脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

石原慎太郎さんは左利き-右脳梗塞で失語症に(再掲)

2024年01月13日 | 右脳の働き

どういう訳か、2017年3月に書いたこの記事が集中的に読まれています。何か理由があるのかもしれませんが、それを探るよりも再掲してみます。

脳には場所でその働きが異なる「機能局在」という考え方があります。左脳はデジタル右脳はアナログ。脳機能をそんなにシンプルなものと断定するのは危険ではありますが、この記事や記事中に紹介している前記事のような症例こそが、脳機能の局在を知る手掛かりを教えてくれます。


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一か月後から有料でしたが、400円/月!ウソみたいな安さです。 
dマガジン導入の前は、週刊新潮や週刊文春は新聞の広告欄の見出しで十分と思っていましたが、今はときどき読むことがあります。何しろ無料ですから(笑)
今日は週刊文春3月30日号を読んで、またもや右脳に言語野がある(かもしれない)ケース発見。
週刊誌の見出しはちょっと恥ずかしくて転記しにくいですねえ。でも。
「石原・浜渦『逃げ恥』を許したおバカ都議」3ページにわたる記事でしたが、気になったのは9行のみ。
「石原氏は脳梗塞の後遺症が残る利き手の左手ではなく、右手で宣誓書にサインし、冒頭『(記憶を司る)海馬がうまく働かず、平仮名さえ忘れました。記憶を引き出せないことが多々あります』と断ったうえで質疑に応じた。」
ここでお断り。今回の記事は、書かれていることが正確であるという前提でお話ししています。

3月27日。小雨の庭の花たちです 。貝母

この短い9行の記事から、いろいろなことがわかります。
まずは「利き手が左手」ということですね。 その左手に「署名ができないほどの後遺症としてのマヒがある」ということもわかります。
ということは、脳梗塞は「右脳に起きた」ということになります。
びっくりすることに「平仮名を忘れている」つまり、「平仮名が読めない」とカミングアウトしたのです。
もう一つは「(利き手でない)右手で名前は書ける」のですね。

ミニ水仙

右脳の働きはアナログ情報の処理、色や形や音楽さらには感情的な処理までも受け持ちます。左脳はデジタル情報の処理をします。つまり言葉は左脳の担当ですから、右脳にダメージを受けたときには「失語症」の心配はしなくていいのが普通です。
ただし大切なことは、このざっくりしたわけ方は、右利きの人の場合だということです。左利きの人は、言語野が左脳にも右脳にもあると言われています。

石原さんの「平仮名が読めない」ということは、言葉の障害と考えられます。理由は、石原さんは左利きですから、脳梗塞でダメージを受けた右脳にも言語野があったということなのです。

先日のニュースで、石原慎太郎さんが百条委員会での証人喚問に際して、次のように発言したと伝えられました。正確な情報のためにネットで全文記載してありそうなものを見つけましたから、ここに転記します。
「お答えする前に一言、お断りしておきますけど。私ごとになりますが、私、2年ほど前に脳梗塞を患いまして、いまだにその後遺症に悩んでおります。現に、利き腕の左腕が使えず、字も書けませんし、絵も描けません。患部がですね、右側頭頂部だったために、その近くに「海馬」と言う不思議な部分がありまして、記憶を埋蔵している箱のようなものですが、これがうまく開きません。そのため、残念ながら全ての字を忘れました。平仮名さえ忘れました。物書きでありますから、ワードプロセッサーを使ってなんとか書いてますけど、そういう点で記憶を引き出そうとしても思い出せないことが多々ありますので、一つ、ご容赦いただきたいと思います」
うーん、週刊文春の短い記事はけっこう正確に伝えてくれています。
冬アジサイ

一般の読者はびっくりしたでしょう。
こういう場所ですから「まさか嘘は言わないだろうから、脳梗塞の後遺症で海馬がうまく働かなくなると平仮名も忘れてしまうんだ」とそのままに受け取ったのではないでしょうか?
発言内容はさておき「その割には、ちゃんと話すことはできるんだ」と思ったでしょうね。
単に「宣誓書にサインをした」とだけ書かずに「脳梗塞の後遺症の残る利き手の左手でなく、右手で」と「左手が利き手」であることを省略してないことに拍手です。
左利きの人は、言語野が左脳だけでなく右脳にも一部あるといわれています。
そのことは、左脳にダメージを受けても言語野がすべてやられることになりませんから、「左利きの人は失語症が軽くて済む」といわれることにつながります。
今回のように、右脳にダメージを受けたのに、普通なら左脳障害の後遺症である言葉の障害(軽症のことが多いですが)を起こしてしまうことにもなりますけど。
たまたま、前回の記事「例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります」も同じ例です。
クリスマスローズ
 
実は「また『忘れる』ことが、種々のトラブルの原因にされてしまって・・・困ったこと」と、私は思っていました。
その前に解説が必要だということに、週刊文春の記事は気づかせてくれました。
平仮名を「忘れてしまって」分からなくなったのではなく、平仮名の理解をする脳の機能に、脳梗塞の後遺症が起き「読めなくなって」しまったのです。形のレベルで「わからない」場合も、形はわかっても「意味と関連付けること」ができなくなってしまう場合もあります。
漢字の方がわからないケースと、仮名の方が難しくなるケースがあります。一文字が問題の場合もあるし、文が難しい場合もあります。
「失読」という症状です。細かく調べないと正確なことは言えません。
「失読」には「失書」も伴うことがよくあります。「字が書けない」という症状です。ところが自分で書くことはできなくてもパソコンを使えば書ける場合もありますから、石原さんの発言の後半はうなずけるものだといえます。
脳機能という切り口を持っていると、たった9行の記事からもいろんなことがわかるものです。
コリアンダー
 
認知症も「物忘れ」こそ大切な症状と思われています。何か問題があれば「物忘れ」「記憶力がおかしい」「思い出せない」「覚えられない」と言います。

認知症の最初の症状は「記憶力低下」ではありません。
前頭葉の機能低下こそ、認知症のもっとも初期の症状の原因となります。
例えば小ボケの症状である「鍋を焦がしたり、やかんの空焚き」をしてしまうのは、鍋やヤカンを火にかけているのを「忘れる」のではなく 、他の用事をしていると、前頭葉の中核的な働きである「注意分配力」がうまく働かない状態なので、注意を振り向けることができなくなるから起きる失敗なのです。
いろんなことを思いついたり、企画したりするような「意欲」も前頭葉の役割です。
認知症が始まってすぐ、記憶の障害が目立つ前に「意欲」がわきませんから「何もせず、ボーとして居眠りばかりしている」のですが、そのことを指摘すると「あんたもこの齢になったらわかるわよ」などと妙に納得させられるような反論にあったります。そうすると「『物忘れ』もそんなに目立たないし、やっぱり歳のせいかなぁ」と、折角の認知症を回復させられるゴールデンタイムを見逃してしまうのです。

ホンコンドウダン(ピンクシャンデリア)

by 高槻絹子

 



追悼 石原慎太郎さん

2022年02月02日 | 右脳の働き

石原さんの記事を2017年3月に書いてありました。
右脳障害で失語症発症という珍しいことが起こっていました。文学でも政治でもない分野の話ですが、読んでみてください。

石原慎太郎さんは、左利きー右脳梗塞で失読症に

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週刊誌の見出しはちょっと恥ずかしくて転記しにくいですねえ。でも。
「石原・浜渦『逃げ恥』を許したおバカ都議」3ページにわたる記事でしたが、気になったのは9行のみ。
「石原氏は脳梗塞の後遺症が残る利き手の左手ではなく、右手で宣誓書にサインし、冒頭『(記憶を司る)海馬がうまく働かず、平仮名さえ忘れました。記憶を引き出せないことが多々あります』と断ったうえで質疑に応じた。」
ここでお断り。今回の記事は、書かれていることが正確であるという前提でお話ししています。
3月27日。小雨の庭の花たちです 。貝母

この短い9行の記事から、いろいろなことがわかります。
まずは「利き手が左手」ということですね。 その左手に「署名ができないほどの後遺症としてのマヒがある」ということもわかります。
ということは、脳梗塞は「右脳に起きた」ということになります。
びっくりすることに「平仮名を忘れている」つまり、「平仮名が読めない」とカミングアウトしたのです。
もう一つは「(利き手でない)右手で名前は書けるが、文になるとワープロが必要」なのですね。
ミニ水仙

右脳の働きはアナログ情報の処理、色や形や音楽さらには感情的な処理までも受け持ちます。左脳はデジタル情報の処理をします。つまり言葉は左脳の担当ですから、右脳にダメージを受けたときには「失語症」の心配はしなくていいのが普通です。
ただし大切なことは、このざっくりしたわけ方は、右利きの人の場合だということです。
石原さんの「平仮名が読めない」ということは、言葉の障害?そうであってもおかしくはありません。
石原さんは左利きですから! 

先日のニュースで、石原慎太郎さんが百条委員会での証人喚問に際して、次のように発言したと伝えられました。正確な情報のためにネットで全文記載してありそうなものを見つけましたから、ここに転記します。
「お答えする前に一言、お断りしておきますけど。私ごとになりますが、私、2年ほど前に脳梗塞を患いまして、いまだにその後遺症に悩んでおります。現に、利き腕の左腕が使えず、字も書けませんし、絵も描けません。患部がですね、右側頭頂部だったために、その近くに「海馬」と言う不思議な部分がありまして、記憶を埋蔵している箱のようなものですが、これがうまく開きません。そのため、残念ながら全ての字を忘れました。平仮名さえ忘れました。物書きでありますから、ワードプロセッサーを使ってなんとか書いてますけど、そういう点で記憶を引き出そうとしても思い出せないことが多々ありますので、一つ、ご容赦いただきたいと思います」
うーん、週刊文春の短い記事はけっこう正確に伝えてくれています。
冬アジサイ

一般の読者はびっくりしたでしょう。
こういう場所ですから「まさか嘘は言わないだろうから、脳梗塞の後遺症で海馬がうまく働かなくなると平仮名も忘れてしまうんだ」とそのままに受け取ったのではないでしょうか?
発言内容はさておき「その割には、ちゃんと話すことはできるんだ」と思ったでしょうね。
単に「宣誓書にサインをした」とだけ書かずに「脳梗塞の後遺症の残る利き手の左手でなく、右手で」と「左手が利き手」であることを省略してないことに拍手です。
左利きの人は、言語野が左脳だけでなく右脳にも一部あるといわれています。
そのことは、左脳にダメージを受けても言語野がすべてやられることになりませんから、「左利きの人は失語症が軽くて済む」といわれることにつながります。
今回のように、右脳にダメージを受けたのに、普通なら左脳障害である言葉の障害(軽症ではあります)を起こしてしまうことにもなりますけど。
たまたま、前回の記事「例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります」も同じ例です。
クリスマスローズ
 
実は「また『忘れる』ことが、種々のトラブルの原因にされてしまって・・・困ったこと」と、私は思っていました。
その前に解説が必要だということに、週刊文春の記事は気づかせてくれました。
平仮名を「忘れてしまって」分からなくなったのではなく、平仮名の理解をする脳の機能に、脳梗塞の後遺症が起き「読めなくなって」しまったのです。形のレベルで「わからない」場合も、形はわかっても「意味と関連付けること」ができなくなってしまう場合もあります。
漢字の方がわからないケースと、仮名の方が難しくなるケースがあります。一文字が問題の場合もあるし、文が難しい場合もあります。
「失読」という症状です。細かく調べないと正確なことは言えません。
「失読」には「失書」も伴うことがよくあります。「字が書けない」という症状です。ところが自分で書くことはできなくてもパソコンを使えば書ける場合もありますから、石原さんの発言の後半はうなずけるものだといえます。
脳機能という切り口を持っていると、たった9行の記事からもいろんなことがわかるものです。
ただし海馬の障害で字の記憶がなくなったわけではありません。ここは間違いです!私たちがことばを使う時には、海馬で記憶した文字を繰っているのではなく、言語野が担当しています。こういう基本的なことすら、解説してもらえなかったのかとちょっと驚きました。
コリアンダー
 
認知症も「物忘れ」こそ大切な症状と思われています。何か問題があれば「物忘れ」「記憶力がおかしい」「思い出せない」「覚えられない」と言います。

認知症の最初の症状は「記憶力低下」ではありません。
前頭葉の機能低下こそ、認知症のもっとも初期の症状の原因となります。
例えば小ボケの症状である「鍋を焦がしたり、やかんの空焚き」をしてしまうのは、鍋やヤカンを火にかけているのを「忘れる」のではなく 、他の用事をしていると、前頭葉の中核的な働きである「注意分配力」がうまく働かない状態なので、注意を振り向けることができなくなるから起きる失敗なのです。
いろんなことを思いついたり、企画したりするような「意欲」も前頭葉の役割です。
認知症が始まってすぐ、記憶の障害が目立つ前に「意欲」がわきませんから「何もせず、ボーとして居眠りばかりしている」のですが、そのことを指摘すると「あんたもこの齢になったらわかるわよ」などと妙に納得させられるような反論にあったります。そうすると「『物忘れ』もそんなに目立たないし、やっぱり歳のせいかなぁ」と、折角の認知症を回復させられるゴールデンタイムを見逃してしまうのです。
ホンコンドウダン


「7-38-55のルール」ーコミュニケーションのコツ

2021年05月23日 | 右脳の働き
たまたま読んでいた本で「『7-38-55のルール』とも呼ばれる『3Vの法則』」ということばを見つけました。1971年にメラビアンという人が提唱したそうです。
メラビアン?聞いたこともない!『7-38-55のルール』も初めて見ることば。
『3Vの法則』も知りません。
興味津々。
「3Vの法則」はVerbal=言語情報 Vocal=聴覚情報 Visual=視覚情報の三つのVでした。

ウィキぺディアの解説です。
この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを(ママ)扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。

このような解説もありました。
「好意」「嫌悪」「中立」を示す表情の写真を用意し、それぞれの表情と矛盾するイメージの言葉と組み合わせて参加者に見せ、反応を確認しました。たとえば、「ありがとう」という言葉を、「怒りの表情」の写真や「不機嫌な口調」の録音と組み合わせ、参加者に聞かせたのです。このとき、参加者が本来の言葉の意味通り「好意」を感じ取れば言葉そのものの影響力が強く、逆に「嫌悪」を感じれば視覚や聴覚から得た情報が優先されたことになります。
このような実験を繰り返し、人が言語・聴覚・視覚から得られる情報のうち、どれがどの程度優先されるかを確認していったのです。その結果、コミュニケーションには「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」の割合で影響しているという「メラビアンの法則」が導き出されました。

私が知らないだけでビジネス分野ではよく引用されているようです。
そして誤解、誤用もされているということにも興味が惹かれました。「話の内容より第一印象が大切」というように独り歩きしてしまったという!
メラビアンの主張する「非言語情報と言語情報にずれがある場合には、非言語情報の影響力の方が大きく、優先される割合は93%である。非言語コミュニケーションが何より優先というわけではない」ということからは、むしろずれのないコミュニケーションを図る大切さを主張していると思いました。

何年か前のベストセラーに「人は見た目が9割」という本がありましたね。私は読んでいませんが、この言葉は結構独り歩きして「見た目をよくする」または「見目麗しい」ことが大切というような風潮を助長したと思います。「話の内容より第一印象が大切」まして「服装が第一、何なら整形手術も」とは、メラビアンは言ってないのですよ。
メラビアンの法則が誤解されていることに、つけこんだのかもしれません。
今度「『7-38-55のルール』とも呼ばれる『3Vの法則』」ということばに出会ったおかげで、メラビアンの主張は決してそのような意味ではなかったということがわかりました。

脳に入ってくる刺激は、視覚情報が80%、聴覚情報が15%、その他5%といわれています。そして「7-38-55のルール」を聞いた後でこんな課題が出たとします。
1.「嬉しそうに、悲しいことを伝えている」人と
2.「悲しそうにうれしい話をしている」人に出会ったときに、受け取り側はどうとらえるでしょうか?
視覚情報優位ならば1はうれしいこと、2は悲しい話ということになりますがそんなに簡単でしょうか?具体的に考えてみるのですよ。
脳機能からの解釈がスッポリ抜け落ちていますね。伝達法によって、どの脳部位が主に働くかをまとめてみました。

想像以上に、圧倒的ともいえるほど右脳のもつ機能に頼って判断していることがわかります。
とは言いながら、言葉の持つ情報量も現実には無視できるはずがありません。こういう状況の時には、まずは混乱します。そしてどちらに結論付けるかは視覚情報と聴覚情報と、言語情報だけではないような気がしませんか。右脳からの情報と左脳からの情報を受け取った後に、どのように状況判断するかは、実は前頭葉にゆだねられるのです。それはずれがあろうとなかろうと同じです。
コミュニケーションをしているときの、私たちの脳の働き方は、想像するよりもはるかに複雑ということです。

ことばの理解は単純です。その意味を知っているかどうかですから。わからなければ教えてもらうところから始まります。そして、なぜその言葉が選択されたのかを考えるのも、話し手を理解するための一助になりますよね。
話し手は伝えたいことを、その右脳を通してアナログ情報の形として、視覚情報や聴覚情報に乗せてコミュニケーションを図ります。そのアナログ情報を受け手の右脳がキャッチできているかどうかという視点は重要です。そのことは、単なる言葉の理解をすることに比べるとすでにはるかに高い段階の作業ですが、もちろん前頭葉がどのように総合判断するか…が最終的なカギ
その人の生きてきた事実そのものがその人の前頭葉を育むことを考えると、コミュニケーションをすることは、想像するよりもはるかに脳を駆使しているといえますね。

2016年にこのようなことを書いていました。

同じディゴでもカメラの構え方ひとつでこれほど印象が変わります。

緑のバックを青い空に変えたら、受ける日差しも変わりました。

感情がこもっていない単なる2枚の写真。この視覚情報の差は、見ただけでよくわかりますが、写真を見せずに言葉を使って誰かに伝えるとなったら至難のことになりますね。
それにもし好き嫌いとか、思い出などの感情を込めるとしたら。写真なしではあまりにも難しいので、写真を見てもらいながら伝えることにします。その時、私たちは言葉を選び、声のトーンや高低や速さを考慮し、表情や身振りを工夫しコミュニケーションを図ると思います。一つずつ考えると大変な作業ですが、「わかってもらいたい」という意志さえあれば、結構苦もなくやってしまいます。
脳ってすごい。
コロナによる自粛は、このような豊かな脳の出番を阻止しているのです。怖いことです。



















失語症者ががんばるときー右脳の出番(再掲)

2020年07月07日 | 右脳の働き
2か月前の2020年5月6日の記事ですが、パソコンの整理をしていたら、後半にご紹介した井口実さんの写真を発見したので再掲します。話せなくても、利き手が使えなくてもしっかりと生き続けることができるということが納得できるお顔です。


以下、記事本文です。
散歩の途中にカエデの種を発見したのです。コロナで自粛していたからとは言いませんが、カエデの花には全く気付かずに過ごしてしまいました。季節に合わせてカエデは旅立つ準備をちゃんとしているではありませんか。

何とも言えない桃色と若草色の美しさ。昨今の落ち着かない世情とは無関係に、カエデの中ではきちんと季節が移り替わっていることに単純に心動かされました。

Stay Homeでも勉強してもいいはずですが、なかなか机の前に座る心境からほど遠く、それでもこれだけ続くとちょっとは落ち着かなくなって、「右脳訓練の報告ブログばかりではいけないなあ」と考えていたところのカエデの種との出会いでした。
写真は5/1の庭の花。カラー

脳外科で働き、脳損傷の方々にたくさんお会いできたということは、脳機能を身近に考えさせられることに直結しました。
運動マヒが一番わかりやすく、納得もしやすい。
損傷を受けた脳と逆側にマヒが起きてくる。中大脳動脈還流域だと上半身。後大脳動脈還流域だと下半身。大きく損傷されると半身マヒ。
患者さんにとってはなんと理不尽なことでしょう。直前まで全く何の支障もなく思い通りに動かせていた「自分」の体なのに・・・
一足早く色づく冬アジサイ

あるとき、気づきました。左脳障害の方と右脳障害の方とでは、リハビリに対する姿勢が、違うのです。
(ここでは一般的に、右手が利き手の方、《ということは言葉を司るのは左脳ということになります》のことを書いています。その中でももちろん個人差が大きいことは言うまでもありませんが、形式的にわかりやすく表現します)
左脳障害の方は、言葉に障害が残る方や、利き手である右手が使えなくなったりする方がいらっしゃるわけですが、左手で箸を使い字を書くようになられる方が多い。その努力が並大抵でないことは、あなたが右利きなら、左手で箸を使ったり字を書いてみればすぐにわかることだと思います。
運動のリハビリを受けるときでも、「歯を食いしばって」という印象を受けることが多いのです。言葉に障害が残っていて自由に言葉での表現ができない中でも「歩けるようになりたい」とか「〇月〇日までには退院したい。娘の結婚式があるから」「左手でも調理はできるようになって退院したい!家族の食事作りは私の仕事だから」などと訴えてこられます。
キンギアナム

一方で、右脳障害の方たちは、ちゃらんぽらんな印象を受けることが多いのです。言葉に重みがないというか、上滑りというか。状況にそぐわないことを真顔で話します。
右脳に障害を負ったわけですから、体のマヒは左半身に起きてきます。上半身なら左手のマヒ(利き手ではないことに注意)。下半身なら左足。
ことばを司る左脳は、障害されていませんから病前とまったく同様に言葉を繰ることができます。脳から外界に向かう「話す」「書く(利き手は病前と同様に使えるわけですし)」、外界から脳へ向かう「聞く」「読む」そのすべてに支障はないのです。そして繰り返しますが、利き手は使える状態が維持されています。
ところが、院内では些細といえどもちょっと不思議な事件が起こります。
雲南黄梅

歩行訓練時、リハビリのスタッフが、苦笑しながら「もう少しだけがんばりましょう」と毎回励まします(意欲欠如)。
左半身マヒのため車いすに乗って神経心理テストを受検中、検査終了したら立ち上がろうとするので検査者は肝を冷やすことになります(病識欠如)。
廊下を歩くとき、左側の壁に何度もぶつかってしまいます(左空間失認)。
配膳された食事の左側を無視したかのように残してしまいます(左空間失認)。
マヒのために難しい動作については援助してあげても、洋服がうまく着られません(着衣失行)。
ちょっとしたことで突然泣き始め、そうかと思うとすぐに平常に戻ることもあります(感情失禁)。
一番に咲いたピンクパンサー

右脳が障害されて引き起こされるのは、言葉を担当する左脳が障害されていないため、左半身の運動障害だけと考えられてきましたが、上にあげたように多彩な「後遺症」があることを知らなければいけません。
右脳に障害を受けている場合に、いちばん戸惑うことは「場にそぐわない発言をする」ことだと思います。
例えば、左脳障害の人がまだ慣れない左手で一生懸命絵を描いているのを目にすると「下手だね」とはっきり言ってしまいます。
リハビリの必要性を滔々と弁じた後「今日は雨ふりだから、リハビリは休み」とか、排泄や食事で失敗して服やベッドが濡れてしまったら「なぜだろう?」はまだしも「雨漏り?」などといわれたら、びっくりしてしまうでしょう。
小鳥用のひまわりの種から

一方で、左脳障害を抱えた人で忘れられない方(実は何人もいます)の話をしたいと思います。
右利きの人が左脳を傷害されると、失語症という後遺症を持つことがあります。
運動性失語(脳から外界に向かう「話す」「書く」が主に障害される)と感覚性失語(外界から脳へ刺激が入ってくる「聞く」「読む」が主に障害される)に二分されます。そしてその両方に重い障害が残ったとき全失語というのです。
全失語の状態で退院した方の家族からの話です。
「家の中では車いすですが、ちゃんと留守番してくれるんですよ。帰るとうれしそうですし『お留守番ご苦労様。ありがとう』というとちゃんと伝わってます。
お食事もおいしそうに食べてくれるし、好物を用意するとほんとにうれしそうにしてくれます。『ありがとう』は言えませんが、ありがとうと思ってくれてることがよくわかります。
体の世話は大変なこともありますが、でもまだまだ家族でやっていかれます」
話せないし、こちらの言ってることもはとんど理解できないにもかかわらず、状況の理解ができるということですね。そして言語外のコミュニケ―ションが、私たちにはできることを教えてくれています。右脳の底力を感じました。(もちろん前頭葉あっての生活ですけれど)
それと、このケースは家族関係の良さがベースになっているのは論を待ちません。

もうおひとりご紹介します。
静岡県春野町にお住まいだった井口実さん。私の長年の友人の弟さんです。これは井口さんからいただいたはがき大の塗り絵です。

井口さんは年若くして脳卒中になり右半身マヒで車いす生活になりました。言葉の障害は「聞く」ことは大体理解できているのではないかと想像したそうですが、「話す」ことに関しては声は出せますが、全く話せないのです。
「ジグソーパズルや絵などを楽しむ力は何も障害されていない。音楽やら歌はお好きですか?ゲームはできるかしら」などとお話したことはありました。
その後、友人から「塗り絵に凝ってる」という情報が届きました。60歳代の男性ですから、少しでも完成作品に満足してもらえるものがあるといいなあと思っていたら、「虫」がテーマの絵葉書を見つけたので「少し小さすぎるかも。でもこのパターンは珍しいし」と送りました。

もともと右利きだった人が、左手で描いているのですよ。色合いを考え、グラデーションを付けて。
頂いた私もうれしかったですが、ご本人にとっても達成感あふれる活動だったようです。またホームの方も玄関やディルームに飾ってくださって、作者の説明をしてくださったそうです。そして傍らでちょっと誇らし気に見ている弟さんの姿を、友人も何度か見たといっていました。
そのようなときに仏像イラストレーターの田中ひろみさんとお知り合いになりました。
ご本を見た時「これだ!」とひらめき、早速お届けしました。

田中さんは、次々とお寺や仏像関係の御本を上梓されています。塗り絵の本までありました。これこそ求めているもの!でした。だって「色」を使いますから、右脳の出番がそれだけ増えることになりますから。

「まさに、はまった」ということばがぴったりだったようで、心を込めて丁寧に描かれたそうです。
次々に見事な作品になり、完成させては、皆さんに差し上げていかれたそうです。見る側の意識も、一番近い言葉で表現するなら「ありがたい」。
「脳卒中にかかったのに。しかも右手が不自由になっても、負けないで左手で、こんなに細かく見事に描いてくださった!」ではなかったでしょうか。
作者の田中さんも励ましのお手紙を書いてくださったり、そのどれもが井口さんのモティベーションを高める刺激になったと思います。このしっかりとした笑顔をご覧ください。

実は井口実さんは、余病を併発して一昨年末に亡くなられました。
一番最後の作品が、死出の旅立ちのお供になったと聞きました・・・
左脳の障害のために右手マヒ、失語症という重い後遺症を乗り越えただけでなく、周りの人たちに感動を与えることまでされて・・・
井口さんは、見事に井口さんの人生を全うされましたね。    合掌


(繰り返しておきますが、右脳障害については個人差が多くあります。ただこの症状を「後遺症」と理解できる人が少ないことをいつも気にしてきました。「できないことを理解することが、その人への援助の出発点である」ということは私の仕事の原点ですから、理解していただきやすいようにシンプルに書いてあります)

失語症者ががんばるときー右脳の出番

2020年05月06日 | 右脳の働き
散歩の途中にカエデの種を発見したのです。コロナで自粛していたからとは言いませんが、カエデの花には全く気付かずに過ごしてしまいました。季節に合わせてカエデは旅立つ準備をちゃんとしているではありませんか。

何とも言えない桃色と若草色の美しさ。昨今の落ち着かない世情とは無関係に、カエデの中ではきちんと季節が移り替わっていることに単純に心動かされました。

Stay Homeでも勉強してもいいはずですが、なかなか机の前に座る心境からほど遠く、それでもこれだけ続くとちょっとは落ち着かなくなって、「右脳訓練の報告ブログばかりではいけないなあ」と考えていたところのカエデの種との出会いでした。
写真は5/1の庭の花。カラー

脳外科で働き、脳損傷の方々にたくさんお会いできたということは、脳機能を身近に考えさせられることに直結しました。
運動マヒが一番わかりやすく、納得もしやすい。
損傷を受けた脳と逆側にマヒが起きてくる。中大脳動脈還流域だと上半身。後大脳動脈還流域だと下半身。大きく損傷されると半身マヒ。
患者さんにとってはなんと理不尽なことでしょう。直前まで全く何の支障もなく思い通りに動かせていた「自分」の体なのに・・・
一足早く色づく冬アジサイ

あるとき、気づきました。左脳障害の方と右脳障害の方とでは、リハビリに対する姿勢が、違うのです。
(ここでは一般的に、右手が利き手の方、《ということは言葉を司るのは左脳ということになります》のことを書いています。その中でももちろん個人差が大きいことは言うまでもありませんが、形式的にわかりやすく表現します)
左脳障害の方は、言葉に障害が残る方や、利き手である右手が使えなくなったりする方がいらっしゃるわけですが、左手で箸を使い字を書くようになられる方が多い。その努力が並大抵でないことは、あなたが右利きなら、左手で箸を使ったり字を書いてみればすぐにわかることだと思います。
運動のリハビリを受けるときでも、「歯を食いしばって」という印象を受けることが多いのです。言葉に障害が残っていて自由に言葉での表現ができない中でも「歩けるようになりたい」とか「〇月〇日までには退院したい。娘の結婚式があるから」「左手でも調理はできるようになって退院したい!家族の食事作りは私の仕事だから」などと訴えてこられます。
キンギアナム

一方で、右脳障害の方たちは、ちゃらんぽらんな印象を受けることが多いのです。言葉に重みがないというか、上滑りというか。状況にそぐわないことを真顔で話します。
右脳に障害を負ったわけですから、体のマヒは左半身に起きてきます。上半身なら左手のマヒ(利き手ではないことに注意)。下半身なら左足。
ことばを司る左脳は、障害されていませんから病前とまったく同様に言葉を繰ることができます。脳から外界に向かう「話す」「書く(利き手は病前と同様に使えるわけですし)」、外界から脳へ向かう「聞く」「読む」そのすべてに支障はないのです。そして繰り返しますが、利き手は使える状態が維持されています。
ところが、院内では些細といえどもちょっと不思議な事件が起こります。
雲南黄梅

歩行訓練時、リハビリのスタッフが、苦笑しながら「もう少しだけがんばりましょう」と毎回励まします(意欲欠如)。
左半身マヒのため車いすに乗って神経心理テストを受検中、検査終了したら立ち上がろうとするので検査者は肝を冷やすことになります(病識欠如)。
廊下を歩くとき、左側の壁に何度もぶつかってしまいます(左空間失認)。
配膳された食事の左側を無視したかのように残してしまいます(左空間失認)。
マヒのために難しい動作については援助してあげても、洋服がうまく着られません(着衣失行)。
ちょっとしたことで突然泣き始め、そうかと思うとすぐに平常に戻ることもあります(感情失禁)。
一番に咲いたピンクパンサー

右脳が障害されて引き起こされるのは、言葉を担当する左脳が障害されていないため、左半身の運動障害だけと考えられてきましたが、上にあげたように多彩な「後遺症」があることを知らなければいけません。
右脳に障害を受けている場合に、いちばん戸惑うことは「場にそぐわない発言をする」ことだと思います。
例えば、左脳障害の人がまだ慣れない左手で一生懸命絵を描いているのを目にすると「下手だね」とはっきり言ってしまいます。
リハビリの必要性を滔々と弁じた後「今日は雨ふりだから、リハビリは休み」とか、排泄や食事で失敗して服やベッドが濡れてしまったら「なぜだろう?」はまだしも「雨漏り?」などといわれたら、びっくりしてしまうでしょう。
小鳥用のひまわりの種から

一方で、左脳障害を抱えた人で忘れられない方(実は何人もいます)の話をしたいと思います。
右利きの人が左脳を傷害されると、失語症という後遺症を持つことがあります。
運動性失語(脳から外界に向かう「話す」「書く」が主に障害される)と感覚性失語(外界から脳へ刺激が入ってくる「聞く」「読む」が主に障害される)に二分されます。そしてその両方に重い障害が残ったとき全失語というのです。
全失語の状態で退院した方の家族からの話です。
「家の中では車いすですが、ちゃんと留守番してくれるんですよ。帰るとうれしそうですし『お留守番ご苦労様。ありがとう』というとちゃんと伝わってます。
お食事もおいしそうに食べてくれるし、好物を用意するとほんとにうれしそうにしてくれます。『ありがとう』は言えませんが、ありがとうと思ってくれてることがよくわかります。
体の世話は大変なこともありますが、でもまだまだ家族でやっていかれます」
話せないし、こちらの言ってることもはとんど理解できないにもかかわらず、状況の理解ができるということですね。そして言語外のコミュニケ―ションが、私たちにはできることを教えてくれています。右脳の底力を感じました。(もちろん前頭葉あっての生活ですけれど)
それと、このケースは家族関係の良さがベースになっているのは論を待ちません。

もうおひとりご紹介します。
静岡県春野町にお住まいだった井口実さん。私の長年の友人の弟さんです。これは井口さんからいただいたはがき大の塗り絵です。

井口さんは年若くして脳卒中になり右半身マヒで車いす生活になりました。言葉の障害は「聞く」ことは大体理解できているのではないかと想像したそうですが、「話す」ことに関しては声は出せますが、全く話せないのです。
「ジグソーパズルや絵などを楽しむ力は何も障害されていない。音楽やら歌はお好きですか?ゲームはできるかしら」などとお話したことはありました。
その後、友人から「塗り絵に凝ってる」という情報が届きました。60歳代の男性ですから、少しでも完成作品に満足してもらえるものがあるといいなあと思っていたら、「虫」がテーマの絵葉書を見つけたので「少し小さすぎるかも。でもこのパターンは珍しいし」と送りました。

もともと右利きだった人が、左手で描いているのですよ。色合いを考え、グラデーションを付けて。
頂いた私もうれしかったですが、ご本人にとっても達成感あふれる活動だったようです。またホームの方も玄関やディルームに飾ってくださって、作者の説明をしてくださったそうです。そして傍らでちょっと誇らし気に見ている弟さんの姿を、友人も何度か見たといっていました。
そのようなときに仏像イラストレーターの田中ひろみさんとお知り合いになりました。
ご本を見た時「これだ!」とひらめき、早速お届けしました。

田中さんは、次々とお寺や仏像関係の御本を上梓されています。塗り絵の本までありました。これこそ求めているもの!でした。だって「色」を使いますから、右脳の出番がそれだけ増えることになりますから。

「まさに、はまった」ということばがぴったりだったようで、心を込めて丁寧に描かれたそうです。
次々に見事な作品になり、完成させては、皆さんに差し上げていかれたそうです。見る側の意識も、一番近い言葉で表現するなら「ありがたい」。
「脳卒中にかかったのに。しかも右手が不自由になっても、負けないで左手で、こんなに細かく見事に描いてくださった!」ではなかったでしょうか。
作者の田中さんも励ましのお手紙を書いてくださったり、そのどれもが井口さんのモティベーションを高める刺激になったと思います。このしっかりとした笑顔をご覧ください。

実は井口実さんは、余病を併発して一昨年末に亡くなられました。
一番最後の作品が、死出の旅立ちのお供になったと聞きました・・・
左脳の障害のために右手マヒ、失語症という重い後遺症を乗り越えただけでなく、周りの人たちに感動を与えることまでされて・・・
井口さんは、見事に井口さんの人生を全うされましたね。    合掌


(繰り返しておきますが、右脳障害については個人差が多くあります。ただこの症状を「後遺症」と理解できる人が少ないことをいつも気にしてきました。「できないことを理解することが、その人への援助の出発点である」ということは私の仕事の原点ですから、理解していただきやすいようにシンプルに書いてあります)

1月の右脳訓練―紙わざ大賞展

2020年01月26日 | 右脳の働き
毎年楽しみにしている「日本紙わざ大賞展」
第29回紙わざ大賞
「『紙わざ大賞』は、『紙』を使用し自由な発想での創作をテーマとしたペーパーアートのコンペティションです。このたび、全国よりご応募いただきました数々の作品の中から厳正なる審査により選ばれた作品を紹介いたします。『紙』のあたたかさ、しなやかさ、色合い、そして可能性を存分に感じてください。
FBに作品を少しアップしたら、とても喜ばれたのでブログにもまとめておきましょう。
「熟成本枯節1本セット」 笑福侍威商店

「黄色のしあわせ」 鈴森隆弘

まるで本物。

「育てるバッグ」 りんごしょう
「Sea kite 」 James Cutter

「しだれ桜」 かのなつの。花弁は全部折り鶴!

「patchwork necklace」 Kirie.k.t
 
「風とおしのいいこい」 田中みさ子

「染み絵1」 水垣尚

大賞「犬」 三笠蓬菜

「薄手和紙を使用し、毛の色は胡粉子、軽量粘土と針金で組み、本体に和紙を張りハサミで切った毛を取り付けていき1年ほどかけて作ります」

「特徴は毛のすべてをハサミで切るということです」
なんという手間!毛の質感が見事です。

同じ作者の「鶏」

「鶏」アップ。リアルな羽に圧倒されます。

「なにか?」 鈴木美幸

上のネコとこのハシビロコウは表情が何とも言えない・・・

「蝶番紙利恩」 正本晶久

作者に驚かされた作品もありました。
「おかたづけ」 山本陽子
全盲の方が、使用済みの点字用紙を使って編まれたそうです。糊など全く使ってないそうです。

もうひとつ。作者にお会いしたいと思いました。
「葡萄と鳥」 垣内奈良次

「95歳のおじいちゃんがリハビリのつもりで始めたクイリング」と書いてあります!

毎年、毎年制作される方たちの、アイディアにびっくりさせられます。
「素材に『特種東海製紙』の紙を使う」ということだけが応募の条件らしいのですが、デザイナー、絵画教室講師、木版作家、それに学生などの専門家というよりも、会社員、主婦、自営業、ネイリスト、着付師、マッサージ業、教師など、ごく普通の暮らしをしているらしい方たちの作品がたくさん評価されていました。
職業としていない方々が、前頭葉から湧き上がるアイディアや内なる思いを、右脳を駆使しながら形にしていく過程を想像すると、楽しさが伝染してきそうです。
右脳が豊かな方たちの人生は、実に楽しいものだと思います!

8月の右脳訓練ーふるさとノスタルジック紀行(付録)

2018年08月17日 | 右脳の働き

戸畑で泊まった、築100年を超すいくよ旅館のトイレの前の鏡です。
「ルービンリキ」と「ンモレンリキ」にご注目。

横書きが、左から右へ読み進める左横書きになったのは、戦後GHQが決めたことだとばかり思っていました。
ブログに書くためにウィキペディアでちょっと調べてみたら、おもしろいことがわかりました。
「縦書きと横書き」

日本語表記は当然上から下、右から左が原則なのです。扁額などにあるように、右から左に読み進める横書きがありますね。これはあくまでも縦書きを右から左に読み進めているのだそうです。一行一字の縦書きということです。(スペースがあれば二字以上のものもあるそうです)
また横書きが使われるようになったのは、戦後どころか、江戸時代。蘭学が入ってきたことがきっかけだったとか。一行一文字の右縦書きではない、右横書きが散見されるようになりました。
太平洋戦争前から、文部省や陸軍が左横書きを推奨したにもかかわらず、国粋主義的な動きで実現に至らなかったという経緯もありました。
表記に関して強制的なことは行われなかったようですが、1951年に「公用文は効率上なるべく左横書きにする」という通達があり、そっれから半世紀たって2001年から裁判所における公文書も横書きになったということらしいです。
若戸大橋を望む戸畑駅前の小さなロータリーに若山牧水の歌碑がありました。自然石に縦書きで彫り込まれています。

横の解説版は横書き。この縦と横の使い分けはとっても納得性がありますね。
短歌や俳句などはどうしても縦書きでしょう。逆だと芸術性を感じないかも。これは右脳の世界。
解説には芸術性は不要で、論理的にきちんと説明できていればいいのです。左脳の世界。
このくらい縦横自由に使い分けることができる言語は珍しいでしょうね。

牧水が3度も戸畑に立ち寄ったことなど、全く知りませんでした。この齢になっても、新しいことを知る喜びってありますね。
もちろん古い懐かしいものにも心動かされます。
年若い後輩(30年後輩!)が、「世界の文房具展」に連れて行ってくれました。最新の文房具がたくさん展示されていましたが、会場にむかしの教室が復元されていました。まさに私の小学生時代!こんな机で勉強しました。

そしてまたその一角に、謄写版が。学校からの配り物は先生が謄写版で刷ったものを用意してくださっていました。ほとんどが縦書きだったと思います。

実は、私の家にも謄写版がありました。
夏休みの自主勉強用のプリントを父が作ってくれたことを、突然思い出しました。日付や天気を記入して、漢字や計算練習のコーナーや自由に書き込むコーナーなどがあって、1日1枚ずつ書いて最後に白表紙で綴じて提出するのです。決して勉強を強いる家庭ではありませんでしたが、教育熱心ではあったのかもしれません。

一緒にいた後輩に「やすり版の上に蝋紙を置いて鉄筆で一文字ずつ書いていくのよ」と説明していたら、ありました!そうこれです!60年のタイムスリップにちょっと興奮してしまいました。
会場には、記念撮影コーナーや最新鋭の文房具の展示もありました。

帰宅後アマゾンで早速注文しました。新しいコンセプトのホッチキスです。

ギャラリーの中では、新しい便利なものや、古い懐かしいものに触れあえることができ、脳がくすぐられたような気がしましたよ。
会場の北九州イノベーションギャラリーは産業技術保存継承センターともいわれ、官営八幡製鉄所の資料も展示されていて、会場そのものが新旧を包含したものでしたね。
暑い中、付き合ってくださった後輩のM島さん、本当にありがとうございました。

出口に掲げられていた八幡中央高校書道部による書道パフォーマンス作品。縦書きと横書きが無理なく一つの世界を作っていますね。
日本語の妙味です。


たった一字から右脳障害を疑う

2017年09月29日 | 右脳の働き

(2009年3月18日の投稿です。保健師さんからの質問に対応させて再掲載します)
今日初めて葉ランの花を見ました。 
直径3センチくらい。おしゃれな渋い紫色でした。つぼみは、文字通りおちょぼ口みたいにつぼんでいます。開いた花は、水滴の高速度写真みたいで、ほめ言葉を使えば王冠みたいでしょうか。そんなに珍しいものではないそうですが、葉ランはとてもよく茂るし、根元に枯葉がたまることも多いので、花がついても隠れてしまって気が付いてもらえないということらしいです。
葉ランの花は、どんな場所に咲くのかを知っておくと探しやすいと思いませんか?

P1000007

見えるようになると、あそこにも、ここにも、という調子でたくさん見つかりますよ。
軽い失語症や右脳障害の後遺症も、そんなに珍しいものではありませんが、やっぱり見つけてもらいにくいものの一つでしょう。

脳卒中を起こして入院。全く後遺症の説明を受けないままに、退院。
「なんだか変になった」
「耳が遠くなったみたい」
「ボケちゃったのかな」
といわれている方もたくさんいるのです。

P1000008
二段階方式の検査のうち、MMSは簡便ですが失語症のような脳の器質障害を見つけることが得意です。

N県O町のI保健師さんのケースです。 
「時の見当識」は満点。
「計算」満点。「想起」すら2/3とすらすらと検査が進んでいったのに、「文を書く」に至ってブレーキ!
「何を書くのか・・・」とためらい、どうしても書けない。

「文を書く」は「自発的に文章を思いついてそれを書くという能力」を調べていますから、どうしても書けない時点で、得点は0になります。それでこの項目の検査目的は達して終了してもいいような気がしませんか?
でも、I保健師さんはもっと丁寧にチェックしてくれました。「なぜ、このように書けないのか?ふつうに脳の老化が加速しただけではこんなことは起きない。書けるはずだ」と思ってずいぶん励ましたそうですが、ほんとに書けないようなので「はなしをきいてる」と言って、耳で聞いた文を書くように促してあげたそうです。
それでも書けないので「はなしをきいてる」と書いて書き取りをするように指示したところ、ようやく書いたのですが、「を」が不完全ですね。つまりこの人は「(字をきちんと)書けない」のです。


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「聞き取り」つまり「聞いて、書く」という脳の能力はどうなっているのか?
もともと、ここに至るまでテストがスムーズに実施できたのですから、当然聞き取れているはずです。「はなしをきいている」と言っても書けないということは、聞き取れないのではなく「書けない」と考えるべきです。

それでは「書き取り」つまり「見て、書く」という脳の能力は?ようやくできるが完全ではない。
「はなしをしている」と書こうとしたのですが、字の形が整わなかったのですね。
MMSのうちのたった一つの下位項目(この場合は「文を書く」)からこの人の脳の器質障害(たぶん右脳)を推定することができます。他に失語症の症状がないので、右脳障害(失行が起きて字の形がとれない。ただし8文字中1字のみなのでごく軽い障害がある)状態だと考えるのです。
五角形相貫図もやや形が整っていません。
P1000010
私たちは医者ではありませんから、病名は必要ないのです。
このケースの場合、まず「文章を思いついて書くということ」ができないことが分かります。
そして「聞き取り」がむずかしいことから「思いつけないから書けない」のではなく、多分思いついているでしょうが、そして聞き取れてもいるでしょうが、とにかく「書けない」ことがわかります。
次に「書き取り」の成績から軽い「失書」があることがはっきりしました。

その通りに生活指導してあげることが大切なのです。 
P1000009
もちろん、普通に脳の老化が加速されたタイプではありませんから専門医受診を勧めるのは、二段階方式の鉄則です。

生活歴の聞き取りの中から、興味深いことがわかりました。
「2~3年前、運転中に事故を起こしそれから眼が悪くなり左寄りになってきたため運転をやめた」
右脳障害による後遺症を、強く想定させます・・・


治療済みの歯にトラブルが!ー上京は右脳刺激のチャンス1

2017年07月12日 | 右脳の働き

加齢ということを実感しました。治療済みの奥歯の縁が欠けたのです。
先週、大室山の遊歩道を歩きました。大室山には直径250mほどの大きなすり鉢状の火口跡があって、そこより50メートルくらいの高さでしょうか、周りを遊歩道で一周できるようになっています。その遊歩道の一部が崩落したみたいなものです。
私の奥歯のすり鉢はセラミックで埋められていましたけど。
そういう訳で、先週7月7日に引き続き東京へ。

通院している東京日本橋歯科は東京駅と日本橋高島屋の間にあります。「伊豆からわざわざ東京まで?」とよく驚かれるのですが、治療はだいたい二回ですみますし、ドクターのお人柄、技術はもちろん、設備もスタッフも文句のつけようがありません。それに、ついでに何か必ず関心があることをしてきますから、私にとっては気が重いことではないのです。
さて今回の関心事は、大学の後輩がFBで知らせてくれた「アートアクアリウム」in 日本橋三井ホール。

行列ができることなど評判は何となく知っていましたが、今年で11年目。この10年間の観客数が730万人を超えたことなど入場後に知りました。
日本文化の粋ともいえる金魚をテーマにした水族館。金魚の優雅な動きや微妙な色の組み合わせにも魅せられますが、水槽そのものも見せるこだわり満載でした。
入口は陶器製の鉢がズラリ。鉢の模様と金魚の色もマッチさせていました。

やっぱり金魚は赤ですね!

切り子のコーナーも。「切り子リウム」

シンプルな円筒形も。「金魚品評」

「手毬リウム」

「アンドンリウム」

「ギヤマンリウム」以下、紹介するのは大きな水槽です。

「花魁」

水槽も凝ったものばかりでしたが、音楽と照明もビビッド。これは「超花魁」
大きな水槽に対してはめまぐるしく照明が変わります。
金魚も動いていますから、相乗効果で異空間ができあがります。

後半はプロジェクションマッピングを取り入れたものや、様々な最新テクを駆使した(であろう)金魚が動く掛け軸に墨絵を描くコーナーまでありました。動画でないと紹介はとても無理です。(写真撮影は自由だったのですが動画をとるには明るさが足りませんでした)
会場はコレド室町5階の日本橋三井ホール。三井本館の真向かいにあります。会場を出たところにあるカフェから下を見下ろすと。

もう少し左に目を転ずると、左が三越、右が三井本館。

三越に対面している三井本館は6月に初めて見ました。
6月の右脳訓練ー1泊2日東京の旅


いろいろ楽しい上京でした。




脳卒中の後遺症ー右脳でできること・左脳でできること

2017年06月11日 | 右脳の働き

フェイスブックは思いがけない情報が飛び込んできます。例えば「友だち(私の場合は会ったことのある知人)」が、ある記事に「いいね」をしたらそのお知らせが来るのです。自分からは多分見ないだろうし、存在も知らないページを紹介してもらうことになるわけですね。
最近の散歩道で出会った花たち。ジャカランダ

「みんなの介護」というページに三人の「友だち」が「いいね」をしていました。
これから連載される、6年前に「クモ膜下出血」に襲われたコータリさんという方のエッセイです。コータリさんは要介護5のコラムニストと紹介されています。
ざっくりと言ってしまえば、クモ膜下出血は1/3が死亡、1/3が軽いものから植物状態まで含めて後遺症ありで生存、1/3が回復(とされますが、その中に前頭葉の機能障害を残す人たちがいます)といわれます。
それは治療方法とか設備や技術という前に、どの血管がどの程度に破裂したのかという、むしろその人が生来持っていた条件によって決められるのですが。最近は未破裂動脈瘤(これが破裂するとクモ膜下出血をきたします)の予防的な処置が行き届いてきてますから、この割合は少し変わったかもしれません。
ジャガイモの花。昔ヨーロッパでは花を観賞用にするために育てたのだとか。

さて、コータリさんはずいぶん重い後遺症に襲われたようです。
「一生、目を覚まさないかもしれない」といわれたと書かれていましたから。そして急性期の大学病院、リハビリ病院で1年間の入院生活を余儀なくされて、次の転院は療養型の所といわれたそうです。胃ろうがあって、タンも喉からとって、意識水準もあやふやな状態…
ところが、ご家族がリハビリ病院を希望され、その後在宅を選択された。
ウツボグサ

実は今日のブログはそのリハビリ病院での出来事についての解説をしたいのです。
引用をさせていただきましょう。以下引用は青字。
「ボクはもちろん劣等生でなにもできない。やる気なんてない。でもスパルタなリハビリ病院に入ったので、嫌でも毎日リハビリは続く。」
この「やる気のなさ」そのものが右脳障害の後遺症というとらえ方が、本当にありません。左脳障害の方々は、失語症や利き手の障害を抱えながら、努力を続けることがほとんどです。これは良い悪いを言っているのではなく、後遺症と理解することで対応が変わるのではないかということが言いたいのです。
家族と当直の看護師さんと面会時間ギリギリまで食べて、はみがきもする。うがいもできない。どうやるのかも思い出せない。「パパ、ペッってやるんだよ」と言われても思い出せない。」
思い出せないのではありません。脳障害の後遺症としての失行です。上にあげられた例は左脳の障害で起きるとされています。
満開のシモツケソウ

その厳しいリハビリ病院から、自宅へ退院されました。ご家族の覚悟はどれほどだったか…
「左半身は麻痺が残り、歩くこと立つことはもとより寝返りも自分ではうてない。しゃべることも苦手。トイレにだって行けない。ほとんどなにもできない」
左半身のマヒということは、右脳がダメージを受けたということです。上肢のことは書かれていないということは下肢により強い後遺症があったのでしょう。そうすると右脳の後半の方がダメージが大きかったことになります。利き手でない左手が思い通りに動かなくても、利き手が動けば問題はないというだけかもわかりませんね。

「しゃべることも苦手」
ここからは二つ考えなくてはいけません。一つはマヒが喉や口の筋肉にまで及び、声を作ることが難しい(構音障害)をきたしている。これはしゃべれないと表現されますが、正確にはしゃべりにくい、ろれつが回らないので周りの人に理解してもらうのが難しい状態です。失語症ではないのです。もう一つは文字通り「しゃべれない」あたかも知らない外国語が話せないようにといえば理解しやすいかもしれません。これが失語症です。

「家族は大変だったに違いない。その頃は、申し訳ないと思う余裕もない。」
後遺症の程度や個人差にもよりますが、このような傾向は右脳障害の後遺症としてのほうがよくみうけられます。
蕾のシモツケソウ

「家に帰ってからのリハビリは試行錯誤。毎日毎日繰り返す。スプーンを手に口にもっていくことができない。手が止まる。「あれ?どうやるんだっけ?」。本当にわからなくなる。それを家族がボクの手の下に手を添えて上にあげる。ボクのスプーンを持った手が口もとまで行きやっと食べることができる。何度かはそれを覚えていて食べることができるが、なんかの拍子にまた忘れる。するとまた手を添えてくれる。何千回やったことだろう。残念ながら自分では覚えていないのだけど、そうやってようやく食べることを思い出す。一事が万事そうである。何千回、何万回の繰り返しでようやくできるようになる。」
これは失行の状態を、後遺症を抱えた人の立場で語っていらっしゃると思います。前にも書きましたがこのようなタイプの後遺症は左脳障害から来るといわれています。
ところが。
「でも、こうして書くことはそんな訓練もなく割と早いうちからできた。いまの自分が思っていることをそのときに書く。」
スプーンや歯ブラシの使い方がわからないほどのひどい後遺症をもちながら「書く」ことはできるのです。「しゃべることは苦手」というのが構音障害だとすると(もう少し情報が必要です)失語症はないことになります。コータリさんは右脳障害を主に考えたほうが、理解してあげやすいかもしれません。
このようなアプローチは、本当に目にすることが少ないです。研究や学会発表を業務の一環にしているようなところだったら、右脳や左脳やたまには前頭葉機能についても、分析していることがありますが、やはりあくまでも少数派でしょうね。
「できないこと」の原因をもう少し知ってあげる、それが脳機能障害による致し方ないものか、気分的なものなのかを見分けるということですが、そうすることでリハビリの効果は上がるものだと思います。
ベニガクアジサイ

「失行」がなぜ起きているのかの説明が不足していますが、これから読み進めていくうちにもう少し的確な推理ができるかもしれません。

 


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