脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

私の前頭葉機能について考える

2024年06月21日 | 前頭葉の働き
今日は失敗話なので、先日訪れたグリーンエルダーガーデン(オープンガーデン)のショットでいい気分になってください。


2006年6月の出来事をブログから拾ってみました。ブログを書き始めてすぐのころ、ブログは18年も続けているのです。

「新幹線の車中で本を読んでいました。最近には珍しく引き込まれるように読んでいて、ふと目をあげると、なんとホームに「熱海」の文字が!
17:32着、山側の新幹線ホームから駅を横切って、海側の伊豆急線のホームまで行かなくてはなりません。17:37発です。「ソレッ」と飛び降りて一目散に改札口へ。
そこで「アッ忘れ物!」
バッグと読みかけの本とゴミ袋をつかんでいますが、椅子のポケットに入れた書類と折りたたみ傘がない!
たぶん階段を駆け上っても発車しているだろうし、朝から出かけているので早く帰りたいし、伊豆急の発車時間は迫っている。「ヨシ」と決断して、予定の行動には修正を加えずに、伊豆急ホームへ大急ぎ。
案の定、もう電車は来ています。
車中に乗り込み、おもむろに携帯を取り出し104.
「新幹線熱海駅の電話番号をお願いします」さっそく電話を掛けました。
「今の、17:33発の上りのこだまに忘れ物をしました」
「5両目の、前から4~5番目の3人掛けの座席の通路側です」
「前の座席ポケットに、書類と紺色の折りたたみ傘を忘れました」
名前と携帯番号を名乗って、待つことしばし。
「東京駅でおろしますが、東京に行かれますか?」
「遠いし、予定がないのでしばらくは行きません。着払いで送っていただけないでしょうか?」
後日¥740余分な出費がありましたが、郵送を頼んで1件落着。
トホホな出来事でしたが、ウフフに収めることができました。車中でなければ、大笑いしたことでしょう。
皆さんは「忘れ物」=「記憶力低下」と思うかもしれません。そうではなくて、どう考えても前頭葉の注意集中・分配能力の低下です。でも、
その後の処置も、前頭葉機能を発揮しているわけですから「満更でもないか」と自己満足した話です。
夫からは「そうやって、肯定ばかりしているから失敗をするんだ。反省が足りない」といわれました。
「反省する」のは前頭葉機能です。私の前頭葉はずいぶん凸凹してるようですね」



先週ショックなことがありました。
友人のところに遊びに行った帰りに起きた事件です。広い庭先に停めてあった友人の軽トラックにぶつけてしまいました。庭から出ていく丁字路がちょっと狭いので、友人が「左に切って出た方が曲がりやすいよ」といってくれました。その言葉がストンと胸に落ちて、というか落ちすぎて、つまり注意分配力が働かなくて、道までかなり距離があったのにすぐに左にハンドルを切ってしまい、わたしの左に停まっていた軽トラックに接触。軽くコツンという感じがあってブレーキを掛けました。友人が「僕のはどうでもいいけど、ちょっとこすっちゃってるよ」といってくれたのですが、あまりにも衝撃が小さかったので「たいしたことはない」と思ってそのまま自動車を進めました。

後で見てみると、左前ドアの横幅の大部分に擦り傷が!
それでもちょっとの手入れで復活できると思ったものの、帰宅する前にディラーに寄ることにしました。

運転しながら、二重のショックを感じていました。
ひとつは事故っちゃった…
もう一つの方が、はるかに重大なショックでした。
小ボケの運転の特徴はいくつかありますが、「コツンとあてた後に、『バックしてハンドルを切りなおして前進』ができずにそのまま車を進めてしまうので、コツンとあてた傷が大きな擦り傷になってしまう」というものがあるのですが、まさにそれ!



単刀直入な発言をする夫からは「遊ぶばかりでは脳は持たない」と常々いわれていますし。私の理解では私の前頭葉は年齢相応には働いていると思っているので小ボケではないのですが…やってしまったことはまさに小ボケ…
ディラーでは、きちんと自損事故の状況説明もでき、友人にも確認もしないかったお詫びと保険で直せることも説明できました。(友人の車は修理の必要はなかったそうです!)
保険の担当者にも、停まっている車に勝手にぶつけたこと、相手の車には誰も乗っていないこと、私はほとんど衝撃を感じていないくらいなので体は大丈夫なこと。「すべて私の責任です」と正しく伝えることができました。
小ボケになるとこういう説明ができないばかりか、自分勝手な言い訳に終始したり、はたまた車を置いて逃げかえるというような事態が起こったりします。

車は、当初の私の見通しがとてもとても甘く、見た目ではドアの一番前の縁がほんのちょっとくぼんでいるかなという程度ですが、なんとドアが開かない!
「ドアが開かない」という説明を受けた時、第2の心配がちょっと消えていきました。ハンドルを切りながら徐行しながら進んでいたので、最初にコツンと当たったのではなく、こすりながら進みハンドルをちょっと深く切ったらこちらはドアの縁、トラックはちょうど荷台の角のあたり。そこではじめて抵抗を感じたのだろうと思います。
こすれている感覚は本当になかったのです。事故に強いといわれている外車だからでしょうか?もう少し小さくてかわいい車に乗りたいと思っていたのですが、もうしばらくはこのままで。



左に軽トラックが停まっているということに、注意が全く分配できなかったということは、前頭葉がうまく機能しなかったということですからそこは潔く認めましょう。ただ前回から自損事故の保険をかけ始めたのも、他ならぬ前頭葉の判断(歳を考えると小さな接触事故を起こすかもしれないと思った見通しの良さ)だったと思えば、私の前頭葉は昔から今に至るまで凸凹してますねえ。

ブログを再開するには前頭葉が必須です

2024年04月17日 | 前頭葉の働き
ご無沙汰しています。これだけ長く投稿しなかったことは珍しいのです。
投稿が途切れる時は、理由は二つ。
一つは遊びが充実しすぎて時間が取れない。
もう一つはパソコンの不調。
今回はその二つが重なったという状況でした。楽しい方から報告を開始しますが、一旦休んだことを再開するには大きなエネルギーが必要です。ふつうの言葉でいえば「意欲」「やる気」をかき立てる必要があると言えますし、脳の働きから考えると、前頭葉がどう働くかということになります。

ニコニコ顔の友人(漁師さん)が大きな鰤を持って来てくださる。「今朝獲れ。ハラミは刺身。雄節はしゃぶしゃぶが美味しいよ」そう聞くと、捌いてあげて一緒に食べたくなります。一緒に感動の舌鼓を打ったら、当然お話に花が咲いて、お開きの時間が遅くなる。
私の前頭葉はこのような時間が大好きなので、今日はブログを書こうと決めていて書かなかったとしても「いい時間だった」と満足するのです。
鰤が大漁で、何しろ「大漁旗が上がった」と何回か聞くくらいだったので、ありがたいことに何度もブリパーティを楽しみました。たくさんの鰤ですから、お裾分けしたり食事にお呼びしたりして勿体無いようにいただきました。
このブログに「富戸定置網でブリ豊漁」と書いたのは3/20ですから、かれこれ1ヶ月豊漁が続いていることになります。
最近はYouTubeで検索すればどんなことでも教えてくれますから、真子や白子のレシピなどは、我流でやっていたところを丁寧に教えてもらって、お味が一段アップしたような気にもなって。ついでにお皿や盛り付けにも一工夫。

自分にとって楽しいことをやっている時の前頭葉は、あたかもライトがピカピカ灯っているようです。
私は料理が好きだし、人に食べてもらうことも好き。ならばこの鰤まみれの半月は至福の時だったということになります。でも魚が捌けない、料理も好きじゃあない人には、もしこういう状況になったら、難行苦行ということになりますね。
今年のボタンは一花だけ。

でも、初めて脇芽が出ました!

こういうふうに考えると、「脳のリハビリ」「認知症にならないためには」と言っても具体的には一般化しにくいということを理解してもらえるでしょうか?
その状況をどのように捉えるか、そしてそれに基づいてどのように行動していくかを決めるのが前頭葉。
この半月イキイキと生活は楽しんできたのですが、一方で「ブログが書けていない」という状況も同時発生し、だんだんに「これではいけない」と絞られてくるような感じです。
さあ。
行動の軌道修正が必要です。その時キャスティングボードを握るのも前頭葉。好きなことをやることと、なすべきことをやることとはどちらがエネルギーが必要でしょうか?特別な状況の下だとなすべきことを優先して行動を組み立てられますが。例えば、現職の社会生活を送っていると締め切りのある仕事だったら最優先して取り組むでしょう?でもそのような圧力がない第二の人生では、なかなか…
なすべきこと、それどころか、得意なこと好きなことすら「面倒くさい。どうでもいい」という気持ちになりがちです。その意欲低下こそ、認知症への近道、落とし穴なのです。
フジが咲き始めました。

庭を一巡りして花の咲き具合を確かめて、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、今しなくてもいい棚の整理をしたり。
そして最終的に「エイヤッ」と背中を押してくれたのは「ブログ書いてないけど、体調壊していないの」という友のメール。
その心根に対して、私の前頭葉はスターターの役目を果たしてくれました。
生きていく時には、聞く、話す、読む、書くのような認知機能を発揮させる前に、その認知機能を発揮させようとする前頭葉の機能が不可欠ということを、久しぶりに実感しました。








富戸定置網でブリ大漁

2024年03月20日 | 前頭葉の働き
ブリ大漁
今朝、このような素晴らしい動画が送られてきました。漁師さんたちの喜びや興奮が伝わってくるようで、思わず「すご〜い」と声を出しながら、繰り返し見てしまいました。
なんとお昼前、その今朝獲れブリが我が家に到着!富戸の漁師さんが届けてくださいました。下の写真は、ちょうど夕方のテレビニュースで放送されたので、その1シーンのスクリーンショットです。

ここに住んでいると、数年に一回くらいはブリを捌くこともあります。さすがブリともなると、捌くときに頭を切り落とすのに難儀します。何度か挑戦するうち、頭を残して捌く方法に到達しましたが、難しいことには変わりないのです。
今日のブリは、頭を落として、三枚おろし(片身)。中骨も切ってあり、立派な真子までも引き連れての登場でした!
「刺身だね。ブリしゃぶもいけると思う」とお届けメッセージがありました。
料理の前に計測!



重さは約5kg。頭と内臓がないのですから、多分12kgは超えるくらいの立派なブリです。検索してみると5kgを超えるとブリと呼ぶようですが、富戸の漁師さんは「7kgを超えたらブリ」といわれます。繰り返しますが、今日のブリは半身で5kgの重さですよ!



大きな頭と尾ビレはとられていて、身だけで約60cm。全長90cmはあったでしょうね。

身の厚みは30cm。ずんぐりした魚体。丸太夫というのではなかったでしょうか?
真子もきれいです。

ふた腹で500g。

料理してしまうと、大きさはわからなくなるのでどんなに見事だったかをいいたくなるのです。これでちょっと満足して、さあ捌きましょう!

血合いの色が、くすんだ赤ではなくてベージュ色に近いことに驚かされました。漁師さんだからできる締め方があるのでしょうか。
雄節。重さと大きさを測らなかったのですが、このお盆は45cm✖️27cm。

雌節。二つに切り分けるより三等分にしたくなりました。あまりにも脂がみごとだったからでしょうか。

皮を引くときに、包丁にかかる身の重みで先に進みにくいという経験を久しぶりにしました。
皮を引いた後の見事な脂。5mmと言えばちょっと大袈裟ですが、3mmでは足りない厚さです。

テレビコマーシャルで「脳は脂でできている」とか「青魚に含まれるDHAやEPAが良い」と盛んに言われています。
脳が育つ過程でDHAやEPAが必要ということと、炎症を防ぐ力がある(認知症になる原因として脳の炎症を挙げる立場があります)ということが根拠のようですが、適切な量のDHAやEPAを摂取したとしても、家に閉じこもって変化のない単調な生活を続ける、言い換えれば自分らしく前頭葉を駆使して、生きがいを感じながら楽しく変化のある生活をしないならば、認知症への道につながることは簡単に想像できるはずです。
このDHAやEPAがたっぷりのブリ。 DHAやEPAが認知症予防になるかならないかは別にして、あまりにもおいしくて、この美味しさをどう表現すればいいのか言葉を選び豊かな表情を添えて、会話が盛り上がるとき、間違いなく脳は活性化されています。
確かに脂はあるのですが、身が引き締まり、コリコリとした食感を感じるほど。醤油はもちろん(ワサビは不要)美味しい塩でもポン酢でも。
雄節の一切れはためらわれるほど大きいし、雌節は脂がきれいに層になってるのに、いくらでも食べられるのです。不思議な気持ちになりました。
夫は「今まで食べた中で一番!」この表現はどういう味かは言ってないのですが、美味しさを共感できるものでした。
刺身

ブリしゃぶ用の野菜

真子の煮付け


実は、料理をしながら私は懐かしい思い出に浸っていました。
「桜が咲く頃、ブリが揚がるとブリ祭りができるよ。1匹で、どんな大食漢の漁師でも30人くらいなら、みんな満腹にさせられる!」この言葉を聞いたのは、伊豆に移ってきてしばらく経った時、大船頭をなさった方の奥さんからでした。(もう亡くなられました…)
魚にあった料理法や捌き方、そのコツなどもたくさん教えていただきました。故郷北九州で母から教わったことと違うこともあって、そのような時はいつも「新鮮な魚なら」というキーワードで納得できました。
骨で出汁を取る時は、母は「生臭さが出ないように熱湯に入れる」と教えてくれましたが、ここでは「水から入れるに決まってる。そっちの方がよくエキスが出るから」と。
「カマスは丸焼きが一番!お腹がこんなに綺麗な魚はいないから」鮎とサンマ以外の魚で腑を取り出さずに焼いたことはありませんでした。
「脂の抜けたサンマは、塩水につけた後そのまま丸干しにする」と教えていただいてからは、寒くなってあがってくる痩せたサンマを心待ちにしたものです。
「綺麗に捌けても手際が悪いとダメ。手際良くするには工夫をしないとね」
海藻のとり方や食べ方も。地域と経験に根ざした知恵をたくさん授けていただきました。
最近言われるデュアルタスク。同時に二つのことをすることが認知症予防になるという主張で、例えば「料理しながら歌を歌う」ということもよく例に出されています。鼻歌まじりにブリを料理した時と、今日のように具体的にお一人の顔や言葉や、当然その時々のシーンまで思い起こして懐かしさや感謝の気持ちを募らせながら料理するのでは、根本的に脳の使い方が違います。
研究室では、思い浮かばないのかもしれませんね。


夕方のテレビで富戸定置網のブリ豊漁のニュースが流れました。味について若い漁師さんが、ニコニコしながら「おいしいです」と言っていたのはよかったです。そのシーンも確認してください。富戸定置網には、大学卒業してそのまま漁師の世界に飛び込んだ若者もいるのですが、これは特筆すべきことかもしれません。
テレビ静岡ニュース「伊東市でブリの定置網漁が活況」 























過ちては則、改むるに憚ること勿かれ

2024年01月02日 | 前頭葉の働き
初夢を見たわけではないのですが、今朝ふと思いついた言葉があります。
この記事の題は「あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ」と読みます。
理由はあまりにもクリア。
年末に息子から「2023-2024季節のご挨拶」を受け取りました。年内に年賀状を書くのはちょっと気持ちが乗りにくいものですが、今年のことを報告するのは、とても自然…続けてきたるべき年の抱負を書く。
「これこれ。この方法にしよう!」
決めたら、動き始めるのは早い方だと思います。
2023年にもいくつもの楽しい出来事がありました。
旅が解禁されたので、屋久島へ。前後泊して5日間。サンカラホテル&スパでゆったりとホテルライフを楽しみました。





倉敷での姉弟会。その後兄弟で六甲有馬温泉。私には初めての有馬温泉でした。
美観地区で姉弟会

有馬温泉からの雲海

六甲高山植物園で青いケシ

7月には友人が蓼科聖光寺に誘ってくださいました。
コロナ禍のためしばらく実施できなかった久しぶりの「柴燈大護摩供と交通事故者慰霊万灯供養と交通安全夏季大法要」に参拝して、護摩焚きを拝見して火渡りの体験もさせていただけるという得難い経験でした。

我が家には二人の息子がいますが、息子を自称する若者たちもいるんです。その息子の一人が結婚したこともビッグイベントでした。


韓国に住んでいる娘(自称)が新居を求めたので韓国にも行きました。初めて夫婦一緒に訪れてから22年目。

二人とも、もともと才能に恵まれてはいるのですが努力もして、素敵な新居を構えていました。そして22年前の旅をなぞるという企画も用意してくれて、感動のひとときでした。
2002年の時の私たちの年齢に二人がなっていて、私たちはあの時想像もしなかった未踏の70代後半。20年間の重みを噛み締めました。
「この韓国行きにしよう」用意してくれていた、22年前の写真と今回の写真を取り込めば面白いものになりそう…
一年を振り返ることの楽しさに、今年もまた幸せな一年だったと感謝の心も湧いて「これからはこのシステムでいこう!」といい気持ちで作業を進めました。
そして完成。

さあ、送付しましょう。
メールのアドレスがある人にはメールで。
ラインで繋がっている人にはラインで。
グループになっていると、夢のように簡単です。
パソコンの作業とiPhoneの作業は違うので、ちょっと頭を使いました。
両方ともない人もいるので、その人たちには葉書に打ち出して。

送った後に、ワードのまま保存したことに気づき、写真の位置が動いていないかちょっと心配しました。
チェックしたら、どうも重なってしまうようですが、「まあいいかッ。2024−2025年の時は気をつけよう」と安易に考えていましたが、とうとう友人から指摘されてしまいました。
2階からの初日の出

一日二日知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいました。でも喉に骨がかかっているように気になるのです。今朝起きたら「改むるに憚ることなかれ」と心の声が聞こえました。この心の声こそ前頭葉が発しているのです。
全部やり直して、とってもいい気持ちのお正月になりました。

元旦の能登半島地震…
被災された方々を思うと、言葉がありません…
気楽な投稿をして申し訳ない気持ちが湧いてしまいます。





「前頭葉機能」がリエゾンしてる―エカテリーナさんのライブ

2023年08月11日 | 前頭葉の働き
友人からお誘いがありました。
「備屋珈琲店のライブに行きませんか?日曜日と月曜日の15時から伊豆高原在住のエカテリーナさん(ロシア人の歌姫)がエレクトーンを弾きながら、レパートリー豊かな音楽を届けてくださる。語りも素敵なの」と聞けば喜んで行くに決まっています。
ここ2回、前頭葉機能について語ってみましたが、ライブでエカテリーナさんの歌声を聞いて、今回また別の視点から前頭葉機能について考えることになりました。

元々は斎藤真知子さんの「第37回音の宝石箱(二胡の演奏会)」に行って、二胡の大きさの違いやオクターブの差で受ける印象が全く違う…当たり前のことですが、実際に耳で聞いてその比較ができたことが面白くて、身近な生活のなかで前頭葉機能が発揮された具体的なシーンを改めて「比較」してみたのでした。
「比較」の先には「選択」「決断」「軌道修正」と続きます。私たちの生活は、小さい事柄であってもこれらの段階の繰り返しで成り立ってることから、話はポーンと飛んで、小ボケ(前頭葉機能だけがうまく機能できていない状態)の人たちの生活指導の具体的状況をまとめてみました。前頭葉機能が日常生活の中でどのように働くかを並べて、前頭葉機能の理解をしていただくためでした。そして今日は前頭葉を理解してもらう別の切り口でお話してみます。

前頭葉機能が「脳の司令塔」という表現はとても適切です。
人柄の違いを表すときによく言われる「十人十色」ということばがありますね。この色の違いは、前頭葉の違いそのものから生まれるということはどうでしょうか?想像できますか?

以前勤務していた病院で短い間対応した患者さんのことを思い出します。職業は結構有名な歌手です。
事故の後、前頭葉だけにダメージを受けた状態でした。運動麻痺はないし、通常使われる知能検査では合格。つまり左脳は効いているので普通に話したり読んだり書いたりはできるし、右脳も問題がないので着衣食事入浴トイレなど日常生活上にも何の支障もありません。
ただ何かちょっと変…なのです。
私が脳の機能検査をしている時のエピソード。
腕時計を見せて名前を言ってもらう時に「Watch(とても正確な発音)」と答えたので「そうですね。英語で言うとウオッチ(日本式発音)ですね。日本語では…」と言いかけたら「No,no!ウオッチじゃなくてWatch」と言うのです。テスト最中ですよ。やりとりとしていくら正しくても、状況判断は間違っているとしか思えません。こういうシーンが何度も繰り返されました。

脳リハビリの一環として、持ち歌を歌ってもらいました。あの時の衝撃は前頭葉機能を考える時にはいつも蘇ってきます。
音程もリズムも正確。もちろん歌詞も間違えてない。なのに、その人らしさが全然ないのです。
昭和の時代の話ですから、歌手にはそれぞれ持ち歌があって、歌を聞くと歌っている歌手が見えてくるものでした。たとえ、その歌手が他の歌手の持ち歌を歌ったとしても、その歌っている人は誰であるかは当然のようにわかるものでした。
歌詞でもメロディでもなく、歌手の持っている個性が全面に出てくる。これは歌だけでなく、楽器演奏でもプロになるとその人らしさが表現できるものだと思います。むしろそのレベルに達さなければ、どんなに正確に演奏できてもプロとは言えない…

歌に戻って、こういうことを考え始めると、ボーカロイドは避けて通れません。初音ミクの歌を聞いたときに、いかにも作られたものという感じで「まあ、お遊びとしてもすごい時代になってきたものだ!」というのが正直な感想でした。
ところが、美空ひばりが「新曲」を歌うという、AIを駆使したプロジェクトが展開され、その過程も詳しくNHKで放映されましたからご存じの方も多いでしょう。賛否両論。コアなファンは涙を流し、ある人はこれは冒涜だと怒りました。
開発者たちは本当に真摯に「美空ひばりの声」を追求し、結局のところ正確な「声」を再現できても「歌」の再現にはさらなるいくつものステップが必要だということを強調していました。
「歌」を再生するためには、音源としては「歌声」ではなく「話し言葉」の方が適切ということにも興味を惹かれました。「歌声」には多くの美空ひばりさんの技術というかテクニックというか、その時その時にどうしても表現したい、彼女にしか出せない揺らぎがあるのでしょう。その揺らぎを生むのがまさに前頭葉!だから再現には気の遠くなるようなステップが必要だということですね。このプロジェクトは検索してみたら2019年のことでした。

さてエカテリーナさんの歌に戻りましょう。
一曲目の歌声を聞いたときに、「この歌声には秘められた人生がある。多分どうしようもない状況を切り抜けてきたというような…」
二曲目「You raise me up」の後、「皆さんに助けられました」という語り(見事な日本語です)を聞いたとき、「私の感じたものは多分間違っていない」と思いました。
45分間のライブは、バラエティに富んだもので、演じているエカテリーナさんも聞いている私たちも、それこそあっという間の充実した時間を過ごしたのです。
「3か月のつもりで始めたこのライブが、もう2年を超えているのは、すばらしいこと。人とのご縁としか思えません」というようなお話もありました。

エカテリーナさんの「歌声」からはテクニックというより生きてきた人生の悲しみや喜びがにじみ出てくるようでした、
そのことそのものにも感動し、実はそれをキャッチできた私の前頭葉にも、ねぎらいの言葉をかけてやりたくなりました。前頭葉は実際に生活して、その行動や感想を通じて自分で評価して、初めてその経験を自分のものにすることができるものですから。長く生きてきたかいがあったとちょっと思ったのです。









「比較」から「選択・決断」へ―前頭葉機能は脳の司令塔

2023年08月07日 | 前頭葉の働き
前回のブログ「日常生活での『比較』で前頭葉機能を活性化」に対して「音の宝石箱」を主宰してしらっしゃる斎藤真知子先生からコメントをいただきました。
文末の一文「普通に暮らしていても、ちょっと立ち止まって物事の違いに関心を持つことは、次の行動を考えることにもつながり間違いなく前頭葉の活性化になると思います」に対して「音の宝石箱の楽器紹介シリーズが正にそれだと思いました!どうしてもピアノと比較してしまうのですが、それで良いんですね! 」と。(今日はニューヨークランプミュージアムと近所の花をあげています)

前ブログをアップしてから「言葉足らずで我田引水かなあ」と思っていたのですが、具体的な例でお話しする方が、読者の方がそれぞれご自分に引きつけて考えてくださるということを感じさせていただいて、感謝です。
ここしばらく前頭葉のことを考えていました。
世の中は前頭葉機能の理解が、不思議なほど、進んでいないような気がします。「研究」ということになると、客観的とかエビデンスとかが要求されるので、どうしても細かく条件を詰めていく必要があります。そのやり方だと私の印象としては「木を見て森を見ず」だとしか思えないのです。前頭葉機能はまさに「森」。

前頭葉機能というのは、左脳後半領域「読み・書き・計算」、右脳後半領域「形や音の模写」などのいわゆる認知機能といわれるものとか、「体を動かす」ことなどの機能を「どう使うかを決める機能」を担っています。脳を動かす指令を出すところ、脳の司令塔なのです。
どうしても複雑になるに決まっています。

指令を出すためには、
①脳後半領域から受け取った刺激の内容の理解が正確である必要がある。(注意集中力に欠けると、上の空状態になって理解が浅いまたは間違える)
②今、自分が置かれている状況の理解が正しくできている。
③そのうえで、見通しを立ててどうすべきかシミュレーションをする。
④その次に「決断」という段階になる。
⑤決断の結果を脳の後半領域に指令する。
⑥もしもそれが間違いだと認識したら(それも前頭葉の働き)修正する。

細かく書いてしまいましたが、仕事上必ず決断が求められるとすぐ想像できる現役の世代だけでなく、第2の人生といわれる状況でも日常生活はこういう些細なことの決断で成り立っていると思いませんか?

閑話休題。
小ボケというのは、認知症の本当の始まりの段階です。誰にでもある前頭葉機能の正常老化に加えて、無為な生活の継続による異常な老化の加速(廃用性機能低下)が生じて、前頭葉機能だけがうまく働かなくなった状態なのです。通常行われる認知機能検査では正常域となるために専門家の間ではむしろ理解されていないというレベルの人たちです。
小ボケの人たちに対する生活指導の時、「定期的な運動の他、右脳中心の変化ある楽しい生活を工夫しましょう」という一般的な脳リハビリの他に「『何かを決める』状況をできるだけ多く作ってください」といいます。これは小ボケのレベル特有の指導です。中ボケレベルでも難しい課題ですし、大ボケではとても決断できる能力は備わっていません。

小ボケになると、決断に必須の注意分配力がうまく機能しませんが、その前段階の注意集中力や意欲も極端に低下しています。決断を求めると「どっちでもいい」「面倒」「任せる」という反応が返ってくることがほとんどです。
具体的に言うと
①「おやつは何にしますか?」
→「うーん…別に」「何でもいい」「太るからいらない(袋菓子のつまみ食いはしているのに)」
②「夕食は何が食べたい?」
→「何でもいい(作ってくれるだけでありがたいor作るのはあなたの仕事!」
③同じ服ばかり着るので「着替えたら?」
→「今更おしゃれしなくても」「何でもいい」「歳とるとあまり汚れない」
④久しぶりに外出に誘おうと「行きたいところはない?」
→「面倒くさい」「この暑い(寒い)のに」「外出は後で疲れる」
⑤居眠りばかりするので「何かやったら?」
→「後で」「今日は調子が悪い」「歳とると言うのは…」と言い訳を並べ立てる。


会話としては成り立っていることがわかっていただけますか?そばからみると何も問題はないような問答ですよね。
浅い状況判断は、多分習慣的なものとして残っているので、それなりの反応ができるのですが、誘っている側の真意が伝わっていません。だから小ボケの人のお世話をしている人は、やり場のない怒りに近いじれったさを感じることが多いのですが。
この状況を脳機能からみるとまさに脳の司令塔が万全に働いていない。
最初に書いた前頭葉の働き①~③が動いていませんよね?こういうふうに理解することは、その人を理解するうえで最も大切な近道だと思います。


前頭葉が元気がなくなっている状態で「比較」して「決断」を求めることはとても難しい課題です。簡単にしてあげる近道は「具体化」してあげることです。
①「スイカと水ようかんとどっちがいい?」より簡単にするなら現物を見せて選んでもらう。
②「今日は魚でいいかな?脂ののった○○の塩焼きか、さっぱりと白身の○○の煮つけ。」少しエピソードを足して選択をしてもらう。
または、スーパーに誘って売り場で見て決める。
③二枚出して、どちらかを選んでもらう。決まったら認めてほめる(最初の二枚は、どちらを選んでもほめられるものを用意しておく)。
④具体的に、「あそこのカフェでお茶を飲むのと、少し遠出して○○に行ってみるのとどっちがいい?」
⑤「パズルやってみる?オセロの相手をしてもいいよ。どっちがいい?」

言葉のレベルで「比較」するのではなく、より具体的にイメージできる状態を作ってあげる、その究極は目の前にある現物を比較して選択できるような状況を作ってあげることが一番簡単です。
それでも、まず上の空ではなくじっくり見てもらう、そのうえでシミュレーションまでいかなくとも、せめて好悪をはっきり感じて決めてもらう。こういうときに、とてもプリミティブですが前頭葉は動き始めます。小ボケは前頭葉が居眠っているようなものですから、こうして揺り動かしましょう。
最終的には前頭葉は、その人そのものなのです。十人十色といわれるときのその「色」が前頭葉です。何を選択し、何に感動し、何を作り上げるか、究極のところ何のために生きるのか…すべて前頭葉が決めていきます。そしてその前頭葉はどのように生きてきたかによって「その人らしく」できあがっていきます。
教えられただけではなく、実際に自分が行動して自分なりの評価も行って自分の色が深まっていくのです。
だから、認知症の第一段階、前頭葉機能だけが低下した小ボケの段階では自覚としては「自分らしくない」、そばの人の評価としては「○○さんらしくない」といわれることになります。
カテゴリー「前頭葉の働き」にはたくさんの症例をあげてあります。お暇なときには読んでみて、前頭葉機能と認知症の本当の始まりの状態を知ってほしいと思います。






日常生活での「比較」で前頭葉機能を活性化

2023年07月29日 | 前頭葉の働き


「音の宝石箱」は斎藤真知子先生が、誰でも音楽を身近に楽しむためにと企画されたイベントですが、もう37回とのことです。初期は楽典を教えてくださったりしましたし、最近は楽器紹介シリーズが続いています。それだけでなく、必ず真知子先生のピアノ演奏を身近に聞かせていただけるこのような企画を持つ町はないのではないかと、私は心ひそかに胸を張っているのです。
さて今回は楽器紹介シリーズ「二胡」の巻。

哀愁を帯びた二胡の響きに心ひかれたことは何度もありましたが、二胡が主役という企画ですし、斎藤真知子先生が「楽しいですよ。素敵ですよ」とFBでお知らせくださって期待が高まります。
演奏会のスタートはクラッシックでお馴染みのエルガー「愛の挨拶」えっ!
愛の挨拶IMG 1511
二胡の説明、音域の狭さのカバーの仕方、特殊な弓と弦の関係、中国語の四声との関連など真知子先生との楽しい掛け合いが続きます。
 
嫁入りお月さん(事情があって「おばあさん」になってのお嫁入)
嫁入りお月さん(おばあさんよりはもう少し若いお嫁さん)
お嫁さんの年齢の比較ができました(笑)
「空山鳥語」は親鳥と雛の掛け合いをオクターブを変えて弾き分けるというおもしろい演奏でした。クラッシック音楽から日本の曲、中国の曲まで二胡による様々な音楽を比較しながら堪能しました。ありがとうございました。

たまたま夫が同じメーカーの二種類の納豆を買ってましたから、今朝、納豆の味比較もしました。

「そうだ、魯山人は何回混ぜたらいいといったのかしら」これは検索するしかないでしょう。200回くらいと思っていたら424回でした。混ぜましたよ。
結論は期せずして一致。私たちは静岡県産大豆を使った納豆の方が好みでした。

Something blueといえば、花嫁さんが一つブルー色のものを持つと幸せになるという意味だと思っていましたが、長男が世界中から「青色の食べ物」をFBにあげるのです。最初は気持ち悪いとあきれていましたが、最近は青色になんだか心惹かれる自分がいて、慣れを実感しています。慣れに関しては前頭葉機能が全く関係しないわけではありませんが、それほど高次の働きとは言えないでしょう。
バタフライピーのお茶があります。きれいな青色のお茶が出ますがレモンを絞り入れたら紫色に変わるのです。

そのバタフライピーの一重と八重の花の苗を二株いただきました。順調に育って花が咲き始めましたから、ご飯を炊いてみようと思いつきました。ここでも比較が始まります。
・八重の方がボリュームがあるから色は出やすいだろう。
・お茶にするのは花弁だけど、種をとって来年も植えたいし、プレゼントもしたい。
・どう考えても一重の方が結実しやすいはずだ。
比較考量して、八重の花を摘み取ってご飯に炊き込みました。色がちょっと足りない…
二度目の挑戦で、パタフライピー茶のティーバッグを破って混ぜて炊いてみました。
あまり差がなくこちらもマダラになってしまいました。


結論。今度はお茶にしてその液体で炊いてみる。こういうふうにいろいろ比較して次の行動を決めるというのは、内容は些細なことであってもまさに前頭葉が働いた結果なのです。
肝心の味は、少し入れた塩味の中にほのかに豆の風味が感じられておいしくいただけました。

金沢からのお土産をいただきました。「金の霊澤」

金沢にはおいしいお菓子がたくさんありますが初めて頂きました。金沢の名の由来も初めて知りました。
「山で芋をほっていると、芋のひげに砂金がついていた。 その砂金を洗った泉が「金洗沢(かなあらいざわ)」とよばれ、それが金沢の地名になったと。 その泉は兼六園の「金城霊沢(きんじょうれいたく)」
 和菓子もおいしい。洋菓子もおいしい。比較はしても結論が出せません。


料理も幅の広い活動ですね。
桃をいただいたのでちょっとおしゃれな桃パスタ。下田沖で釣り上げたメバル(45センチ)を頂きました。こちらは武骨に刺身やアラ煮や潮汁に。


梅雨明け宣言は出たのでしょうか?とにかく連日のこの厚さですから梅の土用干しをしています。

じっと見ると、こんなに違う。友人が自宅の梅をとってくださったものなのに。同じように始末して漬けたのに。かといって、この先はどのように変わっていくのかまでは断言できません。

普通に暮らしていても、ちょっと立ち止まって物事の違いに関心を持つことは、次の行動を考えることにもつながり間違いなく前頭葉の活性化になると思います。



一重のバタフライピーの花


7月の右脳訓練ー屋久島SANKARAホテル&スパ

2023年07月15日 | 前頭葉の働き
屋久島で泊まったSANKARAホテルの食事の備忘録を作っておきたいと思いました。
SANKARAとは、サンスクリット語で「天からの恵」という意味だということを空港に迎えに来てくれたスタッフが車中で説明してくれました。ちょっとうれしそうというか自慢げな印象があって「なんと感じがいいこと」と、滞在することにワクワク感がわいてきました。
ロケーションもいいし自然を生かした一体感も素晴らしい。自然を大切にする姿勢も好感が持てます。それ以上にスタッフの皆さんのホスピタリティが徹底されていることに感動しました。
今日の目的は食の記録…
確かにどの食事も感動的でした。素材を生かして、おいしく、美しく、楽しく丁寧に調理されている…オープンキッチン形式で食事をする部分よりも調理をする部分の方が広いのではないかという設備と人員。そもそもこういうところにもホスピタリティを感じました。
食事の最後に、サーブしてくれる方が「パティシエがお待ちしておりますからデザートをお選びください」と笑いを含みながら言ってくれます。デザート台の向こうににこにこ笑顔のお若いパティシエ。「今日は七夕ですので、星をアレンジしてみました…お楽しみください」ですって。

到着日の夕食の時のこと。
「屋久島は首折れサバがおいしいんです。よかったらサラダを召し上がりませんか。とても新鮮でおいしいのですが、最後にちょっとバーナーで焼きますので、また風味がついて」と説明しながらバーナーを使うのが、とっても嬉しそう。この絶妙なやりとりって前頭葉を刺激する!と心の中で思いました。
「牛肉の白ワイン煮?赤じゃなくて」と尋ねたら「ブルゴーニュでは赤ワインですがボルドーでは白ワインをよく使うのです」知りませんでした!
知識が増えることも、私には嬉しいことです。
その時の食事です。サバサラダは左下、牛肉の白ワイン煮込みは左上。

2日目の朝食は「せっかくの連泊ですから、和食はいかがですか」と和食膳。屋久島はトビウオも獲れるそうで、それがさつま揚げに。またお茶漬けには「アゴ(トビウオ)出汁です」と地産地消。

続けて夕食。毎回、素材の説明も丁寧で「『なかやま黒牛』というのは中山さんの作った肉で品評会で優勝しました」

3日目の朝食は洋食にして、焼き立てパンを食べました。正確には食べ過ぎました。そのうえ「鶏飯」があったので懐かしくてつい注文。奄美大島で初めて食べた時のこと、強い陽射しと乾いた空気、またそのいわれをご一緒した保健師さんが話してくれたことなど、驚くほど鮮明に思い出されました。20年以上も前のことですよ。
夕食は「今日から新しい献立が用意されております」と桃を使った料理をさりげなく勧めてくれましたのですぐのりましたとも。

最後の朝食は、首折れサバのカレー。見た目はキーマカレーです。予想通りさかな感は全然感じられずに玉ねぎの甘みがあっておいしいカレーでした。

屋久島ですから、イモ焼酎を飲まなくては。ちゃんとフレンチにも合うようにセレクトされていて、水割りの分量も焼酎によって変えるのだそうです。それぞれ別の焼酎を注文しました。私はアルコールはいただけますが、普段は飲みませんからよくわかりません。味の違いはわかるのですが、ことばで表現することは難しいですね。




最後の日は、夫はまた別の焼酎、私はホテル特製のジンジャーエールでした。
少しずつ飲ませてもらったので、5種類も焼酎を飲んだことになります。そういう体験がちょっと嬉しい。お気に入りのお酒がないのですから仕方ないでしょう?
煎茶は屋久島産でとても美味しいお茶でした。

私たちは、本当に「生き方が違います」
あちこち行きたい私。ゆっくり楽しむのが好きな夫。
SANKARAの食事は、前菜を選んで、メイン料理を選んでコースを組み立てるやり方でした。雑に撮ったメニューで申し訳ありませんが、こういう感じです。



3日間で重なっているものもあり、少し変化があるものもありという献立ですが、前菜は8品から2品、メインは魚or肉or野菜にするかで9種類からの1品チョイス。
いろいろ食べてみたいと思う方が普通かと思うのですが。初日には夫婦でシェアしたので、私は前菜4種類。メイン2種類制覇。この調子なら、少なくとも前菜は全部食べられそう!と期待したのに。
なんと、夫のチョイスは前菜は毎回同じもの。
ちなみに「ソフトシェルのアヒージョ」「ホワイトアスパラ」で、どちらも本当に美味しい一品ではありました。
「どうして?違うのを食べてみないの?」とやや詰問調で尋ねたら「美味しいしこの味が気に入ったから。だいたいオレは一筋だってわかってるくせに」とニヤリ。それって夫婦関係のことが言いたいのでしょうか?一過性の料理の選択と夫婦関係を比べるなんて。ちょっとアホらしくて確認はしませんでしたけど(笑)
メインは、夫は同じ料理法の魚料理を2回(ただし、使用された魚が違ったので他ごとながら、喜びました)1回は豚肉をチョイス。
私は毎回料理を変えて、夫の分もちょっと味見をさせてもらったので、なんと5種類も味わえました。

こうして記録していくうちに、気づいたことを正直に書いておきましょう。
金婚式も過ぎたのに、今回の料理のチョイスのようなことは限りないほどあって、最初は訳がわからない。それから左脳ベースの捉え方と右脳ベースの捉え方が生む違いかなと気づき、当然「十人十色」と言われる前頭葉の差だから受け入れざるを得ないと思うようになりました。
それでも「なぜ?」は繰り返されているのですが。
今回の屋久島でのこの体験は、振り返ってみると全く何の問題もないことに改めて気づきました。
それぞれが気持ちよく満足できていればいいのですよね。不思議なことにそう思えると、夫の選択方法をとても自然に受け入れている自分に気づきました。
この気持ちがずっと続くことは、私だけででなく夫の幸せ感にも直結しそう。
屋久島の旅は良い記念旅行になりました。
SANKARAをプレゼントしてくれた息子に感謝です。ありがとう。









「物忘れは認知症の始まり」ではない

2023年05月24日 | 前頭葉の働き
「物忘れは認知症の始まり」と思っている人は多い、というよりもこれは世の常識と言うべきものでしょう。
日本でも良く引用される、アメリカの精神疾患診断マニュアル(DSM) によると、認知症と診断するための第一要件として「記憶障害」が挙げられています。
でも「物忘れは認知症の始まり」これは間違い!
幻想的な大島

エイジングライフ研究所の主張を聞いてください。認知症は、脳が本来持っている正常老化に更なる異常な老化が加味されたものと考えます。その異常老化が起きるのはなぜかというと、脳の使い方が足りないから老化が早まるという極々単純なメカニズムなのです。
足腰は歳と共に衰える。体調を崩して安静にしているとあっという間に足腰の筋肉が衰えてしまうという状態によく似ています。これは廃用性(筋)萎縮と言われますが、脳の場合は、廃用性機能低下といえばピタリと状態を表現できると思います。
「脳を使わない」というのは、人生で起きてくる生活の大きな変化や出来事をきっかけに、生きる意欲を失ってしまって、生きがいも趣味も交遊もなく、当然運動もせず家に閉じこもっている状態です。そうすると脳の老化が加速されていくわけですが、その時に一番最初に老化を始めるのは、実は前頭葉機能なのです。
狩野川の鮎漁解禁

世の中では誰も気づいていませんが、二段階方式を導入した市町村の保健師さんが驚きながら報告してくれました。
「記憶チェックの項目に何の問題もないのに、前頭葉がはっきり不合格なんです!」
「MMSE(世界中で使われている簡易な知能検査。記憶もチェックする)が満点なのに、前頭葉検査が全然できません
「たしかに、物忘れの前に前頭葉機能低下があるんですね」
このように前頭葉機能だけが異常値にある状態が、認知症の最も早期の段階(小ボケ)です。
ところが認知症を脳機能からみるという考え方がない、つまり症状からだけみようとすると、小ボケを見落としてしまいます。
理由は前頭葉機能低下に気づかないから。前頭葉機能そのものも理解されているとはいえないから、当たり前といえば当たり前ですが。
本人は「最近の自分は何か変。注意を集中したり分配したりできなくて、なんだか上の空状態。興味が湧かない。とにかく意欲が落ちてしまって何もしたくない」ということには気づいていますが、これが認知症の始まりとは思っていないのです。
脳機能検査が必須ということがよくわかりますね。
河津町バガテル公園

「認知症の始まりは物忘れではなく、意欲低下」
このキャッチフレーズを、もう少し皆さんに知ってもらいたいと思います。
「意欲や興味」
変化のない、淡々とした日々の中から「意欲や興味」を引き出すことの難しさは、この3年間のコロナ対策の三密回避の生活の時に実感した人も多いのではないでしょうか?
Stay Homeといわれ始めた頃に、いろいろな、例えば愛読書を紹介しつつ友人にバトンタッチしたり、zoomを使って楽器を合奏したり、ダンスをしたりという働きかけがあって、一つの潮流になりました。それは、普通に仕事をしたり遊んだりする生活(そのような生活を支える脳の使い方をしている)が、その直前まであったから、誘いかけに応ずることができたというふうに思っています。
三密を厳守した3年後だと、あれほどの盛り上がりを見せたでしょうか?もちろん正常老化があるので高齢者の方が、脳を使わない影響は大きいのです。
私の日常生活を振り返ってみても、スケジュールがいくつか入っている週の方が、意欲的に生活ができていると感じています。
ニコライベルグマンの花束

意欲や興味は、もちろん元々の好き嫌いにも大きく影響されます。苦手な分野に対して意欲や興味を出すことは大きなエネルギーが必要になります。
私は人を招いて一緒に食事をするというようなことなら、すぐ意欲が出てきて動き始めることができます。と書きながら、3年前と比較してみると面倒に思う点はないだろうかと自問して…企画ということでは少し落ちてるかもと思いつつ正常老化もあるので一応合格かなとジャッジしました。
苦手なことは先延ばしの傾向は否定できません。

暖かい夏のような日が続いたのに、今日は一転して寒い雨の一日でした。
朝食後、懸案事項に取り掛かろうと決心したことはしたのですが、本を読んだり電話をしたり、時間はどんどん経っていきました。
テーマは動画の編集。
私の人生はホームビデオも撮らないままに過ぎてしまったのです。このアイフォンになって動画を少し撮り始め、ブログにほんの数回、動画をあげたこともあるのです。
狩野川

話は突然大きく変わります。
旅をする蝶として有名なアサギマダラ。私の住んでいる伊豆でも、秋に花を咲かせるフジバカマを植えてアサギマダラを呼んでいるところが何箇所もあります。南下していくアサギマダラの餌場ということですね。
何年か前に夏野菜の苗をホームセンターで買いました。金時草(キンジソウ)というネームプレートを初めて見て、植えてみようと思ったのです。
お浸しや天ぷらなどで食べたのですが、何しろ繁殖力が強くて、夫婦二人では食べきれない。どんどん増えて2〜3年のうちに一株がたたみ一畳にも広がりました。
道の駅伊豆月ヶ瀬

そして、ふと気づくとアサギマダラが来るようになっていたのです。
去年は10頭も群れ飛んで、まるで夢のよう。警戒心のない蝶で体に触りそうな時もあるくらいでした。
春にアサギマダラが来る伊豆。長旅の途中に好物があればアサギマダラへのエールにもなる。というワクワクした思いで何ヶ所か嫁入りさせました。ニューヨークランプミュージアム、りんがふらんか、シーフロントダイブショップ、まねきねこ。あとは友人たち。
伊豆高原駅のオリーブ

友人たちと情報交換もしたいので、構えておいて写真を撮るのですが、残念なことに蜜を吸う時には羽を合わせて立てるので、浅葱色が見えないのです。
色だけでなくヒラヒラ飛ぶ姿も優しく素敵なので、これは動画を撮るしかない!
撮りましたが、精一杯追いかけるのにほとんど写っていない。それどころか再生するとなんだか酔ってしまうありさま。
これは編集するしかないでしょう!と思い腰を上げたというのがことの顛末です。
最初は無料アプリをチェックしましたが、基本的なことだけできればいいので再検索。インストール済みのiMovieで十分といわれ画像説明を参考にしながら、トライ&エラー。
なんだかわからない…なぜできない…ある時突然納得できるという、全く想定内の経過でした。そこにいくまで持久力がちょっといりました。
1分50秒の動画を18秒にカットしました。
アサギマダラを見てください!

https://youtube.com/watch?v=s04jDO_Wxu8
どうしてでしょうか?YouTubeでグーブログと共有してるはずなのに、画面が出ません…
お手数ですが、コピペしてご覧くだされば…と。
もうひと工夫して見ました。これで多分ご覧いただけるかなと思います!


宮崎郁子 "Wally and Egon"展

2023年05月17日 | 前頭葉の働き
この展覧会が開催されたカスヤの森現代美術館のパンフレットの紹介文です。
「幼少期より人形に親しみ、独学で作り続けてきた宮崎郁子は1995年に画集を通しウィーンの世紀末転換期の画家エゴン・シーレ(1890-1918)の作品と出会い、その絵画に導かれるようにシーレの残した作品を主題にして自身の制作を続けている。それは、ただ単に絵画の登場人物を造形としてなぞるのでは無く、画面に向かうシーレに時空を越えて寄り添い、モデルたちに触れ、対話するように形作られていく。」
いきさつは後でお話ししますが、「どうしても行きたい!」と思って、横浜在住の友人にも声をかけて片道3時間かけて行ってきました。(5/13)
横須賀線衣笠駅が最寄駅。しっとりとした住宅地の中にカスヤの森現代美術館はありました。

「あ、これこれ。先日、上野の森美術館でのエゴン・シーレ展でも出会った!結構目にすることがある作品が、ドアを開けたら緑の庭をバックに飛び込んできました。

私たちが普段目にするのは、シーレが描いた絵画です。今ここで出迎えてくれているのは「絵」ではなくて「塑像」。でも「像」と呼ぶのに抵抗を感じるのは私だけではないと思います。
「シーレが見たその人がそこにいる」というような圧倒的な存在感を醸し出しています。
左端の水玉模様の洋服を着た方が、作者の宮崎郁子さん。
「形をなぞるのではなく、そのものにエゴン・シーレが相対した時に、シーレが感じたものと同じものをまずキャッチする。」と説明されました。言葉の意味はわかりますが、とてつもなく難しいことではないかとすぐに思い至り、次には「なぜ?そこまで?」という疑問が湧いてきました。
その答えの前に、私がカスヤの森現代美術館にどうしても行こうと決めた経緯をお話しします。
カスヤの森現代美術館
階段を登って。

ウエルカムの生花が素敵。

青く塗られた扉に斬新な意匠の取っ手が!
2018年6月に、高校時代の友人とチェコ旅行を楽しみました。仲間と別れて私たちはそのままプラハに残りました。
チェスキークルムロフへの遠足がその目的。これは大学時代の友人から「世界一素敵な町と言われるのが納得できるとってもかわいい町だから是非」と勧められていたからですが、事前情報を集めている時に、私たちがチェコに滞在しているぴったりその時に「エゴン・シーレアートセンターで日本人女性作家によるエゴン・シーレの人形展がある」ことがわかりました。
その作者は岡山在住の宮崎郁子さんということもわかり、FBで詳細を教えていただきました。
旅の大きな柱であったこの人形展。エゴン・シーレアートセンターに行ったらロープが張られていて休館。スゴスゴとチェスキークルムロフ観光だけを楽しんで帰ったのです。
それから約5年。上野の森美術館でのエゴン・シーレ展開催の情報を得て、これは行かなければと行きました。エゴン・シーレ
その後、カスヤの森現代美術館での宮崎さんの人形展の開催を知りました。
「なんというご縁!これは行かないわけにはいかない」と決心したものの、気がせくばかりで用事に紛れなかなか実現できず、ようやく会期が残り少なくなった5月13日、横浜在住の友人と出かけました。
なんと!その日には宮崎さん在廊中。5年前のことをお話しすると思い出してくださって、一気に気持ちが通じ合いました。

ヴァリー・ノイツェル(下着姿)
どの作品も、生身の人のように「そこにいる」のですが、今回一番取り上げられたのはシーレの恋人であったこのヴァリーさんでしょう。宮崎さんは生きている人に対するのと同じように、当たり前のように、さん付けで呼びました。
宮崎さんは「シーレが、その作品化しようとするモデルさんにあった時に、何を感じたか?どのような思いを持ったか?をわかろうとします。それがないと制作できません。始めた後でもわからなくなることがあって、その時はそのまま触らずに時間を置きます。1ヶ月とか置いておくと、フッと手を加えることができるのですよ」
模写してるのではなく、シーレが感じた気持ちを追体験することで、モデルに生命を吹き込んでゆく…そんな作業のように思いました。

枢機卿と尼僧

グラフ博士

ヴァリー(lover)

ヴァリーのナース服

これは題名は記録していませんが、シーレとヴァリーの寝姿という説明がありました。

カスヤの森現代美術館の館長さんも女性の方で、一緒に行った私の友人と4人、カフェでお話が楽しく盛り上がりました。
その時「どうして人形制作を?」という私の問いには、宮崎さんは笑顔で「シーレに一目惚れ」と答えられました。
「シーレは生きることにちょっと苦しそうなイメージがあったのですが…上野展の解説によるとエゴン・シーレの天賦の才能は早くからちゃんと評価されたんですってね」とお尋ねすると
「そうなんです。玄関ホール時代は幸せだったはずですよ。私はどんな時のシーレもそのままに受け入れます」


そのお話の時、若江館長さんが膝を打つようなことを言われました。
「世の中は、スリーDでなんでもできそうな気分になってきていますが、形はできても、思いや気持ちを込めるということになると大きな隔たりがあって、それは埋められないものだろうと…」
そうですね。それこそが前頭葉のなさしめるところ。AIが最も苦手とするところですから、おっしゃる通りです。
ところで、カフェの窓際のテーブルには、エーディトさん(シーレ夫人)が座っていました。紫色の上着に白い襟。
若江館長さんが「お日様が射した時のこの色が素敵でしょう?」と写真を見せてくださったのですが、その時のエーディトさんがどこか寂しそうだと思ってみていたら、宮崎さんが「エーディトさんはいつもどこか寂しげなんです」と言われました。寂しげに作ろうとするのではなく、出来上がってみると寂しげなのですって。
テーブルにはとても繊細な薔薇がいけられていました。エーディトさんとバラを写真に撮ろうとしてみている時に気づきました。
バラは生きていて、エーディトさんは生きてはいない。
カメラを通して私の目に映るバラはあまりに薄く透き通ったように感じられる花びらのせいか、あまり目にしない薄オレンジ色という色のせいか、丁寧に作られた造花のように見えます。
向こうに座るエーディトさんは、本当にそこでちょっともの悲しげに息をしているように感じられました。


2日後。一緒に行った友人から電話が入りました。
「国会図書館に来たので、少し探してみたら宮崎さんの書かれた文章が見つかったの。
とにかく苦しい生活があったみたい。読みながら、私涙が出たのよ。エゴン・シーレに出会った時は『一目惚れ』というより、ほとんど信仰の対象だったのかも。そこでなら深く息ができるという…だからこそあれだけ希求的に創作できたのかもねえ。心情の伝わる素晴らしい文章だった」
『ユリイカ2月号』ということでしたから、早速注文しました。届いたらゆっくり読ませていただきます。

カスヤの森現代美術館も素晴らしいところでした!





認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。









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http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html