脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

夏休みが飛び込んできた

2023年08月29日 | 私の右脳ライフ
私には2人の息子がいます。が、自称三男とか四男とか言ってくれる若者がいるんです。
その三男から「結婚しました!」の電話が。文字通り晴天の霹靂でした。
2人で顔見せに来てくれることになって、ワクワクしながら待っていました。暑い盛りですが、彼女にとっては初めての我が家、伊豆の良いところを味合わせてあげたいと、あれこれ計画を練りました。私の大好きな分野なのです。
彼らの2泊3日の伊豆の旅を記録してみましょう。それは、そのまま私たちの夏休みだったのです。
満面の笑みが二つ改札口に揃います。迎える私たちも嬉しさに包まれて、駅からそのままニューヨークランプミュージアムへ。
満開のひまわり畑と海に「うわー」と声をあげてくれた初々しいMrs.「おんなじ感性!」もう前からの知り合いの気分になりました。

遠慮勝ちに「写真撮りましょうか?」と言ったらなんとちゃんと受けてくれました。2泊3日でだんだん仲良しになっていくのが微笑ましい。

家に寄って、素敵なアルバムを見せてもらいながら、結婚への道のりやアットホームな素敵なお式のことやら聞きました。なんと言っても三男のことですから、一つ一つの話に一つ一つ納得しながら、4人で「それにしてもご縁ねえ。運命というか」と繰り返しました。
伊豆初日は熱川の伊豆ホテルのスイートルーム!
アプローチ

ロビー
大きな足湯

お部屋の露天風呂
実は「妻は町育ちのせいか、日の出とか夕焼けとか自然の中にいるのが大好きで…」と聞いていたので、私の予定では相模灘の日の出、天城山中からみる夕焼けの設定こそがプレゼントと決めていたのです。
夜は見事なムーンロードのシーンが繰り広げられたそうで、これは予定外のスペシャルプレゼント。
(Photo by Mika)
翌朝の相模灘の日の出。ふふふ。計画通りにお日さまが出てくれました。
(Photo by Mika)

(Photo by Mika)
翌日は、朝早くから伊豆ホテルへ迎えに行きます。伊豆高原には二つ吊り橋がありますが、観光地化していない橋立の吊り橋へ案内しました。
企画が良かった。喜んで写真をとってくれてます。

下の海も自然そのもの。



ランチは修善寺の松葉茶屋に鮎の釜飯を食べに行きました。

それから修禅寺へ

(Photo by Mika)
若い人たちなので「マツコデラックス!」も受けてくれます。
一方で歴史的なことにも興味があって、案内のしがいがあります。

竹林の小径

桂川の赤い橋

暑い日でしたが、「東京の暑さとは違う。木陰の風が気持ちいいです」というような言葉にも人柄を感じられて嬉しかったのですよ。
「じゃあ。ほんとに涼しいところへ」と旭滝へ。

柱状節理が横向きになっているのですが、丁寧に説明を読んでいました。そして虚無僧が吹く尺八の名曲「瀧落ちの曲」はこの滝でできたことなど一緒に学びました。

こういうシーンを、私が撮りました(笑)

2人は信心深いのか、ちゃんとお参りしてくれました。

2泊目の天城高原へ。夕焼けに間に合うかどうかとちょっと気を揉みました。
富士山が色づいて、最高!こんなにプラン通りに運ぶなんてことはなかなかありません。
2人の前途を祝してくれたのですね…お幸せに。


2人のおかげで、思いがけない楽しい夏休みを満喫できました。
また時間を作って帰ってきてください。








「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」前提の誤り

2023年08月27日 | エイジングライフ研究所から
「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」の根本的な問題点、特に若年性認知症の臨床的分類に関する考えをまとめておきたいと思います。
  わざわざ「共生社会の実現を推進するための」という冠語をつけて、認知症基本法が6月14日成立しました。私の知る限りではニュースの扱いは小さなものだったように思いますが、どうでしょうか?皆さんは関心を持ちましたか?
冠語の意味は、いろいろな思いが込められていると思います。例えば産経新聞の見出しには「認知症基本法が成立 尊厳保持、本人の意見反映」と表現されていました。この見出しは「共存」に触れていませんが、2025年には認知症者が約675万人になると予測されている認知症 、これは65歳以上の国民の5人に一人という割合になります。共存する以外ないでしょう。
「尊厳保持」や「本人の意見」について基本法はもう少し具体的です。「尊厳保持」とは「認知症の人が尊厳を持ち、希望を持って暮らせる共生社会の実現」であり、「本人の意見反映」に関しては正確には「認知症の人が尊厳を持ち、希望を持って暮らせる共生社会の実現」を「認知症の人や家族らの意見を聞いたうえで基本計画を策定する」となっています。
さあ、今から私見を述べたいと思います。日本のみならず世界中の専門家に対してわかってもらわなくてはいけません。
  現在、アルツハイマー型認知症(従来は老年痴呆と呼ばれていたものです)の発病の機序として、アミロイドβやタウタンパクなどを原因にする「仮説」が、日本のみならず世界の趨勢となっています。2002年に提唱されたアミロイドベータ仮説では、アルツハイマー病の病理は次のように説明されています。「まずアミロイドβ(Aβ)が脳の神経細胞外に蓄積し、老人斑を形成すると、タウ蛋白質のリン酸化が起こり、凝集し、神経原線維変化を起こす。次にAβの蓄積の過程で生じるオリゴマーや神経原線維変化が神経細胞の機能障害を誘発し、細胞死に至らしめる」

  このような状況の中、今話題になっているレカネマブのような認知症治療薬の情報や、以下のような記事を読むと、アルツハイマー型認知症の薬物治療の道が広がる研究が進むことを願うのは当然の心理でしょう。東京医科歯科大学HPより。
 「東京医科歯科大岡澤均教授の研究グループは、東京都健康長寿医療センター、名古屋大学、自治医科大学、慶応義塾大学、国立精神神経医療研究センター、国立シンガポール大学、バロー神経学研究所などのグループとの共同研究で、アミロイドベータ細胞外凝集の出現前の超早期段階に生じる細胞死が、その後のアルツハイマー病態進展の鍵を握ること、また、この細胞死を標的とする治療法(発症後にも適応可能)の開発が可能であることを実験的に示すことができたと国際科学誌Nature Communicationsに、2020年オンライン版で発表した。」
上記発表から転載して、アルツハイマー認知症治療薬のそもそもの流れをまとめてみましょう。
「アロア(ママ)・アルツハイマー博士が1904年に初めて報告したアルツハイマー病は銀染色での病理所見に基づいており、この時は物質沈着の有無も、それがアミロイドかどうかも分からなかった。その後、1980年代半ばに沈着物質が40アミノ酸ほどのアミロイドペプチドであることが解明され、さらにその元となる遺伝子がクローニングされた。これを受けて、1991年にJohn Hardy博士とDavid Allsop博士が、細胞外アミロイド沈着がアルツハイマー病の原因であるという仮説を提唱した。」
その後世界中の製薬会社がアミロイドβに標的を当てて創薬研究を行ったのですが、すべて失敗。その投資総額は60兆円超とも言われています。そして事業撤退やアミロイドβ仮説への疑問視まで起きてきました。その中での上記研究です。
ところが、私たちエイジングライフ研究所はここに大きな疑問を感じないわけにはいきません。

1.アルツハイマー博士が見つけた患者は、あまりにも普通の認知症と推移が違う。という前提が消え去っています。その違いは次の2点です。
①年齢が若い。受診時は51歳。死亡時は56歳。
②年齢が若いこと、症状の重症化が早いことなどの理由で死後解剖をしてみたら、脳の萎縮と老人斑(アミロイドβの沈着)と神経原繊維変化(アポリポ蛋白由来)が目立った。
2.診断の流れとしては、アルツハイマー博士は、当時老年痴呆(Senile Dementia)といわれていた「普通」の認知症の病態とあまりにも違う上記2点の特徴があるということでわざわざ「アルツハイマー病」と名付け区別しました。ところが1960年代に盛んに行われた臨床病理学的研究から、終末期の脳の解剖所見が同一のものであるとの結論に至り、それに伴いすべて「アルツハイマー病」と呼び65歳未満を早発型、65歳以上を晩発型と年齢による区分だけになったのです。
3.我が国においても、厚労省が2012年「若年性認知症支援のガイドブック」を上梓した時には、アルツハイマー病とだけ記載されていて、そこにはすでに早発型の文言すらなくなっています。

  私は、浜松医療センター脳外科(脳精密検査外来)で認知症を恐れて受診する人たちに対して、脳機能検査や生活指導をしました。1985年ごろから始まったこの外来は、当時まだ日本にはなかった脳外科医の診断ということで、日本各地から年間約2000人という多数の受診者がありました。もう一つ特筆すべき点は、その受診者は正常者からセルフケアすらできないレベルまで、さまざまな重症度の人たちであったということです。(1997年退職)
  いま、さまざまな重症度と表現しましたが、一般的には認知症の重症度は周りの人の介護困難度で決まるともいえるでしょう。その時には人間関係が影響しないはずはないし、家族ともなれば長い歴史まで反映されることになるのです。ところが浜松医療センター脳外科では、もともと手術や投薬による効果測定は、発足当時からすべて客観的な脳機能検査をベースに行うのが当然でした。そのうえ脳外科的な検査設備はすべて整っていてCT、MRI、SPECT最終的には日本にまだ数台というPETまで駆使できる恵まれた環境で、脳機能検査という独自のツールを持って多数の認知症患者に対応しました。

  臨床の中でないとわからないことがあると思います。脳精密検査外来でクリアにわかったことを列挙すると
1. できなくなっていく脳機能に順番がある。
2. その機能に呼応した症状が緩やかに進行する。 
3. そのため病態も重症度に沿ってまとめることができる。
4. 改善するためには、早期発見が必須。(症状からではなく脳機能低下の初期をとらえる)
5. 高齢者がほとんどである。
6. 共通した生活実態がある。(何らかの出来事をきっかけにした無為な暮らしの継続)
受診者の累積数が積みあがるほど、90%以上が上記1~6に当てはまるという結果で、これこそがアルツハイマー博士の時代に老年痴呆(Senile Dementia)といわれた認知症の主流をなすものでアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病晩発型)というべきものだと確信しました。アルツハイマー博士の提唱した、若年発症や急激な症状悪化をきたすアルツハイマー病とは全く違う病態であることに注意してください。
7. 上記に一致しない場合は、珍しいタイプ。全受診者の10%程度。
①アルツハイマー病(アルツハイマー病早発型)。詳細後述。

②脳の器質的変化によるもの。慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍など。

③厳密な意味での脳血管性認知症。
後遺症がそのまま認知症症状となるタイプは、全卒中の5%程度。損傷部位もだいたい特定できる。認知症の定義は「いったん完成された脳機能が全般的に衰え、社会生活や家庭生活に支障が起きる」だが、「全般的」なのかどうかは脳機能検査をしてみるしかない。そのほとんどは卒中を起こした側を原因とする機能低下が主でそれはあくまでも後遺症。一般的に言われる血管性認知症は卒中後に後遺症に負けて無為な暮らしを続けた結果、後遺症以外に脳機能低下をきたし、全般的な脳機能低下を起こしているもので、このタイプは、血管性認知症ではなくアルツハイマー型認知症。

④入力障害が主症状の、感覚性失語症(卒中や事故後の後遺症)。
話すことは流暢でも、聞き取りが悪いので、頓珍漢な行動が多く認知症と間違えられる。

⑤卒中や事故を起こさないのに、左脳や右脳に変性が起こり、次第に機能が低下していく原発性失語、原発性構成失行。鑑別できる医療機関が少ない。

⑥新しく記憶することができない側頭葉性健忘症。
覚えられなくなった時がいつか、ある程度わかる。前頭葉機能が健全なのでその人らしさが保持されている。状況判断ができ恥じらい・抑制・創意工夫・ユーモアなど健在。

⑦付記。
③や④のように発症した時は、脳機能低下が限局的であっても、自信を失ったり大事を取り過ぎたりして無為な生活を続けることが多く、脳全般の機能低下につながることになって、アルツハイマー型認知症になっていくのです。もちろん⑥の側頭葉性健忘症も同じです。ここからも脳機能検査を行って、早期に状態を把握して、適切な生活指導が必須ということがわかります。

  エイジングライフ研究所が、全国400以上の市町村で指導展開した認知症予防活動を通じてもアルツハイマー型認知症は90%を超えました。そのほとんどが高齢者のため、分類の問題は「若年性認知症」に集約されます。
  次に、厚労省のスタンスを見てみましょう。
 「若年性認知症支援のガイドブック」によれば、下表のように20歳や30歳未満の「認知症」者がいることになっています。もちろんアルツハイマ―病(早発型)も皆無とは言えませんが、あまりにも発症者が稀ですから、これは、多分事故による後遺症を持っている人たちをカウントしたのだと思います。(ごくごくまれに、年若くても脳卒中を起こす場合もあります。)


 種類のグラフです。厚労省(若年発症)
エイジングライフ研究所(全認知症)

  認知症の定義として「いったん完成された脳機能が全般的に衰え、社会生活や家庭生活に支障が起きる」といわれます。「全般的」なのかどうかは脳機能検査をしてみるしかないのですが、保険点数が低いなどの理由でほとんど行われていないのが現状です。脳にダメージを受けた後の後遺症は、損傷を受けた半側にとどまっている限りは、認知症とは言えません。このような基本的なことすら見ようとしないのが、我が国の専門家たちだということになります。
  付言すれば、認知症を専門にしている研究者は生身の患者に接することが少なく脳のアミロイドベータや神経原繊維変化や神経伝達物質などの「研究」に注力し、認知症専門医ということになればなるほど、重症化した患者を診ることになるでしょう。つまり、正常な高齢者がしだいにセルフケアもできなくなっていくという経過を無視し、世の中に存在している一般的な傾向からも遠ざかってしまいがちで、その結果がアミロイドベータ説に固執することにつながるのだろうと思います。
  厚労省による若年性認知症の内訳ですが、血管性認知症は、脳機能から判断する視点がありませんから、正確に診断すればそのほとんどは脳卒中後遺症でしょう。頭部外傷後遺症を認知症と呼ぶのは間違いです。前頭側頭変性症やレビー小体型認知症は基本的には高齢者に発症するといわれていますが例外はないといいきれないところから、カウントされていると思います。前頭側頭変性症は症状から診断するのが通常ですから客観性に欠けるといえなくもありませんし、レビー小体型認知症は死後の解剖所見から確定診断をしていたわけですからこの数値の信ぴょう性にも疑問が残ります。アルコール性認知症と診断するにはいくつかのステップが必要です。
  何もかもごちゃ混ぜにしているのはなぜかと驚くばかりです。理由は一つです。脳機能から症状を理解することをしないからです。厚労省のグラフでは表れていませんが、発症年齢だけで分類する厚労省のやり方によると、若年性認知症といわれている人たちの大部分は側頭葉性健忘症です。
  ただしこれを認知症と診断するのははっきり間違っています。その経緯をまとめてみます。

側頭葉性健忘症
 「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing About us without us)」これは2006年国連で採択された世界障害権利条約の合言葉ですが、「認知症者の声を聞いて」とか「忘れるだけだから、そこに対して寛容に」「急がせないで。失敗も許せるような社会を」などと「認知症」の当事者が、発言し始めました。この最初は1995年46歳で「認知症」と診断(誤診)された当時豪州政府高官であったクリスティーン・ブライデンさんでしょう。
  クリスティーン・ブライデンさんのデビューが鮮烈だったので、それに導かれるように側頭葉性健忘の人たちが声をあげたのです。日本でも、いろいろな方の講演が開かれたり、テレビ番組の特集があったりします。これは全部「認知症」ではありません。側頭葉性健忘症という認知症とは別の病態です。脳機能から説明すると、前頭葉機能は正常で、記憶に関する機能だけに問題が起こるのです。認知症のように徐々に進行するのではなく、「あのころから記憶障害が始まった」といわれることがほとんどです。もちろん少しずつは進行してどんどん問題が明らかになってきます。
  実は私のブログにもカテゴリー「側頭葉性健忘症」としてたくさん紹介していますので、興味がある方はぜひお読みください。すべてが本人または家族からの情報で書いてあります。https://blog.goo.ne.jp/ageinglife
  テレビも雑誌も「認知症」についてもっと正しい情報を伝えてほしいと願っているのですが、考えたら専門家が理解していないのです。脳機能からみるとすぐにわかることですが、症状からだけ見てしまうと側頭葉性健忘症の人の「記憶障害」だけ前面に出ている状態を「物忘れはボケの始まり」ということばに惑わされて「認知症」の初期と見誤っています。その時前頭葉機能は、万全なのです。前頭葉機能はその人らしさそのものですから、イキイキと自分の主張を表情豊かに自分らしく表現できることになります。ただその直後に自分の発言したことを忘れてしまいます。
「テレビで出てくる人と、うちのおばあちゃんは全く違う。とてもあんなことは言えない。どころか考えられもしない」という声は小さな声としては耳にしますが、大きな声にならないのは「権威あるマスコミが言うことだから間違ってないはず。おばあちゃんとは違うタイプの認知症なのかな?」と思い込んでいるのでしょうか。

アルツハイマー型認知症(アルツハイマー病晩発型)
  世の中でごく普通に見られるものです。高齢者が何らかのきっかけで、前頭葉の出番の少ない閉じこもった生活を続けていくうち、段々に脳機能の低下が起きてくる。あたかも歩かなければ筋肉の衰えが加速すること(廃用性委縮)と同じように廃用性機能低下が起きてくるのです。
  脳機能を測ってみれば、一目瞭然。最初に機能低下を起こすのは前頭葉。最早期では、前頭葉不合格でも、一般的に使われている認知検査では合格点になります。満点のことすらあって、その時には記憶力の検査項目には何ら問題がないということです。この時は社会生活だけにトラブルが起きるのです。次に、前頭葉機能の低下はさらに進み、認知検査でも次第に不合格になっていきます。一般的に「ボケちゃった」といわれるときには、前頭葉機能は測定不可。30点満点の認知検査MMSE でいえば14点以下、さらに一けたになっていきます。ここまでに7~8年はかかるでしょう。
とてもいいにくいのですが、認知検査で一けたにまで脳機能低下が進んでしまうと、時・所・人に対する見当識はズタズタです。
「時」は、今がだいたい何時ごろかはわかりますが、時によっては昼夜の区別がつかないために夜なかに騒ぐことになります。
「所」は、はっきり認識できなくて自分の家かどうかもわからないときがあります。落ち着かない状況が勃発すると徘徊…
「人」は、「どなたさまがわかりませんが、御親切にしてくださってありがとうございます」と娘に言ってしまい、悲しませることになります。
繰り返しますが、こういう状態になった時、世の中の人は「ボケた」とか「認知症になってしまった」というのです。
  こういう脳機能になってしまった人が、どのように状況判断や見通しをしてどのような希望を申し述べることができるでしょうか?

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」の「認知症の人が尊厳を持ち希望を持って暮らせる共生社会の実現を認知症の人や家族らの意見を聞いたうえで基本計画を策定する」ということは、側頭葉性健忘症の人々となら十分に考えられます。でも、側頭葉性健忘症は認知症ではありません。
  前提が大間違いということです。これは議員立法だったそうですが、議員さんの勉強不足というよりも、厚労省が若年発症を「若年性認知症」と安易に定義づけたことから問題です。そう指導した専門家集団の責任の方が大きいですね。

アルツハイマー病(アルツハイマー病早発型)
  生活実態にかかわらず、同じような生活を続けていて、無為な生活をしていないのに急にトラブルが発生し始め、社会生活がすぐに不可能になる。とんでもなく若い年齢で発症する。一旦発症すると進行が速い。脳リハビリが奏効しない。
 このタイプこそが、アルツハイマー博士が、臨床上、若年発症と進行が速いなどの特徴があって、それが普通のSenile Dementia(老年痴呆)とは違うということから命名したアルツハイマー病そのものです。浜松医療センター脳精密検査外来の数千人の受診者の中で、このタイプは数十人しかいないのです!(残念ながらきちんと統計的な処理をしていません)
  このタイプは本当に珍しいので、国立精神神経センター(当時)で遺伝子検索もしていただきました。そのほとんどは孤発型といって、突然発病するタイプでしたが、私の記憶している中では2例だけ、家族性アルツハイマー病の患者がいました。
「父親や叔父叔母が同様に歳若くしてボケてしまった」という情報から存命中の叔母(父の妹)の方の遺伝子検索まででき、遺伝子異常が発見されました。
 もう一人の34歳の男性は、年長の親族にはアルツハイマー病の発病者はいなかったのですが、血縁である弟と一人娘の遺伝子検索をしました。弟には遺伝子異常がなく、一人娘には見つかってしまいました。その娘さんが発病する可能性がある20〜30年後には治療も確立されているだろうと淡い期待を持ったのですが、いまだに治療法は確立されていません。付言すればこの遺伝子異常は、それまでは日本人にはないとされていて、アルツハイマー病は人種による発病の差があるという定説を覆すことにもなりました。
  アルツハイマー病と診断することは、治療法も確立されていない、進行が早く、2~3年で意思疎通もできなくなる、孤発型として発症しても遺伝していく可能性がある。などよほどの覚悟を持って伝えなくてはいけない診断です。それなのに、最近はアルツハイマー病と容易く口にしている人たちがたくさんいます。それは専門家であっても、マスコミであっても共通しています。
  原因は明白です。前述したように1960年代に盛んに行われた臨床病理学的研究から、終末期の脳の解剖所見が同一のものと断定され、アルツハイマー病早発型・晩発型ということにしたところからです。
 ここで重要なことは、病理学的研究ということは「死後」の研究ということです。アルツハーマー病(早発型)の人たちの剖検と、アルツハイマー病(晩発型)、正確に言うならばアルツハイマー型認知症の人たちの剖検の結果が、脳の萎縮・老人斑・神経原繊維変化と同様であっても、それが発病の原因ととらえるのは、無理があります。結果から原因を推理しているにすぎないと思います。
  最終段階だけ見ていて、病態の推移という観点がすっかりないのです。臨床で生身の人たちを見ていると、とても同じメカニズムとは思えませんでした。アルツハイマー病(早発型)の場合はあらがう方法もなく急速にその変化が押し寄せてくるのです。その変化は遺伝子に組み込まれていると考えた時だけ納得せざるを得ないようなものでした。一方でアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病晩発型)、の人達は、症状の進行が緩やかなだけでなく、早期であればあるほど生活改善の効果が顕著に表れる。その時老人班や神経原繊維変化や脳の萎縮が大きく変わっているはずもない。とすればこれらの変化はむしろ老化の必然と考えられないでしょうか。
  死後の解剖所見からは、原因究明は無理があることを思いつく研究者はいないのでしょうか?

この認知症基本法成立に合わせるように、「オレンジランプ 39歳、パパが認知症?どうする、私!」という実話をもとにした映画が上映されました。私は「これは側頭葉性健忘症に違いない」と思って見ましたが、その通りでした。「オレンジランプ 39歳、パパが側頭葉性健忘症?理解しました、私!」なのです。
「(若年性)認知症」ではなくほんとうは「側頭葉性健忘症」です。
  世界中で誤解している「若年性認知症」どうすれば誤りを正すことができるのでしょうか?
 なかなか、この原稿が書きあがらずにいたのですが、衝撃的なニュースが8月26日飛び込んできました。なんと政府は来年度からの認知症対応国家プロジェクトとして、「認知症克服へ200億円超。創薬や神経再生研究強化」へ舵を切ったそうです。マーモセットを使って研究をするそうですが、マーモセットには前頭葉機能はないのです。
  脳の使い方としての生活習慣病という認知症の本質からかけ離れないことと、予防ができることを国民に知らせることが、最も大切で国民からも求められていると思います。

「前頭葉機能」がリエゾンしてる―エカテリーナさんのライブ

2023年08月11日 | 前頭葉の働き
友人からお誘いがありました。
「備屋珈琲店のライブに行きませんか?日曜日と月曜日の15時から伊豆高原在住のエカテリーナさん(ロシア人の歌姫)がエレクトーンを弾きながら、レパートリー豊かな音楽を届けてくださる。語りも素敵なの」と聞けば喜んで行くに決まっています。
ここ2回、前頭葉機能について語ってみましたが、ライブでエカテリーナさんの歌声を聞いて、今回また別の視点から前頭葉機能について考えることになりました。

元々は斎藤真知子さんの「第37回音の宝石箱(二胡の演奏会)」に行って、二胡の大きさの違いやオクターブの差で受ける印象が全く違う…当たり前のことですが、実際に耳で聞いてその比較ができたことが面白くて、身近な生活のなかで前頭葉機能が発揮された具体的なシーンを改めて「比較」してみたのでした。
「比較」の先には「選択」「決断」「軌道修正」と続きます。私たちの生活は、小さい事柄であってもこれらの段階の繰り返しで成り立ってることから、話はポーンと飛んで、小ボケ(前頭葉機能だけがうまく機能できていない状態)の人たちの生活指導の具体的状況をまとめてみました。前頭葉機能が日常生活の中でどのように働くかを並べて、前頭葉機能の理解をしていただくためでした。そして今日は前頭葉を理解してもらう別の切り口でお話してみます。

前頭葉機能が「脳の司令塔」という表現はとても適切です。
人柄の違いを表すときによく言われる「十人十色」ということばがありますね。この色の違いは、前頭葉の違いそのものから生まれるということはどうでしょうか?想像できますか?

以前勤務していた病院で短い間対応した患者さんのことを思い出します。職業は結構有名な歌手です。
事故の後、前頭葉だけにダメージを受けた状態でした。運動麻痺はないし、通常使われる知能検査では合格。つまり左脳は効いているので普通に話したり読んだり書いたりはできるし、右脳も問題がないので着衣食事入浴トイレなど日常生活上にも何の支障もありません。
ただ何かちょっと変…なのです。
私が脳の機能検査をしている時のエピソード。
腕時計を見せて名前を言ってもらう時に「Watch(とても正確な発音)」と答えたので「そうですね。英語で言うとウオッチ(日本式発音)ですね。日本語では…」と言いかけたら「No,no!ウオッチじゃなくてWatch」と言うのです。テスト最中ですよ。やりとりとしていくら正しくても、状況判断は間違っているとしか思えません。こういうシーンが何度も繰り返されました。

脳リハビリの一環として、持ち歌を歌ってもらいました。あの時の衝撃は前頭葉機能を考える時にはいつも蘇ってきます。
音程もリズムも正確。もちろん歌詞も間違えてない。なのに、その人らしさが全然ないのです。
昭和の時代の話ですから、歌手にはそれぞれ持ち歌があって、歌を聞くと歌っている歌手が見えてくるものでした。たとえ、その歌手が他の歌手の持ち歌を歌ったとしても、その歌っている人は誰であるかは当然のようにわかるものでした。
歌詞でもメロディでもなく、歌手の持っている個性が全面に出てくる。これは歌だけでなく、楽器演奏でもプロになるとその人らしさが表現できるものだと思います。むしろそのレベルに達さなければ、どんなに正確に演奏できてもプロとは言えない…

歌に戻って、こういうことを考え始めると、ボーカロイドは避けて通れません。初音ミクの歌を聞いたときに、いかにも作られたものという感じで「まあ、お遊びとしてもすごい時代になってきたものだ!」というのが正直な感想でした。
ところが、美空ひばりが「新曲」を歌うという、AIを駆使したプロジェクトが展開され、その過程も詳しくNHKで放映されましたからご存じの方も多いでしょう。賛否両論。コアなファンは涙を流し、ある人はこれは冒涜だと怒りました。
開発者たちは本当に真摯に「美空ひばりの声」を追求し、結局のところ正確な「声」を再現できても「歌」の再現にはさらなるいくつものステップが必要だということを強調していました。
「歌」を再生するためには、音源としては「歌声」ではなく「話し言葉」の方が適切ということにも興味を惹かれました。「歌声」には多くの美空ひばりさんの技術というかテクニックというか、その時その時にどうしても表現したい、彼女にしか出せない揺らぎがあるのでしょう。その揺らぎを生むのがまさに前頭葉!だから再現には気の遠くなるようなステップが必要だということですね。このプロジェクトは検索してみたら2019年のことでした。

さてエカテリーナさんの歌に戻りましょう。
一曲目の歌声を聞いたときに、「この歌声には秘められた人生がある。多分どうしようもない状況を切り抜けてきたというような…」
二曲目「You raise me up」の後、「皆さんに助けられました」という語り(見事な日本語です)を聞いたとき、「私の感じたものは多分間違っていない」と思いました。
45分間のライブは、バラエティに富んだもので、演じているエカテリーナさんも聞いている私たちも、それこそあっという間の充実した時間を過ごしたのです。
「3か月のつもりで始めたこのライブが、もう2年を超えているのは、すばらしいこと。人とのご縁としか思えません」というようなお話もありました。

エカテリーナさんの「歌声」からはテクニックというより生きてきた人生の悲しみや喜びがにじみ出てくるようでした、
そのことそのものにも感動し、実はそれをキャッチできた私の前頭葉にも、ねぎらいの言葉をかけてやりたくなりました。前頭葉は実際に生活して、その行動や感想を通じて自分で評価して、初めてその経験を自分のものにすることができるものですから。長く生きてきたかいがあったとちょっと思ったのです。









「比較」から「選択・決断」へ―前頭葉機能は脳の司令塔

2023年08月07日 | 前頭葉の働き
前回のブログ「日常生活での『比較』で前頭葉機能を活性化」に対して「音の宝石箱」を主宰してしらっしゃる斎藤真知子先生からコメントをいただきました。
文末の一文「普通に暮らしていても、ちょっと立ち止まって物事の違いに関心を持つことは、次の行動を考えることにもつながり間違いなく前頭葉の活性化になると思います」に対して「音の宝石箱の楽器紹介シリーズが正にそれだと思いました!どうしてもピアノと比較してしまうのですが、それで良いんですね! 」と。(今日はニューヨークランプミュージアムと近所の花をあげています)

前ブログをアップしてから「言葉足らずで我田引水かなあ」と思っていたのですが、具体的な例でお話しする方が、読者の方がそれぞれご自分に引きつけて考えてくださるということを感じさせていただいて、感謝です。
ここしばらく前頭葉のことを考えていました。
世の中は前頭葉機能の理解が、不思議なほど、進んでいないような気がします。「研究」ということになると、客観的とかエビデンスとかが要求されるので、どうしても細かく条件を詰めていく必要があります。そのやり方だと私の印象としては「木を見て森を見ず」だとしか思えないのです。前頭葉機能はまさに「森」。

前頭葉機能というのは、左脳後半領域「読み・書き・計算」、右脳後半領域「形や音の模写」などのいわゆる認知機能といわれるものとか、「体を動かす」ことなどの機能を「どう使うかを決める機能」を担っています。脳を動かす指令を出すところ、脳の司令塔なのです。
どうしても複雑になるに決まっています。

指令を出すためには、
①脳後半領域から受け取った刺激の内容の理解が正確である必要がある。(注意集中力に欠けると、上の空状態になって理解が浅いまたは間違える)
②今、自分が置かれている状況の理解が正しくできている。
③そのうえで、見通しを立ててどうすべきかシミュレーションをする。
④その次に「決断」という段階になる。
⑤決断の結果を脳の後半領域に指令する。
⑥もしもそれが間違いだと認識したら(それも前頭葉の働き)修正する。

細かく書いてしまいましたが、仕事上必ず決断が求められるとすぐ想像できる現役の世代だけでなく、第2の人生といわれる状況でも日常生活はこういう些細なことの決断で成り立っていると思いませんか?

閑話休題。
小ボケというのは、認知症の本当の始まりの段階です。誰にでもある前頭葉機能の正常老化に加えて、無為な生活の継続による異常な老化の加速(廃用性機能低下)が生じて、前頭葉機能だけがうまく働かなくなった状態なのです。通常行われる認知機能検査では正常域となるために専門家の間ではむしろ理解されていないというレベルの人たちです。
小ボケの人たちに対する生活指導の時、「定期的な運動の他、右脳中心の変化ある楽しい生活を工夫しましょう」という一般的な脳リハビリの他に「『何かを決める』状況をできるだけ多く作ってください」といいます。これは小ボケのレベル特有の指導です。中ボケレベルでも難しい課題ですし、大ボケではとても決断できる能力は備わっていません。

小ボケになると、決断に必須の注意分配力がうまく機能しませんが、その前段階の注意集中力や意欲も極端に低下しています。決断を求めると「どっちでもいい」「面倒」「任せる」という反応が返ってくることがほとんどです。
具体的に言うと
①「おやつは何にしますか?」
→「うーん…別に」「何でもいい」「太るからいらない(袋菓子のつまみ食いはしているのに)」
②「夕食は何が食べたい?」
→「何でもいい(作ってくれるだけでありがたいor作るのはあなたの仕事!」
③同じ服ばかり着るので「着替えたら?」
→「今更おしゃれしなくても」「何でもいい」「歳とるとあまり汚れない」
④久しぶりに外出に誘おうと「行きたいところはない?」
→「面倒くさい」「この暑い(寒い)のに」「外出は後で疲れる」
⑤居眠りばかりするので「何かやったら?」
→「後で」「今日は調子が悪い」「歳とると言うのは…」と言い訳を並べ立てる。


会話としては成り立っていることがわかっていただけますか?そばからみると何も問題はないような問答ですよね。
浅い状況判断は、多分習慣的なものとして残っているので、それなりの反応ができるのですが、誘っている側の真意が伝わっていません。だから小ボケの人のお世話をしている人は、やり場のない怒りに近いじれったさを感じることが多いのですが。
この状況を脳機能からみるとまさに脳の司令塔が万全に働いていない。
最初に書いた前頭葉の働き①~③が動いていませんよね?こういうふうに理解することは、その人を理解するうえで最も大切な近道だと思います。


前頭葉が元気がなくなっている状態で「比較」して「決断」を求めることはとても難しい課題です。簡単にしてあげる近道は「具体化」してあげることです。
①「スイカと水ようかんとどっちがいい?」より簡単にするなら現物を見せて選んでもらう。
②「今日は魚でいいかな?脂ののった○○の塩焼きか、さっぱりと白身の○○の煮つけ。」少しエピソードを足して選択をしてもらう。
または、スーパーに誘って売り場で見て決める。
③二枚出して、どちらかを選んでもらう。決まったら認めてほめる(最初の二枚は、どちらを選んでもほめられるものを用意しておく)。
④具体的に、「あそこのカフェでお茶を飲むのと、少し遠出して○○に行ってみるのとどっちがいい?」
⑤「パズルやってみる?オセロの相手をしてもいいよ。どっちがいい?」

言葉のレベルで「比較」するのではなく、より具体的にイメージできる状態を作ってあげる、その究極は目の前にある現物を比較して選択できるような状況を作ってあげることが一番簡単です。
それでも、まず上の空ではなくじっくり見てもらう、そのうえでシミュレーションまでいかなくとも、せめて好悪をはっきり感じて決めてもらう。こういうときに、とてもプリミティブですが前頭葉は動き始めます。小ボケは前頭葉が居眠っているようなものですから、こうして揺り動かしましょう。
最終的には前頭葉は、その人そのものなのです。十人十色といわれるときのその「色」が前頭葉です。何を選択し、何に感動し、何を作り上げるか、究極のところ何のために生きるのか…すべて前頭葉が決めていきます。そしてその前頭葉はどのように生きてきたかによって「その人らしく」できあがっていきます。
教えられただけではなく、実際に自分が行動して自分なりの評価も行って自分の色が深まっていくのです。
だから、認知症の第一段階、前頭葉機能だけが低下した小ボケの段階では自覚としては「自分らしくない」、そばの人の評価としては「○○さんらしくない」といわれることになります。
カテゴリー「前頭葉の働き」にはたくさんの症例をあげてあります。お暇なときには読んでみて、前頭葉機能と認知症の本当の始まりの状態を知ってほしいと思います。






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