脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

おはがき頂戴しました

2016年09月22日 | 私の右脳ライフ

長野県小布施町の「脳のリフレッシュ教室ーななくさの会」のH間さんから絵手紙が届きました。
H間さんは「かくしゃくヒント28-かくしゃくグループin小布施」でななくさの会のリーダーとして紹介した方です。
季節を告げるサンマの絵手紙。

「秋です スイスイといさぎよく泳ぎましょう 夢と絆で」と書かれています。写真でどのくらい表現できるか心配ですが、サンマの体に銀粉がサッと一刷毛加えられています。その工夫で、サンマが一段と新鮮になり元気良く見えます。

もともと「いさぎよい」方なので、読みながらいつものH間さんとシンクロして、なかなかの出来だと感心しました。
76歳です!
このように新しいことに挑戦しながら、これからもお元気に人生を楽しんでいっていただきたいものだと、しみじみと思いました。

東京の友人が遊びに来たときに、炭酸水にライムを絞ってあげたら大喜びされたものですから、自家製ライムをいただいたので少しおすそ分けでお送りしました。
その友人はデザインを生業にしている人です。こんなに素敵なカードをおくってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カードは、ちゃんと衣装を用意してもらっていました。オシャレですねえ〜。私には思いつくこともできません。
 

金子みすずの詩に「みんなちがってみんないい」とありますね。
いつも思うのですが、右脳は「みんな違う」ことを許します。右脳の判断基準は「好きか嫌いか」ですから。
左脳は正答はひとつ。左脳の判断基準は「正しいか正しくないか」です。
少なくとも老後の人生を充実させるには、右脳の出番を多くしなくてはいけません。

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小ボケから回復中の友人から電話がありました

2016年09月20日 | 正常から認知症への移り変わり

長いお付き合いをしている友人から電話がありました。離れているのでほとんど会うことはありませんが、ときどき電話で近況報告しあってる友人です。一番近くの電話はこの春だったでしょうか。
でも、元気がない・・・持病を持っているご主人の状態がよくないことを聞いていましたから、「もしかして?」と想像してしまうような声音でした。(今日の写真は高校生の孫が所属している生物部の文化祭展示から)

結論を言いましょう。
ご主人は亡くなるどころか一時の危機を脱出。元気になられたとのことで した。
今日の電話は小ボケから回復していってる人の様子がよくわかるものでしたからご紹介します。

「お約束の野菜送れなくてごめんなさい」というお詫びの言葉から電話は始まりました。
「あまりにも体調が悪いものだから、疲れが取れないし、頭が痛いし。病院に行って調べてもらったら心房細動だったの。このまま放っておくと心不全なんだけど、お薬が出て様子を見ることになって、それはそれでいいんだけど」
そのたびに私の言葉が入りましたが、それは省略。

「私ボケたんじゃないかってとっても心配なの。おじいさん(ご主人)からも『ボケてるぞ』ってよくいわれるし・・・」

「今朝も、おじいさんが透析の日なんだけど、ちゃんと準備して『さあ出発ですよ 』と声をかけて、『免許証の入ったバッグを』と思ったら、いつものところにない!それこそ家じゅう、絶対置かないところまで探してもない!
おじいさんは『免許のないものに運転させられない!」と(多分怒って)、自分で運転して行っちゃった」

「え。運転できるようになられたの?」
「そうなの。おかげさまで持ち直してほんとに元気になってくれたのよ。春頃はどうなることかと思っていたけど」

「おじいさんがいなくなって、またゆっくり考えてみたの。昨日夕方スーパーに買い物によったんだけど、普通ならあのゴロゴロ引っ張る、あのなんだっけ(カートと教えてあげる)、そうそうカートを使って、手前の小さなところにバッグを置いて買い物して、車まで持って行って、その後どんなに離れていてもちゃんとカートを返しに行くんだけど(全くその通りの人。姿が見えるようです) 、買い物が少なかったのでカゴだけにしたのね。そこから先ははっきり覚えていないけど、買い物はして帰ったから支払いはしてる訳でしょ?それならそのスーパーにあるかもしれないと思って、電話してみたの。
『はい。店員が見つけて保管しております。布製のバッグですよね?』って言ってくれたの。だから、ありました」

「よかったねえ!」

「それがね、こんなことばっかり起きてるの。私ボケたんじゃないかと思って心配で心配で。

先日もお彼岸だから、お花を買ってお供えしようと思っていつものお花やさんに行ったのね。一束100円の花を五つ買って、10円玉 五つ並べて支払ったの。考えられる?こんなこと。お花やさんは笑って『足りません』って請求してくれたけど」

「ほかに『何か違う』って思うことある?」 

「ウーン。なんというか何でも面倒というか、どうでもいいというか。
やりたくないという程、積極的じゃないんだけど、気が付くと何もやってないような気がする。もちろんおじいさんの食事作りとかはやるんだけど、正直面倒だなあとか思うし、気が付くと同じものばっかり作ってる。
人のことどころか、おしゃれするのも面倒だし・・・」

「パッチワークとか洋裁は?(退職後に趣味のサークルだけでなく洋裁学校まで通ったひとなのです)」

「それがね、夏の喪服をリフォームし始めてそれが途中になったまま。そうよね。私って途中で投げ出したりはしないタイプだものね。夏、暑いからと思って何もしないことを許してたけど、去年だって一昨年だって、夏もチョコチョコ楽しみで作ってたもの」
 
「春、台所仕事もつらいって言ってたでしょ?腰痛はどうなったの?」

「ありがとう。おかげさまでずいぶんよくなってきたの、不思議なことにおじいさんの調子がよくなるにつれて私の腰もよくなっていったみたい。 畑はまだまだだけど、家の中だったらほとんど問題がなくなったの。
腰が痛い時はそのことばっかりだったけど体の方がよくなってきたから、よけいボケたんじゃないかって心配になってきたのかも」
 
「『今は大丈夫』と思う」と、私。

「なぜ、『今は大丈夫』なの?」と尋ねてきました。

「あのね。いつも言うように小ボケって前頭葉機能がうまく働いていない状態でしょ。そういう状態になったら、自分のいいたいことを的確にまとめて誰かに伝えることがとっても難しくなってしまうの。

(小ボケの方に対応したことのある保健師さんは 、ここで膝を打ったでしょう(笑)
小ボケの人の話の分からないこと!それなりにたくさん話してくれるのですが、話があっちに飛んだりこっちに来たり。一つのテーマ例えば子供の話で進んでいってるうちに、別のテーマ例えば兄弟の話にすり変わっていたり。またその時に、そう指摘すると「あ。ちょっと思いついたからお話ししておこうかと思って」などとそれなりに対応されたりして。ほんとに困りますよね)

先ほどの話は、そのままその場面が見えるように とってもよくわかった。何なら、今ここであの話を再現してもいいくらいよくわかってる。
前頭葉がちゃんと働いていない時はこういうことはできないの。だから、今は前頭葉はよく働いているって言ったのよ。

実はね、バッグ事件もお花事件も齢をとった人なら、だれでも思い当ることがあるような事件なのよ。だからあんな事件があったからといってボケ始めてるって思うことはないの。
前頭葉さえしっかりしてれば、反省して『今度は気を付けよう』って思ったでしょ。ちゃんと気を付けたら大丈夫だから!

万一もし起きても今回のように家じゅう探すとか電話してみるとか、前頭葉が打つ手を考えることができるから心配して待つことはないのよ。

それより、多分夏ごろまで前頭葉の元気がなかったんじゃないかと思うの。小ボケの道に入ってたか、少なくとも小ボケの方向を向いてたはずよ。

春の電話の時から気になってたんだけど、脳の健康にとって状況が悪すぎるなあって。
二人暮らしでどちらか一方が病気やボケが進んでくると、もう一方 の前頭葉の元気がなくなって小ボケになることはよくあることなの。お世話に手が取られるし、この状態がいつまで続くかもわからない。趣味の会を楽しむどころか外出さえままならなくなるでしょ。こんな生活がいつまで続くのかと暗~い気持ちにもなるよね。ご主人は難しい人だから体調が悪いと余計ひどい言葉も出るだろうし。そのうえ腰痛って言ってたでしょ。
こういう状況の時に、というのは脳をイキイキと使えない状況の時にってことなんだけど、前頭葉から元気をなくしていくものなの。

いつの時でも、あなたらしく生きてきたのに。がんばったり、喜んだり、落ち込んだりしながらでもあなたらしく生きてきたのに、今回ばっかりは負けてしまったのね。あなたらしくない生き方しかしてこなかったでしょ。どうでもよくなってしまってたでしょ。
 
ご主人がよくならなかったら、腰痛ももっと悪くなっていたりしたら、小ボケの道を一歩一歩と進んではっきり小ボケになっていたと思うの。
幸いにも、どちらもいい方向に変わったので、元気を取り戻しているところだと思ったのよね」

「ちょっと泣かせて。ほんとにその通り…」と聞こえました。

「私、少し元気になってるのね。それもよくわかる気がする。 ほんとに悪い時は電話もしなかったと思うから。
実は脳を元気にする本も買ってきたの。ドリルとかついてるのだけど。ドリルはちょっとだけど四文字熟語とか結構面白い」

「ウーン、もっと元気にならなくっちゃあね。ここ、しばらく脳を自分らしく使わなかったってことはわかったのね。だから、前頭葉が元気を失ったってこともね。じゃあどうすることが脳をよく使うことかというとね。

何かやるでしょ。やり終わった時に楽しくて『あっという間に時間がたっちゃった』と思うようなことなのよ。
その本の勉強もいいけど、あれだけ好きな洋裁とかパッチワークとか、デザインを考えてる時でも布を選んでいるときでも、時間はどう?あっという間に経たない?今日の私との電話だってもう20分も経ってるけど、どう?
楽しいことを探してやるのよ。
さしあたって、喪服のリフォームを完成させなくっちゃあね。できたら教えてね」

「物忘れ外来に行こうかと思い詰めてたけど、お電話してよかったぁ。ありがとうね。楽しみを見つけるのよね。がんばるからね 」

下の図を基にした途中の説明を省略しました。
 

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杢太郞と安吾その2

2016年09月09日 | 私の右脳ライフ
十日町市に行くたびに、行ってみたいなあと思っていた大棟山美術博物館。地方の大庄屋の屋敷をそのままに美術館にしたということにも、縁につながる坂口安吾の資料館も兼ねているということにも興味津々。
大きな杉並木にはさまれ、緩やかに苔むした階段のはるか向こうに門が見えます。まるで古寺の佇まいでした。

穀倉地帯の大庄屋、玄関脇でコンコンと湧いていた雪解け水で酒造業も営んでいたそうです。

古びてはいますが立派な建物、素晴らしい建材(梁垂木の見事さは当然、廊下は一枚板でした)、趣ある庭。

ほとんど無造作に展示してあるものたちからは、確かに使われていたという印象が強く迫ってきます。
茶道具。楽当家作の茶碗。

茶懐石用什器。

尾形乾山作。

喜多川歌磨呂画。

永楽善五郎作。

古伊万里や古九谷の皿。

小川破笠の漆衝立(初めて見ました)確かに独創的な螺鈿。

立派なお座敷にお宝いっぱい。

廊下の突き当たりに、少し雰囲気の違った書がかけてありました。今までに見てきた、いわゆる美術品とは違うものですが、何か胸の中に飛び込んでくる魅力がありました。安吾の詩、安吾の書。

姉がこの村山家に嫁いだ縁で、安吾は度々逗留したということでした。一部屋が書斎らしく整えられ、資料館になっています。

安吾は新潟市出身。生家は富豪の旧家だったのが祖父が投機に失敗、破産の辛を舐めたということでした。でも父親は衆議院議員というのですから、名家には違いないでしょう。
安吾の人生は一筋縄ではいかず、学校生活ですら幾つかの道を選ばざるをえなく、それだけでも杢太郞とは両極にあると言えます。繊細な感受性を持っていたことは共通しています。杢太郞も我が人生をどう生きるか疾風怒涛の時を過ごしましたが、納得の道を見つけた後は、実に模範的に正々堂々と人生を進んで行きました。
安吾は、もっと繊細。もっと弱いところがある。希死念慮(死にたくなる)に悩まされ、作家として認められたのちには覚せい剤中毒にも…そこで療養のために滞在したのが伊東温泉(私は今伊東市に住んでます)
伊東海岸の安吾夫妻。

その後も、無頼派と言われたように、薬にも手を出しお酒も飲み生活は荒れた状態が続き、最後は脳出血で亡くなりました。
杢太郞と安吾と。それぞれ生きた時代を見てみると杢太郞は1885-1945。安吾は1906-1955と約1世代ずれていますが、啄木とは2人とも交友があったようですし、重なる部分もあります。
ただ生き方は全く違います。
安吾の戯画

杢太郞の百花譜の端正さと、全く違う。
大棟山美術博物館の書の作品も、形良いわけでもなく綺麗でもなく、でも何か惹きつけられるような魅力がある。

今日の十日町の講演で「自分らしく、満足して生きる」ことの大切さを強調しましたが、前頭葉が十人十色である以上「自分らしく、満足して生きる」ことも十人十色。
死にゆくときに、自分に対して「よく生きた」と言えるような生き方をしていきたいと思います。



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杢太郞と安吾その1

2016年09月08日 | 私の右脳ライフ

8月の右脳訓練としてまとめるつもりが、いくらなんでも報告遅れになってしまいお蔵入りさせていたテーマがありました。
今年受講している「伊東自然歴史案内人」講座で、8月に伊東市にある「木下杢太郞記念館」に行きました。

木下杢太郞が詩人、画家として才能豊かな人だということは知っていました。

絶筆。百花譜の中のヤマユリ

「太田母斑」を命名した医学者というだけでなく、「ハンセン病は感染症。治療薬がないだけなので隔離は絶対反対」と主張したことを知り、驚きました。

生家は手広く雑貨問屋をやっていた商家で、経済的にも恵まれていました。
商品搬送のためには船しかなかったわけですから、商品とともに種々の文化的情報がもたらされたことは特筆すべきことでしょう。中学から東京に行き、一高→東大(医学部)という進路には、家もしくは両親の強い希望が見て取れます。

大学で医学を専攻しながらも、詩や絵画に惹かれていったのは才能のなせる技だと考えると納得できます。在学中に与謝野鉄幹に引き連れられて、白秋、勇らと天草旅行もしています。紀行文「五足の靴」としてまとめられたことを、昔天草に行った時に知りました。
「明星」同人になり、その後「パンの会」主宰。鉄幹、荷風、光太郎、実篤、潤一郎、一平などなど。当時の他分野を含め、多くの芸術家との交流がありました。
白秋の「邪宗門」の挿絵に使われた絵

森鴎外に私淑したそうです。そして鴎外から直接言われたかどうかは推理にしかなりませんが、鴎外のように「医学の道を捨てないこと」「人道的、倫理的な生き方の追求」を人生の目的に据えたことは容易に想像できます。
たくさんの本の装丁もしていました。

すんなりと、素晴らしい人物、郷土の誇りと賞賛できるような「木下杢太郞」でした。
今日、知った「坂口安吾」は違いました。続く

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