脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

楽しく、多忙な年末

2022年12月29日 | エイジングライフ研究所から
気持ちの上では、年末仕事を片付けなくてはと思っているのですが、昔に比べてだんだん手抜きになっているのは十分自覚しています。
松江の友人が、自作のお米を送ってくださいました。柚子もたくさん。
ゆず仕事ということばがあるかどうか知りませんが、いろいろ作ってみました。
種を使った化粧水。日本酒で。

焼酎で。

種が取れたのは、ジャムを作ったからです。皮をむいて細かく刻んでさらします。

果汁はそんなに取れませんし、実もほんの少し。

種少々をお茶パックに入れて、煮詰めていきます。

一種類は薄く皮だけを丁寧に剥いて。もう一つは厚めに皮をむき、中袋も全部投入。左が皮だけの上等品。右は全部入れたものですが、結構おいしくできあがりました。

絞った実の残骸を柚子湯に。この日は12月22日。はい、冬至の当日でしたから。はるばる松江から届いた柚子。送ってくださったS藤さんのお気持ちを思うと、使い尽くしたい気持ちにかられました。

抜きたての大根をいただきましたから、実を一つ残して、柚子大根も作りました。1キロ以上もある大根一本を、大胆に全部!

小松菜も一緒に到着。新鮮なお野菜はほんとにおいしいものです。

保存野菜も使いました。オニオンスープ。
あるはずのパンがなくなっていて、ちょっと考えましたが「そうだ!あの大きな麩で代用させよう」
白状しなければ「蓋をしているのはパンじゃなく麩ということ」は誰にもわかりませんでした。白状して盛り上がるのも楽しいものです。


半年に一度の健診に熱海へも出かけました。病院から眼下に広がる相模灘。初島と大島が一望です。潮騒の音も聞こえてなかなかの病院ですよね。

受診前に、ネットで検索しておいて、初めてのレストランへ。一人で食事に行くことがなかなかできにくかった昔をちょっと懐かしく思い出しながら一人ランチ。
積極的な生き方は脳の活性化には有効です。もしおいしくなくて「失敗だった」としても、どこにその原因があるのかちょっと考えてみましょう。いろいろ推理することそのものも、普段使わない前頭葉の使い方になって活性化につながります。
キャッチコピーや写真に惹かれすぎた。ネットの口コミを信用しすぎた。
そこに気づくと次の失敗を食い止めることになりますよね。

お店は二階です。踊り場。

デザート!コーヒーブラマンジェ。


東京にも行きました。12月16日に発表された今年の紀伊國屋演劇賞を受賞したばかりの高校後輩の柴田義之さんの公演です。写真中央。

劇団1980(いちきゅうはちまる)

上演作品は、落語芝居。落語の世界が目の前で繰り広げられるのですから、会場は何度も笑いに包まれました。

大学時代の友人と一緒だったので、とってもしゃべり足りないはずと一泊の予定を組んでそのままホテルタイムも楽しみました。

ラウンジのウエルカムケーキ。25日だったのでまだクリスマスバージョン。

天井が高くて、気持ちがいいホテルでした。

これは生のグロリオサと竹を使って表現されていました。

年末ということで、近所のホテルのホームパーティにも呼んでいただきました。

さすがにおいしかった…熟成させた鰤。

プレゼント交換も楽しみました。親指と人差し指の色が違うのは、手袋をしたまま携帯を操作するためですって。こんな便利なものの存在を知りませんでした。年若い人との交流ができたおかげですね。

少し家事にもいそしんだことを報告しておきます。
お正月を迎えるために、葉ボタンを植えました。

あんまり大きくて、斜めに植え付けられないものは「気をつけ」をさせてみました。これも素敵です。

細かいことは他にもいろいろやったのですが、すべて省略。
「25日に東京で楽しむためには年賀状は済ませなくっちゃあ」と友人からアドバイスを受けて、久しぶりに年賀状を早く書き終えました。ほんとに一仕事終えた気になりました。

小冊子改訂版ができました。
仕事関係で今年一年を振り返ってみたら、小冊子改訂版の完成が大きな出来事だったと思います。そしてそろそろ半年ですが「小ボケ、中ボケ、大ボケの移り変わりがよくわかる」「実態や実感にとても合う」「脳の働き、特に前頭葉のことがわかった」などという感想をいただいています。
昨日、京都で福祉畑の仕事を長くやってきた友人が「あなたが心底伝えたいと思っていることがよく伝わってきた。それから、この人の言うことを聞いてみようかという気になるいい写真。Q&Aのアバターがそっくり」と友人でないといえない感想を話してくれました。
「写真はね。去年沖縄で息子と孫が誕生祝をしてくれた時のスナップ。もうちょっときちんと撮ってもらった方がよかったかなあ…アバターはラインで自作。たかだか2~3分で」などと楽屋話に花が咲いて、京都の友とは笑い納め。
2022年も平和に過ぎていってます。おかげさまです。



直径8センチ。そのほとんどが蜜というこみつちゃん!

理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。




師走の散歩ークリスマス発見

2022年12月16日 | 前頭葉の働き
散歩をする時の心境はいろいろです。黙々と歩くということは、まずない。
だいたい、何か見つけたいと思っているようです。一番心惹かれるのは植物ですね。花にも葉にも芽にも、そうだ!樹形や樹皮にも目がいきます。今日12/16の紅葉。

私が住んでいるところは伊豆高原の海側、城ヶ崎海岸なので、景色に驚かされることも多いです。
小さな子供に会うことはほとんどないので、もし出会ったらちょっと興奮するでしょうし、子供より遥かに遭遇チャンスが多いペットたちにも和まされます。
ここ数日は「クリスマスを見つけよう」というテーマを持って散歩しました。
すぐに発見。ハシビロコウが赤いキャップをかぶっていました。

いつも通っているのに初めて目が止まりました。もしかしたら草を刈ってくれたのかもしれません。一重のバラが色鮮やかに文字通り花を添えていました。
カフェでお茶をしました。もちろん店内はクリスマスムードです。

パンもクリスマスバージョンでした。

今年はまだ伺っていませんが、車で5分ほどのところのお宅です。お家の皆さんが楽しみながら飾り付けをされて、見学の方の驚きの声もまた喜びの種にされているのではないでしょうか?
いいですね。

もちろん夜の方がみごとです。
認知症予防のために散歩をすることは、簡単で有効なことです。
よく「歩いて脳を刺激する」と言われますが、歩くためには「脳からの命令」が必須ですから、順番は逆で、歩いている時には脳は目覚めて活動をしているのです。
前の記事で、毎日夕暮れの時に河原で歌を歌った方を紹介しましたが、子供好きな人のために保育園を通る道を考えたり、海が好きなら見晴らせるところを組み込むとか、楽しめる場所の工夫もいります。
同じ時間に同じところを歩くと、顔見知りになって声を掛け合う人ができたりもします。

夏や冬なら、美術館、資料館、博物館、ギャラリーやショッピングモールやスーパーもありますね。つまり屋内ということです。映画館もいいのですが、興味が湧かないと寝てしまうところが要注意。
春や秋の季節がいい時だったら、いつもと全然違うところに行ってみることもいいと思います。
花の盛りはタイミングを合わせないといけないので、その分注意が必要で、脳のためには良い条件です。

前頭葉機能が正常ならは、上記の計画は全部自分で立てられます。
小ボケ(前頭葉機能だけが不合格レベルまで低下している)になったところで、自分だけではなかなか…
散歩一つ考えても「体の健康」も大切ですが「脳の健康」は豊かな老後にはどうしても必要だということがわかっていただけるでしょうか?



















師走の散歩から血管性認知症を考える

2022年12月14日 | 認知症からの回復
自宅から歩いて10分10たらずで、城ヶ崎海岸のいがいが根というところに出られます。4000年前大室山が噴火して溶岩流が相模灘に押し出された時、溶岩の表面が冷えて固まって「いがいがに」砕けたらしいです。城ヶ崎海岸のハイキングコースの中でも珍しく広々として、海の向こうには伊豆大島が全景を見せてくれます。
夕方に散歩をしていて、思いついて寄ってみることにしました。いがいが根からの右の景色に息をのみました。今、日没。

何というタイミング。目を戻すとこれもまた絵のような光景が。

静岡県に住んでいますから、ちょっと車で動くと富士山に出会うことができます。車で移動した先で歩くということも変化があって楽しいものですよ。

遠くの富士山に傘雲発見。

散歩をテーマに考えるときにいつも思い出される方がいます。
軽い脳卒中を起こした男性で、軽い右マヒと上手に話せないという後遺症が残りました。この後遺症は、あくまでも脳が壊れたことによって起きてしまった、いわば受け入れざるを得ないものです。その方は入院中、その後のリハビリ病院でも懸命にリハビリに励み、当初の予測よりもより良い状態で退院することができました。
ところが、退院後の生活がその方の脳に別の問題を起こしてしまいました。病院では「家に帰るまでには少しでもよくなろう」とあんなに頑張ったのに、退院後はその目標がなくなった…マヒが残っている以上思い通りに外出はできません。はたから見るとそうでもないのですが、本人はしゃべりにくさが残っていると訴えます。「だから人の中には出られない…」
結局家に閉じこもる生活になってしまったのです。そうしているうちに家族が気付きました。
「意欲がなくなって寝てばかりいる」気になりながらも「脳卒中になったんですもの仕方ないかも」と思い直します。
でも、同じことをまるで平気な顔をして何度も話す。会話に入ってこないし、かと思うと唐突に違う話を始めてしまう。第一、表情がない!
「これはいくら何でも、何かが起きているかもしれない」
そう思いながらも、かといって、日常生活にはさして問題はないし、それどころかたまには、「その通り!」というような発言もあります。
家族は「後遺症なのか、それともボケが始まってしまったのではないか」という二つの思いの間で揺れ動くくことになりました。
たまたまその町の保健師さんに相談してみたのです。この保健師さんが、二段階方式をよく学んでいてくれたので、丁寧な説明ができました。
1.軽いマヒとしゃべりにくさは、今回の病気の後遺症で受け入れるしかありませんが、入院中にリハビリをがんばったように使い続けていないと、運動機能だけでなく脳機能も低下してしまうことになります。
2.意欲低下や、状況判断の悪さ、感動のなさなどは病気の後遺症では説明できません。病気でダメージを受けたのは左脳。今気になる症状は前頭葉の機能低下ですよ。
退院後の、目標や楽しみがなく変化のない生活で、前頭葉が元気をなくしてしまった状態です。
3.何をやるか一緒に考えましょう。まず散歩。
そこまで言ったところで、「散歩ならやれます!」と奥さんが応えてくれたそうです。

少し不自由があるので、夕方になって散歩に出かけます。河原の葦がちょっと茂っているところにつくと、二人で大きな声で歌を歌ったというのです。
言葉に支障があっても、歌うときには苦も無く発声できるということはよくあることです。
音楽の右脳は、ダメージは受けていないのですから音がずれるようなことはありませんし、歌う喜びを充分に感じることができます。
たまたま、夏の前だったのでこのような試みが無理なく実行できたのです。
そしてだんだん日が短くなるころに、家族がまず気づいたことは表情がよくなったことだといいます。

表情とともに、居眠りが減り、反応が機敏になってきました。同じことを繰り返ししゃべったり尋ねたりする(私はオルゴールシンドロームと名付けています)傾向にもブレーキがかかり、家族は改善を確信したといわれました。
テレビなどでよく言われていますが、臨床の先生方が「脳卒中を起こした後に認知症を発症する場合、これは血管性認知症と分類されるものなのですが、興味深いことに半年くらい後から起きてくることが多いのです」

半分正解。半分不正解!
「脳卒中後に認知症を起こすのは、半年後」これは正解です。臨床の先生だからこそいうことができる、正しい観察だと思われます。
「脳卒中(脳の血管が詰まったり出血したりした)を起こした後から認知症が発現したので、血管性認知症という」これは大間違いです。この診断が大手を振ってまかり通っています。
脳卒中後に支障が生じるのは、ダメージを受けた脳の場所が担っている機能で、これは後遺症というべきものです。
認知症の定義に「いったん完成した脳機能が、全般的に能力低下を起こし、社会生活や日常生活に支障を起こす」という表現があります。脳卒中の後遺症はそのほとんどは片側の脳機能低下で説明されるので「全般的に」ということに抵触してしまうのです。
ごくごくまれに特殊な部分に脳卒中をきたしてしまうと、激しい記銘力障害や見当識障害が発病直後から起きてしまいます。この二つの症状は認知症の症状ですから、これこそが血管性認知症と呼ばれるべきものです。これは脳卒中の数パーセントしか起こらないものです。

まとめましょう。
脳血管性認知症といわれているケースの場合、その大部分が、実は退院後の生活が「趣味も生きがいなく、交遊も楽しまず、運動もしない」ナイナイ尽くしの生活になってしまい、脳をイキイキと使わないための廃用性の機能低下をきたしたものであるということです。
これは、私たちが言うアルツハイマー型認知症の発病の経過に他なりません。その人が喜びや意欲を感じられるようなイキイキとした生活を取り戻すことによって、後遺症があってもその人らしい人生を全うできるということに早く気づいていただきたいと思います。
脳卒中の後遺症を抱えながらも、個展を開く人、ボランティアに励む人を見てください。例外なく充実した毎日を過ごしています!




認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。


師走の遠足

2022年12月10日 | 私の右脳ライフ
穏やかなお天気に誘われて、師走の雑用をしばし忘れて遠足としゃれこみました。
FBで函南町長光寺の「黄金参道」のお知らせがあったことを思い出して、第一目的地に。ご住職がアーティストで、かなり前にお寺を舞台にしたインスタレーションを見に行ったことがあります。
今回の着想は、イチョウの落ち葉かきに往生された挙句、落ち葉を生かした作品に昇華されたということでした。

黄金というにはちょっと盛りは過ぎているかなと思いましたが、やはり見るべきはその発想ですね。本堂に向かっても、本堂を背にしてもおもしろい雰囲気でした。

黄金参道は境内への階段から始まっていました。

サインにあたるものはお坊さんのイラスト?「お邪魔します」

お寺のそこここに、ちょっとおもしろいものが置かれています。簡単にベンチといい切るのもなんだかはばかられます。

それからランチのために三島へ。三島はウナギの町ですからウナギをいただいて、次の目的地の柿田川湧水公園に行きました。
アユの産卵がみられるという新聞記事を読んだことも、この遠足の大きな目的でしたから、こちらの目的地こそメインといえるかもしれません。
国道一号線に面した公園ですが、一歩公園内に入ると驚くような風景が広がっています。とうとうと川が流れています。

ちょうど居合わせた公園ガイドの方が、御親切にもいろいろと教えてくださいました。
「富士山の伏流水がほらあそこにも、ここにも噴き出しているでしょう」
まったく何も加工されていない川面に、確かに水が噴き出しているところが何か所も見つかります。
手前に、竹のようなものを突き刺してある噴出口を見つけました。
「ふつうの棒だと、吹き飛ばされるから真ん中に穴が開いていないと刺せないんです」

アユが群れている場所にも案内してくださり「産卵はサケと同じでしょうか?」とお尋ねすると、「同じですよ。よく見てごらんなさい。赤い色になってませんよね。婚姻色が見えないということはまだその時期ではないということ」
そして逆の方向に目を転じて、「本当の時期だとこのあたりに遡上してくるアユが見えるはずだけど、今年はどうも少ないなあ」

問わすもがなのことでしたが「狩野川のアユですよね?」と確認してしまいました。沼津湾に出て大きくなって帰ってくるのです。そして一年で命を終える…子供が小さいころ天竜川に稚アユを取りに行ったシーンが蘇り、しらす干しやイクラを餌にして、釣果はから揚げにして食べたことなど懐かしく思い出しました。
ガイドの方が、第一展望台まで案内してくださいました。
「ほら、あそこが狩野川の源流ですよ。多いときにはここにも遡上してくるのですけどね」
柿田川湧水公園は国道の南にあります。私は国道よりも北に源流があると思っていましたから、びっくりしました。ほんとにここで湧き出ているのです。

先端部で湧き出す水の量は1日100万トン。そのまま柿田川になっています。年間通してだいたい15度で水質も大変によく、熱海・函南・三島・沼津・清水町・長泉町の水道水といううらやましい説明もしてくださいました。国の天然記念物。日本三大清流の一つ(長良川と四万十川)。名水百選。21世紀に残したい日本の自然百選などの情報は後から調べました。

第2展望台からは、柿田川ブルーとでも名付けたいような神秘的な「湧き場」が見下ろせます。絶え間なく湧き出る水が、砂を躍らせてあふれる水は本流へ流れ込んでいきます。まさに動的なシーンですが、その場は静寂な雰囲気に包まれていました。ヘタな動画ですがその様子をアップしておきます。
柿田川湧水口
今日の柿田川湧水公園は私だけが三度目で、夫も友人も初めて。何も知らなくても感動を誘う場所ですが、今回はご親切なガイドさんがいろいろと教えてくださったので、何倍も楽しめました。
それ以上に、ガイドさんとの予期しないふれあいそのものが喜びを大きく支えてくれたのです。
私が旅に求めるものは、知識や感動。そのための努力は惜しみませんが、最もうれしいことは新しい人との出会いだと改めて感じました。
目的のアユの産卵を見たいということは果たせなくとも、十分に私の前頭葉が満足した証拠に、季節を変えて再訪する心づもりになっています!



示唆的な熊地区の5年間の認知症予防活動の記録-2

2022年12月06日 | エイジングライフ研究所から
30年前の「天竜市熊」での調査報告ーボケは防げる治せる①(初掲載2019.9.26)
1987年に始まった「天竜市熊」地区での、ボケの実態調査とその結果判明した小ボケ・中ボケに対する5年間にわたる生活指導の結果追跡を始めたのは1992年でした。
とはいえ、小ボケ・中ボケの方たち(1988年時点で計53名)へは生活指導のために継続してお会いしていましたから、好結果になるという予測はたっていました。どちらかというとワクワクした気分でスタートしたのです。

言わずもがなですが、すべて個別検査です。ただし残念なことに11名の方がすでに亡くなっていました。そして2名の方は入院中なおかつターミナル期で検査ができない状態でした。
結局、53名中検査対象となったのは40名でした。
調査対象40名中38名に検査は実施できました。(実施率は95%)
未確認2例は、住民票だけあって熊地区には在住していない方と、いつ伺っても山仕事に出かけていてお会いできなかった方でした。

この当時の効果測定は以下の基準で行われました。(現在はさらに細かい基準があります)
改善と評価:1または2
1.MMS結果が、初回結果に比べ̟3点以上改善
2.かなひろいテスト結果が年齢相当の正常値にもどる。
維持と評価:
MMS結果が、初回結果に比べ̟±2点の変化にとどまる。
低下と評価:
MMS結果が、初回結果に比べ̟3点以上低下。
結果をまとめると下のようになりました。

素晴らしい結果でした。
この5年間の経過観察の結果、改善された方が半数以上もあり、加齢とともに能力低下がおきることは当然ですから、維持できた方々にも効果があったということになります。
結局有効率は31名/40名ということですから77.5%にも上りました。
もう少し詳しく見たのが下表です。

小ボケの方26名中15名、57.7%が正常域に改善されていました。5年たったのに、脳が若々しくなったと同義です。
小ボケの状態が維持できた方は4名、15.4%でした。
改善群と維持群の合計19名が、今回の試みが有効であったということになりますので、小ボケ群25名でいえば、有効率は73.1%でした。

中ボケ群を見ると、正常域まで改善した例は3名、11.1%。小ボケまで改善したのは4名、14.8%。維持群は5名、18.5%。
中ボケ群の有効率は12名/27名で44.4%でした。

低下群は、脳卒中発症や視聴力低下などの悪条件が重なった場合が4名、単純なボケの進行と考えられるケースは3名でした。

結論:ボケは早く見つけることができればできるほど、脳機能改善の可能性が高くなる。


30年前の「天竜市熊」での調査報告ーボケは防げる治せる②(初掲載2019.9.27)
この調査の目的は、早期発見できた小ボケ・中ボケの方に対して生活改善指導を続けながら、5年後の脳機能の変化を見るところにありました。当然、改善もしくは維持を期待してのこの調査は、前の記事「30年前の「天竜市熊」での調査報告―ボケは防げる治せる1」にあげたように当初の予想通りの結果をもたらしてくれました。

もうひとつの成果を報告します。
今回の目的は、1989年に小ボケ・中ボケとされた53名全員を対象にした個別調査ということでした。戸別訪問して検査をするまでもなく、参加された健康教室での検査が中心になりました。(脳機能が低下した方には戸別訪問での検査になりましたが)
フォロー群だけでなく教室参加者の皆さんに全員検査を受けていただいた方が、自然な流れでもあり、抵抗が少ないだろうということで、一教室で3~4か所検査のブースを作って、保健師さんと私で個別検査を実施しました。
そのデータが集まるにつれて、このチャンスを逃すべきではないという気持ちに駆られて、結局65歳以上の高齢者全員303名に個別検査をするという新しい目標ができました。戸別訪問まではできませんでしたから、実施できたのは主に健康教室の参加者231名。実施率は76.2%でした。
これが、今回のまとめの初回に示したグラフです。
30年近く前のデータですが、一地区全体の高齢者に対して個別脳機能検査を行った例はほかにあるのでしょうか?実施率76.2%という数値も含めてです。
初回の調査では、集団かなひろいテストで一次スクリーニングを行い(214名/276名。実施率77.5%)、不合格者に対してだけ個別検査を行ったために、上のようなグラフはできません。
小ボケや中ボケの占める割合をまとめたものが下表です。
健康教室に参加した方が中心でしたから、未実施群は、その中心は重度化した方が多いと思われました。

初回調査では小ボケ26名/214名で12.1%。中ボケ27名/214名で12.6%。合計24.7%。どのような調査をしても、脳機能が小ボケや中ボケの方たちが一定数、概数でいえば3割はいるということになります。ここが、ボケの改善対象です。


この実態調査には、いくつもの示唆が含まれています。
1.前頭葉機能(かなひろいテスト)が高いレベルの人は、脳の後半領域機能(MMS)も高い。
2.MMS合格群の中に、かなひろいテスト不合格群がいる。
3.かなひろいテストの成績が悪くなると、MMSは高得点から低得点まで幅広く分布する。
4.かなひろいテスト不合格を第一条件として、MMS成績で区分するとボケの重症度を表すことができる。(病院での臨床から、一致が確認された)
5.地域には、前頭葉機能を含め万全な人から、前頭葉機能だけに機能低下がある人、脳の後半領域の機能低下が起きている人まで、切れ目なく存在する。はっきりとしたピークがあるわけではない。

上に書いた5.とグラフのなだらかな推移を見るときに、「ボケは防げる治せる」という言葉が浮き上がってくるようです。
脳機能をイキイキと保つ意識を持つこと。
万一、脳機能の低下が起きてしまったときには早く気づいてその回復を図ること。

熊地区で行った、小ボケと中ボケの方々に対する生活指導をまとめておきます。
1.生活意欲を失い始めた高齢者に対する家族ぐるみ、地域ぐるみの交流の促進。集まりへの参加を勧める。
2.集まりでは、ゲームや手工芸や歌などを中心に楽しく和気あいあいとしたプログラムを行う。
3.生きがいになるものを共に探す。畑仕事、家事、ものづくり、家族で行うゲームなど。
4.体を動かすことは脳の活性化になると指導。
具体的には、個々人の成育歴、職歴、家族状況などを聞き取りながら、「できること、なかでも楽しめるもの」を探していきました。
孫との交換日記を始めた人も、農作業を復活させた人もいました。ハモニカを始めたり、将棋や碁やパズルにはまった人もいました。
この地区はほとんどの家が「ぽつんと一軒家」状態なのですが、人間関係は密で共助の精神も強く、良い意味で隣人への温かい関心が深いという特徴がありました。また当時ゲートボールなどの普及期にあたっていたことも良い条件だったと思います。
目覚ましく改善されたS.T.さん(82歳→87歳)を紹介しましょう(紹介の許可はいただいてます)。

手芸が得意な方でしたから、生きがいを手芸から見つけようとしたのですが、私たちが指導を始めた時は四角の編み物モチーフが丸くなってしまうという状態、そろそろ家庭生活に種々の支障が出始めるという状態でした。
「年齢のせいかと思っていた。かかわり方がわからない」という家族に対して、「夫死亡後にぼんやりした生活を続けたために脳の老化が加速されただけである」ということを説明して、レベルに合わせた親身で優しいかかわりが必要であることを指導しました。家族のかかわりが密な感じが伝わってきませんか?
最初は、刺し子の布巾から始めました。次々に作品をリクエストしていくのは家族の治してあげたいという熱意です。

そしていよいよ、こたつかけという大作までできあがることになったのです。MMSは8点も改善されました。

S.T.さんは「ボケちゃあ、かなわんで」と言いながら「ボケ予防はね。刺し子と、散歩と、花づくりと、家事の手伝いと、孫と一緒に遊ぶこと」と話してくれました。
たった、こういうことがボケ予防!と思う人は多いかもしれません。確かにボケを治してくれるのです。ただし小ボケや中ボケで取り掛からないと間に合いませんけど。

1988年調査当初はご一緒した天竜保健所の保健婦さんは大きく異動があって、5年後の1993年にはほとんどが天竜保健所には在籍していなかったのです。この事業の目的すらはっきりしない状態で、熊地区に入っていくということに対して、新しい保健婦さんたちが戸惑っている様子がよくわかりました。考えてみれば、ほとんど関りがなかったわけですから当然ですよね。
一方、担当が変わったり新人の保健師さんが加わったりはしましたが天竜市保健婦さんと私は、5年間にわたって継続的に熊を訪れていました。ですからこの調査ができたのです。さすがにもうお付き合いはありませんが、感謝です。
「天竜市熊」という言葉にひかれて昔の仕事を振り返ってみましたが、この調査結果はもっと正しく評価されるべきではないかと今更ながら気づきました。


 
 
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認知症の早期診断、介護並びに回復と予防のシステム

示唆的な熊地区の5年間の認知症予防活動の記録-1

2022年12月06日 | エイジングライフ研究所から

国の理解を求めて、夫がエイジングライフ研究所の主張をまとめた文書を書きました。私たちの主張は、私の地道な実践と夫の深く考察する力で構築されてきました。
以下の記事は2019年9月に、活動の原点の一つを振り返って記録したものです。

「1地区の高齢者を対象に5年間にわたって認知症予防活動を継続し、その成果を客観的な脳機能検査で評価している」という他に見ることのない実践活動記録です。どう考えてもこれからの日本の高齢者対策に対する示唆を含んだ興味深いものですから再掲します。3記事をまとめて掲載します。

30年前の「天竜市熊」での調査報告ー小ボケ・中ボケ・大ボケがまんべんなく存在(初掲載2019.9.15)
フェイスブックを読んでいたら、友人の投稿に「天竜市熊(くんま)」の文字が!(今は浜松市なのですが、投稿者と同じようにどうしても「天竜市熊」と言ってしまいます) 私がいま取り組んでいる認知症予防の活動の原点のひとつは、ここ熊地区での5年間にわたるフィールドワークでした。その試みは日本医事新報に平成元年から4回にわたって報告してあります。 調査を始めた昭和62年には、熊地区は人口1217名。65歳以上の高齢者は276名、高齢化率22.3%でした。高齢化率22.3%は日本の近未来社会のモデルと考えられていました。昭和60年の全国高齢化率は10.3%でしたから、至極当然のことですが、昨日9月16日に総務省から発表された今年の全国高齢化率は、なんと28.4%! 私が住んでいる伊東市は、平成29年の高齢化率なんと、なんと40.6%! 今後も40%を超えて増え続ける予想が出ています。 このような時ですからこそ、このグラフをよく見ていただきたいと思うのです。 以下に、大切にしているグラフを示します。

これは、調査開始から5年たった平成4年に行った結果です。 熊地区の高齢者303人中231名に、個別に、前頭葉テストとMMSからなる神経心理機能テストを実施しました。地区で行われている「健康教室」の参加者が主な対象者という偏りはありますが、実施率は73.2%というのはかなりの達成率だと思います。「健康教室」に参加しない人たちは脳機能低下群が多いことが想定されます。
さて、説明です。横軸に前頭葉テスト結果、縦軸にMMSの結果を表しています。MMSは、国内外を問わず24点以上で合格とされています。 緑のプロットは、前頭葉テストもMMS も合格している人たち。 黄のプロットは、前頭葉テスト不合格、MMSは合格。 橙のプロットは、前頭葉テスト不合格、MMSはやや低下。 赤のプロットは、前頭葉テスト不合格、MMSも低下が著しい。 熊地区の高齢者が、見事この分類の中に入ってしまうという実態に、見通しはあったもののびっくりしました。 車が一度では曲がれない、バックでないと入って行かれないなどの山間集落の家庭訪問の大変さも吹き飛ぶほどの満足感と感動を、この記事を書きながらまざまざと思い出しています。 白のプロットは脳卒中後遺症、精神症状が強い方など例外でした。 病院外来では、この脳機能を物差しにボケの三段階をクリアに分類し、その症状までも関連づけて説明していましたが、外来受診される方々だけでなく世の中一般に小ボケ・中ボケ・大ボケの方がいるという見事な証明ができました。
詳細な数値は、後述記事にまとめます。

 
MMSでは合格していますから、前頭葉テストを実施しなくては発見できない、最も早期の認知症です。 自覚がありますから、回復は容易なのですよ。

家庭生活にトラブルが出てきますから、家族はとても困りますが本人にはその自覚がなく、家族は「言ってることを聞くと、まともなんですが、やってることを見るとギョッとさせられることばかり」と訴えます。 努力は必要ですが、まだ回復可能な段階です。

ここまで来て、世間ではぼけたと騒ぎ始めますが、回復は困難で、介護負担が大きくのしかかることになります。 もう一度見てください。

世の中には、正常な人とボケた人(大ボケ)だけいるわけではありません。 小ボケの人も、中ボケの人もいることが示されています。この事実は高齢社会の日本に対して、大きな展望と希望があることを示していると思います。


30年前の「天竜市熊」での調査報告ーその道筋(初掲載2019.9.19)
前の記事で、地域調査の具体的な内容に興味を持った方もいるでしょう。
平成5年の日本医事新報(3607号)を読み直しながら、本当に重要な調査をやったものだと感慨あらたです。
私が勤務していた浜松医療センター脳外科「高齢者脳精密外来」は、年間2000人を超える受診者が訪れる外来で、これは日本で突出したものでした。全国各地、重症度も様々な受診者のデータが蓄積されていき、先行する浜松市老人クラブ参加者を中心とした1245人に対する地域調査からも、以下に列挙するような仮説(というよりも実感)を感じていました。
ちなみに、「痴呆」を「認知症」と呼び変えるといわれたのは2004年。もともと「ボケ」は呼び変え対象ではありません。また2002年に保健婦が保健師に変更されましたので、この報告は当時の表現のままで書きます。
花は庭の花。9/16写。

1.ボケは正常から「正常―小ボケ―中ボケ―大ボケ」と移行していくもので、世間で問題にされるレベルはその最終段階の大ボケであること。
2.ボケの頻度は年齢とともに高くなっていくこと。
3.脳外科的に臨床検査を行った結果、血管性痴呆の占める割合は非常に低いこと。
当時は「血管性痴呆の割合が世界で日本だけ7割を占める。幸いなことに高血圧が要因なので、高血圧予防やコントロールが血管性痴呆を防ぐことに直結する。そのためには食事療法や定期的な血圧測定が必須」と大真面目にいわれていました。
4.原因不明のアルツハイマー型痴呆に関しては、学会に参加するとすでにアミロイドベータやタウタンパク中心とした研究発表がなされていましたが、私たちの結論はこのタイプこそボケの本体を占め、脳の廃用性機能低下がその原因であること。
つまり、アルツハイマー型痴呆の人たちには「生活上の変化をきっかけにして、生きがいも趣味も交遊もなく運動もしない」という生活実態が継続してきた事実が伴うこと。
5.早期レベルで受診してきた人たちに、生活改善指導をすることで明確に脳機能の改善、生活実態の改善がみられること。

「病院に受診してきた人たちでなく、地域全体に対して、調査すれば正常―小ボケ―中ボケ―大ボケの人たちがもれなくいるはず。その軽いレベルの人達に生活改善指導すれば改善または重症化が防げるのではないか」という大きな目的が見えてきました。
天竜保健所の協力を得て、フィールドとして天竜市熊地区が上がってきたのです。前の記事に書いたように熊地区は人口1217名。65歳以上の高齢者は276名。高齢化率22.3%で、当時の全国高齢化率は10%を超えたところでしたから、近未来社会のモデルにもなりうると考えました。
全数調査が目的ですから、これ以上大きいとちょっと実行できなくなるかもとも思いました。
天竜市街地から車で30分はかかったと思います。まさに山村。地勢的には町とは隔絶された地域という印象でした。
小字名を持った集落がまとまっているとはいえ、隣り合って建っていることすら珍しく、ほとんど一戸ずつ独立した家々でした。
ただし後から分かったことですが、人間関係は密で共助の精神も強く、良い意味で隣人への温かい関心が深いという特徴がありました。
もうひとつ、火伏の神様として信仰を集めた「秋葉神社」へ参詣する人たちの「あきはみち」上にあるので、山村にもかかわらず進取の気性に富んでいると教えてもらいました。
その直前にできた村おこしの施設「くんま 水車の里」の設立経緯を知ると、素晴らしい地区に調査に入らせていただいたことに今更ながら感謝の気持ちでいっぱいになります。
ウィキペディアから引用します。
「1986年(昭和61年)、熊地区全戸加入の「熊地区活性化推進協議会」を組織し村おこしに着手し、1987年(昭和62年)「くんま水車の里」グループが女性を中心として誕生した。1988年(昭和63年)そばを中心とした農作物の加工・販売・体験の施設を設備し、地域の活性化に取組み、そのような活動が評価され、1989年(平成元年)度、農林水産祭(村づくり部門)において天皇杯を受賞した 」

昭和62年に全数調査を行いました。そして見つかった小ボケや中ボケの方たちに生活改善指導をしながら、5年後に地区全体で脳機能検査を再実施するということだけが、私たちの希望でした。
65歳以上人口276名中212名に一次検診としてかなひろいテスト実施(実施率76.8%)
早期痴呆の可能性があるとされた59名に対しては、私がその中心となって個別で神経心理機能検査を実施。小ボケ26名、中ボケ27名、大ボケ6名の結果になりました。生活実態、生活歴聴取なども行い、そのうえで具体的脳リハビリを本人や家族に指導しました(小ボケと中ボケの方たち)。
個別検査から始まって健康教室や定期的な家庭訪問を5年間継続するについては、天竜市の保健婦(当時)さんたちがほんとによく頑張ってくださいました、特に地区担当の保健婦さんは、家族全体、集落全体、熊地区全体をここまで把握しているのかと感心するほど、理解が深く、その結果生活指導も予想以上にうまくいったと思われました。
保健婦さんと一緒に、私も何回も熊地区に行ったのです…いま、四季折々の熊地区を思い出しています。山々の緑のグラデーション、花やモミジに彩られたときも。実りの味も満喫しました!
たくさんの熊地区の皆さんのお顔も浮かんできます。
このようにゆったりと回顧録が書けるのは、5年後の結果が申し分のないものだったからです。

30年前の「天竜市熊」での調査報告ー始まりは1987年(初掲載2019.9.22)

調査の報告をしましょう。
浜松医療センター脳精密検査外来で臨床データが蓄積されるにつれて、それ以前の浜松市での老人クラブに対するフィールドワークとともにいくつかの仮説(というよりも確信)ができてきました。

1987年(昭和62年)ご縁を得て、これらを立証するために「天竜市熊地区」へ入っていったのでした。限られてはいても一地区全体に対する実態調査は、病院外来や老人クラブでの調査とは比較にならない「疫学的事実」がつかめるはずです。この時には静岡県立大学看護学科の水谷信子先生もご一緒しました。
調査は、65歳以上の方々に脳機能検査を行って地域高齢者の脳機能分布がどうなっているのか調べます。もちろん、必要であるならば脳外科的な精密検査も行います。
その後、従来の認知症とされるレベル以前(二段階方式でいうところの小ボケ・中ボケ)で見つけることができた方々には、脳リハビリの指導とともに天竜市保健婦さん(と、私)による健康教室や家庭訪問を継続して行います。
そして5年後には、同様に全地域に対する脳機能検査を再実施して、早期発見された方々の脳機能の推移とともに、地域に対する働きかけが効を奏するものかどうかを追跡調査するという大きな目的を持った試みでした。
一次検診として、集団的にかなひろいテストを実施しました。その実施率は高齢者人口276人中212人、76.8%でした。


一次検診としての集団かなひろいテストは段階的に実施しました。
まず「ボケ予防講演会」の広報をして、中央公民館に集まった方たちに集団で実施しました。
次に、講演会に参加しなかった方たちに対しては各地区の「健康教室」を利用しました。毎月というほど定期的ではなかったのですが、天竜市保健婦さんが地道に続けてきた健康教室が各地区にあったことは幸いでした。世話役の方に積極的に声掛けをしていただいて、講演会に参加されてなかった方々になるべく集まっていただきました。
それでも、脳機能検査が実施できなかった方たちに対しては、戸別訪問までして、実施率は76.8%に到達できたのです。
この三段階の検診では、中央部での講演会→地区の健康教室→戸別訪問と、かなひろいテストの得点が低下していきます。前頭葉機能は社会生活と密接な関連がありますから当然といえば当然ですが。

そこで、各年代ごとの基準値(60代10以下、70代9以下、80代8以下が不合格。当時は正答数をそのまま成績にしていました)により合否を決めました。
合格群に対しては、脳リハビリの説明や健康教室参加を勧めました。
不合格群はボケの可能性があるということで、1988年から二次検診として個別にMMSと前頭葉テストを実施しましたが、二次検診の対象者は60歳代10名、70歳代28名、80歳代21名計59名になりました。

二次検診はすべて個別検査になります。
前頭葉機能をかなひろいテストで測定し、その不合格群に対しMMSを行います。MMSが30-24点の範囲を小ボケ、23-16(現在は15点)を中ボケ、15点以下(現在は14点以下)を大ボケと分類しました。その分布は以下の表のとおりでした。

この小ボケと中ボケの方たちに対しては、個別に生活指導をしました。いわゆる運動領域と右脳刺激をもとにした「脳のリハビリ」を具体的に検討していきました。
山間部のことですから散歩ということはあまり指導しませんでしたが、畑に行くことも脳刺激になることはよく話しました。
家族も近隣とも人間関係が密でしたから、その意味をよく説明し一人ぼっちにさせないように、声を掛け合うように、対人交流こそ脳リハビリの要と話しました。
手芸や歌、絵、家事の手伝い、ゲームや体操など。
健康教室参加も勧めて、ゲームや体操、もの作りもより楽しみになることを体験してもらいました。
保健婦さんの異動があったりもして、訪問は少なくなった時期もありましたが、とにかく当初の、こちら側から言えば計画、熊地区の皆さんから言えば約束を守り、5年間の「天竜市熊」通いが続いたのです。健康教室で検査をしたり、一緒に遊んだり(右脳訓練!)講話もしました。もちろん戸別訪問をしたこともあります。
目に見えてよくなる方もいらっしゃいました。四季を楽しみ、山の味覚も楽しみながらの幸せな5年間でした。そして5年後1992年を迎えるのです。
詳しい経過報告は次回に。

 


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