脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

4月の右脳訓練ー桜づくし

2017年04月30日 | 私の右脳ライフ

4月も晦日になりました。
伊豆高原の今年のサクラは、ほんとに遅かったのです。例年なら3月末には満開なのですが、今年はなんと 4月10日過ぎ。
近所にソメイヨシノの並木があります。その中に御衣黄が2本。緑からピンクに移り変わるサクラです。

牧野富太郎が命名し好んだといわれる稚木(わかき)のサクラ。2年目から花が咲くこのサクラ、なんと我が家にあります。昔、高知の牧野富太郎植物園で苗を買い求めて飛行機で連れて帰りました。可憐です。

可憐といえば、天城コメザクラ。今年は西伊豆仁科峠に行ってみました。
淡い新緑との対比がかわいい。

伊豆半島はサクラがほんとに多いです。サクラの「サ」は「神さま」「クラ」は「座」の意味と聞きました。
花が咲けば、伊豆半島の山々にはこんなにもサクラの木があったのかと毎年驚かされるほどです。中でもコメザクラは霞のようにはかない風情を醸し出します。
うまく写真に写せませんが、どこを見ても見事な「遠山桜」が迫ってきます。川奈ホテルから小室山方向。

学生時代の友人たちと、高尾にある多摩森林科学園のサクラ保存林に行ったのは3月終わりでした。
研究員の方から教えていただきましたので、今年はサクラの知識が増えました。
ヤマザクラが本州の大部分、オオヤマザクラが本州高地と北海道をカバーします。エドヒガンは北海道や房総・紀伊半島を除き、本州のほとんどに分布します。つまりこの2種で沖縄を除く日本はサクラにおおわれることになるのです。沖縄はカンヒザクラです。
サクラの分布がきれいに日本の位置と一致している地図を見せていただいたときには、心が震えました。
伊豆半島でポピュラーなオオシマザクラは、伊豆大島、伊豆半島、房総半島南部ととても限局的な分布ということを知りました。火山島である伊豆大島が原産のため、過酷な状況で生き延びるためにとにかく成長を早くさせ、交配も行われやすくして種を残す道を選びました。世代交代を早めるこの手段は突然変異も起こりやすくなるそうで、その結果ソメイヨシノに見られるように多くの園芸品種を生むことにもなったのです。
さくらの里のオオシマサクラ

オオシマザクラの見分け方。花と葉が同時に出る。葉の色は明るい緑色。葉の蜜腺は左右がずれる。葉の裏に毛がない。

2~3年まえだったでしょうか、伊豆高原桜のトンネルの花が極端に少ない年がありました。
「もう寿命がきてる」とか「メジロが蕾を食べちゃった」「テングス病」とか耳にしましたが、真相はちょっと違うかも。
もともとサクラの花芽は前年の夏にでき、秋に休眠。低温の時期を経ることで目覚めて(休眠打破)開花の準備が始まる。その後は積算温度により開花が始まるというメカニズムが働いているそうです。
桜が咲くには春の暖かさも必要ですが、冬の寒さも必須だということは知りませんでした。ヒートアイランド現象で、サクラの開花が狂い気味なのはニュースでも耳にしますね。
伊豆半島の早咲き桜のひとつ。城ケ崎サクラ。海をバックに早春に咲きます。

オーソドックスにさくらの里のシダレザクラ。
「自然の植物たちは、太陽を求めて上へ上へと延びていきます。『枝垂れる』なんてことはあり得ません。人間が作ったものに決まってます」多摩森林科学園の方のお話です、全くそうですねえ…でも、枝垂桜のやさしい風情には心惹かれるものがあります。

サクラには青空が似合います。

都会のサクラ。六本木ミッドタウンのディスプレイ。

居間からとった桜並木。4月12日に写しました。例年より2週間遅れ。

今年もサクラを堪能しました!

 


4月の右脳訓練ー伊豆高原たけのこ村

2017年04月29日 | 私の右脳ライフ

掘りたてたけのこの調理は、何度となくやってきていますが、自分が主体的に掘るという経験はありません。たけのこ堀りは夫の出番ですから。竹の子というにはちょっと大きくなり過ぎた竹ジュニア(私の命名)をけ飛ばす方法でなら、新鮮たけのこをゲットしたことはあります。
今回は、ちゃんと掘ったんです!
「魚じゃないのに」といわないでください。一度こうやって写真を撮りたかった…

「伊豆高原たけのこ村」を管理している「NPO法人森のボランティア」のお知り合いに誘われて、勇躍たけのこ村へ。
鍬と長靴は貸してくださいます。これもお借りした背中の背負いかごを見てください。一応姿はOKでしょ?さあ出発。

手入れの行き届いた竹林を進みます。竹の葉を渡る風には音楽も香りもあるようです。
 
この景色には、だれでも歓声が上がると思うのですけど。
 まずは、たけのこがどのように出てくるのかの解説をしてくださいました。初めて聞くお話でしたからとっても真剣に聞きました。

一番上の葉の向きを確かめます。確かにカーブを描いています。
そのカーブに沿った方向に生えているのだそうです。背中側だけを掘り進めます。根がちらっと見えるところまで頑張って、掘ります。たけのこを傷つけないように掘ろうとすると、とんでもなく広範囲になりました。
「そっと皮をむいてみると、赤い粒々が見えるからそこまで頑張って掘ること」

ようやく見えた根の元に鍬を当てて、向こう側方向に力を入れて掘り上げようとしたら
「ちょっと、待った!まずもう一度カーブの中心に向って力を入れる。それから掘り上げるように力を入れること」
この齢になって、新しく物事を知ることって何と楽しいことでしょう。

大成功。でも先達がいなかったらたけのこのまわり全体を大きく掘る方法しか知らなかったと思います。たけのこの手前側は掘ってないのです!
でもたくさん掘らないといけませんでした。なぜって?大きいたけのこに挑戦したからですよ。
 
掘りたてのたけのこの根元を生で食べました。
「ここを食べることができるのは掘った人だけの特権だから」と笑いながら教えてくださいましたが、そのときに「おいしいんだから!食べたことないでしょう」というニュアンスが十分に感じられましたよ。
 「梨というかリンゴというか、ほんのり甘いですね」そのうえ、竹の外側になる部分と節の部分では、微妙に味が違うことまで体験できました。
「掘りたてのたけのこにはハエが群がってくるんだけど、それほど甘いってこと」といわれました。本当です。どこから来たのかというほどたくさんのハエが、収穫されたたけのこに群がっているのを確かに見ました。
今日の収穫!12Kg!

帰宅して、あく抜きして、冷まして、クール便で東京の友人へ送りました。
返信メールがもう到着。
とっても柔らかくて美味しくてびっくりしました!!つまみ食いがとまりません」
森のボランティアのI本さん、I井さん。本当にありがとうございました。I井さんが撮ってくださった私が写っている写真を使わせていただきました。
口も喜びましたが、竹林の中そのものも素晴らしかった。あんなにたくさんのたけのこがズクズク生えているのを見るのは初めてでした。興奮してしまいました。


before & after

2017年04月27日 | 私の右脳ライフ

4月17日にこんな素敵なお花が到着。眺めるだけで元気が出るようです。

10日経ちましたから、ちょっと変身させました。
重箱に花だけを挿しました。色のバランスを考えて。ちょっと高低差を付けて。

実はこれは私のアイデイアではなくて、以前ニコライバーグマンという人の作品を息子からプレゼントされたことがあるのです。箱にびっしりとバラの花だけが、高低の差もなく埋め込まれていました。下に敷くランチョンマットの色を変えると、印象が全く変わります。

右脳の色をキャッチする部分が壊れると、実はこうなるわけです。
色のない世界は寂しいですね。
考えてみれば、水墨画は、墨の濃淡だけで表現します。
ところが、作品に対するとき、色がないからこその微妙な季節感や空気感が立ち上ります。そのとき私たちはそのモノトーンの画面からはっきりと色彩を感じていると思いませんか?
その前提としては、色彩にあふれたそのシーン(やそのシーンに通じるシーン)が心に刻み込まれている先行体験が必須ということになります。
右脳って不思議な働きをしますね。

 


「物忘れがあるから認知症」というけれど

2017年04月17日 | 側頭葉性健忘症

桜狩りに訪れてくれた友人との楽しい時間が始まりました。
ところが開口一番「去年12月に、母が緊急入院したんです。心不全ということで。ICUにいたときなんかは本当にハラハラしたんです」
一人娘の彼女は故郷から離れて東京在住。89歳のお母さまは一人暮らし。
「まあ!」と驚くしかありません。
さくらの里2017.4.12

経過をたずねると、入院は2か月間。聞きながら私はハラハラします。高齢の方が入院、しかもどうしても安静に傾いてしまう心臓病。
「あぶないなあ・・・ボケてはいらっしゃらないかしら?」
実は、ときどきですが友人と会った時には、お母さまの話を聞いていました。
そのお母さまのことをちょっとお話します。
とにかく、「生き方が素晴らしい」のひとことで説明が済んでしまうような方です。
「女性であっても、自分の人生なんだから自分のやりたいことや信念を貫いて生きるべき」という思いが生き方のベースにあったと聞いています。
「もっと勉強がしたい!」「服飾関係の専門職を目指したい!」このような考えは現代なら当然かもしれませんが、いま89歳ということですから戦前の話ですよ。
その後、結婚されたそうです。(ここにもドラマがあったでしょうね)
ご主人から「どうしても家庭に入って子育てに専念してほしい」と懇願され、結局は「不本意ながら家庭の人になった」と聞きました。

「家庭の人」を選択したからには、衣食住に関して徹底的に自分で納得のいくやり方で家事経営(この言葉は私の造語。いろいろ聞いているとそういう言葉が浮かんできたのです)してこられた。しかも強制されたものでないせいでしょうが、「家事は大変なこと」というとらえ方よりは「(私がやるのだから)これくらい当然」と軽くこなされてきたようです。
お料理の腕は抜群だし、お花や野菜を育て、華道を教え、もしかしたらお茶の先生もなさったかも 。とにかくお弟子さんたちがいつも家に来ているというような生活です。
子育ての分野でも、お母さまらしいエピソードを聞きました。近所にちょっと障害がある姪御さんがいたそうですが、その教育支援に関しても学校や教育委員会などと話し合いを重ね、当時としたらよくできたといわれるような環境づくりに成功したそうです。
もちろん、友人への教育も徹底していたらしいです。
「あまりにも正しいことをいわれるので、心の底で違うんじゃないかと思っていても反発できないの」結果はT大学合格!

かくしゃく百歳の方々の調査をした時に、家族の方々から「言い出したら聞かなくて。でも困ったことにそれが正しい主張なのです。でも。『もうちょっと妥協してくれたらいいのに』とどれだけ思ったことか」と繰り返し聞きました。
お母さまの一つずつのエピソードを聞きながら、いつも何だかそんなことがオーバーラップしてしまっていました。
つまりかくしゃく老人候補生ということです。

このままいけば、ほんとうに見事にかくしゃく老人の道を進んでいかれたはず。
ところが、腰を痛めてしまわれた・・・
普通なら、そこでがくんと脳の老化を加速させてしまうのですが、さすがにかくしゃく候補生ですから「一人暮らしは続ける」意志は固く、急性期を過ぎたら、家事だけでなく散歩や畑の見回りも復活したと聞き一安心していました。
ただ、腰に痛みがあるわけですから、元通りの生活という訳にはいかないことだけでなく「このまま痛みが続いたら・・・私らしく生き抜いて行けるだろうか」というような心配も老化を加速させるかもしれないと推理していました。
ところで、私に老化が進んだのではないかという心配を引き起こしてくるエピソードは、例えば「そんな状況の時に、そんなことを言う?」というような前頭葉の抑制がかかっていない症状が一番多く、そう指摘すると友人は「そうなんだけど、もともと母はそういう人なのよね・・・」といいます。
「小ボケになると、その人らしさがなくなるって言われるけどそう意味ではあまり変わってない気もする。力のある人が君臨してきた。今も君臨している」とつぶやいていました。

「去年の秋ごろから、『忘れちゃって、困るのよね。これってぼけていく兆候かしら』というような母の弱音を聞くことがあって気にしてるのよ。たしかに同じ事を繰り返しいうし、体も自由じゃないので家も前のようには整ってないし・・・でも指示は以前通り的確で恐れ入るしかないようなことを言うのよね」と友人が言います。私も
「身についたことは、脳機能が落ちてもできちゃうことはよくあるの。例えば農業をずーとやってきたおばあさんはとても上手に畝を立てることができて、植えつけることもできるけど、明日になったら掘り返して別の場所に植えるのよ。お母さまはその場を的確に判断して指示する言い方が身についてそれが残ってて出てしまうのかなあ」などと話したことがありました。
いずれにしても、私たち二人は、お母さまは小ボケの状態に入っているのではないかと想定していました。(これは間違いでした!)

そろそろ、今回の入院後の話に戻りましょう。
「入院は2か月に及び一時はいのちの心配まであったのですが、入院の後半はドクターや看護師さんとのやり取りなんかもけっこうおもしろくて人気者になったくらい。回復の兆しが見えてきたらさすが母。『とにかく帰る。以前のように暮らす!』と言い張り退院しました。介護認定を受けてソーシャルサービスを利用しなくてはということになったのに、持論の『医者と坊主は玄関に入れるもんじゃない』と言って往診や訪問介護までひと悶着」
友人も毎週一回は帰省し、手をかけた姪御さんの娘さんが割合に近所に住んでいるので協力を仰ぎ、短い時間の訪問看護を組みこんで、お母様ご希望の一人暮らしが再開されました。デイサービスも開始の予定はありますが、「そんなところには行きたくない」といわれるそうで、それも、また想定内の反応です。

「せっかくそれなりにスタートできたのに、悪いことに洗濯物を取り込む時に転んでしまったの・・・。でも、そのときもしばらくはその場にいて、どうにか部屋に帰り姪の娘に電話したのよ。さいわい打撲だけで済んだけど、這ってでもトイレに行く!という気概を見せてくれて『さすがぁ』とわが親ながら感動したわ。これからどんどん悪くさせないように気を付けなくっちゃあ」という友人は、ちょっと疲れているようでした。 「悪くなるだろう」という覚悟もどこかで感じているような雰囲気がありました。
でも私の胸の中には何かの違和感が湧き上がってきました。「小ボケで前頭葉機能が低下している人が、ここまで判断し、意欲を出すだろうか???」
玄関を開けるとさくら並木が。
 
友人が続けます。
「退院の時ね。お祝いをしてあげようと思って母の好きな巻きずしをいつもの店に頼んだの。そして病院に行ったらね、母のベッドに巻きずしが一折あったの。『どうしたの』って尋ねたら『知らない。でも私の大好物だしここにあったから食べていいと思って』って答えたの。変でしょう?
だから、お店に問い合わせてみたら、母が電話で注文してるのよ!なんていうことって母に詰め寄りたくなったわ」
そのとき、私の頭の中でパズルがはまった感がありました。
側頭葉性健忘よ!
小ボケになった(前頭葉がうまく機能できない)人が、自分の好物を思い浮かべ、それを出前してくれる店を的確に思い出し(側頭葉性健忘は以前記憶していたことは思いだせます)電話番号を調べて適切な量を注文できるか。と考えると分かるでしょ?しかもあなたが注文したものと同じものを、同じ店に注文してるのよ。いかに正しい判断か!
前頭葉が機能低下を起こすと社会的活動は難しくなるというように、とても無理なの。子どもがそんなことができるようになるのは何歳ぐらいかしらね。
脳機能から言うと、そんな難しいことができるのに、注文したことそのものは覚えていられない。
側頭葉性健忘っていうのは、今ここで起きていること、今の新しい事柄を覚え込むことができないの。
今ここの状況を理解して判断して自分の行動を決めるのは、記憶の力ではなく前頭葉機能。側頭葉性健忘の人は、前頭葉機能に問題がないからこそ、その時その時の判断や行動は正しい。
認知症の人は、一番先に前頭葉機能に問題が起きて、その後に記憶力が働かなくなります。記憶の障害が起きたときにはすでに前頭葉機能が働いてないのでパニックになるしかないのね」
 
「芸術活動、陶芸とか編み物、俳句や短歌 なども前頭葉がイキイキしていればその人らしいすぐれた作品を作ることができるのよ。ただそれを目にした時に自分の作品ということは覚えてない。だから自作を絶賛したりする。
ただでも記憶力障害があると認知症と思われている上に、自分の作品を絶賛したりしたら『ボケてる』って言われ、自分でもそう思うでしょうね」
友人が話し出しました。
「12月の心臓発作の時、なんだか気持ち悪くなったのでしょうけど(尋ねてもこたえられるはずがない、側頭葉性健忘だから)どうにか電話がかけられる状況になったら『タクシー会社』に電話したんですって。『よく使ってるし、病院にも連れて行ってもらえるし』こういう判断が前頭葉がうまく機能してるってことなのね。実はとっても正しい判断だったの。かかりつけ医に行ったら『これはすぐに大きな病院に行った方がいい』と診断してくださって、今回の入院につながるわけだから」
 
前頭葉が生きている話は続きます。
「退院直後に、庭の水菜を見て『水菜は肥料喰いって言われるくらいで、これでは大きくなれないから牛糞と〇〇(友人が忘れていました!)とやりなさい』早速指示通りに実行したら、春になったら大きな株に成長して菜の花をたくさん食べられたわ。
ヘルパーさんの話だと、『白菜漬けを作るから白菜と塩と鷹の爪と〇〇(友人が忘れていました!!)と用意してください』って言われ、あんまりにも適切な材料と分量を指示されてすごいと思ったって。
安静にしていた時に瓦の不都合に気付いたらしいけど、さっさと自分で大工さんに修理をお願いしてあったしね。
この前写真を撮るとき、自分で洋服を着替えてきて結局二枚の写真を撮ったのね。そして『やっぱり明るい洋服の方がいい感じね。こんなに雰囲気が変わるんだから自分に似合う服を着るということは大切なことね』ですって」

私が見せていただいた写真はどちらもすてきなポートレートでしたよ。
明るい洋服の方がお母さまのモダンさと明るさが際立っていたと思いますが、もう一葉のちょっと暗めな洋服は、ブローチが効果的でこちらの正式な感じも捨てがたいと思いました。
もともと美人でいらっしゃるのですが、表情もよく、何よりも目に力がありました。認知症の人はボーとしてますよね。
 


またまた、右脳と左脳の話

2017年04月10日 | 右脳の働き

フェイスブックを読んでいたら、ちょっと目を引く記事に出会いました。
「知人宅を訪問したら、そこの方が『利き手はマヒでまだ使えず、左手で自分を描いてくださった絵』に感動した。心温まる作品だった」と書かれていました。絵を描かれた方は脳卒中か事故かで脳に損傷があるのですね。
4月10日松川湖のサクラ

たった1行でも、脳障害を推理することができるということは、つい先日、石原慎太郎さんは左利きー右脳障害で失読症 でもお話ししました。
今回のケースは「聞き手は右手。その右手にマヒがある」のです。ということは、脳の障害が左脳に起きてしまったということになります。
左脳は言葉の脳ですから、言葉の障害は覚悟しなくてはいけません。
上肢だけにマヒがあるのなら、多くの場合は顔にもマヒが残っていると思いますし、話すことがとても難しくなります。言葉も出て来ないしとにかく話しにくそうですから、聞いている方もつらくなります。ただしこの状態は直後よりも改善してくることが多いので、少しずつ話せるようになることは期待できます。(運動性失語)
松川湖のオオシマザクラ

もしも下肢にもマヒがあるとしたら、入力障害も考えなくてはいけません。これは聞こえているのに何を言われているかわからないという障害です。(感覚性失語症)
あたかも、外国語を聞いたときと同じように、聞こえるけれども意味は分からないのです。この障害がなければ「はい」「いいえ」で答えられる質問をすることで、大まかな意思疎通はできるのですが、それは難しい。
そのうえに、本当に言いたい「単語」が出てきません。
話すことに困難があるタイプの失語症の場合は、言いたい単語は出にくいのですが「語頭音(その単語の最初の音。みかんなら、み)」を言ってあげると、その音につられて言いたいことばが出てくることが多いのです。
右手だけでなく右足もマヒがあると、言葉の障害もそれだけ重篤ということになります。
4月10日川奈ホテル

もうひとつわかったことがありますね。
それは、「左手で絵が描ける」ということです。
このような場合に多くの方は、「利き手でない左手で描く」ことにびっくりするのですけれども、その前の理解が必要です。
絵を描くことができるためには、色や形のアナログ情報を認識し処理する右脳の働きが必須です。その右脳の領域が傷つけられてしまったら、利き手である右手の動きが完璧であったとしても、絵になりようがありません。
川奈ホテルのオオシマザクラ
 
右脳に損傷を受けたら「絵を描く」ということがどのようになるのか、1か月ほど前に書きました。
例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります
「人の絵を描いてください」という課題に対しての作品です。

右脳の大きな機能である「音楽」に関しても同じことが言えるのです。
左手だけのピアニストとして館野泉さんは有名ですね。脳卒中で左脳にダメージを受け、懸命のリハビリを続けましたが、右手はピアノ演奏ができるところまでは回復できませんでした。
失意の時を過ごすうち、「左手のためのピアノ作品」に出会いました。
「その楽譜を目にしたとたん、ここには音楽があることがわかった」とその感動を表現されています。「右脳」が何の損傷も受けていなかったからこそ「音楽」が病気の前と全く同様に、脳に飛び込んできたのですね。
右脳が壊れても、主旋律を引く利き手である右手には(左脳が壊れていないわけですから)何の変化もありません。演奏するための運動機能はあるのです。動かせるのです。
でも、肝心の「音楽」を感じることができないのです。ロボットのように弾くことはできても、自分の音楽性を表現することはとても無理な状態になります。

最初に館野泉さんのことをこのブログに取り上げたのは2005年。その後2010年にもう一度まとめ直してありますから、興味がある方は読んでみてください。
脳障害の解説②左脳障害ー左手だけのピアニスト

 


4月の右脳訓練ー東京の桜を楽しむ

2017年04月03日 | 右脳の働き

先週に引き続き歯科受診のため上京しました。
東京の桜は、満開の一歩手前で、かわいい盛り。伊豆高原の我が家の前の桜並木はまだほころんでもいないのですけど。
フェイスブック友だちのY田かおるさんからお知らせがあった、六本木ミッドタウンのレストラン「六本木テラス フィリップ・ミル」に行きました。
店のロビー。奥の黒い扉から明るい店内に。

友人と待ち合わせてランチを楽しみました。
ひろびろとした空間の、おしゃれなお店でした。
久しぶりの友人と長いおしゃべりをしていたら、コーヒーのお代わりを持ってきてくれました。
桜がテーマのデザートを紹介します。

食後、係の方から案内された4階テラスからのサクラ。見えた途端二人で「まあ、見てみて」と声が上がりました。友人と、この4階のテラスを行ったり来たりしましたが、景色について「何か言葉で表現しあう」ことはありませんでした。身を乗り出してみる景色が、少し場所を変えるだけで全く違う印象になることにも驚きました。
こういう、どこか人工的なサクラの景色って見たことがありません。花が咲いてないとまた全然違う印象になるのでしょうね。

檜町公園方向。イベント広場に富士山出現!

テラスにはオリーブやハーブや少々の野菜、お花が植えられて、普通のお庭のようでした。

Y田かおるさんのおすすめの『日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」』展も、見ましたよ。視覚を通して訴える力は、当然右脳へ届けられますから、情感に訴える力が大きいと思います。より深く伝わるような気がします。

実はその前があります。国立新美術館のミュシャ展へも行きました。これが第一目的だったのです。

会場に入った途端に大作が揃えられていて、ちょっと度肝を抜かれます。一緒に行った友人とも話しましたが、チェコもスラブ民族のことも本当に知らない私たち!ブログを書くためにいろいろと情報収集してみました。
島国であり、原則的にはず~と「日本」であり続けた日本とは違って、歴史的に見ても周囲の列強に支配されましたし(神聖ローマ帝国、オスマントルコ、そうそうナチも。まとめて書けません)、20世紀になってからもドイツやロシアからの支配も受けました。
第二次世界大戦後にチェコスロバキア共和国が復活し、1993年に、またチェコ共和国とスロバキア共和国に分離されたことも改めて復習。
自分が帰属している「国」がなくなっていく状態を繰り返し経験することは、どうしても実感として理解することはできません。
歴史の復習しているうちに、子どもの頃に読んだ「最後の授業」というお話を思い出しました。「普仏戦争に敗れたためにアルザス地方は、明日からドイツ語を使わなくていけない。ある民族が奴隷となってもその言葉を保つことができればそれは牢獄の鍵を持っていることと同じ」と繰り広げられる授業です。
「言葉」の力は本当に大きなものです。コミュニケーションの手段だけではなく、物事を考えるときの道具として「言葉」はありますから。
国外では日本が初めて全作展示された「スラブ叙事詩」は民族の大叙事詩。

神話からも史実からもシーンを選ばれながら、チェコ民族の結束を図るためのこの作品群は16年もの時間をかけて制作されました。完成した時にはチェコスロバキア共和国が成立していたために、受け入れられないという悲劇も起こりましたが。

島国である日本歴史からは考えられないように、支配層が全く変わり、民族の持つ言語や信仰や文化のアイデンティティを蹂躙され…
その有為転変がどこか抑えた筆致で表現されていました。

悲しみや怒りが外に出ていないのに、共感できる。激しい動きのシーンのはずなのに、どこか静まり返っているような…ミュシャは言葉を使って理解させる形ではなく、あくまでも視覚に訴える形での民族の結束を語りかけたのでしょう。
チェコ民族ではない私たちには到底理解しがたい、圧倒的なミュシャのアピールを、彼の地の人たちは感じるに違いありません。
「国」や「民族」を支える根幹が、「最後の授業」で語られたように「言葉」であるはずなのに、「絵画」もまた民族としての結束を実感させる道具になりうるのです。そしてもしかしたら、「絵画」の方が心情的にはより深く「チェコ民族である」ということをアピールできるのではないかというのが、今日の感想でした。
左脳は「言葉というデジタル情報」を使って理解し、右脳は「色や形というアナログ情報」から理解します。右脳経由の情報の方が、より原初的なところに到達できるのは、子供が言葉の獲得以前にすでに感情をいろいろな形で受け止めることができ、表現できることを考えればいいかもわかりません。
そうそう、パンフレットをはじめ解説にも日本で言い習わされている「ミュシャ」はフランス語の発音によるもので、チェコ語では「ムハ」となるということが繰り返し強調されていました。
ムハさん、よかったですね。初めての海外展示で「チェコ語」が強調されましたよ。
「脳」という切り口を持つと、何でもおもしろい!結婚記念日―右脳と左脳のせめぎあい
もう少し静かに見たかった。何しろ大作ですから離れて見たいのですが、離れると人が多くて見えないし、ちょっと残念でしたね。

後半は、私たちが知っているアールヌーボーのミュシャの作品でした。スラブ叙事詩を見た後でしたからいつものように「きれい」とか「かわいい」と単純にいっていいものかと思いました。ミュシャは心の奥底に「チェコ民族」に対する滾る思いがあったからこそ、優雅なポスターや種々の作品で高い評価を受けた後に、精魂傾けて文字通りの超大作スラブ叙事詩を描いたのですから。

美術館前のサクラも見ごろです。
ケヤキが赤い水玉模様を着せられているのは、同時開催の草間弥生展のアピールです。
どちらも好評を博していますから、当日券売り場に長蛇の列ができていましたが、私はネットで購入済み。メールに送られてきているバーコードを読み取るだけで、入場できました。
短い時間で効率よく動くには、ネットでの下調べは必須です。

今回はもう一つ、国会議事堂前に広がる「国会前庭」へも寄りました。
2月に憲政記念館で開かれたアジア国際映画祭に行った時に「国会前庭」を知り、「春に来たい」と思いましたので。アクセスや開花情報も含めて、こういう時もネットの予習は不可欠ですね。

暖かい春の空をバックに三権分立の象徴の時計塔。どちらかというと遅咲き桜が多いようでした。

小高くなっているところからこの景色に出会ったとき(視覚情報が入った時)、私は一人でしたが「まあ…」と声がでてしまい「一人でもったいないこと!」と思いました。
皇居桜田濠の桜が咲き始め、周囲の緑との対比もすてきなら、お堀の水、走り去る車、遠景の高層ビルまで。東京の景色ですね!
静かないいお花見ができました。


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