脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

京都だよりー二条城ライトアップ

2014年04月21日 | 私の右脳ライフ

夜、遊ぶことはあまりありません。
今回の京都の旅では、宇治からホ テルのある嵯峨までの道筋に「二条城ライトアップ」があったので、立ち寄ってみました。前回、京都に行ったときに、昼食をとったレストランにミニコミ誌があって、そこにこの二条城ライトアップの知らせがありました。
「なんというグッドタイミング。これは行かずばなるまい!行きたいな」と思っていたら、京都はサクラのベストシーズンということで中心部のホテルが取れずに嵯峨のホテルになったので、ちょうどよかったのです。

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情報をどのように手に入れるかということをちょっと考えています。
高齢になるほど、ネットが使えるかどうかで情報量が大きく違ってきます。
ですから、せめてネットで検索ができるようになっておくといいと思います。

出かけていても、スマホかタブレットがあれば、いつでも答えは手に入ります。

一方でネットの情報は玉石混交であることも十分承知しておかなくてはいけません。玉をつかめる判断力が、ネットを使ううえでの必要条件です。
ちなみにその力は前頭葉ですね!
前頭葉という言葉が出ました。実はネット情報にしろ何にしろ、前提には「知りたい」という興味や意欲や好奇心がなければ、どんなに上質の情報であったとしても、情報としての価値がありません。判断力だけでなく興味・意欲・関心そのすべては前頭葉機能ですよ。

ネットは不得手の方もご心配なく。
新聞もテレビラジオもあります。そのようなマスコミ情報にもまして、力のあるものが「人から伝えてもらうもの」です。
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家族や近隣の人や、友人たち。良好な人間関係は一朝一夕にできあがるものでないことも心しなくてはいけないでしょう。
「さりげない」「控えめな」「一歩退いて」「見て見ぬふり」「自主性を重んじて」「自分で考えて」。
自分の対応と相手からの対応のことばが混じっていますが、都会に行くほど濃密な人間関係を避ける傾向があります。

若い時はこのような濃密な人間関係は煩わしく思うでしょう。
だんだんに歳を取ってきて「打ち込むべきこと」がある人はいいのですが、何もない時には、友人の力(おしゃべりだったり、ミニ外出だったり)も侮れません。
その関係を保てるように、生きてこなくてはいけないのです!
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豊かな老後のためには準備が要ります。
ファイナンシャルプランナーは経済的なことを教えてくれますが、経済的に保てても、それを使いこなす「脳の力」がなければ豊かさには届きません。「脳の力」があれば豊かな生活のために「情報を手に入れる」ことも可能です!

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携帯の写真では、夜景は無理でした。雰囲気だけでも。
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夕日が西の空に沈むころからの公開でした。
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人が写りこまないようにするのは、ちょっと努力がいりました。
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(2014年4月21日投稿の記事です)

 


 
 

京都だよりー宇治平等院・天龍寺

2014年04月20日 | 私の右脳ライフ

せっかくの春の京都ですから、十分に楽しみました。(4月8日から9日)
桜は、満開から散り はじめとい うところでした。

宇治平等院の鳳凰堂は修復作業を終えて4月3日から一般開放だったので、まずは平等院から。初めて訪れました。

平等院は思ったよりも小規模でしたが、藤原道長の息子頼通により約1000年前に創立されたと聞くと「かたじけなさに涙こぼるる」です。一気に平安時代が身近に感じられました。
鳳凰堂の修復は外部だったので、お堂の内部は、考えたら平安人と同じものを見ていることになりますね。
見学は、一回50人に限定、時間を決めて靴も脱いで入堂させてもらうという形です。
到着した時には、1時間半待ちの最終回しか入場できる券はありませんでした・・・もちろん申込みましたよ。

P1000317待ち時間の間に、鳳凰堂を池越しに眺めてみたり、花を愛でたり。池のゴイサギ(たぶん)がドジョウを飲み込むところにも遭遇しました 。

多くの時間は、資料館鳳翔堂で過ごしました。
コンピュータ技術を駆使した復元術は素晴らしいものがあります。

現物の持つ力を強調する人の考えもわかりますが、保存のことを考えるとむき出しというわけにはいかないでしょう。
おかれている場所までも、当時に沿って配慮すれば、1000年前の人とほとんど同じものを目にすることができるわけですから、これは感動的ですよね。

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宇治上神社(清め砂)宇治川沿いにはたくさんの寺社がありました。土手のサクラも満開P1000327 
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宿が嵯峨だったので、翌朝は嵐山へ。
天龍寺も野々宮神社も「行ったことがある」と思いました。
が、学生時代に友人といった訳ですから指折り数えてみると50年近く前!
JR東海の奈良のキャンペーンテーマは「いま、ふたたびの奈良へ。」ですが、確かに再び訪れたときには、そこの持っている魅力のほかに、懐かしさとよく生きてきたという感慨がともに味わえます。

嵐山は、私の好きな伊豆の山に似ていました。山桜があふれるよP1000346P1000341
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しだれ桜は最高。ミツバツツジは満開、シャクナゲはほころび始め、馬酔木も・・・天龍寺は花の寺でした。
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正常から認知症への移り変わりー突然徘徊しました !?

2014年04月18日 | 正常から認知症への移り変わり

「突然、徘徊はしません」と昨日のブログで強調しました。「所の見当識」に関しても、当然ごく軽い症状から徐々に進行していくのです。

天城のわさび畑(4月7日)
P1000304テレビでは不思議なことを言っていました
1.「ほんとに突然徘徊を始めたんです」と家族が言う。
あり得るかどうか、今日のブログを読んで判断してください。

2.徘徊を始める前のサインとして食欲不振・感情が不安定。
このサインでは「徘徊」にだけつなげるのは難しいと思うのですが。

次に挙げられたサインは、「同じ言葉を繰り返す」と「同じものを大量に買う」でした。
この症状は、実は小ボケで始まる症状ですから前駆症状ではありますが、そこから「徘徊」に到達するには、数年以上かかります。

さあ、正常老化ではないことが起きた時(認知症が始まった時)、「所の見当識」に関してどんなことが起きるのか話していきましょう。

P1000305 慣れているところに行くときに失敗がある。
例えば、隣町に嫁に行った娘のところに行くのに、
午前中に着くはずなのに昼過ぎになってしまう。
理由を尋ねると
「ちょっとお土産を買うのに戸惑って」のような言い訳をするけれども、特別目新しい品物を買った様子はないのです。

電車やバスに乗るときに
「出発しそうだったから、行き先をよく確かめずに飛び乗ったら、行先が違っていた」ということもよく耳にします。
それならなぜ終点まで気づかずに乗っているのでしょうか?
すぐに降りて乗り換えたら、こんなに時間はかからなかったでしょうに・・・

P1000302 もちろん、例えば便数の少ない電車やバスに乗り遅れたりするような理由もあるでしょうが、小ボケになっている人の場合だと、びっくりするほど同じような失敗を繰り返すのです。
普通だと、失敗したら「今度こそ気をつけよう」と失敗を繰り返さないように気を付けるものですね。(これはまさに前頭葉の働きです)

次のステップとしては、帰宅するときにも同じような失敗を起こすようになります。
我が家ですから文字通り慣れたところですよね。

この時も説明というか言い訳はスムーズで、それを聞いているとついうなずいてしまうほどです。

このような失敗を繰り返すうちにだんだん外出そのものが減っていきます。

桜も!
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さらに次の段階になると、失敗した時に、自力でリカバリーできなくなります。 

上に挙げた例は、間違えながらも、どうにか目的は達することができますが、次の段階ではパニックになってしまって大騒ぎを引き起こします。

正常レベルであっても、間違えたり、迷子になったらパニックになってしまいますが、そこで前頭葉の出番。
もう一度初めからやり直したり、人に尋ねたり、とにかく落ち着こうとしますね。

認知症が中ボケに入ったこの段階になると(まだまだ、正常といわれていることすらあります)本格的に外出してトラブルことはほとんどありません。

一つは本人は出たがらなくなることと、家族も心配で独りで外出させないようにするからです。家族のことばによると「幼稚園の子をひとりで電車やバスに乗せないのとおんなじです」

だからこのトラブルの舞台は、近所のスーパーのようなところになります。
あるいは、親戚の家やその近所の本来ならよく知っているはずの場所で起こすのです。

自分の家を正確に伝えられない。
こういう出来事と並行かちょっと先行して、自宅の説明ができなくなります。
誰かに車で自宅まで送ってもらうときに、的確に説明できなくなります。普通の大人は
「あの木のところまではまっすぐですが、次の信号を左折。4軒目の赤い屋根の家」のように言えるものなのです。

次の段階に入ると、家の近所で迷子になって通りがかった人から連れてきてもらうようなことも起こします。

                                     「東府や」足湯
P1000308いよいよ大ボケレベルです。
夕方になるとそわそわと落ち着かなくなったり、逆にボーと外を眺め続けていたりします。

人によっては、荷物を作ったり(それも、下着やなぜこのようなものが必要なのかよくわからないようなボロ布)ほどいたりすることもあります。

これはおばあさんに起きることです。
どうもここは自分の居場所ではないと感じているらしく、落ち着いていられません。例えば実家などイメージしているのでしょう。
その時には、本人に年齢を尋ねると必ず若くなっていて、20歳などと結婚前の年齢をこたえることもあります。

家人が仕事から帰ると、「(実家に)帰らせていただきます」と言い張るために、「まず車に乗せて近所を一回りドライブして落ち着かせないと家事ができない」と訴えるお嫁さんもいました。

二人分。でもちょっと食べ過ぎ!
P1000310 こういう「事件」が何度も繰り返されて、その挙句、帰ってこない!どこに行ったのかわからない!という「徘徊」デビューの日を迎えることになります。
確かに、初めて「徘徊」を始める日はあります。
でもその前に、普通に元気にイキイキとした生活を送っていた人が、突然「徘徊」することはありません。

警察に届けて、田舎なら消防団に依頼して山狩り・・・
それを繰り返すと、警察からは注意を受ける(叱られる)し、ご近所にも迷惑をかけるし・・・

「寝たきりになって、楽になりました」という言葉もよく聞きますね。
どうしてここまで待ってから、施策を考えるのでしょうか?

それぞれの段階で、なすべきことがありますし、早いほど効率もいい。
何よりも脳の老化を早めないということを納得してもらうことが、一番の予防策です。

ふろく
正常から認知症への移り変わりとして、認知症になりかけていくときに具体的なみられる例をテーマ別に話してきました。結構面白いですよ。興味がある人はチェックしてみてください。

「ちっとも顔を見せないんだから」ー人の見当識
http://blog.goo.ne.jp/ageinglife/d/20080429

「今日もコロッケ明日もコロッケ」ー料理作り
http://blog.goo.ne.jp/ageinglife/d/20080517

「部屋で鶏でも飼わなくっちゃ」ー食作法
http://blog.goo.ne.jp/ageinglife/d/20080522

「スピードが遅すぎて怖いんです」ー車の運転
http://blog.goo.ne.jp/ageinglife/d/20080606

「おしゃれだった人が」ー着衣
http://blog.goo.ne.jp/ageinglife/d/20080610

「時の見当識から見る認知症の重症度」ー時の見当識http://blog.goo.ne.jp/ageinglife/d/20080619

 
 


安心して徘徊できる町って!

2014年04月17日 | 正常から認知症への移り変わり

認知症で徘徊して亡くなったり、行方不明になったままという方たちが多いとい うニュースが流れてきました。
今日は撮りためた桜の競演で。3/19
P1000211「徘徊するようになっても、安心な町づくりを実現するためには」と話は続きました。

もう20年くらいも前のことですが、保健師さんたちの勉強会で「釧路方式」という発表がありました。

釧路は寒いところですから、冬に徘徊が起きれば、それはすぐに凍死の問題につながります。
できるだけ早く発見することがどうしても必要なのです。

最初の通報が行われた時点で、(細かいことは忘れましたが)警察、テレビ局、タクシー会社などなどに情報が一斉に共有されるというものでした。
その後、全国のいろいろなところで釧路方式に相当する取り組みが始まりました。

3/28 伊豆高原桜まつり
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徘徊しているとき、その人は時や所の見当識はもうないのです。
今がいつなのか、ここがどこなのか、さっぱりわかりません。ついでに言えば、目的もない!
だからこそ徘徊なのですね。

そういう状態で歩いている人を、困らせないとか安全に守るとかいうことになると、とにかく人の目が必要ということになります。

都会なら、人間関係は希薄かもわかりませんが、人の目はあるでしょう。
でも、地方になるほど、人が少ない。
種々の機関は利用すればいいのですが、大切な人の目、そのものが少ないのです。

3/29 あすか(ハヤブサ)P1000267

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家庭に目を転じてみましょう。
繰り返しますが、徘徊をするような状態になると、夜中でも夜中ということがわかりません。
そうです。どこかに行きたくなると夜中に徘徊し始めることもあります。

その番組でも取り上げられていましたが、行方不明になってしまった方のご家族が
「いつもは、シルバーカーを使って出かけるので音がして必ずわかったのですが、あの日に限って、なぜだか身一つで出かけてしまったのでまったく気づきませんでした」

この家族を責めることはできるでしょうか?
徘徊を起こすことと、24時間の体制で見守りが必要ということは全く同じ意味です。
介護者には家事もあれば、休息も必要。
ほんとにちょっとした間に、考えられないような方法で「脱出」してしまうのですから、「見守りなさい」というのは、少人数の家庭ではとても無理です。

4/1 小田原城
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最近はGPS機能を利用するということも耳にしますね。
これが一番現実的かと思いますが「、どうして外したのかわかりません」という声が聞こえるような気もします。

4/7 伊東市神祇大社
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とっても不思議です。
認知症の人は、必ず「普通に生活していた」時があるのです。(これは定義です)
普通の大人は、目的も行先も時間も考慮して行動しますね。方向音痴の人だって、人に尋ねたり事前に準備したりして目的を達するものです。

4/7 中伊豆筏場のわさび畑
P1000301そこから、徘徊を始めるまでには長い期間が必要です。
そう、思いませんか?
今日まで自由に問題なく行動していて、明日突然徘徊するでしょうか?(徘徊に至る経過をこの次に書きましょう。)
なぜ、もっと前の段階で施策を始めようとしないのでしょうか!

「安心して徘徊できる町作り」よりも「徘徊を起こさない町作り」のほうが効率もいいし、国民の希望でもあると思います。


ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html