビュー記事でした。あ、特別学びたいわけではありませんが。
とにかく、内容が面白かったので友人たちにも読ませてあげたいと思ったのです。
ルリマツリ

FBをしているのは私だけですから別の方法を考えなくては。
メールに全部コピーして貼り付けるのは、いくらなんでも長すぎる。
最初に思い付いたのは、全部コピーしてワードに張り付けて、ワードのファイルを作って、メールに添付しようという案でした。
そしてその次。
「なんだ!この記事のアドレスを送ってあげたら、クリックで開けるわけだから。私も簡単だし、そうしよう」
葛の花

さっそく的を得た返信が続きます。「人間だけが『未来』を知ることができる」というテーマに対して、お孫さんやペットのことまで話が広がり、ほんとに一緒におしゃべりしてるような気持です。
一段落したら、続けてK子さんからメールが届きました。以下要約。
「昨日のコラムに美学者の伊藤亜紗という人が『感情を表に出したり、揺さぶって・揺すぶられてしまうことを警戒する若い人たちがたくさんいる』『SNSの炎上や芸術作品の撤去など、尖るのを避けたい、ということかも』『理性を補助する、[理屈ではなく良い・悪い・気持ちよい・嫌い]などを出さなくなると成長も変革もなくなるだろう』と」
ハナニラ

「省略してるからわかりにくいかも」と添えられていたので、そこからまたちょっと頭を巡らせました。
「K子さんは朝日新聞だから、朝日新聞デジタルで読めるはず!」
さっそく開いてみたのですが、後半は有料記事…残念。
でももう少し読んでみると一か月間は無料で体験できるというお知らせを発見しました。もちろん登録して一か月だけの会員になりました。
全文、苦も無く読めました。
後半の「理性を補助する『理屈ではなく良い・悪い・気持ちよい・嫌い』などを出さなくなると成長も変革もなくなるだろう」ということは、まさに左脳(理屈)と右脳(良い・悪い・気持ちよい・嫌い)から説明できることですね。
私たちは認知症を脳機能から理解していきますが、脳機能から説明した方がわかりやすいことが世の中にはたくさんありそうです。
夏の花の寄せ植え

こんなに便利な先端技術の世界ですが、もちろん限界もたくさんあります。
中村桂子先生は、ロボットではなく人間に近づけたアンドロイドに対しては厳しい意見を語っていらっしゃいました。確かに38億年の歴史を持った生きものとしての人間とAI技術で作られるアンドロイドは、そもそも土俵が違っているから比較はできないものです。なのにAIは人間を超えたというような表現がまかり通るのはおかしいと。
はい。同感です。AIが前頭葉を持てるとはとても思えません。
ミゾソバ

フィッシングサイトの危険性については、よく言われています。
私は友人たちへのメールにアドレスを書き込みました。
どこかのサイトに入って読んでいるときにそこに現れるアドレスをクリックすることは、本当に危険らしいですね。ちょっと前までは、名前の通ったところからお知らせメール(例えばパスワード変更とか)が来て、クリックしたらフィッシングサイトに誘導されるというような時、いかにもおかしい日本語とかアドレスがちょっと変とか見分け方がありましたが、最近は本当に精巧になっているそうですから、クリックするときは十分に気を付けましょう。
アドレスをそのままコピーして、検索してみるという防衛法があるようですね。
彼岸花。今年はお彼岸には遅れました。

今の世の中は、ネットにつながっていさえすれば、なんでも検索できるし、買い物も自由。新しい情報をすぐ得ることもできます。面白いと思ったことは文書であれ画像であれ音楽すら共有することができます。多数の人に向かって、勝手に自分の意見を述べることもできます。
ほんとに便利です。高齢者にとっては必須のツールではないかと私が思っていることも事実です。それはその通りで、まだ開かれていない人は、一がんばりすべきだと思います。
でも、と何かが訴えてきてるような。
今春Stay Homeが言われたときに、誘われて本を一日一冊ずつFBにあげていきました。7日間ブックカバーチャレンジ
その時に50年前のお菓子作りの本がありました。どれだけページを繰ったかわかりません。ボロボロの本を眺めて見ると本の周りには子供たちがいます。声も聞こえるようです。
今なら。そう、今ならレシピは全部ネットで検索します。しかも最近は動画の方が多いですね。手軽に様々なコツまでもすぐに手に入れることができます。でも、何かが違います。その時だけ、便利に使って過ぎ去ってしまう感じとでもいえばいいのでしょうか

問題1:玉石混交。情報を見極める力がないと使えないことにもなるでしょう。
問題2:なんとはない味気無さ。それを埋めるべく例えば顔文字やスタンプやライブの様々な工夫があります。それでも人と対した時に右脳ベースで感じる「理屈ではなく良い・悪い・気持ちよい・嫌い」という感情を体験することとは、大きな距離があることは否めません。
ところが友人たちとのメールは、離れていても心がつながる実感があります。その差は、私たちにはその感覚を過去にはっきり実感してきたからではないでしょうか。
ネットを使うことは、確かに便利でとくべつ傍迷惑になることもなくマイペースで、他人に対する配慮はいりません。感情のやり取りも不要です。伊藤亜紗さんが指摘されていることですね。
でもネットを苦もなく使いこなしている子供や若い人たちにも、生身の人間と対応するときの面倒臭さを体験してほしい。書物に接するエネルギーを使ってほしい。長い時間がたった時にそれこそが深く心に刻みこまれたものだと気づくはずですから。
オキナワスズメウリ(かわいい)

私たちは、たまたまメンバー全員が11月12月生まれということで、毎年誕生会をやっています。今年、リモートじゃないライブの誕生会ができるかな?




10年ひと昔

2020年09月22日 | エイジングライフ研究所から
認知症予防活動で何度も東御市を訪れて、とても親しくなった小山さんがおいしいブドウをたくさん送ってくださいました。
現職時代は係長さんでした。もう退職…
いろいろなお仕事をご一緒したなあとしばし思い出にふけりました。ブログ検索をしたらちょうど10年前の9月の記事を見つけました。小山さん読んでください!

認知症予防に役立つ趣味・役立たない趣味
2010年9月9日かくしゃくヒント
東御市での講演 の翌日「湯の丸高原(東御市の北東部にある高原)でハイキングがしたい」とアピールしたら、在宅介護支援センターの小山さんがなんと付き合ってくださったのです。そのうえ、おむすびとおいしいお茶まで。ごちそうさまでした。
一人でも行くつもりでした!湯の丸高原と池の平湿原、どっちに行ったほうがいいかわかりませんでしたが。
小山さんはダイエットと脳リハビリを兼ねて始めた運動だったそうです。すぐに「ウォーキングだけではつまらない」と近隣の高原や山々のハイキングをご夫婦で始め、ほとんど制覇したというのですから驚きです。(たぶん、ここ2年くらいの間ですよ)
「今日は池の平湿原を歩きます。私にはホームグランドみたいなものですが、季節が変われば景色もお花も変わるから、楽しみに来ました」と言ってくださってスタートです。
マツムシソウ

高山植物にはちょっと遅すぎるだろうという予想は見事に外れました。
お花はいっぱい咲いていて、日差しは強いのに風はさわやかという素晴らしさ。そのうえ景色にみごとな変化があるのです!

景色も堪能。小山さんとの会話も堪能。
脳のリハビリの説明の時に「楽しいことをすれば、時間はあっという間に経ちますね。そういう時に脳は活性化します」と話しますが、今回、文字通り「あっと言う間に時間が経ちました」
こういう時間が必要なんですね。少なくとも池の平湿原では脳が活性化されたという実感があります!

「講演会に行くのが趣味」といかにも高尚な生活態度をアピールしながらその実、講演会では居眠りばかり、というタイプの小ボケの方がいます。
「どういう講演会に行かれるのですか?」
「知らせがあるとほとんど行ってる。何しろいろいろ行ってるものだから・・・」
こういう風にいわれてしまうと引き下がりたくなりますが、そこでひと押し。
「いちばん最近いらっしゃった講演会は何のお話しでしたか?」と聞いてみます。
「急にそういうことを言われても、なかなかまとめて説明できない」というような答えが返ってきて、びっくりすることになるのです。
ヤナギラン

私の講演会でも、たまに、寝ていらっしゃる方がいますが、お話ししながら
「小ボケに入られているんじゃないかしら」と心配になります。
もちろん体調や睡眠不足など確認しなくてはいけないことはありますが、ほとんどの人が寝ていない状態で、ぐっすり寝ているというのはやはり変。
標高2000メートル池の平湿原の鏡池

講演会は、基本的に受け身ですよね。「聞くだけ」というのはよほど「聞きたい」というモチベーションがないと、注意集中力が持ちません。この注意集中力は前頭葉の中核的な働きで、年齢とともに低下して行きますから、高齢者が講演会で居眠りをするのはよく理解できます。
講師の技量もいるでしょうが、それ以上に聞く側の意欲が問題になります。
余程聞きたいというテーマであれば、講演会でも脳が活性化されることはありますが・・・
倒木更新(北海道では親木が朽ち果てている倒木更新を見ては感動したものです)

あてにならない趣味がもう一つあります。
読書です。
「趣味は読書」と言われたら
「どういう本がお好きですか?」と尋ねてください。そして
「今読んでいらっしゃる本は?」
「どんなお話ですか?」
「どういうところが面白いですか?」などと質問攻めにしてみます。
これは意地悪をしているのではなく、小ボケの方に生活を見直していただくために質問するのですから、間違えないようにしてください。
どういう気持ちで尋ねるかということは、相手の右脳経由前頭葉にキャッチされますから、正しい言葉づかいならいいというものではありません。
派手な蛾
              
講演会に行くことも読書も、左脳ベースです。
脳をイキイキさせる時、いまひとつの印象が否めません。左脳は「使ってるふりをすることができる」と思いませんか?
右脳だって使ってるふりをすることはできますが、それでも目や耳から飛び込んでくる刺激に対しては、脳が目覚める確率は高いでしょう。
絶対確実なのは、体を動かすことですね。歩いている時、間違いなく運動の脳は指令を出し続けていますから。
派手なイモムシ
              
小山さんと何のお話をしたかなあ・・・
高山植物の話。景色の説明(山の名前も教えてもらいました)。茶道の話。料理のこと。
ケース事例を何例か。二人で「ボケるきっかけ」について再確認しました。
こうやって考えると、結構勉強もしたんですね。「講義を聞くよりも大自然の中だとスラスラ頭に入ってくるような気がします」という感想が。
高齢者に生活指導をするときには、自分のこういう実感が大切なのですよ。
ちょっと新知識もゲットしました。

湯の丸高原は中央分水嶺上に位置しているそうです。
降った雨水の一滴が南側に向かうと、東御市の方に流れ下ります。そして千曲川→信濃川となって日本海に。
逆に北側に流れる一滴は関東平野を横切って利根川になって太平洋にそそぎこまれる。
中央分水嶺の北端宗谷岬から、南端佐多岬まで一つの地図上で見たのは初めてでした。
私、実はどちらの岬にも行ったことがあります!そうなると、急にこの左脳に対して説明をしている説明板が親しいものに思えてくるものですね。知識に勝るものは右脳ベースの経験です。
しかも、湯の丸高原はほとんど中央分水嶺の南北真ん中に位置しているんですって。
スケールの大きなことを知りました。
左脳主体ですが、これだって喜びでした。

認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?(再掲)

2020年09月20日 | 正常から認知症への移り変わり
友人から、補聴器をしてくれないお母さまの話が飛び込んできました。聴力低下が始まったら補聴器は当然の手当です。見えずらい時には眼鏡をかけるでしょ?
説得の手助けになるかと思って、再掲します。

認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?
2018年07月01日 | 二段階方式って?

「見えにくい」と「聞こえにくい」は、どちらが認知症に悪い影響を及ぼすと思いますか?
私の臨床体験では、間違いなくその答は「聞こえにくい」です。
アルツハイマー型認知症は原因不明とされていますね。研究者たちはアミロイドβやタウ蛋白に標的を絞って、その原因究明にしのぎを削っていますが、私たちはもともとある脳の老化(残念!)が加速されたものと考えています。老化が加速されるのは、筋肉などと全く同じで「使わないと機能が落ちる=廃用性機能低下」のためなのです。

ところで、脳の老化が加速されてしまった状態なのですが、それが3年間くらいだと小ボケ、もう少し進んだ状態だと中ボケで、ここまでが回復可能です。多くの場合、6年以上も経ってしまうとセルフケアにも支障が出てくるような大ボケ状態になりますが、大切なことは世間ではこの辺りから、ようやく「認知症」と言われ始めるということです。つまりは手遅れ状態ということですね。
脳の老化が加速されているかどうかを、できるだけ早く見つけることが、認知症を回復させるには必須の条件ということになるのです!

さて、その老化が加速されている状態ですが、そのレベルは脳機能検査に見事に反映されます。つまり脳機能監査をすれば、脳の老化が加速されてきた期間がわかります。
「それまで感じていた生きがいを感じることができなくなって、ナイナイづくしの単調な生活」をしてきた期間と見事に一致するのですよ。ということは「何年か前」に、生活を変えざるを得なかった「きっかけ」があったということになりますね。
「ナイナイ尽くしの単調な生活」というのは、生きがいも趣味もなく、人との付き合いもなく、運動もせず、ひなが一日ただ時間を過ごすような生活です。脳の司令塔である前頭葉をベースに、脳全体の使い方が足りない生活…その先に待つのが脳の廃用性機能低下つまり小ボケ、中ボケ、大ボケへの道。

高齢者がどういうきっかけでナイナイづくしの生活に入っていったのかということを、私は臨床の中でたくさんの方から教えていただきました。
その中で私はまず、人は誰しも、何かの生きがいを感じながら生きていくものだということを学びました。世の中から評価を受けるような種類の生きがいもあるでしょうが、その人にとって「自分が、これがあるから生きていけると思えるだけの生きがい」だって、その人が生きていく原動力になるのだということを、多くの方々のお話を伺う中で改めて思い知らされました。

「きっかけ」の話は、こういう状況の中で聞いていくのです。脳機能のレベルに応じてナイナイづくしの生活が続いた期間が想定できますから、「〇〇年くらい前に生活が大きく変わるような出来事が起きましたよね。あなたが、それまでのあなたらしく生きられなくなってしまうような大変なことや寂しいことなんですよ」
人によっては「状況を判断して決断したり、発想をわかしたり、感動したりする前頭葉の出番がなくなってしまうような生活になってしまったのは、いつからのことですか?それは何がきっかけでしたか」という聞き方もします。
魔法のように、「そう言われると…」と様々なきっかけを語りはじめてくださいます。
「退職して、本当に何もすることがなかった」
「可愛がっていた孫が家を離れてしまった(進学や就職や結婚で)」
「病気や骨折がきっかけで、大事にしすぎた」
「おばあさんが亡くなってからです!」
「相続でゴタゴタが…」
「(自分や先生の体調不良、メンバーが集まらなくなって)趣味が続けられなくなった」などなど。

その中で、「見えにくくなったことがきっかけ」と言われたことがありません。
「そういえば、その頃からほんとうに聞こえなくなったみたいなんです。もともと耳は遠くなっていたのですけど」この言葉は何度聞いたことでしょう。
そして特徴があって、一つは90歳間近や90歳を超えているような高齢の方に多かったことと、ほとんどが中ボケレベルであったことです。
小ボケレベルの方々は、自分の脳の働き方が以前とは違うという自覚がありますから、きっかけも自分で明らかにできます。
中ボケレベルになると、自覚がなくなって家庭生活にトラブルが出始めるので、家族は服薬や着衣や家事などの見守りが必須になってきます。もちろんその時には、本人にきっかけを説明できる能力がありませんから、家族から聞き取っていくことになります。

この項を書くにあたって、ちょっと考えてみました。
脳の老化加速に、なぜ視力障害がかかわらず、聴力障害がかかわるのでしょうか?
まず気が付くことは、見ることはやり直しがきく。見えないと自覚したり指摘されたら、何度でも見ることができます。眼鏡をかけたり近づいてみたり。
聞くことは過ぎてしまえば何も残らない。聞こえなければ、その刺激はなかったことと同じです。見えない時には、見えないことを自分で自覚できますが、聞こえない時には聞こえないことがわかりません。目に入らないところからの声かけには気づきません。
よく聞こえないので、適当に相槌を打ったりトンチンカンな受け答えをしたりしてしまいます。
聴力障害の程度が軽いと、聞こえないので聞き返しますよね?でもそれが度重なると聞き返すにもエネルギーがいるし、答える方の面倒さにも配慮できるレベルだと、聞き返すことをためらい出す。そのうちに、聞こえないことにしておく簡便さを選択する。人と対面していても、コミュニケーションをとることが面倒になる。結局一人で生活していることと同じ状態…
それでも、自分で満足できる生きがいを持っている人は?
そうです、脳は生きがいさえ感じることができれば老化を加速させないのですけど。コミュニケーションが取れない状態だと、なかなか難しいのです。



続ー認知症に悪いのは、視力低下?聴力低下?
2018年07月03日 | 二段階方式って?

認知症の進行を助けるのは(助けて欲しいわけではないですが!)聴力低下という話をしました。先日相談を受けた時の話も追加しておきましょう。離れて住んでいて1ヶ月か2ヶ月に一回くらい会いに行っている娘さんからの、お母さん(80代後半)の相談でした。
写真は奈良、丹生川上神社 上社

私は、本人や家族の方がいろいろ訴えて来られる具体的な症状を聞きながら「その症状になるための脳機能の状態」を推理していきます。
今回のケースのように女性の方で「料理をしてもらっていません」と言われると中ボケレベル。脳機能の老化の加速が中ボケレベルになると、味がよくわからなくなるのです。
一番最初におかしくなるのは塩辛さの感受性のようで、家族の方は「とにかく塩辛すぎて食べられたものじゃないんです。どういう訳か本人はパクパク食べちゃうんですけどね」とよく言われます。
味噌の入ってない味噌汁とか、砂糖味がしないアンコとかもあるのですけれど。
青龍

中ボケレベルにまでなってしまっていた、このおばあちゃん。
老化が加速された直接的な原因は、4年程前から膝痛が始まって行動範囲も内容も極端に狭まってしまったことでした。それまでは自転車を乗りこなして、買い物や趣味の会など自由に生活を楽しんでいたのに…
悪いことに近所に住んでいた仲良しの妹さんも入院してしまい、楽しみにしていた姉妹のおしゃべり会やランチ会も難しくなってしまった…
こういう、どこの日常生活でも起きる些細なことから、認知症は始まっていきます
朱雀

家族の方が言われました。
「目が悪くなったことも関係あるかもしれません」
視力低下が認知症になるきっかけだということは、ほとんどありませんからよく話を聞いて見ました。
「一年ほど前なんですが、視力検査をしてビックリしました。ほとんど見えてないんです。0.1だったか、これじゃあ見えなくていろいろ困ったはずだとかわいそうでした。もちろんメガネをすぐ作ってあげたのですけど」
そこで私。「今も困ってるでしょ!せっかく作ったメガネを使ってますか?なくしちゃったんじゃないですか?」
小ボケレベルになっただけでメガネや補聴器をたびたび無くして大騒動はよくあることです。その前に使いこなせないことだってザラですし。この方は中ボケです。
「実はそうなんです。何度も探し出してあげたんですけど、結局は使ってないんです。『これで困らない』っていうからそのままにしてますが、やっぱり悪い影響があったんじゃないかと思ったんです」
白虎

推理が始まります。
高齢者が、老眼のために近くが見えなくなることは、よくわかります。
遠くが見えない?遠くが見えなくなるような目の病気が起きたのなら納得ですが、眼科受診は済んで眼科的な病気はないことがわかっています。
もう一つ大切なことは、1年前に見えなくなったことをあまり苦にしていないことそのものです。
今は中ボケレベルですから、その時は既に中ボケレベルに近づいていたのでしょう。
日常的な家庭生活にも支障が出る状態ですから、「見えにくい」状態が起きても特に支障はなかったことは容易に想像できます。
玄武

よくよく話を聞いてみたら、ビックリするようなことが明らかになりました。
3年前に白内障の手術を受けていたそうです。
手元に焦点を合わせたのでしょう。そうです。その時点から「遠くが見えない」状態が起きていたのですね。もちろん脳の老化を加速させてしまう影響はあったでしょうが、でもご本人にとっては格別の問題を感じていないというのが、脳機能の老化加速が起きることの怖さです。
間違いなく視力低下よりも聴力低下の方が、認知症には悪影響を及ぼすのです。でも、脳機能そのものの能力低下がここまで進んでしまうと、見えないことすら困らないことになるのですね…
また、興味深い生活変化や生活実態を教えていただきました。
付録。友人のM笠T子さんが奉納した作品




「三密回避」は認知症の温床-脳機能にもフレイルが。

2020年09月12日 | 正常から認知症への移り変わり
「三つの密を避けましょう」という呼びかけが厚労省から発表されたのは、3月末でした。

「うわー大変。これって高齢者に対しては『認知症を作りましょう』という呼びかけに他ならない!」と私は思いました。
エイジングライフ研究所が、認知症に対する地域予防活動を始めてもう四半世紀です。
関西淡路大震災の直後に開催した第一回の研修会の時から一貫して
「アルツハイマー型認知症といわれる認知症の正体は、実は脳の廃用性機能低下でしかない。何らかの人生の転機や出来事をきっかけにして、前頭葉の出番がなくなることから始まって左脳や右脳や運動の脳を十分に使わない日々が続く。使わないから老化が早まる。今まではその極限状態近くまで行って『ボケた』といわれてきたので、対処だけに追われてきた。そこに至るまでの予防や改善の期間を知らなかったからに過ぎない。
従来言われてきたのは完成した認知症。その前の改善可能なレベルが数年間は存在する」と主張してきました。
散歩途中で見つけたキノコ

廃用性萎縮ということばはもともとは医学用語です。筋肉でいうと、病気や骨折などで行き過ぎた安静状態や寝たきりを続けると筋の萎縮や関節の拘縮が起きて上手に使えなくなる。このようにして使わないことで老化が進むことを廃用性萎縮というのです。
廃用症候群やフレイルという表現もよく目にします。
なんとなくフレイルといった方がカッコいいような気分になるのでしょうか、最近はフレイルといわれることが多いようです。

原語のFrailtyは虚弱と訳されることが多かったようですが、衰弱や老衰とも訳され、それでは「回復可能」というニュアンスが伝わらないということで「フレイル」ということばが選定されたという経緯があります。(2016年フレイルに関する日本老年医学会からのステートメント)
厚労省の資料によるとフレイルの定義は以下の通りです。
「『フレイル』については、学術的な定義 がまだ確定していないが『加齢とともに、心身の活力(運動機能 や認知機能等)が低下し、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、生活機能が 障害され、心身の脆弱化が出現した状態であるが、一方で適切な介入・支援に より、生活機能の維持向上が可能な状 態像」
ちょっと珍しい黄色の花ジンジャー

もともと歳を重ねるとそれなりの機能低下は起きてくる。そこに「より使わない、または使えない状況が加味される」と機能低下が一段と進み、生き生きとした生活が送れなくなった状態。ただし回復はまだ可能なレベルというように考えたらいいと思います。
簡単に言ってしまえば、生活習慣病の二次予防に相当するレベルでしょう。
キバナコスモス

加齢とともに、筋肉の衰えから動作がもたもたしてきて転倒しやすくなる。
転倒をきっかけに寝たきりにだってなりうる。
寝たきりは回復させることが困難だが、寝たきりを引き起こす転倒を防ぐことが大切。
そのためには筋肉の衰えを進ませないようにしなくてはいけない。
普段から筋肉の衰えにあらがうような生活が必要だし、万一病気やけがで安静状態を強いられることがあっても(多少老化が進んでも=フレイル)、できるだけ早くからリハビリに努めることで衰えた筋肉の回復を図り、ひいては寝たきりを予防する。
このような説明はわかりやすいためでしょうか、ロコモとかサルコペニア(筋量低下)というような身体運動側面のフレイルが強調されてきているように思います。
ヤブミョウガ

厚労省の説明にあるように、運動機能だけではなく認知機能もフレイルは考慮しなくてはいけませんし、社会的な側面から閉じこもりの弊害を指摘する場合もあります。
「食」からのアプローチもわかりやすいですよ。(⇔は相互に影響しあってより低下するという意味です)
歯周病などで歯の喪失⇔噛めない食品が増え、食べにくさが増し、滑舌低下⇔食べる量が低下、咬合力低下⇒咀嚼できず、食べられない。栄養障害、要介護。ここに至ると回復はできるのかもしれませんが、大変な努力が必要でしょう。その前なら!
いずれにしてもフレイルは筋量だけではなく身体・精神全体であり「認知機能」という面も考慮されているのです。
一番最初に書いた私たちの主張「従来言われてきたのは完成した認知症。その前の改善可能なレベルが数年間は存在する」きれいに重なりますね。
アサガオ

そうなのです。
高齢者を三密回避の状態に置くと、年齢とともに能力低下を起こしている(これは正常です)脳機能の低下が加速されてくる(これは異常です)のです。
前頭葉が「自分が自分らしく生きている」という実感をもって、その人なりにイキイキと生きている日常から、人とも会わない、おしゃべりも楽しめない、趣味の会にも行けない、マスクもあっておしゃれにも気を使わない、当然認知症予防教室の参加も無理。
とにかく家にこもって、「コロナ大変」のテレビばかり見る…
アサガオのうなじ?

「三密回避って、なんだかボケになりそうな暮らしだけど」と思った人たちは多いと思うのですが、といってコロナは怖いし、特に高齢者は危ないといわれている以上、差し当たっては守るしかない。または若い世代からも守るように言われている。
アサガオの中心

そして半年。
昨日の新聞にわが意を得たり!という記事が掲載されていました。9月11日産経新聞。以下介護問題部分を要約。
「コロナの陰に潜む社会的課題」として「1~2年後に大きな社会・医療福祉問題に発展するリスクとして憂慮すべき課題が『フレイルから要介護への悪化』という状況」とし「2025年には団塊世代が後期高齢者となる状況を鑑みればコロナ下でのフレイル対策が急がれる」
「コロナ感染症下での高齢者の行動自粛と密接な関連を持つ課題で、人との交流が少なくなり孤立した状況が続くと認知機能が低下する。筋力は70歳時には20歳時の半分になっているのに、定期的な運動をしないと筋力低下のスピードは増す」
私たちの持っているデータでは、前頭葉機能のうちの注意集中・分配力はピークは20歳代、60代後半になると、ちょうどその半分になるのです。期せずして一致!
何度も掲載の図です。脳機能からみて認知症を説明しています。
小ボケ・中ボケが回復可能な期間でフレイルと重なります。ここでいう「大ボケ」は回復が困難なレベルになったという意味で、大体世の中で「ボケちゃった」といい始めるレベルです。つまり従来の区分でいうとまだ軽い認知症レベルということにご注意。

この半年何人かの保健師さんとお話ししました。
当初から、三密回避が認知症予防にとっては大変な状況ということは、皆さんの共通認識でした。
最近は、「一番わかるのは中ボケの人が進んでしまってること。もちろん小ボケに足を踏み入れている人も多くなったことも感じられます」ということが言われます。
そして先日「三密に注意して、認知症予防教室を再開しました」という報告もいただきました。ちょっと光が。うれしかったです。

人とのつながりーポケットマルシェを利用して感じたこと

2020年09月05日 | エイジングライフ研究所から
暑い夏でした。
実はまだまだ暑い日が続いていますが、9月になったので一応過去形で。
ほんとに暑かったですね。
ステイホームですから、毎日せっせとお料理に励むことになりました。料理をすることが好きなのだと、改めて感じました。
私が住んでいる伊豆高原は自然豊かなところで、食材には恵まれていると思います。
大きなサザエが到着。単1電池と一緒に撮りました。

もうちょっと正確に大きさをお伝えするには、やはりこれでしょう。
318g!

サザエのお刺身は、コツさえつかめば簡単、下向きに置いておいて、身が出ているところにナイフを差し込んで一回ししてとれるところを取ります。ラッキーなときはワタまで全部とれますし、あと少々残ってもその身は指で出せます。

「畑で採れました」とお野菜が届くこともあります。

岡山から白桃が届きました。初めて料理に使ってみました。モモのパスタ。

新潟からは枝豆が。説明書通りに料理すると、確かに一味違うように思います!

Stay Home-(また)ウエブを楽しむ 
4月の記事ですが、ここに「ポケットマルシェ」のことを書きました。生産者と消費者をダイレクトにつなぐシステムなのです。長男の会社が投資したことから、3年前から時々利用しています。この夏はとてもお世話になりました。
ごちそうシリーズです。
南紀串本、吉田さんの養殖マグロの大トロと中トロ。

福岡県嘉麻市、赤崎さんの赤牛。北海道寿都町、小清水さんのホタテ貝。
うわー日本の北と南でした!

三重県大紀町、加藤さんの養殖鯛。2.5㎏でちょうど50センチありました。

お刺身、炙り、あら煮、兜焼き、鯛茶漬け、ソティーも。

佐賀県唐津市、坂本さんの黒バイ貝。

北九州出身の私にとっては子供のころの父の膝が懐かしく思い出される一品です。父の晩酌のお供でした。
今回はごく弱火でアヒージョも。

福岡市糸崎、柴田さんの塩うに。

こういう手書きのコメントいただくと、柴田さんは娘を嫁に出すような心境だろうと思うのです。大切に頂かなくっちゃあ。

私は、コメントにも心惹かれます。

青森県深浦町、野呂さんのお刺身サーモン。

もう一つ青森県東通村、濱田さんの夏秋(かしゅう)イチゴ。

小さいのですが、香り豊かで驚きました。バナナと一緒にスムージーに。

果物といえば沖縄宜野座、林さんのマンゴー。これは北海道の知人にもプレゼントしました。「初めて見ました」と、とっても喜んでもらえました。

生産者を感じることは、私の場合は「さあ、これから体を作る食べ物を料理して、いただく」という姿勢につながるような気がします。スーパーマーケットで求めたものとは全く違う感覚がわいてくるのです。
その意味でポケマルの試みは特筆されるべきものだと実感しています。
ポケマルでは「ごちそうさま投稿」というのがあります。到着や感謝のコメントで構わないのですが、写真を付けることでこれから買おうとする人たちへの情報提供にもなりますね。だから大体写真を撮って投稿しています。
それに対する生産者からのコメントもうれしく読みますが、お仕事の邪魔じゃないかと心配になったりしながら、そのつながりが心地よい…

ポケマルは、コロナの影響の「巣ごもり消費拡大」で、ユーザーがこの1年で4万人から21万人へと5倍超になったそうです。
長男の会社が追加出資するそうで、FBに挨拶文が掲載されていました。8月24日。
「ポケットマルシェは、生産者と消費者をつなぐプラットフォームを運営する企業です。2016年9月のサービス開始以降、着実に事業を成長させてきました。一般的には『産直Eコマース』として認知されていますが、ポケットマルシェの本質的価値は人と人の関係性を進化させ、それを深化させ、時には変容させるプラットフォームである点と言えます。
これまで人類は、効率性を究極まで追いかけ発展してきました。その過程で、無駄とされるものは削ぎ落とされ、見失われ、消滅してきたと言えます。目の前にある情報だけで考え、判断し、行動することが、見えない誰かの生活を苦しめ、その家族の選択肢を削いでいることを無意識に行っている社会は、倫理的ではありません。ものごとを可視化し、感じられるようにする、そして人々が向き合う社会への仕掛けを作ることが、ポケットマルシェの事業と言えます。
ポケットマルシェがビジョンとして掲げる『共助の社会を実現する』という言葉の意味は重く、社会的な責任も大きい。この価値観、問題意識、未来への意思を共有できた投資家からの調達は、資金調達の枠に留まらず、ポケットマルシェ自体の力を大きくステージアップさせることにつながると考えています」

なるほど。
高齢者にとっては、ボケずに生き抜こうとする時、人とのつながりは必須のものです。そういうと生の関係性をすぐに追求したくなりますね。でも身近に親族も友人もいない場合もあるでしょう。
ところが、ポケマルを利用することで、ネットを通じてであっても確かに生産者とのつながりを実感できました。介在しているものが食べ物ということも大きく影響してると思いますが、予想外の感覚に驚いています。
話は飛躍するようですが、高齢者の認知症予防なくては、日本の将来は大変なことになるのです。
こういう形での、高齢者の孤立防止もあることの実感報告でした。




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