脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

認知症専門医の方々 側頭葉性健忘にも気をつけてください

2018年03月24日 | 側頭葉性健忘症

伊豆高原も桜だよりが聞かれる頃になりました。早咲き桜がいく種類もありますが、今年はもうソメイヨシノが見頃を迎えました。
花に誘われて、友人たちが続けて遊びにきてくれました。「シャボテン公園のカピバラの入浴で癒されたい」という希望でしたから、出かけました。

女子会ですから話題はあちらこちらに飛びます。
一人の友人が入院中のお父さんの話を始めました。
「病院はボケてるという対応なんですけど…」

「確かに、同じことを何度言ってあげても、わかってないというか、また一から説明しなくっちゃあいけないことがしょっちゅうあるんですよね。前日行った時に丁寧に説明して『そこまで手数をかけて悪いねえ』なんてちょっとこちらが恐縮するほど喜んでくれて、翌日すっかり何も覚えてないとか」
「検査のために飲食の制限があるときなんかは、大変。『よくわかったよ』って言ってくれるんですけど、すぐ飲んでしまうし、食べてしまうし…」
ラマ

「お世話になってる看護師さんの名前も覚えてないみたい」
「でも、何だかしっかりしてるっていうか。元の父らしく気遣いしてくれるし、ボケてないような気もするんですけど。先日もこれから先の見通しを確かに語ってくれました」
2017年11月27日生まれのバクの子 ルーニー

私「家族は身内びいきする傾向は強いから。ましてお父さんは研究者だし立派な人と思いこんでいないかしら。できないことはできないと理解することは、お父さんのためだけじゃなくてあなたのためでもあるし」
「そうですよね〜」肯定しながら、なお納得できないそぶりがアリアリです。
サボテン リトープス属 まるで小石!

もう一度友人の訴えを整理しました。
「とにかく覚えていられない」ということが一番の問題というか、問題はそこだけです。
ということは、逆にいえば確かに記憶障害があるということです。
「記憶障害があれば認知症」という診断基準でいえば認知症。でも家族がどうしても納得できない。
その時の鍵は、前頭葉機能が元気に働いているかどうかの一点に、目を配ることにかかっています。

家族がよく言います。
「うちのおばあちゃん、ボケてるんだか、ボケていないんだかよくわからない」
この時には「ボケてるって思う時はやったことを見た時でしょ。まるで幼稚園の子供のお手伝いみたいなことするし、トイレもお風呂もそう。でも話を聞いていると、昔のおばあちゃんのままでしょう」と聞くのです。
普通に脳機能の老化が早まった時(これがアルツハイマー型認知症)には、まず低下していく機能は前頭葉、次いで記憶が難しくなります。
その初期の家族の印象は「まるでおばあちゃんじゃないみたい」なのです。その人らしさの源は前頭葉にあるからですよ。
一生懸命 

記憶の障害がはっきりしてるにもかかわらず、気遣い、発想、工夫、恥じらいや困惑、豊かな表情、動作が機敏などが保持されている場合は、記憶だけの障害、側頭葉性健忘を第一に考えるべきです。
もちろんそのためには、前頭葉機能が正常域にとどまっているという脳機能検査のデータが必須です。
最近このブログでも繰り返し書いているように、テレビを始めとするマスコミが認知症と側頭葉性健忘を混同してることが大きな誤りですが、専門医の方々も前頭葉機能に目を当てていただきたいと思います。

認知症の大多数は、脳の老化が加速された「アルツハイマー型認知症、前頭葉機能低下が一番最初に起きるタイプ」で、今日話題にした友人のお父さんは例外的なのです。でも身近にいたのです!
この人たちを、認知症と同様の扱いをすることは、あまりにも的外れです。


認知症の専門医の方々、失語症に気を付けて下さい。

2018年03月22日 | 左脳の働き・失語症

保健師さんからの質問です。
「時の見当識もちょっと採点しにくいし、なんだか本人や家族の訴えとドクターの診断に違和感があります」
エイジングライフ研究所の二段階方式では、脳機能と生活実態と直近の生活歴に整合性がない場合(それぞれが意味することが一致しない場合)には、生活指導の対象としている「脳の老化が加速された、ごく普通のアルツハイマー型認知症」と考えずに、専門医受診ということが鉄則です。

もちろん、脳機能は正しく測定できている、生活実態は正しく把握できているということが前提ですよ。
脳機能に比べて、生活実態がよすぎる場合はまず失語症を疑います。大雑把な説明ですが、外国で生活している状態を想像してみてください。言葉に関しての意思疎通は難しいですが、生活そのものはほとんど問題なくこなせると思いませんか?
脳機能の検査は主に言葉を使って行いますから、言葉能力に問題があれば、結果は悪くでることになります。でも生活には問題がない。

ついでに説明しておくと、脳機能がいいにもかかわらず、生活上に様々な問題が勃発するときには精神的な問題を考慮することになります。
例えば、脳機能が少ししか落ちていないのに、妄想のような思い込みが強くて周囲を振り回すような場合です。

さて相談事例です。
脳機能検査から問題が発生しています。検査実施日平成30年2月21日です。
「今日の日付は?」という質問に他する答えが「平成28年2月20日」。普通に脳機能の老化が加速されている場合には、2月と答えられる時には、平成何年かは正答できるものなのですが…
「季節は?」には「春」
この場所はむしろ寒いエリアですから、2月中は「冬」でしょう。
このような時には「わからない」のではなく「言えない」可能性を思いつかないといけませんね。
他の下位項目の低下順には特に問題はない。と言いたいところですが
「文を書く」の課題に対して「おすわりしてテスト中」文になっていないこと以前に、60歳の男性が書く文章でしょうか?
保健師さんたちは、よりよく採点してしまう傾向がありますが、脳機能検査の目的はむしろ「できないところを明確にする」ところにあることを忘れてはいけません。
この方の検査結果です。

MMSの得点や時の見当識の得点からは、あたかも中ボケレベルの低下のようですが、上図を見て、あまりにも整った図形に注目してほしいと思います。特に立方体透視図のみごとなことに。右脳の構成能力に問題はないことを伝えてくれています。
「時の見当識」「文を書く」のできなさと実に対比的でしょう。
つまりこの方には、「適切な言葉が出てこない」という言葉の問題があると結論付けられます。

生活実態はどうだったでしょうか。
妻の申告だと、30項目問診票で小ボケレベルに4個丸がついています。これは生活実態は前頭葉機能がやや低下しているということを意味し、MMSに反映される能力にはまだ低下が見られないと、妻は思っているのです。
つまり、脳機能に対し生活実態がよすぎるケース。
もう少し具体的に聞き取ってありました。
・毎日散歩している
・毎日ゴミ出しをしている
・家のこまごましたことは、むしろ好きなことなので続けている
・料理好きでおいしい料理が作れる
・庭・植木の手入れ、池の掃除などは率先してやる
60歳の男性ですよ!どう見ても生活にトラブルが出始める中ボケではないですね。

MMSの下位項目低下順に、老化が加速された時とずれがある。そして脳機能検査≠生活実態(生活実態の方が良好)。この条件から、言葉の障害があるという結論が示唆されるのです。
生活歴を聞く以前にこのようなケースは専門医受診です。
実はこのケースは、既に受診していました。
「妻が気にした本人の物忘れ」を主訴に平成27年受診したかかりつけ医は「軽度認知症」と診断し投薬が始まったそうです。この時57歳です!
次に、平成29年12月の受診した専門医はMRI、CT検査して「脳萎縮がある」という指摘と「車の運転はやめた方がいい」と言われたとのことでした。
どこにも失語症の診断がない!
保健師さんたちは、お医者さんではありませんから診断や病名を言うことはできません・・・
もう一度、専門のドクターに
「言葉の問題あり=流ちょうに話せているがキーワードが出ない」
「脳機能検査の模写を見ると、左脳右脳の機能差が示唆される」
「生活実態と脳機能が一致しない」というように左脳の問題(失語症?)とアピールすることだけしかできません。ちょっと悔しい。

 

NHKあさイチを見てー「若年性認知症」って何ですか?!

2018年03月12日 | 二段階方式って?

朝マーマレードを作っていたら、友人からラインが二通「NHKのあさイチ見て」。
気づくのが遅れて見始めたのは8:33だったので、「何の症状で『認知症』と診断された」のかはわかりませんでした。
私が見た後からでは確定的には言えませんでしたが、多分「側頭葉性健忘」だと思われました。

NHKがこういう状態の人たちを「若年性認知症」と報道することについて大きな疑問が湧き上がります。実はたびたび特集が組まれてもいるのです…

以前書いたブログを紹介します。これが私がこの番組を見た感想です。

若年性認知症の定義をはっきりさせましょう
(一月前に書きました。このときもNHK番組を見ての感想でした)

若年性認知症の定義を調べて、ビックリポン!

世界アルツハイマー大会 (この後半部分)

 

 


東日本大震災―高齢者を認知症から守る(1)

2018年03月11日 | 二段階方式って?

あの日から7年。
あの日に岩手県にいて、大震災を経験したものとして、もう一度お話ししておきたいと思いました。2011年3月20日に書いたブログです。

私は、3月10日から、岩手県に行っていました。11日の地震発生時には、岩手県藤沢町(一関市と宮城県気仙沼市の中間)で講演をしていました。

震度7と後から聞きましたが、地盤のせいか建物のせいかしゃがみこむこともなく、実際、壁にかかっている表彰額も一枚も落ちることはありませんでした。
こんな大災害とも思わず、ただ交通遮断になりましたから、そのまま一関市の小野寺保健師さんのお宅で生活をさせていただきました。ラジオの情報は聞いていたのですが、16日夜になって初めてテレビを見て、その惨状に声もなく涙が流れるばかりでした。(その後、奥州市の知人の暖かいお心づかいで、18日に花巻空港から帰宅することができました)

この避難生活に関しても報告したいことや感謝したいことは山のようにありますが、今日は、エイジングライフ研究所の原点に立ち返って認知症の発症やその予防について話したいと思います。

認知症の発症という観点からみると、今避難所にいる高齢者の方だけでなく、ご自宅にいらっしゃる方でも、大変危ない状況だと考えざるをえません。
エイジングライフ研究所は、脳機能という物差しを持って認知症を見ていきます。
通常は、症状(どんなことを言うか。どんなことをするか)から認知症を考えるのです。セルフケアに支障を起こす、徘徊、夜中に騒ぐ、粗暴行為、異食など余程困ったことをしでかさないと認知症と思われていません。
普通の高齢者が、昨日までまったく正常で、ある日突然このような状態になるでしょうか?認知症は徐々に進行するものなのです。

Sikumi
まずは脳の機能を説明しましょう。 
右脳、左脳については皆さんもよくわかっていらっしゃるでしょう。
簡単に言うと左脳は「言えばわかる」脳です。
右脳は「言葉ではうまく言えないけど、でもわかっている」時活動しています。
昔の人は「よく遊び、よく学べ」と言いましたが、遊ぶ時に効率よく働くのが右脳。学ぶ時に効率がいいのが左脳といってもいいでしょう。

わかりにくいのが前頭葉のはたらきです。
脳全体の司令塔の役割を担っています。前頭葉がその状況判断で右脳、左脳を上手にその人らしく使いながら生きていくのです。
「よく遊び、よく学べ」が右脳、左脳の説明なら、「十人十色」が前頭葉の説明に相当します。

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生きていくということは、自分らしく三頭建馬車を動かし続けるということです。
その時、それぞれの馬の元気さも大切ですが、その馬を上手に使いこなすことができる御者(前頭葉)の働きがなくては、馬車は上手に走ることができません。

前頭葉機能は広範囲にわたりますが、その中の注意集中分配力は、18歳でピークを迎え20歳代はそれを維持し、その後は加齢とともに直線的に低下していきます。年齢とともに能力低下を起こしても、それは必然であって認知症ではありません。

老化が加速していくときに、認知症への道に入ったということなのです。

Photo 



老化が加速されていくときには、まず前頭葉の老化が加速され、その後脳の後半領域の機能低下も順々に起きてきます。
そのレベルによって、認知症は三段階にわけることができます。回復が極めて困難な大ボケに至るまでには、最初のきっかけから6年以上もかかります。

  小ボケ:家庭生活は問題ないが社会生活がこなせない。
       世話役ができない。趣味をやめてしまう。無表情。
       「指示待ち人」
  中ボケ:家庭生活に支障が出てくる。
       話していることを聞けば、変わりないが
       やることは幼稚園児のようになる。
       「言い訳のうまい幼稚園児}
  大ボケ:セルフケアにも問題が出てくる。
       通常はここからをボケと思っている。
       「脳の寝たきり」
       「」
内は家族による、生活状態の一言表現。

以下、きっかけの説明はその2へ


東日本大震災―高齢者を認知症から守る(2)

2018年03月11日 | 二段階方式って?

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上のグラフの星マーク「人生の大きな出来ごと。生活の大きな変化」の説明です。
重要なことは、そのことが起きたらだれでも老化が加速するのではないということです。そのことが起きて、その変化に適応できず、閉じこもったり何もしなくなったりしたら、いいかえるとそのことをきっかけにして三頭建の馬車が止まってしまったら老化が加速していくということなのです。その状況変化が御者の意欲をなくし、指令を出すことをやめてしまうときが認知症への第一歩なのです。
 
仕事一筋の人の定年退職。

息子に代を譲ったおじいさん。

嫁が来て、しゃもじを渡したおばあさん。

孫が手離れた祖父母。などなど

繰り返しますが、「そのことが起きたら」ではありません。
「その後の生活が新しく描けなくて何もしない状態になったら」前頭葉は出番を失って老化を加速していくのです。

 
「高齢者が、病気やケガで安静にしていたら、ボケてしまう」ということは世間の常識です。

「20代の若者が長期安静にしたらボケるでしょうか?」
講演でこの質問をすると皆さんは笑って
「そんなことはない」と言われます。
このことは皆さんが脳の老化曲線を承知しているということではないでしょうか。
入院した高齢者が全部ボケるわけではありません。
ボケる人は、安静にして 何もしない!
ボケない人は、リハビリに励んだり、回復するにつれて人の世話をしたり、手芸などの趣味を楽しんだりしています。

このきっかけの説明をよく理解していただきたいと思います。
左下から反時計回りです。

左下。
脳は「使ってナンボ」という正直者です。
三世代同居をしていても、孫は勉強、塾と忙しく、子どもは仕事に追われている。その結果、起きる時間も別なら食事も別。当然会話もない。一人でテレビで時間を過ごすしかない。

このような生活は、脳から見れば「ひとり暮らし」以外の何物でもありません。
楽しみや刺激の少ない生活は、前頭葉の力を発揮する場がありませんから老化を早めます。

右下。
家庭内に種々のトラブルが発生し、「何もしてやれない」とか「この先どうなることか」とか「世間さまに顔向けできない」などという状況になった時、
「お手上げ」と前頭葉が判断してしまうと、頭の中はそのことで覆われて、将来の展望も楽しみも何もキャッチすることができなくなります。

子どもの離婚騒動、サラ金、リストラ。孫の病気、非行、不登校などの心配事が相当しますが、今回の大惨事こそこの状態の最たるものといえるのではないでしょうか。

最後に右上。
「別れ」を意味しています。
これは親しい人との死別を筆頭に、友人や孫との生き別れもあります。ペットとの別れもありますし、趣味のサークルに参加できなくなるというような別れもあります。
身体の不調も「別れ」と位置付けてもいいかもしれません。
環境の急激な変化そのものも、前の環境を失ったと考えればやはり「別れ」でしょう。

「あの人がいれば、あれもできるし、これもしたい。でもあの人がいないから・・・」
「元気なら、もっと見えれば、もっと聞こえたら、何でもできるけど、思ったようにできないから、あれもできない。これもできない」
「この環境でなければ、できることがあるのに」

そう思ってしまうことは私たちには十分に理解できます。
でも、この先には
「あれもしたくない。これもしたくない」という意欲低下が待っています。

意欲は前頭葉の働きですが、前頭葉がその力を発揮する必要条件とでもいえるもので、意欲なくしては、司令塔としての前頭葉機能(状況の判断、決断、指令)は発揮できません。そうすると三頭建の馬車も止まってしまうのです。

その別れを乗り超えられずに、閉じ込もり、目標も楽しみも何も見つからない生活が続く時、馬車は留まったまま、御者も馬も動くことなく時間だけが流れていく・・・脳は老化をどんどん加速していきます。
最も危ない状況です。
今、テレビの画面で拝見する高齢者の皆さんの胸中を思う時、まさにこの喪失感のただなかにいらっしゃるだろうと思うのです。

最初は、状況の理解そのものもあまりにも受け入れ難く、現実のものとしてとらえられなかった可能性すらあります。
でも、落ち着いてくれば来るほど、そして高齢であればなおさら、事の重大さや失ったものの大きさに打ちひしがれてしまうでしょう。将来に対する展望が描けないことを責める気持ちはありません。多分私だって・・・

でも。とあえて言わせていただきます。
こんなに過酷な運命に翻弄されたのに、その先にまたボケという悲しい状況を迎えさせるわけにはいきません。
どうにか、それぞれの皆さんの馬車が再び動き始めることができるように、心を配っていかなければいけないと思うのです。

どのようにして、馬車を動かすことができるのか?その3としてまとめます。


東日本大震災―高齢者を認知症から守る(3)

2018年03月11日 | 二段階方式って?

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私たちの三頭建の馬車の仕組みは 仕事勉強の左脳、身体を動かす運動脳、そして趣味や遊びの右脳の三種類の仕事に特化された馬たちと、それを上手に操る御者役の前頭葉から成り立っています。

いつの時でも、三頭の馬が働いて馬車が動いている時には前頭葉は全体を見守っています。
それ以前に、動き始める時もまず前頭葉が状況を判断して一鞭をふるうところから始まるのです。
このことはとても大切なことですから、よく覚えておいてください。

「馬車が動き始める時と動いている時には、御者は必ず働いている」
「何かをやろうと思う時と、やり始める時と、やっている時には前頭葉は必ず動いている」と言い換えられます。

脳の老化が加速されるのは、前頭葉が出番をなくして、何もしなくなるところから始まります。まず置かれている状況を判断しなくなる。意欲がなくなる。周りに関心が持てなくなる。
前頭葉がその状態になると、馬車を動かす三頭の馬たちはいくら元気であってもその力を発揮できない状態(小ボケ)が続き、次第に三頭の馬自体も力を落としていきます(中ボケ)。
最終段階が御者も馬も倒れてしまった状態(大ボケ)と考えるとわかりやすいかと思います。

Sikumi_3 
エイジングライフ研究所は、脳の老化が早まった場合には「脳のリハビリ」ということで、脳の元気を取り戻す指導をします。その柱は二つあります。
 ①一日一時間の散歩を。
 ②右脳を使って楽しむ時間を。

散歩
「ボケ予防のために歩いています」という方は多いですが、理由として
「歩いたら、歩く刺激が脳に行くでしょ?」と思っていることがほとんどのようです。もちろん外に出て歩けば、自然に触れ、景色や花を楽しみ、風や日差しを感じたりして五感を通じてその刺激が脳に入ることは間違いありません。
でもこれは本末転倒の考えです。

「歩く」時には、脳の運動領域が身体に対して命令を出し続けなくては歩けないのです。脳卒中で脳の運動領域に損傷を受けた人は歩けません。
一時間歩いていると脳の運動領域は一時間働いています。もちろん前頭葉もです!自覚がなくても歩くことは、間違いなく広範囲の運動領域が働くことですから、皆さんが考えるよりも脳を使うという効果がありますが。

「歩く」時には、運動領域の多くの部分が活性化されます。でも足腰に痛みのある方は、椅子に座って上半身だけの運動でもいいのです。

効果的なのは「体を動かすことで、脳を動かすことになる。そうすればボケない」という自覚です。自覚を持てば持つほど御者はその行程を大切に思って、意識的に状況の変化をキャッチしようとするとは思いませんか?
誰かに言われた結果であっても、体を動かしている時には脳が働いているのです。でも、自分で、というのは御者である前頭葉が目的をはっきり持って、「こんな時だからこそ、体のためだけではなくて、脳を動かしてボケないようにしよう」と考えると、自分の体調や周りの様子にも気を配りながら運動を始め、そして続けることになりますね。その時前頭葉が目覚めています。

そこまで考えられないのが現状でしょう。だれかが音頭をとって、避難所の高齢の方たちの運動を促す時間が実現できたらいいのです。そうしておくと、習慣化することにもつながりますし、自宅に帰られても、あるいは仮設住宅に移られても、ボケ予防としての運動の大切さを訴えやすくなります。

右脳
Migi 

その1で説明したように、右脳でよく遊び、左脳でよく学ぶのです。
仕事や勉強は「やらねばならない」もので、趣味や遊びは「楽しくてもっとやりたい」ものですね。
形、色、音楽など右脳を使う場面からは、もっとやりたいというレベルの意欲がわいてきます。
元気をなくしている脳にとっては、右脳刺激の方が適切な理由です。

避難所のテレビ報道で、中学生の合唱に涙する方々を見ました。こういう時だからこそ、より強く胸に訴えてくるのでしょう・・・

そういうことはできても、上表にあげたような一般的な右脳刺激は皆さんのお気持ちを思うととても無理だとわかっています。

でも、どんな厳しい状況の時だって右脳は使えます。それは感情を行き来させるという状況を作ることです。人とのコミュニケーションを図る時、私たちはまず「言葉を使って」と思います。でも言葉だけでは人とのコミュニケーションは成立しません。
自販機の「ありがとうございました」はコミュニケーションでしょうか?
言葉の内容以上に、相手の表情、身振り、声の調子、高低、強弱・・・
そのような情報をもとに私たちはより深く相手の心情を知ることができますし、自分の気持ちも伝えることができます。
言葉以外のすべての情報は、右脳と前頭葉の連係プレイの下でやり取りされます。この時間は、脳の機能としては高次元で、とても脳はイキイキと活動しています。

言葉を発することなく、手を握り合っても、抱き合ってもわかりあえるのが私たちです。テレビ報道で、涙で言葉にならない方を見ながら私たちも涙を流しました。ともすればあふれそうになる涙をこらえながら言葉少なに語る人にも、涙しました。言葉の奥に隠されたその方の心情を私たちは感じることができます。

悲しい時間ですが、私たちの馬車はそんな時しっかりと進んでいるのですよ。

一人でポツンと過ごすことのできない避難所だからこそ、悲しみを訴え、気持ちを労りあい、共に涙を流していいと思います。
そして次の段階が来た時には、皆で声を掛け合い、必ず前を見て自分の馬車を自分らしく動かそうと思っていただきたいと思います。
今後、高齢者が住むことになる仮設住宅や施設も用意されていくことでしょうが、人は体があって生きていればいいというものではありません。その人らしく生き抜いていっていただくためには、その人の覚悟が要ります。

本当に前を向くことが難しい状況だと承知の上で、ボケないためになお前を見て生きていっていただきたいと切に願います。

亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、残された方々に笑顔が浮かぶ日が来ることを信じて、今回のブログは書かせていただきました。


「ペコロス」シリーズを読んで

2018年03月03日 | 二段階方式って?

友人からのプレゼントが届きました。

認知症の母の介護をしている漫画家の描いた、この漫画は雑誌に連載されているときから、話題になっていましたよね。重いテーマをかわいい「絵」と、どことなくユーモラスな長崎弁が救って。
私はとびとびに読んでいました。本になったものを手に取ると、装丁もかわいいしサイズも工夫されていて読みやすい。これだけまとまると「絵」のかわいさ・暖かさがより迫ってきます。
じゃあ、ウィキペディアの解説です。
「ゆういち(愛称ペコロス)は62歳の漫画家。89歳の母みつえが振り込め詐欺にひっかかりそうになり、死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、子どもの世話をして轢かれそうになったり、古い下着を大量に貯めていたり、認知症の症状を見せはじめる。ケアマネージャーの勧めでグループホームに入居させる。面会に来た息子が分からず、薄い髪を見てようやく息子を思い出すみつえ。夫が亡くなったことを忘れ、見えない夫と話すみつえ。原爆に奪われた幼い妹の幻を見て、妹をあやすみつえ。少しずつ認知症の症状が進み、少女に戻り無邪気な様子を見せるみつえ。そんな母を優しく見守りながら、過ぎ去った日々に思いを馳せる。10人兄弟の長女で、畑仕事でボロボロになった弟や妹たちの服を「ふせ」(あて布)するのがみつえの日常だった。みつえはさとるや幼なじみのちえこ、8歳で亡くなった妹のたかよが会いに来たとゆういちに語る。「死んだ父ちゃんに会えるのなら、ボケるのも悪いことばかりじゃないね」と思うゆういちとみつえの日々は、思い出と現実が交錯しながら淡々と過ぎていく。」
抒情的な作品です。映画「この世界の片隅に」に共通するようなものが迫ってきました。
「沈黙ーサイレンスー」と「この世界の片隅で」
すぐそばで営まれている普通の世界を、目の前に展開させてくれる。こういうこともあるでしょう…そういうこともあるでしょう…と。

作者は、認知症の母の「現在」と「過去」を重ね合わせることで、母が生きてきた人生を深く知ろうとしているように思いました。
重度の認知症ですから、種々大変な言動があるのですが、そこを作者はペーソスあふれるユーモアをベースにしながら、自分が納得できる解釈を加えて表現していきます。
母の「現在」と「過去」を重ねることは、そのまま自分の「現在」と「過去」を重ねることでもあります。ここから作者の独特の死生観や宗教観が立ち上ってきます。
ところで私は北九州生まれです。長崎弁とはかなり違うのですが、不思議なほど長崎弁がわかるのです。脚注はほとんど不要でした。より強く作者の意図した世界に入り込みやすかったと思います。
読後は、独特のやさしさに包まれてなんだかやさしくなるような。
ただ「おもろうて やがて悲しき~」という気持ちになる人もたくさんいると思います。だって息子である自分のことがわからない母にどんな思いで会えばいいのでしょうか?
今日はお雛様

ユーモラスで感動的なだけではなく、介護の困難を感じさせる作品でもある」という書評を見つけました。
私も、どうしても言っておきたいことがあります。それは「認知症」そのものの理解をしてほしいということです。
ある日突然ボケることはないのです!
もともと脳も体と同じように老化のカーブを持っています、その老化が脳を使わない生活(詳説1)で加速されるにつれて、次第に症状が重くなっていきます。高齢者が、何らかの生活上の変化をきっかけにして「生きがいも趣味も交遊も楽しまず、運動もしない」ナイナイづくしの生活を継続することで、小ボケ、中ボケそして最後に大ボケになるのです。改善が見込めるのは中ボケまで!(詳説2)ところが世の中は大ボケになって「認知症になった」というのですから、手遅れで見つかるのも仕方ないのですが。
「どんな症状」が認知症の始まりかということがわかっていないということも、問題ですね。このブログのカテゴリー「正常からの認知症への移り変わり」にはたくさん書いてあります。
ただし、軽い症状ほど正常老化との区別が必要で、そこでの必要条件は脳機能検査です。

先ほどのウイキペディアに上がっている症状を、エイジングライフ研究所の認知症重症度で分けてみましょうか。推定される脳機能のレベルで分類するとこうなります。
振り込め詐欺にひっかかりそうになり、小ボケでも起こりうる
死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、大ボケ
子どもの世話をして轢かれそうになったり、本の中で見つからず状況不明
古い下着を大量に貯めていたり、中ボケでも起こりうる
面会に来た息子が分からず、大ボケ
薄い髪を見てようやく息子を思い出す、大ボケ
夫が亡くなったことを忘れ、大ボケ
見えない夫と話す、大ボケ
原爆に奪われた幼い妹の幻を見て、妹をあやす、大ボケ 
この本では何度も「父が亡くなった年から認知症の症状が出てきた」と繰り返されていますが、あげられているその症状はすでにほとんどが大ボケのものです。そしてもうひとつ「徐々に進んでいった」ということも繰り返されています。大ボケだって軽いものから最重度のものまであるのですから当然です。
我が家の河津桜

生活歴をはっきりさせてみましょう。
父70歳、母66歳の時に、40歳の作者は一人息子とともにふるさと長崎に帰り同居が始まります。
父が胃潰瘍からの大量下血を起こした時に、
母はその対応が十分にできなかったとありました。まず死んだと思い叫ぶ、救急車到着まで父の世話はすべて作者、その最中に「痔が治っている」という。このような行動は前頭葉の状況判断が十分にできていないことから起きてきます。ということは「すでに小ボケになっていた」ということなのですよ。
そしてその後、病床にいた期間は不明ですが(実際に亡くなったのはだいぶ後としか書かれていません)父は80歳で没。母は76歳。だから父が亡くなった時に、母は小ボケよりも進行した状態、その期間によっては中ボケの下限か、既に大ボケになっていても何もおかしくないのです。
「父が亡くなった年から認知症の症状が出てきた」のではなく、先行すること数年間の経過があったのです。ここで「出てきた」とされる「認知症の症状」はエイジングライフ研究所が言うところの「大ボケの症状」です。改善が見込めるのは、その前までですから…ほんとに残念です。

いちばん注意しなくてはいけなかったのは、父の胃潰瘍事件に先行する2~3年前に、大きく生活が変わるような生活上の変化があった(詳説3)はずなのです。その時、少しでももともとの生活に、できれば変化のある楽しい生活(脳をイキイキと使う生活)にハンドルを切らなくてはいけなかった。せっかく同居していたのに…と、作者からは、母に対する細やかな愛情や包容力が感じらるだけに、ほんとに残念です。
そのハンドルを切る手助けをすることと、自分すらわからなくなっている母に面会に行く努力(「努力」なくして面会に行くことはできなかったと思います)は、どちらが意義があるでしょうか?どちらが母子の喜びにつながるでしょうか?
でも、このような考え方を知らなかったのですから、仕方ないのですけれど。

認知症の早期発見は、個人的な尊厳重視やしあわせ追及の問題であると同時に国家的な問題だとも思っています。
重度認知症の高齢者の世話をするためには、莫大な費用が掛かるからです。経済的な話をすると、感覚的には拒否したくなることを承知で書いておきますが、重度認知症高齢者にかかる費用は500万円とも600万円とも言われます。1年間に必要な金額です。高齢者にかかる費用が15兆円!という声も聞かれています。
中でも大きいのが認知症にかかる介護費用なのですが、ところが突然、重度認知症にはなりません。さかのぼれば、中ボケの時期もあれば小ボケの時期もあります。そして最も大切なのは「正常」な時があるということです。認知症は正常高齢者がだんだんに機能低下をおこしていくものだからです。
早いほど、予防効果は大きいし、大ボケになっていなければ治すこともできるのです。(今日の話は、原因不明とされているアルツハイマー型認知症の話でした)

詳説1 脳を使わない生活:脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の出番が極端に少なくなるような日々の暮らし方が維持されることにより、廃用性の機能低下が進行していくことで次第に症状が重くなっていく。
詳説2脳のリハビリ:「前頭葉」の出番が多くなるような脳の使い方としての生活習慣の実践によって、「小ボケ」及び「中ボケ」まででであれば、改善が期待できる(認知症の症状が治る)のです。
詳説3 生活上の変化:「何か」の出来事の発生ををキッカケとして、本人が意欲を喪失してしまい、ナイナイ尽くしの生活が始まることになったその出来事。


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