脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

師走の散歩から血管性認知症を考える

2022年12月14日 | 認知症からの回復
自宅から歩いて10分10たらずで、城ヶ崎海岸のいがいが根というところに出られます。4000年前大室山が噴火して溶岩流が相模灘に押し出された時、溶岩の表面が冷えて固まって「いがいがに」砕けたらしいです。城ヶ崎海岸のハイキングコースの中でも珍しく広々として、海の向こうには伊豆大島が全景を見せてくれます。
夕方に散歩をしていて、思いついて寄ってみることにしました。いがいが根からの右の景色に息をのみました。今、日没。

何というタイミング。目を戻すとこれもまた絵のような光景が。

静岡県に住んでいますから、ちょっと車で動くと富士山に出会うことができます。車で移動した先で歩くということも変化があって楽しいものですよ。

遠くの富士山に傘雲発見。

散歩をテーマに考えるときにいつも思い出される方がいます。
軽い脳卒中を起こした男性で、軽い右マヒと上手に話せないという後遺症が残りました。この後遺症は、あくまでも脳が壊れたことによって起きてしまった、いわば受け入れざるを得ないものです。その方は入院中、その後のリハビリ病院でも懸命にリハビリに励み、当初の予測よりもより良い状態で退院することができました。
ところが、退院後の生活がその方の脳に別の問題を起こしてしまいました。病院では「家に帰るまでには少しでもよくなろう」とあんなに頑張ったのに、退院後はその目標がなくなった…マヒが残っている以上思い通りに外出はできません。はたから見るとそうでもないのですが、本人はしゃべりにくさが残っていると訴えます。「だから人の中には出られない…」
結局家に閉じこもる生活になってしまったのです。そうしているうちに家族が気付きました。
「意欲がなくなって寝てばかりいる」気になりながらも「脳卒中になったんですもの仕方ないかも」と思い直します。
でも、同じことをまるで平気な顔をして何度も話す。会話に入ってこないし、かと思うと唐突に違う話を始めてしまう。第一、表情がない!
「これはいくら何でも、何かが起きているかもしれない」
そう思いながらも、かといって、日常生活にはさして問題はないし、それどころかたまには、「その通り!」というような発言もあります。
家族は「後遺症なのか、それともボケが始まってしまったのではないか」という二つの思いの間で揺れ動くくことになりました。
たまたまその町の保健師さんに相談してみたのです。この保健師さんが、二段階方式をよく学んでいてくれたので、丁寧な説明ができました。
1.軽いマヒとしゃべりにくさは、今回の病気の後遺症で受け入れるしかありませんが、入院中にリハビリをがんばったように使い続けていないと、運動機能だけでなく脳機能も低下してしまうことになります。
2.意欲低下や、状況判断の悪さ、感動のなさなどは病気の後遺症では説明できません。病気でダメージを受けたのは左脳。今気になる症状は前頭葉の機能低下ですよ。
退院後の、目標や楽しみがなく変化のない生活で、前頭葉が元気をなくしてしまった状態です。
3.何をやるか一緒に考えましょう。まず散歩。
そこまで言ったところで、「散歩ならやれます!」と奥さんが応えてくれたそうです。

少し不自由があるので、夕方になって散歩に出かけます。河原の葦がちょっと茂っているところにつくと、二人で大きな声で歌を歌ったというのです。
言葉に支障があっても、歌うときには苦も無く発声できるということはよくあることです。
音楽の右脳は、ダメージは受けていないのですから音がずれるようなことはありませんし、歌う喜びを充分に感じることができます。
たまたま、夏の前だったのでこのような試みが無理なく実行できたのです。
そしてだんだん日が短くなるころに、家族がまず気づいたことは表情がよくなったことだといいます。

表情とともに、居眠りが減り、反応が機敏になってきました。同じことを繰り返ししゃべったり尋ねたりする(私はオルゴールシンドロームと名付けています)傾向にもブレーキがかかり、家族は改善を確信したといわれました。
テレビなどでよく言われていますが、臨床の先生方が「脳卒中を起こした後に認知症を発症する場合、これは血管性認知症と分類されるものなのですが、興味深いことに半年くらい後から起きてくることが多いのです」

半分正解。半分不正解!
「脳卒中後に認知症を起こすのは、半年後」これは正解です。臨床の先生だからこそいうことができる、正しい観察だと思われます。
「脳卒中(脳の血管が詰まったり出血したりした)を起こした後から認知症が発現したので、血管性認知症という」これは大間違いです。この診断が大手を振ってまかり通っています。
脳卒中後に支障が生じるのは、ダメージを受けた脳の場所が担っている機能で、これは後遺症というべきものです。
認知症の定義に「いったん完成した脳機能が、全般的に能力低下を起こし、社会生活や日常生活に支障を起こす」という表現があります。脳卒中の後遺症はそのほとんどは片側の脳機能低下で説明されるので「全般的に」ということに抵触してしまうのです。
ごくごくまれに特殊な部分に脳卒中をきたしてしまうと、激しい記銘力障害や見当識障害が発病直後から起きてしまいます。この二つの症状は認知症の症状ですから、これこそが血管性認知症と呼ばれるべきものです。これは脳卒中の数パーセントしか起こらないものです。

まとめましょう。
脳血管性認知症といわれているケースの場合、その大部分が、実は退院後の生活が「趣味も生きがいなく、交遊も楽しまず、運動もしない」ナイナイ尽くしの生活になってしまい、脳をイキイキと使わないための廃用性の機能低下をきたしたものであるということです。
これは、私たちが言うアルツハイマー型認知症の発病の経過に他なりません。その人が喜びや意欲を感じられるようなイキイキとした生活を取り戻すことによって、後遺症があってもその人らしい人生を全うできるということに早く気づいていただきたいと思います。
脳卒中の後遺症を抱えながらも、個展を開く人、ボランティアに励む人を見てください。例外なく充実した毎日を過ごしています!




認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。


「心配させる」ことは認知症予防になる?

2021年12月18日 | 認知症からの回復
友人からメールがきました。
90歳を超えたお母さんと弟さんが二人暮らしをしている実家のお話。弟さんは特別な技能があるらしく、コロナ禍以前から在宅勤務をしていると聞きました。とはいえ親と同居の息子の例にもれず、食事は一緒でしょうが基本は自室でお仕事。そんなにおしゃべりなタイプでもなく、よく言えば、独立した関係。言い方を変えれば触れ合いは最低限でしかないでしょう。一人だけの娘である友人は、月に二度は車で数時間かかる距離にも関わらず、顔を出して何くれとなくお世話をしているのです。
(写真は12/17散歩中に伊豆高原の青空を探しました)

病院や買い物に連れていったり、庭仕事、細かい掃除、かたづけ等々。娘だからこそできるお世話の話をよくしてくれました。
さて、メールの内容です。
「弟が、持病の糖尿病が悪化して、入院しなくてはいけなくなりました。検査をして、その後教育も受けるようですから1週間程度だと思います」
続いて「これで母も、気を引き締めないといけない。気を配らないといけない。とにかくこうして心配せざるを得ない状況になることで、淡々とした日常に刺激が増えますよね。認知症予防になるかと思ってます」
「心配といっても、弟の病気は糖尿病ですから、大したことはないし…」という気持ちが言外から伝わってきました。

「一概には言えません」と慌てて返信しました。
世の中の人たちが体験的に獲得した常識は、よくことの機微を穿っていることが多いことは認めます。でも、間違った常識が広まっている場合もあるのです。

「ボケさせたくないから、少しは心配させないと」と笑いながら、深夜の帰宅や多量の飲酒を正当化する、中年になった息子たちのなんと多いことか。
多分、そういっているときには、常識に沿ってる考えだと確信してるようなのです。
もうひとつ。「指を使うと脳にいいんですよね?だから雑巾を縫うように言ってます」この常識。
更に「ボケさせたくないので、ドリルを毎日するように言い聞かせてます。言い聞かせないとなかなかやらないので、どうしてもちょっと厳しく言うのですが、ピリッとして脳には効果的かと思っています」この通説。
全部間違ってます!

脳は、楽しくイキイキと過ごすとき活性化されるものです。同じ長さの時間を過ごしたとき、「あっという間に時がたってしまった」と思う時がありますね。それはどんな時でしょうか?
講演の時に皆さんに質問すると「そりゃあ楽しい時に決まってる」という返事が返ってきます。これは常識に縛られていることではなく実感ですよね。
その通り。

人によって「楽しさ」はいろいろあると思いますが、悩みや苦労に打ちひしがれている時ではないことは当然です。
今お話ししてるのは高齢者に対する考え方ですよ。子どもや若い世代は苦労を乗り越えざるを得ないときも、歯を食いしばるような努力を求められることもあるに違いありません。
いっぽう、第二の人生に入った高齢者は、脳を元気に持たせることは本人のため、家族のためそして国家のためでもあります。
私たちにできるその近道は、高齢者が楽しく感じる時間をできるだけ持てるように配慮する。生きがいを感じる手助けをする。というようなことになります。
先の「手を使うとボケ防止になるから、雑巾を縫わせる」ということで考えてみましょうか。
雑巾を縫うことが楽しみになるような工夫が必要ということです。
例えば、こぎん刺しのように縫い目を変えてみることを勧める。最初はモデルを見せてあげる必要があるかもしれません。そのうち縫いたい模様が思いつけば大成功。(時間がすぐにたってしまうでしょう?)
生地を白地にして色糸で縫うというもあるでしょう。
一枚を縫い上げるとお金を支払うことだって効果的なこともあります。
「手縫いの雑巾を待ってる施設があるから、縫ってあげて」このような働きかけは一番効果的かもわかりません。

心配をさせたり、苦労を掛ける状況に置くのではなく、できるだけ楽しく生きがいを感じられるようにサポートしなくてはいけません。
絵に描いた餅と言わないでください。工夫するのはこちらの前頭葉訓練でもありますから。
このケースの場合でも、心配になる状況を支える姿勢があるのとないのとでは、全く違います。
「気がかりかもしれないけど、これから先の方針を決める為の精密検査でしょ。先生から説明してもらう方が本人も理解しやすいし、ここで方針が決まることは大切なことよね。私たちも勉強して支えてあげることもできるでしょう?心配するより新しい情報を待ちましょう」
もっと状況がシビアな場合でも、基本の考え方は同じです。
心配をさせる方向に向かうのは、絶対に避けるべきです。

一つのエピソードをお話します。
講演の後、60歳くらいの男性が近づいてきました。
「ボクは大きな誤解をしていたようです。会社を経営しているとどうしても帰宅が遅くなってしまうんです。そうすると母がすごく心配するので、心配させることも一種のボケ予防だと思ってましたが、間違いだったのですね。それに母は小ボケらしいです。だから何か刺激と思っていたのですけど、わかりました。ちょっと考えてみます」
経過の報告がありました。
「夜早く帰るのは無理だから、帰ってから母と二人でゲームしたんです。おセロや花札。はさみ将棋もしました。そうすると夜が遅くなってもボクの帰宅を心待ちにしてくれて、信じられないくらい嬉々としてゲームを楽しむんです。そのうちに何だか気がかりだった小ボケの症状も改善してきたんです」

ついでにどういうことが気がかりだったか尋ねてみました。
「表情がなく、話し方にも力がない。そして、こちらの言うことを聞いてないように同じことを言う。自分から何かを積極的にやることがない。あの明るく溌剌としていた母とは別人のようだったんです。おしゃれもしなくなっていたし」
ちなみに、これはみんな前頭葉機能が低下したときに起きる症状です。つまりたしかに小ボケだったのですね。
追加の質問をぶつけてみました、
「何がきっかけでこういうふうになったのですか?」興味深いことにこういう問いかけで、家族は脳の正常老化にかぶさって、老化のスピードを速めることになった「きっかけ」を教えてくれるものです。
「そろそろ2年になるのですが、父が亡くなったことだと思います。息子から言うのもなんですが、仲のいい夫婦だったんです。一人になって本当に寂しかったんですね…それなのにきつく言う方がピリッとしていいと思っていたなんて。早く手を打ててよかったです」


兄のことー前頭葉の話

2018年07月17日 | 認知症からの回復

先月亡くなった兄のことを、パワーポイントにまとめてみました。
来週小布施町へ行きますので、その時にお話ししようと思ったのです。

理由はあります。兄が「小ボケの怖さ」「脳リハビリの大切さ」を実感してくれて、「ぜひぜひ皆さんに伝えるように」といってくれたからなのです。

脳がイキイキと働いてくれるということは、とても幸せなことです。せっかく生きているのですから自分らしく生きていかなければ・・・
その時のカギが「前頭葉」です。「前頭葉」こそ自分らしさの源です。
どの道を選択し、どのように生き、どのようにその生き方を評価するか。
何に興味を覚え、何を喜び、何に感動するか。そのすべてを、自分の前頭葉が決めていきます。

前頭葉機能について、エイジングライフ研究所のもう一つのブログで説明してありますのでご参考までに。(2月15日公開)
脳の司令塔の役割を担う「前頭葉」には人間に特有な数多くの高度な機能が備わっています。その「諸機能」とは、観察、分析、考察、洞察、推理、理解、興味、発想、企画、計画、工夫、創造、予見、シミュレーション、整理、機転、抑制、感動及び判断等の認知機能A
並びにそれらの認知機能を発揮する上での「機能発揮度」の基礎となる「三本柱」の機能ともいうべき「意欲」、「注意集中力」及び「注意分配力」の機能(B
及びそれらに加えて最終的な実行内容を選択し決定する上で不可欠な機能である「評価の物差し」としての「評価の機能」C)などに区分されます」

「小ボケ」は その大切な「前頭葉」が元気をなくしてしまっている状態です。
兄の場合は、自営していた会社の経営実権を長男に譲った直後に、血糖値が急に上昇して緊急入院したことで、退院後にそれまでの生活を一変せざるを得なかったのは、容易に想像がつきます。
仕事が好きだといつも言っていた兄。
自分で起こした会社の経営に心を砕いていた兄(つぶさないようにするだけでも大変だったことでしょう)
男性なのに甘いものが好きだった兄。食事の楽しみも制限されてしまった・・・

入院中の兄と花火を見ながら「このままでは、危ない橋を渡ることになる。生活を変えて三頭立ての馬車がいつも走っているようにしなくては!まず歩いてね」と話したのです。(2010年8月)

Photo

そのターニングポイントから1年たったころに、母の法事で兄に会って、私は兄の前頭葉機能がはっきりと低下していることがわかりました。(2011年8月)

家族は
「なんだか元気がない」「おんなじことを言う」
「動きがモタモタしている」「根気がなくなった」
「よく居眠りしている」などと気にはしていても、
「もう年だし、長い間苦労してきたのだから。ご苦労様でした」という気持ちが先に立って、兄が何もしないでいてもそっと見守る状態だったと思います。
その気になって、自分のしゃべりたいことをしゃべる時には、まるで以前と変わらなかったはずです。
この時の兄のレベルでは、まだまだ世間の皆さんも前頭葉の機能低下が起きていることには気づかなかったと思います。もう3年もすればひそかに噂されるくらいでしょうか?
はっきり「気の毒にボケちゃったんだって」といわれるまでには、まだまだ6年も7年もかかります。

「今生活を変えなくては!」「脳を生き生きと使わなくては・・・・・ボケちゃうの!」
1年前と同じ私のことばを兄はよく聞いてくれました。私と兄だけが危機的な状況を理解したと思います。早いほど、脳機能低下の自覚があり、改善が楽だからです。(スライド内の・・・は絵文字です)

20119













それから、交換メールが始まったのです。
最初は数字だけ(そう私が言いました)
9月17日477歩。16日1839歩。15日2538歩
16*183915*2538とつながっていたので、ちょっとパズルを解くような気分でした兄のメールは全部保存していましたが、私の返信メールは10月末までありません。
1か月半経つと、慣れないせいか携帯のミスタッチもありまだパズル状態ですが、歩数のお知らせだけでなく、私に話したくなった兄の気持ちが伝わってきます。。(「・・・」は絵文字)

1年後(自然への思いに溢れて)              

201210

約2年後(目標歩数は6000歩でした)
20138

短いメールの中に、会社の皆さんや家族への感謝や、今の社会に対する不満や、経済のこと、選挙の見通し(兄は選挙好きでしたから)、思い出など様々な話をしてくれました。
出会った動物たちとの交流も兄らしい一面でした。散歩中にイヌやネコと出会うことをとても喜び、「アンパンを持って行ったのに来なかった」とかウグイスの鳴き声の変化を追ったり、キジやシカに出会った時などは、兄の興奮が伝染しそうでした。

201312

前頭葉は意欲的なのに、体が言うことを聞かないもどかしさを訴え始めたのは9月半ば。入院はしたもののはかばかしくなく病状は一進一退。兄は、歩けないことをとても残念がりました。
私は海外に行っていたのでしばらく返信できずにいる間に、12月に入って間質性肺炎の診断を受けたのです。その後転院して精密検査を受けたら胃癌も見つかり・・・あっという間に亡くなりました。1月25日でした。
でも、そんなにつらかったとは。

亡くなった時に、お医者様が
「そこまで元気に生活ができたのは不思議なほど」といわれたほど、病魔は巣食っていたらしいです。

Photo

体の健康があっての人生ですが、どんなに健康な体があっても、その体を使って生活するとき「私らしくありたい」と思いませんか?
繰り返しますが私らしさの源は前頭葉です。

兄は小ボケから見事にカムバックを果たし、兄らしい前頭葉を取り戻すことができました。家族の働きかけもありましたが、脳リハビリのベースを支えたのは「毎日歩いた」ということだけです。
認知症を治すには、早く見つけること、そして脳を使うという生活改善(一番簡単で効果的なのは歩くこと)がどんなに大切なのかわかっていただけるでしょうか?
兄は人生のラストステージで確かに兄らしい生活を送ることができました。けれども体は病気に勝てなかった・・・

「体のことはみんな言うけど、脳の健康が大切だと、講演の時に皆さんに伝えて」と、兄が上のように言ったのは去年の夏でした。(初掲載2014.2.2)

 

 

 


戸畑高校天籟同窓会―右脳刺激の場として考える

2017年08月14日 | 認知症からの回復

北九州市戸畑区。私が生まれて高校卒業まで生活した町。懐かしい…大好きです。
戸畑高校の同窓会は、学校のあるところにちなんで天籟同窓会といいますが、去年から戸畑高校天籟同窓会関東支部長になりましたから、本部総会に勇躍出席!
九州は遠いですね。今回は飛行機にしました。東京は曇りでしたが、だんだんに眼下が開けてきて、瀬戸内海上を飛んだ時には本四連絡橋が全部見えました。これは明石海峡大橋です。

会場は小倉駅前のリーガロイヤルホテル。300人以上の出席者に対応するには大きなシティホテルでないと無理でしょう。
銀河鉄道999のメーテルと星野哲郎が出迎えてくれました。そう言えば松本零士さんは福岡県出身ですね。


会場の様子など写真は撮れませんでした。交流・歓談に忙しくそれどころではなかったので、と言い訳させてください。
全国知事会会長をなさった麻生元福岡県知事(同窓会名誉会長)とごあいさつしました。お願いして福岡支部長安田さんと関西支部長井上さんと一緒に写真を撮らせていただきました。

幕開けは、去年ユネスコ無形文化遺産に決まった戸畑祇園大山笠お囃子披露です。8回生青木勇二郎さん(80歳)が盛り上げてくださいました。実はこのメンバー全員を10月21日の関東地区天籟同窓会総会にもお呼びしてあるのです。

戸畑高校天籟同窓会は、旧制戸畑中学から続いています。その戸畑中学の第1期生として卒業なさった名誉顧問木下憲定さん(94歳)のごあいさつ。去年と変わらずお元気でした!

同窓会の世話人たちが集まると、「どのようにして若い人たちの参加を増やすか」というテーマでもちきりになります。確かに会の存続そのものに関わる問題ですから、いつも若い人たちへの働きかけは工夫し続けることになるでしょう。
ただ、同窓会に深くかかわることになって実感していることを書いておきましょう。
もしかしたら、同窓会は齢をとった卒業生にとっての、やさしい穏やかな脳活性化の場になりうるのではないかということです。
もちろん年若い、現職の人たちが異業種交流を求めて参加することもあるでしょうし、求めるつもりはなかったのに出会いが何かを生むことにもつながるでしょう。若くても、懐かしい友に会いたい人もいるでしょう。
ですが、高齢者に目を向けることにします。
とにかく、現職を退いて第二の人生がスタートした時に、趣味も交遊もない人たちはひなが一日家でボーと過ごすことになります。そのような生活を続けていると、脳は老化を加速していき、認知症への道まっしぐらということになってしまうのです。「出かけましょう」というと「どこへ?用もないのに」という返事が返ってきます。「楽しみごとを見つけましょう」には「今更。この齢になって」。
同窓会は、時を超えて「私の戸畑高校時代」という思いを共有できる場です。それは家にこもりっきりの人にとっては、ちょっとした安心感につながるはずで、次の行動へのステップになるだろうと思えるのです。
どこかへ出かける話になるかもしれません。何かを始めるきっかけになるかもしれません。
総会に出席した同期の友人は「戸畑高校ってこんなにいい高校だったって再認識した。感激しちゃった」といいました。こういう思いを感じられるのが同窓会なのですね。共通の思いをしっかり感じるところ、と言い換えることもできます。
その一体感を最も感じるときは応援団の演武と校歌斉唱でしょう。いつものように胸がいっぱいになりました…

この写真は、九州が見えてきたところで、国東半島と姫島。その西に北九州空港があります。
今回の同窓会出席には、もう一つの楽しみがありました。
当番幹事のM島さんから事務連絡の電話がありました。そして続けて「プライベートなのですが…」と話が続きました。
「高槻さんのお母さんが、私が通っていたそろばん教室に来られていたのです。私がそれまで少し長くそろばんをやっていたものですから『Mちゃんはほんとにそろばんが上手ねえ』と何度も褒めていただきました。それほどでもないのに、すごくほめてくださって。とてもうれしかったんです」
思い出しました!
「絹子ちゃんも通ったそろばん教室の長谷川先生と会ったら、『ボケ予防に教室に来ませんか。子供がたくさん来るので見てるだけもかわいいものよ』って誘われたから、行こうと思うんよ」と確かに電話がありました。
私は「すごくいいと思うよ~だって今更そろばんで身を立てるわけでもないし、上手になる必要なんてないでしょう。子供たちと一緒にいるだけでもワクワクしそう」というようなことを言った覚えがあります。
そして母から「かわいいお嬢ちゃんがいてねえ。賢くてそろばんが上手で(エイ!正直に書いてしまうと)絹子ちゃんのこどものころみたい。ほんとに教室に行くのは楽しいよ。そろばんはちっともうまくならんけどね」
今改めて思うと、この母の積極性はなかなか素晴らしい。確かにこういう脳リハビリの考え方もありますね。この行動が成立した底流には、「わが子がお世話になったそろばん教室」であるということが、一歩を踏み出すときのキーだったのではないでしょうか?
同窓会も、そのチャンスを秘めています。
小倉駅の銅像、キャプテンハーロックも。

そのころの母の年齢が、今の私くらい。そのころの私の歳にそろそろMさんがなるのでは?
不思議な感覚。
母のことも、そのときのやり取りもこんなにしっかり覚えているのに、母はいなくて今いろいろ思い出している母の歳に、私がなっているなんて。
なんだかうれしかった…そしてお会いするのが楽しみになりました。

総会後の記念写真。
M島さんのお家は食料品店。しかも私がよくお使いに行っていたお店です。60年を飛び越えて私のこと、覚えていてくださいました。私というより、私の中の母の面影を見つけてくださったんでしょうけど。
そのうえ、Mさんのお父さまが母の手紙をもってきてくださいました。
20年近く保存してくださっていた感動と、読みながらあまりにも母らしい文面に懐かしい涙が流れました。本当にありがとうございました。

 


「ボケって悪くなったりよくなったりするのね」と友が~部分的に正解!

2016年10月29日 | 認知症からの回復

友人が「ボケって治るのね」と話し始めました。
小ボケの症状2で紹介した方の後日談でした。3年前にお茶飲み友達や幼なじみが次々にいなくなり、体調も壊し何もしない日々が続いた結果、脳機能の老化が加速してしまって、小ボケになった90歳のおばあちゃんのその後です。あの時から3年たってます。
浜松市楽器博物館のディスプレイ(実務研修会会場です)

小ボケから3年たつとそろそろ中ボケも終わるころ、大ボケが見え始めるころになることが多いのですが、離れでの人暮らしを 継続されていたとのこと。
ということはまだ十分に中ボケのレベルを保っていたということです。
緩やかな進行の時は、「脳を使う生活がそれなりにある」ということを意味します。体調の回復に従って農作業は続けていらっしゃたことと、週1回のディサービスが始まったことが、脳を使う時間だったということでしょう。デイサービスはスタッフが上手にほめてくれたりして、楽しい時間だったそうです。

目覚ましい改善は難しくても、悪くならない状態は保てていたようです。低空飛行なりに安定していたのに、この夏事件が勃発。
「どうも調子が悪いから、病院に連れて行ってほしい」といわれて娘さんが離れに行きました。
「えっ、そんな恰好で病院に行くの?」と絶句。パジャマのまま!慌てて着替えさせて病院に行ってからまたひと悶着 。いつも入っているはずの保険証がない!、出かけるときに、いつも病院に行くときのバッグを持っていたので保険証の確認もしなかったそうです。ほんとにいつもそのバッグのそのポケットに入っていたのに。
保険証を探すために、離れに行った娘さんは愕然としたそうです。きちんとしたおばあさんだったのですが、部屋も雑然としていつものおばあさんらしくはなかったのですが、「体調が悪かったからかな」と思ったそうです。それよりも引き出しを開けて、そのあまりのぐちゃぐちゃさに声が出るほどだったとか。

診断は「熱も咳もないけど、軽い肺炎でしょう」ということでそのまま入院。
小ボケが終わるころから中ボケに入るくらいの状態で 、入院しても何かとトラブルを起こします。
検査のために飲食不可が守れなかったり、薬がきちんと飲めなかったり、訴えがしつこくて看護スタッフが困ったり。 
ちなみにはっきり中ボケだと、点滴を引き抜いたり、夜中に廊下を歩き回ったりします。となりの人の枕頭台のお菓子などを食べてしまうこともあります。
このおばあちゃんはそんな大きな問題は起こさなかったのですが、「早く退院したい。こんなとこにいたらボケちゃう」 とい言い続け、もちろん経過もよかったのでしょうが5日間でめでたく退院できました。
 
さて、退院した当日。「離れに一人で寝せるわけにはいかない」と 母屋で隣のお部屋に寝かせたそうです。
私はこのようなお話を聞くと「脳の機能が落ちているときには、家族はそのことがわかるのだなあ」と感動するのです。
入院の直前までは一人暮らしができていたわけです。多少気になることはあったでしょうけれど。
入院時のトラブルで、「えっボケが進んでしまったの!?」とびっくりしたことでしょう。でも病院では大きなトラブルは起こさなかったし、とにかく退院許可が下りてめでたく退院。それならば元のように離れに連れて行ってもいいようなものですが、何か気になるのでしょうね。

「脳がうまく働いていない」というとらえ方ではなくて、脳の働きの結果である「生活のやり方」に不安を覚えるのですね。
「夜中、ちゃんと寝てくれるかしら?」「お布団をかけすぎて、熱中症にならないかしら?」「トイレは?」などなど。
体が不自由になっていても脳機能が万全だったら、その人の判断や言われることを聞いてあげるだけで生活を支えることは簡単です。
その逆に、脳が万全に働いてない状態で体が動かせるときは、目が離せなくて家族の介護負担は大きなものになりますね。生活を組み立てていくベースは脳機能です。

明け方に廊下でコツコツと杖の音が。娘さんが慌てて出ていくと「ここじゃあ、寝られない。離れに連れて行ってほしい」と言い張るのです。
「朝になったら、連れて行くから今はここで我慢して」といくら言っても言うことを聞きません。ここがちょっと変ですよね?時間が時間ですから。
そんなことがあって、また前のように離れで一人暮らしが再開されました。
私の友人がびっくりしたように言うのです。
「入院した時のことを考えると、今までよりはるかに悪くなってるわけでしょ。急にそうなったのよね。それが退院して一人暮らしになったら『ボケちゃあいけない。ひとりでなんでもやらなきゃあいけない』と根性丸出しで頑張ってくれたらしいけど、そうしたらよくなったんですって。ボケって悪くなったり、よくなったりするのね」

一部正解。
認知症は一朝一夕に完成するものではありません。
生きがいも趣味も交遊もなく、もちろん運動もしないというナイナイ尽くしの生活に入ってから「小ボケは3年、中ボケ4~5年、6年たったら大ボケになる」とエイジングライフ研究所は言います。
脳を使う状況があれば、脳機能は持ちますからこの期間は長くなります。ナイナイ尽くしの上にさらなる悪条件、例えば心配事が起きるとか家族状況の変化とか聴力低下とか足腰の痛みなどが加味されたら、老化のスピードは緩やかに速くなります。
今回のように急激な体調不良のために、体力と同時に脳の力も急に極端に低下した時には、体力の回復と同時に従前の生活に戻しさえすれば脳の力も入院前レベルまでは割合簡単に戻るものです。
よくあるのが、病後だからといって安静にさせ過ぎてしまうことです。特に高齢の場合はその傾向が強くて、前と同じ生活に戻らないことが多いのです。
特に入院が長期にわたると、本人も家族も退院しても何もしない生活が当たり前のように思うことが多いようですね。
体の安静はそのまま脳の安静も意味しますから、「入院したらボケが進んだ。退院しても元に戻らない。病気したのだから仕方がない」というとらえ方が横行しています。
 
私「『ボケがよくなった』っていうけど、ほんとによくなってもともとのおばあちゃんになったわけじゃないでしょ?たかだか入院前までよくなったってことでしょう。小ボケの時に生活改善がきちんとできていたら、その人がその人らしく生活していたもともとのレベルまで よくなるのよ。
でもまだ世の中は、こんなに簡単なメカニズムで認知症になったり、治ったり、悪くなったりするって思ってないものね。
薬を開発してアミロイドやタウをどうにかしようとしているんですものね。そうじゃなくて、生活のあり方(脳の使い方)そのものが認知症の原因にもなり、改善法でもあることを知っておいてほしいの」 

 


脳リハビリで「歩くこと」は効果がある

2016年08月08日 | 認知症からの回復


たまたま見つけた小さな看板には「日曜日だけ開店、売り切れゴメン、米粉パンの店」とありました。今日はその日曜日(7月31日)。「これは行ってみなくては」と、その場で行くことに決めました。
私の前頭葉は目的がある方がモチベーションが上がるみたいですが、目的なくぶらり散歩を楽しむことの効用だってあります。
iPadで調べてみたら、車で19分。徒歩で27分。どうしてこんな結果が出るのかちょっとわかりませんでしたが、30分歩くくらいなら大丈夫と、前頭葉が判断して、出発。もちろんそれまでにも前頭葉はまず「標高500メートルだからそんなに暑くはないだろう」と決め、さらに「熱中症予防のために水筒を持って行く」ということ、「ギブアップに備えて携帯も忘れずに」ということも決めました。

私は歩くときには花に目が行きます。目が行くというより、熱心に探しているという方が正確です。こういう時には前頭葉は全開でしょうね。
ヤマユリ。「揺れるからユリ」 と知ったのは少女のころでしたが、花屋のユリからはどうもピンときませんでした。自然が豊かなところに住んでみると「全くその通り」と納得しています。

すぐそばの日が射さないところにこのようなキノコが。名前はわかりません。
 
六本松通りに沿って行けばいいのです。思いがけず、この標識が楽しかったのです。次は何かとこんな小さなことにもワクワクしました。
 
トリシリーズ。ヤマガラ。
 
ジョウビタキ。
 
カワセミ。
 
標識には花シリーズも。
ママコノシリヌグイ!葉や茎が棘におおわれているのでこんなかわいそうな名前が付いたのですが、韓国では「嫁のしりぬぐい」というそうです。
 
リンドウ。
 
通り名のもとになった六本松神社。

30分強かかりました。が、途中でこんな素晴らしい景色にも出会いました。
ゲットしたパンはとてもおいしく、「また日曜日に行かなくっちゃあ」と心に決めました。お客さんが多く「この次も早めに行かなくては」と記憶ノートに書き留めました。
 
先日「日々のウオーキングで小ボケ脱出ー携帯メールの遠隔操作術」で、「歩くこと」で小ボケから回復できるということを書きました。このブログには友人のお父さまと私の兄を取り上げていますが 、いったい何人の方たちから「歩く」効用を聞いたでしょうか。

「歩く」ということは決して足腰の運動、心肺機能を鍛えるということだけではなくて、実は脳をイキイキさせる近道なのです。
理由はちょっと考えてみればわかることなのですが、体だけでは歩くことはできません。歩くように脳が指令を出さなくては、手足も体幹も頭を支える筋肉も動けません。それは脳卒中になった人が、手足にマヒが残った状態を想像してみると分かるでしょう。手足の筋肉に何の支障もないのに、脳が命令を出せないために動かせないのですから。
檜扇

年上の友人たちが異口同音に言うことがあります。
「何となくだらっとしているときに『エイヤッ』と歩き始めると、歩いているうちにいろんなことを思いついたり、だんだんやる気が出てきたり。とにかく頭がすっきりしてくる感じがする」
歩いているときには、体を動かす役割の運動領は当然働いています。
でも、見たり、聞いたり、感じたり、思い出したりすることも同時に起きますよね。すべてそこを統括する脳の機能が働いた結果です。司令塔である前頭葉はもちろん常に気を配っています。つまり「歩いている」時には「脳を使っている」のです。
だから「スッキリする」
もう、オミナエシが。

小ボケから回復させたご家族の話です。
「同じ時間に、同じところを歩きます。そうするとよく出会う人と知り合いになって声を掛け合うようになるから」
「子供が好きだから、途中で必ず保育所の前を通るようにしています」
「夕方に人がいないところに行くんです。誰もいないところでふたりで自己流の体操をします。それからゆっくりお茶を飲みながら景色を見るんです。朝日よりも夕日の方が景色の変化が見事でしょ。だから夕方」
「夏も(冬も)、ショッピングセンターがあるから安心してます。寒いくらい(雪がない)ですから。ついでに二人で買い物もできるし。考えたらそれだって脳の刺激ですね」
「季節にあった、童謡を歌ったりしながら歩きます」
「いつもは近所ですが、花が盛りの時は遠出することにしてます。タイミングを外さないように、結構気を使います。これは私の脳リハビリですね」
「夏休みに帰省した孫が、小さな折りたたみ椅子を持って、水筒とおやつも用意して散歩に連れ出してくれました。お茶とおしゃべりの休憩時間が楽しみだったみたいです」
水辺のサワギキョウ

小ボケ(前頭葉機能だけが不合格)のレベルであっても、まず最初に働かなくなるのは意欲ですから、脳リハビリが必要なことは理解できていてもスターターが機能していない状態です。つまり歩き始めない。
ここは大切なところですからもう少し正確に書きましょう。脳の司令塔である前頭葉は「その人らしさの源」ともいえるように、様々な働きをします。その中でもエイジングライフ研究所は「意欲、注意の集中力、注意の分配力」を「前頭葉の三本柱」といって、最も重要な働きだと考えています。そして脳の老化が加速される時(認知症に向かう時)もっとも早く能力低下を起こすのが、この「前頭葉の三本柱」なのです。

そこで、家族など近くの人が上手に、支えていく必要があるのです。上の例のように、実践を伴う話はほんとに参考になります。 
先のブログは、離れていてもメールを使って 励ましながら継続してもらうことができるという報告でした。目を通してみてください。

 


日々のウオーキングで小ボケ脱出ー携帯メールの遠隔操作術

2016年07月24日 | 認知症からの回復

私の年若い友人から、うれしいお知らせが届きました。
「父、えらい!」(お手紙は青字で)
アメリカフヨウ at 伊豆中央道いちごプラザ

1年半ほど前に小ボケだったお父さんが、日々のウオーキングで脳の元気を取り戻しているという報告でした。お知らせには控えめに「小ボケを維持していると思います」と書かれていましたが、よくよく読んでみると実際はそれ以上の回復ぶりが確実だと思います!

地区の大きなお祭りに「もう78歳だし参加は今年限りだ。やるぞ!」と張り切って参加されたそうです。
そしてその結果は、なんと3日間歩きとおし、「7年後の大祭にも出たい」とおっしゃったそうです。これは体だけでなく脳もピカピカのかくしゃく高齢者の言葉ですよね?!

話は1年半前にさかのぼります。
友人(東京在住)とお母さん(関東近県在住)が一緒に遊びに来てくれました。
あちらこちら遊んで、あれこれ食べて、いろいろおしゃべりをして・・・何しろ女が三人寄ったのですから 、楽しかったこと。
それでも一泊の旅ですから、「明日はもうお別れね 」と、夜はちょっとしんみりしたムードが漂ってきました。
そこでお母さんが 話し始めました。
「最近、お父さんがちょっと・・・ 気になることがいろいろあるんです」
このようなときに決して「歳のせいでしょ。私にだってあります」というような、変な慰めは言わないことにしています。 何か訴えたいことがあってお話を始めているわけですから、できるだけ「何を伝えたいのか」を具体的にイメージしながら聞くことにしているのです。

どのようなことを話されたのか 、細かくは覚えてはいませんが、その一つ一つに「前頭葉機能低下」の言葉が当てはまりました。
「以前とどこか違うんです。こういう時にこういう風にはしなかったようなことが多いんです」(前頭葉はその人らしさの源ですから)
「買い物に行って、買ったものを車に置いたままだったり。そんなことはない人でしたから」(これこそ、忘れているわけではなく注意の分配ができないことなのです)
「話にはすぐに乗ってくるタイプの、付き合いやすいというか優しいタイプの人だったんですが 、何か話に乗ってこないというか」(これは意欲低下の表れです)
とお母さんがいろいろに口ごもりながら話されるそばから、娘である友人は
「でも、あの時は○○してたでしょ!?」とか「電話で話すときにはそんな感じはしない」とか「ボランティアだってやってるでしょ」など、むしろお母さんの言い方には否定的に対応していました。
前頭葉機能は年齢とともに低下していくものですから、歳とともにこのようなことは起こりがちではあります。ただ、一緒に住んでいるお母さんが気になるということは、たぶん正常な老化を超えている可能性が高いと思った方がいいでしょう。
ハマボウ at Jガーデン

こういう時には、「半年から、さかのぼっても3年以内に 、生活が大きく変わってしまう状況が起きたかどうか。その後の、ナイナイ尽くしに変化してしまった生活がずーと続いているかどうか」を聞けばいいのです。
はっきりと、困った症状が訴えにくいのは 小ボケの段階、社会生活には支障があっても家庭生活には特別の支障がないレベルにとどまっているからです。そして小ボケはだいたい3年間続きます。
ちなみに中ボケの段階になると、家庭生活にも支障が出てきますから、むしろ症状は訴えやすくなります。服薬管理ができないとか料理の味付けが変とか洋服の着方がおかしいなどなど。
ついでに大ボケは、世の中で「ボケた」と言われる段階です。セルフケアはできないし、時、所、人の見当識もあやふやになり、昼夜が逆転したり、徘徊、家族のことも認識できない状態になります。このレベルになると、だれが見ても「気の毒に認知症になった」と言われるわけですね。

お母さんは即答。
「1年前に母が亡くなったことです!それはそれは心を込めて介護していましたから。その後の不動産の処分などもちょっと大変で…あれだけアクティブだった人が人が変わったように意欲的でなくなりました。ボランティアだって楽しそうじゃなく義務的だし」
そこで結論が出ました。
「歳のせいにしておかないで一応小ボケと思いましょう。小ボケだったら生活改善で、もともとのお父さんに戻ることができるからですよ!」
生活改善の近道はご本人にこの状況を伝えることです。なぜならばボケの段階の人たちは、以前の自分でないことを十分に理解しているからです。
「あれから、生き生きとした生活を失ってしまったために、脳が元気を失っている。元気を取り戻すためには、以前の生活を取り戻すしかない。一番の近道は散歩。それから趣味、遊び、人付き合いの右脳を使う。とにかく司令塔である前頭葉の出番を増やす」
下の図を使って、上のように説明する。これが生活指導の骨子です。
Photo_3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小ボケの人たちは、ほんとに驚くほど自覚があります。三頭立て馬車の説明もすぐ理解できます。
「確かに、あのきっかけが起きてから馬車を使ってこなかった。がんばらなくっちゃあ」
ここまではスムーズにいくのですが、問題はスターター役の前頭葉が、元気がないことです。ちょっと口添えをしたり背中を押したりすることで、生活改善(脳リハビリ)はうまく動き始めます。
 
そこで私は、小ボケからカムバックできた亡き兄の話をしました。
兄は2010年6月に会社の経営を甥に譲り、その直後8月に血糖値が急上昇して入院。お見舞いに行ったそのときに私は兄に言いました。
「退院した後、生活を見直して、新しい生きがいを見つけないとボケちゃうよ。まず歩いてね」
翌年同じ8月。はっきりと小ボケが進行していることが分かりました。(会話に加わらない。居眠りが目立つ。動作がモタモタしている)
家族はいるのですが、私のように切迫感がないので、強く勧められないようでした。
そこで、「とにかく毎日歩く。その歩数を携帯電話のメールで、毎日知らせてくる」という約束をしました。もちろん毎日私も返信しました。交換メールです。
詳しくは、ブログをお読みください。 

兄のことー前頭葉の話
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/c0f0ac2ac88b0f7fc7abd8a2081d5027

兄の毎日の努力に対して私も何かしてあげたくなりました。半月ごとにグラフにして送ってあげました。
兄はとても喜んで、皆さんに見せびらかしていたそうです。
最初のグラフ

毎月の平均歩数

詳しくはブログを。

認知症からの回復ー兄のこと&知人のYさんのこと
http://blog.goo.ne.jp/・・・/e/20235b73c010bc11ebcb22a8f239ed90

兄は「体」の病気に勝てずに、2014年1月に亡くなりましたが、「脳は使わないとボケちゃうし、一生懸命歩くだけでもカムバックできる!俺のことをみんなに教えてあげてね」と言ってくれました。

「一緒に住んでいない」と もどかしがる友人に兄の話をしました。
そうしたら、ちゃんと実行してくれたのです!そのお知らせが飛び込んできたのです。
「毎日父に付き添いウォーキングができないので、『5000歩目標で歩いて!歩数を夜、報告して!返事するから!』と歩け歩け作戦を始めました。
真面目が取り柄の父は、携帯電話付属の歩数計で歩数を測り、写メを撮り、パソコンメールで送信報告してくれています。1万歩を超える日もあり、1000歩程度の日もあり。
歩数に添えられるミニ日記を通して、両親の暮らしぶりが把握できるという、娘にとって思わぬ副産物もありました」

こうして、また小ボケからのカムバック例が増えました。
しかも携帯メール遠隔操作術の!うれしいです。 


脳リハビリのコツ―小布施町手作りゲーム

2015年12月12日 | 認知症からの回復

アッという間に師走も半ば。1か月も前になりますが小布施町地域包括支援センターに伺いました。
町で行う基本調査で、ちょっとでも気になるところがある方たちに、センターで実施するプレ認知症予防教室(体験型)に参加するように誘うそうです。各地区で自主的に行われている教室に入るのにちょっと躊躇している人たちに、教室の意義や目的の説明もちろん丁寧にするのですが、とにかくどのようなことする場所なのかを体験してもらうための教室と説明してくれました。
認知症予防教室のカリキュラムは「とにかく楽しくて時間があっという間に立ってしまう、次回が楽しみ」でないといけません。当然右脳中心になりますね。歌、造形的なこと、ゲーム、体操、社会科見学、茶話会etc…
千年樹の里まつりにも、もちろん参加してましたよ。これは工作ですね。

さて私がうかがったときには、ゲームで盛り上がっていました。

一人ずつ、お手玉ボールを5球もらって、数字ボードに投げつけて外れたらそれが得点になるのです。

簡単に書きましたが、皆さんが楽しめる工夫が随所に見られました。さすがに認知症予防教室を10年以上も指導してきたスタッフがいる町です。
・参加者を2班に分けて、団体戦にしている。
個人戦だと不得手な人は楽しめない。団体戦でカバーできても勝ち負けがあることは、集中を高め目標もはっきり持てますね。
・ボールを手作りお手玉にしている。
何度も使ってなじんでいる。ボールよりも手触りよく投げやすい。
・ボールが1球でない。
1球勝負でなく続けて投げられることで、うまくいかなった時に練習効果も期待できるし、意欲アップにもつながります。
・得手不得手又は男女で、スタート線をずらしている。
全員に同じようにする公平性は、経験も能力も差がある高齢者には通用しません。


それぞれの立ち位置が違いますね。スタッフやボランティアさんたちが結構盛り上がって応援していました。もちろん参加者の皆さんは自分のグループの応援に熱が入ります。
結果発表の時は大騒ぎ。

数字ボードが絶妙な落ち方をするので、見に行きました。マジックテープを使った手作り品でした。うまい具合に落ちてくれるようにと何度か試行錯誤もしたそうですが、結局脳リハビリをする時には「ちょうど能力にあっているもの」という条件があります。
過不足ないものを提示するためには、よくよく観察しなくてはいけないのです。その時のコツは、行動から脳機能を類推するという点でしょう。いつも強調することですが、話されている言葉だけに頼っては、何の問題もないことになってしまうことがたびたび起こります。やっていることを見ると、判断力にも遂行能力にも問題を発見できることが多いのです。
今回はまだまだお元気な方が中心ですが、脳機能も体力的なこともよく見ているなあと、感心しました。
この日は、スタッフのお話しと、歌いながら手遊びを入れたいくつかのゲームで盛り上がったところで、メインの数字ボード落とし。
その後に「今度は太鼓です」というスタッフの声に太鼓があったかしらと思う間もなく、段ボールが配られました。(そうそう、お茶とお菓子の時間もありました)

箱は壊れていいそうです。ストレス解消にもなるのでは(笑)
男性の方で群を抜いてお上手な方がいました。聞けば、お祭りの時お囃子をやり続けていたとのこと。表情も明るくイキイキと楽しんでいらっしゃいました。この方にとっては「お囃子」が最も効果的な脳リハビリ。できたら演奏するだけでなく、例えば小・中学生に教えて、伝統の継承を図るようなことにつながると、本当の生きがいになると思いました。

脳リハビリのテーマを見つけるには、繰り返していいますが、観察が第一。愛情を持ってよく見ることです。
若いころからの趣味や生活を細かく知ることも大切でしょう。
そして、やってみなくてはわからないこともあります。その時の注意点は「上手かどうかではない。楽しめるかどうかが認知症予防教室の物差し」ということをスタッフが十分理解したうえで、参加者の皆さんにお伝えしなくてはいけません。
小布施のスタッフの皆さんには感服しました。


脳リハビリのコツー手作りジグソーパズル

2015年12月06日 | 認知症からの回復

友人のお姉さんが中ボケレベル!
エイジングライフ研究所が推進している二段階方式では、まず脳の機能検査(A)を行います。そしてその脳機能状態になれば必然的に起きてくる生活状態とのマッチング(B)を行います。そしてその脳機能状態にまで脳の老化を加速させてしまった、「ナイナイ尽くしの生活状況がどのくらい継続したか」を聞き取って(C)、その三つが一致した場合に生活指導が始まります。
上記A・B・Cは必須のものということをお話したうえで、例外的なこととして今回の報告をしましょう。

友人と電話で話しました。Bのチェックをしていくことになります。
結論が中ボケ。二段階方式ではこのレベルに到達するにはだいたい4年間の「ナイナイ尽くしの生活」が必要と考えます。ちょうど4年前にいろいろなことがあっていくつかの趣味を次々に止めてしまい、それから家で過ごすことが多くなったというのです。B=C。

このレベルになると、日付があいまいになっています。新聞を取り込んでカレンダーを使って今日の確認から朝が始まります。何度も何度も尋ねられます。聞かれるほうはイライラしてくるものですが、怒らない!だってほんとにわからないのですから。
1週間も曜日によって、イベントを組み込みます。デイサービス2日、ランチ1日、友人や兄弟を招く1日、お出かけ1~2日。
外出は近くの日常的な買い物でも、ちょっと遠くまで目的をもって出かけるのでもいいのです。家にこもっていると「何だか怒りたくなる」と家族の方が訴えられるのですが、外出してしまうとそのイライラが少し軽減されるメリットもあります。
注意点としてはちょうど幼稚園児くらいの状況判断力や行動決定力しか持ち合わせていませんから、その配慮が必要になります。
幼児はずいぶん楽しみにして出かけたのに喜ばない、すぐ飽きてしまうなど、こちらの期待したようには応じてくれません。ちょっと考えるとよくわかりますね。
外出先としては、盛りの花見や公園へ。神社仏閣も自然も豊かで落ち着くものです。春秋の動物園、夏冬の水族館が意外な盲点。
もちろん興味がありそうなら演劇や美術館や博物館でもいいのです。近場で開催される規模の大きくない展覧会はおしゃれして出かけるには、飽きずに済むので最適かもしれません。映画館は避暑、避寒先と考えたほうが、がっかりしなくていいことが多いでしょう。
旅行はちょっと大変です。目を離さないようにしなくてはいけませんし、お風呂も気が抜けません。ちょうど幼児を連れて出かけているのと同じです。

生活全般で、「決めてもらう」状況を作ります。
注意すべきは「おやつは何がいいか」ではなくて「お饅頭がいいか、リンゴがいいか」という状況設定が大切です。
外出のとき、買い物のとき、洋服を選ぶとき、ふたつの候補から一つ選んでもらうのです。
選択するのは前頭葉ですから。

もちろん散歩は毎日。
これからは、右脳主体の脳リハビリで、生活に変化と楽しさをどうにか取り入れるのです。
・歌が好きな方ですから、BSの歌番組を、欠かさずチェックしておいて一緒に見る(そのうち歌う)。
・お習字も趣味の一つでしたから、再挑戦する。仮名文字をきれいな料紙で書く(そちらのほうが楽しい)。
ゲームや勝負事は全くしなかったというと、なかなかこの分野は取り入れにくい・・・右脳担当の色と形に注目して
・ジグソーパズルはやってみる甲斐はありそう(大人用は難しすぎるので幼児用から始めること)。と、いろいろおしゃべりをしました。
有言実行。それから北陸新幹線で出かけることがあり、車中の冊子の裏表紙に注目。「これ使えそう」と手作りジグソーパズルを作ってプレゼントすることにしました。
カレンダーやきれいな写真はとても良いジグソーパズルになります。ただし裏打ちをしておかないと柔らかすぎて使いにくいですが。厚紙はなかなか手に入りませんから段ボールにしました。

これは4分割してあります。最初はとにかくアッという間に出来上がる程度のものから始めないといけません。
・分割する前のモデルを見せながら。
・モデル提示なしで。
・所要時間を記録して。
・それぞれを2分割すれば、8ピースになり、それをまた分割すればいくらでも難しくできる。
その人をよく観察することから、適切な工夫ができますね。よく観察することはその人を支える力になります。

ちょっと大人びた画像もいいです。今年は琳派400年と言われてますね。そういう話題についていける中ボケの方だっていますよ。

色や形がくっきり違うほうが簡単です。字があるのもやりやすい。

色調が同じものは難しいものです。その時は形の情報でつながるように。図の中に直線があるとつながりやすい。

手作りジグソーパズルの話でした。これがいいきっかけになってくれるといいのですが。


 


十日町市での学習会ー認知症予防教室の効果判定

2015年10月31日 | 認知症からの回復

松代地区担当のT橋保健師さんと、事前の打ち合わせをしました。
「認知症予防教室の活動中の写真がないかしら。講演で紹介してあげたいの」とお願いしたら写真が送られてきました。
なんと平成20年に開始した、木和田原地区の写真でした。ということは7年間継続できているということです。
写真しか送られてきませんでしたから、脳機能検査はできていないのかと思っていました(エイジングライフ研究所は教室の開始時と、その後は年一度の脳機能検査をすべきだと指導しています)。写真がはつらつとした楽しそうな活動風景でしたから、「脳機能は維持できているはずなのにもったいないこと…」と残念に思っていました。

ところが勉強会で、担当のT橋保健師さんが「やってありますよ」と笑いながらデータを見せてくれたのです!一瞥しただけで素晴らしい結果だということはわかりました。今年の検査は来週だかに行われるということでしたから、平成26年の最終検査を受けていて、それ以前に比較できる検査結果がある人たち9人のまとめです。
大歩危は渓谷が深いので、危険個所の注意を促すために妖怪伝説が生まれたそうです。

データが平成21年から平成26年までのものでしたから、グラフには5年間と書きましたが実際は7年間の教室の経過と考えていいと思います。
教室開始時の年齢で言うと72歳から85歳、平均77.7歳。

7年たったのです!この年齢で、改善している人がいることに感動しませんか?
脳機能にも、正常老化があって年齢とともに低下していくものです。ということは維持していれば、それだけでも「認知症予防教室」の効果があったと考えられます。
有効率は改善群と維持群の合計88.9%ということになります。

低下の方は、家庭内で介護その他大変な状況を乗り越えたところだそうです。
もともと脳機能はイキイキとしていたのですが、介護ばかりの生活が続くと脳は元気をなくすのです。いったん元気をなくしていた状態から、はっきりと改善中。生活にはもう困難はないでしょう。
T橋保健師さんは「元気になられました」といってましたね。今年の検査ではきっともう少しいい成績になっていることと思います。1回目の成績が良すぎる場合には「改善」にならずに「維持」になる可能性が高いことは予測できますね。

T橋保健師さんはデータを眺めながら「この方も、この方も、ほらこの方も」と指さすのです。そして隣に座っている前任のK井保健師さんと笑いあっています。
脳機能検査の結果は、生活実態をそのままに表します。
お二人は、生活実態の方がよく見えているのでしょう。日常感じている皆さんの元気さがデータと一致していることに、改めて感動しているように見えましたよ。

「検査ができている教室とできていない教室の差はどういうものですか」と聞きました。
「木和田原の人たちは、『教室が認知症予防に必要なもの』という考えがあるように思います。だから言われて参加するというのではなくとても自主的」
「教室に来て『一か月分楽しんで、一か月分笑ってます』って。『みんなに会うのが何より楽しみ』って言ってくださいます」
「検査をしないと、何かあるとすぐ来なくなる傾向があると思います」

講演会の感想が届きました。
講師冥利に尽きるような感想がたくさんありました。またご報告しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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