脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

「ここに幸あり」花壇―奥州市「としとらんと会」の活動

2011年06月25日 | 認知症予防教室

奥州市「としとらんと会」の活動はたびたび紹介していますが今日も心温まるお話です。

   稲瀬としとらんと会in奥州市江刺区

   号外ー奥州市千葉キヌさんの手紙

   江刺市「稲瀬としとらんと会」

   千葉さんの手紙「新聞に載りました」

   

「としとらんと 会」のメンバーが、地域の奉仕活動として花壇作りを長年やってきているのです。
「このたび、その花壇にこのような看板を立てました」とおなじみ千葉謙さんからご連絡をいただきました。
「あんまり、見事なのができちゃったから、今一つ心配してるんだ!ナニ、通り掛かりの人がお宮と間違えて拝んだりはしないかってさ」

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それからしばらくして
「今度は通りの入り口にちょっと立派なのを据え付けたよ。何しろ今年の会長さんが大工さんだからね。前のは杉の丸太だけど今度は欅(ケヤキ)の一枚板!」
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書いて彫ったのは、二つとも千葉謙さん!材を生かしたデザインと言い、変化のある字体(後でお話しする理由があります)と言い、おみごと!!!

実は、3月の大震災の前日、私は「としとらんと会」にお邪魔していました。
全くプライベートで遊びに行かせていただいたのです。そしていつもながらの大歓待を受けました。写真を写してありますから、その雰囲気を味わってください。
世剣(せつるぎ)の舞。

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去年の交流会の出し物で途絶えていたものを復活させました。

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今度は地区の子どもたちに教えることになっています。
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みごとな連携プレイでした。
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余興もあります。引っ込み思案という言葉はここにはありません。みんな出たいのです。余興もあります。引っ込み思案という言葉はここにはありません。みんな出たいのです。
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楽しそうでしょ。「としとらんと会」の皆さんはいろいろなことを「楽しいイベント」にかえる名人がそろっています。
ほんとは今年「全国チンドン屋フェスティバル」に出場の予定だったとか。会場が大船渡市なので無理ですね・・・

御馳走もあります。
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記念写真もあります。
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そして、この翌日が大震災。
帰宅してしばらく経ったら、本当にお世話になったという感謝の気持ちと、何かちょっとプレゼントしたいなあという気持ちがわいてきました。

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「ここに幸あり」と聞くとメロディが浮かんでくる保健師さんもいるはずですが、大津美子さんが歌っています。 私の40年来の友人です。
3月11日、岩手にいる時に、たまたま電話をくださって、それは大層心配をしてくださったのです。
帰宅後、いろいろ報告のおしゃべりをしているうちに
「『ここに幸あり』って励ましの言葉にならないかしら」と思いつきました。
大津さんは
「こんな大変な時に歌どころではないと思うし、気楽に『ここに幸あり』って言えない気がするわ」とためらわれたのですが、押し切って色紙を書いていただきました。

それを、「としとらんと会」にお送りしたら、思いがけない大々的な活動につながったというわけです。
(上の写真は、大津さんから頂いた今年の年賀状です。看板の「ここに幸あり」の字は、実は大津さんの字をまねて書かれていることがわかりますよね!)
千葉謙さんの話
「面白いもんで、名前がついたというだけで今年の花壇づくりには気合いが入ってる。みんながイキイキしてよかったと思ってるよ」
「例の看板、祈ってる人を見たという報告はまだないけど、あの前で佇んで涙ぐんでる人がいたって聞いたよ・・・歌がいいんだよ。それにしてもやっぱりいいことをしたんだね」
「まぁ、今回いろいろあったし、ちょっと気を入れてやったから今度は『お疲れさん会』もやることになってるんだよ。としとらんと会のみんながそれも楽しみにしててね。次々に楽しいことにつながっていくもんだなあ」

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「としとらんと会」にはテーマソングがあって、例会では皆さんが唱和されます。そして「この歌の通りだね」と言い合われるのを何度も耳にしました。その「ああ人生に涙あり(御存じ。水戸黄門主題歌)」に加えて「ここに幸あり」も歌うようになったそうですよ。
ここでもノリのいい「としとらんと会」の面目躍如ですね。
お花がきれいに咲いたら写真を送ってくださるそうですから、楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 
 
 

ボケと認知症

2011年06月15日 | 二段階方式って?

6月14日に留守電を入れてくださった保健師さんへ。
質問の趣旨は「小冊子では、ボケを認知症を同じ意味として使っていると思いますが、それでいいのでしょうか?」ですね?
どの町のどなたか、ちゃんと名乗ってくださっているのですが、困ったことに、何度聞き返しても、どちらも聞き取れないのです・・・ブログでお返事します。

今年のバラもそろそろ終わり。今の庭のバラたち。ウエスターラン2011_0610_072400p1000036

結論ですが、私はボケと認知症を同じ意味で使っています。

2004年に、厚生労働省が「認知症」という表現を使うように指導したのは、公文書上の「痴呆」を言いかえるという条件のもとでした。
行政用語としての「痴呆」を「認知症」に改めるということです。
シャルダンドフランス2011_0610_072600p1000037

それだけのことで、学術用語については「学会にゆだねる」となっていたくらいですから、一般的な使い方については、特別の指示や命令(?)はなかったのです。

この経緯からわかるように「ボケ」という言葉は、もともと公文書上では使われていませんから、日常レベルでどう使っても何の問題にもならないのです。
つまり、私が「ボケ」という言葉を使って、文を書いても講演をしても構わないということですね。
ミセスオークリーフィッシャー
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ところで、日本人は、いったん決まったら一斉になびいていきます。

今となっては「認知症」と表現しないと「遅れている=内容も旧態依然たるものだろう」という印象が否めません。
それで、私も仕方なく、講演の演題や、文に書くときは「認知症」を使っています。
仕方なくと書きましたが、本当に仕方なく「認知症」といっています。
その理由はふたつあります。        グラナダ2011_0610_072300p1000035
一つは「認知症」という表現自体が変ということです。
病名は「症」という字を、臓器につけたり(脳症、関節症など)、状態につけたり(高血圧症、貧血症など)して表現しますが、機能に「症」をつけて病名にするということはありません。
思考症とか記憶症とは言いませんね。

思考障害とか記憶障害ならわかります。

「認知障害」は精神科領域で特定の症状に対してすでに使われていたために、「認知症」という妙な表現になったのです。現場では「認知のケース」「認知の人」というような使われ方になってきていますね。

新芽だけに朝露が!2011_0610_065700p1000030                        

もう一つの理由も重要です。
ボケを早期の状態で発見しようとすると、そのカギは前頭葉機能そのものです。

ところが、前頭葉には認知機能はありません。
ボケを「認知(機能)」の問題だと捉えると、早期発見はできないことになってしまいます。

小ボケから回復した人が、小ボケ状態だった時を振り返り
  「自分の周りがボケーとしていた」
  「霧の中にいるみたいだった}
  「はっきりしないのでやる気が起きなかった」
  「ボンヤリしているので、何事も面倒だった」などといい、

  「今は周りがはっきりしてきたので、見たいし聞きたいし」
  「こんなに、景色がきれいだったと感じるようになった」
  「言われていることもはっきりしてきたので、話したくなった」などと
説明してくれることからも、むしろ「ボケ」という和語は、状態を的確に表現しているのではないかと思います。

2009年4月に同じ趣旨のことを書きましたので、こちらも読んでください。
癡狂→癡呆→痴呆→認知症→? 


実感!前頭葉機能低下(正常範囲内ですが)

2011年06月12日 | 前頭葉の働き

日常生活の中で「脳機能」を再認識するときはいくらでもあります。日常生活は目覚めている限り「脳機能」が働いて行われているのですから当然です。

「左脳の働き」は、デジタル情報の処理ですから理解しやすいのです。
読んだり聞いたり、また書いたり話したり。1+1=2がわかり、「何色が好きですか?」の質問に対して「私は赤色が好きです」と意味を理解して話せたり書いたりできます。
「言葉で表現できる」のが特徴です。

一方「右脳の働き」は、アナログ情報の処理で、なかなか理解しにくいのです。色彩や形や音楽や感情などのキャッチや表出を受け持っていて、「言葉ではうまく言えないけれどもよくわかっている」ような時に働いています。と言葉で説明してもよくわかりませんね。
私は脳外科で脳が壊れた人たちにたくさん出会って、脳機能検査をさせていただきました。その体験から「右脳の働き」を学びました。
このブログでも何回か書いてみました。

   右脳障害後遺症ー右脳が壊れるということ

   右脳が壊れるということ―「話す」と「わかる」

   KY=Kuuki Yomenai

   ここにも右脳障害が

Photo_2 「右脳の働き」にもましてわかりにくいのが「前頭葉の働き」です。
前頭葉の働きを理解するには、三頭建ての馬車の御者の機能を持っていると考えるのが近道です。
左脳・右脳・運動脳に対して司令塔の役割を担っています。

つまり目覚めている限り、前頭葉は必ず機能していることになりますね。、

Photo前頭葉は数多くの機能を持っていますが、その中でも中核的な機能である「注意集中分配力」は、20代にピークを迎えその後は直線的に低下していく見事な一峰性のカーブを持っています。60代後半ともなればピーク時の約半分程度になるのです。(これが左脳的説明)

右脳的説明にしましょう。右のグラフの「正常老化曲線」の通りです(笑)。
横軸一目盛が10歳です。

ところで、今回の私の前頭葉機能低下事件の前に前回の報告も繰り返しておきましょう。読み返してドキドキ感がよみがえり笑ってしまいましたから。そして目覚めている時に前頭葉機能がどのように働いているかがちょっとわかるかなと思いますから。

   注意分配能力(前頭葉)低下事件

さて今回の事件。2011_0604_094300p1000002

山椒の実をたくさんいただきました.

ここまで積み取るのにはきっとたくさん傷を作られただろうと思うほど、山椒の木には鋭いとげがあります。
まだみずみずしいこの実にも、柔らかいですがとげがあります。

だから、ハサミで一つずつ切り取っていかないといけないのです。2011_0604_094400p1000003

大きいハサミや小さいハサミを持ち出して、どのハサミを使うと作業が楽で早いか確かめてみました。これこそ前頭葉機能。

一番楽なのは、小さい文房具用のハサミ。そのくらい柔らかいのです。

頂いた山椒の山
切り取った実
取り除いたとげのある軸と
三か所に分類しながら作業をしていました。そこで事件発生!2011_0604_094300p1000001

何と軸の山の中に、切り取った山椒の実が!もちろん私は「あれあれ、注意分配能力が落ちてること・・・」と苦笑しながら、正しい山に戻しましたとも。
基本的に私の脳機能は正常レベルなんですから。

パソコンでチェックして、さっと湯通しして、瓶詰保存もしましたし、佃煮も作りました。2011_0604_223400p1000008

このような家事の支障は小ボケでも起きますが、大したことにはなりません。
山椒の実切り取り作業で言えば、作業終了時にちょっと混じってるくらいです。

中ボケになってくると失敗の度合いがひどいのです。
どの山が切り取った山椒の実の山で、どの山が軸の山かがはっきりしないほどになります。
家族が訴えるのは「さやえんどうを剥いてもらっても役には立ちません」という言い方が多いです。
馬車は走っているのに御者が寝ている姿が理解できますか?
上手にハサミを使って切り取ることは、何十年もやったことなので御者の管理監督がなくてもできるのです。でもその作業全体を監視し状況判断する御者の機能が低下している・・・
小ボケは居眠り。中ボケはもっと寝込んでいる状態です。

近所にタイ料理店がオープンしました2011_0604_142900p1000004
小ボケの人のように、話は唐突に飛びますが、(と、言い訳をするところが小ボケではない証拠なんですよ)ひそかに撮影されたJR北海道の電車の運転手さんの居眠りはどのくらいのレベルだったのでしょうか?

このくらいの話題の飛躍には、ぜひ食いついていっていただきたいものです(笑)


「目が届かない」小ボケの発見

2011年06月06日 | 正常から認知症への移り変わり

我が家を訪問してくださった友人の話です。
(今日の写真は、修善寺の修寺でいただいた精進料理)

菖蒲白2011_0511_121900p1000320_2

友人 「それはまあ元気な奥さんでしたよ。もともと会社経営の家付き娘で、ご主人はお父さんのお眼鏡にかなったお婿さん。趣味も多彩で、とにかく彼女がいるだけで会話が弾んで楽しい人でした。
ノビノビしてるというか、言いたい放題。
オッと、そこまで言っていいのかというような発言もあって御主人はよく耐えてると思ったこともありましたが。自分ならちょっと無理ですねえ・・・
そうそうおしゃれで若々しい人でした」  

                           あやめ大根2011_0511_122500p1000321

友人「それが先日会ったのですが、3年ぶりだったんです。
びっくりしました。まるで別人!
とにかく、目が届かないんです」

私「目が届かないって?」

友人「こちらを見て、ボクに話しかけてるんですよね。それなのに視線が途中までしか来てないというか。
目と目を合わせて話す時って、漫画で書くように・・・→ ←・・・みたいになるでしょ。それが相手の・・・→が途中で止まってしまう感じというか。
見てるのに見てないというか」
胡麻豆富2011_0511_123600p1000322

私「小ボケの方とお話していて、私がよく感じるのは、確かにこちらを見ているのに、その視線が私を通り抜けていってしまってるということなんですが、そこまでも来てないんですね。
小ボケの家族の方がよくいわれます。
『腐った魚の目みたい』
ごめんなさい。すごい表現ですが、ほんとによく耳にする言葉ですよ。
『目が死んでるんです』といわれることも多いです」

                           2011_0511_124200p1000323南瓜饅頭

友人「そうそう、それです。目がほとんど死んでる!」

私「小ボケのレベルになったら、というのは…(と解説)こういうことが起きてくるんです」

解説:小ボケのレベルというのは、いったんキチンと脳機能が大人のレベルになる。それは単純に普通行われる知能検査(これは脳の後半領域の検査)が合格ラインに到達することだけではなくて、前頭葉機能(脳の司令塔の働き)も、合格していることが必須。
種々の前頭葉機能のうち注意集中分配機能は、20代にピークを迎え、あとはなだらかに低下していく(正常老化)。
ところが生活上の大きな変化などをきっかけにして、前頭葉機能の出番が少なくなる生活(趣味遊び交友運動などすべてないナイナイ尽くしの生活)を続けると、脳の老化が加速される。
その時はまず前頭葉機能が最初に異常レベルになってしまい、その時脳の後半領域の機能は正常(通常の知能検査では合格)という状態が出現する。
これが小ボケ。

生麩市松東寺揚げ2011_0511_125300p1000324

私「この状態になると、状況判断が苦手になるので、会話をしていると唐突に全く無関係の話をし始めたり」

友人「そうなんです。その通り」

私「流れはおかしいけど、言ってる内容はおかしくない。今話すことじゃないでしょという感じ」

友人「そうそう」

                           長芋そーめん昆布〆2011_0511_125900p1000325

私「そこにいる人数が多くなるほど目立ちます。もっとひどい時にはその場で居眠りを始めたりします。前頭葉が働いてないということなのです」

私「おいくつなのですか」

友人「たぶん63歳くらいでしょう」

私「エッ!若すぎる・・・」

黒米焼にぎり茶漬け

2011_0511_130500p1000326解説:今の状態は小ボケとして理解できるが、ちょっと若すぎる。
仕事一筋の人が定年退職して、ナイナイ尽くしの生活を続けて3年。そして今小ボケなら理解できる。
元来生き生きと生活し、ボケとは無縁の生活ぶりの人ということを考慮すると、年齢が若いので、遺伝子によるアルツハイマー病だって視野に入れておかないといけない。
脳の老化が加速された普通のボケと判断するには、よほどの生活上の変化が起きて、それまでの生活とまったく違った生活が2~3年は続いたという証明が必要。

  瑞石ココア2011_0511_131600p1000327 

友人「あ、それなら思い当たることがあります。多分3年くらい前に、彼が女性問題を起こしました。ボク達は『よく我慢した方だよなぁ』といってましたが、奥さんの落ち込みがひどかったと聞きました。あれがきっかけか・・・」

今回は脳機能検査がない状態での解釈で、これは通常は行いません。
二段階方式で認知症を理解するときには、いちばん基礎になるのが、脳機能検査。次がそれをもとにした生活実態の把握。そしてそれを確定するのが生活歴。
とくに生活歴聴取の重要性を、心に留めておいてください。


ブログが書けなかった言い訳(前頭葉の意欲低下)

2011年06月04日 | 前頭葉の働き

ブログの更新が途絶えてしまっていました。二か月も空いたことは、2005年6月のブログ開設以来初めてです。

3月11日に岩手県で地震にあって、18日に帰宅しました。
その直後は「今私にできること。今私がしなくてはいけないこと」と覚悟のようなものができました。その内容はブログを使ってエイジングライフ研究所が主張する認知症のメカニズムを発信しなくてはいけないという思いでした。
そしてそれは「東日 本大震災ー高齢者を認知症から守る」としてアップしました。

今回被災された岩手県の町々。宮城県の町々。
何とそのほとんどに私は伺ったことがありました・・・
3月末ごろから、お邪魔でないようにメールでいくつかの町には問い合わせをしましたが、つながらないのです。

しばらくたってから電話をしてみようかと思った時から、何かが起きました。
「お邪魔じゃあないかしら」
「悲しいお知らせを聞くことになったら、どうしましょう」
高齢者を認知症から守るためになすべきことはあるし、アドバイスも、と思うのに、行動がその先につながらないのです。

自分で勝手にハードルを設定し、そのハードルを上げていく。
いいえ。ハードルが上がったというよりも、自分の意欲が下がったという方が正確でしょう。

そしてブログも書けなくなってしまいました。書かなくてはという思いはいつもいつもありました。でも、書けないのです。
今日は言い訳ブログですが、撮りためていた写真のアップをさせてください。(ブログ更新の気持ちはあったのです)

しだれ桜とウコン桜(今年は、桜を見るたびにけなげだなあと思いました)2011_0402_095700p1000180_22011_0416_154100p1000249_3                                    

カタクリとイカリ草2011_0409_163900p1000204_2 2011_0409_164000p1000205_2                                               

受験生なのに、勉強を全くしない!何をやってるんだか!
幸いにも(珍しくも?)、私の息子たちはそんなことはありませんでした。
自分を振り返ってみると「もうひと踏ん張りすればよかった」と思ったことは、枚挙にいとまがありませんが、まったく手つかずだったということは余りなかったように思います。

前頭葉がいろいろに考え、「こうしよう(ブログを書こう)」と決めます。
ほとんど同時に「でも、この条件は?あの状況は?」と考え始めて、決定事項が実行に移されません。
そして言い訳も前頭葉が考えます。
「知ってるまちなんだもの。他の人とは思いが違う・・・(だから書けない)」

チューリップとネモフェナ2011_0409_172700p1000214_3 2011_0409_172100p1000213_3

                                                                                                                                                                                         

いつもどこかに気になるところを持ちながら、生活しました。
「やるべきことがあるのに、そのことがよくわかっているのに、やっていない」ことを自覚していました。
「これって小ボケに入り口の心境かもしれない」と思いついたので、そのことを書きたくなって、今ようやくキーボードに向かってます。
種々の状況に対して何かをやろういう思い>意欲では行動に結び付きようがないのです。
生活を自分らしく組み立てる鍵は前頭葉から出てくる意欲なのですね。意欲を育てることが教育の最終目標かもわかりません。

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