脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

家の新築と認知症の関係

2014年07月22日 | 認知症からの回復
小ボケからのカムバック 1ーリフォームが功を奏したを読んだ方から質問がありました。

今日の写真は城ヶ崎海岸Jガーデンの夏の日
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「一般的に言って、家の新築はボケにはいいのですか?悪いのですか?」
答えは、全く残念なことに
「一般的には言えないのです」

なぜボケてゆくのか、なぜカムバックできるのかを説明する時に、この「家の新築」ということを通して考えるとわかりやすいかと思って取り上げます。

その前に、エイジングライフ研究所が考える認知症のメカニズムをごくごく簡単に説明しておきましょう。
高齢者は、何らかのきっかけをターニングポイントとして生活が変わってしまうことがあります。
それまで、その人らしく生きてきたその生き方、その生活ぶりを大きく変えて、何もしない・・・そうすると脳の老化が進んでしまい認知症になっていくと考えています。

生きがいもなく、趣味や交友も楽しまず、そして運動もせずに家で居眠りばかりして時を過ごす生活に入ってしまうことは、脳の働きから言えばどこも使っていないことになります。左脳も右脳も運動脳も。ましてそれらの脳の舵をとる前頭葉の出番は全くなくなるのです。
わかりやすい例を上げましょう。

仕事一筋でやってきた人の定年退職。
固くまじめに仕事一筋。趣味もなければ友達もいない。帰宅後は家族と会話を楽しむどころかむしろ苦虫をかみつぶしているような日々。一人でお酒を飲んだりテレビを見たり。
こういう人が、退職したらどんな生活になるでしょうか?まさに「生きがいもなく、趣味交友もなく、運動もしない」文字通りのナイナイ尽くしの生活になってしまいますね。

その先に認知症(の小ボケ)が待ってるのです。この時、司令塔である前頭葉だけがうまく機能していない状態です。
そしてそのまま、その生活を続けていれば着々と認知症は進みます。
だいたい3年を過ぎると中ボケに突入、さらに2-3年で大ボケ(このレベルになって初めて世の中で言われている認知症)が見えてきます。

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さて、家を新築やリフォームをした場合のことです。
中ボケのレベルは、脳の老化が加速してきて、前頭葉はほとんど上手に機能していませんし、左脳や右脳の働きにも低下がみられるようになってきています。生活遂行能力はちょうど幼稚園児くらいと考えるといいと思います。
幼稚園児が全く新しい環境に置かれたらどうなるかを想像するのです。

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幼稚園児がお風呂の水加減や湯加減を自分でやるでしょうか?
給湯器のスイッチを管理するでしょうか?
施錠は?
電気やガスのスイッチをキチンとつけたり消したりできるでしょうか?

全て、やらせていないことですよね。

中ボケレベルの高齢者にとっては、もともとうまく使えなくなっているさまざまなスイッチなどの器具。
それが「便利に」見たこともないようなものに変わってしまったら?トラブルに決まってます。

つまり、中ボケになったら、新築や大幅なリフォームは脳機能にはマイナス要因として働いて、老化を促進することになります。
周囲がよほど気を配って、新しい環境に戸惑わせないようにして、快適さを感じさせてあげるようにすると、もちろんマイナス要因にはなりませんよ。

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問題は小ボケレベルの高齢者。
前頭葉がうまく働いていないので、状況判断力、学習能力ともに以前のようには発揮できない状態になっています。

だから、新しい家の便利な、文化的な、快適な暮らしのための様々な新しい工夫を使いこなすには、ちょっとエネルギーと時間が必要なのです。
その期間を覚悟して、気長に繰り返し使い方を教えて・・・と周りの人たちが考慮してあげると、何しろ快適な生活ではあるわけですから、「新築をきっかけにして元気になった」といわれることは十分期待できます。

ところが、小ボケの人たちの特徴としてほんとうに普通に話せます。
失敗を繰り返しながらも、言い訳はそれなりに納得できるようなことばが並びますから、家族は腹立たしい気持ちになってしまい、つい厳しく糾弾することもよく起きます。

この状況は、当然マイナス要因になり「新築をしたころからボケが進んだみたい」と言われるようになりますね。

高齢になると、新しいことに慣れるのも覚えるのも確かに不得手になりますが、年齢相応の脳機能を保っていると時間がかかっても適応できるものです。
見えやすくするために字を大きくするなどの家族の工夫もちゃんと役に立ちます。

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もう少し、基本的なことを考えておきましょう。

ボケずに人生を全うするためには、他ならぬ自分の前頭葉が「ウン、今日もよく生きた!こうして生きることはうれしいことだ。またこの調子で生き続けるぞ!」と感じながら生活することが必須条件です。(前頭葉の評価機能)

老夫婦が苦労して建てた家。自分の人生が詰まっているような家。
若い世代が、同居を前提にしてその家を壊してバリアフリ-にして、空調も整えて、さまざまな新しい機能の詰まった快適な家に建てなおすことをを提案したとしましょう。

老夫婦が納得できたのなら、その新築は多分プラス要因。
「多分」が付くのは、家が壊された喪失感がどれほどのものか、更地になってしまわないとわからないからです。
「あれだけ話し合って納得したはずなのに」少しも喜ばず、いつまでたっても慣れもせず・・・
こういうことが起きるのは、ほとんどの場合男性ですが。

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状況判断もその状況をどう評価するかも、すべてその人の前頭葉です。
自分の人生が否定されたような思いから抜け出せないと、二世代同居が実現しても、どんなに快適生活が保障されても「ウン、今日もよく生きた!こうして生きることはうれしいことだ。またこの調子で生き続けるぞ!」と前頭葉が評価できないのです。

正常な脳機能を保っていると、紆余曲折はあってもほとんどの方が新しい家に適応していくのですが、小ボケに足を踏み入れていたりするとやはり難しいことになりがちです。

発芽したバオバブ
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老夫婦が資金を出すこともよくありますね。

「自分たちもお金を出したから!」と安心して新生活を楽しむ場合と、「なんだか知らないうちに家は建て替えられちゃったし、お金はなくなっっちゃったし…」とウツウツと日を暮す場合もあるのです。
もちろん、事前の話し合いは十分にしてあるにもかかわらずです。
話し合いもせず若い世代が独断専行したとしたら、その時点で親をボケに追いやるという覚悟が必要ですよ。

私たちの前頭葉は、確かに私たちの生き方をちょっと上から眺めて「どう生きようか」とか「これでいい」とか「これは不本意」とか決めているものなのですね。

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7月の右脳訓練ー奥会津への旅(からむし織の里・昭和村)

2014年07月17日 | 私の右脳ライフ
日本ミツバチセミナー参加のための奥会津への旅。
行きには大内宿を訪ねました。
帰りは、からむし織の里・昭和村訪問。

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からむし織は、簡単に言ってしまうと、草の繊維から作った糸で織った織物。
詳しくは上のサイトをご覧ください。
ちょうど、からむし織の材料となるからむし(苧麻)がもうすこしで収穫期ということで整然と育てられていました。
からむしを育てるのも大変ということがよくわかりました。でもここから糸を作り出して織る前までの手間を考えたら気が遠くなりそう。

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からむし織リの里織姫交流館で、苧積み(細い細い原糸を寄って糸を作る過程)をやっていらっしゃった方は、
「ここまでくればほとんど終わり」と笑って説明してくださいました。
とんでもない!
織そのものも繊細な糸だけに普通とは全く違うそうですし・・・
「会津は米ができないから換金作物はからむしだけ」という状況の中、深い雪の間の女性の仕事だったのでしょう。辛抱強いこと・・・
できた糸は山を越えて越後へ運ばれ、小千谷縮に姿を変えて高価に取引されました。
今はここ昭和村でも、糸作りだけでなく種々の作品になっていました。

山深いところですが、さらに山を登ったところに湿原がありました。
足元には湧水が心地よい水音を響かせています。ぶな林に囲まれた、どこか明るく気持ち良い湿原です。
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昼食は、寒暖差の大きい矢の原高原産のジャガイモを使ったコース料理をいただきました。みごとな漆器のオンパレードに驚かされました。全部お蔵にあるものだそうです。さすが会津!冠婚葬祭はすべて自宅だったそうですから。

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別名日光街道と言われた道ですから、会津西街道を走らせて、日光で一泊して帰りました。
初めてのエリアでしたが、今回も充実した旅を楽しむことができました。

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7月の右脳訓練ー奥会津への旅(大内宿)

2014年07月16日 | 私の右脳ライフ
奥会津の日本ミツバチセミナーに参加するために、ちょっと回り道をしました。
前から一度は尋ねたいと思っていた大内宿

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「江戸時代にタイムスリップするような」と形容される大内宿。
言にたがわず、500メートルほどの道の両側に、大きなかやぶき屋根の家々が続いています。

宿場町の常で、間口が狭く奥行きが深い家並みですが、みごとに一軒残らず寄棟作りで、さらにすべて妻側が道に平行というどこか端正なたたずまいを感じさせる街並みでした。
お土産屋さん、蕎麦屋さん、それから宿になっている家もありました。
日光と会津をつないだ街道ですから、もちろん本陣もありました。(現在は再建されて資料館になっています)

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同行の友人がびっくりしながら言いました。
「ねえ、気が付いた?こういうお店って同じものが並んでいるのが普通じゃない?でもここはそれぞれのお店に特徴があるのよね。店頭のお菓子だってバラエティに富んでるし。同じものでも手づくりしてるとか、何かちょっとずつ違うのね」

確かに古さを誇りながら、新しいものを加味していこうとしている気概が感じられました。

昼食時間になりましたので、もちろんお蕎麦を!
街道の突き当りの食堂で。
なかなか雰囲気のあるお店でした。かんぴょうの炭入れの大きなこと!一抱えほどもありました。
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「高遠そば」・・・
去年、高遠町に行ったので謂れはわかります。
江戸時代の名君、保科正之は高遠で育ち、最上藩を経て会津藩のお殿様になりました。
転封の時、高遠から人や文化を連れて行った結果が、現在の大内宿の「高遠そば」にまで脈々と連なっているという訳です。
本家高遠町では消えてしまっていたというのに。
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宿場のはずれには小高い丘があって、ひなびた神社がまつられていました。
そこからの景色。視点が違うと宿場の様子も全く違って見えました。

新しいアイディアが盛り込まれて、それぞれの独自性が発揮されている店と、数百年の文化を維持してきた事実と。
会津人の深さを感じました。
会津人の前頭葉ができあがる過程では、半年は雪という自然の中で粘り強く生きる環境と、「ならぬことはならぬのです」という会津藩の価値観から大きな影響を受けたことでしょうね。

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7月の右脳訓練―奥会津への旅(日本ミツバチ)

2014年07月15日 | 私の右脳ライフ
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奥会津に行きました。会場は会津若松から只見線に乗って、南下すること約1時間の金山町にある廃校になった元小学校。
ひょんなことから、日本ミツバチの勉強のために行ったのです。
日本ミツバチと只見線による町おこし 奥会津百花蜜の谷プロジェクト「pptx.pdf」をダウンロード

主催されたオフィスコロボックル自体も、第2の人生の生き方のモデルになりそうな興味深い方々の集まりのようでした。
ただ、今回のテーマは日本ミツバチ。

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参加したのは岐阜、名古屋からの参加者を含め日本ミツバチを飼っている人が1/3、私たちのような初心者が2/3合計100人超。
主催者もここまでの人気を呼ぶとは考えていなかったそうでした。

西洋ミツバチと日本ミツバチの違いや食性、飼育法、ハチミツの勉強などの他にも、実際に巣箱や、巣も見せていただきました。
結論としては、日本ミツバチを飼えるかどうかは日本ミツバチさま任せ。
もちろんヒトがいろいろな工夫はするのです。でも究極的には、ハチがここを住処にするかどうかを判断するということに尽きるわけで、そのためには単なる箱の形状、設置場所などの条件だけでなく、全体的な自然も大切な条件になります。
日本ミツバチは、思いがけないような目立たない木の花を好むことも知りました。

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日本ミツバチを飼うということは、巣箱を用意しておいて、ハチがそこを巣と決めてくれたら後は勝手にハチたちが巣を作り、せっせと花を見つけ、ミツを運んでおいしいハチミツも作ってくれる(というかヒトが横取りをする・・・)ということなのです。
犬や猫のペットを飼うのとは違います。
参加している方たちのうち、今すでに飼っている方たちは異口同音にその喜びを話されました。
ほんとにうれしそう。
「偵察蜂が来たと思っていたら、しばらくしてわーとハチの群れがやってくるんです。うまく箱に入ってしまうまで20~30分もかかったでしょうか。ハラハラ、ドキドキ」
「箱を置いて4日目ですよ。4日目に来てくれたんです!」(すごい、羨ましいとの声が上がりました)
「様子を見に行くのが楽しみで。ついつい巣箱のところに行ってしまいます」

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男性のための認知症予防のプログラムや脳リハビリのテーマを考えるのは、むずかしいものがあります。
この日本ミツバチ飼育は、可能なスペースがあれば、男性にも受け入れられやすい!

箱作りから始まるんですよ。木工作が得意な人は沢山いるでしょうから。ここからスタート。
うまくハチが入ってくれたら、今度は巣箱のところに行かずにはいられないといった方のように、夢中になって楽しむ対象になるのです。
ハチ可愛さのあまり、自然を守る活動に発展するかもしれません。グループで情報交換するようになるかもしれません。
ミツを絞ったりする作業も結構力が必要ですから、当然男性の出番です。
ビン詰、ラベル作り、プレゼントして喜ばれるetc

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何をしたらいいのかわからないという第2の人生を過ごしている方たちに朗報ではないかと思っていたら
「自分が楽しむだけでなく、情報発信ということも考えて参加したんだよ。当然だろう」と夫が!
うまく情報発信ができるためには、まず巣箱作り、それからハチさまが気付いて気に入ってくれないと進みません。
さあ、この目論見はうまくいくでしょうか?

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小ボケからのカムバック 2ー愛情がカギ

2014年07月11日 | 認知症からの回復

またまた、友人からいい話をききました。
彼女は一人で娘さんを育て上げました。といっても、一人になった時、実家のご両親との同居を決め、フルタイムで働いたのです。娘さんは、おばあさんの大きな愛情とこまやかな配慮の中ですくすくと育ちました。(今日の写真は近所に開店したイタリアンレストランで)

友人
「ようやく娘の結婚が決まったの!」


「それはよかった。おめでとう!」

友人
「それがね、母が小ボケになっちゃってほんとにびっくりしたわ」

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「今回のように結婚とか進学とかで、かわいがって育てた孫が、家を出ることになった時に、それをきっかけにして脳の老化が早まることはよくあるのよ。

喜ばしいということはよくよくわかっているんだけど、どうしてもさびしくてたまらないという風によく聞くわ。

結婚のお話が本決まりになったのはいつだったの?」

友人
「彼を連れてきたのは去年の秋の終わりごろだったのだけど、続けてご両親が挨拶に来て下さったりして、何かとイベントがあるでしょ?
そのせいか、最初はうれしさの方が先だっているような気がしたんだけど、年明けにはあなたの言うとおりなの。
『あの子が結婚することはうれしいことなんだけど、いなくなると思うとさびしくて仕方がない』とか言い出して、それと同時になんだか元気がなくなってきたのね。何というか今までの母とは全く違うのよ」


「一言でいえばボーとしてるんでしょ?具体的にはどんなことが変と思ったの?」

友人 

「私がずーと働いていたでしょ。だから今でも夕食作りは母の担当のまま。 

今までなら、私たちが帰ってくるまでに下準備は全部終わっていて、ちょっと火を入れたらすぐできあがるとか、冷蔵庫で冷やしてあって冷たい状態で出してくれるとか、少しも待たされることなどなく、わが親ながら立派なものだったのに・・・。

それが、朝ちゃんと帰宅時間を伝えていても、夕食の準備ができてない。

できているときもあるけれど、やはり手順が悪いのね。だから私と娘は夕食をウンと待つことになったの。

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「献立が単調になったでしょう」

(これは前頭葉機能のうち発想力が低下したことの反映です。小ボケの特徴です。)

友人
「それがちょっと違うの。

もともと、月曜日から金曜日までの5日間、私がカレンダーに主菜だけ書いてあげるようにしていたの。

鶏肉。豚肉。ひき肉。魚。豆腐など毎日主菜の材料を変えて、その献立を書いておくと、冷蔵庫の中を見て、とっても適切な副菜を作ってくれていたし、たりなければ買い物にも行ってくれてね。

土日は二人で台所に立って、挑戦料理の日と名付けて新しい料理を作るようにしていたの。そうするとテレビや新聞から『作ってみたい料理情報』を母が見つけていた・・・
むしろそれを楽しみにしていたと思うわ」


「やっぱり、前頭葉機能の低下は明らかねえ。意欲なくボーとしてる。手順が悪い(見通しが立たない)。でしょ?

生活がイキイキできなくなるきっかけが、半年前ならうまくやればすぐに改善できるけど」

友人
「そうなの!今は元気な母に戻っているわよ。あなたからボケの話を聞いていてよかった。
これが小ボケだって思ったから頑張ったのよ」


「それはよかった。どんなことをやってあげたの」

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「まず娘に『よく話しかけるように』って言ったの。『日常的なことの他に結婚準備の細かいことも全部話してあげてね』って。

私は、母が温泉好きだから『今度はどこに行きましょう?』って話を持っていったら、前ならすぐに行きたい温泉が言えたのに、だってテレビや新聞から情報を掬い上げる天才だったから。

『うーん、結婚式もあるしいいわ』みたいな返事が返ってきて、それで小ボケって確信したくらいよ。
それにもめげず、近いところに連れて行ったり、結婚式の後に行く温泉地候補の話をしたり。
もちろん日曜日には買い物にも連れ出して。
そうそう夕食作りは一緒に台所に立つように心掛けたのよね」


「なかなか立派!でもお母さんがほんとによくお嬢さんのお世話をしてくださったから、あなたもお嬢さんも『お母さんのために』ってがんばれるのよねえ」

友人
「一番よかったことは、隣の駅前に新居が決まったことかもしれない。
母の行きつけの美容院の近所で、連れて行ってあげたらとっても安心したのがよくわかったの。
『ここなら一人でも行ける』と思ったみたいよ。バスに乗って15分くらいかなあ。
そうそう、実際一人で行ってみたりもしたみたい。(お、意欲が出てきていますね!)
結婚式に何を着て行くかみたいな話にもちゃんと乗ってくるようになったし、もちろん夕食も待たされることがなくなりました(笑)小ボケって治るのねえ。
それにしてもあなたから小ボケの話を聞いていてよかったわ」

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「ほんとによかったわね。
第2の人生では、楽しみごとは先送りにしないでなるべく早く実現させてあげて、楽しいと思うことをたくさんさせてあげて。

90歳を超えていると、来年の今頃はあるかどうかわからないって思ってね。

楽しいことを十分に体験した時に、ボケもしないし、納得してこの世とお別れができるんじゃないかと思ってるのよ・・・」

 

 

 

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小ボケからのカムバック 1ーリフォームが功を奏した

2014年07月08日 | 認知症からの回復

いい話を聞きました。

知人
「母がね、90歳なんだけど春ごろちょっとおかしかったのよね。でも、今は元気になって。
元通りといいたいけれどそれ以上(笑)」


「おかしいって?」

知人
「記憶力がないというか同じことを言うし、言ったことも言われたことも忘れるしね。」
(普通は物忘れのことが目につきやすいし、マスコミも言い立てますからここから言われることが多いのです)


「まあ物忘れは歳を取った人にはあることだから・・・?」

知人
「それが、忘れ方が今までと違うというか、説明すればわかってくれていたのに、まったくカケラもないみたいでね。今までそんなことはなかったのに、言い張ったり逆に怒ってしまうとか。
今までの母とは別の人になったみたいだったの


「別の人になったみたいというのは大事な情報ね。
その人らしさは前頭葉から生まれてくるものでしょ?脳の老化が加速されるときに最初に影響を受けるのが前頭葉。
物忘れの前に、意欲が無くなったでしょ!」

知人
「そうそう!もともと『何々?』と好奇心いっぱいの母だったのに、さっぱり意欲が無くなって、何か言ってもわれ関せず。
確かに表情もなくなって、とにかくボーとしてるのよ。たまに動くとモタモタしてるし・・・
あんなにおしゃれだったのに、おしゃれにも関心がなくなったし、食卓でも今までと違って会話に入ってこないのよ。かとおもうと唐突に何か言ったりするのね。内容は全然おかしくないというか、完璧にまともなのだけど、タイミングが変なの」
(これはまた見事に小ボケの症状を列挙してくれたものです!)


「やっぱり前頭葉だけが元気を失ってる状態だったのね。それで春ごろにおかしいことに気づいたとしたら、去年の秋から冬にかけて生活が大きく変わってしまうことがあったのね?何が起きたの?」

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「暮れに、家族で食事に行ったのね。その時に倒れてちょっと意識がなくなったの。
病院では特別なことはないという説明だったけど、それから怖がって慎重になったというか、散歩もやめたし、とにかく家の中でジーとしていることが目立つようになったの。
この冬は特別寒かったことも影響してるかもしれない。ホラ雪も降ったし。
年が明けて、今度はめまいが繰り返し起きてきて、今度はジーとするしかない状態になったというわけ」

私「変な言い方だけど、マイナス要因がプラスされたから、春までにしっかり小ボケになられたのね。
それで、何をしたらお元気になられたの?」

知人
「これは小ボケかもと思ったので、家族みんなでなるべく話しかけたりしてたんだけど、前から計画していた家のリフォームが急に本決まりになってね。
4月ごろから、母の意見を聞かなくてはいけない場面や説明しなくてはいけないことが増えたの。母に決めてもらうしかないこともあったわね。

それから工事が始まって、そうすると今日は下に職人さんが入るとか、明日の午後はお母さんの部屋が使えないとか、日や時間を確認することがたくさん出てきて、きっとそれもよかったみたいよ。

家がきれいになってとっても嬉しいみたいで、さっきも言ったように、今では前以上に元気なの」

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知人
「いつもあなたから小ボケの話を聞いていてほんとによかったわ。
実際に母を見ていたら、とにかく何か違うのよね。これがいつも聞いてる小ボケかもってすぐにわかったから。
だって家でも言ってる内容は変じゃないし、よその人と話せば誰も気が付かないくらい普通なのよ。でも、変!やることが母らしくないのよね。
『ことばを聞くのじゃなくて、やってることを見るのよ』といつも言ってたでしょう?
小ボケって治るのね」


「それは早く見つけて、家族の皆さんが一生懸命働きかけたからよ。早期発見がこれほど大切なものもないと思うわ。
もちろんリフォーム自体もよかったかもしれないけど。もう少し遅かったら、もう少し大変だったかもね。
小ボケの人で、リフォームや新築の家の新しい設備を使いこなせないという話はよくあるもの。その時はリフォームが脳の老化を早めることになるのよ」

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6月の右脳訓練ー甲府~富士~沼津

2014年07月01日 | 認知症予防講演会

根津記念館から甲府へ行き、そこで講演を2時間。一つ仕事をしました。ようやく(笑)
というか、仕事の合間に上手に右脳訓練をしているのです。と言わせてください。

講演は無事に終了。主催された方から「一人一人が講師と一体化している」と褒めていただきました。
「話も大変分かりやすく内容も充実していてとてもよかったと思います。現場の方のお話のほうが具体的で整理されているし時間もぴったりで感心しました。教師も見習わなくては !」という退職大学教授の方の感想もお知らせくださいました。

岩下温泉から一緒の友人と、甲府駅まで歩いて行くことにしました。
まったく犬も歩けば棒にあたるで、思いがけず魅力的なお寺に遭遇しました。長禅寺

信玄公母堂の菩提寺、信玄公が定めた甲府五山の筆頭だそうですが、まさにその通りと思わせられる格式あるお寺でした。

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甲府駅前にはアジサイが満開の甲府(舞鶴城)が。

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「こうふ」は旧かなづかいなら「かふふ」なんですね!ふふふ。
身延線で富士へ。

 

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6/29は沼津で大学の同窓会総会。ここでもちょっと講演をしました。
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同窓会といっても、年々歳々「先輩」の側に回ることになってしまって・・・
気持ちだけは若いつもりでも、取った歳は取った歳ですから 、ジタバタせずに ♪Let It Go

二次会でのお話はとてもとても楽しいものでした。O村先輩の妻・母・嫁・職業人としての生き方は素晴らしい。

奉職先での「私が初めて~をしたのよ」の連発は、妻・母・嫁としての幅広いご体験が、職業人というスタンスに大きく影響なさったに違いありません。
前頭葉は、体験の上にできあがる機能ですからとっても納得です。

オープンキッチンのレストランが会場でした。昼食はとってもおいしいステーキでした。
幹事さんありがとうございましたm(__)m

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6月の右脳訓練ー武相荘~山梨市岩下温泉~根津記念館

2014年07月01日 | 私の右脳ライフ

27日からは、一筆書きの旅でした。
伊豆ー小田原ー町田-八王子ー岩下温泉(山梨市)-甲府ー富士ー沼津ー伊豆

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学生時代の仲良し5人組(今回は4人)が年に何度か集まってお喋り会を楽しんでいます。
今回は、旧白洲邸「武相荘」に行きました。

会った途端に、昨日も会っていたようになんでも話すことができる友人たち・・・
話すことは自分の中をのぞきこむようなことでもあると思うのです。
話しながら、どこか整理されていくような感じがわいてきます。
ともするとおしゃべりに傾きそうになるのをどうやらブレーキをかけながら見学。
ランチは、武相荘の中のレストランでカレーライス。1皿2000円もしましたが、チキンとエビ2種類を予約。半分ずつ食べて大満足。

町田から横浜線に乗って八王子。温泉好きの友人と合流。
今日の宿は岩下温泉 山梨最古の湯(1700年前に出湯)、28度の冷泉、レトロな建物・・・期待は高まります。籐の籠は「たぶん80年くらいたってるでしょう」と宿のご主人が。

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湯権現が片隅にお祭りされています。

源泉はこの建物の下ですから、ほんとうに新鮮な温泉です!
28度という温度は、ちょうどプールに入ったような感じでした。
入った途端は「動かないで。冷たいから」という感じですが、そのままずーと入っていられます。
1時間近く入っていられました。

上がったら、汗は出ないのですが体の芯がポカポカして、不思議な感覚を味わいました。
今でも近隣の農家の人たちはよく利用されるお風呂だそうです。ここにも湯治文化があるのですね。

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宿に隣接して、3~7世紀創建といわれる古墳の上に走湯神社がまつられています。地域でこの温泉が大切にされてきたことがよくわかりました。

道祖神も独特です。
この道祖神の向こうに、川幅が5メートルくらいの川があります。
その川向こうに源泉や宿が建っているのですが、なんと2~3日前まで蛍が乱舞していたとか。残念!

「蛍は正直で、川の水が汚れると出てきません。農薬かなあ・・・
生活排水もよくないみたいですよ」ということでした。
先日の「降りてゆく生き方」がアピールしたいことと、根っこのところでつながっている話でした。

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一夜明けて翌朝は根津記念館へ。
私はネットで調べ、友人は観光パンフレットを入手して調べていましたが、期せずして希望が一致していました。根津嘉一郎生家ということです。これが期待以上!

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資料館では、根津嘉一郎の業績だけでなく哲学まで理解できる工夫がありました。
このときもまた「降りてゆく生き方」のテーマに通じるものを感じ、人生はご縁でつながっていくものだと感じ入りました。

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復元された建物が、忠実に日本建築の伝統を守り、茶人として名を成した根津嘉一郎の美意識を伝えているようでした。

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庭には笛吹川を模した流れが引き込まれ、大磯の松と呼ばれるすばらしい松が植栽されています。一方で庭の片隅にはやさしい花々がひっそりと色づいています。
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私の右脳、ちょっと左脳も大喜び。行ってよかった・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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