脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

讃岐一人旅2024年5月-屋島、栗林公園、玉藻公園

2024年05月31日 | 私の右脳ライフ
一人旅4日目で帰京の日。飛行機は高松空港15:20発。
高松駅から空港までのリムジンバスの半分くらいのところに停留所「栗林公園前(乗車だけ)」を見つけたので、到着時刻から逆算して14:12発のバスに乗ることをまず決定。
栗林公園には12時前には到着しておきたい。朝一番に行くつもりの屋島からの移動は山頂シャトルバス11:18発で琴電屋島11:26着。11:33初の電車に乗り継ぎ瓦町11:49着。タクシーで数分の距離。と見通しを立てて瓦町駅に降り立ったのですが、市内でも繁華な駅なのにタクシー乗り場に一台もいない。これは計算外でしたが、ややしばらくしたら乗車できました。予定通り栗林公園に到着できました。
栗林公園花菖蒲園


時計を巻き戻して、屋島から。
84番屋島寺に着いたときに、その独特な端正なたたずまいに驚かされました。鑑真和上創建のお寺、弘法大師が中興の祖という説明で、納得。




宝物館には十一面観音像はじめとする仏像群、源平合戦にちなんだ宝物多数あって見ごたえがありました。

山門。

一方でちょっとユーモラスな太三郎狸を祀る蓑山大明神。


弘法大師が宝珠を収めて池とした瑠璃宝の池。源平合戦の時、兵士たちが血刀を洗ったために、池水が血の色となり血の池の別名も持っています。



数分歩くとやしまーる出現。



緩やかなカーブとガラスでできた建物自体が瀬戸内国際芸術祭2022のアート作品で、モダンな交流拠点施設ということですが、瀬戸内海の島々や空海の景色を堪能できるようになっています。ちょうど幼稚園の遠足に出会って海の景色も子供たちも堪能させてもらいました。







やしまーるの中にパノラマ館というものを発見したので早速見ることにしました。
明治初期にヨーロッパから伝わったパノラマ館というのは、円筒形の建物に遠近法を用いた絵画(油絵)を描き手前に近景を表すオブジェを置いたもので、中央からみてその臨場感を楽しむというものだそうです。浅草には直径30mの、琴平町にも日清戦争のパノラマ館があったのですがすべて消滅、日本で唯一のパノラマ館となりました。


その歴史を知って再現された意義は十分に感じましたが、動画を見慣れている私たちが臨場感を感じることはちょっと無理があると思いました。ただし、その絵画は作品としてすばらしく、この絵を見ただけで満足できるほどの大作でした。5m×40m!屋島の戦いから着想した朝、昼、夜のシーンを描き、照明の変化を加えて戦いのダイナミックさや無常観が伝わってくるのです。もったいないことに私一人で見させていただきました。


いただいたチケット風の作品図を広げて撮りました。

カフェでコーヒーとケーキをいただいたのもちょっとした記憶の点景。


とても満足してバスで下山。それから、栗林公園へ。
栗林公園スイレン。

ここも三度目なのですが、歳を加えるごとに受け取るものが違ってきている気がします。
江戸初期の回遊式大名庭園、国の特別名勝文化財庭園(庭園の国宝)の中で最大の広さ、一歩一景といれる変化にとんだ美しさ、長い時間をかけ手入れされた松の造形美、ミシェラン・グリーンガイド・ジャパンの三ツ星などの栗林公園を称賛する言葉の一つ一つが腑に落ちるようでした。



揚橋

杜鵑嶼(恋つつじ)ツツジの刈り込みがハート形!

ちょうど結婚式の前撮り写真をとっているカップルが。

飛び石にも色々な顔が。


桶樋滝

鳳尾鳥。薩摩藩島津家から高松藩松平家に贈られたソテツ36株の見事な林。最大高さ6m。元禄年間にはすでに植えられていたと言います。

掬月亭でお抹茶をいただきました。お茶をいただかないと内部の拝見ができませんから。





讃岐民芸館

さぬきうどんの命名者は流政之と知りました。
「うどんに明確な名前がないのはダメだね」たしかに!

商工奨励館




そして玉藻公園。

高松駅や高松港のすぐそばの史跡高松城跡は現在は玉藻公園となっています。善通寺からアンパマン電車に乗って高松に到着した時に、チェックインにはまだ早い時間だったので寄ったのです。
ここへも行ってみたかったのは理由があります。2022年の「ブラタモリ」で取り上げられたときに、全く知らなかったから。というミーハー的な発想です。
左端の鞘橋を通って本丸後に登り、天守台から見た内堀。

城船体験乗り場からみた内堀。

大正6年完成した披雲閣。窓ガラスはもちろん手作りガラスで波打っています。

平成24年重要文化財指定。

月見櫓(別名着見櫓)

瀬戸内海の海水を城内に引き込んで内堀や外堀にする発想、城内からは瀬戸内海を通行する船の監視を怠らなかったこと、藩主は船で参勤交代するために隅櫓が藩主帰郷を確認する着見櫓(つきみやぐら)といわれたこと、大手門は海に向かっていることなど知らないことばかりで、いつか行きたいところと心のメモ帳に書いてありました。
栗林公園梅の実
今回の旅は父母が浜、豊島、玉藻公園、やしまーる、そして栗林公園と行きたいところを訪れること。それをひとつひとつ実現させた旅でもありました。
その意味で、とても満足できた旅だったのです。
留守番をしてくれた夫にも「とっても楽しかった。どこも素敵だった。大満足。ただマイペースだったから、忠男さんには無理があったかも。途中で休みたくなるとか。一人旅は大正解だったかな」と報告。

ところが、とにかくまず旅の記録を書き留めようと思ったときに、一番に浮かんだのは旅で出会った人々。
この旅の備忘録のスタートは、この一人旅の途中で出会ったり感じたりした「人」を書きたかったのです。
讃岐路で出会った魅力的な人たち
どういう景色であっても歴史的な建造物や芸術品であっても、心は間違いなく動かされるのですが、私がいちばん興味関心があるのはどうしても「人」なのだということを改めて感じています。
楽しい豊かな旅でした。

讃岐一人旅2024年5月-直島豊島

2024年05月26日 | 私の右脳ライフ
失効マイルを消化するという試みから思いがけない高松空港への旅が決まった時、父母が浜(ちちぶがはま)と豊島(てしま)のイメージがすぐに湧いてきました。
ベネッセアートサイト直島
いつも夫から「一カ所にじっといて楽しむ旅もある」と言われているので、豊島はまる1日滞在のつもりでした。
宿がとても少ないので、朝一番に高松港を出発する船で豊島に渡って、豊島ー高松航路の最終便で、高松に戻る。高松のホテルが連泊になって荷物の移動が最小限で済む。これはなかなかいいプランだと、文字通り取らぬ狸の皮算用。問題は豊島島内の交通手段。電動自転車がポピュラーのようですが、私はもう何十年も自転車に乗ったことがありません。レンタカーは多分狭い道がたくさんありそうで自信がない。そうすると1時間に一本弱の島内バスに頼るしかない。
ネットで情報はゲットしたのですが、もう少し詳しく確認したいと思って、豊島観光協会に電話をしました。
若い女性の方でした。
無機質なパソコンの情報ではない生の声(電話とはいえ)からは、なんとなくその人の体温や事務室の様子まで浮かんでくるようで、ネット情報とは別の安心感のようなものをすぐに感じました。
高齢期をイキイキと生きるためには、ネットにつながっておくことはもう必要条件だと思うし、またそのように励ましてもきたのです。でもたった5分ほどの生のやりとりから得たこの安心感から、人は一人で生きるものではないと、ちょっと感動すら覚えました。
その女性がいうには「豊島に1日ですかぁ〜はっきり言ってそこまではいらないかなあ。私だったら犬島に行きます。ちょっと待ってください。あ。ダメでした。おやすみです。直島に行かれたらどうですか?」この矢継ぎ早の情報をそのままスムーズに納得できるのが、「生の人からの情報」のおかげだったと思います。
というわけで、12年前に友人と行ったので当初は訪問予定にない直島へも行くことになりました。

直島
今回の滞在は午前中4時間だけですから、この12年間に新しくなった直島探訪。メインはANDO MUSEUM。
とはいえ、移動手段の制約があります。
高松からの朝一番の船の宮浦港到着は、7:50。接続しているバスは9:06発。
直島は現代美術の島ですから、港の近所にも新しい作品がいくつかありました。
赤カボチャ。中に入れるようになっていました。



直島パビリオン。

BUNRAKU PUPPET。

直島銭湯「I💗湯」12年前に「今度は入って見なくっちゃあね」って言ったのに…

バスに乗りさえすれば6分で家プロジェクトが展開されている本村地区に到着です。
ところがアート施設は10:00オープン。
屋外展示の護王神社へ。ここは杉本博司作。



前回は「ガラスの階段?地下の石室?」疑問のままだったのですが、それから、小田原の江之浦測候所にも足を運び、杉本博司が求める石そのものの持つ力、日の光を通して宇宙につながる感覚などが制作の基礎にあるのかと少しわかるような気になっています。12年経ったのだなとちょっとその年月に思いを馳せました。
さて、ANDO MUSEUM。
全景

前庭。右の丸い部分から採光していました。



築100年を超える民家の大きな木の柱やその自然な形を生かした梁をそのままに、コンクリート打ちっぱなしの壁、大胆な空間処理、安藤忠雄の世界が繰り広げられていました。





展示されていた直島でのベネッセミュージアムをはじめ安藤作品を構想する時のラフスケッチを見ると、まさに頭の中に出来上がっているものを表に出す作業が設計なのだと納得。設計する時、その自然の中にその自然を生かして、作品である建物を、あたかももともとあったかのように馴染ませる。そのような意図が汲み取られるような展示でした。
代表作「光の教会」も刻々と移り変わる日の光をじょうずに取り入れていることがわかりました。


建物を安藤忠雄が設計したジェームス・タレルの新しい作品は、ANDO MUSEUMのすぐそば、「南寺」。

15分間、漆黒の暗闇の中に入りこむ体験を通じて、感覚の変化や、外へ出て景色を見るとき受け取る情報の違いなどを感じてほしいという意図があると説明されました。
もともと、十日町市第1回「大地の芸術祭」に発表された光と影がテーマのタレル作「光の館」に案内されたのは2005年だったでしょうか?
それから、12年前。直島の地中美術館のオープンスカイ。私たちはナイトプログラムに参加して、夕方から夜にかけて空いた屋根から空の色の移り変わりを見て最後は計算された人口光を楽しみました。「寒いけど、どうする?」という端から「参加!」と笑いあったのです。
金沢21世紀美術館にもタレル作品はありました。
そしてここ。光がなくなった…光がなくなったから、次に出会う光が輝くということでしょう。同時に、私はタレルに出会ってからの約20年間生きてきたことを思いました。日々を重ねたことで、今の私があり今の私が感じることがある。12年前に一緒に楽しんだ友はいなくなっても、その時感じたことは消えていない。単に家プロジェクトを楽しむつもりだったのですが、ちょっと想定外の経験をしていました。
再訪した家プロジェクト「角屋」
再訪した家プロジェクト「碁会所」
ANDO MUSEUMの開館時間待ちで発見。
おしゃれな屋号。

朽ち果てそうな家屋。家プロジェクトはこのような建物を蘇らせたものです。

おしゃれな直島ホール

ベネッセハウスのあるエリアに「杉本博司ギャラリー時の回廊」が新しくオープンしていましたが、今回は時間が足りません。でもそのエリアにはどうしても行かなくてはいけなかったんです。
12年前に、大学時代からの親友と初めて訪れた直島。あの時はベネッセハウスに泊まって、ゆったりと直島の幾つもの美術館巡りをしました。二人が最初に目をつけるところが違っていて、2倍楽しんだ気がします。
直島のシンボル草間彌生の黄色い「南瓜」。
8年ぶりの雪だと直島の人たちはちょっとうれしそうに雪を楽しんでいました。「南瓜」には積雪がなかったのですが、傍の小さな杭の積雪を二人で見つけて喜び合ったあの時をもう一度感じたかったから。
2024年の「南瓜」

本当は、外国人観光客がいっぱいでした。

2012年の「南瓜」隅に積雪が。

たった4時間の直島でしたが、たくさんの体験ができました。

豊島
直島宮浦港から豊島家浦港まで20分ほどで12時半ごろに到着。帰りは17:20発の高松行き最終便。豊島は5時間の滞在です。
島内バスは1日7便。
豊島美術館。いろいろ調べてみましたが今ひとつよくわからず行ってみるしかないという結論でした。
その美術館行きバスの発車時刻は13:18。
港近くに横尾館があるということで行きました。
とにかく、びっくり。





トイレのインスタレーション

外観
円筒形の建物の内部は宇宙のようでした。

壁一面に滝の写真が。

美術館に行く前に「心臓音のアーカイブ」その展示内容よりもロケーションに心惹かれました。









結局、島内バスの便数が少ないため、豊島美術館滞在時間はちょうど2時間でした。確かに美術館内、その敷地内(棚田のあるエリアにこの美術館が作られています)でゆっくりするならば半日でもいられそうでした。
棚田

全景

開口部は2カ所

靴を脱いで入館します。
二つおおきな開口部を持つ円盤形の建物。つまり柱は一本もない。広さは狭く感じたり広く感じたりしましたが説明によると40M×60M。開口部からの光、風、音(鳥の声がたくさん聞こえました)を感じつつ、足元の床のそこここからにじみ出る水の流れを追ったり、全体に広がる水たまりを見たり…ほんの少量の水でもいろいろなスパンで湧き出たり止まったり。それぞれがランダムです。少し長い間出続けるところもあり、合流しそうでしなかったり、思いがけず速いスピードで大きな水たまりまで駆け抜ける流れもあったり。
開口部はたくさんあるようでした。様々にコントロールされているのでしょうね。
靴を脱いで入館するのですが、床材が独特の吸水性のあるもので心地よく初めての体験でした。漆喰に近いようなものではないでしょうか?
カフェで見つけた小さな模型。これで形がわかるでしょうか?左下の細くなったところが入口です。

カフェもおなじテイストの建物で、居心地よくひと時を楽しみ、スタッフともお話しました。



若い女性のスタッフから「美術館はいかがでしたか?」というあまりにも単刀直入な質問にちょっと慌てながら「うーん。水がいろいろな生まれ方をして、いろいろな道を辿りながら最後は一つの大きなものに帰っていく。というのは人が生きることと同じ意味かなあと思ったのよ」と答えました
ニコッと笑って「時々、お客様となんかピタっとくるやり取りができるのがすごく嬉しいんです」というので写真をお願いした後、ちょうどお客さんが来たので慌てて飛んで行きました。

豊島美術館でとても心地よい時間を過ごしたのです。
でも、この若い女性とのやり取りは思いがけないほどの喜びを湧きあがらせてくれました。
私が旅にいちばん求めているものは、人とのつながりなのかもしれません。











讃岐一人旅2024.5ー父母が浜(ちちぶがはま)

2024年05月20日 | 私の右脳ライフ
JALのマイレージを使って高松空港に降り立ちました。5/13から5/16までの3泊4日の讃岐路一人旅のスタートです。(備忘録)
警報級の雨という伊豆高原を出発しましたが、高松空港は曇り時に日が射すという絶好の旅日和です。
香川県の地図を貼っておきます。この地図は縮尺や場所の変更もできるはずですから使ってみてください。

香川県は日本で一番狭い県ということは有名ですが、私にはとても印象的な出来事があります。もう30年近く前、ごく初期の実務研修会で、香川県綾上町と北海道別海町の保健師さんが話しながらお互いに驚きあっているのです。
テーマは面積。いま検索してみると綾上町は71㎢、全国で3位の面積を持つ別海町は1320㎢で、なんと約20倍!
綾上町の保健師さんは「別海町は香川県くらいある!」といいましたが、検索の結果、香川県は1877㎢でした。つまり別海町は香川県の7割の広さがあり、言い換えると香川県は別海町の1.4倍の面積しかないということです。
一人旅の条件として「レンタカーはいいけれども、自転車はダメ」と夫から言われていたので、「狭い香川県だし今回は公共交通機関だけで移動してみよう」と思って検討を重ねて、前半は友人が車を出してくださるという幸運もあり、タクシーを2回使った以外すべて公共交通機関で通すことができました。
さて、父母が浜。高松空港―四国中央市のリムジンバスの川之江インターで54年来の友人にピックアップしてもらって一路父母が浜へ。まだまだ日が高く無風という条件も重なって、そこここに在る大小の潮だまりに映る空や山をまずは鑑賞。
今回フォトの編集機能から「消去」を使ってみました。左端の人物に注意してください。
ビフォー

アフター。全部消すことは簡単ですが、現実の人物像だけ消してみました。

太陽を背にすると、こういうことになります。

太陽が沈み始めました。まるで鏡です。色彩マジックを見た思いです。

どこかで見た写真のまねっこ。

日の入りが間近になり、この後は皆さんが一斉にシャッターを切っていました。
なにかを映しこんでいる潮だまりも素敵ですが、砂浜の風紋も魅力があります。夕日鑑賞の時には雲は必須です。

光がほんの少し変わっただけでも、場所が変わっただけでも印象は大きく変わります。

二人で楽しみました。

クライマックスが近づいてきます。

カメラの位置が低過ぎましたが、手前の潮だまりには雲が見事に映っていました。空から青色が少なくなってきます。

お日様が山の端にかかりました。

急げ急げ。

今回の旅の目的の一つに、「父母が浜に行くこと」を据えていました。「この目で見る。体験する」は私にとっての大切な目的です。
真似をしているだけですが、写真もたくさん撮ってみました。編集機能の消去も使ってみました。
ひとつ始めてみると、興味関心が次々に生まれるのは楽しいことですね。
翌朝の海岸の写真です。


父母が浜の紹介。香川県最西端の観音寺市ではなく三豊市でした。

讃岐路で出会った魅力的な人たち

2024年05月16日 | 私の右脳ライフ
消滅してしまうJALのマイレージがあったので「どこかにマイル」という方法で消化しました。日時は指定できても行き先は4カ所のうちどこになるかわからないという面白いチケットなのです。(交換比率がとても良い)
高松空港という知らせがきたので、さあ、讃岐路観光の検討が始まります。
まず日本のウユニ湖と言われる、父母が浜(ちちぶがはま)。どこかで写真を見て以来、一度は行ってみたいと思いつつ、実現の可能性は低いだろうと諦めていた気がします。
警報級大雨予報の伊豆を出発。午前中雨だった高松も到着時には薄曇り。
父母が浜はベストに近い気象条件を整えて待っていてくれました。とにかく無風、雲が少々あって、さらに大潮(海水の引きが大きいので潮だまりが大きい)。日没前から瀬戸内の島々、青空と白雲と緑の木々、その反射を愛でながら、潮だまりのこちら側やあちら側で写真を撮っては見せ合っているうちに1時間以上もたってしまいました。それから日没タイム。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかや」を持ち出すまでもなく雲があるのとないのとでは印象は全く違ったと思います。
陽が沈みゆく時の、自然の醸し出すグラデーションは想像以上のものでした。




幸先の良い旅が始まりました。
父母が浜がある香川県最西端の観音寺市と愛媛県最東端の四国中央市は考えてみれば隣町!
四国中央市には54年前からの旧友がいます。
夫の初任配属時に、同じように卒業したてのフレッシュウーマンが夫のアシストをしてくれました。その彼女との交流がずっと続いているのです。
「かくかくしかじかで高松空港に急に行くことになって…父母が浜へ行きたいの。それから銭形砂絵」と遠慮しながら切り出すと「うわ〜思いがけない申し出。嬉しい!」

高松空港から四国中央市までの讃岐ウドンに引っ掛けたポケモンヤドンのリムジンバスに乗った私をピックアップしてくれて、ご夫婦と三人で父母が浜を楽しんだのです。
翌朝、まず銭形砂絵へ。


私にこの観音寺市の銭形砂絵を教えてくださったのは、清水玲さん。つい先日5月6日にヒロ画廊伊豆大川でのインスタレーション展を見せていただきました。

「吉野川上流に3ヶ月滞在する機会があって、四国をいろいろ回ってみました。たくさんの気づきが今回の作品にも反映されています」その時にこの観音寺市の銭形砂絵にも触れられたのです。
難解な清水玲さんの作品も、お話を伺ううちに「見方」が少しわかったような気になってきました。だから見たかった!全く単純ですが、人生で期を同じくすることが起きる時にはその流れに乗っていくのが私の方針です。
実は、銭形砂絵は父母が浜の並びにありました。銭形砂絵を見ながら、すぐそばに清水さんの作品と清水さんをはっきり感じていました。
清水さんの作品。

それから少し標高を上げて、荘内半島で視野330度の瀬戸内多島海を満喫。ここは隠れたビューポイントです。
上潮の様子がくっきりと見えました。

福山市も、もっと右には瀬戸大橋も見えたのです。

ランチはもちろん讃岐うどん。
彼女の一押し讃岐うどん店「福田」であん雑煮(うどん)とおいなりさんをいただき、確かに今回の四国旅での出色のお味だったと思います。





お腹を満足させて次は68番札所神恵院と69番札所観音寺。八十八ヶ所のお寺で同じところにあるのはここだけと教えてもらいました。
モダンな神恵院。

歴史を感じる観音寺。



「納経所」に興味を惹かれて、また出会いが。
胸にかけられた袈裟に惹かれてついつい見つめていたら、気さくに声をかけてくださって「97歳の父を連れてお遍路しています。父は85回結願していますが、今は車で待ってもらって。この中先達というのはお遍路さんに色々なことを教えてあげるお役目があるのです」ということを、穏やかな口調で説明された吉田さん。

お父さまはとうぜん大先達ですって。初対面というのに、この包み込まれるような雰囲気に、ちょっとあっけに取られるような気になりました。讃岐の人たちには、明るくフレンドリーな感じを醸し出す人が多いと思います。

錫杖の意味や「同行二人(どうぎょうににん)」の説明をしてくださっています。
吉田さんの納経帳。「1回お参りすると3個朱印をいただけます」

お父さまの納経帳!最初赤地の納経帳があるのかと思いましたよ!

吉田さんありがとうございました。
弘法大師に出会えた気持ちになれました。
見事な観音寺鐘楼。

「弘法大師生誕の地ですから善通寺は外せません」とお遍路さんを2度も結願されて、今年(閏年)は作法通り逆打ちされているミスターが言いながら、善通寺へ。
途中、捨身が嶽で有名な73番出釈迦寺にも立ち寄ってくれたのです。




いよいよ72番札所善通寺。清潔に整えてられていて、参拝者も思いのほか少ない境内からは清新の気も漂ってくるようでした。
今度の旅では、さまざまな年齢の弘法大師像に出会いました。





善光寺のように真っ暗なお胎内くぐりがあり、本堂の弘法大師像の真下でお説教をいただく工夫がされていました。
充実した旅の立役者。友人もミスターもありがとうございました。

この旅の最大イベントは、友人ご夫婦に再会できたことかもしれません。お寺も風物も私たちが生きている間くらいなら変わらずあると思いますが、肝心の私たちが一番予測が立てにくい年齢になってきています。
こうやって元気に会えることはこのうえない僥倖だと思いました。

翌日スケジュールは、12年前に今は亡き友人と訪れた直島と全く初めての豊島!12年前に初めて訪れた直島には新しい着眼点の芸術を根付かせようとする意図と意気込みを強く感じました。現代美術のために、現代美術だからこそ自然に溶け込むようなプレゼンテーションの工夫が、設計家安藤忠雄によってなされていました。
2度目の直島ですから、新しいANDO MUSEUMを訪れたいと思ってました。安藤忠雄には会えませんでしたが、ラフなスケッチや光の教会の模型に、そこに安藤忠雄の息遣いのようなもの安藤哲学を感じてしまいました。







護王神社も再訪しました。友人と来た時には「杉本博司」を知らなかったので「階段がガラス(ほんとはアクリル樹脂です)ね!」とその斬新さだけが印象的でしたが、その後「江の浦測候所」も訪ね、つい先日熱海MOA美術館でも杉本博司プロデュースを感じた後なので、まるで杉本博司がソコにいるような気持ちになったのは、ANDO MUSEUMの時と同じ。



直島のシンボル草間彌生の「南瓜」。
安藤忠雄の作品に対峙した時と同じように、作者がそこに存在しているような気持ちになるのが不思議なほど。

12年前にはなかった「赤かぼちゃ」。

私は直島を訪れる前から、前回一緒に直島を楽しんで、2021年11月に亡くなった大学時代の友人のことを思わずにはいられませんでした。まるで姉妹のような関係が半世紀続きました。
直島という場所で生々しく邦子さんの声や笑顔や仕草を感じて、死んでも誰かの心の中にいる間は、生死には大した違いはないという、私の考えがもう一つ力を得た気になりました。
2012年3月の記事から。
友人が!このあと写真を撮ったのですが、彼女は写真を撮る人ではなかった…珍しい姿です…
12年前の「南瓜」。右端に見えるのは小さな雪だるまを載せられた建造物です。

この日の朝、8年ぶりの雪で喜んだのは私たち観光客。島の人たちは困ったものだというのが正直なところだったでしょう。

豊島(てしま)は初めて。外国人にとても人気があるというニュースをよく耳にしますが、確かに外国の方が多かったと思います。
豊島情報はまたの機会に譲ることにして、豊島美術館カフェ&ショップで出会った素敵な笑顔をお届けします。




流暢ですが、多分日本人ではない方だと思います。レジを打ちながらの「美術館はいかがでしたか?」というあまりにも単刀直入な質問がそう思わせたのかもしれません。ちょっと慌てながら「うーん。水がいろいろな生まれ方をして、いろいろな道を辿りながら最後は一つの大きなものに帰っていく。というのは人が生きることと同じ意味かなあと思ったのよ」と答えました
ニコッと笑って「時々、お客様となんかピタっとくるやり取りができるのがすごく嬉しいんです」というので写真をお願いした後、ちょうどお客さんが来たカフェに慌てて飛んで行きました。
たったそれだけのことなのに、心がじわっと暖かくなるような体験でした。
最終日の屋島。初めてではないのですが前回の記憶は何もない!
84番札所屋島寺。鑑真和上創建の寺ということすら知りませんでしたが、本堂や境内の佇まいは風格あるものでした。



ホテルから琴電屋島まで電車で移動。そこから山上バスがあるというところまでしかチェックしていなかったら、なんと1時間以上も待たなければいけない…これはタクシーだと決めました。
同じ電車から降りた外国人女性を一緒にのせてあげようと思って、喋れないのに誘いました。
どうしてもシェアと言われるので「同行二人」の話と「自分は行かれないけど連れて行ってください」とお布施する風習のことを、話せないのに話しました。
フランスニースから来たイバンヌさん78歳!
「世界平和を祈ってもう1ヶ月間遍路さんをしている。フランスに来ることがあったら連絡ください」という出会い!
写真は撮っていないけど、心温まる出会いでした。


ヤシマールという施設ができているということを知り、楽しみに屋島寺を後にしました。
その途中に樹齢400年という桜を見つけました。
可正桜。
1665年に高松藩家老松平半左衛門可正が植えたもので「自分が死んでも花と名が屋島の峰に残る」という説明板に「その通り!」と会ったことのない可正さんに一票を投じる思いでした。
山頂の新しい施設。斬新なヤシマール。




そこのカフェでお茶を飲んでいたら、男性グループ11人が「椅子を貸してくださ〜い」とにぎやかに登場。
なんだか楽しげなのと、皆さんおしゃれ。そして聞こえてきた会話から全員が古希。
注文は「右にならえ」ではなくて、半数のコーヒー以外は、この決して多くはないメニューから、よくもさまざまに注文できると感心したくなるほど自由な注文内容で「全部で11人になってますか」とどなたかかの声が。

どうしようかと躊躇ったものの、やはり興味に負けて聞きました。
「男性だけの旅行って珍しいですよね?それにこんなにも自由で楽しそう…」途中から説明が始まりました。
「僕たち同期入社。全国展開している会社で、つまりは転勤族。定年になって一年に一度、一泊の同期会をやってるんです。たまたまいろんなところに住んでるので、その人が幹事になってね。コロナの時は流石に中止だったけど、去年は広島。今年は僕が住んでる香川。来年は富山だね」
みなさんニコニコ聞いてくださっていました。
お元気でいらっしゃる限り、認知症とは無縁な方々ですね!
杖を持っている方もいらっしゃいましたが、その意気やよし。とにかくなかなかに自主的で効果的な認知症予防活動実践中のグループに出会うことができました。きっと自覚されているでしょうね。
なるべくお顔が映らないように外から撮ってお見せしたら「全然構わんよ」といくつかの声が聞こえました。
お邪魔してしまってごめんなさい。そしてご説明ありがとうございました。
屋島は晴天ただし強風で、風の又三郎が来ていたのかもしれませんね。見えなかったけども。

























2040年に認知症高齢者推計584万人に

2024年05月13日 | エイジングライフ研究所から
今日の見出しは1週間ほど前に、厚生労働省研究班がまとめて発表したものです。正確には582万2000人。
愕然とした人もいるでしょうし、読み進めていくと9年前の予測値802万人に出会うことになり、はるかに低い数値に妙な安堵を抱いた人もいたかもしれません。
近所に咲いている蛇結茨(ジャケツイバラ)

ちなみにその理由として厚労省は生活習慣病の改善や健康意識の変化などによって認知機能の低下が抑制された可能性がある」と説明しています。

この記事の後半に認知症の新しい薬であるレカネマブの治験の進捗状況にも触れられていますが、この薬は認知症発症の原因をアミロイドβ沈着に限局して、だから沈着する前に排除するという考えのもとに開発された薬ですが。
先の認知症高齢者の推定数減少の理由としてあげられた「生活習慣病の改善や健康意識の変化などによって認知機能の低下が抑制された可能性がある」と、いうことは、今まで開発してはその効果が否定されて消え去っていった種々の認知症治療薬(その開発費用は70兆円とも言われています)、その先のレカネマブがなくても認知症発症の原因とされているアミロイドβの沈着が起きないという意味でしょうか?それはアミロイドβが原因という前提が、もしかしたら違うということでしょうか?
一碧湖チョウジソウ



レカネマブの持っている大きな問題点はこのブログでも何度か書いていますので、目を通していただきたいのですが、「レカべマブは認知症に立ち向かう切り札」ではありません。
私たちは認知症は脳の使い方を誤った生活習慣病、廃用性の機能低下つまり誰にでもある脳機能の低下が加速されたものだと考えています。
中伊豆グリーンポケット ハンカチの木

サンショウバラ



たまたま遊びに来た友人が、「新聞に出ていた認知症患者の推定数のことだけど。どのくらいのレベルの人を認知症患者って数えてるのかな?小ボケ(真の早期認知症のレベル。一般的な認知機能は正常で前頭葉機能だけ低下が進んだ人たち)は入ってないよねえ」と呟きました。
介護にも携わらず、全く普通の生活をしている友人ですら、このような基本的な疑問を持つのに専門研究者の皆さんにはこのような疑問は浮かばなかったのでしょうか?
中伊豆グリーンポケットユキモチソウ

クレマチス

どういうことをする認知症者の数なのでしょうね?
そのレベルによって、地域での見守りも可能になります。
伊東アートビレッジ ナヨクサフジ


ところで、記事はさらに続いていました。
「物忘れなどの症状はあるものの、生活に支障がなく、認知症と診断されるまでには至らない『軽度認知障害
(MCI)』の人の将来の推計を初めて公表し、2040年には612万8000人にのぼる」というものです。
この軽度認知障害も問題ありです。
言葉だけ読むとわかった気持ちになりますが、目の前の高齢者が、物忘れを訴えれば軽度認知障害でしょうか?
逆に物忘れを自覚しない高齢者はまずいません。
「生活に支障がない」程度の失敗は、高齢者なら誰しもしでかしています。
線引きには脳機能という物差しが必須ですよ。
ナンジャモンジャノキ

私自身が、言葉や文章の深い意味を考えずに書かれたことを鵜呑みにして「理解」したつもりになるタイプなのですが、いくらなんでも同じ記事の中にこれだけ反対の主張や疑問がいっぱい湧いてしまうことが述べられているのには、ちょっと驚きました。




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