脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

精神科受診を勧めたら(再掲)

2020年08月27日 | 二段階方式って?
おもしろいことが起きるものですね!
このひとつ前のブログは、二段階方式の持つ力についての保健師さんからの率直な感想を紹介しました。
ところで私はフェイスブックも使っていますが、フェイスブックは、過去の全く同じ日に記事を投稿していると、そのお知らせをしてくれます(頼んではいません)。
それで昨日届いたお知らせは、2019年8月26日投稿記事でした。
これは、くだんの保健師さんにぜひとも読んでほしいと思いましたので再掲します。

以下、再掲記事です。
精神科受診を勧めたら2019年08月26日 |二段階方式って

今日は保健師さん向けの勉強ブログです。(写真は我が家で咲いたハスの花)

相談の電話が入りました。
「94歳の女性。脳機能検査の結果は小ボケ。生活実態の自己申告も小ボケ。生活歴はちょうど3年前にけがをしてそのまま入院ということでちょっと持ちすぎかと思いますが」
脳機能検査は、二段階方式で想定される結果から外れるところはありませんでした。
つまり脳の後半領域の働き方を調べるMMSの結果は、計算マイナス1、想起マイナス3(ただしヒントで即正答になるレベル)で27/30。MMSは24点以上が正常とされますから、十分に合格しているわけですね。
94歳の方が書いたA4版の検査結果です。素晴らしいですね!

一方で、二段階方式の二段階たるゆえんの前頭葉テスト結果ですが、これがまた見事に不合格!上図の立方体透視図は不合格ですよ。
もちろん、かなひろいテスト結果は、二分かけて正答数1、見落とし数5、内容把握は不可と不合格でした。
MMSが合格圏の方々こそ、前頭葉テストが必要であると承知している相談者さえ、MMSと前頭葉テストのギャップに「びっくりしてしまいました」と述懐していました。
このブログの初期のころの記事を貼っておきます。「前頭葉機能検査なくして、認知症の早期発見は不可能」とこのブログで10年以上も言い続けてきたのですね。右欄カテゴリーの「二段階方式って」にあります。

前頭葉機能を測らなければ、認知症の早期発見はできません。今回のように、MMSだけだと合格してしまうからです。
二段階方式では脳機能がこのレベルになった状態(前頭葉機能不合格、脳の後半領域の認知機能は合格)を小ボケといいます。
家庭生活は可能、社会生活には問題が出てくる状態ですし、何より大切なのは回復可能である点です。早ければ早いほど回復は容易になります。

繰り返しますが、前頭葉機能を計らなければ、認知症の早期発見はできません。今回のように、MMSだけだと合格してしまうからです。
二段階方式では脳機能がこのレベルになった状態(前頭葉機能不合格、脳の後半領域の認知機能は合格)を小ボケといいます。家庭生活は可能、社会生活には問題が出てくる状態ですし、何より大切なのは回復可能である点です。早ければ早いほど回復は容易になります。
さて、脳機能は小ボケレベルでした。続けて生活実態をチェックします。小ボケの人たちは、脳の機能低下を自覚しているものですが、今回も見事に小ボケの自覚がありました。
次のステップとして、脳機能の老化が加速されるきっかけとその後のナイナイ尽くしの生活の継続の確認が必要になってきます。3年前の腕のけががきっかけとなって入院生活を余儀なくされた(だから脳の老化が加速された)という納得の生活歴もありました。

二段階方式では、脳機能検査の結果と、生活実態と、老化を加速させる生活歴が一致すれば、アルツハイマー型認知症と判定します。そして中ボケまでなら生活指導の対象となります。大ボケは介護が必要なレベルで、世の中ではここまで来て認知症といっています。
ところが今回のケースの主訴は「ものとられ妄想」それにプラスして「毒を盛られている。殺されてしまう」というものでした。「ものとられ妄想」は中ボケの下限に入ってからの症状ですし「殺される」という訴えは、認知症ではまずないといえます。脳機能検査の結果と生活実態が一致しない部分があるのです。
つまりこのケースは、脳機能の老化が加速されたという視点から見るとアルツハイマー型認知症のごく初期であり、それにプラスして強い精神症状が出てしまっていると考えられます。前頭葉の抑制機能が低下して、もともとあった性格傾向が強く出てしまっているのです。検査結果を詳細に検討すると、神経質な方特有の反応もありました。
スムーズに脳機能検査の結果と、生活実態と、老化を加速させる生活歴が一致しないときには、専門医受診というのが私たちのやり方です。相談者の方も精神科受診を勧め、付き添ったそうです。

「アルツハイマー型認知症」ということから言えば小ボケ、前頭葉機能のみ不合格、MMSは立派に合格。まだまだつぼみの段階です。
精神科医の診断は
1.CTで委縮がみられる→94歳ですよ!
2.そのためと明言なさったかどうかは不明ですが「受診が遅すぎた」→認知症はつぼみ段階でごく初期なのですが。上にあげた94歳ご本人のテスト結果を見てください!
3.一応「お薬を出しましょう」→妄想を抑える向精神薬なのか、認知症の薬(ただし効きませんが)なのか不明。
この国の将来は大丈夫でしょうか!
最後にもう一つ、この記事の後半にドクターへの期待を書いてありますのでお目通しください。



二段階方式の底力-保健師さんからうれしい便り

2020年08月25日 | 二段階方式って?
痛快な出来事がありました。
エイジングライフ研究所の二段階方式では、脳機能検査が必須です。主なテスターは保健師さんなのですが、「弱き立場の住民に寄り添う」という立場でのお仕事が多いようで、どうしても脳機能検査で「できないところを明確にする」ということを躊躇する人がいます。
ナナフシ?
事例検討のための約束の時間にかかってきた保健師さんからの電話。その声がなんだか笑いを含んでいるような、とにかく弾んでいるのです。
「いつも先生のおっしゃっていることがほんとに身にしみて納得できました。あの簡単な二段階方式の脳機能テストが教えてくれる世界はすごいものがあります。
今回初めて、できないことをわかってあげることが、テストを実施する大きな目的(のひとつ)だということがわかりました。そうすると不謹慎のようですが、『ここは難しいはず。さあどんな反応になるのかな?あ、そう来ましたか!』というような検査の構えができたのです。
ほんとのことを言うと、もっと不謹慎のようですが、検査をすることが楽しかった!」
そこで私はあわてて、口を出します。
「できないことを知るのは、生活に何が必要かを知るためだから…」重ねるように、保健師さんが
「そうなんです。検査をする意味がほんとにわかりました。検査を通じてその人を理解するんですね。特にできないことに注目した方が理解が深まり、どういう指導や援助が必要かはっきりしてくるということもよくわかりました」
初めてセミのペアリングを見ました。ガンバレ!

ここからは、ちょっと専門的になってしまいますが、保健師さんが感じたことを並べましょう。
「見当識を尋ねるときにどうも、言いたい言葉が出にくいかも?」
「今日の日付は正確でしたが、令和22年という間違いが。『これは結構珍しい間違い』だと思って丁寧に修正してあげてもA4版白紙には令和20年。とにかく変」
「日付が正確なら、想起・計算・机上以外はできるはず。なのに記銘の時『のりたい・のりたい・無反応」4度目にようやく正しい答えが。ここで私は『失語症』だと確信。しかも入力が難しいタイプ」
「復唱の時、もちろん丁寧にやりました。すると『ちりと とまれば やまとなる』!『あ、これだ!これがうまく聞き取れないから正確に復唱できない』ということなのね」
「『当然三段階口頭命令も難しいはず』と思って教示したら、なんと鶴を折り始めた!」
「書字命令はスムーズにできたので、耳で聞く方が難しいことがわかりました。必要なことは書く方がいいかも」

「文はちょっとした間違いがあったけど、予想通り図形の模写はきれいです」
「なんと、想起は2点!」
「ほんとに、普通の老化が早まった人たちとは下位項目の低下順が全然違う…」

「お薬をチェックしたら、それらしきものがあるので、脳梗塞をやったのでしょう。左側ですよね(笑いながら)。当然右足のことも確認してあります。少し違和感があるみたいです」完璧!

相談に至る経緯を語るときも、時々笑いがこぼれていましたね。
「宗教の仲間がいて定期的に礼拝など参加。
もともとシルバー人材センターで働き、自動車の運転もしていた。
2年前から、娘夫婦との同居が始まった。
しばらくしたら、『家族が大切なものを隠したりして困らせる』というものとられ妄想が出現。
思い余った家族が、病院受診し『認知症』という診断を受ける。
その後免許返納、シルバーもやめた」
「その時ドクターから『補聴器を用意した方がいい』というアドバイスがあっただけで、特に何も指導はなかった(ここでもちょっと笑いがこぼれてしまいましたね)から、相談に来た」


いつから失語症が始まったのかはわからなかったようですが、3年前くらいかもしれませんね。同居よりも前のはずですよ。
失語症でありながらもシルバーでも働き、宗教のお仲間とも付き合い、車の運転もし、何より一人暮らしの生活をまがりなりにもしていたので、老化の進み方はやや遅めだったのでしょう。
それでも前頭葉機能低下は起きてきていたはずですから、つまり、小ボケは覚悟しないといけません。同居してすぐものとられ妄想が勃発したということも理解できます。
これがゲジゲジ(本名ゲジ)

「生活指導としては、まず失語症の説明をして、それにプラスして老化が進んでいる状態。それも前頭葉が不合格レベル(小ボケ)だろうということを話しました。
前頭葉は脳の司令塔だから、自分をコントロールする働きがあります。つまり今はうまく自分を抑えることができにくい状態です。
もともと『思い込みが強い、言い出したら聞かないし、強い人』という傾向があったと思いますが(ほんとにテスト結果に出てますから言いやすかったです)そこが強く出てしまってるんですよ。
性格を変えることは難しいですが、前頭葉のコントロール力を取り戻すようにしましょう。
といって脳のリハビリの説明をしました」
ここも完璧!
気持ち良い写真も。

「研修後、長い時間がかかりましたが、ようやくぱっと開かれた感じがします。長い間のご指導ありがとうございました。
とっても嬉しい相談事例でした。それとあまりドクターを頼りにしてはいけないということも、ちょっとわかりました(笑)」

そうですよ。
認知症を早期に見つけることも、それを改善に導くのも、保健師さんたちの脳機能検査の結果に基づいた判断であり、生活改善指導なのです。

「コロナの問題はありますが、三密を避けながら集まっていただくようにしています。認知症が進んだら大変ですから」またまた完璧!



二度童子(再掲)

2020年08月18日 | 二段階方式って?
昨日訪れた方が、「僕は保育士を10年やっていました」と微笑みながら言われました。今は全く別の世界でがんばっていらっしゃいます。
二つの専門性を持つということは仕事を深めることにつながるのではないかと、私はいつも思っています。
幼児教育に携わったという経験が今のお仕事には無関係と思われるのではなく、「その体験から獲得した前頭葉機能(他の人にはない!のですから)に自信をもって、考えたり、感じたりしてみてくださいね」とお話ししました。
M砂さんのために、探してみた記事です。


二度童子 2013年9月17日
認知症のお年寄りの世話をしているときに「二度童子」という言葉を聞くことがあります。
幼児と同じように手がかかるという意味ですね。
発達心理学が専門の友人と話す機会がありました。
子供たちにMMS(Mini-mental state.アメリカで考案された簡易な認知検査。エイジングライフ研究所でも使用)を実施したら何歳でどうなるかを教えてもらいました。
「まあ、だいたいこんなところでしょう」といいながら、まとめてくれたのが、下表。読みにくくてすみません

これは長い経験から予測された感覚的な数値であることを断っておきます。経験に裏打ちされた予測値はあってるものですけどね。
この表を眺めているといろいろおもしろいことが見えてきます。

ランチにお呼ばれ。お手製弁当に、心配りの季節のお花の数々。「お・も・て・な・し」といわれました(笑)

「計算」や「文を書く」のような勉強をしないとできないものは、点が取れないのは当然ですが、「図形の模写」が6歳になっても、全員はできないということ。
認知症高齢者の場合は、中ボケ以上だとできることがほとんどです。
いっぽう、6歳になると「想起」ができる、しかも完璧にできるという事実。
実際、幼児と話しているとびっくりするくらい正確にいろいろエピソードを覚えています。エピソードを正確に覚えていてイメージ化しているのでしょうか、言語表現が間に合わないくらいです。
これも認知症高齢者の場合は、MMS24点(小ボケ)で、「想起=0点」が66%を占めます。
満点の「想起=3点」の割合は、なんとたった3%なのです。
ここが全く違うところです。

ついでに一言。
かくしゃく百歳の調査をした時にわかったことです。かくしゃくとしている方たちのMMS下位項目の低下順は認知症の場合(老化が加速されている場合)とまったく違うのです。
かくしゃく群には、記憶の障害がありません。見当識の障害もありません。
子供たちは、ゼロから脳機能を獲得していきます。
「できなくて当たり前。でもそのうちできるようになるから」と期待しながら成長を見守ってもらえます。着衣・食事・トイレ・入浴など身の回りのことや、お手伝いが不十分でも、むしろほめられます・・・
獲得のステップ。
認知症高齢者は「いったん完成された脳機能全般的に支障が起きる」訳ですから、できていたものができなくなってくる。
喪失のステップ。

介護している人は「話を聞いていると普通なんですけど・・・行動がめちゃくちゃなんです」
実は話もおかしいのですが、わかろうとするからわかるのです。
「今、ここでそんなことを言う?!」というような発言もよくありますが、状況判断が利いていないという意味で、すでにやはりおかしいというべきです。
「失敗した時の、言い訳というか釈明を聞いていると妙にうなずいてしまったりするんですけど、後から腹が立ちます!」
「あれこれ普通にやれるのに、またこんなことを!が起きるのですが嫌味でやってるんでしょうか」
そうではありません。しゃべれるけれども、行動を起こすときに、判断する前頭葉も、実行に移す脳機能も全然足りないから失敗につながってるんですよ。
「鍬の使い方なんかは私よりはるかに上手なんですよね」
などと訴えられることもありますが、体に染みついたような行動は遅くまで、うまくこなせることも多いですよ。その時々の判断が必要な場合だと失敗します。

エイジングライフ研究所では中ボケの生活の実態を「家庭生活に支障が出る」「言い訳のうまい幼稚園児」と表現します。目を配る必要度が、幼稚園児と同じという意味合いです。
重要なことは、このレベルで発見されたら脳機能の改善は可能であることです。大ボケの指標である徘徊、幻覚、不潔行為、異食、見当識が時・所・人ともにわからない。などの症状はまだありません。
中ボケのMMS得点は15~23点。
中ボケは見当識が次第に低下していく時期なのです。 
上表から見ても、3歳の脳機能だと全面的に生活を見る必要があります。
4歳児以上になると、「計算」や「文を書く」の得点を加味して考えるとそろそろ中ボケ相当となって、確かに幼稚園児が中ボケ相当ということが納得されます。
幼稚園時代は、他の多くの脳機能とともに、見当識が確立されていく過程ということが言えそうですね。
ここも逆方向に一致しています。

ここで確認をもう一度。
幼児は、見当識が正確に確立できる前に記憶が確実になる。少なくとも同時進行。
認知症高齢者は、見当識が揺らぐ前からすでに記憶に問題が出てきている。
もちろん、両者ともに社会生活をこなす前頭葉機能に期待できないことは大前提です。
「二度童子」という言葉には、優しさも感じられますし、確かに目を配る必要があるという生活実態も共通していますが、脳機能から見ると大きな違いがあることを承知しておいてください。
そしてこのように、脳機能から認知症高齢者の行動(症状)を理解するというアプローチが常識になってほしいものと思います。




脳機能検査をする目的

2020年08月17日 | 二段階方式って?

「脳機能検査」とか「脳の働きを調べます」と聞くと、いかにも「頭の良しあしを調べられる」という気持ちになるようです。ちょうど学校でのテストの成績が100点とか80点とか50点だったみたいに。当然点数がいい方が「頭がいい」「いい結果だった」というふうに思いますよね。
「脳機能検査」の目的はちょっと違うのです。一般的に使われる脳機能検査はわりあい単純な認知機能について調べます。
ある項目ができるとします。一般的なテストでいえば100点ですね。それはもちろん「できる」わけですから、いいことです。でも、テストをしてただ
それがわかっただけ。
カヒリジンジャー

一方で、ある項目はできませんでした。
これは普通のテストでいえば、0点。とんでもない結果ということになりますが「脳機能がうまく働いていない」というこの情報はとても大切で役に立つ情報なのです。その人の生活を理解し、必要ならば援助するには不可欠の情報だということを、テストを実施する保健師さんたちはぜひともわかってほしいと思います。
アサガオ

脳卒中の後遺症で、身体に不全マヒが生じたとします。その時私たちはマヒを認めたうえで、どこまで動くかよく観察も測定もしたうえで、リハビリ計画をたてて改善を図ります。そしてそれでも残存したマヒについて、下肢でいえば、寝たきりから車いす、歩行器が必要なのか、装具は?杖でいいのか、それも四点杖か普通の一点杖でもいいのかというふうに、その能力を見極めていきます。「できるはず」とか「できてほしい」ということではなく、「どこまでできて、どこはできない」のかを厳密にチェックするはずです。
できることは喜ばしいし、楽なことですが、その方の生活を考えると「できないこと」を明らかにしてあげることこそ、本当の援助になると思います。

運動機能はわかりやすいのですが、一般的な認知機能もこれとまったく同じです。
世の中では、認知症の重症度は症状から決めますね。特に周りを困らせる症状が出てくると重度認知症というふうに判断します。エイジングライフ研究所では、あくまでもその人の脳機能はどのような状態になっているのかを調べるところから出発します。
もともと、症状というのはその人の今の脳機能が発揮された結果ということなのです。
つまり、今の脳機能を知ることで、訴えられている症状をより正確に知ることもできるし、訴えられていない生活状況もかなり正確に類推できることになります。これは、まず脳機能検査を行ったうえで聞き取った症状の蓄積が、何千例にも及ぶところから導き出されました。

上図で色分けされたプロット群ごとに訴えられる症状に明らかな差があるのですよ。例えば高齢者がよくいう「記憶力低下」で説明してみましょうか。
青の正常群(前頭葉・後半領域の認知機能共に合格):
花など新しいものの名前が覚えられない。
よく知っている人の名前が出てこない。
黄の小ボケ群(前頭葉だけ不合格・後半領域は合格):
何度も同じことを聞いたり話したりする。
ひどくなると言い終わったかと思うとまた繰り返し話始める(オルゴールシンドロームと私が名付けました)
橙の中ボケ群(前頭葉不合格・後半領域やや低下):
何度聞いても、日付がわからなくなる
服薬管理ができない
しまい場所を忘れて、いつも探している(場合によってはものとられ妄想も)
赤の大ボケ群(前頭葉・後半領域ともに不合格):
食事をしたかどうかすっかりわからない
家族のこともわからない
見当識でも、食作法でも、着衣でも、トイレやお風呂の使い方までそれぞれの群でまったく違うことが起きてくるのです。
どのようにボケは進んでいくのか―治せるレベルで起こす「事件」にまとめておきました。

実は今日のテーマは「認知症」に直接関係しませんが、保健師さんたちに知っておいてほしいと思って書き始めました。
ちょっとお知り合いになった方がいます。70歳過ぎの男性です。
はるか10年以上も前に「くも膜下出血」を発症し、某大学病院脳外科で6時間もかけて頭蓋骨を大きく外しての手術を受けたそうです。幸いにも命を取り留めただけでなく、その後社会復帰まで果たされ現在もご活躍中なのですから、素晴らしいことです。
とても大雑把にいってしまえば、くも膜下出血は、1/3が死亡、1/3が軽いものから植物状態まで含めて後遺症あり、1/3が全く後遺症なしに回復(その中に前頭葉機能のみ低下している人たちがいますが)といわれます。
ブラックベリー

この方は、3番目のグループみたいなのですが、退院時に「高次脳機能障害があります」とドクターから告げられたそうです。
「内容の説明は?」と慌てて訊ねたのですが、「その内容については特別何もお話はなかったのです」
手術が大きかったこともあり「手術は右側でした」とはっきり覚えていらっしゃいました。ついでにお話ししておきますが、軽度の脳梗塞の時に家族ともども「どちらだったか…」と迷われることは多々あるのですよ。
この方の場合は、ダメージがあるとしたら脳機能から言えば右脳。右脳は色・形・音楽・感情などのアナログ情報の処理が担当ですが、検査がしにくいのです。アプローチとしては「形の処理能力」を調べることになります。

左がモデル。見ながら描いていくのです。(モデル提示は右側)
不思議でしょう?縦の線が一本足りません…左空間失認といいます。脳機能検査をしているとこういうことに遭遇します。そのたびに、脳は大変な仕事を黙々としてくれているのだなあと思うのです。
続々―相貌失認(ここにも立方体模写の事例があげてあります)
右脳にダメージを受けた時の左空間失認という後遺症は割合にあるものですが、その可能性を考慮して調べなければ、気が付かないままに終わります。
続々―相貌失認で紹介したように、ご本人は何かと困ることが出てくるのです。例えば、道に迷う、なじみのところのはずがよくわからない。訴えても聞く方が左空間無視の可能性を考慮しなければ注意力不足とか、訴えが大げさ過ぎるとか、もともとの方向音痴に帰してしまって、後遺症の説明に行きつかないままに過ぎてしまうことになります。右脳障害では失語症をおこすことはないので、言葉は自由に駆使できることが、よけい話をややこしくしているのです。(構音障害といって発音がうまくいかないことはあります)
今となっては理由はわかりませんが、とにかく高次脳機能障害といわれ、ただしその内容についての説明はないまま10余年。

日常生活起きてくる「例えば、今まで何の問題もなく電車を乗り換えていた、その駅で逆方向の電車に乗ってしまうとか、家まで車で送ってもらう時にうまく誘導できないとか、言葉でうまく言えないような、なんだか変な失敗が起こり」不安を覚えながら10年間過ごしてこられたのです。
左足にもほんとに軽微なマヒが残っているようで、「そういえば転んだりつまずくときはいつも左です」とも言われていました
たった、1分程度の検査で「疑問も不安も氷解した。この部分の脳の働きに故障が残っていたのですね!いろいろなことが納得できた」と喜ばれました。
これが脳機能検査をする目的です。私もうれしかったです❣️


三角形は止まるけど、水は流れ続ける

2020年08月12日 | 前頭葉の働き
出会い滝
三密に気を付けて、ちょっと涼を求めて河津七滝へエクスカーション。
以前から目を付けていたレストラン探訪も兼ねてました。そのレストランが昨夜テレビ取材されていたので。
車を停めて踊り子歩道を通って少し歩きます。歩道の左下からは涼し気な川音が。

そこからさらに急坂のアプローチ。

南会津の古民家を7年がかりでセルフビルドしたという!

玄関を入ると、おくどさん(私の育った北九州ではかまどのことをこう言っていました)から煙が。ご飯を炊いています。

お店の売りメニュー。滝氷を作る器械も古めいて。
ご主人は東京藝大出身の画家ですからお店の一角は美術館。

窓から竹林が涼しさを運びます。扇風機だけで冷房はありません。

七輪を使った炭火焼きも楽しみましたが、会話もまたごちそう。
その会話の中で、「パッションフルーツは成枝を上にして横からみると卵型に見えるけど、輪切りにすると実は三角形」という私の最新の発見を、熱く語りました。
友人はすぐに「コロコロ転がらないように、じゃないの」と応えてくれ、続けて「だって、『熟したらポトンと勝手に落ちる』って言ったでしょ。だから」
私は目からうろこ。
実は夫から「なぜめしべの先が三つに分かれたかまで考えるのが前頭葉だろ」といわれ、「私の前頭葉は、それに気づいて満足したの」と応じていました。

多分、友人の推理はあっていると思うのです。私の前頭葉は態度豹変。大満足。
「確かに三角形なら、よほどの坂道でなければ止まるよね。進化の妙だわ」
食事の後、ちょっとだけ滝見物に河原まで下りていきました。
カニ滝

奥さんのカメラ操作をご主人が指導中。

この滝の下流は、こんな景色でした。小さな高千穂峡の風情。

右から合流してくる滝があって、ここは出会い滝といわれています。幅広い滝でした。

日本でも有数の雨量を誇る天城の水を集めて、急峻な山を駆け下ってくる流れはとどまることを知らず、様々な形で滝を形作っています。
いっぽうで伊豆高原の自然探勝路にある対馬の滝は、ほとんど枯れ滝で別名幻の滝ともいわれています。
ところが、この大雨続きの7月に歩いた時には、勇壮な流れを見せてくれました。

海に直接落ちるところが魅力的です。
角度さえあれば、水が流れるのではありませんでした。肝心の水がなければね。

日常生活では、興味関心がなければ知らずに通り過ぎていくことばかりかもしれません。
私もパッションフルーツに関しては今年生まれて初めての興味が芽生えました。

幸いなことを付け加えておきましょう。
多様な前頭葉機能は、注意集中・分配力に象徴されるように、加齢とともに低下していくものですが(正常老化)、興味関心のような働きはイキイキしている前頭葉の持ち主であれば100歳でも持ち続けることができるのです。
自分なりの興味関心に対してはいつもアンテナをピッと立てておくようにしてください。
追伸
大学時代の友人からメールが到着。
「今日の絹子さんのブログで『パッションフルーツの切り口は丸ではなく三角。その理由は転がらないように』ということでした。転がっても種が最奥に移動できるので、それはそれでありかも、とも思います。
卵型の理由を読みながら思い出しました。鳥の巣で転がって外に転がり落ちないように、ということらしいです。カメやワニ、魚の卵は丸でも問題なし。自然はいろいろ考えているみたいです。そういうのが生き残る、ということかもしれませんが。」

このメールを読んで、すぐにまたパッションフルーツやパッションフラワーの検索に励みましたが、「めしべが3分裂しているのが時計の長針短針秒針に見えるからトケイソウという」までしかわかりません。
なぜ、成枝を上にして縦からみたら卵型、横に切ったら三角形の実になるのか、お分かりの方は教えてください。
我が家では、落ちた実が余りあちらこちらに行ってしまわない方がありがたいので、短絡させてしまいました💦

パッションフルーツは三角形。

2020年08月05日 | 前頭葉の働き
6月にパッションフルーツ栽培中と報告しましたが、パッションフルーツが色づき始めたと思っていたら 、ふたつも落ちていました。翌日もうひとつ。

全体像はこんな感じです。

さまざまなレベルに色づいてます。

去年寒いころの収穫は皮が「しわしわ」になって発見したものがほとんどでしたが、季節が違うせいか、皮は「つるつる」のままです。

真横にナイフを入れて二つにして、匙ですくって食べるのです。
甘酸っぱい南国の味。南国の味と思ったのは、たぶんその香りからだと思います。

たびたび見てやり、草を抜いて追肥も施しました。「手塩にかける」といえるほどには、世話はしませんでしたが、それでも満足感はひとしお。
食べ終わって、初めて気づきました。
「パッションフルーツの実は丸じゃない。三角だ」
去年食べた時には思ってもみなかったことです。去年は自然交配したものを食べただけ、今年は自分で交配させたというたったちょっとした体験の差が、この気づきを生んだのでしょう。

もう一度、方向を変えて並べてみました。「確かにさんかく!」

ここで、一気にパッションフルーツの花が脳内いっぱいに広がりました
その絵を感じながら「そうだ!パッションフルーツのめしべの先端は3本に分かれていた」

記憶は「記銘」「保持」「想起」の三段階を持っていますが、そもそも「記銘」をするときに、「覚えておきたい!」や「そういうことなのか!」のように強い感動をもっている場合と、ただ教わって「そうですか」とうわの空で納得した場合を考えてみるとよくわかるように、ただいつも漫然と「記銘」しているのではありません。
あの時、自分でもびっくりするほど、めしべが3本に分岐していることに驚きました。それと下向きに花粉を生じるおしべにも「なぜだろう」ととても不思議に思いました。
青空だったその場の空気感。
全部一緒になっていわば「パッションフルーツの解剖学」という記憶を形作ったという印象が蘇ってきます。

「保持」はほんの2か月です。あれほど感動しながら体験したことでしたから、まるでその場にいるように「想起」できました。
そのシーンの中にいる私が、確かにほとんど等間隔の角度で開いている3本のめしべの先端に受粉させたのです。「そのめしべの元にある子房が大きくなって実を付けたのだから丸でなくて三角。とっても納得」
そう思ってもう一度半分に切ると、今度は最初から三角に見えました。

「心を動かされる」ということが、脳を活性化させるのですね。繰り返しになりますがそういう時の記憶はすぐクリアになります。
こうして考えてみると、コロナ予防対策の「三密を避ける」状態に、高齢者がいるということは「認知症予防対策」から考えると、とんでもないことです。
「高齢者だから。持病があるから」と、誰にも会わず、特別することもなく淡々と家にこもっていると、コロナは予防できても認知症が口を開けて待っているようなものです。
久しぶりに会った高齢の知人が、無表情で言葉少なくなっていたら・・・脳の老化は一歩進んだと考えるべきです。
三密を避けながら、楽しい時間をもつということの、なんと難しいこと。
せめて生活の中で自分で心動かされるものを積極的に見つける努力は、必要です。
今日の私の収穫は、「パッションフルーツの実は、横からみると卵型、上からみると三角形」ということを発見し、その理由にも思い至ったことです。そして、そのことが思いがけない喜びであったことも収穫だったと思います。




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