十日町市に行くたびに、行ってみたいなあと思っていた大棟山美術博物館。地方の大庄屋の屋敷をそのままに美術館にしたということにも、縁につながる坂口安吾の資料館も兼ねているということにも興味津々。
大きな杉並木にはさまれ、緩やかに苔むした階段のはるか向こうに門が見えます。まるで古寺の佇まいでした。
穀倉地帯の大庄屋、玄関脇でコンコンと湧いていた雪解け水で酒造業も営んでいたそうです。
古びてはいますが立派な建物、素晴らしい建材(梁垂木の見事さは当然、廊下は一枚板でした)、趣ある庭。
ほとんど無造作に展示してあるものたちからは、確かに使われていたという印象が強く迫ってきます。
茶道具。楽当家作の茶碗。
茶懐石用什器。
尾形乾山作。
喜多川歌磨呂画。
永楽善五郎作。
古伊万里や古九谷の皿。
小川破笠の漆衝立(初めて見ました)確かに独創的な螺鈿。
立派なお座敷にお宝いっぱい。
廊下の突き当たりに、少し雰囲気の違った書がかけてありました。今までに見てきた、いわゆる美術品とは違うものですが、何か胸の中に飛び込んでくる魅力がありました。安吾の詩、安吾の書。
姉がこの村山家に嫁いだ縁で、安吾は度々逗留したということでした。一部屋が書斎らしく整えられ、資料館になっています。
安吾は新潟市出身。生家は富豪の旧家だったのが祖父が投機に失敗、破産の辛を舐めたということでした。でも父親は衆議院議員というのですから、名家には違いないでしょう。
安吾の人生は一筋縄ではいかず、学校生活ですら幾つかの道を選ばざるをえなく、それだけでも杢太郞とは両極にあると言えます。繊細な感受性を持っていたことは共通しています。杢太郞も我が人生をどう生きるか疾風怒涛の時を過ごしましたが、納得の道を見つけた後は、実に模範的に正々堂々と人生を進んで行きました。
安吾は、もっと繊細。もっと弱いところがある。希死念慮(死にたくなる)に悩まされ、作家として認められたのちには覚せい剤中毒にも…そこで療養のために滞在したのが伊東温泉(私は今伊東市に住んでます)
伊東海岸の安吾夫妻。
その後も、無頼派と言われたように、薬にも手を出しお酒も飲み生活は荒れた状態が続き、最後は脳出血で亡くなりました。
杢太郞と安吾と。それぞれ生きた時代を見てみると杢太郞は1885-1945。安吾は1906-1955と約1世代ずれていますが、啄木とは2人とも交友があったようですし、重なる部分もあります。
ただ生き方は全く違います。
安吾の戯画
杢太郞の百花譜の端正さと、全く違う。
大棟山美術博物館の書の作品も、形良いわけでもなく綺麗でもなく、でも何か惹きつけられるような魅力がある。
今日の十日町の講演で「自分らしく、満足して生きる」ことの大切さを強調しましたが、前頭葉が十人十色である以上「自分らしく、満足して生きる」ことも十人十色。
死にゆくときに、自分に対して「よく生きた」と言えるような生き方をしていきたいと思います。
大きな杉並木にはさまれ、緩やかに苔むした階段のはるか向こうに門が見えます。まるで古寺の佇まいでした。
穀倉地帯の大庄屋、玄関脇でコンコンと湧いていた雪解け水で酒造業も営んでいたそうです。
古びてはいますが立派な建物、素晴らしい建材(梁垂木の見事さは当然、廊下は一枚板でした)、趣ある庭。
ほとんど無造作に展示してあるものたちからは、確かに使われていたという印象が強く迫ってきます。
茶道具。楽当家作の茶碗。
茶懐石用什器。
尾形乾山作。
喜多川歌磨呂画。
永楽善五郎作。
古伊万里や古九谷の皿。
小川破笠の漆衝立(初めて見ました)確かに独創的な螺鈿。
立派なお座敷にお宝いっぱい。
廊下の突き当たりに、少し雰囲気の違った書がかけてありました。今までに見てきた、いわゆる美術品とは違うものですが、何か胸の中に飛び込んでくる魅力がありました。安吾の詩、安吾の書。
姉がこの村山家に嫁いだ縁で、安吾は度々逗留したということでした。一部屋が書斎らしく整えられ、資料館になっています。
安吾は新潟市出身。生家は富豪の旧家だったのが祖父が投機に失敗、破産の辛を舐めたということでした。でも父親は衆議院議員というのですから、名家には違いないでしょう。
安吾の人生は一筋縄ではいかず、学校生活ですら幾つかの道を選ばざるをえなく、それだけでも杢太郞とは両極にあると言えます。繊細な感受性を持っていたことは共通しています。杢太郞も我が人生をどう生きるか疾風怒涛の時を過ごしましたが、納得の道を見つけた後は、実に模範的に正々堂々と人生を進んで行きました。
安吾は、もっと繊細。もっと弱いところがある。希死念慮(死にたくなる)に悩まされ、作家として認められたのちには覚せい剤中毒にも…そこで療養のために滞在したのが伊東温泉(私は今伊東市に住んでます)
伊東海岸の安吾夫妻。
その後も、無頼派と言われたように、薬にも手を出しお酒も飲み生活は荒れた状態が続き、最後は脳出血で亡くなりました。
杢太郞と安吾と。それぞれ生きた時代を見てみると杢太郞は1885-1945。安吾は1906-1955と約1世代ずれていますが、啄木とは2人とも交友があったようですし、重なる部分もあります。
ただ生き方は全く違います。
安吾の戯画
杢太郞の百花譜の端正さと、全く違う。
大棟山美術博物館の書の作品も、形良いわけでもなく綺麗でもなく、でも何か惹きつけられるような魅力がある。
今日の十日町の講演で「自分らしく、満足して生きる」ことの大切さを強調しましたが、前頭葉が十人十色である以上「自分らしく、満足して生きる」ことも十人十色。
死にゆくときに、自分に対して「よく生きた」と言えるような生き方をしていきたいと思います。